第五十二筆:7-7

 友香が自身のしでかしたことに頭を真っ白にする少し前。同じ戦場では他に二つの衝突があった。その一つであるタチアナとポーラが担当する戦場ではタチアナが絶望的な感情を抱いていた。まだ負けたと決まったわけではない。ただ負けるかもしれない確率が跳ね上がった現状があったのだ。タチアナからしてみればここは任せて先に行け状態でアリスを友香の元へ向かわせたのには勝算があると思っていたからである。つまり、合成人とバーストシリーズでタッグを組めばバーストシリーズ二体とも釣り合いが取れると考えていたのだ。だからこそ、少しでも己の士気を高めるために、言葉使いを素に戻し、軽く両足で跳ねながら肩を上下させて、さながらボクサーの様に振る舞いリラックスに軽い準備運動を済ませた矢先、隣にいるバーストシリーズが戦闘に関しては普通のラクランズと大差がないと言ってきたのである。圧倒的不利対面ここに完成、である。素に戻していたからこそ、露骨に顔に出てしまっていたのだろう。それをポーラが眉間にシワを寄せ、口を半開きにしているタチアナに不服の色を見せつつも笑っていた。

 機械のくせに。そう心の何処かで悪態をつきたくなるぐらいに自然な表情と反応だった。ラクランズは人間に近づこうとしていると最初に会った時にポーラは言っていた。特にポーラに至っては感情というプロセスを他より大切にしている節が見られたような気も、今ならしなくもなかった。

 ならば、なぜタチアナ達に付いて来たのかという点に置いても、人間というカテゴリーからも特殊な立場のサンプルと捉えれば、人間の感情という未秩序の度合いが大きいからとデータを収集するという観点からも合理的に考えられるような気もしてきた。


「え? じゃぁ、勝てるの?」


 タチアナの口から出てきた言葉は頭の中で考えていたことよりもしっかりと現実を見ていた。

 その現実の先には首をかしげるポーラがいるのだが。


「はぁ」


 タチアナがため息をつくのは何も間違っていない。

 しかし、その行動に疑問を持つものが一人、いたとしたら。


「どうしたのですか、タチアナさん。ため息なんてついて。早く桜峰さんを助けに行かないと」

「いや、それが厳しいからため息が出る……」


 聞き覚えのある声に何の違和感も持たずに返事をしてからタチアナは第三者の声に自分が返事をしたと気づく。しかもなぜ、聞き覚えのある声がここでするのかと。つまり、タチアナは本来、この声を聞くことはない状況にいる人物と会話をしたということである。

 だからタチアナはゆっくりと振り返りながら声の主を見つける。


「どうして、あなたがここに」


 日本へ純と一緒に帰国していたはずの男、紘和がそこにいた。


「ここに来るべき時だったからって奇人なら言うだろうね」


 本当に純がいいそうなセリフを、苦虫を潰したような顔で紘和は言うのだった。


◇◆◇◆


 紘和が純と共にオーストラリアに到着したのはほんの数時間前の話であった。


「さて、そろそろいい具合に煮詰まってきただろうから美味しいところだけかっさらおうか。オーストラリアに行くぞ、紘和」

「……思っていたよりは待たされなかったな」


 紘和は父親である央聖がいると聞かされた段階で殺意を煮えたぎらせて現地へ行こうとしていた。そこを事態の収束を現地にいる人間に担わせたいと言って引き止めたのが他ならぬ純であり良いように言いくるめられていた。

 しかし、一週間と待たずして純は駆けつけようと言い出したのだ。


「何だよ。お前、結構色んな人のことを過小評価してるだろ?」

「そんなつもりは……」

「いいか? 俺でもない限り、全ての人間は平等に無能でそして有能だ。お前も例外じゃないし、詰まる所今オーストラリアにいるお前の父親含めて、みなそうだ」


 沈黙。


「ははは、偉い偉い。反論しなかったのは偉い。だから、その秘めてる思いは今からできるだけ早く向こうに着けるようにと温存しておけ。なぁ、タクシー」

「あぁ、何を成せばいいのかは移動中に聞くとするよ」


 言葉だけを置いて、二人の姿は忽然と消えてオーストラリアへと移動を始めていたのだった。


◇◆◇◆


「取り敢えず、【最果ての無剣】を使ってここまで来ました。俺はこっちの援軍とアイギスの無力化をするように言われてます。そして、俺は純と別れてここまで一直線に来ました。だからしばらくはあなたたちと行動する予定です」


 苦虫を潰したような顔で紘和が、自分がどうやってここに来たかを簡略的に説明する。援軍というワードに心強さを感じつつもアイギスの無力化という不穏なワードが引っかかる。だが、タチアナにとってはこの場をしのげるという安堵感の方が勝っていた。それはタチアナが正面を向けばわかるレベルで、先程まで立ちふさがっていたバーストシリーズが切り刻まれ機能を停止しているのだ。

 能力の詳細も分からぬまま不利状況を一変させてしまう戦力に、それはもう安堵するだろう。


「ほら、行きましょう」


 その言葉に背中を押されるようにタチアナは紘和と共に友香の元へ駆け出した。


◇◆◇◆


 発光。それがミアというバーストシリーズの持つ固有の力である。蛍光灯の様なものを想像してしまえば、人の役に立つ便利な機能の範疇と捉えられるぐらいだろう。一方で、可視光という観点から見れば、見る側を制約することで様々な指示を送ることも可能である。だが、戦略兵器としての本領を発揮するならば、まさにこのグレアである。相手の自由を奪うだけの光を、角度、光量、はたまた周囲の明度に合わせて放つことが可能となっているのである。光が一切ない空間をその場で作ることは難しい。一方で、光を生み出すことならば密室を作る必要性も別になく、時間帯や場所を問わないという発想で対人兵器として開発されたのである。ましてや、それが増幅の能力を持つビリーと共に使われたと考慮すれば、反射された光がより強烈なものとなりパーチャサブルピースの全員が動きを止めるのは当然のことであった。

 さらに、ビリーが敵を二分する時に兵器を主体とするパーチャサブルピースを選んだ理由は、増幅による銃弾などの操作がしやすいと踏んでのことだった。めまいにより視界が奪われ、一瞬動きが止まろうとも、最初に見た位置に向けて攻撃することは難しい話ではない。それが武器を扱う人間ならなおさらで、銃は放つだけで殺傷という目的を簡単に達成することが出来る。

 それを逆手に取り、光や音と同じ要領で自身の身体にある多様な角度をつけたパネルを反射させ、高速で銃弾を送り返し、確実に反撃を反撃で制するための布陣をとったのだ。


「っぶしーな、クソが」


 ただ、一瞬動きを止めた人間が合成人でなければの話である。身体の炭素を表面に出し、骨から剥がれるように流動的に動く肉体は瞬時に前進を再開する。ユーインの視覚自体も視細胞が護られるように変異した肉体に覆われていたため、復活が早かったのである。

 そして、味方が乱雑に撃った銃弾もビリーによって威力が増幅された銃弾も物ともしない強靭な肉体がバーストシリーズの頭部を安々と砕くのだった。


「かわいそうに」


 視界が僅かに戻ったマーキスが誰にも聞こえないぐらいの声量で、有能な兵器がより有能というだけであった化け物に蹂躙された姿を見て言った。

 そして、確実に機能停止をさせるため、自分が持っていたライターを残骸に向けて投げる。


「燃やせ」


 先程よりも人に聞こえる程度のマーキスの声に反応する銃声が一つ。ケイデンの放った銃弾がキレイにライターを打ち抜き、バーストシリーズに引火させる。

 そして、火が大きくなるに連れ、目が回復し、全員がアイコンタクトをとり活動を再開する。


「いくぞ」


 マーキスの号令に全員が頷き返すと、ターゲットである陸の元へと駆け出すのだった。


◇◆◇◆


「さて」


 陸は四体のバーストシリーズの反応がなくなった時点である程度の覚悟を決めて、対応が出来るように刺さったナイフを抜いていた。それなりに苦労して手に入れた支配権を破壊で突破してくる人材に、己が相対する人間という存在の強さを再認識する。

 だからと言ってここで終わるようなたまではないことを自分自身でよく理解している。


「使えないのは遺物としての異能まで、か。武器はあるものだという認識を変えることが難しいのか、それともまだ力に制限があるのか余力を残しているのか」


 アリスの背中を飛び越えてから大ぶりな一撃を振り下ろす紘和の攻撃を陸は容易く交わす。その結果は紘和に陸が現在【想造の観測】で【最果ての無剣】の出現させた遺物の異能をないものとして扱わせるまで制限させられるまでに今は拡張されていることがわかった。実際の所、今までよりも確実に【想造の観測】本来の力を扱えるようにはなってきている上で、その対象に選べる数、範囲が増えているのは確かな様だ。

 逆に言うと【最果ての無剣】は存在しないもの、またはただの剣であると認識するためには、まだ知識と普遍的なものへと思考するためのプロセスが足りないという【最果ての無剣】n情報量の多さが伺えるというものでもある。


「警戒するぐらいなら、そこで立ちすくむ離脱者を抱えて戦況を立て直してはどうだろう?」

「劣勢になったわけではないし、個人的にお前の今回の標的を理解しておきたいからそんなお誂え向きのご都合展開はないよ」

「……そうか」


 紘和の【最果ての無剣】を無力化され田植えで【想造の観測】と【環状の手負蛇】を持つ神格呪者を前に劣勢ではないと言い切ったことに羨望の皮肉を告げようとして、結局陸はそれを胸の内にしまい穏便な言葉を口にした。紘和からすればあくまで事実を言ったまでのことであり、その事が事実であると陸は理解しているからだ。それに、明らか様な敵意があるわけではないようで、紘和は前に出たきりその場に立ち止まったまま、陸ににらみをきかせ牽制しているだけの様にも見えた。

 どちらかと言えば後発組からの圧力の方が強い。


「お前ならジェフ様の考えを少しは分かってたりするんじゃないのか? 教えろ、オラァ」


 人と捉えるには難しい形をした物体が憎しみでコーティングされた殺意を向けて陸に黒い拳を本体と思しき箇所から複数伸ばして叩きつける。それを軽く後方へ跳ぶだけで回避する。そして、着地点に置かれるように放たれていた弾丸を視認し、軌道が逸れているものと認識することで弾丸を回避させる。不自然な軌道に狙撃手のこめかみが動く。だが、そこで追撃が終わることはなく、女性の鋭い前蹴りと男性の振り抜くナイフが眼前を捉えようとする。

 明らかに脚に何か大掛かりな仕掛けを取り付けている女性の攻撃を回避することに専念したため、ナイフが軽く頬を撫でる。


「ふぅ」


 血がたれ始める前に傷を塞ぎ、一息入れる陸。


「さて、どうやって逃げたものか」


◇◆◇◆


 陸を追い詰めた状況。紘和は仲間を守ることを主体としたような動き、パーチャサブルピースは友香が使い物にならないと判断し、自らで陸を排除する動きを取り、状況が佳境に迫っていると感じさせる。そんな中、タチアナだけは何かに引っかかりを覚えていた。それは、この場にあるべきものがないということである。何があるべきものなのかはわからない。ただ、この施設の攻略を始めた時から感じていた既視感。その既視感を確実なものにするものが足りないのだ。足りなければ、それはそれでいいのかもしれないが今までの流れがどうしてもその何かの存在を匂わせるからこそ、探してしまう。ここ最近の自身が関わった大きな事件を改めて振り返る。友香が擬似的に蘇生されるものの優紀が陸に取り込まれたとされている一件から始まる。次はイギリスで新人類がジェフに恩を返すべく反旗を翻す。そしてロシアではアンナが新人類と合成人、【漆黒極彩の感錠】の力を使い、擬似的に肉体に記憶を入れることで死者の蘇生を試みる。

 タチアナは脳内で指差し確認のように並べた事実を反復して足りないピースを具体的なものに仕上げていく。


「悲恋と蘇生」


 ボソリと口から出た言葉で確信に変わる。最深部まで来たのに、ラクランが秘匿したいであろう何か、モノがないということに。

 それが恐らくラクランがラクランズを作るに至ったキッカケであるはずであり、悲恋と蘇生にまつわるものなのではないか、と。


「最悪だ」


 そしてこの考えは間違いではないのだろう。何しろラクランにはマデリーンという最愛の人を失っているという条件まで揃っているのである。つまり、この戦いはエンドロールを迎えるには早すぎる可能性があったのだ。


◇◆◇◆


 パーチャサブルピースの猛攻をいなす陸はタチアナの口から核心をつく発言がされたことを見ていた。この世界で核心に迫れるということは彼女も何かしら特別なのだろうかと陸は考えていた。偶然で片付けるにはあまりにもだが、推察に推察を経験から重ねれば出てきてもおかしくはないだろうという点がその特異性を肯定する判断材料としては一押し足りないと言った感じだった。

 こんな悠長な考えを巡らせているが陸は現在【環状の手負蛇】の対策がなされているためか、採血されない立ち回りを徹底するパーチャサブルピースに反撃を見出せずにいた。もちろん、ここから逃げることを最優先としているため無理に力を使って圧倒しようとは考えてはいない。

 だが、厄介事に巻き込まれる前に現場から立ち去りたいと思う気持ちが強くなった瞬間ではあった。


「仕方がない」


 そう言うと陸の動きがピタリと止まったように見えた。そのぐらい周囲には流れる動作に対する静の瞬間と次に見せた表情の苦悶のギャップが激しかったのだ。そして、損傷した箇所から血を流しながら、陸は誰の目からも明らかに姿を消したのだった。


◇◆◇◆


「どこいった、クソヤロォがぁああ」


 拳を振る先を見失ったユーインが乱暴に周囲の床や虚空を手当たり次第に叩く。

 パーチャサブルピースだけでなくただ一人を除いた全員が何をされたか理解出来ていない中、その唯一理解している紘和だけが納得していた。


「そうやって逃げるのか」


 関心にも似た言葉がゆったりと重みを持って紘和の口から溢れる。


「逃げたのか?」


 紘和の言葉にいち早く反応したのはマーキスだった。

 陸が逃げたという事実はマーキス、ひいてはパーチャサブルピース全体の利益であり、確認の必要なことだったからである。


「逃げましたよ。いつものように跡形もなく」

「そうか」


 マーキスはどうやって逃げたのかと追求はしなかった。説明を受けた所で自分たちがわからなかったことに問題はないからである。それは同様に、紘和が嘘をついていたとしても信じる以外の選択肢がないということでもある。ただ、この状況で嘘だとすればそれは、紘和を出し抜くだけの力が陸にはあったか紘和と陸が裏でつながっているということになる。後者に関しては、むしろお釣りが来るほどの情報という弱みを握るという点でアドバンテージであるため問題がない。

 つまり、最悪なのは、嘘はついていないが事実と異なる、陸の実力が紘和を超えていたという前者にあたるのだ。


「撤収するぞ」

「信じるのですか?」


 マーキスは答えない。ましてや紘和の方に振り返ろうともしない。それぐらいの殺気が隠されることなく放たれているからだ。つまり、先程までの真偽の思案に関係なく、自身の身を守るための指示だった。恐らくこちらを向く部下たちは正面からその気に当てられ、マーキスの真意を掴んでいることだろう。

 そう思えるほど、臨戦態勢が見受けられるからだ。


「えぇ、だからこの場は穏便にいきませんかね」


 後ろは振り返らないで殺意に応える。


「普通に考えれば、無理だろう。この場で戦場に金を見出す害虫を見逃すというのは」


 普通に、と引っかかる言い方をする紘和の次の言葉を皆が待つ。


「引き止めて申し訳なかった」


 言葉とは裏腹に殺意がマーキスの背中をザクザクと射抜く。脚が一歩前に出ることすらままならない。そんな恐怖を目の当たりにしているのだ。冷や汗がじっとりと服に染み込むのがわかり、体感時間をゆったりとしたものに変化させる。一歩、一歩とマーキスが心の中で連呼して何かはわからぬ限界を感じているとポンッと背中を押されるのだった。

 マーキスはその助走のまま背を低く小走りする。


「行くぞ」


 その言葉にみな素直に従いながらパーチャサブルピースは退却した。


◇◆◇◆


「やれやれ、あなたは優しいですね」

「そっちの往生際が悪いのではありませんか?」


 紘和がマーキスの背を押したタチアナに素直な感想を述べると、嫌味のこもったアドバイスが返ってきた。


「それで、どうして見逃したんですか?」


 そのままタチアナは素直な疑問を投げかける。


「まぁ、圧倒はできたでしょうが、一応、桜峰さんの安全を考えた場合戦闘を控えるのを避けた方がいい、と思ったのが建前です。本音はこの先にあるものを彼らに見られて戦火に自由度を与えてしまうことを懸念したためです」

「やっぱり何かあるんですか?」


 やっぱりというタチアナの言葉に紘和は顎に手を当てながら興味深いものを見るような目で答える。


「ある。ただそれが悲恋や蘇生に関係するものかを俺は知らされていませんが」

タチアナのことを見透かすように答えたそれで、タチアナは全てを理解したように言葉を発することを止めた。

これから純の指示でここにきた紘和と答え合わせをすることは間違いないからだ。

「それで、大丈夫ですか、桜峰さん」


 ここで紘和は思い出したように未だに顔を伏せ、手を震わせる友香の元へ近寄る。


「……なかった」


 聞き取りづらい声。


「……せなかった」


 しかし、何が言いたいのかはその場にいた誰もが理解しているため、友香の言葉は言葉として耳に届いている。

 それは、紘和に応えるわけではなく、ただ声がした方に今の自分の心境を訴ええるだけの心の防衛手段であった。


「敵なのに、終わらせないといけないのに、私が撒いた種なのに、殺せなかった。殺せなかったの」


 ある意味当然の結果であった。普通、人は人を殺せない。人を殺すには多くのエネルギーを消費するからだ。邪魔をするのは感情であり、それを排除するのが状況と、皮肉にもまた感情である。初めての殺人に成功するということは、状況と感情が最高にリンクしてしまったか感情が欠落しているのである。戦争中か、死に瀕しているか、倫理観がない幼い者か、それらを置いておけるものか。勢いだけでできることもあるかもしれない。だが、親しい人を前にそれを出来るかはさぞ難しいだろう。

 だから、初めての殺しから今まで、躊躇なく殺しを続けている紘和には到底理解できないことであった。


「それは、足りなかっただけだ」


 覚悟が、愛が、信念が、理想が、努力がと知らぬ人間は、呼吸をするように出来て当然だった人間は残酷な言葉を平気で吐く。

 それらがあってもできないことであるにも関わらずに、だ。


「それは違う」

「それは間違っています」


 紘和の言葉にアリスとタチアナが同時に異を唱える。少なくとも紘和よりも殺すことに対して常に何か葛藤をしいるからこそ出た言葉だった。殺せないこともあると。その言葉に友香はダムが決壊してように泣き崩れる。一方で、抗議の声をあげた二人の目を直視した紘和は目を背けるために後ろを向く。そして、自分に足りない人間らしさを目の当たりにし、誰も見えないところで歯ぎしりするのだった。だからといって寄り添おうとい気はない。あくまでもただの、一時の自己嫌悪なのである。


◇◆◇◆


「あれ、もしかして俺たち出遅れた?」


 紘和に乱暴に捨て降ろされて置いていかれ、それでもきちんと着地し最短で目的地まで駆け抜けるため紘和が通ったであろう道を辿っている純。そんな途中で見知った顔とまだ実際に見たことのない顔があった。

 ただどちらからも敵意のこもった顔だけが純に向けられた。


「そんなに睨まないでよ。俺はオーストラリアが地図から消える可能性を阻止しに着ただけだよ。むしろ感謝の眼差しが欲しいぐらいなんだけど」

「あなたも同じことをおっしゃるのですね」


 疑いを隠しきれない視線を向けるのは純とは初対面であるリディアだった。


「へぇ、それを交渉材料にしてお国の力で無罪放免で最終的には拉致監禁ですか、最凶さん。どうやってすんなりここまで来たのか。大丈夫なの、立場とか。ここ他国だよ」

 自分のことは棚に上げ、リディアの返事から全てを見透かすように、この場にいるもう一人、チャールズに話を振る純。


「ヘッドハンティング、と言ってもらいたいですが……この問答ってやる意味ありますかね?」

「ないな。でも、淡々としてても面白くないだろう? だから付き合え」

「やれやれ」


 純とチャールズの間では確定した出来事、そして二人は何かしらの利害関係で繋がっている、ということまではリディアでも推測できた。ただ、繋がっている理由が皆目検討がつかなかった。一国の長と一般人が、ここまで堂々と話を進めているのだから。


◇◆◇◆


 コンコン。


「はい」


 ドアを軽く叩く音に入室してもいいという意味で、返事を反射的にするリディア。時間的にはマーキスとの交渉が済み、純がここへ合流する少し前になる。

 約束通り暴走したラクランを止めることと、これから訪れるであろうチャールズにどうこちらの状況を隠し切るかで頭がいっぱいになっていたためにあまりノックに対して注意を払っていなかった。


「随分と忙しそうだけど、大丈夫かい?」


 だから声を聞くまで入ってきた人間が誰か気づけなかった。慌てて振り向いたリディアの先にいたのは、最凶にしてアメリカの正義、チャールズだった。そして、驚きのあまりこの状況がおかしいという事実にリディアはまだ気づけていない。もちろん、偶然の可能性はあるかもしれない。

 しかし、八角柱でありオーストラリアの知恵であるラクランの元にではなく、リディアの元へ真っ先に訪れて来たのは、来訪の案内をしたのがリディアだったとはいえ、ラクランと話し合い視察をするという内容だけだっただけにおかしな話なのだ。


「早かったのですね。ラクランなら……」


 パーチャサブルピースの社長を人質に戦線を拡大させようとしているとは流石に答えられなかった。


「いや、あなたでいい。リディア・ロビンソン。君が今までラクランの代わりに全て担ってきたことは知っているし、僕はそれを咎めるつもりはない。……全くこれは言ってもいい内容なんだから、基準があやふやだな」


 最後のボヤキは全く持って意味不明だが、まどろっこしい話は抜きにして単刀直入に話を進めたいという姿勢は感じ取れ、それが逆にリディア頭を真っ白にさせる。

 なぜ、目の前の男はそれを知っているのかと。


「あなたは気づいていないかもしれませんが……って聞いてますか?」


 明らかに聞いていないリディアを見て、チャールズはそっと自分が持ち込んでいた未開封の水の入ったペットボトルを差し出す。


「申し訳ない。取り敢えず、これでも飲んで落ち着いてください」


 リディアは悟る。淡々と主導権を握り、話が自分の思う通りに進むと確信している、抵抗しても意味をなさない存在が今のリディアにとってのチャールズなのだと。だから、ペットボトルを受け取ると、それをためらいなく口へ運ぶ。水が喉を通り、ゴクリと音を立てるたびに、鼓動が緩やかになっていくのを感じた。

 そして、ペットボトルから口を離すとリディアは問いかける。


「要件を聞くにしても、こちらのことをどこまで把握しているか知りたいのですが、よろしいですか?」


 明らかにすっ飛ばしたいという意思を顔に示したチャールズにリディアは畳み掛ける。


「信頼が大切だとは言いませんが、要件を聞くと言っている以上、差支えはないのではありませんか?」

「随分と落ち着いたようですね。ただ、こちらとしても時間がない。さらに言うなら、蝋翼物を使ってしまう、という手もあるのですが、それを避けるのが僕の信頼の証だと思っているのです。わかりますか? つまるところ、選択肢はないのですが、僕はあなたが選ぶことを尊重したいのです」


 圧力の差が出た瞬間であった。経験ある者、力ある者がない者に一方的に理解させる力。

 現状切れるカードがないと、落ち着いたが故にわかっているためリディアは素直に主導権を少しでも取り返そうとすることを諦めた。


「それでは話を進めます。あなたは気づいていないかもしれないが、現在ここが三大兵器の一つクラークにより証拠隠滅のために狙撃されようとしています」

「え?」

「やはり、あなたには心当たりが無いようですね」


 リディアからしてみればチャールズの話を鵜呑みにすれば、チャールズには心当たりがあり、リディア自身に心当たりがないということは、すなわち、三大兵器を自由に動かせる人間は自ずと一人に絞られる。


「もちろん、俺がお兄さんを罪に問うつもりはありません。しかし、リディアさんが粛清を望むならば、この一件が終わり次第、ご助力いたしましょう」


 全てをチャールズが先回りのように言う言葉からリディアが把握できていると決めつけての展開が続く。


「問題は、クラークに対抗しうるアイギスが防御に間に合わない点にあるわけで……俺がそれを阻止してみせましょう。つまり、査察は建前で正規の入国をした上であなた方を助けに来たわけです」


 トントン拍子に話だけが進み、本題に差し迫る。リディアはこの応対でチャールズの真意を聞かざるを得ないのである。

 故にリディアは聞き返す。


「その見返りは、何を要求するのですか?」


 リディアにはどうすることもできない状況下でわざわざ恩を着せ続けてきたのである。

 それは全てリディアからこのセリフを引き出すためだけに用意された舞台なのだとリディアは理解できていた。


「技術力の提供と八角柱として無理をしない程度にこちらの研究開発チームへの合流をお願いしたいのです」


 何の研究開発かを聞いたところで恐らく欲しい答えはすぐに返ってはこないとリディアはわかっている。同様に拒否権が存在しないことも。普通に考えればオーストラリアを救ってもらった上でコチラが抱える複数の問題を解決してもらえると考えれば応じることはやぶさかではない。

 それでも、一方的という主従関係を結ばされるような感覚がリディアから即決の意思を削ぐのであった。


「あれ? もしかして俺たち出遅れた?」


 そこへ珍入者が現れたのである。


◇◆◇◆


「仮にあなたの提案を受け入れた場合は、何を要求されるのでしょうか?」


 リディアはこの状況が見えていたというもう一人の珍入者に、自身の選択肢を増やすための問をする。

 少なくともこれでチャールズとの対立構造を生み出すことが出来るかもしれないと思ったからだ。


「なんだよ、随分話がスムーズじゃないか。てか、俺もそいつと同じことが出来るって評価なのは地味にありがたいね。いやぁ、俺って有名人」

「有名人だよ、少なくとも八角柱の間じゃね。ロシアに行く時、襲撃させたろ? 忘れたのかい?」

「そうだった。そうだった。ちなみにリディアさん、俺なら見返りはいらないよ。無償で請け負おう。どうだい?」


 無償という単語が出た瞬間、場の空気がピリッとしたのをリディアは肌に感じた。そして、その発生源は顔色一つ変えていないチャールズだということはわかっていた。

 純がしたことは交渉でもなく、ただの喧嘩の安売りだからだ。


「もしかして怒った? だったら、そっちも困っている人を助けると思って、その善良な心のまま手を差し伸べればいいだけじゃないか。俺みたいに」

「それがどれほどの強者にのみ許された言葉か考えたことはあるかい。俺は戦場で銃を背負った子供の助けてという声に何一つ疑いもせず手を差し伸べられるほどの強者じゃない」

「……重いねぇ。紘和が言ったらバカにしてやるところだけど、あんたが言うと違うよ」


 リディアに向けるのとは明らかに違う敵意むき出しのチャールズの会話。リディアはその会話に干渉してはいけないことだけは理解していた。だからこそ、終わらせる必要があった。

 少なくともリディアにとっていい方向に転がるように。


「ただより高いものもないし、何よりギブアンドテイクはお互いの利益のため行動するから信用できるわ」


 拍手。


「よくできました」


 リディアの発言をまるで期待していたかのような間髪入れずの拍手の音に、思わずその場の誰もがギョッとする。


「と、いうわけで俺は代わりに紘和の大嫌いなお父さんでも助けて借りを返すとしようかね。それじゃ。いや~、面白かった」


 そう言うとこちらを一切見ず、そして了承を得ないまますたこらとこの場を後にしようとする純。


「面白い……か」


 チャールズがボソリとつぶやいた言葉、そして今日イチの殺意を感じ、リディアは何も言うことができなくなった。一方、時を同じくして、パーチャサブルピースの中にもオーストラリアにクラークが照準を定めているという情報を手に入れていた者たちが現れていたのだった。

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