第五十四筆:5920-6
天井から降ってきたラクランという脅威にも冷静に、その振り下ろされる拳を回避してみせる紘和。上に空いた穴から光が差し込む状況から、ラクランが一直線にここまで床を突き破りながら来たことがわかった。だが、そんな馬鹿げた出力があるかどうかは今の紘和には一考する必要すらない。今、紘和が最も疑問に思う点は、マデリーンを焚き付けたのとほぼ同時にラクランという夫婦の関係性があるラクランズが出現したことにあった。もちろん、このあからさまな演出が身内の仕業であることを疑うことが出来たとしても、今の紘和が事実確認をするすべはないのだが。
そして、ラクランの空振りで終わった拳によって舞い上がった埃が徐々にやんでいくと、紘和の前にはマデリーンとラクランが立ちはだかるのが理解できた。
「随分と親みたいな立ち振舞をしてくれるじゃないか。それともリディアが組み込んだ本人の危機に際してお前らが御主人様を敵勢力から護るみたいな防衛プログラムだったりするのか?」
ブツブツと苛立ちを乗せた紘和の言葉に返事はない。
「だが、俺は、俺の思うことをやり通す。お前らがなんだろうと」
一拍。
「リディアに尻を拭わせる」
そして、紘和が吠えたのを皮切りに戦場は再び動き出す。己の正義を貫き通すため、己の娘を守るため。
◇◆◇◆
「戦闘力はあまりないってさっき言ってましたよね、ソフィーさん。でもそろそろ本性見せてくれないと俺がピンチです」
「わかりました……よっ」
ソフィーの強烈な蹴りは目の前のバーストシリーズに安々と止められてしまう。上からの奇襲を間一髪で避け、地下から脱出し、屋外まで出てきて視界を確保した二人は、そのまま応戦していたのだ。ソフィーは受け止められた右脚を軸に身体を宙に浮かせながら捻り、左足でラクランズの頭部に一撃を見舞う。
だが、微動だにすることなくソフィーは掴まれた脚を振り上げられ、叩きつけられた。
「グッ」
知っての通り、ソフィーは並大抵の新人類ならば圧倒するだけのポテンシャルがある。つまり、異能を持ち合わせていても人として規格外でなければ圧倒できるだけの力と技量がある、一般的にエキスパートと呼ばれる部類なのである。それは、仮に相手が機械であろうと、それこそラクランズであろうと問題視されるところではなかった。問題は、そんなソフィーを上回る力と技を持ったラクランズが目の前のバーストシリーズであるということだった。この事件の関係者を守護するだけあってそれ相当の強さを覚悟していたが、ソフィーの予想を大きく上回るスペックを持ち合わせていたのだ。
模倣。人を、マデリーンを蘇生させる過程で生まれた基本的な発想と技術への転用。機械に人間の行動を学習させるという単純な行動である。それを戦闘面にのみ注力したものをバーストシリーズ、加えて全てのラクランズを通して戦闘技術の収集、解析の中枢を担うのがこのイーサンである。それはつまり、学習させられた技術は全て模倣され、扱うことができるということである。もちろん人間にもこの種の、相手の行動を容易にトレースできる化け物は存在する。しかしソフィーにとっての問題は、そんな人間がありふれた存在ではないという経験不足の話ではない。そもそもソフィーはイーサンがそういった類のバーストシリーズであることを知らずに戦っているのである。
純粋に模倣し、アウトプットする選択肢が、本物で、強いのである。
「なんとかしないと……」
だからといって身一つで機械を相手にできることは限られてくる。武器を持っているわけでもなく、持っていたとして刃物で鋼鉄を切り裂くことが容易にできるはずもなく、鈍器で鋼鉄を叩き潰し切るのも普通では出来ないことである。対人を想定していた、ソフィーは自分が超人でもなくただの人間であるということを自覚する。だから、攻撃をする。活路を見出すために。ここで逃げては元凶を取り逃がしてしまう以上、逃げることが許されない排水の陣で立ち向かうのだ。偶然知ったこととは言え、このままではオーストラリアという国そのものが危うい可能性もあると知ってしまったのだから。
ソフィーはかかとを軽く地面に叩き、靴底に忍ばせていた刃物を指先側に露出させる。本来ならば不意打ちに用いるものでしかも対人想定、鋼鉄の体表を持つラクランズを前にどこまで機能するかはわからない。一方でチャンスを待ってチャンスが来る前にこちらが負けてしまっては意味がないと判断し、早期補強の意味で使用を決めたのだ。
しかし、この判断は実を結ぶことがなかった。
「え?」
数分間の攻防に続け、突然間に割って入った背中に見覚えがありソフィーは驚きの声を上げる。
「ど、どこから出てきたんだ」
近くで身を隠していた茅影も驚きの声を上げた。そう、勝ち筋を探すための戦いの最中突然湧いてきたのは、体表に赤い陽炎を纏うほど発熱し流血した、コレットと戦っていたはずのカレンだったのだから。
◇◆◇◆
「さて、彼との交渉を蹴ったということは、こちらの交渉に応じたと受け取ってもいいのでしょうか?」
先程まで否応なく沈黙を余儀なくさせるほどの殺意を込めた言葉を吐いた男がしゃべっているのかと疑うほどに爽やかな声で話し始めたチャールズ。
そして、意識の切り替えが出来ずに面食らった状態のリディアはその言葉に当然リアクション出来ずにいた。
「リディアさん?」
「は、はい」
名前を呼ばれようやく喉を震わせることに成功するリディア。それほどまでに陸の去り際に言い放ったチャールズの言葉は殺意に満ち満ちていたのだ。
考える余裕が出てきてさらにその殺意の度合は解像度を増していく。
それは、なぜこの場が最初から血の海に染まること無く、言葉による意思疎通が初志貫徹出来たのかと疑いたくなるほどだった。
「よかった」
もちろん、交渉は成立、否拒否権はないためこのまま成立という形で当然問題はなかった。しかし、先程のリディアの返答はあくまで名前を呼ばれたことに対する応答であり、交渉の是非に了承をしたものではなかった。しかし、そう解釈するほどチャールズにも余裕がない状況だったのか、それとも強者としてただ不遜だったのか、その真偽を確認するために先程の応答の意味をチャールズに告げることは今のリディアには出来なかった。
一方で、チャールズの良かったは交渉が成立したことに対する安堵と普通は考えるだろう。しかし、恐怖の残り香があるこの空間に置いて、弱者の立場にあるリディアはこうも考えてしまう。あなたを、リディアを殺すことにならなくてよかったと。故に脳裏をよぎったことを振り払いたいという一心でリディアの焦点はチャールズの目に合わさる。
そこには穏やかな顔のチャールズがいた。
「どうか……しましたか?」
「いえ」
まじまじと見つめる結果となったリディアの行動にチャールズが気を使ったようだった。
「それでは、サクッと終わらせて迎えに参ります」
言葉だけを置き去りにチャールズは姿を消した。それを実感した瞬間にリディアは足元から崩れ落ちる。格の違いを明確に実感したからこそ、緊張の糸が途切れたという安堵の気持ちが身体に表れたのだった。
◇◆◇◆
カレンとコレットの戦闘はここが船から荷を上げ下げする場所ということを忘れさせるほどに破壊していた。大きくえぐれた地面は所々まだコンクリートが焼けてくすぶっているのがわかる。一方で、巨大な氷柱や氷壁がいびつな形でそこかしこに起伏を作っている。そんな戦場の中心地では片腕を吹き飛ばされ、人の姿をいびつに保つコレットが横たわり、その元へゆっくりとカレンが距離を縮めているところだった。カレンも赤い陽炎を纏い、痛手を負っていることは明白だった。コレットの波の機能が弱かったわけではない。一方で、カレンの放電や冷却が猛威を奮ったわけでもない。明確な勝敗に直結した差を生んだのは地力を引き出す感情であった。
つまり、勝利への執念が強かったカレンの方が実力を出し切ったということである。
「久しぶりに、全力で戦えた。やっぱり、私は強い。それがわかっただけでも収穫だよ」
コレットは自身を覆う影を見上げた先に振り上げられている拳を見て、敗北することを、自身が再起不能に壊されてしまうことを理解した。もしも生にしがみつき我武者羅に抵抗を続け諦めなければ、人のようになって勝ちの目もひょっこりと出てきたのだろうかと思案する。
だが、そんなことで勝てるならば、という機械としての利己的な部分がそれを受け入れようとしなかった。
「さようなら」
しかし、別れの挨拶がされてもなお、コレットの破壊音が辺りに響き渡ることはなかった。コレットは死を受け入れても情報を収集しようと目を瞑るという行為をしなかった。故に眼前で何が起こったのかしっかりと捉えていた。
体表に風圧を感じながら見たものは、カレンの拳を片手で受け止めているこの場で見覚えのない男だった。
「ふぅ。間に合いましたか」
しかし、誰もが知る男だった。
「……どうして、どうしてあんたがこいつを庇うんだ」
カレンが驚きの表情を作りつつ、徐々に邪魔をされたことに対する怒りで語気を荒げていく。
「チャールズ・アンダーソン」
「裏のありそうな話を素直にしゃべると思いますか? それがわかっててやってるなら……ただ自分の不機嫌を発散させるだけの行為なら止めた方がいいです。先輩からのアドバイスです」
カレンはチャールズの手を振り払うとそのまま後方へ距離を取る。
そう、先程自身が強いと再認識したカレンですら戦うならそれ相応の対応をしなければという考えが過るほどのオーラを纏っていたのだ。
「この戦いを止めに来ました。そして、今から二つ伝えなければならないことがあります」
「それは、別にそこにいるガラクタを壊してからでも遅くないんじゃないの?」
しかし、そんな危険度を理解はしつつも戦いに水をさされたこと、何よりも戦うという行為にエンジンが掛かっていることが、今すぐにでも矛先をチャールズに変えようとする姿勢を崩さなかった。
「無駄なことはしたくないですから。それに、できることなら君たちの意思を尊重したいから俺も特別構えていないわけだけど……面倒事になるのかな?」
挑発的だと受け取られてもおかしくないほどに、自身がこの場で強者だと疑わない自信に満ち溢れた圧力。
しかし、その言葉に素直に従おうとする者がいた。
「一国のお偉いさん相手に流石に手を出すのは一商会としては、分が悪い。落ち着け、カレン。こっちのメンツが守れる状況が作れるのか、それともそこにいるラクランズにトドメをさす以上に価値のある情報がチャールズさんの伝えなければならない二つのことに入っているかを確認してからでも遅くはないでしょ」
拡声器で船上から大声でカレンを説得したのはコニーだった。コニーの言っていることはド正論で、特にアメリカの大統領を相手に攻撃をふっかけることは単純に状況を悪くするだけだった。カレンも頭では理解しているのだろう。
片足を小刻みにゆすらせながら必至に怒りを抑え始めているのがわかる。
「すまない。先程、少し嫌な目に付き合わされてまして。ストレスから挑発的な態度をとったことを詫びましょう。申し訳ない」
その場で軽くチャールズが頭を下げてみせた。国の、八角柱のトップが言葉は軽いとは言え、頭を下げたという事実だけがその場を収めるには十分すぎる効力を発揮した。
しかしそれ以上に謝罪をしただけで、以降の抗議の発言を抑止するかのような場の支配力があった。
「それでは手短にいきましょう。一つは今からここにクラークによる攻撃が行われます。そして、もう一つは天堂央聖、君たちパーチャサブルピースの社長が人質として捉えられています。前者は俺がなんとかしますが、まぁ、知ってるのと知らないのとではいろいろ違うだろうから伝えておきました。そして、後者はこの戦いを早期に切り上げることでそちらに決断する猶予が増えたことを意味します。助けに行くか、どうかを」
撤退命令が出ている上で、パーチャサブルピースが金で関係を築いているということを知った上での提案をされているとカレンたちは理解する。
逆を言えば、撤退命令が出ているにも関わらず、脱出経路の確保としてここで応戦し続けているところへ仲裁としてチャールズが駆けつけたことによって央聖を助けに行く猶予が大幅に生まれたことに恩に着せる算段であることも理解できた。
「それと、暴れ足りない君のために戦場を……単刀直入に言えば俺を手伝って欲しいのですが、構わないでしょうか?」
この問に答えたのはカレンではなくコニーだった。
「いいですよ。カレンを無事こちらに返すことと、これで貸し借りなしの対等であるとしてくれるのならば」
カレンを借りていくことまでがチャールズの本心だったと理解できていたとしても乗らざる得ない言葉だと判断し、少しでもパーチャサブルピースの看板を汚さないためにと答えたコニー。社員全員がそこを理解した上で、コニーが口を開いていることを理解し、代弁していることに感謝しながら腹の虫の居所が悪いのを抑え込むカレン。
もしもカレンにその判断を任されていれば今のままでは感情任せに無下にしていた自信があったからだ。
「わかりました。そういうことにしておきましょう」
パンッとチャールズは手を叩き、話の終わりを否応なく決定した状況を作り出す。
「では、行きますよ」
そう言うとチャールズとカレンは姿を消した。
しかし、すでに別の所で交渉が済んでいたのか知らないが、ラクランズが微動だにしなくなったのがコニーを始め多くの社員に不気味さを感じさせていた。
「それじゃぁ、準備でき次第、救出に向かうわよ」
兎にも角にもみな、コニーの号令に従い央聖を救出するために動き出したのだった。
◇◆◇◆
「あぁああ」
大声を上げるカレン。瞬間移動でもしたように目の前の光景が切り替わり、そこには見たことないラクランズがいた。故に周囲の驚きの声に耳を傾けるわけでもなく、これがチャールズの言っていた依頼だと理解する。強者である自覚に酔いしれる直前でチャールズという強者に政治的にそして物理的に止められた憤りを捧げるべく大きく腕を振りかぶる。抑制されていない純粋な力が、ラクランズを、イーサンを襲う。しかし、ソフィーを苦しめた武術の達人のような機械でもカレンには通用しなかった。それほどまでに技を持っても馬力で敵わないということである。相手の攻撃を受け流すように関節を曲げ、交代するように反動をつけ、受けた攻撃を円の動きに習っていなす。
このすべての努力に対してカレンの振り下ろす重い一撃はあざ笑うように無に帰させる。
「クッ」
押し寄せる力を受け流すことも出来ず、徐々に徐々に命が削られるような嫌な音を軋ませながらイーサンは地面に沈んでゆく。一方的な天賦の才いや、生得的資質が、イーサンが獲得してきた今までの全てをあざ笑った。相性が悪いという一言で片付けてしまうのが、おこがましいとソフィーが感じてしまう。
そして、あっさりとイーサンはそのまま数秒は持ちこたえた様に見えたものの、大きな音を立てて頭を地面に押しつぶされていた。
「データを……」
そう言い残し、イーサンは動かなくなった。恐らく本体が培った様々な戦闘データをどこかに避難、いや後世に託したのだろう。そう予想ができるほど、イーサンは誰の目から見ても勝てる要素がなかったのだ。
しかし、勝ってなおカレンの攻撃が終わることはなかった。
「勝手に終わりに」
両腕を振り上げ、そこから響くバチバチとした音が大技を射出することを予感させる。
「するなぁあ」
轟音と共に周囲数百メートルが白い光で埋め尽くされる。ソフィーも茅影も止めるよりも先に自身の身体を守るための動作をとっていた。そもそも止められるものがこの場にいないというのはあったのだが……。
◇◆◇◆
「随分と……いや、これが普通なのか」
密室の中、カレブは外の轟音には気にもとめず、目の前にいるチャールズにそう言った。
なぜ、突然ここにチャールズが現れたのか、そういった疑問は一切なく、故にここにたどり着くまでの時間があまりにも早く感じたが、当然のこととして納得できたのである。
「君は、俺がここに来た理由をもう知っているだろう? それに随分と賢いようだし、ね。俺の持つこの蝋翼物に対してもある程度理解があるようだ」
チャールズは両腕についたブレスレットを見せながらカレブに話しかけた。リディアに全てを任せていたわけではないだろうし、何よりあれだけ幼い娘が家族間で全てを秘匿できるとは考えていないチャールズからしてみれば、言葉とは裏腹に、賢さに関係なくカレブが【夢想の勝握】についてある程度知識があるのは当然だと思っていた。
問題は、そのある程度がどの程度の知識なのかという点でもあった。
「そこで、できれば君の意思でクラークの発射を止めてもらえると俺としてはとても助かるわけだけど、いかがだろうか?」
「残念だけど、俺は自分で後始末がしたいんだ」
カレブの返答を聞いてチャールズは全てを理解する。
「やっぱりそうなんだね。では、君はそこで大人しく見ているんだ」
「はい」
チャールズの言葉に先程まででは想像もできない、反対意見を取り消す了承の意で返事をするカレブ。この時点でカレブの魂が常人を逸していないことはチャールズの範疇で証明された。
ないわけでもなかったが、一抹の期待を裏切られチャールズは短くため息をつく。
「執念……か。まぁ、いいや。でも、このまま君の意思を捻じ曲げて止めさせるのは違うよな。最後の切り札、いや、自分が失敗した時の保険にさせてもらうよ」
そう言ってチャールズはカレブに背を向ける。
「俺が止める、そう約束したからな」
誰かさんと違ってと感情を、真相を漏らしそうになるのを我慢しながら外へ出るのだった。
◇◆◇◆
「どうしようもない親だ。過保護すぎる」
ラクランとマデリーンに挟まれるような戦況に、正直な感想を吐き捨てる紘和。
「それじゃぁ彼女も正しくなれる訳がない。だから、諸悪を叩く前に、お前らも壊してやるよ」
「お前に何がわかる?」
「あなたに何がわかるの?」
「わからねぇよ。俺はお前らみたいな悪ではないからなぁ」
一方的で話にならない互いの主義主張だけが語気を荒げて響き渡る。だが、ここでもまたどちらかに加担するわけでもなく中立に両者を止めるだけの実力を持ったものはいない。友香ならばとアリスやタチアナは考えるが今の彼女にそんな気力が残されているとは到底思えなかった。もちろん、どちらかが倒されるべきでもある。どちらが一方的に正しいかはわからない。ロビンソン家は悲運な道を歩み、非人道的なことにも触れているが、情がわくかもしれない程度に愛がある。それを一方的に悪であるのだが、悪と決めつけて喚く紘和による独断の私刑には理不尽や若干の嫌悪感を抱くのは人としておかしなことだろうか。だから、手は出さず静観を選ぶのだ。
もちろん、今回正されるべきはラクランやリディアであると頭では理解した上で、自らその罰を下すという手を汚す行為を避けるように、勝つのが紘和という正義であるとわかりきって丸投げするのだ。その手に今、紘和が何を握っているのかはわからない。それでも純というブレーキを持たない紘和が、蝋翼物を持つ最強が戦うということはそういうことなのである。もはや聞くことはなにもないと判断した、実力の一端を見せる気になった紘和の一振りは圧巻だった。
たったそれだけで断末魔すら残さない一撃がラクランとマデリーンを跡形もなく宙に飛散させた。
「……さて、戻ろうか」
清々しさを覗かせる顔は、病的な狂気を肌に感じさせるには充分だった。
◇◆◇◆
「お前は、イギリスの時の」
「……はい、俺は知らないけどお前は知っている有名人パターン。まぁ、お目当てはこれでしょ? ようやく身元引受人が来てくれて助かったよ。俺も忙しいからさ」
マーキスたちが向かった先、央聖が囚われていると考えたラクランがいるであろう応接室には床に転がった央聖の頬を人差し指でツンツンしている純だった。
「まぁ、誰かが助けに来るとは思ってたけど、君たちのところの社訓に従うなら、助けに来ないことが正しいと思うけど……やっぱりあるの? 人情っていうか連帯感……いや、良心が、さ」
もっともな疑問にマーキスたちの誰もが答えない。
「即答できない……か。まぁ、実際、まだまだ金儲けの才覚を失うわけにはいかなかったり、一応恩を感じてたり……感情を抜きで即座に答えられるほど簡単じゃないか」
そう言うと純はスッと央聖の元から離れてマーキスたちの方へ近寄る。臨戦態勢に入るのを隠すことなく、敵意をむき出しに構えるマーキスたち。しかし、純は何もせず、マーキスたちの横を通り過ぎ、出口へ向かっていった。気味の悪さに背後をとった純の姿を追う事ができず、その場で棒立ちになってしまう。そして、キィという音と共に扉が開けられるのがわかる。だが、そこから閉まる音は聞こえてこない。ゆっくりと音を立てずに閉める理由が思い浮かばず、まだ背後に純がいるのではないかと想像してしまう。
好戦的で、かつて敵と見定めていた側のユーインですら大人しくしている、というのが純の放つオーラに気圧されているということがわかる。
「今回は、あまりやることがなくてつまらないから安い殺意で適度な運動ができればと思ってたけど……挑んでこないとは賢いね、みなさん。大丈夫、臆病だな、なんて思ってないから。その判断は傭兵として実に大切な感性だよ……つまらないとは思うけどね」
純の言葉を聞くだけのマーキスたち。
「それじゃ、俺はいくよ」
バタンと扉の閉じる音が聞こえる。それでも緊張の糸は切れない。ドアを閉めただけでまだ室内にいる可能性があるからだ。気配の有無ではないと理解している。そして、二分を数えたところでマーキスはゆっくりと振り返った。
そこに純の姿はなかった。
「なんなんだ、あいつは」
純の姿がないことを確認してドッと息を吐くマーキス。純は自分の向けた殺意を安いと言っていた。しかし、マーキスたちが感じていたものは全く違っていた。煽りのような言葉すらどうでも良くなるほどの不気味なオーラ。何が危険なのかはわからないが、危険であることは間違いなく、その危険が人生を左右しかねないほどに危ういものだということだけが、皆の共通認識にあった。そういうレベルの何かを押し付けられている気分だったのだ。だからこそ身の安全を確保できたと思った面々はそのまま緊張の糸が途切れ、大きく息をつくのだった。
◇◆◇◆
適度な運動をしたかったというのは、嘘偽りない純の本心だった。これから純は決死の覚悟で、一樹のために、約束を果たすのに充分かを身を以て確認しようとしているからだ。もちろん、己の敗北を、いや死ぬ可能性はないと疑ってはいない。
イギリスの地でアリスを前に己の強さを、無意識下で再認識したからだ。
「人間……ねぇ」
ボソリとつぶやいた純の真意を理解できる者は、この場にはいない。ただ、今までの積み重ねもあるのだろうが、意図的ではなくても他者を怖気づかせることはできるのだと純は先程理解した。
やろうと思えばできる、ではなく何も考えていなくてもその領域にはすでにたどり着けているのである。
「まぁ、久しぶりに遊んであげられるわけだろうし、気分を沈めている場合ではないですな」
純はそう言って頬を両手で軽く叩き自身を鼓舞する。そして、扉を開けた先の第一声を考える。気分はもう大会の決勝戦である。純は自身のおもちゃに会うべく扉を蹴り開けた。
◇◆◇◆
「さて、準備運動無しでいきなり本番行ってみよう」
応接室を後にした純は再びリディアの元へと戻ってきていた。
リディアは大声で扉を開けて入ってくる純に驚かされていた。
「どうして、ここに」
リディアの疑問に純は即答する。
「どうして? 君はわかってない。君がしてきたことを理解していない。だから俺が来たことのありがたみがわからない。あのアメリカの正義の味方は君を許したろう。だが、日本の正義の味方は視野が狭い。それはアメリカの正義の味方もわかってだろうに、随分と脇が甘い。いや、こうなることを事前に、と考えた方が自然なのかもな」
純が語り始めるのと同時に妙な揺れを感じ始めるリディア。
「つまり、君は今ここで死ぬはずだった。でもね、それだと困るんだ。困るんだよ。先を見ている人間にとって君は大切な存在だ。君が死んでしまっても出来ないわけではないが、君が生きていた方が舞台が整う。それだけだ、それだけのために俺は」
揺れが一瞬止んだかと思うと、床を突き破って人間が現れる。
「仲間を止めなければならない」
満面の笑みでそういった純は、全く真逆の見下すような冷めた目でリディアを見る紘和を捉える。
「よぉ、紘和。まさか、別れてまもなくまた会えるとは思わなかったろ? しかも、お前と対立関係で」
「いや、リディアを殺そうと思った時には、こうなるだろうと、なんとなく予感してたよ。お前は俺を桜峰さんたちを助けるために向かわせたわけじゃない。俺がリディアに殺意を向けさせるためにその背景を向かわせたんだろう? 違うか?」
純は目を見開く。
「驚いた。お前の被害妄想もそこまできたか」
嬉しそうに純は答える。
「まぁ、今更理由なんてどっちでもいいさ。悪は滅ぼす。お前は関係ない。でも八つ当たりするには十分俺をからかってくれてるとは思うけどな」
紘和はどこまでも冷めた口調を崩さず、ゆっくりと動き出す。
「安心しろ、お前の願いを叶えるまで、俺は絶対に死なないからよ。どんと来いよ、正義は置いといて私怨まみれでさ」
周囲を無視して最強が自称人類最強とぶつかった。
◇◆◇◆
今までにも死闘と呼ばれる戦いは行われてきた。最強と最狂がぶつかったことも、最強と最凶がぶつかったこともそれに該当するだろう。もちろん、自称人類最強がイギリスの希望やブラジルの勇気とぶつかったことも、だ。そして、最強と自称最強が接敵ギリギリまでのことは多々あった。それが今、過去に類を見ないものとして、周知に認識されるほどに、桁外れの何かを周囲に放っていた。つまり、今回の一連の騒動の関係者はみな、遠い場所で起こったこの空気の震えを感じとれるはずもないのに肌に感じ、そして理解したのだ。
自分たちの知らない、得体の知らない何かがぶつかるという意味を。
「幾瀧……純」
クラークの迎撃に動いていた最凶は戦いの行われている方向を見て、己の意思で、全身全霊で相手をしようとしていた人間の名を口にする。この選択は本当に正しかったのだろうかと。
本当はまだ奴の手を借りずとも自分の手で考えることが出来たのではないだろうかと。
「……」
言いたい、叫びたい、その全てを飲み込む。いくら後悔しても、こればかりは一度きりだと理解できているからだ。だが、考えさせられるのである。それだけの力を自称人類最強は持ち合わせているのだから。そして、最凶は自分の拳を固く握りしめてなすべきことをなすため、上空へ移動するのだった。
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