マネージャー砂掛(すなかけ) ユキエの心労

チャコールグレーのシックなスーツに包んだスレンダーな長身を社用車ワンボックスの運転席にすべりこませながら、

「だいぶ時間が押しちゃったけど。明日はオフだから、ゆっくり休めるわね、かおり

と、桃賀ももがかおりの担当マネージャーである砂掛すなかけユキエは、知的な横顔にようやくホッと微笑を浮かべた。


後部シートの背もたれにグッタリと身を預けながら、桃賀ももがかおりは、アクビまじりに「んぁー……」と子供じみたアイマイな返事を返したきり、身じろぎもしないで押し黙った。


砂掛すなかけユキエは、自然といつもより緩やかなスピードとステアリングになりながら、声をひそめてつぶやいた。

「あのまま収録を止めないで押し切っちゃうところが、さすが、帯礼おびれさん。剛腕ごうわんよね」


「……ユキエさんって、帯礼おびれプロデューサーみたいのがタイプなんだぁ?」

と、桃賀ももがかおりが、ふいに運転席と助手席の間に顔を突き出して、上目づかいに聞いた。


砂掛すなかけユキエは、マナジリの切れ上がったシャープな目をギョッと見開き、ズリ落ちそうになったメタルフレームのメガネをあわてて片手でなおしながら、

「ね、寝てたんじゃなかったの、かおり?」


「眠気がフキとんじゃったの、ユキエさんのヒトリゴトが聞こえちゃったから」


「…………」


「ねぇ、アタシが二人のキューピッドになってあげようか?」


「バカなこと言わないの! わたしは、純粋に、帯礼おびれさんの手腕を尊敬しているだけで……」


「ふぅーん」

これ以上しつこくカラむと、自宅に送ってもらうまでの数十分、延々と続くお説教で報復されるのが目に見えているから、桃賀ももがかおりは、クールビューティーがウリの女性マネージャーの怜悧れいりな頬をうっすら赤く染めただけで今回は満足することにした。


ふたたびシートに沈みこむと、肩のあたりで切りそろえられた砂掛すなかけユキエの真っすぐの黒髪に視線を向けながら、なにげなく尋ねた。

「ねぇ、マネージャー。腕時計って、クリーニングに出せるのかな?」


「腕時計?」


「うん。湯浮ゆうきクンがくれたんだよねぇ、収録の後に。でもこれ、彼の鼻血がついちゃったじゃない? ちょっと気になって。……ウェットティッシュで良く拭いたから、まぁ、いいかなぁ」

と、キャンバス生地のトートバッグから取り出した腕時計をサイドのウィンドウにかざしながら、流れゆく街の明かりを頼りに眺める。


フロントミラーごしに一瞥いちべつして、砂掛すなかけユキエは、整った細い眉を思い切りしかめた。

「それ、安いモデルでも50万円はする時計よ? そんなの軽々しく受け取るなんて、どうかしてるわ、かおり


貴金属の貿易商として成功している父親を持つわりに、桃賀ももがかおりは、アクセサリーや宝飾品のブランドにひどくうとい。

このマネージャーは、それを良く知っている。


今もかおりが身に着けているのは、どれも量販店であつらえたサマーニットソーに麻のパンツとスニーカーのみである。

頭のテッペンから足先まで身に着けたものを全部トータルしても、マネージャーの耳元で控えめに光るティファニーのピアスより1ケタおとる。

それでも、身長160センチのメリハリの強い美しい体とスラリと長い首に、華のある可愛らしい顔のせいで、どれほどシンプルな装いをしようとも、どうしても人目を魅きつけずにおかないのが、担当マネージャーとしては自慢でもあり。いささか悩みのタネでもある。


桃賀ももがかおりは、小さなアゴを心外そうにツンと上げて、言い返した。

「アタシだって、こんなのもらえないって、何度も断ったのよ。男女兼用ユニセックスって言ってたけど、女のコが使うにはちょっとゴツすぎるみたいだし。でも、湯浮ゆうきクン、怖いくらいに必死で。どうしてもこれをC子ちゃんに渡してくれって。ムリヤリ押し付けて、逃げるように帰っちゃったんだもの」


「C子ちゃんって、アナタが話した怪談の中に出てきた?」


「そう、そのC子ちゃん。蝶が大好きなC子ちゃん。だから、この腕時計をプレゼントしてあげたいってことかしらね? ほら、この時計。文字盤に蝶の羽根がデザインされてるもの」


「その文字盤、たしか、ホンモノの蝶の羽根のカケラを文字盤にコーティングしてるのよ。だから、どの時計も世界にひとつしかない一点モノなんですって」


「えーっ! この羽根、ホンモノなの? じゃあ、なおさらC子ちゃん喜ぶかも」


「なに言ってんのよ。C子なんて現実には存在しないのに。スタジオに入ったときにかおりの衣装を見たら、青い蝶のがら浴衣ゆかただったから。待ち時間の間に、青い蝶をモチーフにした怪談を話すことを思いついたのよ、わたしが。それなのに……。ダメよ、かおり。あれはツクリ話だったんだって、正直に話して時計は返さなきゃ」

そもそも高級腕時計なんぞに興味を示したことなんて、今まで一度もなかったのに……と心の中で首をかしげて、砂掛すなかけユキエは細い柳眉をしかめる。


桃賀ももがかおりは、イタズラっぽく鼻を鳴らしながら、

「でも、なんか、湯浮ゆうきクンの夢をこわしちゃいそうで。可愛そうな気もするの。湯浮ゆうきクン、なんでか分からないけど、ものすごくC子ちゃんに思い入れがあるみたい」


「口から出まかせの怪談話の登場人物に、思い入れもヘッタクレもないわよ、バカ」

砂掛すなかけユキエは、珍しく感情をあらわに罵声をあげた。

「だいたい、あの湯浮ゆうきタモツってコ、タチの悪い界隈かいわいの連中とツキアイが多いって。ウワサになってるのよ、最近。そのうち、週刊誌ザタにもなるだろうって。かおりには、そんなのと関わってほしくないわ、絶対に」


「そうなの? 彼、ちょっとチャラい感じだけどヒトアタリよくて、嫌いじゃないけどなぁ」


「だからアナタは、男を見る目がないのよ」


「へぇー? ユキエさんは男を見る目があるもんねぇ。たしかに、……」


「…………?」


「スタジオの機材が次々に故障しようが、演者がトートツに鼻血を吹き出そうが、おかまいなしに撮影続行しちゃうような剛腕ごうわんプロデューサーなんて、最高にカッコいいよねぇー。さすが、見る目あるわぁー」


「もうっ、いい加減にしなさいよ、かおり!」

砂掛すなかけユキエは、フロントミラーをニラミつけてから、

「こんな話、アナタには聞かせちゃいけないんだけど……。帯礼おびれさんから聞いたのよ。湯浮ゆうきタモツ、別の現場でも大量に鼻血を出したんですって。セットまで汚しちゃって、大変だったって」


「ホント? 湯浮ゆうきクン、なにかの病気なの?」


「鼻からコカインをやってるって、ウワサらしいわ。帯礼おびれさんが言うにはね。今回もキャスティングから外したかったんだけど、別の番組をまたいでのバーターで、ムリだったんですって」


「ウソーッ? やだぁ、コワーい!」


「仮にウソでも、そんなウワサをたてられるようなコは、今後はかおりと共演はさせないわ。こっちがどんなにいい仕事をしても、御蔵入オクラにされかねないもの。その腕時計は、わたしが後で相手のマネージャーを通してカドがたたないように返しておくから。いいわね?」


「はーい、分かりました」

桃賀ももがかおりは、降参したというように両手を上げてから、腕時計をバッグにしまい直した。


砂掛すなかけユキエは、その表情をのぞきこむように、信号待ちの間フロントミラーをじっと無言で見つめ続けてから、静かにアクセルを踏むと同時に口を開いた。

「そういえば、かおりったら、スタジオが急に暗転して大騒ぎになる直前、隣に座ってた湯浮ゆうきタモツの手元を見下ろして、その腕時計ジーッと見てたわよねぇ? 魂が抜けたような呆然とした顔しちゃって。気味悪かったわよ。演出のつもりだったの?」


「ヤダぁ。そんなヘタな演出しないわよ」


「じゃあ、なんだったの?」


「アタシ、あのとき急に思い出しちゃったのよねぇ」


「何を?」


「アタシのパパって、お仕事で宝石とかを扱ってるじゃない? 自宅の書斎にも、貴金属の原石とかをいっぱいコレクションしてるのね。それで、ね……」


「それで、……何?」


「そのコレクションの中に、透きとおった青い鉱石こうせきがあるの。丸い筒型のガラスケースに入ってて。……そうねぇ、手のひらをこう2つ並べたような大きさだったかな。ちょうど、蝶が羽根を広げたような形をしてたのよね。本当に目が覚めるくらい真っ青で神秘的な、キレイな羽根のチョウチョ」

話すうちに桃賀ももがかおりは、澄んだ茶色の瞳を囲む長いまつげを、それこそ蝶の羽根ばたきのようにフワリとゆっくりしばたたかせ、

「アタシが子供の頃にパパの書斎に入って、そのケースを持ち上げたら、いつもは優しいパパがすごく怖い顔して怒ったの。それは"カルカンサイト"っていう銅の結晶で、すごく毒性が強いんだって。命にかかわるくらい危険なものだから、絶対に触っちゃダメって」


「まぁ、そうなの? 毒のある鉱石なんてあるんだ。怖いわねぇ」


「だから、アタシ、それ以来その青い石には近づかなかったの。でも、アタシが中学生のときにね、ある日、パパの書斎に入ってみたら、


「えっ?」

砂掛すなかけユキエは、ほとんど反射的に、鋭敏な頭の中で指折り数えて自問自答じもんじとうした。

――かおりの母親の十三回忌じゅうさんかいきが、ついこの間だったから。母親が亡くなった当時、かおりは中学生だったのよね?


「パパに聞いても"知らない"って。ビックリしてたわ。不思議でしょ? これこそホントの怪談よねぇ」


くすくすと無邪気に笑う小さな白い顔をミラーごしに眺めて、砂掛すなかけユキエは、バカげた妄想をふりはらうために、小さく頭を横に振って、ことさら事務的に言った。

「そういえば、かおり。実家を出て一人暮らししたいって言ってたわよね? 物件を探すときは、わたしに声をかけなさいよ。引っ越しも、信用できる業者じゃないと……」


「ううん。やっぱりアタシ、一人暮らしするの、やめる」


「あら、だって、かおり。アナタ、新しいお母さんとの仲が険悪けんあくで、一触即発いっしょくそくはつなんでしょ? ヘンな意地を張って実家に居座るのは、かえって精神衛生上よくないわよ。アナタがファザコンなのは百も承知だけど。そろそろ父親離れもしたら?」


「いいのいいの。どうせ、あのヒトのほうが先にいなくなるんだから。きっと、……ね?」

と、桃賀ももがかおりは、面白そうにクスクス笑った。


そこからかおりの家にたどり着くまで、砂掛すなかけユキエは、フロントミラーからカタクナに目をそらし続けた。

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