第三十四筆:ショウタイ

 紘和は突入の指揮を執る、という慣れないことを余儀なくされていた。なぜなら、普段ならばそれを純が行っているからだ。つまり今回は作戦どうこうではなく、指揮を高める鼓舞や接敵した時の臨機応変な現場の対応、それに伴う責任が求められているということである。

 高速で一直線に走らせる木造平屋が、まもなくタチアナの情報通りなら敵陣に当たる東部管轄区にはすでに入っているので敵が待ち構えているであろう広場に崖上から飛び出し奇襲を仕掛ける算段となっている。


「後三分もすれば開戦ですが、これと言って皆さんに伝えておくべきと思うことは私からは特にありません。私が敵陣を突っ走るので各自が各自の判断で、自分がここに来た目的を遂行するために、付いて来てください」

「ブォー」


 紘和の言葉にトナカイだけが返事をする。


「……後はライザを見つけ次第、報告お願いします」

「力を、使ってもいいの?」

「いいと思います。合成人の力を新人類の成りすましという力がどの様に機能するかはこの戦場では多少戦況を左右するでしょうから把握しておくことも大切でしょう。ただ、区別がつくようにはしていただきたい。ライザ以外は純との取り決め通りに殺さないつもりですが、倒すつもりではいます。何か合図や目印でも決めておきますか?」


 仲間、と呼ぶには烏合の一人であるアリスの力の行使を安々と許可した上に、それの機会を能力の把握に使おうとする紘和の姿勢には、不測の事態は自身でどうにでもできるという自信の裏付けなのかと考えさせられてしまう。


「……それじゃぁ、成りすました状況でみなさんに近づく時は必ず、幾瀧純を殺したいと言ってから左目で二回ウィンクするっていうのはどうでしょうか?」

「いいと思います」

「わかりました」


 返事をしなかったタチアナは少しだけ純に同情しつつ、ここで成りすましたまま紘和の寝首をかこうとしていなさそうな雰囲気のアリスに子供なんだな、と年相応の姿勢を感じていた。

 もちろん、これが演技ならば大したものなのだが。


「では、十五秒前からカウントを始めます。緊張しないで、落ち着いてください」


 紘和がそう言ってはいるが、ゆっくりという単語が意味するほどの時間は、敵陣にすでに入っているという点ではすでにない。加えて皆、やるべきことへのやる気に満ち溢れているため逸る気持ちがありありと仕草に表れていた。紘和は久しぶりの大規模戦闘を蝋翼物を用いて出来ることに加え、夢への一歩になると信じてどことなく表情が柔らかである。アリスは力の可能性を模索し、ジェフと会う時までの自力を上げる新しい機会にソワソワと歩き回る。タチアナはライザという存在を確かめるために敵陣と言われた味方本陣を力強く眺める。

 そして、友香は優紀に出会うために、両手を胸の前で強く、強く握りしめる。


「そろそろです……」


 皆が進行方向を向く。紘和は屋根の小窓を空けて周囲を見渡す。そして、確かに崖が近づいているのを理解する。

 ここまでの道を火柱を立てて派手にアピールしながら作ったにもかかわらず、攻めてこないということは、万全の構えで敵は待ち構えているのだろう。


「十五、十四……」


 淡々と刻まれていく秒読みが心地の良いものに聞こえてくるように錯覚する者がいる。

 高揚する気持ちを程よく保ったまま深呼吸をするような感覚だった。


「三、二、一、出撃」


 号令と共に恐らく紘和が何かをしたのだろう。家がおがくずに変わり、宙へ舞い上がる。それは一瞬ではあるものの敵への目眩ましにもなるほどの量であった。

 それは浮遊感と共に投げ出された面々も同様に、これから対峙する勢力をそんな視界の中から確認することとなるが仕掛けた側が優勢であることに変わりはないはずだった。


「遅かったじゃん。何やってたんだよ?」


 純がいた。

 正確には敵の声は一切せず、目的の広場前には純の声だけがあったのだ。


「幾瀧純を、殺した~い」


 アリスが大声でそう宣言すると拳を純に振り下ろしながら着地していた。降雪した雪が舞い上がっているところからも恐らく攻撃は外れたことが予想できた。しかし、舞い上がった雪の量や言葉の熱量からもその振り下ろしが冗談ではなく、全力で殺しを狙った一撃だということは誰の目に見ても明らかだった。友香、タチアナも無事に着地をした一方で、拍子抜けしてしまう。

 敵が待ち構えていたかと思えば、純が現れたのだから当然のことである。


「いやぁ、それは勘弁願いたいなぁ。まだ死にたくないし、何より俺は殺される時を選ぶ権利ぐらいはある人生を送っているつもりだからね」


 意味深な言い回しと共に作られた銀世界が晴れていく。


「だからさ、今はやめてくれよ。正直、お前らの相手をしてやれる状態じゃない」


 そこには大の字になって倒れるボロボロで血だらけの純の上にまたがり、何かを振り上げている様な素振りの紘和がいた。アリスに仕掛けられていたはずが、最終的に紘和の殺意が勝っていたという光景に周囲の誰もが固唾をのむ。恐らく純が投げかけた言葉もアリスに対してではなく紘和に向けたものだったのだろう。

 だから【最果ての無剣】を振り上げているであろう手が止まっているのだ。


「何してたんだ、奇人」

「何だかそのあだ名も久しぶりに聞いた気がするし、安心するわ」

「何をしていたんだ。質問に答えろ」

「その前にこのボロボロの身体を治してくれよ。話も戦いもその次だとは思わない?」


 純が生きていた。このことに対して二つの感情が動く。一つは生きていたという安堵。そして、タチアナだけが抱く、ラーヴァルが、いやラーヴァルたちという軍勢が個に負けたかもしれないという事案にして、それをやってのける化物への恐怖だった。


◇◆◇◆


「……ひゅう……はあぁ……一分経ったかな」


 動くな、とかじゃなくてもという文言を叶えるように円の内側から両足を一度も地面から離すことなく、切り傷や刺し傷を最小限で抑えきった化物が、合成人の、ラーヴァルの自尊心を折りにかかるように、今にも消えてしまいそうな声でラーヴァルに尋ねてきたのだ。前回でも戦力差が圧倒的だったのはわかった。それが純の全力でなかったこともだ。だからこそ、不利な条件を押し付けて、有利な局面を作り出したのである。純の力を見誤った、という表現は不適切である。言葉にするなら、時間は誰にも平等にただ流れていてる、それは単純にあの時よりも、前回の戦いよりも確実に純という人間が強くなっていたということである。そして、前回を知らない部下には異質さ極まる恐怖を強烈に植え付けることになった。純は確かに瀕死である。しかし、腰を軸にした柔軟な動きで攻撃を交わし、ラーヴァルの突撃を片腕で抑え続けながら、空いた手で致命傷を受け流し、一分後、生きているのである。こんな人間が知名度もなく存在して言い訳がない。

 そもそも知名度に関係なく、明らかに八角柱を凌駕する存在がいることが信じられずにいた。


「それじゃぁ……約束通り右目、もらうとするか」


 一歩も動かない、このハンデがリミッターを解除すること以上のメリットだったのは間違いない。それでも敵わない。

 その目に見える形として浮き彫りになった実力差が死にぞこないのように見える純を化物に昇華させた。


「ば、化物め」


 腰を抜かした人以上の力を手に入れた異形とも言える合成人が雪の上で批難する。


「残念だけど、俺は化物じゃない。人間だよ。ただの人類最強の人間だ。お前らみたいな特別な存在と……一緒くたにするなよ」


 徐々に流暢に喋り出すのがまた妙な威圧感を生み出す。言葉を紡げば体力が回復しているんじゃないかとも思えるほど、生気が溢れ出していく様に見えた。もちろん、そんなことは表面上決して無いことは見ればわかる。

 ボロボロで血だらけの身体が無理やり動かされている様に見えるその様は、糸に吊るされた操り人形を彷彿とさせるが、それが生身の人間であるという事実がさらに生命力という圧を如実に生み出す。


「怯むな」


 怖じ気怯んでいたラーヴァルが自身を奮い立たせるためにも前に出る。現場の士気を上げるために、どれだけ受け入れがたい現実も受け入れるためにと前に出る。この期に及んで撤退が許されないから前に出る。

 前に出なくてはならないのが今だからこそ、ラーヴァルは前に出る。


「いいぞ、ラーヴァル。その心意気やよし」


 言葉を残し、ラーヴァルの視界から消える純。傷だらけの身体で俊敏に動けるわけがないという先入観が、上下運動という人の目にとって追いづらい動きを更に鈍く捉えさせる。相手に対する恐怖心が、前に出たという事実に反して注意力を散漫にしている。そう、ただ純はラーヴァルの下に潜り込むように姿勢を低くしただけで本当に存在を消したわけではない。

 そして恐怖が、ラーヴァルの踏み出した勇気の軌跡に反して、それ以上身体を動かそうとしない。


「ただ、世の中気持ちだけで達成できるほど甘くない。足らないよ、日頃の努力が」


 合成人という人の先を行くであろう種族であるという維持が、その言葉に重みを感じさせる。才能という一言だけで合成人である自分たちが負けるという事実を認めたくない。

 様々な自負が、誇りが純という人間の努力で手に入れたであろう力を認めようとする。


「だとしても」


 俺だってあの日から努力を怠ったわけじゃない、という遺憾の意を漏らしながら、歯を食いしばって声のする方に視線だけでもなんとか向けようとするラーヴァル。しかし、顔がその動きに逆らう。純の掌底がラーヴァルの顎を突き上げていたのだ。自然とラーヴァルの重心は後ろへ傾き、足の裏を指先から徐々に地面から離すことになる。そこへ、純の蹴りが見事に溝へと吸い込まれる。結果、巨漢がいとも容易く地面と水平に宙に浮いた。そして、ズンッと周辺を軽く揺らす地響きと共にラーヴァルは蹴り飛ばされたという事実を遅れてその身と脳に刻むのだった。

 決して致命傷と言える一撃ではない。恐らく、純も見た目通りに疲弊はしているからだろう。だが、心を折るには、敵の戦意を削ぐには十二分だった。それは、まだ戦う事ができる純に対してこの光景を見せつけられて挑もうとする者がいなかった戦場自身が物語っていた。ラーヴァルの鼓舞に続こうとしたものですら躊躇する。蝋燭の炎は消える前にその激しさを増し明るく輝くという。それは最後の力を振り絞って盛り返すというイメージを与える。そして、まさに純はこの状況に例えられる状況だった。しかし、例えのようにその炎は消えることを知らず、煌めくように強く燃え始めた炎はその明るさを一向に衰えさせることなく燃え続けるのだった。

 追撃を加えるべく尻餅をつくラーヴァルへ飛びかかる純の姿が誰の目にも捉えられた。マウントを取ると純はためらいなく右手をラーヴァルの右目めがけて振り抜こうとする。しかし、眼球に風圧を感じるだけで留まることになる。攻撃への対処が見てから間に合ったわけではない。純ならば必ず有言を実行すべく動くと信じた故の対応だった。くしくも実力を認めた故に相手を、純を信じることで出来た対処。それは純なら右目を奪いに来るから右目付近に意識を集中して、そこにきた右手をただ両手で止めた、だけだった。

 一方、その一瞬の奇跡とも呼べる対処に熱くなったのか、純が言葉をまくしたてる。


「だとしても、なんだ? 俺に気圧されて部下が誰一人攻めに来やしない。サシの対決を邪魔する? それは強者に認められた試合でしかありえない。お前らは弱いなりにその強者に対抗する努力をするべきだったんだ。その一つが数なんだ。そして今となっては実力を見せつけられて負けるのが、死ぬのが怖くて勇気が出ない? それで指を咥えて死ぬ方がよっぽど勇気がいると思うぞ。で、どうなんだよ、それが出来ない部下を持って。どうなんだよ、そうさせることを出来ない上官として。成長した相手を前に成長しても劣ってたお前らは、だとしてもなんだったんだよ、えぇ?」


 グッと待ち構えていたところに来た純の右手を両手で抑えているはずなのに、ジワジワと確実に押し返されているのがわかるラーヴァル。


「だとしても、なんなんだよ」


 ニカリと笑う奇人が更に力を込める。


「な、ん、な、ん、だ、よ」


 罵倒に聞こえなくもないだろう。一方で、敵に勝利への貪欲さを鼓舞させ、勝機への可能性を説法されている様にも感じる。そしてそれは、自然とそうするべきなんだと思わされる感覚がラーヴァルにはあった。

 同時に純が自分に言い聞かせているような、そんな違和感もあった。


「俺たちはお前を生け捕りにしなきゃならない。殺す気で挑んでそれを達成しなきゃならない。だから、やれ、お前ら」


 眼球に体温を感じるラーヴァル。同時に圧迫感を感じる、がまだ左目を失った時のような鈍痛も激痛も訪れていない。失う前に、なんとかしなければ。その感情を取り戻し、改めて部下に指示を送る。言われるままの対応だが、そんなことを恥じている場合ではない。

 強き者に勝つための手段が取り敢えずそれなら、それに従う以外ないのだから。


「おぉおおお」


 雄叫びや遠吠えと共に同じことを思ったであろう合成人が動き出す。仲間を救うため、上官の命令に従うため、目の前の強敵に数で襲いかかる。

 そして、周囲の喧騒からでもはっきりと純の言葉がラーヴァルの耳に届く。


「よかったなぁ。お前は、今は、右目を失わない。だが、多くの部下を犠牲にする」


 悪魔がいるならまさに目の前の男のことなのだろう。


「俺は俺の勝利にお前の右目を必要としないからだ。でもお前は俺への勝機を掴むために、数を、部下を使わなきゃならない。でも安心しろ、お前の右目を潰す時間でスキが出来たとしても、結局、俺はここを切り抜けられた。だから、お前は最良を選択できたはずだよ」


 左右から来る二人の合成人の首を左右片手で掴む純。そして、ラーヴァルを蹴り反動をつけて交代しながら嫌な音をたてさせる。ラーヴァルの助骨が折れたわけではない。部下二人の首が折れる様な音だった。そして投げ捨てられた二人は泡を吹いていた。死んではいないようだが、今後通常の生活が、戦闘が行える身体でいられるかは考えるまでもなかった。何より健全であったとしても身体が覚えたトラウマが全てを無に帰し、戦場から遠ざけるだろう。

 それぐらい残酷な音に恐怖だった。


「俺もあいつらを追いかける時間がいるからな。手短に頼むぜ、合成人」


 やる気をいれるのも削ぐのも自由自在の男が不敵に笑うのだった。


◇◆◇◆


 言葉を並べて、高揚感で脳内のアドレナリンを大量に分泌地させる。痛みを和らげ、感覚を鋭敏にする自己暗示にも似た苦肉の策。それが純の選択した行動だった。結果としては相手を翻弄して時間を稼げている。体力の回復を図るつもりだったが、どうも身体にかかっている負荷がすでにある程度の許容の範囲を超えているようで回復する感覚が掴めないでいた。正直、喋っていなければ気を保てそうにもない。それでも人類最強であると信じてやまない自負が己の膝を地につけさせないでいた。

 つまるところ、一分の時間をあげた代償は純を窮地に追い込むには充分だったという話である。ここまではなんとか状況を拮抗に保っていたが、敵は勢いを取り戻そうとしている。それもこれも招いているのは自業自得なわけだが、なんとかしてイーブンに持ち込む必要性があった。その布石にラーヴァルの右目を潰さず、合成人を一人も殺してはいない。

 駆け引きにはならないが、相手が何かしらの条件を飲む際に留意する点になり得る可能性はあった。


「そうでもしないとライザの死に際が見られないからな」


 純はここで一つのカードを切った。この言葉がどう転ぶかは純には想像できない。しかし、興奮状態の相手から欲しい言葉がもらえる確率は高い。後はそこからどう引き際を決めさせるかである。


◇◆◇◆


「お前ら、まさかライザ様を殺すために来たっていうのか」


 ラーヴァルは身動きの取れない眠れる女王の安否を気遣う。もし、ライザが身動きを取れないとわかって、そこに勝機を見出して眼の前の敵が動いているのならば、十中八九ライザの身が危ない。純たちがライザを殺してどんな得をするのか、そもそもどうやってこの好機を知り得たのかは全くわからない。ただわかることは、この不可能を可能にしたような戦況を見て分かる通り、純ならばやりかねないということである。一方で、眼の前の男がそもそも理由もなく動くとはラーヴァルには考えられなかった。目的はわからないが目的はあるのだと。楽しいことをただやる、それを原動力にしている人間の考えを常人が理解するのも不可能なのだ。それをこの場の合成人が理解するのは難しいだけの話である。しかし、そんな純の意味不明な発言もラーヴァルにはまた新たな何かを示唆させる要因にもなっていた。それは、危険因子をアンナはライザのためにと生け捕りで迎え入れようとしている違和感である。

 どうして殺しに来るような存在がライザのために必要なのかと。


「そうだ、現役の八角柱に用事があって来たんだよ、俺たちは」


 純の言葉に妙な引っかかりを覚えるラーヴァル。身動きが取れない状況を知って攻撃をしかけていると思っていただけに、現役という単語が出てくる辺り、それは今でもライザが八角柱として政をしているかのような言い様だった。もちろん、アンナは代理であり、現役の八角柱はライザである。だから言葉としては間違っていないはずだが、不思議と聞き逃がせない違和感があったのだ。問うべきか否か、ラーヴァルは悩む。

 同時にアンナの命令とは言えライザの命を狙う存在を引き入れる必要があるのかと。


「どうした、攻撃が止まってるぞ」


 ラーヴァルに積もる疑念が容赦なく純に時間を与える。そして、すでに部下の倒れる姿が目立つまでに被害が拡大している。だから、ラーヴァルは腰を再び上げる。少なくとも主の危機と聞いて奮い立つものがあったのだ。故に純に攻撃をしかける。自身の重たい一撃をその勢いに任せて純に確かに当てる。それでも当たった攻撃はキレイに力が分散され、純にいなされる。

 もちろんダメージがないはずはないのだが致命傷には至らせることは出来ない。


「どうしてライザ様を狙う」

「教える義理はない」


 ラーヴァルの顎をかすめる純の右足を前に攻撃を前に展開する。


「それじゃぁ、なぜこのタイミングで襲う」

「お前らが俺らの逃走を手助けしてくれたからだ。懐まで行くにはたやすいだろう?」


 遠まわしに聞いても、何が聞きたいかまるでわかっているかのようにラーヴァルの求めていない答えを提示する純。しかし、ラーヴァルには意識不明のライザの状態を純が知っているのか聴くことは出来ない。その行為が墓穴であり、同時に部下に示しのつかない失態であると認識しているからである。危機管理能力に長けた上で、純たちとそれなりの時間を過ごしてきたタチアナでもなければ踏み切ることの出来ないほどの確認、それがライザの状態を純に問うということである。

 そしてラーヴァルが次の言葉を探していると、少し考えたような顔をしながら純が先に口を開いた。


「このタイミングで狙われることに……不信感があるのか?」


 ラーヴァルはゾワリと背後に何かが這い寄る様な感覚に襲われる。何かが、ではない。わかっている。

 しかし、そうだとしてもラーヴァルの問だけで真実に近づいてくる純に、力とは別の恐怖を体験させられた。


「つまり、ライザに不都合な時期ということか?」


 ラーヴァルを始め、誰もが息を呑む。


「だったらライザが今回のヘンリーたちの介入に賛成したのも理解できる。そして、お前ら……ハハハッ」

「どういう……意味だ? どうして笑う」


 予想外の純の言葉にラーヴァルは素直に聞き返していた。


「そんなの本人に聞いてくれよ。まぁ、実際ライザが賛成を入れたのかまでは知らなかったが、少しでも俺らの戦力を削らなくちゃならない状況、つまりライザ自体に不測の事態が起こっているなら辻褄が合う。そういうことだ」


◇◆◇◆


 純はここで停戦が引けると確信する。ラーヴァルを始め周囲の合成人が動揺しているからだ。こいつは何を言っているのかと。その証拠が間髪入れずにラーヴァルが質問し返してきたことにある。つまり、ライザが生きているという可能性を確実なものとして受け入れられない状況が生まれたということである。それはここで争う意義を見失うほど合成人にとっては重要なこととなる。

 なぜなら、ライザが生きているとすればアンナという存在に疑念が生まれるからだ。


「そんなはずは」


 ラーヴァルから思わず純から隠していた案件が漏れ出すフレーズが飛び出す。


「どうしてそんなに動揺してるんだ? まさか、俺たちが何かするまでもなくライザは瀕死なのか? ついさっきまで議決の席にいた人間が? 内部派閥でもあるのか、お前ら?」


 純は自身が目の前の合成人にとってまるで悪魔のように映るように錯覚させ、自身すらそうであったかのように振る舞いボロボロの身体を酷使させてきた。だからこそ、純の語る言葉がたとえ嘘であったとしても真実であるかのような信憑性をもたせることに成功させていると。超越した存在、強者が語る言葉には不思議と力がある。だからこそ、誘導するのはたやすい。事実、純はライザが生きているという事実だけはしっかり伝わるように話していたからだ。

 今回の場合はそうした方が面白い結末を見せてくれるのではないかと思っているからだ。


「何がどうなっているんだ?」


 混乱の声を上げるラーヴァルに純はささやく。


「もしかして、お互いが状況整理を求める時間かな? 良ければ聞かせてくれよ。俺の話がおかしいと思える点を。そうしたら教えてやるよ、俺が、お前らの抱える疑問点を」


 こうして純はラーヴァルと話し合いの場を獲得する。当初の予定とは違うが、当初の予定よりも面白い最期を迎えられると信じて。


◇◆◇◆


「つまり、お前はライザが生きていると言うんだな」


 ラーヴァルは臨戦態勢を崩さないまま、しかし、純の提案を飲んで情報の交換を始めていた。


「おかしなことをさっきから繰り返すなよ。まぁ、そこがお前らの思う俺のおかしな点なら仕方がないけどな」


 ラーヴァルは首を縦に振る。


「とある人はこういった。先程の列車の騒動はイギリスのメンツを守り、恩を売る時間だと。つまり、恩を売るというのはロシアが招き入れたということである。それも各国の戦力をだ。各国の戦力の協力が必要と感じたのはヘンリーだろう。俺たちの強さを目の当たりにしているのだから当然の対応とも言える」


 うぬぼれでもなく当然の様に自身の強さを評価する純の言葉にラーヴァルはトゲというものを感じなかった。


「そして、メンツというか戦力を取り戻すチャンスを獲得したことになる。で、そんなことをロシアがオッケーしたからイギリスが国家クラスの戦力を引き連れていけるわけ、ないよな? こういうのは八角柱全員が顔を合わせて決を採る。そうしなければ八角柱それぞれのメンツが立たない。で、決が通って実行された。つまり、誰もがライザを目撃していることになる」


 嘘を言っているようには聞こえないが故に混乱が収まることはない。


「じゃぁ、誰なんだろうな。お前らがライザだと思っているものは。お前らがライザでないと思っているものは、さ」


 不安を煽られる。純はデタラメを言っている、そう反論するだけでこの混乱には収拾がつく。なにせ、八角柱間の採決は顔を突き合わせなければならないなどという決まりをラーヴァルは聞いたこともないのだ。何でもいい、ラーヴァルは自分の知らないことを理由にライザが生きているという可能性を否定しようと言葉を探す。いや、言葉はいくつも用意できているのだ。それでも声に出来ない。純が真っ向から否定してくるからではない、認めてしまっている自分がいるからだ。

 ライザは生きていると、故にアンナは一体何なのだと、疑うべきことを認めてしまっているのだ。


「馬鹿だな、お前ら。揃いも揃って馬鹿だな」


 そしてそんな不安を煽る張本人は敵を前に再びアドバイスをする。


「本人に確認すればいいだろう? ライザはどうしてるのって? ガキじゃあるまいしそのくらいはできるでしょ?」


 やるべき当たり前のことを提示してきたのだ。


「俺も付き合ってやるよ。こうなったからかわからないけどさ、よくよく考えれば俺たちが闘う理由はない。俺たちはみんなで行けばいいんだよ、ライザのもとに、違うか?」

「どうして、ライザを殺そうとする人間とわかってて……」


 ラーヴァルのやっと口にできたどうでもいい言葉を純の右手人差し指がラーヴァルの右目に最接近して止める。


「お前らの目的は何だ? 俺を殺すこと? 違うだろ? お前たちの目的はライザに真偽を問うことだ」


 生け捕りにすることが目的だったのだが、ラーヴァルは純の言う通り純を殺すことが目的でなく、本来の目的を連れて行くことで達成できると理解する。敵を招き入れてはいけないというさっきまでの警戒心が、全て自身の主君に対する疑念で麻痺する。そして、純の口車に乗ってしまうのだ。まるで、ライザの生き死にを確認しなければならないとという使命感が働くように。

 アンナの目的を問いただす必要があると。


「わかった。お前を連れて行こう」


 ラーヴァルのその言葉に部下である合成人の誰もが一瞬耳を疑ったような顔を向ける。しかし、すぐに誰もが納得したように力なくうなだれたまま撤退の準備を始める。ラーヴァルもどこか気が抜けたように歩き出す。純を拘束するわけでもなく、ただ確認するために、帰還するために。


◇◆◇◆


 ラーヴァルたち合成人は列車襲撃現場近くに止めてあった車に乗り込み移動していた。純はラーヴァルと同じ車に乗って移動している。後部座席に二人並んでだ。

 一応、助手席、運転席ともにそれなりに実力の有りそうな合成人が乗車しているが、そこに部隊の中核をなす合成人を加えて純を徹底的に牽制しているとみるべきか、そこに純と部隊の中核をなす合成人を隣にして危険に晒すような真似をしていると捉えるかは、実力を知るものしかわからない。


「やっぱり車内はあったかいねぇ。軽く手当してもらったついでに食事もしたいんだけど、何かつまめるものとかない?」


 純に死なれては生け捕るという目的もライザの真偽を確認するためにも困るため最低限の応急手当を受けていた純は図々しく敵陣で接待を求める。

 しかし、誰からも反応はない。呆れて物が言えない、という雰囲気もなく、徹底的に相手をしないスタンスをとっているようだった。


「騙されているのが本当に合成人みなさんだといいですね」


 純はちらりと隣に座るラーヴァルを顔は正面にしたまま視線だけで見る。すると同じ対応をしたラーヴァルと目があった。ライザに騙されているという点を否定するべきか、真意を知る合成人がいる可能性を追求するべきか悩むのは目に見えてわかった。部下も気になるが口を先に出していいものかと悩んでいるのがバックミラーを通して確認できる。

 その葛藤する沈黙が場の空気を重くするのを感じ、純は満足する。


「ほら、こういうのって一人で計画する場合と複数人でやってる場合があるでしょ? 一人だと秘匿性に長けますが、何かをやろうとしている上では達成するまでに時間がかかってしまう。ここまで大規模なことなら、協力者がいそうなもんですよね」


 純は秘匿性という最重要な点において一人でやることが絶対的に正しいと思いながらも、煽るために合成人の関係性に綻びを生み出すために言葉を巧みに選ぶ。


「お前はそうやって何でも知っているように振る舞うが、その若さで教祖でも経験したことがあるのか?」


 興味はあるが容易に真意を聞く様な真似はできないといった対応に純はため息を漏らす。


「必要なことはそんなプライドや建前じゃないだろう? そうやってると欲しい情報を掴むチャンスを失うことになる。今、この場で求める側はお前たちだ。煽りに煽り返してるようじゃ底が知れてるぞ」


 純はラーヴァルの目が細くなるのを感じ取る。


「仮にライザが生きているとして、どうして俺たちがその話で動揺すると思った?」


 純は素直に両手を叩く。


「ちょっと背伸びして相手の意図を超える質問をしてくるのは、実にいい。俺もただの脳筋だと高をくくっていたことを詫びよう。ただ、やはり飛躍しすぎだし、その質問をするということは、ライザやアンナに不信感、最悪裏切りを感じていることを認めることになると思うのだが、その辺はどうだろう、ラーヴァルさん」

「疑いを晴らすことが、その理由を確かめるのが目的だ。背理法だとでも思ってくれ」

「わかったそういうことにしておこう」


 空気が変わるのを誰もが感じる。


「それじゃぁ、まずはあなたたちの通信手段を全て断っていただきたい」

「横暴だな」


 純とラーヴァルが対等な交渉相手として話を進めている。


「そうすれば、あなたの質問に答えることが出来る。この車内ではなく、現在移動している全ての合成人全ての、です。そしてラーヴァルさん、あなたがこの車を運転してください。知る人間は一人いれば充分ですから」

「わかった」


 ラーヴァルは車を止めさせ、部隊の全員の通信機器を破壊したことを確認すると純が待つ車へ一人戻っていくのだった。

 ある者は心配そうに、ある者は不信感を募らせた視線をラーヴァルに向ける。


「大丈夫だ。安心しろ」


 ラーヴァルはそう短く告げて車に乗った。ゆっくりと動き出すリーダーの車を他のものは後ろを追走し始めるのだった。


◇◆◇◆


 発進した車内は沈黙を守り続けたまま目的との距離を縮めていた。ラーヴァルはときたまバックミラー越しに外の景色を眺める純を確認しながら、一時間、その時間を過ごした。

 その沈黙に先に折れたのはラーヴァルだった。


「よかったのか、通信機を破壊するところを確認しなくて」

「損得をするのは俺じゃないから、問題ありません。あなたたちのことを考えた上での処置です。だから、仮に壊していなかったとしても気にしませんよ」


 車内と外の温度差で出来た露結を指でなぞりながらよくわからない絵を描く純。


「さて、どうしてライザが生きているということがあなた方の動揺を誘えると思ったかですが、簡単な話です。俺はライザが地下の培養室で【環状の手負蛇】の血液に浸かって植物人間状態で延命しているという設定を知っているからです。まぁ、質問をした段階で大方察しはついていたのでしょう。だから、あなたは通信機を全て破壊する意図をしっかりと理解していたはずだ。あなたのようなタイプの人間……合成人が指示に従わなかった場合を聞いてくるのは一種の息継ぎのようなものですから」


 ラーヴァルの耳を疑うような事実が視線を車窓に向けたまま純の口から飛び出す。それは内通者の存在を意味していた。そして、内通者は今もこうしてラーヴァルの身近にいる可能性があるということが先程の破壊行動の意味することだと改めて理解する。

 嘘であって欲しかったが、常人が知り得る情報にしてはあまりにも機密的な部分に触れていることがラーヴァルに対して信憑性を高めた。


「つまり、その内通者はライザ様が……」


 ラーヴァルは言葉が詰まる。

 背理法だと言っていた仮定が否定できない事実に。


「まぁ……お察ししますよ。だから私の口から言わせてもらいましょう。その内通者はあなた方がアンナだと思っている存在がライザであるという事実を知っています。加えてひとつ。どういった手段かはわかりませんが、あなた方合成人にはどうやらライザがアンナに見えるようになっている。つまり、培養基にいる人こそが、アンナということになります」


 ラーヴァルは何も言うことなく純の言葉ひとつひとつを聞き逃さないように耳を傾けていた。


「しかし、ここで内通者の存在に疑問が生まれます。合成人全てにそう見えているならば、内通者は存在するのか。ひとつ、内通者は合成人ではない。恐らく東部管轄区のあなた方の根城の構成員は全て合成人のはずです。この可能性はありえない、とは問屋がおろしません。九十九陸ことツァイゼル。あなたたちを創るに至る存在となった彼は合成人ではありません。もちろん、ライザが培養基に入るキッカケとなったのは彼がいなくなってからですが、その後も情報の共有はしていましたよね。少なくとも【雨喜びの喜び】を手に入れようとした時にコンタクトは果たしています。でも、俺にとっての内通者ではありません。だから現地であってもそのへんは気をつけてください。もちろん、あくまで俺にとってのであって、他の誰かと共闘してたとしても、俺は知りませんし、知ってたとしても教える義理はありません。まぁ、後エカチェリーナさんもいますが、彼女は恐らく協力者という立場でしょう。なにせ、合成人でないのにアンナのことをライザと呼んで行動しているわけですから。そんな人間が安々と寝返るとは考えにくい。もちろん、暴走する誰かを止めて欲しいと思ってすがる可能性はありますが、俺の耳にそんな情報は届いていません」


 純は露結した窓に描いた六芒星が滴る露で形を崩すのを確認しながら右手で拳を作りそれを擦りつけながら消している。

 ラーヴァルは陸の名前が上がった時点でエカチェリーナは少なくとも知っていたとわかったが、言葉にされるとどうしてロシアの右手にすら秘密裏にしていたのか追求したくなるぐらい胸が苦しくなった。


「では、内通者は合成人ということになります。もちろん、ライザ本人という可能性もあるかもしれませんが、流石にもったいぶるにはナンセンスなので今回はその線はなし、ということにしておきましょう。ではライザの正体を知っている合成人が内通者ということになります。その合成人はアンナがライザと錯覚した状況で知っているのか。残念なことにそんな状況の合成人を俺は把握して いませんし、少なくとも内通者も今は錯覚していながら、していない状況にあります」

「そういうことか」


 ラーヴァルはこの時点で純の言わんとしていることに気づく。合点がいくとはこのことであった。

 全てのピースが完全に合わさったわけではないが、納得いくだけの条件が揃っているのだ。


「まぁ、そういうことです。ロシアの右手のナンバーツー。リュドミーナ。彼が俺たちの内通者に一応、あたります」


 リュドミーナは合成人の中でも特殊な位置づけである。まず、自由に外部との接触をしていいことになっている。それは彼の合成人としての特性を活かす上で重要なことだったからである。故に情報統括を行う最高責任の地位に立っている。そして、その外部と接触が容易にできるリュドミーナにはライザとアンナに対して違和感を持つことは恐らく自然なことなのだろう。しかし、そこでなぜ裏切る必要があったのか。

 裏切るほどの裏切り行為をライザがしているのか、その真実をリュドミーナが知っているのかとラーヴァルには聞きたいことが増えていく一方となる。


「なぜ、裏切ろうと思ったのか。恐らく疑問に思っていることでしょう。答えは簡単です、外の世界が楽しいからですよ。のびのびとやりたいことをやる、そのことが楽しくて仕方がなかったのです。だから、柵から解放して欲しいと接触してきたわけです。だから、理解できなくても仕方がありませんよ。なにせ、みなさんは未だに籠の中にいるのですから」


 ラーヴァルは何か言い返してやろうとする気すらも起きなくなっていた。

 そういうものなのかと受け入れてしまったのだ。


「しかし、それは彼……彼らが導いた結論です。ですからラーヴァルさんがどうするかは理由を聞いてからでも遅くないと思いますよ」


 どうするかと抽象的な言葉で表現しているものの、ラーヴァルにはまるでそこへ導かれているような気がしてならなかった。

 反逆を決めるのは本人を前にしてからでも遅くないと。


「不思議なものだ。リュドミーナに怒りすら湧いてこない。かといってライザ様にも同じく怒りや虚しさは湧いてこない。これが恐らく混乱というものなのでしょう。あなたの言う通りライザ様の口から何かを聞かない限り、何も出来ないと思います」


 そこから再び無言の時間が続く。しかし、重たいものではなく、ただただお互いがボーッとした感情で過ごす故に生まれた独りの時間が共存しているだけだった。そしてこの時間は純が降りると言い出す六日後まで続いた。

 ちなみに、純は口に出さなかったがリュドミーナは外の世界の楽しさを確かに知った。しかし、それを教えたのは他ならぬ純だということを。


◇◆◇◆


「もう少しすれば目的地だぞ? 本当にここで降りるのか?」

「うん、ちょっと人を待たないとだからさ。安心してよ。ちゃんとそっちには行きますから」


 ラーヴァルは敵が合流するのを阻止しようとかそういった考えは全く思い浮かんでいなかった。


「そうか、ならここまでだ」

「次会う時は敵同士だといいな。お前の右目潰しそこねたし」

「俺もお前を殺しそこねた。だからそうであって欲しいな」


 純とラーヴァルは本心を伝えて別れる。


「さてと」


 純は恐らく紘和が目の前の崖から襲撃してくることを予想していかにこの寒空の下を過ごそうかと考え出す。

 しかし、その問題はすぐに解決することになる。


「……どうした、寂しくなったのか?」


 少し離れたところからじっと純を見つめる影に話しかける。

 そして約半日後、純の予想通り紘和たちは崖の上からやってきた。予想外だったのはその中にトナカイが混じっていたことだった。

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