第四十五筆:3402-10
「本当に三人っきりで行かせて良かったのか?」
病院の個室で横になっている純に紘和は尋ねた。
「神格呪者に新人類、そして合成人。戦力として申し分ないだろう? どこか問題でもあるか?」
問題あるけど、言ってごらんとルビが振られているんじゃないかと錯覚するような問い返しに、紘和はため息を挟むと一向に欲しい解答は返ってこないだろうと思ったので問題提起を自分から再展開することを決めた。
「誰が桜峰さんを止められるんだ?」
「それは、俺たちがいようがいまいが関係ないだろ?」
「いた方が可能性が上がることは間違いない」
「そんなわかりきったことで反論したって俺の言った事は覆らないし、そもそも、もう彼女たちは今頃オーストラリアに着いているはずだ。どうこうできるタイミングじゃない」
そう言った純は自身の左手首に伸びる点滴を顎で指した。ロシアとの激戦を終えて日本へ即日とんぼ返りして一日後。純は天堂家が支援する病院で手厚い治療を受け終えていた。と言っても、確かに大怪我ではあったものの命に別状があったわけでもないので、傷口をしっかり塞いだだけである。そして今は安静の意味を込めた経過観察と天堂家というセーフティーゾーンと取れなくもない場所でのこれまでの慌ただしい日常に対する休暇を兼ねた入院だった。しかし、面会は紘和、もとい純が許可した人間を紘和が通す形となっており、事の真相を知りたい人間を面倒だという理由で片っ端から断っているため、休暇の割に退屈しているのは間違いなかった。
だから待ち人が来るまでの会話にも熱が入っていたのである。
「それじゃぁ、話を変えよう。お前が俺の夢を叶えるべく協力してくれてることは知っている。そのための下準備の旅が今であるわけだし、黒い虹が出た時により構図をハッキリさせるために手を組んだのも理解はしている。それでも、だ。お前の手のひらの上すぎるのは、いささか出来過ぎではないのかと、俺は思う」
友香たちの話題がこれ以上進展することはない。何より結局のところ純の言う通り実際に友香が暴走すればその手綱を自分たちが握ることも極めて難しいことは今回のロシアの一件で身をもって知ることになった。
だから紘和は切り口を変えて、もう少しツッコんだ話題を持ちかけたのだ。
「問題があるのか?」
疑問があることは問題だが、自身の夢が叶えられる最短である保証が伺えるという点では何も問題がない点が先程の問い返しとは違う点であり、言葉が喉に支える返しでもあった。
「ないにしても。でも……」
コンコンッ。紘和の追求は病室のノックで途切れることになる。現状、見舞いを兼ねた面会は一人しか許可していない。
つまり、その人物が来たということになる。
「どうぞ」
そして、紘和が追求を止めるのはその来訪者が今回の一件に無関係であるため巻き込みたくないと思っている以上に、内容が機密であるためその人物からでも漏れることを嫌っての中断だった。
「よぉ、純。入院したから見舞いに来いだなんて相変わらずふてぶてしいな。っと紘和もいたのか。久しぶり」
そこに入ってきたのは亮太だった。
「久しぶりっておおげさだな。一年以内には顔を合わせてただろ? まぁ……久しぶり」
苦笑しつつ、紘和は亮太に同じ挨拶を返す。
「どうせ、閑散とした店でゲームしてただけで暇なんだろ?」
「趣味を満喫してるんだ、暇じゃない。お前が怪我なんてしてなければ今頃、トラウマⅤの復習が済んでいたかと思うと残念で仕方がない」
「相変わらず好きだな、そのトラウマシリーズ。復習とか言いながら同じ恋愛模様を繰り返し読み、いやなぞり返すぐらいなら現実でいい女見つけて恋愛した方が鮮度が違うと思うけどな。というか、俺の見舞いよりゲームを優先したかったとか、普通に悲しいこと言ってくれるねぇ」
「野球観戦が趣味な人間に野球やれって言うのか? 今どきそんなの見当違いで流行らないよ。俺は別に恋愛がしたいわけじゃない。この作品のテーマが好きだから何度も愛読、いや、プレイしてるだけだ。どうして愛読からプレイって言い直したかって? 当然ノベルゲームは書物じゃないからさ。オーディオドラマと違ってイラストがある。そして、アニメと違って言葉による補足、何より味わい深い表現の世界が無限に広がっている。そして何より本と違って多様なBGMや選択肢を選ぶという演出がある。故にプレイ、だ。てかそれに、だ。俺がやってるゲームは別にトラウマだけじゃない。確かに、最近無料オンラインゲームはそもそもお仲間がログインしないからご無沙汰だけど他にもいろんなゲームを……」
早口でまくしたてるような勢いの話を突然止める亮太。そして神妙な面持ちになり、右手人差し指で右目のこめかみを何度か掻く。話を脱線させ続けても意味がないと思ったが、いざ本題を切り出そうとすると訪れるもどかしさの溢れる沈黙。誰かが口にしてしまえば、それだけの話なのかもしれない。しかし、話には誰からしゃべるかが重要なことがあり、今回の場合その役目はどうあっても亮太である。
亮太だっていつまでも先程のような議論をするような場所ではないと、純の姿を見ればわかっているのだ。
「まぁ、今回は……いや、今回も何か無茶をした結果、しくじったわけか。お前がしくじるなんて珍しいことだと思うけど……俺には話してくれるのか?」
「随分と知った風に言ってくれるじゃないか。まぁ、なんだ。俺がこのざまじゃかけたくもなる言葉……か。大したことじゃないさ。せっかく聞いてもらっといてもこれが精一杯の解答だ。人並みに心配されただけでもお前を呼んだかいがあるよ」
人並みという自身の発した言葉にどこか安堵しているような純。
「そうか……」
亮太の確信に触れるようでそれでいて遠慮するような、気遣いの見える問に、純も空気を読んで、それでいて重要なことは話さず、ありのままの現状だけを伝える。そんな当たり障りのない言葉に亮太は小さく返事をしていた。亮太とは純も紘和も大学時代からの友人だと思っている。それでも何の力もない友人を、二人のいざこざに巻き込まないようにという最低限の配慮だった。
それが絶妙な溝、疎外感を生む可能性があることを知っていても、だ。
「それじゃぁ、どうして俺を呼んだんだってやっぱりなるだろ?」
先程の距離を感じるがゆえに発した蚊帳の外にやるせない小さな声と違い、それを振り払うように亮太が明るく話題を切り返す。
亮太にも二人の気遣いがなんとなくわかっていたからだ。
「あぁ、日取りはまた後日話すけど、俺、近い内に退院するから、そしたらまたお前の店を借りておしゃべりしたいんだよねぇ」
「そんなことだと思ったよ。てか、だったらなおさら電話で済む要件じゃんか。……はぁ。それじゃぁ、またたんまり銭を落としてくれよ。なにせ、店は暇、だからな」
「任せろ。な? 紘和」
「ったく」
いつもの雰囲気を取り戻し、純は泰平と会う段取りを亮太と紘和と共に決めていく。この場合、明るく切り出したのが亮太だったからこそ元に戻ったと言える。先程同様、誰から喋り出すかは主導権を握ることもあれば、譲ることもできる、重要なことなのだ。
◇◆◇◆
「じゃ、またな。たまには俺とも遊んでくれよ」
「あぁ」
「それはお前がゲームをしていなければな」
「俺はゲームで遊んで欲しけどな」
脱線したおしゃべりなども踏まえて、小一時間で亮太は病室を後にした。
そして、残った純はふと、誰もが思い出を振り返る時に言う、ありふれた事を口にする。
「そういえばさ、俺たちってどうやって知り合ったんだっけ」
この言葉を口にした純に深い意味はなかった。単純に、どうしてとくに取り柄もない亮太と、純と紘和が接点を持ったのか気になったからだ。
それはもちろん、先の気まずい空気の時に感じた、繋がるにはあまりに不釣り合いな互いの関係にあった。
「そりゃ、同じ大学に通ってて……気があって……って感じだったろ? 別に何かお前が忘れてしまうような印象的な事件の後に友情が芽生えたとかじゃなかったと思うぞ」
「そう……か。お前は俺のことどう思ったよ」
「さぁ、特に覚えてないな。お前が大学でも異彩を放つ奇人で、亮太が一般人、俺が芸能人みたいな知名度持ちだっただけで、普通に気があった。そう、何度だって言うが自然と友だちになってたわけだ。別にありふれた話の一つだと思うぞ」
紘和の当たり前の発言を聞いて、純は納得しかける。
「当たり前を……考える」
ボソリと純はつぶやく。紘和は聞き覚えのあるフレーズに何を、と疑問の声をかけることはなかった。だが、それ以降、純は一言も発することなく病院の白い天井を眺め続けていた。
純はこの世界が歪に形作られていることを知っている。だが、どこがどう歪なのか全てを知り得ているわけではない。だからこそ、紘和にも考えさせるために蝋翼物という得体の知れない武器の出処を考えさせた。しかし、そこから何かわかったかと聞かれれば何も、何一つわかっておらず前進はしていない。そんな状況で突っ走っても大丈夫なのか、純は普段では考えもしないようなことに一抹の不安を抱いた。目的はある、自信もある、それでも今日、亮太と出会ったことで純は少し立ち止まったのだ。
しかし、当たり前は当たり前過ぎて答えを導き出す取っ掛かりすら与えないのだった。
◇◆◇◆
パーチャサブルピースに襲撃されてから友香たちは、車と並走するラクランズに警護されながらシドニーを出ていた。
外交問題になることを避けてなのか、それとも取引先だからなのか空港での襲撃以降、尾行も奇襲もなく順調にキャンベラへと向かえていた。
「最初からこうしていればよかったと。申し訳ありません」
安全を確保できたと思ったのか、それとも借りてきた猫のように特に会話の弾まない車内に気を使ったのか、ポーラと名乗り車の運転をしている女性型のラクランズが話しかける。
「いえ、流石に私たちがキャンベラに直接入国してしまっては周囲に示しがつきません。使者という立場から考えればこの護衛ですらちょっと目立ち過ぎなのではと考えてしまうものです」
タチアナはポーラの言動に若干の違和感を覚えつつも、会話に受け応える。
どこにと聞かれれば明言できるわけではないが、タチアナの持つ情報が何かしら感じ取ったとしか言いようのないものだった。
「コレットを、今回の一件を担当しているラクランズですが、彼女を中心に導き出したものですので、現行に問題ありません。お気遣い感謝します」
「彼女?」
ボソリとアリスの口から出た言葉に車内を一瞬ピリッとした空気が走った。主にそういった空気を醸し出したのは事情を知るタチアナと、深く触れてはいけない案件だとなんとなく理解していた友香の、言っちゃうの?というアリスへ視線が集まったことにあった。
そんな空気を察したのかポーラはチラリとバックミラー越しにアリスを確認しながら説明するために口を開く。
「ラクランズに性別があるのか、そもそも人の様に扱うのはいかがなものか、といった意見は国外からいらした方、国外へ赴いた時に必ずと言っていいほど聞かれるものです。そういった言葉を口にする理由はもちろん存じ上げております。いわゆる、感情の有無にみなさまが焦点を合わせているからです。つまり人を模したモノに対し、同一視出来ないということです」
何度も口にしているからか慣れたように説明を続けるポーラ。
「ここで感情の定義について議論はしませんが、私たちは状況を処理して判断することができます。しかし、感情を声にすることを、流すべき時に涙を、ためらうように一度声に出そうとした言葉を飲み込むこともできません。正確にはする必要がないと設計されているからです。ラクラン様が、私たちをまだ消耗品として売り続けるために必要なことだとおっしゃっていました。それでも、いわゆる空気を読んだ発言、状況に応じた適切な対処はそのものは現状でもできます。だからこそ、私たちを生んでくれたラクラン様は少なくとも私たちのことを人として接してくれているのです」
「つまり、人間よりハイスペックなのにわざわざめんどくさい人間になりたいということですか?」
かいつまんで話したであろうポーラの説明が終わってのアリスの第一声はポーラに驚きを与えた。言われたことがない、という以前に考えたこともない内容だったからだ。恐らく、その疑問は人間の悪い側面を幼くして体験した孤児という環境下と、故に手にした人間を超越した力から新人類と名付けられ、何よりも人間を蔑み、越えたと思っていたアリスだからこそ口にできた言葉なのかもしれない。
だからこそ、ポーラにも響く言葉だったのかもしれない。
「人間になりたい……ですか。確かに、私たちは人間にない機能を持ち合わせながらも、人間に近づけようと日々研究が進められています。結局の所、そういう風に作られているというのが現在お答えできるものだと思います。何を隠そう、考えたこともありませんでしたから」
ポーラはアリスが人間とは別のモノであると認識していることに好感を持ち始めた。
「私だったら、人工知能が人間を駆逐しようとするみたいに、とって代わろうと思うわ。実際、ゆくゆくはこの力でジェフ様のために力を振って私たちだけの一国家を築きたいと思っていたもの」
不意に出た壮大な展望にタチアナを始め、友香もポーラですら驚かされていた。特にタチアナはその発言を仲間でもないラクランズ側に言ってしまったことに大きな焦りを感じていた。なにせ、新人類が新人類による国を創ろうとしていたということは、他国、強いては八角柱に何かしらのアクションを起こさせる未来を予見させるものでもあるからだ。
普通に考えれば反逆であり、そんなことが出来た国はタチアナは一国しか知らず、それが異例であることも知っているため、ただ世界の敵として衆目を晒すだけになる発言に焦ったのだ。
「でもね、そう思っていた私からの、アドバイス。気をつけたほうがいいよ。人間って、やっぱり人間なんだよ。あなたを作ったのも人間、私たちを作ったのも人間、そして人間はその人間を生み出す。……ってこんな小難しいことを言おうと思ってたんじゃないの。つまり、いるのよ、人間の中にはその……化物みたいな人間が。化物なのに人間なの。だから、あなたたちも気をつけてね。多分、それを教えてくれるやつらが近いうちに何かを始めると思うから。出る杭は打たれるかもしれないから、ね」
タチアナにはもちろんその可能性を持つ人物たちに心当たりしかないが、言う訳にはいかない。一方のポーラもその可能性を持つ人物たちに心当たりはあるが、確認することはできなかった。
口にしてしまえば、それこそ今からでもそいつらが現状遂行しなければならない事案に対して何か不都合を、否、害悪を持ち運んでくるような気がしてならないからである。
「だから人間に近づく努力はして損がないと思うわ。それでも、人間に近づく必要はないとも思うけどね」
矛盾しているようで個として認められているような心地にポーラを始め、周囲で警護しているラクランズも悪い気はしていなかった。
「心に留めておきます」
◇◆◇◆
「へっくし」
「お前が褒められてるかと思うと、そいつの正気を疑うな」
「おいおい、そこはバカは風引かないじゃないのかよ。つか、何さ、その俺は褒められるようなことは一切してないみたいな言い方。そもそも本当に褒められてたのかはわからないわけだが」
純の突然のくしゃみに紘和がここぞとばかりに話題として拾う。
対する純も病室で暇を持て余しているため、大仰にのっかる。
「つか、じゃぁ、言ってみろよ。お前が最近やった人に褒められるようなこと」
「日本の剣の暴走を食い止め、イギリスの革命を阻止し、ロシアの合成人たちの呪われた連鎖を断ち切った」
「ものはいいようだな。つか、それ俺も関与してる訳だからな、わかってる?」
間髪入れずに紘和が善行と思っていることを羅列する。恐らく純が何を言おうとそう答える腹づもりだったのだろう。スラスラと出てきていた。しかし、純への受けは悪かったらしく、さらには揚げ足を取られた形となり、応えたくない紘和は当然無視するのでそこで再び病室に静寂が訪れるのだった。
◇◆◇◆
「っくしょん」
「夜は冷えますね、大統領」
「そうだな、レイラ君」
チャールズは秘書官であるレイラに受け答えしながら、窓の外に目を向ける。
「そろそろ四人目の彼女を迎えに行かないと、だろうか」
「四人目、と言うと大統領の言う来たる第四次世界大戦に向けた人材保護の対象人物のことですか?」
レイラは薄ら笑いながらチャールズの譫言に答える。日本へお忍びで行くより少し前からチャールズは近いうちに第四次世界大戦のようなものが起こると言い、国の軍備強化に勤しみ始めたのである。確かに、日本が秘密裏に軍備を強化していたこと、イギリスが黒い虹から採取した成分で人体実験を行っていたこと、そして第三次世界大戦の折にロシアが強力な合成人という戦力を有していたことから、何かしらの国家バランスが崩れる危惧は前々からあった。しかし、事前に知り得ていたということもあり、警戒はしていたもののそれらが第四次世界大戦に繋がるとはチャールズの部下を始め、誰一人考えていなかった。事実、先程までの一件は全て未然に防がれている。
第三次世界大戦は一人の、一樹という恐ろしく自己中心的な剣豪によって半ば強制的にせざるをえなくなっただけで第一次や二次に比べれば規模事態は小さかった。あれは一樹という人間の危険性を世間に宣伝するためのパフォーマンスに近いものだったからだ。それを考えると仮に第四次世界大戦の引き金になる個がいるのかという話になる。そして、もちろん、存在はする。神格呪者の陸と一般人の純だ。しかし、その陸が絡んでいた事件をことごとく一般人である純が率いる一行が解決しているのだ。つまり、今後も阻止するだけの力が陸の行く手を阻むわけである。仮に、不測の事態があってもチャールズを中心とした部隊が動けば問題がないはずである。一方で、純たちは事件を解決しているだけに、敵に回る可能性を想像できなかった。もちろん、事件に直接関わった国には壮大な被害が及んでいるが、それ以上に世界の脅威となりそうな、強いて言うならばアメリカの脅威になりそうな事案が尽く解決しているのである。そして何より、チャールズが危惧する第四次世界大戦に備えて必要な人材が棚ぼたのように転がり込んできているのである。兼朝、ジェフ、そしてアンナ。
第四次世界大戦が勃発しなくともアメリカという国家が世界のトップとして君臨するにふさわしい人材であった。
「あぁ、今回は今までと少し導入が違うからね。どう転ぶか不安、でもあるんだ」
「つい先日も似たようなこと言って仕事をほっぽりだしてどこか行ってましたよね。結局その後、アンナさんが合流しましたけど」
「あれは……まぁ、ちょっと違うんだ。いつもと違ったから少し焦ったと言うか」
「いつもと違う?」
「レイラ君にはないかい、こう、いつも通りの時間に朝、家を出たのに、最初の交差点の青信号に間に合わなかったり、普段すれ違う人や車と出会わなかったり、そういったいつもと違ったことに対する若干の、違和感?不安?を覚えることは」
「まぁ、たまにそういうなんだか気味が悪いって感じの違和感はあることかもしれませんけど、それが何か不幸、それこそ大統領が危惧する第四次世界大戦に直結するなんて考えすぎですよ」
「君も、いつかそういうのがわかる日が来るさ」
「さらっと年長者の言葉みたいに言ってますけど、私、大統領より十個ほど年上ですからね」
「それはすまなかった」
こうして、アリスの噂話に呼応するかのようにリアクションを見せた二人は、確かにラクランズに関わらず、この世界で生活する上では気をつけなければならない人間である。
「それで結局彼女っていうのは誰なんですか?」
「今まで通り、お越しいただいてからのお楽しみだ」
◇◆◇◆
「いや~、社長。申し訳ありません。流石にお忍びできているはずなのにあれだけ派手にやられてしまっては正直、手の出しようがありませんでした。まぁ、出さなかったからこそ、こうして何事もないとも言えるので、褒めてもらいたいものですが」
「わかった。別にそのことに言及したり、責任の追求をするつもりはない。安心したまえ」
マーキスは友香たちの捕縛に失敗したこと、その原因がラクランズに妨害されたことを央聖がすでに部下から聞いていることを前提に通話を始めていた。本来ならば指揮を任されていたマーキスから一番に報告をするべきだが、マーキスは状況を悪化させないことを選んだためラクランズと先に話をつけてきていたのだ。結果として、全ては独特の緊張感と双方の憶測が生んだ勘違いということで処理される手はずとなった。事実だけを見れば、確かにパーチャサブルピース側はただシドニー国際空港にいただけであり、タチアナがそこを過去の因縁からか警戒の色を濃くした故の救援を叫んだという構図と捉えさせることができたのだ。
例え、パーチャサブルピース側に狙いがあったとしてもラクランズも取引先という意味ではお互いが持ちつ持たれつであり、確かな証拠がなければ糾弾することは叶わない訳である。
「ただ、茅影、でしたっけ? そっちで何か聞いていたりしますか?」
「あぁ、私たちが襲撃する意志があることを部下に伝えていたらしい」
「納得です」
そして、疑問だった、なぜ奇襲に気づかれたのかの答えはすぐに解決する。いかに相手が神格呪者に新人類と合成人の異能持ちの人間だとしても、気づくということはマーキス側に不備があったか情報が漏れていたかのどちらかである。もちろん、タチアナがフクロウとの合成人で索敵能力があることは知っている。だからこそ細心の注意を払った結果が気づかれるという最悪の結果だっただけに、自身の未熟さ、相手の力の優秀さを疑うより先に、疑問として心に残ったのだ。
それは、マーキスがプロとして行動している何よりの証拠でもあった。
「それで、これから俺たちはどうすればいいですか、社長」
「当初の予定からすれば、九十九の情報がこれっぽっちも手に入らないから、因縁深そうな桜峰という神格呪者でも餌にしてみようと考えたが」
「ついでに嫌がらせでしょ。社長、しっかり言わないとむず痒くないですか?」
マーキスは央聖にとって優秀な部下であった。その信頼関係は契約で結ばれていることを誰よりも理解し、そして何より、金銭目的で己の評価をあげようとする意欲がない。向上心がないわけではない。央聖は雇う際に必ず面接をした上でその人間を評価し、同時に売り込みに来た本人の自己評価を確認する。そこで見合った金額を提示し、承諾されるか否かで契約を結ぶかどうかの手はずとなる。もちろん、戦果を上げればボーナスは出る。そして、戦果を挙げにくいものは取り込むことでボーナスの底上げを狙おうとする。央聖はその行為自体は否定できてもない。稼ぎたいという欲が、央聖に対する忠誠を強くするのである。気に入られようと、ご機嫌取りをすれば、過激に一発逆転の博打のような作戦で戦果を出そうともする。例え、その先が金銭目的だったとしても、その点は一向に構わない。気が楽だからだ。
その点マーキスは指示通りに動き、央聖のために何かをしようとしない、故に踏み込まない。茅影の裏切りにも似た行為の処遇を聞いてこないのがその証拠だった。自身の任務のみを全うするために、失敗した理由を探ったまでで、その先は気にもとめていない。一方で、伝えなくても意図は汲む。先のイギリスでの撤退戦の時もルートを指示すればミルドレッドをしっかりと回収してきたのがその証拠だった。
まさにプロフェッショナルで古参であるソフィーについで契約という柵を越えて、実は信頼を置いていたりもした。
「……まぁ、こうなったら損益を出すのもアレだ。条件を飲むのが手っ取り早いだろう」
たまに毒を吐くように確信をついてくるのがマーキスの唯一の欠点ではあるが。
「それじゃぁ、戻りますね」
「あぁ、合流次第、移動する」
通話は終了した。そのまま央聖は思案する。仮にここまでのことが予想できるだけの情報量を持った上で今までの話を振ってきたのだとしたら、ラクランの真の目的はどこにあるのかと。ダッシュ社とパーチャサブルピースが手を結ぶことで、否、すでに手を結んでいる以上、交渉の条件であった央聖をこのオーストラリアという地に縛り付ける以外のメリットが生まれない。考えていても始まらない、ならば行動してから考える。央聖は少し納得のいかないまま、ラクランに電話をかけるのだった。
「コネもなければ交渉材料もない。全く、面倒くさい」
独り言をぼやく陸は暗い廊下の一角にいた。
「わかってる。だから、お前の力が完璧に使えればとか、言わないだろう?」
誰かと会話をするように一拍空けて言葉を口にする。
「まぁ、向こうもこっちの侵入には気づいているだろうし、目的も知ってるだろうからな。幸い、まだラクランも最終手段を使うつもりはないのが救いかな。パーチャサブルピースを雇って対処を進めているようだ」
陸は左足が再生したのを確認すると壁に背を押し付けながらゆっくりと立ち上がる。
「まぁ、それも全てクラークを使うまでの時間稼ぎの可能性があると考え始めれば、正直厄介極まりない」
チラリと壁越しに廊下を確認するが何に攻撃されて左足を焼き払われたのかは確認できなかった。現在、陸はキャンベラのラクランの地下研究室を探索している。そして、研究室内の防衛設備に苦戦を強いられていた。【想造の観測】の力に制限がかけられている以上に、陸が欲しいラクランズに関する情報がどこにあるのかわからない故に内部を好きに組み替える事ができないところにあった。仮にわかっていれば最短ルートを作成してしまうが、情報が保存されているもの、場所が何処かわからなければ、その目的のものを消し去りかねない危険性があるということだ。加えてこれだけ精密機械が集まっている場所である、下手な破壊行動は自ら奪取するべき情報を消しかねない危険性もあった。
一方、この入り組んだ研究室も最初のうちは明かりが灯っていた。しかし、陸が侵入したとわかった段階ですぐに照明が落とされた。恐らく視認できる領域を狭めることで能力と探索範囲を同時に制限するためと思われる。しかも、窓などの外へ通じるものは一切ないため、本当に光源がない状態だった。加えて、寒い。恐らく、暗視装置を生成しても赤外線による探知を無効にするためだと思われる。つまり、自然光もない極寒の空間を作られていた。
だから陸はゆっくりとマッピングさせられながらの進行を余儀なくされていた。幸い陸は死ぬことがないので時間さえかければ必ず突破が出来る状態である。音や動きを探知してレーザー攻撃をしてくる迎撃装置や迎撃装置の発動を気に押し寄せるラクランズに襲撃されても対応ができるということである。しかも、迎撃装置は発動すれば一瞬でも光源足りえ、ラクランズの襲撃はラクランズが控えているであろう場所を推察する目安になるので痛みを伴うという欠点がなければむしろアドバンテージでもある。
実際、不意のラクランズには接近させてしまえば容易に破壊できてしまうが、レーザーだけは目視で反応してから対処するまでにどうしても人間としてのラグが発生してしまい、攻撃を受けてしまう状況が続いていた。
「まぁ、そうはならないと思うけどな。俺たちは必ずラクランズの情報を手に入れる。なぜなら手に入れなければならないから。そして、そうしなければ困る奴らがいるらしい、からな」
陸はそういって物陰から飛び出し、迎撃装置の二度目のタイミングを読み切り、破壊する。そして、冷える身体を奮い立たせながら大きな地下迷宮を駆け抜け続けるのだった。
◇◆◇◆
友香たちは道中で何度か休憩を挟みながら、外の景色やオーストラリアという国について会話を弾ませながら目的地のキャンベラに入った。自然と都市が調和し、機械に管理された楽園。話を要約してしまえばそんな感じであった。自然とどれだけ調和が取れているかは過去のオーストラリアの情景を知らない、興味のない友香たちには比べようがなかった。しかし、機械に管理されているという点は理解できた。圧倒的に便利だとわかったからだ。休憩の途中で寄ったコンビニだけでもラクランズにより運営され、商品は全て液晶パネルで選べば自動で金額を表示し運ばれてくる。さらにはレジから車まで運んでくれる。これが国内に住んでいれば部屋から出ることもなく済ませることが出来るというのだ。少し前までドローンで代行していたことをラクランズが行うことでより処理を丁寧に迅速に行えるようになったというわけである。そして、これがコンビニに限定されたことではないということ。つまり、この国に住む権利さえ獲得すれば外に出ることなく、何不自由も苦労もなく面倒事を済ませることが出来るのである。そう、全て機械に代理させて。
それだけ、ラクランが偉大で国を支えるだけの財力を持っているのだと、友香とアリスは理解したのだ。
「ゆーくんと一緒にいろいろしてみたいなぁ」
車が目的地であるダッシュ社前で停まる直前に友香は幸せな結婚生活を想像しながら、この町の姿を思い返していたのだ。
「到着しました」
ポーラの言葉に反応するように車の両側にドアが自動で開け放たれる。すると、外を並走していたラクランズが手で目的地の方向を示す。明らかに周りの建物よりも大きく高いダッシュ社を前に、友香は今までにない近未来感を肌に感じて年相応の驚きを感じていた。
アリスに関しては感嘆の声を挙げながら高層ビルの最上階を見上げていた。
「ほら、行きましょう」
タチアナは車から降りたきり動かない二人の背中を軽く押すと、先を行くポーラに続くように促す。友香もアリスも少し罰が悪そうに照れた顔を見せると二人について歩き出す。もし、彼女たちが後悔するならば今ではない。では、シドニーでラクランズに助けを求めたことでも、ラクランと関係があるとはいえ、外交問題として捉えればどちらをとるかなどの思案をしっかりとできなかったことでもない。あえて言うならば、タチアナがあの時、ラクランズに、ポーラに抱いた違和感を口にできていなかったことである。ただ、あの段階でこうなる未来が本当にあったかはわからない。そうなるように仕組まれた未来だったとしても人間の思考がこうもタイミングよく傾くとは限らない。つまり、何が言いたいかと言うと、ダッシュ社の入り口を通った先で待っていたのはパーチャブルサービスの一団だったということである。
そして、最善である、出迎えるという手段を考えていたにもかかわらず、選択肢に幅をもたせていたという違和感に、こちらが売られる可能性があったという事実である。
「先程は、少々手荒な真似をしてしまいましたが、改めて。パーチャブルサービスの社長をしている天堂央聖です。おとなしく、私と商談をしていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
央聖の挨拶を皮切りにその場の全員が戦闘態勢に入った。
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