第三十筆:シュウゲキ

「おい、純」


 紘和の呼びかけが届かないほど興奮しているのか、純は列車の衝撃とほぼ同時にその身を音のした方向へと走らせていた。故に普段ならあるはずの指示がない。だから異変に対して皆動き出しはしたものの、そのまま持ち場がわかるわけでもないので純を見失った瞬間、指示を飛ばす人間を探すように見回す。それだけ純という存在はやり方に問題はあれどそれなりのリーダーという立ち位置にあったということが如実に出た瞬間でもあった。

 紘和がすぐにでも純を追いかけたいという衝動を抑えて大声を出した。


「俺とタチアナはこのまま純を追う。レイノルズと桜峰は後部車両を見てきて、何もなければ先頭車両に来てくれ。……レイノルズ、桜峰のことを頼んだぞ」


 紘和は焦っていたのかアリスから敬称が省かれていた。故に真意を告げているとわかり、アリスは紘和のその思いを素直に置け止めることが出来、顔をうなずかせた。ちなみにこの采配は咄嗟であったにも関わらず最適なものだった。特にアリスと友香を組ませたという点の評価が高い。友香が現状で紘和たちを裏切ることがないこと、そして【雨喜びの幻覚】により敵襲に囲まれても、アリスに裏切られても一人で逃げること可能だからである。

 そういう点では紘和という男の潜在的な指揮能力、咄嗟の判断は優れていると言えた。


「いくぞ、タチアナ」

「は、はい」


 本人にその自覚はない。しかし、指示を出す人間として申し分ないのはその場の誰もが理解していたため、それぞれが指示通りに走り出したのだった。


◇◆◇◆


 ものすごい衝撃の後、列車が減速しているのはわかっていた。そして、紘和たちが行動に移した頃には再度の爆音と共にすでに車両は停止していた。紘和の予想では、先頭車両が何かに進行を阻害されていると考えていた。手段は爆発音から重火器による直接的な機関の故障、あるいは間接的な進路妨害と思い浮かぶが、何か、目的に候補を絞ることが出来ないのは、一応監視兼人質目的で同行させたタチアナの反応にある。本来ならば真っ先に合成人の報復が思いつく。当然新人類の報復もゼロではないが国境を超えているという事実が優先順位を合成人へと向けさせるのだ。しかし、タチアナの何も知らされていないが故に出来るであろう驚きに満ちた顔が紘和のその選択肢の優先順位を下げてくるのだ。だが、敵を欺くにはまず味方からという言葉もある。その真偽が伺えないまま燃える先頭車両が見えてくる。即座に【最果ての無剣】で塞ぐ壁を切り飛ばし、火の手が広がるのを防ぎつつ視界を確保した紘和の目に映ったのは見知った顔だった。

 一人は純、そしてもう一人は。


「どうしてあなたがここにいる、シルヴァさん」


 八角柱が一人、ブラジルの勇気として所属するイザベラ、その人だった。


「お前の相手は俺だよ、ヒロ」


 紘和にとってヒロと呼ぶ人間に心当たりは一人しかいない。イザベラから答えを聞くよりも前に紘和は声のした背後を警戒を強めて振り返る。

 そして、手にしていた【最果ての無剣】が無機質なものを捉え、キンッと衝突音を弾き出す。


「どうして中之郷さんがこんなところに?」

「御老公の代理って解答じゃ満足いかないだろうけど、今はこの説明だけで我慢してもらえたら嬉しいかな」


 智の口ぶりから、本来であれば八角柱が二人、この場に居合わせる状況でも不思議ではなかったということが伺えた。というよりも恐らく紘和への申し訳無さから伝えたであろう、一樹の代理で来たことを強調して告げたことが重要だった。他国で八角柱が二人以上共闘して戦闘行為を行っているということは、紘和たちの現在の行動が八角柱内で話し合いを行った上で過半数が危険と判断したと勘ぐることが出来るのである。つまり、拡大解釈すれば人類にあだ名す敵、行為と判断された脅威レベルの高い事案と認定されたことを意味する。しかし、それにしてもタイミングが早すぎると紘和は思っていた。そう、そもそもロシアへ移動していることがなぜ危険に該当しているのかということである。もし、今回の一件に危険だという判断を下せるとすればイギリス側のアクションが重要ということになる、と予想はできないわけではない。だが、そうなればイギリスは自身の首を締めかねない。自爆覚悟は短絡的だと考えるからこそ、紘和にとってイギリスが関与していると断定するのは難しかったのである。そうなると、そもそも八角柱が二人以上で来ていない可能性もあるのだが、それはそれでまたなぜイザベラがいるのかという話にはなり、紘和は正確な解答を導き出せずにいるのだった。


◇◆◇◆


 一番に先頭車両に到着した純は驚いていた。後ろから紘和が派手な演出で登場したことに小言を言う気が起きないぐらいに驚かされていたのだ。

 煙を上げて燃える先頭車両の向こうに一人の老婆がいたからだ。


「どうしてあんたが今ここにいる」

「まるでいちゃいけないみたいな言い方だね。今じゃなきゃよかったのかい、小僧」


 頭髪、声の質からわかる圧倒的なまでの年配感。しかし、服の上からも小ぶりの胸にハリがあることがわかるほど、むしろ見える肌のツヤは若々しさを強調し、まっすぐにしっかりと筋肉に支えられて立っているという背筋が伸び、深く腰を落とせるその佇まいや純に向ける好戦的な眼光は老婆と言うには覇気があり、歴戦の武人を思わせた。

 事実、イザベラはステゴロ最強の異名を持つ、八角柱としてでなくとも有名な武人である。


「そりゃ、ロシアにあんたほどの人間がいてロシアの、しかも軍事列車を襲撃してる。おかしな話でしょ?」

「別におかしな話じゃないさ。お前らがイギリスにもたらしさ災厄を考えればわっちらがここにいるのは当然さ。あぁ、わっちは慰安旅行がてらこっちに偶然いたんで参加しているが、こっちの理由のほうが知りたかったのか」


 純は思案する。当然、紘和よりも柔軟にその可能性を模索する。複数形で国絡みということは八角柱がでしゃばってきたということ。その理由がイギリスでの騒動とくれば、ヘンリーが緊急に八角柱と決議を取ったと考えるのが自然となる。恐らく今いるメンバーを国際手配クラスのテロリストにでもするかどうかという内容だったのだろう。少なくともイギリスが戦火にあったことは事実であり、事実を多少脚色、捏造してもヘンリーが招集をかけることは容易な話だろう。そこで多数決を取って何ヶ国が賛成に票を投じたのかはわからない。しかし、問題はそこではなく、何らかのアクションが追加されると想像していたが、それにしても早すぎる対応と過剰なまでの戦力に純はより考えを巡らせることになったのだ。純の予想よりアクションが早すぎるということは、ヘンリーはすでに八角柱を使って裏切り者が出た時に殲滅対象に仕立て上げようとしていたと逆算することが出来る。そして、純を筆頭としたメンバーに油断しないだけの惜しみない戦力ということは、この場にいる全ての純の勢力の戦力を正確に伝えられている可能性もあるということである。

 それは友香や純自身を一般人というカテゴリーで油断させるという最大級のメリットが通用しないかも知れないことを意味する。


「いや、別にあんたの登場に恐れおののいてる、理不尽を痛感してるってわけじゃないんだ。もう少し後で用事もあったからさ。要するに、だ。ここでやれるかと思うと」


 純は取り敢えず考えることを一旦中止する。


「ゾクゾクするだろ、ブラジルの勇気」


 どれだけ想定外の危機的状況であろうとも、目の前の強敵という突然のオードブルを飛び越えたメインディッシュ級の出現に昂ぶるものが抑えきれなくなったのだ。


「やはり、聞いてた通り、腕っぷしには自信があるようだね」


 やはりという言葉からも分かる通り、自分を危険として捉えられていると振り返らせたイザベラの声は純の足元付近から届く。本来であれば考えるよりも先にその危機感知で後ろへ距離を取れただろう。そして、純の危機感知は確かに働いていた。しかし、光が音を置き去りにするように、未だ慣らせていない純の危機感知はイザベラが動き出すより前に作動することに失敗したのである。

 結果、イザベラの拳を顎にかすめながら距離をとることになった純。


「小僧。一度手合わせでもしたことがあったかい?」

「初見で見切られたのがそんなに驚きかい? 安心しなよ、初めてだよ。本当に初めてだ。だから聞いてたよりも随分と凄いものだと思わされたよ。おかげで顎がちょっとばかし痛いってこれじゃ見切ったなんて高らかに言った自分が恥ずかしいか」


 ガハハと笑う純がいる一方で、イザベラは自身で揚げ足をとっているものの実質初見で己の攻撃をかわされたことに驚きを隠せなかったのは事実だった。顔も名前も知らなかった無名の存在とは言え、ヘンリーから聞いていた情報を信じていたため油断などはしていなかった。だからこそ、実力を隠さずに放った初撃となる一撃。純はそれをほとんど見切ったのだ。その事実は、聞いてた以上に化物であると認識を改める必要があるとイザベラに警鐘を鳴らすほどの出来事だたのだ。だからイザベラは握った拳に今一度力を込めてから脱力する。自分の置かれている状況を冷静に判断するために。そこから再び距離を詰めるべく、ぬるりと足を動かす。

 合わせるように純が横に回避行動を取ることをイザベラは確認し、心の底から湧き上がるものがあることを実感する。


「長生きはするもんさね」

「ハハッ、年寄が言うと深みが出ちゃう言葉だね」


 一方、純はイザベラが拳を再度作ったのと同時に前進する。イザベラはそのためらいのない判断力に加え先の先を彷彿とさせる後の先に驚きながらも、迎え撃つための再度構えを取リ直す。しかし、純はイザベラの横を何もせずに通り過ぎていったのだ。イザベラはそれに合わせて態勢を即座に反転させる。

 そこには先程の張り詰めた緊張感を感じさせない、無防備な背中を晒しながら右手を首に当て何かを考えるように棒立ちする純がいた。


「そう言えば何人で来てるの?」


 チラリと聞こえた智の言葉をふと思い出しての発現だった。智が代理で来ているとは言え、明らかにこちらを危険としっかり認識しているにしては、戦力が足りないと思ったのだ。何より目の前の武人からは戦いたいという戦闘意欲は感じ取れるものの殺意を一切感じないのである。だから純はイザベラに他の八角柱の存在を確認したのだ。純は何かを見落としている、とそう感じる敵の采配が自分の襲撃されているという考え方を見直す必要性を感じていたのである。


◇◆◇◆


「相変わらず、彼は化物だね」


 智は【最果ての無剣】の能力発動を許さない程度の連撃で、四本の刀を実に器用に扱いながら紘和の動きに制限をかけていた。


「本人は化物だって自覚はありませんけどね」


 智の連撃を受け止めきりながら、いな止めさせられながら紘和は話を進める。


「どうしてここにいるか、なんて疑問はもうどうでもいいです。でも、だったらなぜあいつじゃなくて中之郷さんなんですか?」

「血のつながった家族だろう、なんて今更言うつもりはないけど御老公のことをあいつ呼ばわりだけはやめてあげて欲しいな」


 刀身を刀身で打ち付け弾き飛ばし、柄を掴み直しては蹴り上げその四本の刀の勢いを殺すことなく剣先を紘和と手元にない【最果ての無剣】へ向けさせ続ける智。

 無剣一刀流を智が使っていたらどうなっていただろう、と紘和に思わせるほど複数本で織りなす斬撃の手数は見事なものだった。


「御老公は律儀にヒロのお友達の言葉を信じてる。だから待ってるのさ、戦うべき場所で、その資格をヒロが手に入れるまで」

「……正直よくわからないのですが」

「まぁ、ヒロの友達のことも御老公の感性、価値観も、俺だってわからないよ。ただ彼は、嘘はついてないのかもしれないな」

「嘘?」


 智は純が恐らく紘和を一樹と戦わせることを具体的に話していないのだと判断した。ではなぜ嘘ではないという言葉が漏れたのか。答えは簡単で紘和の戦闘能力が以前と比べ物にならないぐらいに向上しているのを肌に感じているからだ。日本にいた頃ならば、今の智の攻撃は全て受けきるのではなく、弾き飛ばしてでも【最果ての無剣】の一撃で形勢を無理やり変えに来ていただろうからだ。それをたやすく見切っている。

 恐らく智から情報を引き出すまで攻撃に転じる真似などはせずこの攻防を紘和は続けるつもりなのだろうと判断できた。


「ちなみに襲撃したメンバーはこれだけですか?」

「ひとつ、勘違いをしているようだが」


 智は紘和の質問に答えないような素振りで話を切り出す。


「今回はヒロたちを殺すことが目的、というわけではない。もちろん、あわよくば今後のためにも摘んでいい芽だと思っている連中は多い」


 次の瞬間、智は自身の剣撃が重く押し返されるのを感じた。


「そう、今回は人質の奪還が目的さ。ちょっと自意識過剰というか、大局を見過ぎたかもね」


 智がそう言い終えたのと同時に紘和はすでに智の目の前から姿を消していた。

 智からすれば伝えるべきことを伝えただけに追う理由もないため四本の刀を手に収めて一息入れる。


「どうする、嬢ちゃん。俺と一戦交えておくかい?」


 影で戦闘を見ていたタチアナに智はそこにいるのはわかっているとアピールする。


「そろそろタイムアップですよね」

「……あぁ、嬢ちゃんは合成人だったか。それは済まない」


 智はタチアナの落ち着きぶりにタバコを取り出し、火をつける。


「まぁ、殺さないで済むならその方がいいもんな」


 雪原に腰をおろし、智は相変わらずステゴロで戦闘を続けている純とイザベラを眺める。


「逆に向こうは本来なら将来のために殺しておくために協力するべきなんだろうけど……俺が行っても邪魔になるだけ、だな。いや、どっちも役割的に殺す気はない、か」


 何も出来ない不甲斐なさを顔にありありと出してその行方を智は見守るのだった。


◇◆◇◆


 列車の後ろを見に来ていた友香とアリスの目に飛び込んできたのは、まだ別れて一日も経過していない顔だった。


「アリス。一緒に帰るわよ」


 ラクランズを大量に従えたヘンリーがいたのだ。


「……あぁあああ」


 しかし、もっと驚くべきはこんな状況で突然、大声を上げたアリスである。

 ヘンリーも友香も大声の主に視線を集中させた。


「そう言えば、真意を聞いてない」


 アリスの言う真意。それはアリスが純に協力を決める一因となったジェフのアリスを仲間にさせる真意だった。結局、何かを聞くこともなくなんとなく付いていく雰囲気に流されてしまっていたのである。

 アリスはヘンリーの顔を見てどうして自分が連れ帰られなければならなくなっている状況に陥っているのか思い出したのである。


「だから、ちょっと純と話が付くまでは帰る気はないわ」


 アリスはそう言うと即座に友香の手を引き、列車内を引き返す。この状況からわかることはヘンリーがアリスを純たちから取り返しに来たこと。先頭車両での出来事は戦力を分断させるための揺動。そしてアリスの能力を警戒する必要のないラクランズを従え対策は万全ということである。アリスには友香の価値はわからない。それでも守ろうと思ったのは純から真意を聞くためでも、紘和に頼まれたからでもない。

 放っておけない。アリスは【雨喜びの幻覚】を知らないので、ただそれだけの弱い人間を守るためだけに手を引いたのである。鍛えられていない故、足取りは遅く追いつかれるのは時間の問題だろう。それでも弱者であり、ジェフに救われたアリスには恐らく純達一行の中で誰よりも弱い立場の人間のことを思いやることが出来る存在だった。だから、追いつかれる直後にアリスは前に見えた連結部の先の車両に友香を放った。

 そして何かを叫ぶ友香の言葉を聞かずに扉を閉める。


「もう一度お前に成り変わらせてもらうわ、ヘンリー」

「待ちなさい。あんたのその力の可能性、逃しはしないわよ」


 そう言ってヘンリーは眼の前にいるアリスが見えていないかのように飛び越えて行き、後ろの扉を突き破った。そして思い出す、あれだけ非力な様子を呈していても友香は純という男が引き連れている人間なのだということを。その異質な力を見せつけるようにヘンリーやラクランズの進行方向から間を縫うように先ほど突き飛ばした友香が悠然とアリスの元へ戻ってくる。

 そして、笑顔で言葉をかけてくるのだ。


「大丈夫だった? 私のことを心配してくれてありがとう」

「えぇ。ありがとう」

「ここであなたを失ったらきっと私が後悔する」


 この時の友香の顔はアリスには見えなかった。なぜなら、カッコつけて自己犠牲丸出しで助けたのに何事もなかったようにされたことを恥ずかしく思い、アリスはとっさに顔を思わずそらしていたからだ。それでも先ほどまで気づけなくても声色でわかった。並べられた文字でだけなら仲間思いのいいヤツですむような感謝とそれ続く言葉である。しかし、無機質なまでの抑揚のない声、どこまでも何かのついで今は失いたくなかったというニュアンスを込められたような冷たい声質は、確かに常人がこの場で発するようなものではなかった。もしも、これが友香自身が自制できているギリギリの何かなのだとしたら、表層から溢れ出てしまっているこの段階が限界に近いことを意味するのだとアリスは悟れた。友香はアリスのために救ったのではない。では自分のために。その答えは先の純の会話からもわかる通り、恐らくは友香の愛する人の何かためになのだろう。

 そして、行き過ぎた感情が狂気となりアリスの鼓膜を震わせ、全身を文字通り凍りつかせて友達の顔を直視できなくなっていたこの時、列車の中間地点では紘和とヘンリーが対峙していたのだった。


◇◆◇◆


 自分が指示するよりも先に智の元を離れ、アリスの元へと飛んでいった紘和を見て純はやればできるじゃんと心の内で紘和を褒めるた。恐らく、智からここへの介入をせざるを得ない状況になったことへのせめてもの詫びがあったことも推察できる。本来であればそのことに何か反応を返してやるべきなのかもしれないが、そのことは気にも留めず純は目の前の戦闘へと再び意識を集中させるのだった。ヘンリーがアリスを、国民を取り戻すという理由でここへ来た可能性が過ぎったことが余計な雑念となり、思わず攻撃すべき手を止めてしまったのである。しかし、その懸念も紘和が向かったことで問題がなくなり、純は再びイザベラに向き合えたというわけである。

 殺意はなくとも武で語るという点ではどっちみち最高級のごちそうであるイザベラを放っておくのはもったいないという話である。


「何も答えちゃあげられないけど、そろそろ集中できそうかい?」

「……ハハッ、気を使わせちゃうぐらいなら答えてよ。でも、敢えて俺が言うよ。水を差して悪かったって」

「構わないさ」


 互いに仕切り直しが成立したことを理解する。


「こんなのいつぶりだろうねぇ。八角柱同士で争うなんてこともご無沙汰してるから年甲斐もなく興奮しちゃてね。続きがあるだけ嬉しいさね」

「やっぱりステゴロ最強の名は伊達じゃないねぇ。この俺に付き合えるやつなんてそういないんだよ。それに自分の身一つでここまで引き下がってくれるんだから、正直やりがいがあるよ」


 事実、イザベラは久しぶりの強敵に、純は久しぶりの実力者に身を震わせていた。

 互いにステゴロで対峙することなどイザベラにとっては基本ない。模擬戦ではあるのかもしれないが、ブラジルの勇気として立つイザベラにとって戦うということは戦場に立つことを意味することがほとんどである。つまり、イザベラにとっての戦いはいつしか武装した人間を己の肉体を前提にステゴロで迎え撃つことが基本となっていたのである。そして、経験が、凌駕できる努力の積み重ねが、今のイザベラをその地位に確固たる者として立たせている。そのためイザベラにステゴロで挑むという酔狂な機会は時間の経過と共に当然のように激減していったのだ。故に戦場で相対する人間としては異例の体験を今、しているのだ。自身とは違ったスタイルで、それでいて武器を持たぬ強敵に、己の全てを叩き込めるまたとない機会が降ってきたのである。ここで血沸き肉踊らなければ、ステゴロ最強の異名は嘘という話になる。だからこそ、イザベラの心は、身体は高揚感に震える。

 一方、一樹やヘンリー、果ては己自身とも対峙してきた純だが、イザベラという存在は相対して感じ取ったが、圧倒的に努力の幅が違った。才能という言葉ではたどり着けない、努力の先に立つ人間。異形の力に頼らず、ただひたすらに有限の時間の中で研鑽してきた技術、肉体に裏打ちされた純自身に似たような、それでいて本物でなければたどり着けない純粋な輝きを感じていた。だからこそ、純は憧れに身を焦がし、コゲた心でその純然たる力を否定してやりたいと震えるのだった。

 自身が異質であることは二の次で、実力主義を謳う人間にただ異を唱え噛み付きたいのだ。


「だからこそ、どちらかが死ななきゃいけないのが残念だよ」

「……そう評価してもらえることをあんたのうぬぼれと捉えるか、俺への賛辞に捉えるか、判断に困るんだけど。というか、死ぬのは互いに御免だよ」


 純の挑発にイザベラは肘を曲げながら両手を軽く上げ、手のひらを正面に突き出すように開ききった構えを取りながら答えた。


「名前、教えてくれんかのぉ」


 純はニヤリと笑う。


「知ってるくせに……」


 一度、焦らすように嫌味を挟みつつ、少しばかりの敬意を見せるつもりで純は答えた。


「俺の名前は幾瀧純だ。あんたと戦えてよかった、とは思ってる」

「そうかい、純。ありがとうよ」


 二人の距離がゼロになる。純はイザベラの両手首を下からガッチリと掴んで押さえる。お互いの腹部がノーガードの状態になった。そこへ互いの右足が相手の左脇腹を捉える。肉体が叩きつけられたにしては不釣り合いでいびつで不穏な音をたてる。互いに痛みが顔に表れる中、イザベラの両手がいち早くどこかに力を込める勢いをつけるように握りしめられる。すると片足だった純の身体がイザベラ側に吸い寄せられるようなグイッと傾く。だから、純は右手を即座に離し、迎撃に備える。そして純はイザベラの左膝を腹部に到達する前に右手で食い止めることに成功し、右肩を代償にすることとなった。イザベラの自由になった左手が純の意識外、左膝を囮に動いていたからだ。もちろん、純がイザベラの左手からの追撃を警戒していなかったわけではない。本当に一瞬の意識と視線の視覚を縫うように放たれた、イザベラに染み付いた相手を倒すという修行の結果が反射的に出た結果なのだろう。では、なぜ頭部ではなかったのか。肩に入った一撃を見れば、頭部を捉えていればその威力で純に致命を与えるのは十分だったろう。その疑問の答えは至極単純で距離である。肩と頭部では肩の方が近いためイザベラの一撃が到達するのは早いからである。あまりにも当然の理由に違和感を覚えるのは無理もない。それほど、イザベラの反射は正しい選択をしていたのである。

 それは純が歯を見せつけるように笑っていたことから説明がつく。そう、肩への一撃を防ぐ手段はなく食らわざるを得なかった。しかし肩にイザベラの一撃が、拳が触れている頃には純はその一撃を見ていたのである。つまり、もし頭部への一撃だったならば見せつけられた歯に噛みちぎられていた可能性があったということである。そして、ゼロ距離になってからこの攻防が三秒にも満たない間で行われたという事実が両者の実力を浮き彫りにし、反射的に死闘を演じられる二人の異常性を象徴していた。

 しかも、純は肩の骨にヒビをいれつつもその反動を利用してイザベラとの距離を取ることに成功していた。


「クソが」


 激戦に間髪入れずに純ががなり始める。


「やってくれるじゃねぇか。やってくれるじゃねぇか。やってくれるじゃねぇかよ。この借りは絶対返してやる。返してやるからな」


 それはイザベラに言っているようで、そうでもないようにイザベラを始め、その場にいた智やタチアナには感じられた。

 そして、右肩をブラブラさせたまま純はイザベラとの距離をさらに半歩詰める。


「あんたのおかげで俺は強くなれる」


 純の左手がイザベラの顔面を真っ直ぐに捉える。しかし、イザベラはその左腕を掴みにはかからない。イザベラの両手は純の来るであろう両足の攻撃に備えて待っているのだ。事実、右足が来るのを僅かな風圧で感じ取るイザベラ。だから右手でその足を掴み、折りにいく。そして触れたという一瞬の感覚が刹那の判断をわずかに鈍らせた。そう、それは一瞬触れただけで結論から言えば純の右足はギリギリで純側に引っ込んでおり、イザベラが触れたから掴めると判断していたが故に、純の戻った右足が軌道を変え、真っすぐ伸び直しイザベラの腹部を捉えることを許したのだ。

 結果、再び衝突する前の少しだけ距離の空いた間合いが生まれる。


「純」


 イザベラが驚くのも無理はなかった。鍛え抜かれたイザベラの握力は手を開閉させるたびに本当に微量の吸引力と反発力をうみ出す。常人では考えられない規格外の性能を併せ持つイザベラの握力。だからこそ、掴んだと思った体勢から、事実触れていたイザベラの手中をすれすれで引き抜く足技はイザベラの持つ常識では計り知れなかったのだ。

 イザベラからすればまさに純が初体験だった。


「ぜひ果てるまで相手をしてもらいたいねぇ」

「真っ直ぐで気が触れてない奴は俺も好きだぜ、クソババア」


 二人は一歩も引かず再び激突した。


◇◆◇◆


「やっぱり蝋翼物は強いわねぇ」


 ラクランズが宙に跳ねたまま、またはおかしな体勢のまま何かに串刺しにされているという表現が正しい状態で機能を停止しているのだ。


「しばらくぶりですね。桜峰さんとレイノルズはどこですか?」

「それはこっちが聞きたいわよ」


 紘和はヘンリーの口ぶりから即座に友香が事態の回避に動いたのだと理解した。

 故にやることは即座に決まっていた。


「そう、ですか。では大人しく帰っていただけませんか。力の差は歴然です」

「なめられたものね。全力を出してない今なら見逃してあげられると? 知ってる? その【最果ての無剣】の弱点」

「知っていますよ。握っている対象の異能しか引き出せない、ということですよね」

「……つまらないのね」


 冷めた顔をしたヘンリーが走り出す。紘和が出現させる無数の見えない刃を、その強運と身体能力で肌に出現位置を感じ、射出、投擲される刀身をかわしながら前へ進んだ。

 仮にも八角柱という位置に所属する自負が、紘和と渡り合えるとヘンリーの身体を戦いへ誘うのだ。


「埋められない実力差の前に、あなたは無力です」


 ヘンリーはつんのめるように転がる自分、紘和の声が降り注ぐ感覚を得て初めて足首に激痛を感じた。そして転がりながらも敵を視界に捉える。

 しかし、踏ん張りの効かない足では自身の巨体を制御できず、そのまま壁にぶつかる。


「スコヴヌングで足首の腱を切らせていただきました」


 ラックサー谷の人びとのサガに魔剣として登場するスコヴヌング。フロールヴ・クラキの墓塚から取り出された剣で受けた傷は、剣についている治癒石でこすらない限り決して治らないといわれている。そしてこの魔剣が使われる用途は今の世の中だと決まって交渉である。なぜならスコヴヌングに切られた傷は傷を負ったものが絶命しない限り、必ずその治癒石で治すことが出来るからである。故に致命傷に近い攻撃を与えてからその治癒と引き換えに交渉を始めてくるのだ。しかし、ヘンリーはそれを理由に顔を曇らせたわけではない。勝てるとは言わずとも対等に戦えると思っていた相手に一方的にあっさりとやられた事実に打ちのめされていたのだ。決して蝋翼物の力ではなく、紘和本来の実力に、だ。だからこそ同時にヘンリーの心中には驚きの感情があった。

 一体、イギリスで行われた実験の最終日の紘和に何があれば敗北を期すのかと。


「本当のところは殺してしまおうと思っていたのですが、一応あなたの行いが結果として今の私を作った……いえ、これは建前ですね。一応、純に聞いておこうと思ったまでです。私的にはどちらでもいいのですが、殺す相手が八角柱ともなれば事が事でしょうからね」


 落ち着いて淡々とヘンリーに置かれた状況を宣告する紘和。

 もはや交渉ではなく、純に判断を仰ぐまでの時間稼ぎでしかなかったのだ。


「やってくれるじゃない」


 思わずそんな声が小さく漏れるヘンリー。それは同時にやってやろうとする活力となり、ヘンリーは両腕で床を叩き、上半身を起き上がらせ右足で思いっきり壁をぶち破る勢いで紘和めがけてその身を飛ばした。まだ殺すつもりがないとわかった以上、この捨て身で少しでもダメージを与えようとしたのだ。しかし、その覚悟をあざ笑うように、本当にヘンリーの生死はどちらでもよかったのだろう、顔に迫る気配に死を覚悟させられたのだった。


◇◆◇◆


「だめですよ、天堂さん」


 その声にヘンリーは自分が生きていることを実感した。


「すまない、暴れられてつい殺してもいいかと思ってしまったよ。軽率だった」


 つまり、その言葉の通り、最初は生かそうとする選択を取る方に傾いていたはずなのに、あっさりと紘和はヘンリーを殺そうと短絡的に感情を変化させたのだ。どうしてヘンリーが生きているのかはわからない。確実に見えない何かが眼前に迫っていたのは事実で、あの紘和の振り抜く勢いからヘンリーの実力では不可避であることは不本意ながら明白だった。同様に紘和自身にも寸止できるほどの勢いではなかったように思えた。つまり首から上が切り離されていないという現状は逆説的に、そんな一撃を止めた誰か、第三者がいることを意味していた。

 そして、そんな力を持つ人間を、紘和に叱責する声の持ち主をヘンリーは視界に捉えるのだった。


「……桜峰、友香?」


 ヘンリーは確認するような、理解が追いついていない疑問にまみれた声色で、突然現れた女の顔を見ていた。顔をよく見たことで一度もあってはいないが知っている存在と酷似していると気付いたのだ。イギリスに来るとされていた紘和たちの三人の内の一人。なぜ何の遍歴もないただの一般人を連れているのか疑問に思っていたが、前述したとおり警戒を怠っても問題がないと思うほどに友香の存在は警戒心を薄れさせた存在だった。だが、今のヘンリーを救ったのが友香だとすれば何らかの実力者であるということになる。

 先日の大規模実験中、彼女はどこにいたのか。純の情報収集の力はヘンリーと同じところにあると言っていたが、友香を見かけなかったという事実と今の状況がヘンリーにとって友香を紘和の、否純が抱えるもう一つの秘密兵器のようなものだと思わせた。

 そしてそんなヘンリーの品定めをするような視線が少し怖かったのか物陰に少し隠れてしまった友香。


「大丈夫でしたか?」


 ヘンリーはそんな弱々しそうな存在の気遣いが、この状況を作ったのが彼女なのかという違和感をより強いものにした。

 そもそも最初から何処にいたのか、と。


「えぇ、大丈夫……よ」


 しかし、これ以上のあらゆる動作を許さないといった紘和の眼力にヘンリーは次の機会を狙うべく大人しくすることにした。そして、その機会はすぐに来ることをヘンリーは知っている。アリスの奪還は恐らくこのまま失敗するだろうが、彼らの旅路がこれから激化し、少しでも被害を被らせられるのだからヘンリーはそれだけで満足しようと煮えたぎる怒りを収めたのだった。


◇◆◇◆


 右肩を損傷し、肋にも数本ヒビが入っている純。打撃は斬撃でできる切り傷と違い身体の中に蓄積していくジワジワといった感覚が辛いと感じる。もちろん、大量出血や内臓破壊をたやすく生じさせる刃物が劣っているというわけではない。斬撃に関しては即効性の死がわかりやすくつきまとうのである。一方で打撃は、確実に蓄積させたダメージで相手の行動を制限して詰めていくという独自の明確な強さを秘めているのだ。加えて治りの早さ、長期的に見た時の戦線復帰を考慮した時、皮膚と違い骨にダメージを負った時のリスク大きさは打撃に分があることの多い印象があるのだった。無論、ヘンリーのように腱などの再起不能の箇所をやられているなら話は別なのだろうが。

 一方のイザベラは肋にヒビではなく折れているであろう激痛が走っている。加えて左足もうまく重心が乗せられないところから何かしら折れているか筋がやられている状況だった。しかし、両者ともにその程度の怪我で突然戦闘に見劣りを露見するするほどの人間ではなく、ツワモノなのだ。

 だが、二人の戦闘力にお構い無しで現状は進行を始める。


「そこまでだ」


 様々な異形の者達が沈黙する列車を取り囲んでいた。


「このタイミングで水を差すのかよ、なぁ」


 純は心底不快そうな顔を浮かべて辺りを見回した後、イザベラに向き直る。


「残念だよ。時間がきちまってさ。まぁ、お互いに生き残ったっていう点ではラッキーかもね」


 そういったイザベラの隣に智が寄り添う。


「御老公に代わって礼を言っておくよ、幾瀧」

「こっちだってさっきはどうも。でもそれでチャラって言えるほど安くはなかったよな。だから、この状況を追加で説明してくれてもいいんだぜ」


 イザベラは既に肩を軽く回しながらクールダウンを始めている。全力ではあったのかも知れないがまだ余力があったというアピールに見て取れた。そしてこのことは同時に、純の視界に映る合成人は決してイザベラたちに助太刀しにきたわけではないということである。共闘するならばイザベラや智がこの場を去ろうとしていることに疑念が浮かぶからだ。八角柱が共に動いている戦場で八角柱配下の戦力が横槍を入れてくる状況。恐らく、ロシアのメンツとしての手柄が欲しい故に、後から到着して獲物を横取りする参段は当初から予定されていた、ということだろう。このロシアという地において他国の行動を制限する建前はいくらでも思い浮かぶ。

 そもそも建前以上に秘匿したい合成人研究区画という気密性の高い情報を護るためにいくらでも言い訳を立てるだろう。


「イギリスのメンツを守り、恩を売るのがこの時間、だった」

「そんなことはわかってるって」


 智はそれだけ言うと純に背を向けイザベラと共に合成人の脇を抜けていき、ゆっくりと純たちから遠ざかっていった。そして純は投げ捨てた言葉とは裏腹に智の言葉から一つの解答を導き出す。大方の予想通りヘンリーが来ているということ。そして、ヘンリーがロシアの合成人同様、貴重な財産としてアリスを奪取するためにテロリストではなく盗賊として純たちを追いかけてきたことを。だからこそ、純は嫌がらせに気づく。ヘンリーにアリスの価値をほのめかした人間がいるということ、である。

 アリスの成りすましのそもそもの特性をヘンリーが理解していないということはないだろう。では、なぜ今になってアリスを求めるのか。もちろん、本当に国民を保護するつもりがあったり、新人類という独自開発した兵器を国外に出したくないという理由もあるだろう。しかし、それだけでここまで動くような人間ではないと純は考えていた。だから理由は一つ。アリスの成りすましが記憶を読み取り、本当に人格そのものを復元する可能性があるという情報がヘンリーに伝わったと考えるのが妥当だった。となればどこから情報が漏れたのか。そもそも情報は漏れているのか。

 可能性はいくつかあれどそれが出来る人間は純が知るところではほんの一握りであり、確認は難しくても予想するのは容易だった。


「やる気満々じゃねぇか」


 純はボソリとつぶやくとすぐさま整理するために紘和達がいるであろう後方へと走り出した。合成人の群れから響く静止の言葉には耳もくれず、物陰に息を潜めていたタチアナの手を握って走り抜けたのだ。


◇◆◇◆


「ゲームオーバー、とはいかないでしょうけど数の力。ラクランズと違ってあの合成人とかいう異能の集団相手では苦戦するんじゃないの? アタシが交渉材料になってあげてもいいわよ」


 横たわるヘンリーは先ほどの合成人の大声の後、紘和を説得しようと喋り出す。


「大差はありません」


 言い切れる、その発現が虚勢でないことわかるほど目の前の存在が最強の称号を譲り受けていたことを実感させられるヘンリー。

 それは同時にヘンリーの中で紘和が強者として確固として認知されたことを意味する。


「皆さんご無事で何よりって、なんでヘンリー生け捕ってるの?」

「は、離してください」


 そこへ嫌がるタチアナの右腕をガッチリと掴んだ純が現れた。


「いや、殺してもいいのかと悩んでたから」

「へぇ」


 純は紘和に生まれたゆとりを感じ取る。力がついたということが同時にいつでもなんとかできるという強者の佇まいを生み出しているのだろう。

 純からしてみればそれが慢心にならず、己の自信に繋がっていくことを願うばかりだった。


「まぁ、人質ならタチアナだけでいいから、アリスを奪った借りを返すってことで五体満足で開放してやれ」

「……わかった」


 紘和は殺しても問題ないと言われることを期待していたのか、自身の障害となるであろう存在を逃がすことにやはり顔や声質で不服を訴えってきてはいた。しかし、それでもヘンリーの負傷させた箇所に治癒石を当てる。

 完治したのと同時にヘンリーは即座にその巨体を起こし機敏に距離を取る。


「これが恩? そこにいるアリスはイギリスの財産なの。絶対に取り返すから」

「そのことなんだけどさ」


 純の目がスッと細くなる。


「どうして彼女がイギリスの財産なのか教えてくれる? それともイギリスの財産になる可能性を誰から聞いたかって聞いたほうがいいのかな?」


 純の質問にヘンリーは苦虫を潰したような顔をしながら応える。


「教える義理は……いや、どうせ知ってるんでしょ? ここまで来たんだから本人に直接聞けばいいじゃない。まぁ、聞ければだけどね」


 そういうとヘンリーはベーと舌を出した後、両腕を振り上げた。


「また会いましょう」


 そしてそのまま勢いよくヘンリーが雪の積もる地面へ叩きつける。すると視界は真っ白になる。それと同時に遠くから地響きが確実に近づいてくるのがわかる。友香やアリスは雪崩を想像するが、タチアナ、純、紘和は違うものを想像していた。

 しかし、とるべき行動はどちらでもさして変わらない。


「逃げるぞ」


 純の声に紘和は即座に友香を背に乗せて、アリスの手を掴む。


「しっかり掴まっててね」


 そして、タチアナも巻き込まれる形で迫りくる合成人の襲撃から逃げることとなったのだ。

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