第五十三筆:5360-4

「ようやく見つけたぞ、カレブ・ロビンソン」


 ダッシュ社からあまり離れていない住宅街の一角に、追ってくるラクランズに最小限の迎撃をしながら茅影とソフィーはたどり着いていた。茅影の膨大な情報量とソフィーの指示によりなんとか突き止めたカレブがいるとされる場所だった。向かう先にラクランズが多く配備されるようになってからはほとんど核心めいたものがあったが、扉を蹴破り待ち伏せされていない時は逆に場所を間違ったかと錯覚させられていた。

 それでも、ここ一体の電力消費を考慮して家宅捜索をすると地下の一室にカレブの姿があったのだ。


「見つかっちゃったかぁ。……と言ってみたものの俺に何の用ですか?」


 二人からしてみても明確な理由があったわけではない。

 ただ、ラクランの関係者で未だこの事件の舞台に立っていないカレブに打開策を見いだせないものかと当てをつけて着ただけだった。


「パーチャサブルピース社の人たちかぁ。つまり、社長と交換するための人質ってところかな?」


 状況を把握していることを身内だからこそ当然と言う事も出来るが、こうなることをまるで想定していた様な言い回し雲行きを怪しくする。

 そう、まるでこうなることがわかっているのにも関わらず、何故かここにいたと思わせる状況が二人に不気味さを伝播するのだ。


「俺だけ話しててもなんかアレじゃん? もしかして、君たちもクラークの一件を阻止しようとしてるの? 全くさっきの二人が計画というか、俺の措置に気づいた事自体が不思議なのに、どうなってるんだよ」

「クラーク?」


 ソフィーの問い返しに目を細めるカレブ。


「いやぁ~、おしゃべりが過ぎたかな。君たちはどちらかと言えば俺の最初の予想通りの理由で俺を探してたわけか。いや、普通はそうだよね。異常事態に俺も頭がおかしくなって冷静さを欠いてたみたいだ。失敬失敬」

 問い返した言葉が、この状況で三大兵器を示すことはソフィーたちも理解できている。問題はなぜ、一国を衛星軌道上から壊滅状態に追い込む兵器が話題に上がっているか、である。いや、話題に上がっているということは発射されるかの駆け引き、最悪発射される状態にあると考えることもできる。とはいえ、話の流れ的に推察する話になるが、なぜ自国に対して向けているのか、だ。一方で、自国でなかったとしてもその駆け引きなどを自身に納得させられるかは別の問題である。

 何せ確実な死が大規模に宣告されているのだから。


「だったら、危険でもなんでもないし、殺しちゃってもいいかな。まぁ、無理しないでこの敷地から追い出してくれればそれでいいよ」


 明らかにソフィーたちにかけられた言葉ではなく、第三者への指示だと判断し、近くにラクランズが潜んでいるかと警戒態勢に入る。攻撃は天井から降ってきた。


◇◆◇◆


 紘和たちはパーチャサブルピースが去った後、さらに下に部屋があることに気づく。紘和いわく集中すれば反響する音や見聞からこういった空間把握は容易であるらしい。ポーラはそのことに関しては一切口を挟まない。それは肯定も否定もしないことを示している。邪魔をすれば勝ち目がないことがわかった上での合理的な判断なのかはわからないが、紘和たちが地下へ続く階段を見つけても行く手を塞ごうとはしなかった。

 そして彼らはこの国の技術力の根源を目撃する。


「マデリーン・ロビンソン」


 彼女がそこにいたわけではない。しかし、彼女がいたという記録がそこにはあったのだ。無数のマデリーンという女性のデータが記録されている。いつ何処で何をしていたかだけではない。その時の気温、湿度、体温、体調がびっしりと事細かに記録されているのだ。

 それはストーカーが想い人の写真を部屋一面に貼る様な、第三者から見れば気味の悪い光景がデータとして四方を囲むモニター、そして机に乱雑に置かれたノートなどにびっしりと、びっしりと記されていたのだ。


「やっぱり、始まりはアンナ様と……やってることは私たちと同じなのね」


 既視感から得たピースが音を立ててはまるのをタチアナは、そうであって欲しくなかったと思いながら実感する。マデリーンの死が全ての引き金だったのだと。

 ではその引き金で飛び出たものは何になったのだろうか。


「監視カメラの映像、写真や手記による痕跡……極めつけは、記憶……か」


 紘和の言葉通りマデリーンはデータによって、情報の一つとしてここに集約されていたのである。ロシアで肉体に記憶を催眠で転写したものとは大きく異なり、機械に実際のデータを記憶として内蔵したものをラクランは死者の蘇生として用いようとしていたと推測するのはこの場のロシアでの一件を知るものならば容易だった。過去にラクランとアンナが接触し、意見交換した理由も互いに似た何かを感じ取った故に起こったことなのだろう。だが、人体実験というカテゴリーで括ったとしてもアンナとラクランには大きな隔たりがあった。

 それは、ラクランは人から記憶を抜き取り、その人間をラクランズに置き換え、廃棄しているという、無差別にも等しい殺しを行っている点である。


「どいつもこいつも私利私欲のために……反吐が出る」


 資料を見て、吐き捨てるように言った紘和の言葉は恐らく、今までの全ての事件を総括してのことだろう。タチアナと紘和では捉え方は異なり、紘和にとっては全てが私利私欲ならば五十歩百歩なのだろう。犠牲の数ではなく、利己的か否かなのである。しかし、真実はまだまだ顔を水面下に潜めていた。

 それに気づいたのは資料を片っ端から漁り始めて十五分程経過した頃だった。


「おいおいおいおい、どういうことだ。どういうことなんだよ。これは」


 紘和が声を荒げてデータを比較する。

 ほぼ同じタイミングでタチアナが眉間にシワを寄せ、信じられないものを目にしたような驚きの口を作る。


「どうかしたんですか?」


 資料を読んでも内容が難しく頭に入ってこなかったアリスは、未だ自身の行いに後悔するようにブツブツと言葉を吐きながら隅で座っている友香のそばにいながら黙々と進められていた調査の進展を見守っていた。すると突然大声が室内に響いたのである。

 何かあったと確認をしてしまうのは、興味の有無に関わらず、のことだった。


「えっと」


 紘和が応えないため、タチアナがその答えをアリスに説明しようとする。しかし、あまりに衝撃的な内容に考えがまとまらず、一度出かかった言葉が喉の奥へ引っ込んでしまう。

 そんな中、ただ一人、冷静なまま真相を口にしようとするものがいた。


「ついに、ここにある記憶の中にラクランから……私の夫から抜き取られたものがあると気づいてしまったのですね」


 明らかに今までとは違う雰囲気で喋りだしたのは、ポーラだった。


「ここまで優秀なら、調べ終えてしまう前に、私の口から真実を語らせてもらいましょう」


 そして、ポーラはオーストラリアの、ロビンソン一家の全てを語り出した。


「はじめまして、私はマデリーン・ロビンソンに限りなく近い何か。これから長い家族の話にお付き合いくださいね」


◇◆◇◆


 ラクランズは、マデリーンが死んだことによって始まった、ラクランによる最愛の人間を生き返らせるための計画の一部で副産物でしかない。ラクランがこの様なことを始めてしまったのには、二つの要因が存在した。一つはラクランがマデリーンと出会っていたことで、死者を記憶と機械で蘇生させられると思えるだけの技術力と知識を持ち合わせてしまっていたこと。そして、もう一つは何よりも家族を愛していたからである。そう、いくら前者の理由があろうとも実行するだけの理由は後者が飛び抜けていなければ始まらない。そして、ラクランはマデリーンを愛し、マデリーンの愛した息子カレブと幼き娘リディアの母親を亡くした故の曇った笑顔を取り払うべくマデリーンを蘇生させる道を選択してしまったのだ。

 だが、数年後一つ目の壁にぶつかる。それは、記憶として形成させるだけのデータがあまりにも足りない、ということだった。素体となるアンドロイドの稼働も順調だったかと言われれば人間のようにを目指す都合上、怪しい話ではあった。しかし、作業をする手が止まるような事態はなかった。一歩一歩確実に改良が重ねられていたのである。つまり、何とか出来ていたのである。だからこそ、ラクランは写真や日記といった親族からのみ得られる記録ではツギハギの荒が目立ち、再現が不可能であるというどうしようもない事実に頭を抱えさせられていたのだった。

 そこでラクランが着目したのは想い出だった。主観が混じり、記録としては曖昧だが、そこは複数の想い出を参照することで整合性の取れた記憶へと変換すればいいと考えたのだ。ただ、結局の所、伝聞では数に限りがあることは明白だった。眠りから覚めて夢を覚えている人が少ないように想い出を想い出としてアウトプットできる数は多数あれど、その精度には限度があるのだ。だから、ラクランは脳に直接聞くことにしたのだ。そして、ラクランは罪を犯す。八角柱という地位を手に入れ、人の人生を買い……記憶を、他人の脳を摘出したのだ。結果、地位と金だけで全てを隠匿していたラクランはその不祥事を明るみにさせること無く、思いのままに研究を続行することに成功したのだ。ただ、それでも完成させるには、ラクランが納得するには遠く及ばなかった。単純にここまでやってもマデリーンの情報が不足していたのだ。

 しかし、次の解決策は他国から導入される。それがロシアの愛のアンナ、当時ライザだったその人によってだった。世界的研究発表会の場で肉体そのものが持つ情報量に触れた論文を発表していたのだ。同時に、直感的にラクランは着地点が同じ可能性、すなわち、誰かを生き返らせようとしているのではないかと察し、接触したのだ。八角柱では知り得なかった側面を研究者として体感したのだ。互いに死者の蘇生を望んでいるとはもちろん、言わない。しかし、どちらもそれを察した上で互いの情報を公開した、と思えるほど互いの研究の根幹になりえない中核部分を軽々しく教えあっていたのだ。その結果、ライザは記憶を、つまり誰かを洗脳して人格を作り上げることで、完成したものを植え付ける方針を手に入れ、ラクランは肉体を、つまりマデリーンの遺体から本体そのものの情報を獲得することを思いつき……実行したのだ。


◇◆◇◆


「想像できるかしら、死体を掘り返すということを」


 マデリーンは問いかける。


「人が寿命を迎える衰弱死、病気に抗えなかった病死、不慮かもしれない事故、悪意を向けられてかもしれない他殺。そうやって人は死ぬキッカケを待ち続けている。そんな順番を待つ中で他人の死体を見ることは生きていれば何度か経験するでしょう。キレイにしてもらって箱の中にいるかもしれないし、原型をすでに留めていないかもしれません。ただその遺体を再び掘り起こしたり、ましてや自分の目の前で風呂敷を広げようとする経験はそうそういないでしょう」


 問いかける。


「その遺体が関係者なら、愛しい人ならなおさら、死んでいる姿でもう一度見たいとは思わないから……精神的にくるものがあるでしょう」


 第三者が金品目当てで掘り起こすのとは訳が違う。死別したはずの者が姿形を変えて、再び自らの手で表舞台に姿を現すのである。その姿形はもちろん当時の面影無く、だ。紘和以外の誰もが、その光景を言葉にされたことで明瞭に想像してしまいゾッとしたのがわかった。向き合うことが全てではない。それを真正面から自身の手で行うのだ。

 胃からこみ上げてくるものが、心臓を圧迫する精神不可が、狂気のようにねっとりと当人を蝕むのは明白だった。


「彼はそれを嬉々として実行したわ。そう、事情をカレブとリディアに説明してから、非難されながらも、自分の行いに間違いはないと確信して、ね」


 そう、ラクランはすでに狂気に蝕まわれ、正気ではなかったのだ。

 だから掘り返せた。


「そして、私は骨のまま大切に……そう大切に、情報を引き出すためだけに細かく細かく砕かれ、研究に使われたの」


 愛しい人を生き返らせる過程で、愛しい人を傷つける。物理的に、合理的に、粉々に磨り潰す。

 想像できた人間が、みな目的に反してはいないのかという疑問と共に嫌悪を感じずにはいられなかった。


「ひ、酷い」


 やっとの思いで友香の口から出た言葉であった。傷心しきった彼女からすれば、愛しい人が自身を生き返らせようとしていることを知っている彼女からすれば、そんな単調な一言にも重みを感じさせた。

 だが一人、確実に現状を正確に理解し、マデリーンの話に純粋に疑問を持てる者がいた。


「あなたには、死んだ後の記憶もあるのか?」


 紘和の一言に、マデリーンが悲しそうな顔をする。


「そう……あなたはそういう方なのですね」


 ボソリと放ったマデリーンの言葉はまるで警告するような、失敗した誰かの二の舞を想像しているような言葉だった。


「そう思われようが、俺は突き進む」


 堂々と言い返す紘和にマデリーンはため息をついて答えとする。

 そして、話を再開する。


「いいところに気づくのね。それは、これから話すわ。まぁ、想像はできてしまっているのでしょうけど」


 目を伏せ、遠い昔の、どこかの国のおとぎ話をするように、淡々とマデリーンは続けるのだった。


◇◆◇◆


 ラクランのマデリーン蘇生計画は再び暗礁に乗り上げていた。ラクランの目の前にいるマデリーンを詰め込んだラクランズは確かに、マデリーンの声帯で言葉を話す。ラクランと会話をすれば今まで共に人生を歩んできた伴侶のように記録された事実を正確に口にする。そう、事実を口にするだけだった。感情の起伏というよりは想い出に対する思いが足りず、マデリーンであると思えないことが、ラクランが躓いている要因だった。

 今まで想い出の品から始まり、他者の記憶、さらにはマデリーン本人の遺骨まで用いて実験を繰り返し続けた。その結果であるにも関わらず、納得のいく成果を上げらなかったのである。当人にしてみれば積み上げてきた罪に対する罪悪感よりも、ここまでしてもまだたどり着けない人の蘇生という壁に研究者として絶望することの方が大きいと感じるまでに気が狂っていた。だからこそ、あと一歩、あと一歩のはずなんだと自身を確信のない根拠で奮い立たせてなんとか完成形に持っていこうとする気持ちだけが、今後の計画の道筋を立てよう脳を、身体を動かしていた。

 そこでラクランは気づくのだ。気づいてしまった。マデリーンの遺骨に決して劣らない素材が身近にいることを。カレブとリディアという最も近い近縁者にして、マデリーンとの想い出を持つ素材があることを。マデリーンを失って悲しむ子どもたちの笑顔を取り戻そうとしていたはずの男は狂気に目的を見失い、自身のためだけにマデリーンを生き返らせなければと研究に取り憑かれていたため、このおぞまし結論が間違いだとは到底気づけなかった。

 そして、事件は起こる。今思えばこうなることは必然だったのかもしれない。息子、娘の母親を生き返らせるために遺骨を掘り出すことを説明し、それをすり潰し平然と実験に使うような父親を不審に思わない、恐怖を抱かない子はいないだろうということである。だから、いつか自身が実験台になるかもしれないと身構えた彼らは対抗策をすでに講じていたのだ。

結果、寝込みを襲ったラクランは娘の、リディアの首を締めている間に布団の中に隠されたナイフで胸を貫かれて驚きと同時に声にならない悲鳴を上げて床に転がったのだ。そして、ラクランの言い訳や静止に聞く耳を持たず、追撃でナイフを突き立て続けたのだった。それは死にたくないという精一杯の防衛本能とこの時が来たら自分が終わらせるんだという少しの責任感からなした無我夢中の出来事だった。大きな音で目が覚めて駆けつけたカレブはその光景を見て気分を害されはしても、止めようとはしなかった。

 死んで当然の父親だと思っていたからだ。


「どうしよう、お兄ちゃん」


 カレブは床一面に滴る血の中に返り血を浴びて震えながら佇むリディアを見た。やっちゃったと自身がやった行いがどういう結果をもたらしたのかイマイチ理解出来ていないような、そんなぼんやりとした表情がそこにはあった。当たり前だがカレブもラクランに襲われる日が来るとは思っていたが、当日を迎えてから先のことを考えていたわけではない。実際にこんなことになるなんて、が現実になった瞬間である。それはならなければいいも内包していたのだ。だから、どうしたらいいかと問われてカレブが即座に正解を答えられるはずはなかった。

 そう簡単に兄として、妹を今後導く立場として、リディアに答えを与えることはできなかったのだ。


「取り敢えず、隠す。その前にお前はその汚れた服を捨てる準備と……」

「お兄ちゃん」


 リディアは血溜まりをパシャパシャと駆けながらカレブに抱きついた。その勢いにカレブは少しよろめくのと同時に返り血をじっとりと感じていた。そして、リディアが胸の中で恐怖と罪悪感から泣いているということだけが震える手から伝わってきた。だからカレブは頭を撫でようとする。しかし、そこで始めて自分の手もまた震えていることにカレブはようやく気づいた。だから撫でようとした右手を左手で掴み震えを無理やり抑え込む。

 一呼吸置いてカレブはリディアの頭を撫でた。


「大丈夫、俺が守ってやるよ」


 言葉は震えていなかっただろうか、しっかりと出ていただろうかという兄として妹を守らなければという矜持だけが己を支えようとする。


「う……ん」


 だから、カレブの言葉に必死で返事をしようと涙ながらに応えたリディアの反応にカレブは少し安心する。


「それじゃ、一旦、身体を洗ってこい。それまでに考えておくから」


 そう言った後もしばらくの間リディアはカレブを抱きしめ続けた。しばらくして、落ち着いたであろうタイミングでソッと涙をこらえながら部屋を後にしたリディア。

 そして、部屋で一人になったカレブは血溜まりに横たわるラクランを見下ろして言った。


「どうして、俺の方じゃなかったんだよ」


 こうして兄妹はさまざまな思いを抱えたまま、それらを自分たちの内に秘め続けることを選択したのだった。頼るべき存在が、いないのだから。


◇◆◇◆


「やぁ、リディア。そっちは大丈夫かい? こっちはパーチャサブルピースの人に襲撃食らってるよ」


 待機させていたバーストシリーズで茅影とソフィーを部屋から追い出したカレブはリディアに電話をかけていた。

 もちろん、全ての状況は把握しているが、それでも気分を和やかにするためか、状況を確認するように自然な流れで会話を始めていた。


「クラークを起動したってどういうことなの、お兄ちゃん」

「証拠は消さないとだ……大丈夫、俺が守ってやるよ」


 聞いたことのある言葉、言ったことのある言葉に互いが理解する。リディアはカレブがすでに壊れてしまっていたことを、そしてカレブは自身がラクランの息子であるという事実に。


◇◆◇◆


「出来た」


 そして幸運なことに、しかし、これもまた必然であったのだろう事態が起こる。遺体をどうするかとなった時にリディアの素質が垣間見えたのだ。つまり、蛙の子は蛙だったのである。マデリーンとラクランの間に生まれ、その環境に近い場所で生きてきたリディアは純粋に賢かった。故に、リディアはラクランとマデリーンをラクランの研究をものの数日で紐解き再現し、遺体がないという事実を生み出したのだ。

 リディアとカレブは遺体をどうするかに当たり、黒い噂のあったラクランの書斎に入り、様々な研究データやコネクションを探ることから始めた。そこでリディアはどうやってマデリーンを生き返らせようとしているかの詳細を知り、理解することになる。そう理解してしまったのだ。その結果、ラクランの遺体を元にラクランを一から作り上げることと、マデリーンを完成させてしまおうと考えたのだ。それは、罪を背負うということに対する幼いながらの現実逃避だったのかもしれない。そして、死してなお、研究を完成できるのなら、という親孝行のつもりだったのかも、否これも現実逃避だったのだろう。何はともあれ、リディアはラクランズを用いてラクランとマデリーンを作りあげようとし始めたのだ。

 だが、これを機に不幸もまた必然的に迫る。それは兄として妹を守ろうとしたカレブが自身の存在意義を喪失してしまったということである。カレブはそもそもラクランを殺す役目は自分にあるものだと考えていた。リディアにその罪を背負わせたくないというよりも、兄としてその責任を背負いたいという心構えの問題だった。そもそもカレブはリディアに比べて自身が歳上であるにも関わらず、同じ腹から生まれてきたにも関わらず、劣っているという自覚があった。故にリディアを守ると言ったあの言葉には若干酔っていた。しかし、蓋を開ければ事後処理すらリディアが完璧にこなしてしまおうとしている。だからカレブは一つの提案をした。せっかくならこの国を、オーストラリアを自分たちの家にしてしまわないかと。遠い昔、日本が行った鎖国のように、ラクランが死んだという事実を自分たちが成り代わることで維持し続けられないかと。隠すのではなく、その嘘を誠にして表舞台を影から支配しようと。目の前の作業に忙しかったリディアはまだカレブがこれからやろうとしていることの生き地獄を理解することはできなかった。故に、残された家族二人という強い縁が訴えるままに、オーストラリアをその手中に収めることにしたのだ。


◇◆◇◆


「そして結果はこの通りよ。いつかこうなる日が来るとはわかっていたけど……ついに来てしまったって感じね」


 マデリーンの話を最後まで聞いて普通に会話を始められるのは、もちろん紘和だけだった。


「つまり、あの八角柱のラクランは本当はラクランズで、現状、あなたたち両親をより本物に近づけるための人体実験は娘と息子がやっているということですか?」

「いいえ、リディアはある程度の管理を行っていて、実際に研究を続けているのはラクランよ。未だに死んだという自覚もないまま、そしてラクランズであることに違和感を持つことなく全てをこなしているのはラクランです。ただ、武器売買などこの国の利益に関することは全てカレブが一任していたはずです。ここまで大きく育ったのも息子のなんとかしなければという感情が先走った結果だと言えます」

「そうか……どうして止めなかった? 親として」


 紘和の抑揚のない質問に場の空気が張り詰めるのがわかった。

 いけないことを止めない、それが誰の何のトリガーになるかはバカでもわかるだろう。


「もちろん、何度か意見をしたことはあるわ。このままではいずれ限界が来ると」


 一呼吸。


「でもね、私たちは結局ラクランズであって本物ではないの」


 マデリーンの本物ではないという言葉は、体験談から生み出されたと断言できるほどに説得力を感じさせられる。


「それは本気で止めようとした結果なのか。それとも本物には及ばないと、本気でやっていないのも関わらず導き出したラクランズとしての最適解なのか?」


 紘和の言葉にマデリーンは答えなかった。


「なら、俺が責任の取らせ方を教えてあげないといけないな」


 紘和の言葉からにじみ出る殺意をこの場の誰もが瞬時に察した。

だからこそ、我が子に迫る危機を排除すべく素早く動いたのはマデリーンとそしてもう一人。


「させないぞ、天堂」


 天井が崩れ落ちた。


◇◆◇◆


 マデリーンが紘和たちにオーストラリが抱えるロビンソン家の闇を聞いている最中、災禍の中心にいた男と純が対峙していた。


「助けに来たよ、天堂さん……って気絶してるの?」

「どうしてお前が」


 ラクランの驚きの顔に実に満足そうにする純。


「どうしてって、そこにいる人間が俺の仲間の父親だからね、人として助けてあげようって思ってるわけだけど……それとも、暴走するあんたを娘さんの代わりに止めに来てあげたと言った方が聞こえはいいのだろうか?」


 ニヤニヤしている純にラクランは事態が急を要していると理解する。

 ラクランズを通して見てきた眼の前の人間の驚異はまさに、第二者にとっての厄災でしかないのだから。


「人助け? それがお前の目的でなく、結果的にという意味なら僕にも理解できるのだけど」

煽り返すことで、純の加虐心を増長させ時間を稼ごうと試みるラクラン。リディアと接触しているかはわからない。それでも、純が目の前に立ちはだかるということはすでに紘和も入国済みで、陸との接触も済ませていると考えるのは妥当だろう。今までの経験上、必ず陸を追跡する過程で多くの国に打撃を与えてきたのだ。ラクランもそうなる前にことを済ませるはずだったが、ロシアでの傷の完治が予想よりも早かったということになる。

そして、打撃を与えるという点でいえば、最悪すでに地下研究所には直行済みで、リディアの秘密にも自身の秘密にもあらかた見当をつけている可能性すらあった。

「……まぁ、そうなんだけど」


 純はラクランの反応を見てふと何かを感じたのか、訝しむような目で人差し指を頬に数度当てる。


「例えば、何だけど」


 話し始めた純の口元が緩んでいるのがラクランにはわかる。


「もし、下の方に……ゆーちゃんたちのフォローにいった紘和がさ。いや、自称正義を執行する男がだよ、この国で行われたことを知ったらどう思うと思う?」


 歪んだ純の表情から出てきた言葉の意味が初め理解できずにいたラクラン。


「どうせ今頃、お前たちの怠慢を目撃して、あの馬鹿は怒り心頭だよ。ここに来るまでにも随分俺がストレスを抱えさせてたしね。つまるところあれだ、あいつはこの世界を守るためなら一国ぐらい構わないと思える人間で……天堂さんならわかるでしょ、息子の異常性。でだよ、非人道的な行いをしているこの国を、非人道的なことをして許されている誰かを……」


 ラクランは全てを理解し、動いていた。しかし、ラクランズとしての反応速度を持ってしても純の横を通り過ぎることはできなかった。きれいに左手で顔面を捉えられ、そのまま尻もちをつかされてしまったのだ。

 そして、純はラクランを見下ろしながら言葉を続けた。


「殺してしまうかもしれないよ」

「そんなことしたら、許さねぇぞ、クソガキィイイ」


 ラクランは感情的に目の前の悪意に吠えた。


「ハッハッハ」


 そんなラクランに満足したように純は高笑いする。

 そのまま腰を下ろして戦闘態勢に入りながら言葉を続けた。


「いい反応だな。やっぱり、こういうヒールな状況っていうのはいいもんだ。あんたがラクランズのくせに随分とラクランみたいなのが実に実に……興味深い」

「そこをどけぇええ」


 ラクランと純がぶつかった。


◇◆◇◆


 床が抜け落ち、机や棚が壊れ、がらくたのようにあたり一面にぶちまけられている中、純は気絶して倒れている央聖の頬を叩いていた。


「おーい、起きてくれよ。おーい」


 時間にして約十五分ほど適当にラクランをあしらった純は、ラクランのラクランズとしての戦闘能力と戯れることに満足し、当初の目的通り、紘和と戦わせるために横を通していた。


「ったく、一応約束だし、こいつを無事パーチャサブルピースの誰かに手渡すべきなんだろうけど、来るまで暇なんだよなぁ。だからさ、独り言みたいで恥ずかしいから起きてくれませんかね。おーい」


 天堂家の血筋を引いていないということはもちろん関係ないが、ここまで戦闘力のない人間が戦場を歩けるものなのかと純は央聖の肉体の貧弱さに若干哀れみを感じながら意識が戻るのを見守るのだった。

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