第五十六筆:12247-7

 チャールズは右腕を天にかざし、力を込める。

 最大出力であればオーストラリ大陸程度の島一つならば簡単に消失させることのできる三大兵器が一つ、軍事衛星であるクラークから射出される莫大なエネルギーの一射からオーストラリアを護るために。


「万事、こんな感じで簡単に済ませられれば……」


 続けたであろう言葉を飲み込む。チャールズは飲み込み続ける。その先を口にしてしまえば自身の価値が下がってしまうと感じて。直後、チャールズの目の前でビームが何か壁にぶち当たったように、動きを止めた。いな、射出は続いているが、見えない壁に行く手を阻まれ、突破できないでいるのだ。ガリッと何かを削るような音と共に爆音と衝撃波だけがチャールズの背後を通り抜ける。これ自体は想定の範囲内で、むしろ多少の被害が出て欲しいぐらいにチャールズは考えていた。少しでも自身の活躍が讃えられるようにと。結果として、ラクランが命を落とした以外に、一部の家屋の壁が少し削れたぐらいの被害という小規模な被害と換算してもいいのかと疑うレベルの被害しか出なかった。

 チャールズは自分が思っている以上に、しっかりと守り抜いたのだ。


「さて、約束通り、迎えに行きますか」


 汗一つかかずにクラークを阻止してみせたチャールズの姿は上空から忽然と消えるのだった。


◇◆◇◆


 何か声が聞こえる。この状況がすでに死闘が知らぬ間に終わってしまっているのだと紘和は認識する。つまり、純に敗北したのだ。確かに強くなった。それは誰の目から見ても明らかなことであると紘和は慢心でもなくそう信じていた。事実、【最果ての無剣】の展開を阻止させることに力の配分を意識させた上でとはいえ、間違いなく途中まで紘和は純を追い詰めていた。一瞬の攻防だったが、自分の全ての挙動を、純の全ての挙動をコマ送りで思い返しても、意識が失う直前、何をされたか定かではないが、恐らくカウンターを決められたとしても、その直前までは間違いなく、間違いなく紘和が純を圧倒、はしていなかったとしても優勢で戦況を動かしていたのだ。そう誰がなんと言おうとも負ける直前まで紘和は自身が出来る最善手で純と戦えていたのだ。子供が負けたことに駄々をこねる様に紘和は自身の最良の攻撃選択を、成長の成果を頭の中で復唱する。

 ここで紘和は全ての思考が敗北を受け入れられていない、敗北した理由が自分ではなく純にあるという、挑むことにすら、そう心が折られている状況だと自覚した。それは己の正義を示すために今までしてきたことで、果たして掴むべき時にその正義を掴むことが自分の力で本当に勝ち取ることができるのだろうかという不安を過ぎらせた。

 その不安は本来、人として考える以上つきまとうものだということはわかっている。


「大丈夫」


 何か声が聞こえると感じた。外部からの干渉とは違ったものを感じ取る紘和。脳に直接語りかけているという表現がぴったりな、そんな呼びかけだった。そして、どこか聞き覚えのあるその声は、あまりにも無責任に聞こえる言葉を言っているはずなのに、どこか妙な説得力があった。

 それでも、なぜ大丈夫と言い切れるのかという疑問が拭いきれるわけではなかった。


「あれはこの世界のバグ。あなたの正義が正すべき存在であるの。そうでなければ、目の前の桜峰友香すら護れないことになってしまうもの」


 世界のバグという表現に違和感を覚える。己の正義が友香に紐付けられたことに不信感が募る。

 しかし、それ以上に、自身の正義が肯定されるということに、今までのことが無ではなかったと背中を押される暖かさを感じるのだった。


「だから、世界を、彼女を救いなさい」


 神からもたらされた天啓とも呼べるそれは、先程まで打ちひしがれていた紘和に、何かをなさなければと、まるでアンコールの様に舞台から降りることを許さないものであったのだ。


◇◆◇◆


「おい、っつまで寝てんだよっと……」


 ガバっと急に上半身だけを勢いよく起こして目を覚ました紘和に顔をペチペチと叩いていた純は驚かされる。


「大丈夫かよ」


 紘和はキョロキョロと何も発することなく、何かを探しているように辺りを見渡す。


「お前たち……だけか?」


 紘和は純とタチアナの姿を捕捉してから尋ねる。


「幻覚でも見てるなら話は変わるが……。頭の打ち所が悪かったか?」


 目を細めながら何か訝しむように紘和を見つめる純。

 それは言葉通りに心配しているわけではなく、紘和の薄ぼんやりと覚えている謎の声が何を言っていたのか、誰だったのかという疑問を見透かそうとするような目だった。


「そう……なのかもな」


 その答えを紘和は純に求めようとはしなかった。

 明確な理由はないが、ただ求めてはならないと思ったからだ。


「そっか。ならもう大丈夫そうだな」


 安堵の声、元気な声色、しかし、紘和だけが見える純の目だけは疑いを向け続けていた。

 そんな目から逃れたいからか、紘和は話題を反らすように質問をした。


「俺はどのくらい気絶してたんだ」

「リディアには逃げられて、ラクランが死んでしまうぐらいには……つまり、ここでの用事が終わるぐらいには気絶してたぞ」


 ラクランが死んだという言い回しに、自分が殺したはずでは?という疑問が浮かぶ紘和だが、リディアに逃げられたという自身の正義を執行できなかったことに対する怒りがそれを軽々と追い抜いていく。


「逃げたって」

「そう、チャールズの庇護下に入って今頃はアメリカだろうね」


 何処へ、と続くだろう紘和の疑問に純は先回りするように答える。


「どうしてその名前が出てくる。そもそもお前は、それを見逃したっていうのか」


 タッと起き上がった紘和はそのまま純の胸ぐらを掴む。


「あぁ、見逃したさ。当然だろう? お前と戦ったのはお前に彼女を殺させないためだ。忘れたのか? それとも意識と一緒にその記憶が飛んでいったのか。何にせよ、便利な頭だな。ほんと、自分に都合のいいことしか覚えてない、聞こえてない子ちゃんかよ」

「どうして、お前はそこまでして俺の邪魔をするんだ」

「邪魔なんてしてない。俺はお前の願いを叶えるために尽力してるんだ。お前の求める舞台を用意するのに欠かせないんだよ。いや、正確にはその先に、かな。お前の正義を叶えたい、それを叶えてやるし、できることならその果てを、事の顛末を、隣で見守りたいとすら思ってる。だから、俺はお前が望む役を買ってる。まぁ、最終的にお前がリコールするかは蓋を開けてのお楽しみだがな」


 即答である。まるで事前に用意された言葉を流暢に並べているようにも聞こえるし、とめどなく出る口八丁の様にも聞こえる。しかし、皮肉なことにそれが嘘を言っていないということが、根拠なしに伝わってくるのが紘和にとって癪に障る所だった。

 目の前にいる人間は、自分の夢を叶えてやると嘯きながら利用しているわけではなく、本当に叶えてやるための行為としてやっていると思わせるだけの、言霊を持っているだ。


「くっ」


 だから紘和は何も言い返すことも、これ以上手を出すことも出来なかった。


「で、だ。俺はお前が俺を追い詰めたことを評してこう判断した。そのための次のステージに進んでもらおうと」


 アメとムチのようなタイミングで純は紘和に助言する。


「その力を手に入れれば、お前はチャールズと同じ舞台に立つことが許される。そして何より、お前の夢に大きく歩み寄ることが出来る。もちろん、それがお前の望んだものであるにも関わらずそうでなかったとしても、だ。それをそうだと決めるのはお前次第、だけどな」


 この言葉に、タチアナは背筋が氷るのを感じ、紘和はその時が来たかと決意が漲るのを感じていた。


「八角柱の一席、七つの大罪を手に入れてこい。クソジジイが待ってるぞ」


 純に乗せられているのだとしても、紘和が自信を、生きる活力を獲得したのは間違いない瞬間だった。


◇◆◇◆


 央聖が目を開けた時に最初に見たのは白い天井だった。

 そして、独特の、慣れ親しんだ揺れを感じ、ここが恐らく船上であると推察した。


「取り敢えず、そのまま聞いてください。今からするのは事後報告です、社長」


 いつになく落ち着いたマーキスの声を聞いて、央聖は事後報告を聞く前に、オーストラリアという国から逃げられたこと、そして何かと言われれば明確なものはないが、敗北したことを察していた。

 央聖は言葉を発することなく、寝たまま顔を縦にゆっくりと動かし、マーキスの事後報告を待った。


「まず、ここは俺たちが所有する船の中です。現在、オーストラリアを出て一時間弱経過しています。そして、結論から言えば、俺たちは九十九陸をオーストラリアから追い出すという目的は達成されました。とはいえ、これが依頼人が望んだタイムリミットまでに出来たことかはわかっていません」


 当初の取引成立が曖昧にも関わらず、オーストラリアを央聖が無事に出立している事実が、状況が如何に不自然かを物語っている。


「一方でその依頼人でありこちらの取引相手でもあるラクラン・ロビンソンが死亡、その後釜に座った娘のリディア・ロビンソンが今回のオーストラリア訪問では、全てのことに非干渉である、つまり、黙秘を約束すれば社長の命の取引を破棄した上で、今後も変わらぬ貿易関係を築きたいと連絡がありました。社長の判断を仰ぐと先方には伝えてありますが、できるだけ早く返事が欲しいということです」

「つないでくれ」


 オーストラリアを出たにも関わらずまだ無事が保証されていない。

 この状況に央聖は敢えて触れずにマーキスに命令する。


「はい、社長」


 間髪入れずに、マーキスは央聖に通信機を渡した。


◇◆◇◆


「パーチャサブルピース社長の天堂央聖です」

「父に代わり、新しく八角柱、オーストラリアの知恵に席を置くことになったリディア・ロビンソンです」


 央聖は電話の相手に違和感を覚える。

 リディアと面識がないという理由ではなく、単純に自身が想像していた相手が電話に出なかったからだ。


「……マーキスから伺った件ですが、本来ならば、こちらが黙秘する内容を盾にあなたとの取引を続けていきたいと脅しをかけられている立場だと思うわけです。それでも、コチラ側が飲まざるを得ない状況というものを想像すると、あなたの後ろ盾が気になってしまうのです。そもそも、この短時間であなたがその地位につくことが出来るというのが、この推測の起点となるわけですが……」


 央聖は一息入れて核心に迫る。


「もしそこにもう一人いるのならば、そちらの人間と話をさせていただきたい」


 返事がすぐに来ない。だが、央聖からすれば確実にリディアのバックには八角柱の誰かが存在していて、その中でも権力が強い人間であるということは想像に難くない状況だった。仮にいなかったとして央聖の失言だとすれば、それこそ、リディアを傀儡にすることも現実味を帯びてくるのだ。

 そして、央聖の想像した声が電話の向こうから話し出す。


「回りくどい真似をして失礼しました。あなたの言う通り、俺が、チャールズ・アンダーソンが先のことを決定した張本人です」


 そして、その声の主、チャールズは拒否権が存在しないと強調した、権力をかざして命令したのだ。この時点で、央聖の頭は交渉というテーブルにそもそもつけるのかと頭をフル回転させる。しかし、全ての可能性を考慮しても、ちらつくたった一つの可能性がその全てを無に還す。だからこそ、そのたった一つの可能性を聞いてしまうのも手ではないのかと考える。それは、相手側にただ情報のアドバンテージを無に帰させることを報告することと同義であるのが渋る点だった。

 故に天堂という名に見切りをつけざるを得ない状況だった。

 後ろ盾が対等以上であるせいで、天堂という家に、切り捨てられてもおかしくない婿である央聖にチャールズという存在は重く、大きくのしかかってくる。


「あなたは、現実とよく向き合えている人間の一人です」


 突然、チャールズが央聖の考えていることをあざ笑うかのように、見当違いな話をし出す。


「金を遵守し、そのために絶妙な商売を確立しています。扇動する時は、本心ではなくともヒトを刺激する言葉を用意している。いや、その言葉を最大限活用できる状況を創っている。一方で、権力には従順です。その証拠に今も本来ならば倫理観に訴える状況があり、言葉があり、それを公表するだけで世界がひっくり返りそうな秘密を抱えているにも関わらず、あなたはそれをしようとしません。恐らく、考えてもすぐに棄却できるのでしょう。俺が嘘だと言い、あなた方を断罪する言葉を並べた時の火の勢いを理解しているのです。もちろん、ここまでの会話を録音していることでしょう。それでも、あなた自身、勝機だと思えていないはずです」


 ゾワリと何かが背中をなぞるような感覚に襲われる。

 純という人間を前にしても似たような恐怖を感じたことがあるが、チャールズのものはリアリティをより身近に感じる分、濃密な恐怖のように感じた。


「あなたはどこかの範疇では狂人なのでしょう。しかし、安心してください。あなたは十分普通です。だから、できれば何も考えず、今回はただ屈して欲しいのです。多くを望まず、それこそ自分と釣り合う金額で満足してほしいのです」


 リスクとリターンが完全に釣り合っていないと自覚する瞬間だった。


「わかった」


 口約束。約束を反故にすることはいとも容易い状況とも言える。

 それでも決して反故にしようと思う余地のない口約束がここでかわされたのだ。


「ありがとう、その返事が聞けて良かったです」


 電話はそこで途切れた。


◇◆◇◆


 会話が聞こえていたわけではないが、マーキスは央聖の顔色の変化からどれだけ恐怖を植え付けられたかだけは察していた。だからといって付くべき人間を変えるべきだとは考えなかった。それはマーキスもこれ以上を望んでいないというのが大きな点である。例えば、ここを出て電話の主側につこうとすればそれだけで報酬に見合わない仕事をこなされるのは容易に想像ができた。間違いなく、今回の騒動以上の渦中に入れられ、重要なことをやらされるだろうからだ。現にマーキスの身の安全の保証だけで、央聖がこの一件を保護にした時、射殺しろとチャールズから命じられていたのだ。命は惜しいがタダ働きも好きではない。

 一方で、これから違う社についたとすれば今の地位の給料にたどり着くまでまた下積を重ねることとなり、仕事は楽でも報酬の羽振りが悪くなることは明確だった。


「なぁ、社長」


 だからマーキスはここで央聖に立ち止まって欲しくはないという自身の保身のためだけに言葉を選ぶ。


「俺は社長に雇われている。そして、それは互いに金になるからだ」


 マーキスは部屋を出るためゆっくりと出口へ歩みを進める。


「最初、九十九を追い詰めた後、俺は給料分働いたから社長を見捨てようと思った」


 事実である。


「でもな、俺はともかく、社長、あんたの部下はみな、あんたを救出するというリスクを選んだ。結果として社長、あんたはここにいる」


 俺はともかく、という台詞の通り、マーキスは事実を告げる。


「だからまぁ、折れるなよ」


 央聖の顔はマーキスには見えない。もちろん、マーキスからもである。それは、ここまでツンデレのように間接的に励ましているような言葉を、あまりにも起伏のない真顔で言っていることをバレたくないが一心に作り出した状況だからである。去り際で、際立つ様にしたわけではない。

 結果としてそうなったとしても、本心はひどく冷めた、自身を護るために仕方なく吐いた言葉だったのだ。


「ありがとう」


 マーキスは央聖から感謝の言葉を聞いたのと同時にライターを取り出し、タバコに火をつけながら廊下に出ようとする。ライターの反射で確認した央聖の顔は、少しやる気を取り戻したような顔になっていてマーキスは安堵するのだった。

 そして、ドアを閉める前に、思い出したように事後報告する。


「そういえば、ソフィーがカレブ・ロビンソンを捉えてきてましたよ」

「そうか」


 央聖の返事を聞いてマーキスは煙を吸いながらドアを閉めた。


「これだけこび売ったんだ……給料上がらんかなぁ」


 ボソリと漏れた本音は、もちろん誰の耳にも入らなかった。


◇◆◇◆


 央聖はマーキスが部屋を出た後、頭の中でチャールズ側の内通者について考え始めていた。先程の全ての可能性を潰す存在がそれだった。短絡的に考えれば茅影だろう。少なくとも無関係でない可能性は一番高い。ただ、本体であるリュドミーナと情報を共有している点から、自身に不利益になる顛末を進んで受け入れるとは考えにくい。もちろん、茅影が個として独立して行動している可能性も否定は出来ないが、どうもここまであからさまであるという点が腑に落ちないのである。だからこそ、央聖は茅影を念頭に置きつつも他にいるのではないかと考えているのだ。そして、可能性として最も高いのは今回の作戦に、オーストラリアで共に戦った者である。

 このチャールズに従わせる絵をチャールズが描くとした場合、オーストラリアでのコチラの状況を把握する手段が必要であるからだ。状況を作る、とはそういった情報の積み重ねでできていると央聖は身を持って知っているのだ。ただ、マーキスは違うと央聖は今の会話で確信していた。現在考えている一件とは別に何かしらの別勢力、否ハッキリとリディアとの交渉決裂に備えた立ち回りを強要されていた素振りを感じとりはしたが、あくまでマーキスの金に対するスタンスは央聖近いものがあると考えているからだ。それは励ましの言葉を受けて、心温まったからというわけではない。あれほど心のこもっていない言葉、金と自身のことしか興味のないリアリストのマーキスらしさを信じたということである。仮に本当に今回の一件以外で裏切っているならば、自分は殺されていてもおかしくはないのだろう。言っていることを紐解けばただの事実ではあるが、自身の気持ちは何一つ揺らいでいないことを示しきっている。恐らく今頃、あわよくば給料が上がればいいとでも考えているだろうと央聖は想像する。

 だからこそ、容疑者は更に絞られることになる。そして、央聖を救おうとした者の中にはこの策略を完成させるために助けなければならないと動いた者がいると思うと、苛立ちも覚えるのだった。

 折れるなよとマーキスに言われた言葉が直近のものとして蘇る。


「この借りは必ず返すぞ、チャールズ・アンダーソン」


 央聖はそうつぶやくと肩を回しながら身体が問題なく動くのを、頭がクリアになっていることを確認し、マーキスの報告にあったカレブの様子を見るべく、ベットから起き上がるのだった。


◇◆◇◆


「さて、これで安心できるだろう。それではラクランズの量産に移ってください」

「はい」


 リディアは疑問に思う。なぜここまでチャールズは自分に親切にしてくれるのかと。もちろん、チャールズからすればリディアの技術力、つまりラクランズを提供させられることに成功したのだが、オーストラリアでの一件を全て水に流してまで、匿おうと紳士に接する必要はないはずである。言ってしまえば、脅迫するだけで事が済む。それだけの一件を周囲を巻き込みながら行っていたのだから。もちろんこの状況が完成した時点で脅迫は成立しているのかもしれない。だが、それだけでは説明できない、何か温かいものを感じられずにはいられなかったのだ。

 リディアはそれを聞こうとも考えた。だが、実際口にすることは出来ていない。どうして、隠蔽するのか、配下ではなく八角柱の席に座らせ続けるのか、何より後ろ盾になってくれるのか。きっと真相を聞いても答えてくれないだろうし、何より、答えさせようと困らせたくはなかった。

 だから、行動と考えが一致していない状況が続いているのだった。


「必要なものは全てコチラで手配します。研究する場所はどこでも構いませんが、俺に事前に報告してくれると助かります。もし、知識が必要だったら、ここに様々な分野で活躍した権威が兵器を作っているのでその方々にお伺いを立ててください。分野においてはあなたに引けを取らないでしょうから」


 そう言ってチャールズが手渡した地図にはその人たちが居を構えているであろう箇所が何箇所かバツ印で記されていた。


「戦争を……するのですか?」


 兵器という言葉から、今まで質問を控えようとしていた反動か、紐付けされたワードがリディアの口から滑る。


「世界が注目する戦争がこれから勃発します。俺はその戦争を成功させるために……世界の命運を少しでもいい方に傾けさせるために準備をしてきました」


 しまったと思ったリディアの考えとは裏腹に、実に簡潔にチャールズは自分の思い描く先の話をした。


「だから、これらが抑止力として使われることはありません。あくまでこれはこれから起こる戦争で確実に消費されます……まとまらないな。取り敢えず、全責任は俺が取ります。だから、俺のために兵器を作って欲しいのです」


 途中何か本音をボソリと漏らすよう様な素振りを挟んだこと以外は実に漠然とした構想に明確な理由を貼り付けたような話だった。戦争を成功させる、俺のために兵器を作って欲しい。リディアが引っかかりを覚えるには充分すぎる言葉の数々。それでも何か正しいことをやろうとしている決意めいたもの、同じ正義の味方でも、紘和の様に支配されているのではなく、付き従っていると、いわゆるいい人に見えるのだ。もちろん、それは紘和がリディアに危害を加えようとしたから、チャールズには護ってもらったからという安直な区別によって設けられた判断ではない。

 では何かと言われればそれは直感的に訴えかけてくるものがあるとしか言えないため先のような分別がされていると言われたら言い返すことが出来ないという話でもあった。


「わかり……ました」


 だから取り敢えず条件を飲むことにした。


「それじゃぁ、俺は次の用事があるから出かけますが、何かあったら俺か関係者にいつでも連絡してくれて構いませんから」

「はい」


 リディアが返事をするのと同時にチャールズはお得意のいつもの方法で姿を消したのだった。


◇◆◇◆


 取引の結果であれ、義理はこれで果たしたことになるのだろうか、と甘い考えをした自分に嫌悪した顔をリディアに見られる前に移動できたことを内心でホッとするチャールズ。ラクランからこうなる可能性を提示させた上で、匿っている、自作自演とも取れる行為に少しでも善意を見出そうとしたならば、嫌悪するのは当然のこととも言える。しかし、結果として今までと違い、ここまで迅速に、理想的に必要な人材を来るべき日までに揃えることが出来たことには違いなかった。

 後は、英雄が仕上がることを待つこと、そして、戦力をより多く補填して最高の舞台を整えることである。


「ただいま」


 そんなことを考えながら、チャールズは大統領室に移動していた。


「用事は済んだのですか?」


 レイラは突然現れたチャールズに驚くわけでもなく、質問をする。


「いや、またすぐに出かける」

「どちらに?」

「バシレスクさんに会いに行ってくる」


 ガタッ。その直後に大量の書類が机から落ちる音が続く。チャールズはその方向に振り返るとレイラが口をパクパクとしながら慌てているのを見つけた。

 チャールズにとって割と落ち着きのある方の彼女がこれだけ取り乱すのは珍しいことだが、先に自分が言った内容を振り返ると……別に想像出来なかった訳ではない反応だなと思えた。


「本気……ですか?」

「ここで嘘を言ってどうする」


 そう聞き返されたレイラからすると、本当に戦争でも始めようとしてるんじゃないかと、今まで言われてきたこととはいえ現実味を帯びてくるには十分すぎる人名だった。


「では、誰かお連れしますか?」

「いや、友人として会いに行くだけだからね。一人で行ってくるよ」

「しかし……」


 もちろん、チャールズの身に何かあるとは思えない。どれだけの武装集団に囲まれても、アメリカの正義で、最凶である彼に敗北の二文字はつかないだろう。ただ、そういったものとは違う異質な危険を孕むのがバシレスクという人間なのである。

 そして、バシレスクが従える曲者たちなのである。


「大丈夫だ」


 いつもの言葉だった。何があろうとも、まるでその先がわかっているかのように安心させてくれる言葉と顔。

 だから、チャールズ配下の人間はみな、信じられているのだ。


「わかりました」


 レイラの返事にチャールズは満足したのか、ゆっくりと頷いた。


「じゃぁ、行ってくるよ」

「行ってらっしゃい」


 チャールズの姿が再び消えた。


◇◆◇◆


「いやぁ、紘和としばしのお別れとか、俺、超、寂しい!」

「何が寂しいだ。お前が行けって言ったんだろう?」


 オーストラリア空港内でされるこの会話が、今から八角柱の一人の席を奪ってこいと指示した男と、その席を実の祖父から簒奪しようとする男の会話でなければ、どれだけ良かったことだろうタチアナは思う。もちろん、穏便に済むに越したことはないが、八角柱の七つの大罪の席を手に入れるわけであるから、実の孫だからといってそう簡単に譲渡が決まるとは思えなかった。故に、最初に聞いた時によぎったのは、やはり一樹の殺害だった。それを明言するような節は一切ない。それに殺害するという点に決め手にかける所として一樹が待っていると純が表現したことだった。

 恐らく、本人に聞いた所ではぐらかされるだろうし、そもそも聞いてしまい答えが聞けたらそれはそれで恐ろしいため、タチアナはまだ深く追求していない。


「ったく、俺のいない間に面倒事は増やさないでくれよ」

「残念でした。こちらにはそういうことに対してお前よりも役に立つアリスちゃんがいるから問題ありませ~ん」

「ストックはどのくらいあるんだ?」

「教えるか、バーカ」

「なっ」


 そんなタチアナのことを気にもとめずに、軽いノリで恐ろしい機密的なことを喋る二人。


「また何かやらせるんですか?」


 そして、当のアリスは悪巧みの矛先がすでに自分に向いていることにうんざりしているような雰囲気だった。そんな中、一言も言葉を発せず黙っている人間がいた。友香である。

 友香は陸を殺そうと刺して、取り乱してからというもの、ぶつぶつと今までの行いをときたまつぶやき後悔に苛まれているような時がある以外、基本黙ったままだった。そのため、周囲から見れば、若干異質な空気を併せ持つ集団に見えるだろう。事実、楽しそうな馬鹿げた会話をよそに、死ぬことができない身体、見た目だけ生きているという状態でもなければ、今すぐにでも自殺してしまうのではないかと思ってしまうほどの雰囲気が友香からは滲み出ており、グループ内でも浮いているのは明白だった。実際の所、普通の人間が誰かを殺そうとするだけでも、労力を使う。経験や覚悟、そういった確固とした何かに則って殺めるということは初めてのお使いみたいに容易にできるはずがないのだ。ためらいや恐怖、罪悪感といった様々なマイナスの感情が複雑に絡まり、明確な意識があればあるほど、殺そうとする行動は制限されるのである。ましてや友香の場合、かつての友人であり、何より最愛の人間をその身に宿した人間に対してだったのである。その人間に対して、やってしまったのである。結果として殺すことは出来なかったものの、刺してしまったという事実が残ったことで、実感としてフィードバックされ続けている。殺人を抑制しようとした要因全てがドロリと原油をかけられるように、ねっとりとじっとりと身体を包み込んでいくのである。それが突発的でなく、初めての殺意を向けるということの一般的な良心を持つであろう人間の対価なのである。それに慣れてしまった人間やそもそも柵が存在しない異質な人間もいる。だからこそ、タチアナとアリスは紘和の言葉を即座に否定できた。殺しが出来ることが当然であるかのように言う人間を否定できたのだ。それすら出来なければ、友香は今頃、もっと深刻な心の健康状態を送ることになっていただろう。

 そんなことを知ってか知らずか、純がこのメンバーで決めたことは、今まで通りの雰囲気を忘れずに、友香のことはそっとしておくということだった。タチアナとアリスからすれば、煽り散らして無理矢理にでも再起動をかけようと荒療治すると思っていただけに、人間らしい優しい一面も持ち合わせているのかと驚かされた。

 だからこそ、今は誰も友香には触れずに、その場の空気を維持しているのだった。


「いいのか、アメリカまで俺が送らなくて」

「善は急げだ。あっ、これはお前に対してな。だから心配するなら目的を果たして、役割が演じられる準備をしてからにしろ」


 ドンッと純は紘和の胸を叩きながら不穏な檄を飛ばす。

 紘和もそれに満更でもない笑みを返す。


「で、お前らは俺が戻ってる間、アメリカに何しに行くんだ?」

「そりゃ、いつも通り陸を追いかけて、ついでにアメリカにちょっかい出して、紘和の舞台を整えるんだよ」


 純の発言に全員の視線が友香に向かう。案の定、皆が危惧したと通り、カタカタと小刻みに震えている友香の姿が目にとまる。

 紘和がやれやれといった表情を作る一方で、アリスは心配そうに、そしてタチアナは視線だけでなぜ、このタイミングでその名前をわざと口に出したのかと問い詰めていた。


「デリカシーがないってか? 残念なことに目的が変わらない以上、付いてくる以上、そういうことなんだよ。それにいつも通り、俺はそう言ったろ? だったら俺のこのタイミングでの発言、いつも通りじゃないと思う?」


 屁理屈を、という三者三様の視線を一心に受ける純。一方で、これが純からのメッセージで、リタイアするなら今だという優しさの裏返しだった。遠回しであるが、誰にでもわかることだ。故に、周囲は納得し、特に口出しすることもなく友香の反応を見守ることになる。今にも何かを叫びたそうに、秘めたる思いを吐き出しそうに身体を震わせている友香。チラチラと時々視線を上に向け、みなの表情を見ているようにも見える時がある。恐らく、逃げ出すならば神格呪者としても、紘和と一緒に帰国する意味でも現状容易いだろう。

 それでもすぐに答えを出さないということは、理由はどうであれ付いていく選択肢が友香にはまだあるということを意味している。


「まぁ、結末はどうであれ、帰ったら何もわからずじまいになるのは間違いないだろうなぁ」


 純はそう言って、搭乗口の方へ歩き出す。それにつられるようにアリスもタチアナもゆっくりと歩き出す。二人にもそれぞれの目的があり、道中利害が一致しているから同席しているだけに過ぎないから、立ち止まっている友香を無理に引っ張る義理はないのである。

 加えて友香のために足を一緒に止めようと考えられるほど、各自が持つ目的は安くない。


「全員が搭乗口を通過したら時間切れ、ですからね」


 丁寧な言葉遣いではあるものの、淡々とした事実を紘和は友香に突きつける。


「あの奇人は、桜峰さんを労りつつもその実は焚き付けようとしている。そして、必ず付いてくると確信して歩き出したのだと思います。だからこそ、個人的にあなたは向こう側に行って欲しくないとも考えてしまう。苦しんで欲しくないというよりは純の毒牙にかけられ続けて欲しくないというのが大きいです」


 自分でも珍しいと思うぐらいに紘和は誰かの背中を押してやろうと言葉を選び始めていた。


「正直、殺せなかったあなたの覚悟を私は疑っていますし、出来なかったことに失望しました。それでも愛する人のことを、千絵のことを考えることはあなたから学びました。まぁ、考えるだけでその先はまだわかりませんが」


 どちらも紘和の本心だった。


「だからこそ、私たちに付いてくると決めた日を思い出し、あなたには一歩進んで欲しいと思ってもいます。どうするかは、直面してから考えるのも、遅いでしょうが悪くはないでしょう」


 アドバイスとしては最低だったかもしれない。それに背中を押そうとした割にあまりにも天邪鬼な物言いになってしまった。それでも、友香にとっては取り敢えずの一歩を踏み出すには十分な言葉だったようだ。なにせ、友香の目的も安くはない。一歩、一歩と歩を前へ進める。

友香は優紀を求めて……愛しているのだから。


◇◆◇◆


「柄にもない」


 目論見通りであったにも関わらず、紘和が気色の悪い檄を飛ばす姿に気味の悪い干渉を感じ、純は悪態をつくのだった。

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