第五章:ついに始まる彼女の物語 ~三大兵器編~

第四十四筆:3991-12

 ラクラン・ロビンソン。八角柱にオーストラリアの知恵として席を持っている。一般的には機械技術の最高峰と評され、彼がいなければ今の時代が来るのに後百年はかかっていたと言われるほど現代科学に貢献している、否、し続けている。代表作は三大兵器と呼ばれているが、その中でも誰もの身近にあるものとして、制作者の名を冠したラクランズがある。人が実現するさまざまな知覚や知性を人工的に再現する人工知能を標準搭載した人の形を模したロボット。一般的な人工知能搭載ロボットと明らかに違うのは滑らかな、それこそ人間と見まごうことなき動作を再現可能とする機械としての可動域と最適解を取捨選択する人工知能としての処理速度の高速さにあった。それは当然、今までラクランズを目にしてきた戦闘分野に用いなくとも、人間の生活をより快適にする欠かせないものとなっている。その大きな影響を受けているのは、ラクランの出身地、活動の本拠地でもであるオーストラリアだった。

 人間の生活を快適にする、すなわち、人間の仕事を代わりに担ってくれるという点が雇用、すなわち稼ぎという点で問題を起こしかけたのだ。しかし、結果から話せば予兆はあったものの紛争やクーデターは実際に行われなかったのである。これを解決したのはラクランズの生みの親であるラクランの自国に対する一つの政策だった。特許やラクランズで獲得した自身の財力で自国の民の人生をラクランズに換算させたのだ。つまり、その人間のこれから働いて稼ぐであろう金額を提供し合意が得られた時に限り、ラクランズがその空いた人間の代わりとして穴を埋めたのだ。

 だから、オーストラリアはラクランズに対して国民からの不満の声が聞こえない特殊な国へと成長していったのだ。つまり、誰もがオーストラリアに在住してしまえば遊んで暮らせるという訳である。ラクランの稼いだ金が例え戦争で得た利益であっても関係ない。住めれば都、それが今のオーストラリアの代名詞であり、ラクランが残した確固たる目に見える功績だった。不自由な生活を送らない、満たされた人間からラクランに対してましてやラクランズに不満の声が聞こえないのは当然のこととも言えるだろう。


◇◆◇◆


「いつ来てもこの国には慣れない。果たして、私は今日、人とどれだけすれ違ったのでしょうな……ロビンソンさん」

「その問いにはいつもこう返しているはずです。全て人、ですよと。それともいつか僕の口から違った答えが飛び出てくるとでも思っているのですか? それとも僕の売るモノに不満でも?」

「いや、不満はない。我が社の売上の過半数はあなたが生み出す兵器によって支えられていると言っても過言ではない。ただ、市場に出回る兵器がそもそもロビンソンさんが生み出すものに限られている現状があるのも事実で、そこには少し、不満があります」


 少し、に少しとは思えないお世辞のような間と強調がある。しかし、商談相手はそんな嫌味をものともしない。だから穏やかな雰囲気に似つかない言葉が互いの口から出続ける。

 いや、商談内容からすれば妥当なのかもしれないが。


「僕は貴社を得意先だと認識しているつもりですが……まぁ、僕が才ある人間だから仕方がないのでしょう」

「あなたはこの戦争のない国で、戦争で稼いでいる。技術で兵器を作り、その兵器で力を与え、対抗戦力を生み出し、生みの親という立場から中立の顔をし渦中の外に居続ける。世間一般では機械技術の最高峰、なんて言われていますが、私から言わせればそれは戦争屋としての才覚の付属品に過ぎませんよ」


 オーストラリアの首都キャンベラ。自然も建物も以前からあるものはそのまま機能を続けているが、それを忘れさせるほどラクランが表舞台で目立つようになってからは高層ビルがその間を縫って立ち並んでいき、たくさんの鉄パイプが飲み込むように生い茂り、ビジネス街でありながらも工場を彷彿とさせる歪な景観を生み出していた。そんなキャンベラの中心街にランドマークタワーとしてそびえ立つ現在の国の心臓部、ダッシュ本社の最上階でこの会社の社長であるラクランとパーチャサブルピースの社長である央聖が商談をしていた。地上七十階で悠々と、優雅に行われている訳だが、周囲にはそれぞれが連れてきた護衛たちが立っている。ラクランはラクランズを、そして央聖はソフィーと茅影を引き連れていた。

 もちろん、央聖が連れてきた兵力はそれだけではないが、流石に全員連れ込むことはできないので外に待機させていた。


「僕はそんな才能いらなかったんですけどね。ただ、おかげで何でも作る試みが出来るここが手に入ったから充実した研究が送れているのは確かですけど」


 ラクランが葉巻に火をつけ、煙を口に含む。


「では、そろそろ今回そちらに提供する新機能を搭載したラクランズと新開発の武器をいくつか紹介させていただきましょう」


◇◆◇◆


「どれも素晴らしかったです。これで我が社も安泰です」

「今後ともご贔屓に」


 いつものように商談の終了の会話がかわされる。この後は互いに友だち、というわけでもないためすぐに解散となる。

 しかし、今日に限ってラクランが咥えた葉巻を未だに消して立ち去らないので、央聖は普段と違うラクランに何か感じるものがありそのまま席を立たずに座り続けていた。


「もちろん、内容を聞いてからでも構わない」


 ラクランが煙を吐きながらおもむろに喋り始める。央聖はラクランの申し出に即座に応えることが恩を売ることに繋がると、ラクランに対しては莫大な利益になると確信しつつ、同時に嫌な予感も脳裏を過ぎらせていた。

 だから、口は開かず、わざわざ仕事の内容を聞いてから拒否しても構わない選択権があるこの状況に沈黙を守ることを央聖は選んだ。


「この国に侵入した災いを払ってもらいたい。報酬は今の取引を含め、今後全て相場の半額で僕の商品を提供する。加えて前払いとしてラクランズを百人、無償提供したいと考えている」


 ラクランは央聖に了承するかとは聞かない。

 同様に央聖も提示された出来すぎた条件に、その仕事のリスクを想像し、ラクランの言葉の続きを聞くため、何も発せずに引き続き待ち続けた。


「ただし、受けてもらった場合、それが解決するまで天堂さんのみ、この国から出ることを許さない」


 そして、ラクランは葉巻を灰皿に押し付けて火を消す。


「依頼内容は、この国からツァイゼル……九十九陸を見つけて追い出すこと、だ。引き受けてくれるかい?」


 厄災の排除、つまり傭兵と前金であるラクランズを使用して誰かを始末するところまでは央聖も予想できていた。しかし、葉巻が灰皿の上に置かれてから先、この取り引きが駆け引きの存在しないお願いであることを知ったのだ。もちろん、命令ではない以上、断ることは未だ可能である。だが、ラクランは陸が神格呪者であること、そしてロシアと繋がりをもっていること、何より央聖がそれらを周知の立場にあることを知っているのだ。

 八角柱に属していれば知っていても不自然な所はないが、それを一企業が知っていることを知っていると明言したことは脅しと捉えても差し支えはないのだろうということである。


「なぜ、我が社に頼むのですか? その九十九陸という人物がどの様な人物であるか知っている、ということはそれこそ八角柱間で解決するべきで、私たちのような一般企業に頼むのは筋違いではないでしょうか? 我が社に頼む理由が、知りたいのです」

「ここ最近、似たような取り引きをした記憶はない?」


 そう聞かれて央聖はイギリスでの一件を思い出す。

 新人類と神格呪者では危険レベルにおける扱いが違う故に央聖は先程のような質問をしたが、この時点、先程イギリスの一件をわざわざ引き合いに出されたことが、やはりこの国には知られざる闇が存在していることを央聖に察っせさせた。


「八角柱に恩を着せたくない、いや、八角柱に知られたらまずい秘密を抱えている。仮にそれが私たちにバレたとしても処理ができる……ということでしょうか?」

「一般企業に頼む理由としては充分かと」


 ラクランは否定しない。


「茅影……ロビンソンさんとは接点があるのか? 買うぞ」

「いいですよ、これぐらいならお金なんて。仕事を依頼されたことはありません」


 央聖が茅影に確認をとった理由は、イギリスでの一件を茅影がリュドミーナとして様々な人間に央聖と同じ様に情報を売り買いしていると知っていたからだ。

 つまり、覗き屋がいた可能性を考えて真っ先に部下を疑い、確認した。


「そうか」


 つまり、八角柱、特にロシアのアンナとは研究で接点を持っていて懇意にしていると小耳に挟んだことがあることからその線が濃いと央聖は判断する。


「もちろん、九十九を追い出していただけるようこちらも最大限のサポートをするつもりだ。それこそ、彼の周辺人物にいたるまで」


 それでも央聖の中の警鐘は鳴り止まない。それは央聖の願望を叶えんとするようなラクランの露骨な言葉選びにあった。

 つまり、ラクランは何かしらの手段を用いて央聖の身辺調査をした上でこの交渉の場に臨んでいるのである。


「ちなみに、その追い出したいほどの人間を、そもそもなぜ入国させたのですか」

「されていた、んだよ。本当に自然に、最初からそこに、国内にいたかのように普通に歩いていた。大体の予想はできるが……」


 品定めをするようにラクランが央聖を見ていた。


「受けるかどうかはこの場で即決ですか?」

「今から七十二時間。これを過ぎれば依頼は受理されなかったと判断する。もちろん、それまでの間に下準備をするのは構わないが、こちらが手を貸すことは、受けていただかない限りありえない。そして、先程も申し上げた通り、一度受けていただいた場合は、解決するまであなたを国外に出すことはないのだが……」

「では、少し考えさせていただくとしますよ」


 こうして、オーストラリアでも陸の存在によって何かが動き始めようとするのだった。


◇◆◇◆


「いかがいたしましょう、ラクラン様」


 イギリスで央聖が販売していたものよりも明らかに人間を模したアンドロイド、ラクランズのうち一体がラクランに、央聖がビルを後にしたのを確認してから話しかける。


「取り敢えず、監視はしておいてくれ。しかし、少々怖がらせすぎたかな」

「いえ、少なくともここに引き止めるだけの興味は持たれたので、受け入れてもらえないという最悪のケースは避けられたかと」


 アンドロイドというにはあまりにも造形が人間で、関節の継ぎ目、駆動音つまり、外見からは区別ができないほどのクオリティ。

 さらに、最悪のケースを想定するという最善と並行して最悪を想定するという機械としての機能を失ってしまったかのような発言。


「それじゃぁ、後のことはコレットに任せるので、みな彼女の指示に従ってあげて下さい。僕は研究の続きをしたいのでここで」

「かしこまりました」


 そして何より、全員に身体的特徴があり、名前があるのだ。それは先にラクランが央聖に人という存在を聞かれた時に、自信を持ってこの場の全てと答えたことに納得してしまうような存在がそこには確かにいるのだ。


◇◆◇◆


「陸の周辺人物といえば、もしかしたら息子さんも殺れたかもしれないのに、どうして断ったんですか? やっぱり社長も人の子ってことですか?」


 ダッシュ社を出てソフィーの運転する車の中、後部座席、央聖の隣に座る茅影が突っかかるように話題をふる。


「断ったんじゃない。あくまで今は保留、と言ってくれ」


 そう補足を入れて央聖は砕けた口調で車内に愚痴の様な考察を吐き始める。


「殺れたかもしれない、そう思えるだけの条件を向こうが提示してきたことが問題だった。それだけだ。もちろん、やつは八角柱の、特にフェイギンとは研究者として親交がある。だから神格呪者を始め、その周辺事情を知っていてもおかしなことはない。それは私の息子が九十九を追っていること、さらに私が商売の邪魔になるから殺したい存在であることを含めてだ。だが、タイミングとそれを餌に使おうとする魂胆が気に入らない。何より、私のセンサーがリスク・リターンに警鐘を鳴らしている。莫大な利益が出るとわかっているのに、だ。しかし、猶予はできた。ならば、リスクを少なくリターンをより多くするまで下準備を、取引材料を用意しておくだけだ。だから、働いてもらうぞ、茅影」


 しかし、返答は意外にもお安い御用だといういつもの飄々としたものではなかった。

 この持ち用の変化は少し前のロシアでの一件で受けた疎外感による感傷によるものではもちろんない。


「あぁ……この管理社会だと俺も一苦労すると言うか……いつもみたいに当てにしないで欲しい。なにせ、中々潜り込ませるってわけにはいかないからね。知っての通り、アンドロイドっていう監視の目が強い。善処はする、とさせてくれ」

「まぁ、人手だけはある。特にイギリスで手に入れた大型新人に期待したいと思っているから、お前を中心に利益を上げてみせろ」


 こうして、央聖は自身の所有する大型の輸送船のある拠点の港までの道中、いかにしてラクランの策略を逆手に取るか考える策を探すための情報を調べるための打ち合わせをソフィーと茅影と繰り返すのだった。


◇◆◇◆


「ハッハッハ。期待の大型新人だってよ。どうよ、つい最近まで殺しあってた奴と今こうして仕事をしてるって気分は」

「別にこのお金が絶対評価の業界じゃ、昨日の敵が今日の友、なんてよくある話じゃない。そんなことに感傷的になってたら身がもたないでしょ。それに、大型新人というか大きな戦力という点では事実だしね」


 央聖の乗る車に後ろからピッタリとくっついて走る車を運転しているのはゲリラ戦を得意とするマーキス。その助手席に座るのは先日、イギリスで大きな仕事を共にした暗殺業を営んでいたミルドレッドである。つまり、今、後部座席に座る男の二人の内一人がミルドレッドとイギリスの革命時に戦った怪力の特異体の新人類、ということになる。早い話が、戦力として雇っていたのだ。

 イギリスの革命の真実を茅影から買い取った央聖の説得の元、お金で繋がったのである。


「いいっすよねぇ、お二人は。新人類と実戦経験があるんですから。しかも結構儲けたんでしょ? 社長、チョーご機嫌だったもんなぁ」

「戦いたいなら、お前の隣りにいるじゃないか」

「言ったでしょ、実戦がいいって。第一、お金にならないというか、そんなことしたら損失だって言われて俺、即効無職ですよ」


 前回のイギリスの革命では別の紛争地で反政府軍を一掃していた若き銃器の使い手、ケイデン・バンクスは、大きな仕事の予感に一喜一憂していた。ちなみに、新人類が仲間になったとはいえ、同郷の仲間の死を配慮せずに会話を進めてしまうのは彼らの悪い癖ではなく、相手を気遣わないという一つのパフォーマンスとして存在している。そもそもパーチャサブルピースの利益を絶対とする方針上、ここに在籍した時点でそういった気遣いはするだけ無駄だと、なんとなく理解していくものであった。新人類のユーイン・ガドガンも例外ではなかった。もちろん、単純に働き口がなかった彼にとってはありがたいことではあったが、そもそもお金をくれれば祖国ですら簡単に裏切り、敵だった相手に寝返ることが出来るのである。

 あてがなかったとしても、こうして平然と今を受け入れられているあたり、素養があったのは間違いなかった。


「俺も早くお金が欲しいです」


 ボソリとユーインがそれだけをつぶやく。

 普段からコミュニケーションを取らない人間だから周囲もこれで納得している状況だった。


「そんなに急いで何に使いたいんっすか?」


 ケイデンの質問に答えは返ってこない。


「俺だったら派手に遊びたいなぁ。そうだ、この仕事が終わったらみんなでパァッと飲みに行きません? 俺たちってあまりそういうことしないじゃないですか? 打ち上げ的なの?」

「まぁ、旦那を含めて、この場にいるメンツは基本、繋がりってものに希薄だからそういうのはあんまりなかったな。いいね、俺はお前のその提案乗ってやるよ」

「マジっすか」


 ケイデンは反対されるのが前提で話していたのか、了承を得られたことに少し驚きの反応を示した。


「おぉ、マジマジ。男二人きりでも付き合えよ」

「と、いうわけでミルドレッドさんも来てくださいよ、他にも誘っていただけると嬉しいっす。むさ苦しいのを望んでるわけじゃないんで」

「そっちが酒代全額持つなら、別に構わないよ」

「マジっすか。だったら持ちますよ。ねぇ、マーキスさん」


 マーキスからの返事は即座にこない。

 何かに困っているように口をもごもごさせていた。


「どうしたんっすか?」

「いや、まぁ、男に二言はねぇけどな。それなりに腹くくっておけよ、ケイデン」

「了解っす」


 ケイデンの軽い返事にため息を漏らすマーキス。一方、助手席に座るミルドレッドはマーキスから見える位置で悪寒がきそうな不敵な笑みを浮かべているのだった。

 しかし、オーストラリアではラクランの協力なくして下準備のための情報を集めるのは、厳しく、それだけ何かを探ろうとすればそこかしこにラクランの目が光り、否、ラクランズの目が光り、身動きがとれない状況が港へ帰ってから最初の二十四時間でわかった現状だった。しかし、三十時間が経過しようとした時、事態は急変を迎える。それは予期した来訪者が、予期せぬメンバーでオーストラリアに入国したからである。それも、ロシアの代表代理としである。


◇◆◇◆


「私、オーストラリアって初めてきました……って日本以外ならお恥ずかしい話、全てですが。それでも、日本だと今は冬ってイメージが強いので季節感が違うっていうのは単純に驚きです」

「それは……よかったです」


 友香とアリスはタチアナのロシア代表代理という実際に受け取っている肩書を利用して難なくオーストラリアに入国していた。ロシアとオーストラリというよりはアンナとラクランに交友があったため、研究の意見交換などを度々行っていたのだ。今回はアンナが死んだことにされているため、今後の確認をすることも含めて代理という体でオーストラリアに入国したのだ。

 そして、先程の会話は空港の入国審査を終えて、オーストラリアの青空の下、北半球でしか生活をしたことのない友香の第一声だった。アリスは口には出さないが、そのキラキラとした目は直前に目撃していたロシアでの狂気の落差と初めて来る異国ということも相まって、心にゆとりをある程度持った普通の旅行客のような気持ちであることが伺えた。一方のタチアナは何度か付き添いで訪れたことがあるのだろう。目新しいものを見るような目はなかった。

 どちらかと言えば、フクロウの合成人であり、ロシア出身ということもあるからか、オーストラリアの蒸し返すような暑さにげんなりとした雰囲気が言葉端から感じられた。


「アンナさ、んが生きていればキャンベラの空港から入ることも問題なかったのですが、これからちょっと長めの電車移動が続きます。何かあれば今のうちにお願いします。済み次第セントラル駅へ移動します」


 タチアナはアンナに対して様という敬称を避けようと努力していた。決別の意というよりは、単純に純たちと行動を共にするというのを意識した結果であった。早く周りから仲間として認識されたいという思いが強いということだった。それは他のメンバーが協力関係であるのに対して、タチアナは端的にいえば下心があるからである。故に良好な関係を築くことに前向きなのである。

 その結果が、先の敬称の変化の他に、自由時間を設けるといった気遣いに表れていた。


「オペラハウスとか?」


 本来ならば国賓クラスの扱いを受けての訪問であり、キャンベラ国際空港への着陸も可能な条件は達成していた。しかし、アンナが死亡したことになりお忍びでアポイントをとったこともあり、本来ではすでに国際線を受け入れていないキャンベラに直接行くことはできなかったのである。だから、シドニー国際空港からセントラル駅でキャンベル駅へと向かい、そこからはラクラン側から迎えが来る手はずとなっていた。そして、セントラル駅で電車に乗った段階でラクランには連絡を入れる予定となっているため、自由時間が発生しても特に問題がないのである。

 故に、アリスはオーストラリアといえば、ではなくシドニーといえばとしての建築物を一つ挙げたのである。


「私は、善とはわかりませんが、先を急ぎたいので特にありません。観光をするならばこの一件が終わってからでも、いえ、全てを達成してからでも遅くはないでしょうから」


 迷いのない、凛とした言葉。先程の観光客のような雰囲気は嘘のようであった。それに影響されてか、アリスも何かを思い出したように首を縦に何度も振った。そう、このメンバーは親睦を深めるために結成されたわけではない。ただ、自分たちの目的を達成する過程で利害が一致し、純によってこの地に差し向けられたのである。

 タチアナも合成人でなく、リュドミーナの情報の中継役でもない限り、本来は能動的に参加できる立場にはなかったのだから。


「わかりました。それでは、シャトルバスでセントラル駅へと向かいましょう」


 しかし、ことはそううまく運ばない。なにせ、純の指示で来た上に、陸を追いかける道のりである。入国した時点でその険しさは刻々と近づいてきていた。

 そして、ブーッとタチアナの携帯のバイブ音がその危険を知らせる。


「早速何かありましたか?」


 発信元が上司であるリュドミーナである時点で嫌な予感はしながらタチアナは電話に出ていた。


「今、そっちに俺の分裂体の一人と、パーチャサブルピースの人間が数人向かってる。目的はお前たちの確保だ。すぐにその場から逃げろ。ついでに俺は金さえ払ってもらえば情報は誰にでも平等に与えるからな。しばらく通信機器の電源はきっとけ。これは部下への優しさと、幾瀧がいない間のロシア側の義理ってことになってる。それでは幸運を祈る」


 電話は要件を伝え終わると一方的に切られた。

 正直なことを言えば、なぜパーチャサブルピースに狙われているのか、そのパーチャサブルピースがどこまで迫っているのかなどの詳細な情報が欲しかったわけが、それを伝えられないほど、ここは状況が切羽詰まっているのだとタチアナは予想した。


「部下への優しさなら、情報屋としての領分を少しは諦めてもらいたかった」


 ボソリとリュドミーナという悪趣味な男への愚痴を、ジワジワと遅れてやってきた怒りに乗せて吐き終えると、タチアナは即座に現状を友香とアリスに伝え、携帯電話などの電源を一旦切るように指示を出した。

 そして、ゆっくりとした移動を諦め、即座に無理やり国際線を使って当初の予定にない行動でシドニーからキャンベラまで飛行機を使う方向へシフトチャンジする。


「急ぎましょう」


 タチアナは辺りに気を配りながら先導する。友香の力、【雨喜びの幻覚】の誰かの対象にならない力も自分以外に一人にしか付与できない以上、特に意味はない。そもそも消える力ではないため監視カメラといったものに対しては力が全く働かない。つまり、敵意を感じ取るという応用的な能力がタチアナのフクロウとしての目視よりも若干早く探知できるぐらい役立てることしかできないのだ。それでも十二分ではあるが、本来の力を考えれば、機能しない残念に思う感情の方が強いということである。


◇◆◇◆


「何が幸運を祈るよ、どうしよう」


 監視カメラがすでに抑えられているのか、それとも最善手を先読みされているのか、はたまたシドニー国際空港に着くタイミングを知られていたのか。とにかく、友香が敵意を保安所付近で察知したため、タチアナが目視で確認すると、イギリスで見た覚えのある顔がチラホラいることがわかった。飛行機に乗ってしまえば追跡されていようが一気にラクランの手が届く範囲まで行ける、そう考えていた。しかし、上空でしかも密室空間に同席されてしまえば、話は別で逃げ道のない、最悪のリスクを背負うことになる。即座に電車での移動も考えたが、おそらく改札口付近に同様の待ち伏せがあるのは明確だった。では、バスやタクシーで逃げるという手段を次に考えるわけだが、空港内に引き返してしまったことで下手に外に出れば逃走経路が割り出されてしまう可能性があった。つまり、騒ぎを起こした時に対応でき、かつ移動が迅速に行える……大勢の客が乗車し、地上を走る電車が結果的に収まりがいいと判断するタチアナ。電車ならば飛行機と違いタチアナを除く他二人も脱出するとなった際にリスクを減らすこともできる。

 もちろん、騒ぎは出来る限り起こしたくないが、起こった場合も想定して移動をするならばこれが最適だと判断したのだ。


「飛行機は諦めて、電車で……」

「敵意、誰でしたか? パーチャサブルピースの方々なら私の知っている人もいませんでしたか?」

「えっと、まさか交渉でもするつもりですか?」

「ここはラクランって人が治めるブリキの王国、そう幾瀧さんから聞いてます。そこを利用しましょう。何てったって私たちは秘密裏にとはいえその人にアポをとってこちらに来ているわけですよ」

「ハハッ。随分と大胆なことを考えますね……。ただ、残念なことにあの会議の場にいた方々はいらっしゃらないので、その役目は私がやらせていただきましょう」

「な、何をするんですか?」


 アリスの理解が追いつかないうちにタチアナと友香は二人の間で納得したようで、大きな博打に打って出る。

 タチアナは大きく息を吸った。


「誰か、助けてぇえええ。パーチャサブルピースのマーキス・ホメイニーが私たちを襲おうとしているわ」


 突然の大声に周囲はざわめき出す。そして大きく動き出す二つの勢力があった。一つは名前を呼ばれ不意をつかれたマーキスとその部下たち。もう一つは、何処からともかく湧いて出てくる多数のラクランズだった。確認をしたわけではないが、中には四つん這いで高速に走ってくるもの、一階と二階の高低差を感じさせない挙動で着地するものと人と捉えるには若干の無理がある動きをするものが声のする方へ徐々に集まってくる。本来人のような動作をしているのだろうが緊急に対応すべく最適の動作で着こうとした時にとった動きなのだろうが、周囲とは明らかに違う人間離れしたその動きには不気味さがあった。そして、ラクランズの中に守るべきものとして登録されていたのか、一触即発の態勢が整いつつあった。それは作戦が成功したことを意味していた。

 要はアンドロイドが全て国内で統制されている場合、自分たちが守られる立場にあると判断した、そこかしこに監視しているであろうラクランズが味方をしてくれるという考えの作戦だった。


「大丈夫でしたか? タチアナ様、桜峰様、そしてレイノルズ様」

「ありがとう、助かったわ」


 マーキスも、そもそもパーチャサブルピース側としては取引相手と事を構えるのは避けたいだろう。

 予想通り、彼らは特に何もないことを主張し、すばやく撤退の準備を整え始めているのが遠目にでもわかった。


「現在、コレットに状況を報告、確認中です。残念なことに明らかにパーチャサブルピースがここになにかの目的で大勢待機していたのは間違いありませんが、それ自体が問題ではないので対処しかねます。ただ、ここまで大事に発展させたため……。皆様にはこれから急遽我々が送迎することになりましたが、構いませんか?」


 タチアナは背後の友香とアリスの顔を伺い、首を縦に振ったことを確認するとラクランズの対応に応じることを了承した。しかし、同時にラクランに貸しを作ってしまったこと、何よりこの歪な警備体制に、迎えに来ずともすでに監視下にあるという事実に警戒心を抱くようになってしまったが、今は関係のない話である。

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