第11話 苦悶
「駄目だよっ、そんな事言っちゃ。」
「陽ちゃん、でもよく聞くよ?そこの山の上に村があって、その人達は人を殺したり食べたりするんだって。」
「噂でしょ?見た人がいるなんて聞いた事が無いわ。本当かどうかも分からないのに人の事を悪く言っちゃ駄目だよ。」
「でもぉ・・・。」
「けっ、じゃあ陽、お前見て来いよ。」
「えっ?」
「そんなに言うなら、本当にいい奴らかどうか確かめて来いよっ。」
「べ、別にいいよ。こんな噂、馬鹿げてるって証明してみせるわよっ。」
「あっそ。道は知ってるよな?あの細い山道を登って行くと、目印に石碑が立ってるって話だ。・・・殺されるんじゃねぇよっ。」
「陽ちゃん、やめなよ・・危ないよ。」
「大丈夫よ。今日学校が終わったら行ってくるから。」
激しい後頭部の痛みと、耳に響く騒音が私を記憶から呼び覚ます。
流れ込む多くの記憶の最後を飾ったのは、見知らぬ少女の怯える姿だった。
どうやら記憶の中の私は、林の中で
それ以降の記憶を思い返しても、名前も知らぬ少女と再会した記憶は無く、彼女は無事に家に帰れただろうかと考える私は、随分と
楽天家である。
両足首を合わせる様に固く縛られ、逆さの状態で引きずられているこんな状況では、大抵自分の心配を最優先するものだ。
ましてや、地面の石に気を付けて引きずって欲しいと願っているとなると、私は恐らく変人と言う部類の人種なのだろう。
変人ともなれば、決して笑い飛ばせはしない後頭部の痛みを持ってしても、何処かこんな珍しい状況を楽しんでいるのだ。
とは言えそんな執筆への熱意も残念ながらここまでである。
殆ど地面しか視界に入らなかった私でさえ、この突如張り詰める空気を感じ取っていた。
感じた事のあるこの空気感は、紛れも無くお祖父様が近くにいるのだと言う事実で、私の死期が近付いていると言う合図とも言えよう。
しかしながら今の私には、逃げると言う選択肢は
そんな最悪な状況に漸く、恐怖と言う二文字が頭を過ったのだった。
「うわぁっ・・痛っ。ちょっと、もっと優しく降ろして・・。」
「静かにっ。」
「・・・・。」
「おやおや、鼠をやっと捕らえたのですね。」
「申し訳ありません。少々手こずりましたが、私の娘が
「ほぉ。では後で娘を連れて来なさい。褒美を上げましょう。良くやりましたね。」
「はいっ。ありがとうございますっ。」
「あなた達・・・頭が狂ってるわ。」
「ふっ・・ぷぁっはっは、結糸面白い事を言うのねぇ。・・良くもそんな口をっ。」
「まぁまぁ、落ち着きなさい。自分が除け者にされた様に感じ寂しくなったのですよ。大丈夫、あなたの為の時間は十分用意してありますからね。」
私が変人であるならば、彼等は
村中の大人がこんな真夜中に集まり、この老人を崇め評価されようと励んでいるのだ。
そんな光景に言葉を失う私は、まだ正常な人間であったと自信さえ与えた。
しかしながら頭のおかしな集団の一人となった母に対しては、虚しさと悲しみが込み上がり、絶望さえ感じている。
何故こんな老人に心を奪われ、目を背けたくなる様な狂気な表情を浮かべているのか。
幼い私には理解出来なかった
こんな状況になっても尚、母を思い救わんとするなど、親子の絆とは計り知れないものである。
「・・・お母さん、私記憶が戻ったよ。」
「あらそう?じゃあ何故自分が殺されようとしているのか、説明する必要は無いわね。」
「私はもう子供じゃないよ。・・お母さんは何がそんなに苦しいの?」
「・・・・それは。」
「私が説明して差し上げましょう。そうだねぇ、何処から話しをしようか。結糸さんは幼い頃母に虐待を受けていましたね。彼女は生きる事への苦しみからストレスを抱え、結糸さんにそれをぶつける事でしか自分を保てなかったのでは無いでしょうか。」
「生きる事が苦しい・・・。」
「そう。この村へ来た当初、彼女はそれを酷く悩んでいたのです。弱い娘を苦しめる事でしか自分を保てない事を酷く責め、自殺を考えていると。このまま苦しめ続けては娘が不幸だと、そう話していました。」
「えっ・・。」
「しかしながら、彼女がそんな苦悩から逃れたく自殺をするなど間違っている。」
「そ、そうですよっ。そんなの間違ってる。」
「だから、娘を殺しなさいと諭したのです。そして・・・。」
「お祖父様。もうそれくらいで勘弁しては下さいませんか?ふふっ、もうそんな事は過去の話です。私はただ、一度決めた事はやり遂げなければ気が済まないたちなのですよ。」
人間とは不思議な生き物で、そんな理由だとしたらと可能性を見出し、どんな最悪な状況でも希望と呼ばれる物を頭に浮かべてしまうのだ。
そうしてその先には絶望が待っているのだと知りもせず、安易に手を伸ばしてしまうのである。
勿論中には絶望を乗り越えられる者は存在するが、それは容易ではない。
私に絶望を受け入れる覚悟と乗り越える強い意志が果たしてあるのだろうか。
まずは先手必勝、軽めのパンチで様子見である。
「・・・お母さん、私は。私、お母さんを恨んだ事なんて一度も無いよ。」
「・・へぇ。」
「記憶を取り戻した今なら良くわかる。私見た事があるんだ。私に怒った後、陰で泣いてる所をね。私はもう大人だよ。一緒に他の道を選ぶ事だって出来るはずだよっ。」
「何?・・あぁ、助かりたいんだね。助かりたくて、そんな思ってもいない事を言ってるんだ。はははっ。」
「そんなっ、違うっ。」
「じゃあ、次はお母さんの番だね。・・・あの陽ちゃんって子。あの子があんな事になったのは、お母さんが仕組んだからだよ。どう?憎いでしょう?」
「・・何したの?」
「何って、結糸が姿を消した後あの街を歩いてたらあの子、突然私を見て
「何か言ったの?」
「うーん、その子が一瞬結糸に見えたものだから、娘の結糸に良く似てると話したわ。そしたら・・あはっ、友達だって言うじゃない。だから、利用してやったまでよ。結糸を呼び出してくれなきゃ、魔が刺して・・陽ちゃんとそのお母さんを殺しちゃうかも知れないなってね。」
「なんて人なの。そんなの・・酷すぎる。」
「あっ、あの子が事故に遭ったのは関係ないわよ?あの子が抜け殻みたいにぼーっとしてるのが悪いのよ。さっ、じゃあさっきの言葉をもう一度聞かせてもらおうじゃない?」
勿論怒りが込み上げなかった訳ではない。
実際に陽ちゃんに手を下していないとは言え、母も又お祖父様の様に弱い心に漬け込み、恐怖で人を操ろうと搾取したのだ。
そんな事実は幾ら親子であろうとそう簡単には許す事など出来ず、その感情を待ってすると言葉に詰まる私は、母の言う通り単に助かりたかっただけなのかも知れない。
軽いパンチのつもりが逆に回し蹴りで反撃された様な感覚は、先程の言葉が
しかしながら皆母の腹から産み落とされた人間で、どれ程忌み嫌おうとも、心の奥底で愛情が育っている事を知っている筈であろう。
そして本音とは、極限の状況まで追い詰められ始めて発せられるのだと言う事も周知の事実である。
私は母を恨んだ。
それは隠しようが無い事実である。
けれども確かに、そこに愛はあったのだ。
「ほらね、何も言えないんでしょ?・・馬鹿らしい。まだ助けを
「・・・・。」
「何か言いなさいよっ。」
「許せないよ。勿論、親だろうと友達を傷付けた事は許せるはずが無いよっ。」
「ふんっ。漸く本音を吐いたね。そうよ、どうせ・・どうせ母親なんて、憎まれるべき人間なのよ。」
「そうだよ、でも聞いて。・・・私はっ。」
「おやおや、もう随分と夜が更けてしまったねぇ。そろそろ年寄りは寝なければならない時間だよ。ははっ・・・じゃあ、始めようか。」
「ちょっ、やだっやめて。何するのよっ。だからっ、私はもう子供じゃ無いんだって。殺される理由なんて無いわっ。」
「そうです、あなたは子供じゃ無い。こんな手足を縛られた状況で長い時間放置してしまい悪かったねぇ。・・・どうだい?手足が解放された感覚は。」
「・・・・へ?何、何なの。」
「何か?」
「えっ?いや・・・え?帰っていいの?」
「・・・・こんな寒い夜に温かいお茶を皆で飲むのも中々風情でいいかも知れませんね。ちょっと、準備してくれるかい?」
「一体どう言う事なの。ドッキリか何か?あの、お母さん?」
「・・・・・・。」
「お母さん行こうっ。一緒に帰ろうよ。・・ねぇってば。」
突如縄を解かれ彼等の中から存在の消えた私は、当然ながら状況など全く理解出来ず混乱の
こんな雪の降る夜に先程とは打って変わり、
当然私は幾度となく共に帰ろうと母に声を掛けはしたが反応は無く、泣く泣く母を置き去りにしこの場を後にする他選択肢など無かった。
そうでなければ共に彼等の側でお茶を飲んでいれば良かったのか。
無論、私はそこまで頭のおかしな人間では無い。
後悔と罪悪感で満たされた体は重く、まるで立ち去ってくれと言わんばかりの雰囲気に違和感を感じながらも私はその足を一歩踏み出したのである。
歩みだしてからは不思議と足は軽くなり、その速度を増していった。
心とは裏腹に体は早くこの場から逃げたかったのであろう。
ならば体よ、足よ、更に速度を上げるのだ。
本当の恐怖は、直ぐそこまで迫っている。
「あらあら、まあまあ。また、棄教者が出てしまったようですね。皆さん、彼女を捕らえなさい。そして、その罪に値する裁きを与えるのですっ。」
澄んだ空気の漂う静寂な夜を、激しい地響きが乱してゆく。
己の息遣いと心臓の鼓動はその早さを増し、真冬だと言うのに額から汗が滲み出ている。
幼い頃鬼ごっこをした経験を誰しも持っている事だろう。
鬼は一人で、逃げる人間は複数存在するのが通例で、その人数の多さから誰もが追いかけられる事を楽しむ余裕すら感じている。
では、逆であればどうだろうか。
鬼が多数で逃げる人間は一人となれば、その焦りは数倍にまで跳ね上がるのだ。
振り返らずとも分かる。
逃げるは私はただ一人で、鬼は十人、いや二十人だろうか。
これは子供遊びでは無いのである。
捕まる事は即ち、死を意味するのだ。
「はぁっ・・はぁっ、くっ・・・はぁっ。」
「追え゛っ。あそこの林に逃げ込んだぞ。みんな゛ぁ、こっちだぁっ。」
「まずいっ、何も見えない。・・はぁ、はぁっ。そうだ・・あそこだ。」
私は蘇った記憶を辿る様に、幼い冬真と自身の笑う姿を横目に走っていた。
林の隙間から見え隠れするあの湖は確か、酷く汚かった。
この大きく
より一層木々の茂るこの辺りは、雨の日怪我をし冬真が必死な顔で助けに来てくれた所だろう。
そして幼い頃冬真と未来を語り合った山茶花の咲き乱れる洞窟。
更に今では再び訪れた私に記憶を取り戻してくれた場所であり、救いの手を差し伸べてくれる場所なのである。
この村で記憶を取り戻した事は偶然だろうか。
もしも記憶を取り戻していなければ、この洞窟の秘密を知りもしなかったのだ。
この山の下へと通じる抜け道を他に誰か知っているとすれば、それはあの見知らぬ少女だけである。
あの怯える少女の手を引き走ったこの道を他の誰も知る事はない。
故にこの鬼ごっこは、私の勝利だ。
「はぁっ・・はぁ、良かった。あの時のままだ。あっ、荷物・・仕方ない。とにかく早く・・・。」
「あぁ、そうそう。ここって山の麓に通じてるんだよねぇ。」
「・・・お、お母さん。」
「あれ?言ってなかったっけ?あの陽ちゃんって子、昔ここに来て女の子が助けてくれたんだってよ?花が咲いてる洞窟を抜けて、下の村へ連れて行ってくれたんだって。一体その女の子って言うのは・・誰の事かしら。」
「待って・・・、やめてっ。」
「皆んなーっ、こっちよ。」
「いたぞぉっ。こっちに来いっ。」
「嫌だっ。やめ、やめてっ。お母さんっ助けて、お母さんっ。」
「・・・・。」
「お母さんっ・・お母さん。・・・嫌だっ、お母さ、お母さんの馬鹿っ。いっつも、私に怒った後泣いてたくせにっ。私が笑ってたら、笑ってたくせにっ。本当はっ、やめてっ・・・本当は、間違ってるって分かってるくせに。」
「静かにしろっ、暴れるなっ。おいっ、押さえつけろ。お祖父様に手土産だ、首を切り落とすぞ。」
「・・・いや。嫌ぁっ。」
いつの間にか雪は止み、この洞窟へ着く頃には空に沢山の星が光り輝いていた。
それにも関わらず何故雨が降っているのか。
恐怖で目を閉じていた私には、分からない。
「行きなさい。ほら、目を開けて。下の村の人に助けを求めるの。ね?」
「・・・・・え?」
「最後に聞かせて頂戴。結糸は、お母さんの事・・好き?」
「うん、勿論。いつも大好きだった。・・何、どう言う事。」
「そっか。なら、良かった。結局私は結糸の母親なんだろうね。殺すなんて、初めから出来やしなかったんだ。・・・立って、行きなさいっ。」
無我夢中で駆け出した私の頬に伝う水滴はやはり雨だったのか、無色透明の液体であった。
しかし先程は気付く事の無かった濡れた腹部の色は、まるでカーネーションの様に真っ赤であった。
幼い頃時々お手伝いをすると貰える小銭を貯め、母の日にあげたあのカーネーション。
渡せば要らないと怒鳴りゴミ箱に捨てられたあの花が、
母は語らずとも私を愛してくれていた。
昔も、そして今も。
本当は分かっていたのである。
この頬を伝う水滴は母の潤む瞳から溢れ落ちたもので、腹部を染める赤い液体は母が私を守った証拠であると言う事も。
そして洞窟の奥から聞こえる小さな唸り声はは、私が母の身を案じあの場へ戻らぬ様、痛みに耐え声を抑えているのだと言う事も分かっている。
では、私は又もや同じ過ちを犯すのか。
動く事もせず目の前で失われる何かを見て見ぬふりをしては、どうにか出来た筈だと後になり強がりな発言を繰り返しているのだと何故気付かないのだろう。
気付いているのならば罪を犯した母が命を掛け償おうとする心を、愛を、置き去りになど出来ようか。
「はぁっ、はぁ・・・・・・お、かあさん。・・お゛母さんっ。」
私は気付けば来た道を再び走っていた。
次第に大きくなる村人達の声は洞窟内を反響し、その罵声は物々しい雰囲気を放っている。
けれども私の中に恐怖はもう無い。
私は言うなればゲームの主人公でレベルは一程である。
持っているの主人公らしからぬ少し大きめの木の棒だったが、弱さを捨て愛の様に大きな強さを手に入れた私は正に勇者。
強さは木の枝を剣へと変え、薄手の衣服を鎧へと変える。
そして他の為に自己を犠牲に出来、恐怖へ立ち向かわんとするその勇気は、何処までも強大な力を生み出すのだと決まっているのだ。
私は倒れる母の盾になる様に村人の前へ立ちはだかり、レベル五十の中年達との戦いは只今より開戦である。
「・・・・ぷっ、ぁあ゛っはっは。何だその木は。そんな物で我々に立ち向かおうとわざわざ戻って来たのかい?」
「そうですよ。母を連れて帰ります。帰してくれないなら、力尽くで帰る。」
「馬鹿だねぇ。・・・
「・・・はい。」
「あっ、あの時の・・。」
「うちの自慢の娘は既に知っているね?君を見つけたと報告してくれたうちのよく出来た娘だ。だけど、まだこの子には仕事があるんだよ。」
大の大人に囲まれ父のプレッシャーを背負うこの小さな少女は、その表情こそ見せはしなかったが、ナイフをこちらへ突き付けるその手は間違いなく震えていた。
それは彼女の恐怖と父への反抗を物語っており、私の心に今までに感じたことのない様な怒りを湧き上がらせたのである。
未来ある子供を手に掛け、それを逃れた者には悪事を強要するなど、決して許される事では無い。
世間一般に知られている正義と言う言葉の意味が私色に塗り替えられたのだとしたら、きっとこの時だろう。
長きに渡り子供の未来を奪い続け、悪魔の巣窟となったこの村を、そうだと知りながら野放しになど到底出来はしない。
誰かが終わらせなければならないのだ。
「沙良ちゃん?だっけ?大丈夫、次は絶対に沙良ちゃんを守ってあげる。嘘じゃ無いよ?だから、こっちにおいで。」
「・・・だ、め。駄目なの。弟がいるのっ。私が今やらないと、私が弟を守らないと・・駄目なの。」
「沙良。お前・・・さては演技か?」
「えっ・・・違う、お父さんこれは・・待って。」
「こっちに来なさい。」
「いや、だ。嫌だっ、待って違う。助けてっお姉ちゃん。助けてっ。」
「沙良ちゃんっ。」
「あの、奴らはどうします?」
「後で処理する。気絶でもさせておけ。」
今度こそあの子を助けられると思っていた。
強さを手に入れた私にはそれが可能だと自惚れていたのである。
しかしながら彼女にも背負い守る物があり、たった一人少女を救うだけでは誰も救われないのと同じなのだ。
私は自分の無力さに怒りを募らせながらも遠のく意識に抵抗など出来ず、薄ら目に映る沙良ちゃんの背中に、未来の話を心で呟く他なかった。
必ずや村を闇へ
『・・・ちゃん、・・えちゃんっ。』
「お姉ちゃんっ。」
「沙良ちゃんっ。」
「・・・沙良ちゃん?違うけど。」
「あっ・・ごめん。ここは?」
「病院だよ?・・・・おばちゃーん。起きたー。」
「・・・お母さん。・・・・お母さん、良かった。私、どうなったの?・・・・訳が分からない。あれは夢?」
「夢じゃ無いわ。・・・その、本当にごめんなさい。」
「やめてよ、もうそんな事。そんな事はもう良いの。・・・そうだ、沙良ちゃんはっ?私達はどうやってここまで来たの?私は気を失ってたしお母さんは血だらけだったはずでしょ、何で?」
「ちょっとちょっと。気持ちは分かるけど少し落ち着いて。実は・・。」
「お母さんが環を担いで山を降りたみたいだよ?」
「お兄ちゃんっ。何でお兄ちゃんがそんな事知ってるの?」
「椿の弁護士から連絡があってね。環が危険だって聞いて、教えられた住所に急いで向かっていたんだ。そしたら血だらけでふらふらの環のお母さんが君を背中に担いで歩いていたって言う訳だ。」
「そんな・・お母さん怪我は大丈夫なのっ?私を担いで歩ける程軽い傷じゃなかったはずだけど。」
「えぇ、私は大丈夫だから。今もほらっ、ピンピンしてるわよっ。」
「はぁ・・・何か、安心して涙が出てきちゃう。でも私何かが泣いてちゃ・・沙良ちゃんが、危ないかもしれないのに。」
「その事なんだけど・・・。ごめんなさい、少し席を外して貰えるかしら?貴方は知るべきではないわ。」
「・・分かりました。だけど今回の様に危険が続くのなら、それを見過ごす訳にはいきませんから。それじゃあ環、お大事に。もう昼休みも終わるしまた今度様子を見に来るよ。」
「うん。・・・お兄ちゃんっ。本当に、ありがとう。」
「お礼なら椿に言ってあげてくれ。じゃあな。」
思えば記憶を取り戻して以降の出来事は実に壮絶で、冬真の事を考える時間すら無かったが、私には冬真の両親を殺したと言う現実は決して忘れてはならない。
そしてそれ故に冬真に苦悩と憎しみを植え付け、到底素晴らしいとは言えない人生を送らせてしまった事は紛れも無い事実なのである。
本当は思い出した過去の話や、今回起きた出来事の話をしたければ、今までの事だって全て謝罪したいのだ。
けれども、両親を殺した私が冬真に会う資格など果たしてあるのだろうかと考える私は、恐らく逃げている。
記憶を取り戻した今、その事実に正面から立ち向かう事が出来ずに恐怖しているのだろう。
では私は今まで一体どの様に、幾度となく訪れる困難に打ち勝って来たのか。
答えなど明白で、私はいつだって誰かに助けられ、生きて来たのである。
無論今回も、私が道に迷う事を知っていた様に冬真はそっと手を差し伸べてくれていたのだった。
「沙良ちゃんだけど、恐らく今の所は命の危険は無いわ。・・・皮肉よね、こんな時に私の知識が役に立つなんて。」
「今の所は?」
「あの子は五歳になったばかりだと聞いたわ。子供狩りの対象となるか否かを決定するのは六歳になってからと決まっているの。」
「あと一年・・か。」
「結糸。何を考えているのか大体想像は付くけど、あの村に戻る事は承諾出来ないわ。危険過ぎる。」
「うん、分かってる。大丈夫。・・お母さんが思っている様な事は、しないよ。」
「そう。・・あっ、これ。弁護士さんから預かったんだった。冬真君からの手紙だそうよ。」
「えっ・・。」
「・・お母さんは隣の病室だから、戻るわね。何かあったら呼んで。」
私の側にいてくれる人々は皆言うなれば超能力者で、何を考え、迷い、葛藤しているのかいつも筒抜けであった。
特に母はその能力に恐ろしく
しかし私はどれ程巧みな言葉で言いくるめられようとも、この決意は揺らぐ事は無い。
誰かがこの悪夢を終わらせなければ、私の大事な人々を覆う暗闇が消える事はないのである。
その犠牲が私一人で済むのならば、安い物だ。
戸惑う私に差し出された冬真の優しさをを、甘んじて手に取る。
謝罪と別れを、そして今までありがとうと伝えに、私は冬真に会いに行く。
『無事に戻って来たのなら、会いたい。会って話がしたいんだ。何か苦しんで迷っているなら、全部分かってるから大丈夫。大丈夫だから会いに来て欲しい。待ってる。』
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