第四十六筆:7705-10

「全く、私以外に私の言っている言葉の意味がご理解いただけていないのだろうか? 私は商談をしようと申し上げただけ。構えられるのも、それに対して構えるのも本来であれば間違いであるべきですが……」

「ラクランズ、いやこの場合はロビンソンさんに売られたと言った方がいいんですかね。そんな立場の身からすると、私団を引き連れて商談を持ちかけるというのはいささか聞こえが良すぎませんかね? 脅迫と言ってもらった方がまだあなたを信用できるのですが」


 央聖の言葉に敵意を持ってタチアナが返答する。数で圧倒している央聖側を見ればタチアナの反応は至極当然であった。

 しかも背後はポーラたちラクランズによって退路を絶たれていた。


「まぁ、そちらの言い分を否定はしません。先の言葉はちょっとした意趣返しだと思ってください。ただ、商談という言葉そのものに嘘があったわけではございません。話し合いの場が欲しいというのは本当ですから。それも、別にそちらに悪い条件というわけではありません。だから改めて、私にも立場というものがあるため部下が君たちの対応を見て殺気立ってしまった点は素直に謝罪しましょう。申し訳ありませんでした」


 一礼。


「それを踏まえた上で話だけでも聞いてみませんか? 席は用意してあります。ちなみに、桜峰さんには絶対に話を聞いてもらいたい内容なので、彼女が断ればまぁ、実力行使もままならないのですが……あぁ、あくまで話の場についてもらう、という範疇で、です。こちらとしてはどちらに転がっても都合がいいのかもしれませんが、穏便にというのが時に大切なことを知っているつもりです」


 友香を必要としているという点から神格呪者絡みであることはほぼ確定だろうとタチアナにも推察できた。問題はなぜ必要とされているのか、である。考えられる最も楽観的な範囲で行けば、【雨喜びの幻覚】の解析、及び軍事利用が筆頭候補に挙がる。莫大な利益を生むという観点では安直な発想でありながら、最も堅実的な着眼点と利用方法とも言えた。

 しかし、こちら側に悪い条件でないという項目に該当はしない。


「そもそもこんなこと私たちだけで決めるにはあまりにも事が大きすぎます」


 交渉したいと言われているにも関わらず目的を明確にしない以上、相手に優位な状況で事が進んでしまうことを嫌い、タチアナは央聖の思惑を考えるための時間稼ぎをする。

もちろん、この発言はその場しのぎではなく、実際にタチアナたちで決定していいかわからない問題でもあるので選んだ言葉としては間違っていない。

 央聖側がタチアナたちのことをリュドミーナの分裂体を介して知っているとすれば、嘘を言っているわけではないと理解できるはずだった。


「いや、申し訳ないがあなたたちだけで決めて欲しいのです。時間が惜しい……というのも本音ですがここで建前をいうのもそれはそれで癪なのでより根幹を申し上げると、正直、アイツらとは関わりたくないのです。どうしてか、などと聞かないでくださいね。嫌いなんだよ、心底、生理的に」


 時間稼ぎはやめろと言わんばかりに単刀直入に事実だけを口にした央聖。

 口調が崩れているところからも本心を口にしてしまいたいほど紘和、もしくは純を目の敵にしていることだけはよくわかった。


「さぁ、どうしますか。私も忙しい身なのでね、後一分ほどで決めていただきたいです」

「こちらに悪くない条件が何か言ってください。本当に悪くないのなら、私も話を聞いてあげます」


 タチアナが思考する間に、友香が先に本筋へ切り込んだ。つまり、自ら退路を断つ、相手の土俵に上がるという行動に出たのだ。恐らく友香は特に何も考えていない。正確にはタチアナとアリスのことや、その後のオーストラリアという国内での立ち位置への影響を、だ。つまり、条件というものが陸に関係あるか否かという二択で純粋に動こうとしているのである。いざ、本気で友香が逃げようとすれば、一人だけなら容易いだろうから。紘和も純もいない状態でバラけてしまうのは最悪である。そして、この最悪は央聖が必要とする理由の最悪とも被る可能性がある。そう、陸に対して央聖も何かをしようとしている、ということである。これならば、タチアナ側に悪い条件ではないと言ったことも理解できるのである。だが、目的が同じでも理由が決定的に違うことが火を見るよりも明らかである以上、その組み合わせは混ぜるな危険であることは明白だった。しかし、一度土俵に上がってしまったからにはその言葉をタチアナがひっこめるわけにはいかなかった。

 だからタチアナはひとまず友香に一人で陸と接触しようとするため逃げられる、もしくは厄介事を押し付ける形で逃げられるという最悪の状況だけは防ごうと考え、友香を見失わないように自身の探知できる能力を全開にするべくフクロウの形状をとった。


「私たちの、パーチャブルサービスの目的はオーストラリアに来ているツァイゼル、つまり九十九陸をロビンソンさんと追い出すことにあります。だから手を貸して欲しい。もちろん、追い出すにあたっていかなる手段も用いるでしょう。それこそ、最悪傷をつけることも厭いません。ただ、結果として追い出せれば私たちは構わないのです。協力してくれるならばこちらも最大限の力添えをします。それこそお時間を設けることだって、です」


 央聖が意図して言っているのかはわからない。それでも央聖たちの目の届く範囲に友香がいなかった場合、陸を攻撃する可能性を示唆しつつ、本会であろう陸との接触を協力的である姿勢を示すのは友香を引き止めるには最大限の効果があった。もちろん、仮にも実行されるとしたら逆鱗に触れることになるだろうが、そこはあくまで最終手段と匂わせ、追い出すまでの協定とことを運ばせたことは見事といえる点であった。ただし、仮にと言いつつも現状、すでに逆鱗にふれている可能性もあり、タチアナは自分より少し後ろで隣に立つ友香の顔を確認するのに緊張を隠せずにいた。嫌な汗が出て、顔がこわばっているだろうことが自分でも否応なくわかるのだ。明確な理由はわからないが、友香は執拗に陸を追い、自らの手で何かに決着をつけようとしている。そして、その邪魔をすれば例え仲間であろうと、ためらいなく殺そうとする現場を目撃しているだけに、傷つけられるかもしれないと匂わされただけで激昂している友香の姿が脳裏をよぎらないわけがないのである。つまり、ここで最悪の指し示すのが、友香がパーチャブルサービスに対して先手で攻撃を仕掛けることに変わったのである。戦いの技術はなくても友香は神格呪者の一人である。

 突き立てるもの一つあれば、央聖を死へ追いやるのは容易なのだ。


「いいですよ」


 落ち着きを払った友香の声が辺りに響く。それは響くの文字通り、周囲の人間に警鐘として身体を無自覚に強張らせるほどに、空気を震わせた。

 ただ肯定した言葉のはずなのにタチアナの目の前にいるパーチャブルサービスの人間が全員身構えるのが目でわかった。


「ただし」


 タチアナは勇気を振り絞って振り返る。

 そこにはこの場に似つかないぐらいの笑顔をした友香がいつから持っていたのか小さなナイフを右手に握りしめている光景があった。


「彼の相手は私がします。決して先走らず、私に対処させると約束できますか? その機会をくれると言っていましたよ、ね?」


 お願いではない。絶対的に揺るがない条件の命令が友香の口から抑揚なく、澄んだ声でくだされる。つまり、央聖は望んだ状況を作ったはずなのに一転、自ら戦いの火蓋をきるかどうかの選択を迫られる形となったのだ。タチアナとしては主導権を対等にもっていけるかもしれないチャンスなだけに、この状況で商談を成立させる席へ行くことは問題がなかった。いやなくなった。ただ、無差別に振り撒かれた敵視、殺意がその場の誰もに緊張を走らせた。それはラクランズですら戦闘態勢をより強固な構えに直すほどだった。もちろん、央聖が飲まなければ戦いは避けられないだろう。ただし、それも央聖が【雨喜びの幻覚】に対抗できるならばの話だろう。先ほどと変わったのはどちらが要求をし、話を通そうとしているかである。

 そして、友香が逃げるのではなく、戦う意志を示している。


「できるだけ早く答えていただかないと、私にも我慢の限界があります」


◇◆◇◆


 央聖は理解した。この女も破綻していると。息子の紘和が正義に狂うように、自身が金銭に溺れるように、純が狂乱に興じるように、友香は愛憎に取り憑かれていると。だから己のためにしか行動しない。信念を貫き通そうとするのではなく、信念を貫く存在。自己中心的とは少し違う、一貫性が乱れないから状況に依存しない存在。

 茅影から友香が陸に対して復讐心が強いと聞いていたから、央聖の手のひらで動かすための鎖として警告をしたつもりだが、それが仇となって今に至っている。戦力は整えている。ソフィーは央聖の代役として港に泊めてある船に待機させている。マーキスはまだ合流できていないが、ミルドレッド、ケイデン、ユーインを筆頭にした部隊を配備している。それでもオーストラリアにいるだけのメンバーで整えただけなのでパーチャブルサービスの最高戦力とは言えない。極めつけは神格呪者に対して勝てる算段がついていないということだ。そう、整えた戦力は決してここで損益を出すために用意したものではない。あくまで、優位な状況を作った上で一方的に商談を成立させるための威圧の意味を込めた戦力を整えたのだ。しかし、友香の復讐という目的を前にすれば戦闘部隊による数的有利も八角柱をバックに従えた権力的脅威も意味をなさないことが、今この状況で否応なく理解させられる。

 央聖は内心で己の不運を呪う。ここ最近の仕事は、誰かを使い現場にやらせる立場であろうとする央聖にとっては報酬以外好ましくないものが多かった。イギリスでの一件然りオーストラリアでの現在の一件も含めてである。加えて全て、紘和の仲間が央聖のプランを踏みにじるように関わってくるのだ。今までの人生で勝ち組のような道を歩んできた央聖にとってこれほど屈辱的に感じることが続くことはなかった。しかし、そんな苛立ちに心かき乱されている中でも、央聖はすでに答えを用意していた。自分の置かれた状況を冷静に俯瞰した上で考えをまとめていたのだ。

 先も言った通り、央聖もまた破綻しているのである。


「約束しましょう」


 湧き上がる感情を押し殺し、その先にある最大限の利益を得るために央聖は、友香の要求を飲む。


「では、この先のプランを煮詰めるために用意した部屋へ移動してもらいましょうか」


 そしてすかさず主導権を取り返すように話を進めようとする。


「わかりました」


 友香の了承に両隣にいたタチアナ、アリスも緊張の糸を解くのがわかった。それは三人共協力するという解釈を意味していると央聖は判断する。取り敢えず、ブレーキの効かない切り札を手に入れたことに央聖は少しの満足感を得たと自身に言い聞かせることで、多大な苛立ちを振り払うように友香たちに背を向け目的の場所へ移動を始める。

 こうしてパーチャブルサービスとラクラン、友香たちは手を組むことになったであった。


◇◆◇◆


 アリスは戦場に出続けて一つわかったことがあった。ここへ来るまでの道中で言ったことである。つまり、新人類として特別な力を手に入れて世界を思うがままに回す、少なくとも新人類としての力を持つ今ならば今ある劣悪な環境よりはましな環境を作っていけると思っていた。事実、新人類になったことでかつてとは比べ物にならない力と以前よりましな生活環境は手に入れることができた。しかし、驚異的な力を手に入れても、新人類という名前をあざ笑うように、アリスは自分が次の次元のステージに立てただけなのだと理解させられていた。見える世界は広がり、そして世界の広さを痛感したのだ。そして、更に上に行くために必要なのは自信や信念といった己を支える何かが必要だと思ったのだ。そう、更に上に行くには、である。本来であれば通過点である場所を目的地にしていたんだと実感させられたのだ。純や紘和を始め、先程の戦闘技術だけ見れば皆無の友香でさえ、圧倒的な存在感を放っていた。勝てないと少し震えるほどに、だった。少し前までなんとか利用できないかと感じていたアリスが強者と過ごすことで手に入れたのは力だけを手に入れ息巻いていた浅はかな自分像だった。

 もちろん、アリスに何か強い思いがないのかと問われれば、ジェフのためという強い思い、強くなろうとした動機が確かにあった。しかし、アリスは今となっては本当に自分がしたいことはジェフの口からどうしてこうなってしまったか聞きたいだけなのかと疑問を感じることがあった。そもそも自分にジェフの元までたどり着く力が、そしてたどり着いてどうにかできる力があるのかも疑わしいと感じ始めているのだ。つまり、自信が足りないのだ。故に何もかもが中途半端だった。

 ラクランズに偉そうに言ったものの、いっそラクランズのような機械の様な存在になって最適を見つけてしまった方が楽なのではないかと思うほどだった。


「まさか、こんなところであなたと会えるとは思っていなかったわよ、ユーイン」

「あまり驚いてないんだな」

「驚きはあったけど、イギリスを離れたのは私だけじゃないって知ってはいたからね。でも、あなた確か、ここに所属する誰かを襲撃してたんじゃないの? よく一緒に働けてるわね」

「そうだったんだけど、意識が戻ったらここにいた。後は社長にイギリスの革命がどういった思惑であったのか聞かされた上で正式に誘いを受けた。結構内容自体は良かったから後腐れがないならと俺は了承したんだ」

「どうして?」


 アリスは現在、中で行われている話し合いの場には参加せず、外の出入り口前で新人類の仲間であったユーインと出くわしていた。ユーインも同じく警護を任されていたということで、ぎこちなくも、アリスは気のおける仲間との出会いに自分の中の何かを聞いて欲しくて語りかけだしていたのだ。とはいえ、ユーインは昔から口数が多い方でもないので、おしゃべりは実に淡々としたものだった。

 それでも察する力は強いのか、アリスのどうしてという質問に対して、なぜ敵だった相手に寝返ることに抵抗がなかったのか、ではなくなぜイギリスに残らなかったのかに焦点を当てて応える。


「僕はやっぱりあの頃が好きだから……かな」

「ジェフ様が私たちを見捨てたのだとしても?」

「……やっぱりそこは引っかかる。けど、それは本人に聞いてからでも遅くないと思う。それにまでにお金はいくらあっても困らない。それだけの価値を生み出せる人類の発明だからね。だから出会えるまでに出来ることの一環として今を過ごしてる」


 ユーインからはアリスのような不安が伺えなかった。少し前のアリス自身をみているような気分になる。

 だから、アリスは慎重に言葉を選んだ。


「がんばって」


 慎重に選んだ末のそっけない声援。わかっているものの熱を込めて応援するほどの元気は今のアリスにはなかった。だからかユーインが少し不思議そうにこちらを覗き込んでいた。

 そして、ユーインが少し落ち込んだように見えるアリスを励まそうと選んだ言葉はアリスの心を震え上がらせた。


「仮に裏切られているのなら、選択肢は二つだよ。取り戻すか、捨てるか。お金は過去を捨てたとしても問題ないだろう?」


 ユーインは少し前のアリスではなく、少し先のアリスだったのだ。アリスに足りない何かを確かに持った存在だったのだ。だから、恐怖した。恐らくユーインをジェフに合わせれば最悪、殺してしまう可能性すら出てきたのだ。嘘はもちろん言ってないのだろう。ただ過去を捨てるために使うお金の形に、決別にそういった覚悟を感じさせられてしまったのである。過ぎってしまった可能性は、ジェフに再会したいと願っていたアリスにとって、自分と同じ気持ちでない同胞に敵意を覗かせかねないものだったのである。ユーインは自分の望む形を手に入れられるかの判断基準があまりに低く、そこに向けた努力を最小限で済ませようとしているのである。空っぽなのではない、本当に昔に戻れないならば、しかたがないと思っているのだ。

 しかし、アリスは自分の心の中で熱く滾ってくる使命感のようなものを同時に感じていた。ユーインは確かにアリスの思う次のステージに足をかけている。なんとなく立っていると思わない理由がそこにあるのだと理解する。ただ、今そのぶつけたいものを口にするのは避けるべきだと思い、アリスは返事をせず、前を向いてこの話は終わりという意思を示し、見張りを再開することを選ぶのだった。


◇◆◇◆


 ユーインはわかりやすいと思った。同じ悩みを抱えていれば、当然どうやれば背中が押せるかもわかる。孤児でありながらお互い同じ屋根の下で過ごしてきた時間は長かったのだから。つまるところ、先程の発言には嘘が混じっていた。捨てるという選択肢である。ユーインも何が何でもあの日々を取り戻すための資金が欲しい、その目的と手段のためにお金を必要としているのである。仮に、アリスの懸念のようにジェフに本当に捨てられているのだとすればどうすればいいのか、ユーインにはまだわからなかった。少なくとも捨てはしないだろう。そういう楽観的な、希望的感覚が抜けきれていない。新しい居場所はパーチャブルサービスという場所があるから、それまでは機会を伺うのだと思う。どうであれ、ジェフは育ての親で少なくとも共に過ごした時間で嫌悪感を覚えたつもりも、覚えさせたつもりも記憶になかったのだから。

 ちなみにユーインの思う同じ悩みというのは実はアリスとは微妙に違った。一皮むけたいという点では同じなのだが、ユーインは未だ、限界を感じていないのだ。ユーインはアリスと違って外の世界を知って日が浅い、というよりもアリスよりも濃い日々を過ごせていない。故に、不安はあれどまだなんとかできる力が自分にはあると信じているのだ。それは財力という点ではなく、新人類の怪力の特異個体としての力である。ユーインは確かにあの時、人間を相手に負けた。しかし、決して不利な戦いではなかったこと、そして特異個体という新人類の中でも特別であるという認識が成長の可能性をユーインの中に抱かせているのだ。だから、アリスとは力を持つという点で捉え方の深刻さが違うということなのだ。それでも、ジェフという存在が大きく、取り戻したいと思う中で、真実を本人の口から確かめたいと思っているのは共通しているのだ。だからユーインは本人の口から確かめたいならと、確かめられずに後悔するつもりはないだろうし、確かめたとしてもあの日々を取り戻したいだろうという意味で発破をかける要領で、ジェフとの過去を捨てる選択肢だってあるだろうと進言したのだ。

 そして幸か不幸かユーインはアリスの背中を押せた、押してしまったのだった。力に限界を感じ精神が摩耗していたアリスに余裕があるようにまで見えたユーインの言葉は、良薬を致死量投薬したようなものとなったのだった。


◇◆◇◆


 大きめの円卓に三勢力が座っていた。一つは友香とタチアナの勢力。一つは央聖と茅影、そして先ほど合流したマーキスと三人の部下を背後に立たせたパーチャブルサービス。一つはラクランとコレット、そしてパーチャブルサービス同様ポーラを含めた五体のラクランズを立たせるダッシュ社である。協力するとはいえ、互いが互いのことを信用していないような空気がピリピリと張り詰めている。友香たちからしてみれば、襲撃を受けたパーチャブルサービスとパーチャブルサービスに友香たちを売ったダッシュ社。パーチャブルサービスからすれば、そもそも好かない純や紘和と組む友香たちに、央聖を利用としているダッシュ社。そして、そんな敵視を一心に受けるのがダッシュ社ならば、自然と今の関係にふと亀裂が生じることを考慮しないはずがなかったからこその配置と人数なのだろう。

 しかし、だからといって誰が口火を切るかということに問題は特になかった。


「それで、九十九は今どこにいるんですか?」


 単刀直入な友香の質問から始まったのだ。こんな質問を真っ先にされて困る勢力が二つある。それは友香たちというよりはタチアナとパーチャブルサービスだった。当然だが、こういった場で何かを引き受けるに当たって無償で引き受けるというのは弱みを握られることに等しい。もちろん、友香にとってはこれ限りだし、九十九を見つける以外興味がないのは重々わかっている。しかし、何か条件を求めなければ、駆け引きがなければ保険がないのである。今の世の中、単に先程の口約束だけで確約されるほど安心できる世界ではないのだから。

 無論、この点に至っては友香に限りそうでないことはわからなくはなかったのだが。


「その前に、なぜオーストラリアが……ロビンソンさんが九十九を追い出そうとしているのか、教えていただきたいものです。協力することが決まったのです。理由を教えていただくことで、そちらの意図を汲むこともでき、有意義なものとなると思いますが」


 タチアナ以上に友香の身勝手で前のめりな行動に釘を刺したい央聖が待ったをかける。


「そう邪険にしないでください。こちらは巻き込まれているのですから」


 友香が無言で央聖を睨むが、央聖も引く気配はない。


「みなさんは、彼がなぜ、世界各国を渡り歩いているか考えたことはありますか?」


 ラクランの言葉が皆の注目を集める。央聖にとっては質問の答えであるものだから。そして、友香にとっては陸が優紀を使って何をしようとしているか知ることができるかもしれないからである。そう、友香はまだ優紀が何か目的を持って陸に協力しているという可能性を捨てきれていない。故にここまでの一連の流れに意味があるのだとしたら知りたいと思った。すでに知っていそうな人間はいつまで経っても口を開かないから。

 ラクランは友香と央聖に視線を送ると言葉を続ける。


「最初に申し上げておくと、明確に何をしようとしているかを存じているわけではありません。ただ、推察することができるぐらいに判断材料が揃っている、という話です」


 一拍。


「イギリスでは黒い粉と新人類に関する研究資料を、ロシアでは合成人の創り方に関する研究資料をその手中に収めています。そして今、ラクランズの情報を盗むために彼はここキャンベラにある僕の研究室に侵入しています」


 ここで央聖と友香は同時に先の解答をラクランから受け取ることになる。それでも気になるのはラクランの考えである。具体例を並べられればある程度の想像はできたとしてもそれを言葉にするということはまさに世界を揺るがす大問題でもあるからだ。

 しかし、ラクランは落ち着いた口調でそれを口にする。


「近い内に彼はこれらの技術を駆使して、人間の可能性に迫る何かをするか……世界に反旗を翻すだろう」


 誰もが予見した後者の考え。力を集める人間が考えていると考えられる構想。

 一方、前者に限っては少し考えさせられる内容だった。


「人間の可能性に迫る何か……ってどういうことですか?」


 その疑問をいち早く口にしたのは友香だった。

 それに対し待ってましたと言わんばかりにラクランが口を開く。


「新人類、合成人、そしてラクランズ。この言葉を聞いてみなさんは真っ先に兵器と成り得るものを率先して獲得していると思ったことでしょう。だから何かに反旗を翻している、という選択肢が真っ先に思い浮かぶのでしょう。しかし、研究者からしてみれば、彼は何かの可能性を模索しているように見える。新人類が人間の新たなるステージ到達へのサンプルで、合成人が人間の他種族への適応の多様性を示し、ラクランズが人間そのものの真価を問う存在。つまり、あらゆる角度から人間の進化、誕生にアプローチしていると捉えることができる。少なくともこれだけの技術があれば、何かが起こっても不思議ではないでしょう?」


 その場にいた誰もがラクランの可能性の説明に聞き入る。

 しかし、央聖はその技術を軍事転用できるならば莫大な利益になりうると考え、友香は自身の身体のことを考えているのであり、決して人間の神秘、可能性に心震わせているわけではない。


「後者は言うまでのこともなく、つまらないの一言ですがあえて言葉にして並べればイギリスの革命で示された少数で莫大な戦力を担う新人類、そして第三次世界大戦でもその戦力が戦力たるものと証明された合成人、さらにこの今の戦争の過半数を担っていると言っても過言ではないラクランズの性能を考慮していただければその破格の暴力性がわかるでしょう。これだけの技術があれば、後は素材さえ確保できてしまえば、即座に僕たちと渡り合うのは可能でしょうから。ましてや、九十九は神格呪者です。パワーバランスがひっくり返ることは容易に想像できます。そうなれば八角柱も動かざるを得ないでしょう。とはいえ、すでに一国動いてはいるわけですが……」

「一国、動いているというのは……アメリカですか?」


 ラクランの抽象的な発言に央聖が反応する。

 商売人としての嗅覚が働いたのだ。


「ご想像にお任せします。ただ、どちらに転んでも世界が動くのは間違いないでしょう。それを未然に防いだ上で、某国の独占状況を訴えるというのは、とても有意義なことだと思いませんか?」


 ラクランはダメ押しと言わんばかりに言葉を続ける。


「ですから、僕は研究成果を奪われることを防ぎ、来るべき可能性を最小限に抑え……他国を出し抜きたいわけです。そのためにもこの一件は成功させなければなりません。ご理解いただけたでしょうか?」


 ラクランの大義名分や姑息な思惑は理解する。それでも何か引っかかる友香以外の勢力。何かと言われれば、その誠実な訴えであり、つまるところラクランという人間を素直にみな信用していないことを意味していた。

 それは商売という駆け引きを得意とする央聖だからこそ感じられたことであり、今まで様々な陰謀に巻き込まれ続けたタチアナだからこそ感じられたことでもあった。


「追い出す理由は、私たちに対するメリットは、それだけですか?」


 央聖は言質を取るように、疑いの目にかけられていることをラクランに意識させるように問いかける。


「えぇ。それだけでも充分だと思いますが、足りないのでしょうか?」


 足りないということはなかった。世界を救い、研究成果を独り占めしたい。前者は人類共通のメリットであり、後者に対する謝礼は央聖にはラクランズやそのた商品の優遇、タチアナにとっては陸と接触できる可能性を提供されている時点で達成されているのだから。

 故に、堂々と返答をするラクランに意義を申し立てるには現状根拠が足りなすぎる、


「いえ、話の腰を折りました。本題へ移りましょう」

「九十九は今どこにいるんですか?」


 央聖の言葉に友香が食い気味に続ける。


「単刀直入に言ってしまえば、先程もちらりと申し上げた通り、彼はすでにここの地下に広がる僕の研究所のどこかにいます。地下空間は広大で僕も独自にすでに足止めを行ってはいますが、いずれ彼は目的地にたどり着くことは明白です。なので、みなさんにはいくつかの注意事項を聞いてもらった後にすぐに地下へ向かっていただきたいと思います」


 部屋の中がどよめくのがわかる。タチアナはふと足元を見てすぐに隣の席に友香がいることを確認する。一方、央聖はすぐに茅影に何かを確認するように耳打ちをする。恐らく信憑性を確認しようとしているのだろうが、今のリュドミーナが機械だらけのこの街で役に立つとはタチアナには思えなかったので取り敢えず友香にだけ意識を集中した。逸る気持ちを抑えているのが誰の目からわかるほど身体中から行動力と殺意のやる気が溢れている友香にだ。

 それでもこの場を離れないのは協力関係を崩すタイミングではないと判断しているからだろう。


「一つは精密機械が大量に置かれているので極力施設の損傷をしないでいただきたい。もちろん、いざ九十九を目の前にして戦った場合そんな余裕が無いことはわかっているのでそこまで気にしなくても大丈夫です。それでもなるべく戦う場所はこちらで誘導したいと思います。二つ目は先程のことに関係して、道を案内するという意味でも、どういった班行動をするにしても必ずラクランズを一体連れて行ってもらうことです。基本的に通信や情報の共有もそちらで行います。なにせ、現在地下空間は地上と隔絶した上で極寒の地と化しています。皆様が入るに当たり室温は少しずつ上げていきますが、その点は注意していただきたい」

「それは、追いかけることが前提なのでしょうか? 九十九がどこへ向かっているかわかっているならば待ち構えるという手段もあると思いますが」


 ラクランの提案にすかさず口を挟んだのはマーキスだった。

 マーキスからしてみれば確実に対峙できる場所、陸の目的地がわかっているならばそこへ先回りして迎撃態勢を整えた方が勝率があると思ったからである。


「それは狙われているラクランズに関する資料がその場から動かせないほど膨大なものであるという理由がありまして、つまり、たどり着かれる前に処理していただく、もしくは戦っても問題ない場所で戦っていただくのがベストだと判断しているからです。そもそも研究施設の大部分はすでに機能を停止していて先回りする順当な手段がありません。ただそうなる前の段階で、ラクランズをすでにそちらには配備できたので最悪の場合は時間を稼いで桜峰さんに渡すまでの時間稼ぎぐらいはしてみせましょう。このぐらいの自己防衛による交戦は桜峰さんにも許されますよね?」


 マーキスの質問に答えながらも機嫌を損ねられては困る相手、友香に話を振る。


「えぇ。でもトドメが刺したいわけじゃないからそういった気遣いまでは不要よ」


 友香はあくまで戦闘が始まっても陸を追い詰めるなと念を押す。


「わかりました」


 ラクランはそう言いながら央聖の方を向く。

 央聖はラクランと目が合うと友香の方に顔を向け直し大きく頷く。


「では、短かったかもしれませんがここからは部隊を編成して早速、みなさんに地下研究室へ行っていただきたいと思います」

「えぇ」


 友香の返事に合わせて皆が動き出す。こうして、ラクランはラクランズを部隊に必ず組み込ませ戦況を支配しようと、央聖と友香はいかにどのタイミングで協定を破棄してでも自分たちの目的を優先するかを考え始めるのだった。そう、この場にいる誰もが互いの思惑を知った上で舞台に上がって身勝手に踊るつもりなのだ。普段ならば、純がいて一方的な純の脚本通りの結果になるかもしれないが、今回はその中心人物足り得る人材が不在であるが故に誰の策が出し抜くのか皆目見当がつかない。故に、タチアナだけは純の合流を強く望む。そうでもしなければ、胸の内から溢れ出す嫌な予感を誰も止めることが出来ないと思っているからである。

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