たとえば、あなたは弁護士である。


 それなりの法律事務所に籍を置いて数年、とはいえ業界ではまだまだ駆け出しの若造であるあなたは国選弁護人として殺人犯の弁護をすることになる。

 あなたは報酬についてがめついタイプではないが、これが正直言ってしょっぱい仕事であることはよく理解している。


 近未来、犯罪者は全て広大な地下刑務所に収容される。これは正式に起訴される前でも同じだ。

 件の下手人もまた例に漏れず、陽の光も届かない地下深くに勾留されている。


 あなたは極めて業務的に面会手続きを行い、極めて業務的に地下n階行きのエレベーターに乗り込み、極めて業務的に面会室のドアを開ける。


 そうしてあなたは彼女に出会う。


 光療法に用いられるものと同じ照明の下で、彼女は悲しげな微笑みを浮かべてあなたを見ている。あなたはその唇が描く曲線に胸騒ぎを覚える。

 挨拶を忘れたあなたの代わりに、彼女が渇いた声で囁くように名を名乗る。


 あなたはここへ来た目的を思い出し、極めて業務的な口上を述べる。

 あなたはいくつか質問し、彼女はそれに答えるだろう。「先生、わたしはきっと死刑になる。だから罪を軽くしてなんて頼みません。そのかわりにもう一度だけ、月が見たい。できたら満月がいい。裁判長にも閻魔様にも、同じことを頼むつもりです」

 やがて面会時間が終わり、あなたはそこを出る。


 あなたは資料を手がかりに、休日を返上し片田舎の養護施設を訪れる。

 訝しげな面持ちの施設長から彼女の身の上話を聞き、最終的には感謝の言葉をもらう。

 あなたは彼女に会いに行く。彼女は不安定で、やつれ、面会室は光量が増しているように感じる。

 気付かないうちに、あなたの生活には彼女のことを考える時間の割合が増える。月は日に日に満ちていく。


 そんな日がしばらく続く。


 ある日あなたの元に緊急の連絡が届く。

 裁判を前に、窓ひとつないあの地下拘置所で彼女は隠れて溜め込んでいた処方薬を過剰摂取し、自死したという。あなたは彼女の悲しげな微笑みを思い出す。


 あなたは言葉を失う。


 程なくしてあなたの手元には彼女が最期に出した手紙が届く。そこには犯行の経緯と、あなたへの言葉があった。

 あなたはビルの屋上でそれを読み終え、空を見上げる。彼女が見たがっていた満月を瞳に焼き付ける。


 地獄の門の前では生前人殺しをした女が審判にかけられている。

 言い残すことはないかと聞かれ、女は掠れた声で尋ねる。

 「地獄からも月は見えますか」

 門が開き、獄卒が女の足首を掴む。

 答えを得られないまま、女は地獄へ引き摺られていく。

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