第五十八筆:理解できない戦いの理由を理解していく

 天堂一樹。天堂家という戦後と呼ばれる第二次大戦以降、数ある名家の中で最も名を世界に轟かせた人間の名前である。昨今では高齢であることを理由に八角柱の一席にとりあえず席を置いているだけで、実質隠居を決め込んでいたが、剣の舞という計画を私利私欲に使った挙げ句、亡命の手土産としてアメリカへその技術と共に高飛びしたという部下の不祥事を尻拭いするために、再び日本の政界を筆頭に戦場にも復活を遂げた軍神。

 名声も醜聞も欲しいままにしてきた男の現役参戦は、まさに生きる伝説の復活、そのものであり、ある者には夢を、ある者には恐怖を振りまいた。


「戦争を成功させる……か。そんなことを漏らすということはその一人が、リディアとかいうラクランの娘、いや、今は同僚と言うべきか……が最後の必要枠だったのかもしれんなぁ」

「それはわかりかねますが、こちらも準備は整ってます。止める口実としては今が好機かと」


 電話の向こうから報告される物騒な話とは裏腹に、一樹は夜風に当たりながら一人、雲一つない空に浮かぶ月を見ながら、縁側でお猪口でお気に入りの酒を嗜んでいた。


「止める……のぉ」


 先日、同じ様な穏やかな夜に来訪したチャールズの、最後に一樹の顔を見に来たという言葉。いろいろといっちょ前に言葉を並べておきながら最後まで助けてくれとは言えず、それでも助けてを求める顔で己の決断を、背中を押して欲しそうなチャールズに、年寄の悪い癖とも言える、説法を、そんな顔ができることへの褒美としてしてしまった。信じろ、と言葉を送った。このことに一切の後悔はない。その結果が戦争を成功させるという報告を受けた今に繋がっているとしても、だ。むしろ、その大事さからチャールズが何をすることに踏ん切りをつけるために訪れたのか納得するには十分な理由とも言えた。同時に、その戦争をするのがチャールズならば、そこに一樹がいる未来がないということも明白になる。最凶の言うことである。疑う余地はなく、一樹からすれば純の言った約束が間もなくなのだと判断する基準にもなった。もちろん、そんな状況が近づくという知らせを受けただけでこれを虫の知らせと取るつもりは、負けるつもりは毛頭ない。

 それでも、あらゆる状況証拠を受けて、自分のために全力を尽くしてくれた男に、今すべてが繋がったとも言える自分の今後を嘘で伝えることはできないと一樹は判断する。


「なぁ、兼朝」

「はい」


 長い付き合いである。それを一樹が思うということは、電話の相手、不祥事を起こしてアメリカに亡命した逆賊の汚名を背負う兼朝にとっても、長い付き合いということである。だからこそ、兼朝は一樹のこのタイミングでの語りかけに、おおよその検討をつけてしまう。

 そうであって欲しくないという否定の気持ちが湧き出るほどにそうなのだろうという確信が邪魔をし、返事を震わせてしまう。


「すまねぇな。多分、ワシはそこには行けないかもしれん」


 兼朝の声色に一樹も全てを察せさせてしまったと気づきつつ、話を続けた。


「ワシが頼んだことなのに、お前にこれだけ苦労を背負わせたのに、ワシの死に場所は決まったみたいなんだわ。いや、違うか。今は最高の舞台が間に合ってしまった、と言うべきかなぁ」


 ギリッと電話の向こうでもわかるほどに、一樹の耳には兼朝が歯を強く、強く噛みしめる音が聞こえていた。


「だからよぉ。出来の悪い孫だとは思うが、この一件をあいつのためになるよう使ってやってくれ」

「勝ってください」


 兼朝の消えるような、どうして敗北を匂わせる、いや決定づけるような言い回しをするんだと、言いたいことを噛みしめ、飲み込む声は、ただただ忠義だった。


「もちろん、そのつもりだ。ただ、お前にだけは話しておかないと筋が通せないからな。杞憂ならそれに越したことはないが……」


 一樹は何かを察して、言葉を止める。


「話はここまでだ。詳しいことは別の形でお前の元にたどり着くようにしてる」

「ご武運を」

「あぁ、また一緒にこの縁側で一杯やろう」

「はい」


 実に簡潔な別れを済ませた、そう思うために兼朝の方から電話を切っていた。一樹はそのままお猪口に酒を注ぎ直してからクイッとキツケのように一気に飲み干す。そして、キセルを口に咥えると縁側から茶室へ移動し、一樹の代名詞とも勲章とも言える刀が飾られた床の間へ移動する。

 じっと見つめたそれを、愛刀であり半身の骨刀破軍星を握った。


「ナメるなよ、ガキども。中途半端で今宵の月のように少しでも欠けていようものなら、この一樹、お前らの閻魔となることを忘れるなよ」


 キセルを咥えたまま不敵に笑う一樹。その気迫、形相からは敗北の二文字は見て取れない。あるのは血みどろの勝利を積み上げてきたかつての威光そのものだった。伝説がゆっくりと動き出す。


◇◆◇◆


 実家に着いたものの、敷居をまたぐわけでもなく、紘和は空に浮かぶ月を眺めていた。満月には少し及ばない十三夜ほどの月。それを自身の実力、成長と重ね合わせながら、今日を境に一皮むけられるだろうかと、これから月を満たすための最後の一滴を摘むことを想像し、柄にもなく感傷に浸っていたのだ。いや、これは強がりである。ここまで来るにあたり、様々なものを手に入れたはずだった。日本を出る前の井の中の蛙とは違い、経験を積んで来たはずだった。それでも遠く及ばないかもしれないと、自分が殺さなくてはならない、殺す予定の男に勝つ光景を明瞭に想像できていないことが、感傷の原因だった。何せ、実感がないのだから。それでも言われるがままにここに来たのは、強くなりたいと願い、その背中を思い切り押されたからである。

 ならば後はただ信じて己の正義を貫き通すために動くだけのはずだった。


「本当にいるよ」


 声のする方に紘和が振り返ると、脇戸から智が出て来ていた。


「久しぶりだなぁ、ヒロ。意中の相手ならご指名でお前に審判を下そうって形相で待ってるぞ」


 顎先で屋敷の中を指しながら、一本の刀を智は紘和に投げた。


「そいつは、特に名のある刀ってわけじゃないが、御老公が使っていた一本だ」


 受け取った刀を鞘から抜き、刀身を見つめる紘和。名刀や業物でないと言われても、見ただけで何かしらの力があるのではないかと錯覚させるオーラを纏っているように感じてしまうものがあった。

 それだけ祖父、一樹は強いということを意味していた。


「細工とかはないから安心しろ。むしろ最近、手入れまでした最高潮といい切れる一本だ」


 そのまましばらく沈黙が続く。

 風が通る音が鮮明に聞こえるほどに、静かな夜である。


「これは、やらなきゃならないのか?」


 智の問いかけに、紘和は応えない。答えたとしてもこれから行う命をかけた喧嘩は決して止まることはないのだから、意味がないのだ。だから智もこの質問の無意味さを知った上で、この場に正しい人がいたら止めるべきだろうという言葉をただ投げかけてしまっただけなのだ。どれだけ怠惰な男で、慕う男の、その孫、双方のどちらかが散るのは、事情をわかっているいないに関わらず、ただただ嫌だから。そうあまりに幼稚な理由で、切実で真っ当な理由があるから、漏らさずにはいられなかったのだ。

 そして、その言葉を口にできて満足できた、というわけではないが、落とさなければならない火蓋を、せめて自分が号令しようと話を進めたのだ。


「最後に、その刀に名はないって言ったけどな、有名な刀匠によって作られたものじゃないからって話だ。だからそいつには天堂一樹が振るった刀としての名、異名はある」


 紘和は脱力しつつ、斜めに手にした刀を振り下ろす。


「紅刀月陽」


 手に馴染んだその刀は数寄屋門を両断する。そして、倒壊する音の中を紘和は歩き始めた。白く光り輝く刀身が月を反射し輝く。しかし、その冷たい刃先は伝説を斬り、再び熱を帯びて赤黒く染まろうとしている。つまり、実にこの舞台に相応しい一刀ということであった。


◇◆◇◆


 敷居を跨ぎ、自然と足が向かった先は、紘和が幼少期に剣を学んだ、触った一樹の部屋の縁側の庭先だった。

 そこには紘和に背を向けて立っている一人の老骨、一樹がいた。


「何しに来た、なんて今更野暮なことは聞かん。これから死にゆくお前の言い訳は聞くに耐えないからな」


 パシャと池の鯉が跳ねる。


「それでもただ一つ、お前に問いたいことがある」


 紘和の目の前にいる男は、確かに高齢で、月日という波に抗うことの出来ない、相応の身体を獲得してしまった老骨である。それでも、今まで様々な強敵と戦って成長を遂げたからこそ、わからさせられてしまうことがある。それなりに長い時を一緒に過ごしてきたはずなのに、一樹という男が真の強者であるということ今日この日、ようやく知れた、ということである。背中から溢れ出す闘志が、殺気がピリピリと紘和の肌を刺す。そう、紘和はまさにようやく舞台の上に立つことを、伝説の前に立つことを許されたのだ。

 その緊張は心地の良いもので、自然と呼吸が早くなるのを、自分はこの伝説に勝つという気構えが前のめりになるのを抑えられないと、紘和は実感していた。


「お前が、どうしてそこまで正義に固執するようになったか、教えてくれんか?」


 一樹はそう言って視線を少しだけ紘和に向けているため顔を傾けた。

 紘和はその問いに自信を持って応える。


「正しいことは正しいと知っているからだ!」


 紘和の宣言が雲一つない夜空に吸い込まれる。


「ハッハッハッ。すまん、あれだけカッコつけて聞いたはずなのに、わかってたことなのに、結局を時間を無駄にした」


 紘和のためらいないハッキリとした物言いに、一樹は大声で楽しそうに、楽しそうに、楽しそうに笑った。


「馬鹿にしてるわけじゃないぞ。ワシもどうして強者を求めて殺して来たかと問われれば、己の力をふるいたいから、と答えるからな。俺が聞きたかったのはどうしようもない罪にも、クソな信念を持ってるか、だからな。ただなぁ」


 スッと左足を軸に一樹が刀を、骨刀破軍星を抜きながらゆっくりと紘和へ正面を向ける。

 修羅のような形相に似合わぬ、貼り付けられた仏の笑みが出現する。


「もっと本質的な理由がわかれば、家族で殺し合うなんて馬鹿なマネはしなくて済んだと思っただけさ」


 骨刀破軍星が空を斬る。


「結局、ワシらは殺されて当然な人種じゃったけどなぁ」


 押しのけられる空気の層が壁となり、風圧という形を得て紘和の全身を駆け抜ける。


「八角柱が七つの大罪、日本の剣傲慢が一人、天堂一樹。覇者になるべく、お前をぶった斬る。殺せれば全てを譲ってやろう。殺せれば……なぁ。だから」


 だから。


「お前の全てを置いて死んでくれ」


 紘和の視界から消えたと錯覚するほどに一樹の姿勢が、皮一枚ほどに地面スレスレに低くなる。

 来る、故に応えねばと、紘和も一樹の心意気に応えた。


「正義のために死んでくれよ、老害!」


 そう言い終えるのと同時に手にした紅刀月陽に手応えを感じる。

 正確にはギリギリ視認できたから手応えの感じるものを紘和が防げたのだ。


「吠えるなよガキがぁああ!」


 三十メートルはあった距離が無に帰した。もし、一樹が紘和の返しを待たずに攻撃を始めていれば確実に先制攻撃をその身に負っていただろう。これだけ間合いを素早く詰められた要因は二つ。一つは、一樹という男が低姿勢で、全力でスタートダッシュをかけたという技術と才能の結果である。そして、もう一つは破軍星の長さである。一般的な刃長七十センチメートルを最大で百センチメートルも長さがあることである。最大でという表記の通り、本来は五十センチメートルしかない。正確には五十センチメートルに折り曲げられており、柄にあるスイッチひとつでクレーンのアームのように伸びるのである。そのため、剣と刀の特性を自在に扱うことが出来るような仕様になった一樹専用に設計された一刀となっている。

 当然だが、特別なのは長さが調整できるという点以上に、百メートルが維持できる強度にあると同時にそれを軽々と片手で扱うのは極限られた人間であるということである。


「初見の間合いを見切るか」


 老人とは思えぬ怪力が、下からの攻撃を抑えようと刃を下に向けて迎撃した月陽を押し込んでゆく。単純な筋力が拮抗しているならば体勢が不利な方がその影響をダイレクトに受ける。

 しかし、同じミオスタチン関連筋肉肥大病だからといって年齢で衰えるものを覆すことは出来ない。


「いつまで、自分の方が上だと……錯覚してるんだよ、なぁ」


 腰を低く落とし、重心を安定させ、紘和は一樹を押し返し始める。

 正攻法でやれば、自身が適わない道理はないと言わんばかりに確実に押し返す。


「夢から覚めろだなんて言わねぇよ。だから永遠の夢の中で走り続けろ」


 力任せではない、力をしっかりとした基本に乗せることで紘和が一樹を押し返したのだ。一樹は、押し返される勢いを活かしたまま後退し、宙で一回転しながら着地し、地面を後ずさる。そんな中でも視線だけはしっかりとこちらに急接近している紘和を捉えていた。だからこそ、一旦破軍星を剣の形状に戻す。そして、的確に紘和の振り上げる月陽の軌道を捉えては再び衝突の反動も相まってで押し返されるを繰り返す。

 しかし、一樹からすればここまでは、予想通りの展開であった。年齢的な筋力差は絶対に覆せない条件であることを認めていたからである。それは反射神経と言った天性のものを含めて衰えると、である。故に培ってきたものを繰り出す。押し返され、再度着地をするよりも先に、同様の追撃を先に見た一樹は再び、破軍星を刀の形状にし、紘和が突っ込んでくる位置に刃先を置いたのである。達人の軌跡を読む後の先である。

 そして、一樹の読みは間違ってはいなかった。単純に先の先、一樹がこの一手を撃つ直前の紘和への攻撃の対処が、攻撃を受け止める展開を防ぐために受け止める動きではなく、受け流すことで前に出るチャンスを後の先で作ろうとしている、という動きだから生じる軽微な力の入れ方の差を感じ取り一樹の行動を読み切ってなお前に出てきていた紘和がこの瞬間は勝っていたという話である。衝突を無理やり酒、腰をひねっているために頬を軽く切る紘和。それでも、目を見開き、まるで刃を伝う様に、骨刀破軍星を導火線にし一樹の元へ近づいていく。そしてこれは刃のある方から近づくということになり、一樹にとって骨刀破軍星を折りたたむことで挟み込むという邪魔もでいないということである。だが、そのまま一樹が置くことを止め、刃を動かせば紘和の首より上が跳ねられることを意味していた。だが、動かせない。紘和の右手が血まみれになりながら破軍星の折りたたみの支点部分をガッチリと握り、抑えつけているからである。だからそのまま左手に持った紘和の月陽が一樹の左脇腹を捉える。

 紅刀月陽が一樹に数センチ刺さり、止まる。


「くっ」


 腹横筋を引き締めて一樹は紘和の一撃を受け止めたのである。筋力に白刃取り。しかし、この互いの一撃を止める膠着状態は当然長くは続かない。なぜなら、紘和が一樹の筋力を押し切るよりも前に、骨刀破軍星を握力だけで折ったのだ。故に一瞬だけ一樹の右手は折れた骨刀破軍星と共に自由を得る。一方で紘和の右手は一樹の胴体を真っ二つにすべく紅刀月陽の柄へと伸びる。片手と両手では当たり前だが力の込められ方が大きく変わるのだから。だが、骨刀破軍星で紅刀月陽を内側から外側に弾こうとした一樹の一手が紘和の右手到達より先に成功を収める。利き手の力の差が出た故に一樹は危機を脱したのだ。


◇◆◇◆


 邪魔にならない位置、遠くの塀の上からその一部始終を眺めていた智は化け物共の戦いに圧倒されていた。

 日本を出る前の紘和にならば間違いなく勝っていたという自信はあったが、今はよくて五分だと思いながら行く末を見守っていた。


「楽しそうだなぁ、御老公」


 それは自分にないものに憧れるような感想にも聞こえた。そして、そんな感想を零しながら智は状況を分析していた。結論から入れば、一樹が劣勢と判断するにはまだ早計である。ただ、噛み合い方が明らかに紘和に向いている中でもなお、血まみれとなった一樹の顔はまるで新しいおもちゃを手に入れた子供のように光り輝いていた。当然だろう。智にこれだけ流連な攻防を一樹と演じられるかと言われれば怪しいのだから。傍から見れば、殺陣の様に示し合わせた演技のように途切れることなく繰り広げられている死闘。これが、相手の行動を読んでいるから結果的にそうなっている、武人の生み出す偶然の奇跡で成り立っていると理解できる人間は限りなく少ないだろう。そんなことが出来るのだ、一樹が嬉しくないはず無いだろう。

 だから骨刀破軍星が折れて以降も、先の先、後の先、更にはどちらかを見てから攻撃を意図的に変えて、まるでそれぞれの先を行使し続けた未来予知とでも言うような攻防で切り傷を増やしていく二人。


「死を覚悟してまでやる価値があるのかねぇ」


 自身よりも力を持つ人間を凄いとは思う一方で、それだけの力を持ちながらなぜ楽をしようとしないのかという疑問を智は抱く。しかし抱くだけで、どちらかが勝利を手に入れることが決まっているこの試合を、どうにかしようとしないのは怠惰なのだろうか。そんなことを、無意識にないからこそ憧れとして吐露した人間がぼやいていたのだった。


◇◆◇◆


 骨刀破軍星による間合いの利を失って以降、一樹の攻撃には明確に体術が増えていった。体術と言っても左腕を失っている一樹に出来る選択肢は通常よりも限られている。故に軸となるのは下半身である。剣戟を当てるために相手の気の起こりを見てから自身の動きを当初の後の先をむりやり先の先に切り替えていく体術。身体への肉体的、精神的負担を一切考慮しない、針の穴に糸を通し続けるような無茶。しかし、一樹にはそれが未だに軽々と出来るのだ。脚、脚力を軸としたことにより腕よりも威力が上がっていることももちろんあるだろうが、経験や日々の鍛錬、そして、今この瞬間に対する喜びが身体を自然とそうさせるのである。

 ただ、優勢に立つことを許さないほどの紘和も同等の技術で攻撃をぶつけている。故にダメージを与えては、与え返され続ける。先の先により、見えているはずなのに、力量と天賦の才が絶妙に絡み合い、決して無傷という瞬間を許さない。

 圧倒することは出来ない。


「あぁ、これが……」


 言葉が漏れる。これだけ戦うために常に頭を全力で働かせなければならない状況の中で、関係のない充足感が頭を支配しようとしている。あぁ、これが戦いなのだと。挑戦という言葉に置き換えても遜色はないだろう。ただし、命をかけて戦わなければならない敵が現れ、その状況を待っていた一樹からすれば、それは楽しいこと以外の何物でもないのだ。

 その攻撃に対して、どう返せばいいだろう。その防御に対して、どう崩せばいいだろう。その先を読んだ行動を無理矢理に変える判断基準は何だろう。自分の今の負傷ならばどこまで負担をかけられるだろう。相手の負傷をどこで活かせるだろう。心理的有意差は、死角は、地面との距離は、風向きは、滴る血や汗は、相手の攻撃を利用するには、されないためには……。どうすればそれをさせるだけの実力を持った人間を殺し、勝つことが出来るだろう。駆け巡る純粋な勝利への飢えが戦いと喜びの感情を、思考を紐付ける。結果、攻撃の連携の練度がどんどん鋭くなっていく。

 紘和と至近距離から握っていた骨刀破軍星を離し、右手を攻撃にも防御にも、刀の補助にも回せるようにフリーにした。そして、右の肩で柄を押しながら前進する。突拍子のない荒業に見えるかもしれないが、どちらかを防ぐか、どちらにも対応しなければならないとわかるぐらいに肩で押し込まれる刀には勢いとそれに伴う安定感があった。

 だが、紘和の解答は刀の柄を上にして逆手で縦に構えるというものだった。振り抜いていた紅刀月陽を引くという動作で一樹への一時的な牽制と最短での防御に結びつけてみせたのだ。故に紘和の左手で一樹の右手は受けられる体勢にも入られる。だから、無理やりでも押し通そうと右肩を内側へ入れ込み、骨刀破軍星の軌道を一樹は反らす。そして、骨刀破軍星は紅刀月陽の柄を掠りながら紘和の右脇腹を抉った。


◇◆◇◆


 純粋に武に触れているのだと紘和は理解する。祖父として、指導者として、更には武人としても何一つ一樹の様になりたいと憧れを抱いたことはなかった。己の信じる正義の元、悪を許さず、平和な世界を作るために走り続けてきた。そのために必要な力の一つを手に入れるためにここに来た。そして、これからも手に入れ続けなければならない力、権力とは違う武の力の一端を目撃し、自身に対応している眼の前の老人を見て初めて、憧れなくとも敬意の念を表したくなったのだ。

 故にこの拮抗している状況に満足はいかない。権力を手にするならば、紘和は目の前の一樹をそもそも超えなければならないのだ。その前提をして、拮抗しているのである。それはあるまじき脆弱の証明に他ならない。

 圧倒的に不利な年齢という枠を超えて、一樹は紘和に追いすがっているのだから。


「……ざけるな」


 心の声が漏れ出す。


「……っけんな」


 超えねばならぬ存在を称賛してしまう矛盾を抱え込み、それを払拭するための言葉が声となる。認めなければならない。その強さを。

 それでも。


「クッソがぁあ」


 意表をつくような肩で押す剣戟に見事に対応してみせた紘和。しかし、実力なのか運の天秤が一樹に傾いたのか、一樹の攻撃は紘和の右脇腹を抉る。今までの切り傷と違い明確な負傷をしたことで紘和は即座に後退し距離を取ることを選択する。後退の軌跡を地面に滴り落ちる血液が不均等な点線で描く。しかし、その軌跡を一樹が追ってくることはなかった。紘和が止血をするために切り刻まれたシャツを脱ぎ、腰にきつく巻きつける。その間、明確な隙にも追撃はなかった。

 それは紘和が身を持ってわかっていることでもある。対等な戦いをしたいがために待っているわけでは決してない。互いに、息を整えているのだ。一撃を届かせるためだけに、一撃を交わすためだけに、世界が止まっているかのような間隔を覚えるほどに濃密でゆっくりとした空間を脳裏に焼き付けながら戦闘を続けているために。肉体的疲労は当然のこと、精神的な疲労が重く、重くのしかかるのは無理もない話である。しかし、それは互いが想像していた以上に過酷なものであった、それだけである。故に、折れた骨刀破軍星と紅刀月陽を突き合わせて挟んで、ゆっくりと一樹と紘和は息を整える。

 傷口を無理やり塞いだ紘和は、低姿勢で迎撃の構えを見せた一樹をその目に捉える。汗と血が混じった液体が飴細工のようにねっとりと重力に従って地面に吸い込まれ、熱を帯びた身体からは湯気が見える。誰が見ても明らかに疲弊している。それでも、一樹はあの身の毛のよだつ笑顔だけは絶やしていなかった。紘和に大きな一撃を入れたことが嬉しかったのか、それとも全力を出せる相手に嬉々としているだけなのか。どちらにしろ、紘和にとってその笑みは次第に気に食わないものへと変わっていた。

 決して劣勢ではないのに、戦闘中に笑っている一樹を見て、笑うようがあるのかと、純の存在が脳裏を過ったからだ。


「くっ」


 踏み込み、全力で地を蹴り、一秒にも満たない時間で地面に紅刀月陽の先端をギリギリこすらせない範囲で構えて一樹の懐に入り込む。しかし、雑念だらけの勢いは一樹からすれば隙だらけに映る。紘和の振り上げた紅刀月陽は残像を切らされたと錯覚するほどの一樹の歩幅と重心の調整でかわされる。それこそ座標から攻撃を透かしたように。前のめりな戦闘態勢を見ていた故に紘和は見誤れされたのだ。その失態に一樹はしっかりと骨刀破軍星で薙ぎ払いの一閃を紘和の胴めがけて放つ。しかし、見誤ったと理解したからこそ、既のところで紘和は攻撃を受け止めて見せるのだった。


◇◆◇◆


 一樹の誘いに乗ったわけではない。恐らく苛立ちで思考にノイズが入った状態で、つまり、カッとなって突っ込んできたに過ぎないこの戦いの中ではお粗末と言える一撃だった。未熟と言わざるを得ない短絡的な攻撃。常人には見抜けず、癇癪を起こし、強くなったように見えるのかもしれない。しかし、一樹は戦いにおいては常人とは言える存在ではないのだ。だからこそ、己の殺気すらも餌に、甘えた攻撃にとことんリスクをつけにいく。数センチの歩幅で、重心の移動で紘和の一撃をかわし、胴を真っ二つに切り裂いてやろう、できなくとも腹部の前半分はかっさばいてみせようとしたのだ。

 故に、この程度かと、これで決着が着いてしまうのかと、約束とは少し違うあっけない紘和の不注意という幕切れに一樹は内心ため息をついていた。これは先程の抉った時と違い確実に雌雄を決する致命傷となるからだ。どれだけ才があろうとも、出来ないことはある。そんな状況を作り出さないために先程まであれだけ充実感のある戦いを繰り広げ、針の穴を通し合ってきたからこそ、疎かな、生ぬるい一撃が浮き彫りになるのだ。しかし、骨刀破軍星は半月の弧の軌跡を描くことはなかった。一樹の攻撃は受け止められていたのだ。筋肉という力の塊に、ただただ阻まれたのだ。

 それは見覚えのある防衛手段だった。


「くっ」


 一樹にとっての驚きはまだ続く。抜けないのだ。

 慌てて両手で引き抜こうとしても、血が付着し摩擦係数が著しく低下しているにも関わらず、骨刀破軍星が抜けないのである。


「ふぅ」


 紘和が大きく息を吐く。

 土壇場だからこその純粋な力技が、明確な実力差を生んだとも言える。


「頭にこれ以上血が昇る前で良かった」


 何かを皮切りに集中力が増すということがある。それは流れを掴むことにも似ていて、一樹はその様な体験を戦いの中で実際に何度か経験したことがあった。それは、ゾーンといった一流のスポーツ選手が稀に体験する精神状態とは少し違う。そして、火事場の馬鹿力といったリミッターが解除される感覚とも、はたまたタキサイキア現象の様に脳の処理が早くなり時間の流れをゆっくり捉える感覚とも違う。絶対に勝てるという決定事項が宣告された、まるで主人公の様な補正、それこそ、先程の例を全てかき集めても足りない約束された勝利を背負う感覚。一樹は紘和からそれ特有のオーラを感じ取ったのだ。

 局面が変わると。


「俺は、正義だ」


◇◆◇◆


 一樹から致命傷を受けた瞬間。自身の浅はかな行動を振り返り、落ち着いていくのを感じた。出血している脇腹が本来熱を帯びて刺すような痛みを与えてくるはずなのに、どこまでも冷たく冷めた状態にもっていく。冴えてくるというやつである。だからなのか、以前に聞いた声を思い出す。

 世界を救えるのは、彼女を救えるのは自分の正義だけだ、と言った天命を。


「俺は、正義だ」


 何も考えていなかった。しかし、培ってきた全てが行動を最適化して視覚から脳へ、脳から身体への伝達のタイムラグを限りなくゼロへ反射の領域へと昇華していた。そのあまりにもなめらかな一撃は斬られる者を魅了し、痛みを感じるまでに若干の遅延が発生するほど美しかった。それは、神聖なモノを目にしたかのような驚きに満ちた瞳の一樹を斬ったことを意味する。左肩から右脇腹へ流れるように振り抜かれた紅刀月陽によって、ゆっくりと遅れて赤い軌跡が滲み出し、その後、斬り込んだ分だけ勢いよく赤い花を咲かせる。魅了されていたが、本能がそうさせたのか、紘和が思うほど一樹の傷は深くなく、若干身体を反らせていた、致命傷を回避させていたと推測させた。それでも、今まで両者が負ったどの傷よりも重症なものが一樹に出来上がった。だから、紘和は確実に殺すために容赦なく追撃を選択した。今しかない、と本能のままに、一樹へと向かっていったのだ。


◇◆◇◆


 溢れる血に熱を、痛みを感じ、飛びかけた意識を一樹は覚醒させる。死と隣り合わせの戦いは今までしてきた。しかし、それはどこか自身が勝てるだろうという満身あっての心地よさだということを一樹は実感する。だって、楽しめるのは勝者の特権だから。しかし、今訪れたのは間違いなく殺されるという恐怖そのものだった。あれだけ望んだ終活。それに恐怖した。恐怖して、ただ、それでも、どうしようもなくその恐怖が一樹は心地よかった。これでようやく自分は挑戦者になれたんだと自身に言い聞かせた上で、いや認めた上で戦うことが出来ると。全力をぶつけてもいい相手ではなく、全力をぶつけなければならない相手になったのだと、歓喜したのだ。固定観念いや、潜在意識とでも言うべき重い殻を破ったような、解放感は一樹を原点へと真に回帰させたのだ。

 朦朧とした意識の中、一樹はいつかの自分と、なりたかった自分、本質としては変わらないかもしれない自分をそこに見るような気持ちで骨刀破軍星を振り続けた。かつて一樹が通った剣豪としての最強の道。その姿を一瞬で超えてしまった孫。超えるべき相手を失い、最強という座に就いてしまった何十年。求めていたものだけあって、後悔したことはないが、その先はあまりにも退屈なものだった。退屈なまま死んでしまうのかと思っていた。だが、死を前にして、最強を再び奪うために死力を尽くせる機会がようやく訪れたのだ。食らいついて超えなければ。武人として倒さなければ。この瞬間を誰よりも待ちわびていたのだからその飢えは満たそうと必死に身体を動かした。何度も何度も紅刀月陽と骨刀破軍星がぶつかり、共鳴するように衝突音を響かせる。同時に、何度も何度も紅刀月陽と一樹も擦れ合う。死を背負うことで出来る死へ戸惑うことない、迷いのない行動が出来る。覚醒してからここまでの流れが全て一つの技なのではないかと錯覚させてしまうぐらいにキレイで凄惨な紘和の攻撃に一樹はくらいついていたのだ。

 皮肉なことに自分の世界の主人公は自分しかいないが、この世界の主人公は一人しかいないというのに。


「ぐっ」


 攻撃を受けた際の反動が大きく、一瞬脚をふらつかせる。そして、今の紘和はその好機を見逃すような男ではなかった。


◇◆◇◆


 身を任せるように攻撃を続ける紘和。紅刀月陽を振る時、振り抜いてから戻すまでも、全てを攻撃にして一樹を圧倒する。反撃する隙は与えず、防戦一方の状態を構築する。同時に自分の攻撃を見て、相手の対処を見て、学ぶ。目の前で繰り広げられた数秒の攻防を一コマ一コマ即座に反芻する。そんな中で紘和は自身の攻撃に一つの可能性を見つける。一コマと例えた自分の処理能力でも一部剣筋が消えている箇所があるように思えるほどに鋭く、早く振れている箇所が存在する瞬間があることに気づいたのだ。つまり、二撃で一撃が可能なのではないだろうか、と。もちろん、不可能である。しかし、そう錯覚させるほどの一撃を今ならば出来るのではないか、否出来ると紘和は確信する。後は明確なチャンスを見つけ、ただ最善の軌道で紅刀月陽を振ればいい。

 すでにその片鱗を見せている紘和にとって一樹に隙を作り、ものにするまでに三十秒もかからなかった。


「ぐっ」


 一手、間違えたのだろう。今までとは異なる精神含めた環境に体調、何より相手に一樹の一手は致命傷である。反動を抑えきれず、ふらつき、膝をついた一樹に紘和は出来ると確信した光速の二撃を一撃で放った。後に暉刀(あぎと)と呼ばれる技が産声を上げた瞬間である。そして、二撃を一撃で放ったように見える剣戟は紘和が想像していたよりも形となりしっかりと決まった。

 そう、最高のコンディションで紘和の全力、この時点での集大成で出した神業とも言える二連一撃。


「何か……しようと……したな? だが……そんな……付け焼き刃を……実践で食らうほど……ワシは、耄碌しとらんぞ、クソガキ」


 しかし、相手は生きる伝説であり、原点にて頂点に再び返り咲いた挑戦者。二撃目の最初の一撃を喰らい、何かを察したのか追撃が往復する前に骨刀破軍星で軌跡を塞いでみせたのだ。つまり、それは必然的に一撃目を見てから阻止したことを意味する。

 実際に二撃が同時に出されているわけではないという事実に付け込んだことになるのだが、果たして初見で今のように見破れる人間がこの世に何人いるかは、想像すらできない。


「チッ」


 舌打ちをしたこの瞬間、紘和は自身の乗っていた波が途切れたことをなんとなく感じる。技は失敗したが、一撃を見舞うことが出来た状況。本来ならば満足しても良さそうだが、神がかっていたと実感していた時だっただけにその失敗に悔いが残る結果となる。

 そして、そこに付け入るように一樹が骨刀破軍星を振り、紘和に距離を取らせた。


「そんなこと言って、もう限界なんだろ? いい加減楽になれよ」


 深呼吸しながら自身が技を失敗させられたとこと、そのことに対して怒りを覚えていることをなだめるように自身にも言い聞かせる言葉を吐く紘和。


「まだだ……どちらもまだ……死んではいないだろ?」


 死にぞこないが見せるにしてはあまりにも生気に満ち満ちた瞳。

 そして問うは戦意ではなく、生死、である。


「ワシは、勝つ。それがワシじゃ」


 そう言って、一樹は紘和に折られ、地面に突き刺さっていたもう片方の骨刀破軍星の元に走り寄っていた。そして、右手にした骨刀破軍星を地面に突き刺し、拾った両端が鋭利になった骨刀破軍星を握り直す。そして、それを思いっきり左の上腕筋があったところへ、三角筋へ刺し込んだ。それを、先程紘和が一樹の一撃を腹筋だけで抑え込んだように、ギュッと骨刀破軍星を絞り留めた。接合の荒療治、だった。

 その後、地面に突き刺した柄のある骨刀破軍星を再び右手に持ちゆっくりと戦闘態勢をとる。


「おかえり」


 ボソリとだが、確かに一樹がそうつぶやくのを紘和は聞いた。つまり、自身の左腕の骨を埋め込んだ骨刀破軍星を左腕として迎えた感傷に浸っていたということだろう。紘和にはその狂気とただ戦うことに対する勝利へ渇望を目の前に、ついさっきまで抱いた尊敬とは違う、異質の不気味さを感じ始めていた。

 コレ自体が紘和自身が抱える正義への執念と同義であることに気づいてはいないのは最高の皮肉なのかもしれない。


「ワシが勝つ」

「俺が終わらせる」


 二人同時に、己に活を入れるように大きな声を出し、大きく一歩を踏み込むのだった。

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