湯浮(ゆうき) タモツの遺書

  帯礼おびれプロデューサー様


急にこんな手紙を送りつけてしまって、本当に申し訳ありません。

でも、ボクのこの願いを叶えられるのは、帯礼おびれさんをおいて他にいないのです。

どうか、最後まで手紙を読んでください。

そして、ボクの告白をあらいざらい、帯礼おびれさんが担当しているテレビのワイドショー番組で取り上げてほしいのです。

こんなことをお願いできるのは、帯礼おびれさんだけです。


その告白と言うのは、先週オンエアされた帯礼おびれさん担当の特番の中で、ボクが語った怪談についてなのです。

今年度の『怪談師グランプリ』を受賞させていただいた、例の、実家の旅館でのボクの体験談です。


番組の中でボクは、旅館から露天風呂までの渡り廊下わたりろうかとして使われている橋のたもとから、男性が単独で足をすべらせて落下したと言いました。

不注意にしろ故意にしろ男性が1人っきりで、文字どおりの「血も凍る惨劇」を招いてしまったのだと。


あれは、ウソです。

本当は、ボクが男性を橋の上から突き飛ばしたのです。


わざとじゃありません。それだけは信じてほしい。

男性がボクになぐりかかってきたので、とっさに体当たりで押し返したら、勢いあまって落っこちてしまったんです。

そして、その瞬間、橋ゲタの下の補強ケーブルが切れて、ムチみたいにしなって男性の腰を打ちつけたんです。


ボクは、すべてを目撃してしまったんです。

男性の体が真っ二つに分かれて、それぞれ別々に空中にはじき飛ばされていったのを。

腰から下は川まで飛んで水流に飲み込まれ、上半身は、雪の上に直立しました。

ボクは、それを呆然と見ていたんです。


男性は、大声で叫びました。

「誰か助けてくれ! 橋から突き落とされた!」


思わずメマイがしました。同時に、吐き気を必死に飲みくだしました。

ボクは、橋の欄干らんかんに両手ですがりながら、その場にしゃがみ込みました。


男性の体は真っ二つに切断されているはずなのに。

どうして、なにごともなかったかのように大声で叫んでいるんだろう?


さっきボクが見た光景は幻で、本当は男性の下半身は雪に埋もれて隠れてるだけなんだろうか?

いや、そんなはずない。積雪せきせつはそこまで深くないし、そもそも雪の上には真っ赤な血しぶきが飛び散っている。


だとしたら、今ボクが目にしている男性は、すでにこの世の者ではない幽霊かなにかだろうか?

そんな、まさか……!


頭を抱えるボクにおかまいなしに、男性は、なおも叫びました。

「殺される! 助けてくれ! 警察を呼んでくれ……」


"警察"という言葉を耳にした瞬間、ボクの頭の中で何かが「カチッ」と動いたような音が聞こえました。

たしかに聞こえたんですよ。ちょうど、ダイヤル式の金庫のロックが開錠かいじょうされた瞬間みたいに。


恐怖心が、急にどこかにスッ飛んで行ってしまいました。

代わりに、「どうにか、この場をとりつくろわなきゃいけない」というあせりで頭がいっぱいになったんです。


そのときボクが羽織っていた旅館の半纏はんてんのポケットには、500万円分の札束さつたば高級腕時計こうきゅううでどけいが押し込んであったんです。

白状します。それらは、男性の客室の金庫からボクが盗んだものでした。


男性の客室の清掃せいそうに入ったとき衝動的しょうどうてきに盗みをはたらいてしまったボクは、そのまま遠くに逃げるつもりで、旅館の外に出たんです。

旅館のオーナーである親父オヤジに見つからないように、露天風呂の近くの獣道けものみちを目指そうとしたら、早朝の散歩から戻ってきた男性と橋の上でバッタリ行き会ってしまったんです。


軽く会釈えしゃくしてやり過ごそうとしたんですが、5つの札束さつたば腕時計うでどけいの箱をつめこむには半纏はんてんのポケットは小さすぎて。上から丸見えだったんです。


男性は、すれ違いざま半纏はんてんのエリ首をつかまえて、「この泥棒め!」と激怒げきどしました。

そうしてモミあったあげくが、おぞましい惨劇となったのです。


ボクは、雪の地面に尻をついて、崖をすべり降りました。

それから、四つん這いよつんばいになって男性にジリジリとニジリ寄りました。


男性はくちびるをワナワナふるわせながら「やめろ、あっちに行け。この人殺ひとごろしめ」と、そのときにはもうの鳴くようなかすれた声で訴えました。

おかげで、ボクの心に余裕ができました。こんな小さな声なら、旅館の方にいる従業員や宿泊客には、とうてい届きませんから。


ボクは言いました。

「違うんです。本当に、こんなつもりじゃなかったんです!」


男性は、まわりの雪景色が透けて見えてるんじゃないかと錯覚するくらい真っ白い顔色になっていました。


やっぱり、これは幽霊に違いないとボクは思い込んで、

「許してください、許してください! どうか、安らかに成仏じょうぶつしてください!」

両手を合わせて、哀れっぽい泣き声を出してみせたんです。


今思い返してみれば、ひどく滑稽こっけいですよね。


男性は、長年の苦労がクッキリ刻み込まれた眉間みけんに、さらにミゾを深めて言いました。

「何を言ってるんだね、キミは? このごにおよんでバカげた芝居しばいは……」


ボクは、この男性に、自分が幽霊だと自覚させてあげなきゃいけないと思いました。

それで、前方から男性の肩に両手を当てて突き倒しました。


男性は、後ろに引っくり返りました。

腰の切断面には、真っ赤な雪が一面に厚くコビリついてました。

もっとグロテスクなものを予想して身構えてたボクは、なんだか拍子抜けがしました。


男性は、声にならない悲鳴をあげていました。


ボクは立ち上がって、雪の上にアオムケに寝転がった男性の上半身に向けて言ったんです。

「見なよオッサン、自分のカラダを。アンタもう死んでんだよ。頼むから成仏じょうぶつしてよ。アンタの奥サンと娘には、オレが形見かたみを届けてやるからさ」


男性は、怒りに満ちた頭をもたげて、自分の体を見わたしました。

そのときにはもう、首を動かすのもやっとのようで、サビついた関節をムリヤリうごかすみたいにギクシャクさせてて。それがまた滑稽こっけいで。恐ろしいほどに滑稽こっけいで。

ボクは、無意識に口元がゆるんでしまいそうでした。どこかが狂ってたんです。その頃からずっと今もどこかが狂いっぱなしなんです。


目の前に瑠璃色るりいろの大きなアゲハ蝶がヒラヒラと舞い飛んだんです。あの瞬間から。

ずっと今もときどき視界のスミを羽根がかすめるんです。ギラついた鱗粉りんぷんがこぼれて、ボクの鼻の中に入り込むんです。気味が悪い。とても気味が悪い。


男性の顔がグシャッとゆがみました。それは少し、サナギから出たばかりで縮んだままの蝶の羽根だったかも。

その表情で、今度こそ本当に男性の心臓は正しく停止しました。羽化うかに失敗したんです。


羽化うかに失敗すると、蝶は死にますか? 帯礼おびれさんは、蝶の鱗粉りんぷんを鼻から吸ったことがありますか?

羽化うかに失敗したオッサンの腰の切れ目からは、ズルズルズルッと内臓がハミ出てきました。血まみれのドロドロの内臓。

イヤだったなぁアレは。ものすごく生臭かったし。


蝶の鱗粉りんぷんが鼻の穴をふさいでなかったら、もっと臭かっただろう。オレはツイてるんだ。ジャージも汚れなかったし。札束さつたばも腕時計も汚れずにすんだ。それから3年後に上京するまで、ずっと隠して手を付けなかった。

帯礼おびれさんは、蝶の鱗粉りんぷんを鼻から吸ったことがありますか?


ボクは今も吸っています。瑠璃色るりいろの大きなアゲハ蝶が、ボクのベッドの下から触覚しょっかくの先だけ突き出して、とても滑稽こっけいです。もうこれ以上もっとたくさん吸い続けたらオレも蝶になれるかな。帯礼おびれさんは、蝶の鱗粉りんぷんを鼻から吸ったことがありますか?


オッサンの娘を見つけ出して、この手紙と一緒に送る腕時計を手渡してあげてください。ワイドショーで全国放送したら、きっと情報が集まると思うんです。オッサンの娘のこと。


オレは忘れてたんです。オッサンとの約束を。いいやウソです。忘れたことなんか一度もなかった。あるワケないでしょ。考えてもみろよ。

今のうちに叶えなきゃならない。約束。知ってます? 蝶は、どんどん大きくなるんです。巨大化っていうのです。この手紙を書いてる間に、もう、ベッドの下なんかとっくにハミ出してるんです。羽根が。気味が悪い。本音を言うとね。すごく気色悪い。消えちまえよコノヤロウ。でも、ここだけの話ですよ? 蝶に聞かれたらヤバいじゃないですか。当然だろうが。頭使えよ。帯礼おびれさんは口がかたいから。オレはリスペクトしてるんです。マジで。


オッサンの娘に腕時計を渡してあげてください。お願いします。

言いたいことはそれだけです。他にはもう何もありません。さよなら。


                   湯浮ゆうき タモツ

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