第四章:ついに始まる彼女の物語 ~合成人編~

第二十九筆:ヘンカ

 ついに、陸が終わらせに来る。そう思うだけでリュドミーナ・チャフキンは現状が打開される期待に胸を躍らせていた。自分でできないわけではない。ただ、自分でするのは気が引けていた。だからといっておいそれと他人に任せていい案件ではないし、そこらの他人が達成できる案件でもない。陸に出会い、様々なことを取り込んだことでたどり着いた家族のような関係を終わらせる計画。様々な情報を売り、様々な娯楽に手を貸し、このしがらみから解放されること。

 そして、最後はこの全能感を確実なものにして余生を過ごそうと、リュドミーナは心躍らせていた。


「ロシアまで対象を連れてきました」

「ありがとう、タチアナ。このまま日本での雪辱を晴らすための舞台に誘導してくれ。アンナ様に支持を仰いだらまた連絡する」


 合成人は様々な特性を持ち、新人類に負けず劣らずの性能を発揮する。他の生物の力を人間が駆使できるという点から当たり前のことである。しかし、黒い粉がトラウマなどから発現する、いわば自身の内の力を解放するのに対し、【環状の手負蛇】の血液は異物を受け入れることになる。つまり、相性、不快感が強烈なまでに違う。故にリュドミーナは当初自身の合成人の力が好きではなかった。むしろ、力によって自身が失われていく、そんな感覚さえ他の合成人よりもその力の特性上あった。今はそれを乗り越えているのかと言われれば、わからないという解答が率直なところではあるが、それでも使うことにためらいがなくなっているのは恐ろしいと感じなくもない事実である。だが、それには明確な理由があるから恐怖を払拭できてもいる。

 自分のために使うことを覚えたからだ。


「あぁ、楽しみだ」


 全能的な力を自分のために使うことを覚えたリュドミーナはただ期待する。陸の成功と、陸の失敗を。


◇◆◇◆


「先程も言いましたが、本当に大丈夫なのでしょうか?」


 タチアナはイギリスからロシアへ移動する列車の中で何度目かわからない質問を純に投げかけていた。タチアナは上司であるリュドミーナの指示の下、純たちがイギリスからロシアへ逃げるのを手伝っていた。軍事車両を用いてただ横断するだけだが、ヘンリーも国家間の戦争に発展した場合、人体実験ないし、新人類のことが世間に知れ渡ることを恐れることはわかりきってる。そのためロシアの軍事車両で、というのはそれだけで効果はあった。

 事実、現在純たちはロシアの国境付近を列車の中で無事に過ごすことができている。


「大丈夫だって。まぁ、いっそ一悶着あった方が面白いかもしれないけどね」


 笑いながらタチアナの心配を軽くあしらう純が見つめる先、通路を挟んだ隣の座席に向かい合うように座っているのは、紘和とアリスだった。

 お互い顔を合わせることなく、イギリスを出てからずっと無言のままそこに座っていた。


「どうして連れてきたんですか?」


 タチアナの隣に座り、純と向かい合った座席にいる友香がこれまた何度目かの同じ質問をする。


「面白いから」


 そして純は真意ではあるのだろうが、その具体的な理由をはぐらかすようにn回目の同じ解答を口にするのだった。


◇◆◇◆


 誰かに呼ばれている。そう感じて目を覚ましたアリスが最初に見たのは、見知った廃工場の天井だった。途中で意識が飛んでいるのか、純を相手にして形勢を逆転されてからの記憶が曖昧となっていた。しかし、天井を仰ぎ見れているということは、純に対する勝敗は置いといて、殺されてはいないことを意味していた。

 だが、次の瞬間、アリスはその勝敗の結末をわかっていたものの事実として知ることになる。


「やっと起きたか、アリスちゃん」


 呼びかけているのは誰か、の答えが純だったのだ。即座に距離を取りたいと脳内は騒ぎ立てるが、身体に蓄積されたダメージが想像以上に大きく、手足が言うことをきかない状況にあった。

 だから、アリスにできたせめてもの抵抗は顔から敵意を飛ばすことぐらいだった。


「まぁ、そう警戒しないでよ。アリスちゃんはこれからジェフの言いつけどおり、俺たちと一緒に行動することになったんだから。そう、仲間だよ、俺たちは」


 仲間という単語にこれほどまで信憑性を感じ取れないことがあっただろうかという嫌悪が脳を揺さぶる。仲間という単語の信憑性という意味ではジェフに拾われるまで虐待に近い毎日を過ごし、アリスが子供であることをいいように、親の言うことを聞くのが当たり前とこき使われていたそんな薄情な親子関係という仲間以上存在に嫌気が差した事態はある。捨てられてからも、良いように養われている、金を、食料を最低限もらえるという理由で嫌な思いをしてきた。そんなヘドの出る繋がりを経験してきたにも関わらず、いや経験してきたからこそ純の使う仲間という単語に何か別の異質さを感じ取れたのだろう。ただ、どう異質なのかと聞かれれば答えようのない、ただひたすらに純という男の口から出たことに対する嫌悪感としか言いようのないものなのである。

 アリスにとってそれだけ純そのものが異物となっているのである。


「ジェフ様がそんな事言うわけ」

「彼はね、君たちを捨ててアメリカに亡命する。だからいろいろもらった」


 純はそう言うと黒い粉の入った小瓶をアリスに見せる。


「言いつけっていう言い方が正確なのかはさておき、現状は理解できるだろう? 少なくとも俺はこの小瓶をもらうぐらいの仲ではある」

「それじゃぁ、会わせてよ、ジェフ様に」


 アリスは黒い粉というジェフにとって、イギリスにとって重要なものを純が手にしている事実が、仲がいいという単純な理由で引き取ったものではなく、亡命をするための交渉材料に用いられたか、最悪、ジェフを殺してでも奪ったものだと確信して疑っていなかった。だからこそ、ジェフに自分たちが明け渡された事実確認をしたいのではなく、ジェフが生きているかどうか知りたいから会いたいとアリスは言ったのだ。

 そんなアリスの心情を見透かすように、いや事実なのかも知れないそれを純はサラッと告げてきた。


「もう逃げたよ。君たちに合わせる顔がないってさ。死に場所を作って最後に自分も死のうと思ってた人間が急に生きたくなったんだ。当然といえば当然だよね。だから遺体の確認なんてできないよ」


 怒りがピークに達し、即座に自身を純に変身させようとする。

 しかし、それは叶わなかった。


「残念。こっちで用意した一般人の血液を三人分飲んでもらった。とはいえ、ある程度の技ならアリスちゃんも記憶として使えるはずだろうけど……そんな無駄だとわかることをするよりも、俺の話を聞こうよ、ね?」


 まるで全てが手のひらの上で踊らされているような感覚。あまりの流れに怒りが一瞬麻痺してしまうかのように冷めたのを感じるほどその周到さは目を見張る物があった。

 すると、純の右手人差し指がアリスの額に軽く押し当てられる。


「仲間に、力を貸してくれれば、ジェフの真意を聞く機会をアリスちゃんにあげるよ。俺のお願いを聞いてくれるだけでいい。そうすればアリスちゃんは真実を確認できる。すれ違わされた悪意に、ね」


 この時点で、いや目を覚ました時からアリスに選択肢はなかったのだろう。その悪意をこの場で確認するという選択肢も、純に力を貸さないという選択肢も、だ。

 誘導されたとわかっていても、何か騙された点があったとしても、全ては万全の体制を整えた時にすぐ側にその殺意の対象が目における場所にアリス自身がいられればいい、そう切り替えなければ出し抜くことも出来ない状況下に追い詰められていると理解できたのである。


「全てに従えるかはわからない。それでもジェフ様に合わせてくれるなら、最低限の協力関係でいてあげる」

「殺されない程度に善処するよ」


 どこまでも先手を打っていることをアピールする純にアリスは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 今すぐにでも手をかけてやりたい、けど今を脱却しなければならないという感情が自身の唇を力強く噛ませ、なんとか頭を冷静な状態へと持っていく。


「改めてよろしく、アリスちゃん。こっちの仲間はすぐにでも紹介するよ」


 そこまでもいけ好かなやつだった。


◇◆◇◆


「わけがわからないんだが……」


 廃工場の外で気絶から目覚めた紘和が純の説明を受けた結果、口にしたのが先ほどの内容だった。アリスが仲間に加わったこと、泰平たちはすでに新人類の少女と一緒に瑛を迎えに行き帰国の準備をするために先にこの場を後にしたこと、これからヘンリーに喧嘩を売るのでその後ロシアに逃亡すること、その全てが紘和にとってあまりにも突然で、故に口から素直に苛立ちのこもった疑問が出たのだ。

 隣でここまで運んでくれていた友香も話は先に聞いていたのだろうが、理解が追いついていない顔をしていた。


「わけがわからないって言われてもさ、困るわ、ぶっちゃけ。早く喧嘩売りにいかないと篠永さんに空港で別れの挨拶もできないからさ。とにかくアリスちゃんは仲間になった。次の目的地はロシアになった。オッケー? ちなみにお前んちのお父さんはもう撤退準備に入ってるぞ。ほら、負けてらんないだろ? ハリーハリー」


 純はそれだけ言うとその場を後にする。残された紘和と友香、そしてアリスはただお互いの顔を見合わせて次にどうするべきかを考えていた。

 気まずい以上に、ロシアへの脱出手段をどう確保したものかと思案していたのだ。


「お久しぶりです」


 そして、純と入れ替わるようにやって来たのがタチアナだった。


◇◆◇◆


 明らかにその巨体に似合わぬ挙動のヘンリーに追われる純が、列車が出発する頃合いを見計らったかのようにかけ乗り、車両を一つ切り離すことでなんとかヘンリーを振り切り、今の平和な列車内に至っていた。

 どうやら、ロシアの手引きで逃げ出すことが予想済みだったのか、一度は追跡をまいたはずだったのに待ち伏せされていたということだった。


「まぁ、あれだな。お互いにいろいろあったけど、まさかタチアナさんに助けてもらえる日が来るなんてね。感謝していいんだよね?」

「え?」


 タチアナは列車の車窓を眺める純の言葉に思わず驚きの言葉を漏らす。意外な一言だったから。理由は実に単純なものだった。

 そして、ゾワゾワっと身体を何かが這うような不快感を覚える。


「……冗談だよ。これからどうせ正面切っての殴り合いが待ってるんだ。知ってるよ、俺たちは報復されるために呼ばれてるってことぐらい」


 どこかタチアナの反応に気に食わない点があったのかすぐにいつものすべてを見透かしたような不気味な純らしいセリフが返ってきたことに何故かタチアナは少し安心していた。

 不快感のようなものは消え、肩の力が抜けていくようなそんな感覚だった。


「それがわかっていて、どうしてこちらの提案に乗っかったのか教えてくれますか?」


 以前ならばこの純という人間が知っているという状況にたじろいでいたタチアナは今回、意外な一言があったおかげですんなりと話を先に進めることに成功した。


「カマかけだとはもう疑ってないんだね。……そうだなぁ。手順を踏んでる。それが自分のためなのか、誰かのためなのかは知らない。ただね、時に運命と呼ばれる、起こった結果をさも前もって予期されていたことのように解釈させようとする事案。つまり、一つの結果へ向かう手順。求めるためには踏まなければいけない。ただそれだけなんだよ。その中にこのロシアでの決戦も含まれてる」


 少し寂しそうな口ぶりから始まった純の話に、タチアナは当然の疑問を投げかける。


「どちらが、勝つのですか?」


 人数を見た時の総力戦で考えれば、ロシアと純たち、どちらが勝つのかは明白だった。だが、タチアナは合成人という特殊な戦力を有しているにも関わらず、勝敗がわからない、否、ロシアが敗北を期す場合があるのではないかと思ってしまうのだ。自軍の敗北を疑うことも、その行く末も敵に聞いているというのがなんとも滑稽な話かもしれないが、それだけの粒が純の手元にはあった。神格呪者にして【雨喜びの幻覚】を保持した少女、最強を背負った日本の剣の強欲にして【最果ての無剣】という蝋翼物を所持する日本総理の孫、記憶した三人のDNAを元にその身体的特性を全て再現できる成りすましというカテゴリーの新人類の元孤児、そして極めつけはそんな化物じみた人間を圧倒するだけの力を持つただの人間。

 もはや本当にただの人間なのかと疑いたくなるその不確定要素が、圧倒的な強さという確実な要素を三人も引き連れている。


「おかしなことを聞かないでくださいな。そんなに自軍に自信が無いの?」


 かしこまったような言い方で当然の返しをする純にタチアナは何も答えなかった。それがタチアナの返事であり、純にもわかっていた反応だった。

 しかし、純はその無言に無言を貫き通した。


「ねぇ、幾瀧さん」


 そんな二人の沈黙に割って入ってきたのは、同席していた友香だった。


「ん? なんだい、ゆーちゃん」


 純もタチアナの話題から逃げるためなのか窓から友香に向き直りながら要件を聞こうとする。


「ちょっと家とかに電話でもいれておきたいなぁって思って。ここ大丈夫?」

「大丈夫かって聞かれると、通信量がどうとかって話は置いといて、ロシア側に傍受される恐れはあるだろうね。きっと進捗状況の報告も兼ねてだとは思うけど……まぁ、漏れて困るような大したことのない内容だと思ってても控えたほうがいいだろうなぁ。内容にかかわらず、ゆーちゃんにとって親しい人の所在が特定される。もちろん、すでに特定はされているかもしれないけど、それでもその可能性を自ら誘発するのは愚行だと思うよ」

「……そう、だね」


 イギリスからロシアへの逃亡を図ってからここまで一言も喋っていない印象からタチアナにはもの鬱げに見えていた友香が更に顔を伏し気を落としている様に見えた。とはいえ、敵側の自分が何かを言ったところで気休めにもならないだろうと判断し、声をかけられずにいた。タチアナからしてみれば確かに純たちは特異な存在にあたる。しかし、タチアナにとって友香という少女はただの一般人にもうつっていた。それは考え方や感情の表れから見て取れる不確かなものでしかない。それでも、己の快楽のために物事を進める男や正義に囚われた男、命令に忠実な女に比べれば、ただの一般人に見えた。だからこそ情が湧いたと言うべきだろう。

 タチアナは友香に同じ女性としてひと声かけてあげたかったのだ。


「だから、俺に聞くんじゃなくて、そこのタチアナさんに聞くといい。電話しても大丈夫ですかって」


 そんなタチアナの気持ちを見透かすように純は話題の矛先をタチアナに向ける。


「……ちょっと、待っててください」


 タチアナは一度思案する素振りを見せてからリュドミーナに連絡を取るべく席を立つのだった。


◇◆◇◆


「十分間、時間が取れたわ」

「ありがとうございます」


 友香はそう言って席を立ち、連結部の方へと移動していった。


「いいのか、そいつを信じて」

「信じてあげるのも強者の嗜みだよ。まぁ、嘘なら嘘でこっちもいろいろやりやすいだけだし」

「嘘なんてつかれなくてもやる時はやるんだろ」

「当然」


 友香がその場を去ってすぐに紘和がロシア側が傍受をやめていない可能性を視野に入れた行動を取ろうとした。しかし、純がそれを制止する。

 タチアナはなんとも言えないやり取りを目の前で見聞きさせられるのだった。


「彼女、大丈夫なの?」


 そこへアリスが突然、疑問を口にした。意味するところはタチアナ同様、意気消沈しているように見える友香が今後戦力として機能するかどうかということだった。アリスがこの様に思うのも無理はなく、神格呪者というものが聞いただけでは理解できない上に、やはり友香が普通の少女に見えてしまっているのだ。

 残虐性という取捨選択を取れないだろうということへの戦場という場における不信感が募っているのだ。


「ゆーちゃん? 大丈夫だよ。むしろ俺たちに飛び火しないか心配なぐらいだよ」


 アリスとタチアナはお互い首を傾けたくなる気持ちだった。


「俺は……まぁ、置いといて。紘和は正義をなすために犠牲をいとわない、正しいこと第一主義。アリスちゃんはジェフの言うことに何一つ疑いを向けずただ従い、今はそのジェフを探すために全てをいとわないのだろう」


 言われた紘和とアリスは純を一瞥する。


「ゆーちゃんの場合は、愛を尊重する。愛が成就するならばおそらく手段は選ばないし、どんなに歪んでいても応援するだろう。ただ、今はそれが自制できる範囲なんだよ、ギリギリ」

「ギリギリ?」


 アリスの言葉に純が両手を広げる。


「そう。まだ盲目じゃない。そういうこと。だって、そうだろう。【雨喜びの幻覚】があれば傍受の対象からも外れられるわけだし、そもそも俺たちはゆーちゃんが連絡をしたことにすら気づけない可能性だってあったわけだ。つまり、何も言わなければゆーちゃんは自由なんだよ。それを逐一前もって言ってくれる。これは奇跡に等しい配慮だよね」


 純のまとめに紘和は納得する以上に、ひとつ、友香の異常性に心当たりがあった。それは国会議事堂地下での戦闘中、千絵を殺そうとした紘和の間にためらいなく割り込んできたことだった。純の意味するギリギリが【雨喜びの幻覚】を乱用し始めることなのか、それとも誰彼構わず愛というものの側に立つようになりかねないことを指すのか紘和には全くわからない。

 それでも、ストーカーの応援すら始めてしまうのではないかという不安は、ひとつの狂気だと紘和は心に止めておくのだった。


「つまり、根がいい子ってことじゃない。それとも単に自分の力を理解してないだけなんじゃないの?」


 アリスの要約に誰もうなずくものはいなかった。


◇◆◇◆


「うん。頑張る。ありがとう、お母さん。お父さんにも改めて伝えておいて」


 友香はまず手短に一件目の電話を終わらせる。まだ半年も経っていないのに両親の声はとても懐かしく感じられ、友香の心に活力を与えてくれるものだった。

 そして、友香は次の電話をかける。


「もしもし、桜峰です」

「あら、桜峰さん。イギリスであって以来ね。どうかしたの?」

「花牟礼さん。えっと、またそちらに戻るのが遅れそうになるかもしれないことを、お伝えしておこうかと思いまして」

「そうなの? 立ち入るようなことを聞くかもしれないけど、大丈夫なの?」


 恐らく長期休暇に加え、イギリスで出会ったのだ。

 大学は一時的にやめていると伝えているため勉学、留学という判断でなければ遊び呆けてるとでも思わない限り、何をしているか彩音が心配になるのは不思議な事ではない。


「なんとか頑張ってます」

「そう」


 詳しく話さない友香の頑張っているというセリフからそれ以上のことを聞き出せないと配慮したのか、彩音はそこから追求するように詳細を聞いてくることはなかった。


「ならよかった。後は無事に帰ってきてね」

「はい。まためどが立ったら電話しようと思います」

「わかったわ。それじゃぁ、大変だろうけど、頑張ってね。連絡ありがとう」


◇◆◇◆


「ロシアの土産、何がいいかって聞いたらトラウマⅣを超える泣けるギャルゲーだとよ。あいつの脳みそはいつだってあのシリーズでいっぱいだよ」

「楽しそうだな」

「お前ももう【最果ての無剣】使って戦っていいから、少しは成長を噛み締めて、楽しめよ」


 いつの間にお前の方は外部と連絡を取っていたんだよ、や突如解禁された、いな周囲からすれば制限されていたことにも驚きな【最果ての無剣】使用許可、と立て続けに純がツッコんで欲しいのかと思える内容を口にしていた。

 それもタチアナが隣りにいるのもお構いなしに話しており、それが純と紘和のもとへ友香が戻った十分ちょっとの経った後の現場だった。


「おかえり、ゆーちゃん。誰と話してきたの?」

「それ、教えないとダメなんですか? というか家って言ったじゃないですか」

「実家以外にも家、あるでしょ? どっちに連絡したのかなぁって」

「どっちもです」

「それはご苦労様」


 友香は一瞬、純が目を細めたように感じたが、それがなぜなのか疑問に思ったところで純が答えてくれるはずもないと思い、ただの勘違いとして座っていた席に戻る。


「お前も実家に電話してみたら?」

「そう言うお前がするなら考えてやる」


 紘和の援護射撃が友香にとって思わぬ追撃を働きたくなる瞬間がそこにはあった。


「幾瀧さんの両親は何をやっている方なんですか?」


 友香のその一言に興味を示す者は多かった。当然のことだろう。紘和はさておき、タチアナもアリスも純のことは、目の当たりにしたこと以外、殆ど知らないのだから。つまり、純という規格外生物の生い立ち、ましてや両親ともなれば興味が出てくるのが自然である。

 故に友香の質問に、全ての女性陣の注目を純は集めることとなった。


「気になる? やっぱり気になっちゃう」


 純はその場の反応を予想していたかのように煽り始める。


「気になる」

「正直に言えば、知っておきたいところです」

「親の顔が見てみたいとはこのことね」


 友香、タチアナ、アリスが口々にその煽りに対して引くことなく、前のめりにくらいつく。

 純としては自分の煽りに多少なりとも勢いを抑えるつもりだっただけに素直な三人に少しバツの悪そうな顔をする。


「えっと……期待してもらってる所悪いんだけど、普通のサラリーマンに専業主婦だよ」


 純の普通の、誰もが期待した突拍子もない話が出ない返答に一瞬場に明確な静寂が訪れる。そして、三人は純に確認を取ろうとはせず、同時に紘和の方へ顔を向けるのだった。紘和はため息をついた後に顔を上下に揺らした。

 そこでやっと純の言葉を信じた三人は口を開けたまましばらく無言で純を眺めるのだった。


「悪かったな。悪かったよ、期待ハズレで」


 純が頭をかきながら何故か謝るという珍しい光景。出来すぎる故の期待感を裏切ることに、純は慣れていないのかもしれない。ちなみに家族仲は特に悪いわけでもないが、今自分がしていることを特別おおっぴらにしたくないということからあまり連絡をとってはいないということだった。そしてここでも最低限の良識を鑑みた面々は、思わず感嘆の声を上げるのだった。


◇◆◇◆


「それで、今後の方針を決めたいのですが……」


 先ほどの純の両親の流れで場の空気が和んだ、いや冷めたというのもあって、紘和がこれからロシアで純にどういった行動を取らされるのか、それをどう突破するのかを話し合おうという現在抱える問題に直面する話になったのだ。アリスには若干敵視を感じるメンバーも先ほどの無言の状態よりはマシというものだった。故に紘和は言葉を濁らせた。

 なぜならその場に当然のようにタチアナが同席しているからだ。


「お構いなく」


 紘和の止まった言葉の続きを純が催促する。


「それをお前が言うのもどうかと思うけど、いやそもそもタチアナさんでも言われたところで困るけれども」


 紘和は純を睨む。


「今のお前でなくても彼女を殺す機会はいくらでもあるだろう。本気で困るならそれでいいし、相手に筒抜けならそれはそれでこっちも構えられる。というか、やることはどっちも大将首を取ることだから問題はないだろう?」


 物騒なことをさも当然だと言わんばかりに喋りながら紘和を説得する純。

 そんなやりとりの中、明らかに命の危険が迫っているにも関わらず、タチアナは慣れは怖いなぐらいの感覚でその場を動こうとはしなかった。


「それで、蝋翼物を解禁したのは俺がエカチェリーナと対峙することを想定してなのか?」

「やりたければやってくれて構わないけど、今回の目標はあくまでもロシアの愛、ライザを倒すことにある。物量に抗うのもいいが、出来ればスマートに決めたい」

「随分とらしくない気がするのは気のせいですか?」


 純の言葉を遮ったのは友香だった。


「らしくないって、四人だけでロシアの重鎮の首を狙おうとしてて、おまけにスパイが公認でいる状況。こんな馬鹿らしい作戦で動くこの男のどこがらしくないのよ。正気じゃないって意味でらしさ全開じゃない」


 その発言に異議を唱えたのはアリスだった。やられた側にいたからか、その無謀にも思えるやってみようとフランクに戦力差を無視した発想を展開する純の無鉄砲さにアリスは純らしさを感じていたのだ。しかし、共にいた時間が長くなればわかる。アリス以外、確かに純に対して若干の違和感を得ていた。そう、純ならばスマートに物事をこなさず、厄介事をすべて一手間加えながら拾い、さらに次の芽を生むべく種を蒔き、刈り取る。

 今回で言うならば物量に抗わないことが不自然なのである。


「勘違いしてるみたいだけど、俺は全知全能じゃない。人間として強いこと、個で、サシで何かをなすなら容易にできるかもしれないけど、よく知らないことを大規模でなせるほどのスペックはないよ。つまり、俺だって何が起こるかわからないかもしれない状況をを抱えた広すぎる盤面で楽観的にはできないってこと」


 なんでも知ったように事をなしてきた人間、ましてや直近でイギリスで行われた野望に噛み付いた男の吐くセリフとは到底思えない。


「俺は楽しみたい。だから今回は慎重にならざるを得なくなりつつあるんだ。わかるだろう、何が起こるかわからない状況になりつつあるんだ」


 純の知らないという事実を知っているような奇妙な語りが気になる一同。


「だから正攻法で行く。大将首を取るのは紘和の役目だ。ゆーちゃんは出来ればサポートに回って欲しいけど、自分のやりたいことを優先していいよ。アリスちゃんは俺と一緒に臨機応変に行く手を阻む雑魚どもを戦闘不能にする」


 まともなだけに納得しやすい単純な作戦に、それでも何かモヤのかかる純以外のメンバー。


「いいか。失敗に向かって楽しむ、なんてことをするやつはいない。成功を、思い描いた先を掴むことが楽しい。その過程で発生した不祥事や失敗を楽しむことはそいつの人間性を図るだけに過ぎない。だから勘違いするなよ。楽しむ上でも最低限、成功を、目標を達するための掴む努力は必要なんだ」


 純は自身のらしくなさをカバーするようにらしくない発言を続けたのだった。


◇◆◇◆


「すみません、長い間席を空けてしまって」

「構いませんよ。食い逃げされたところでお金には困っていませんから」


 そう言ってヒマツブシの店主である亮太は電話のため席を立っていた女性が戻ってきても携帯ゲーム機から顔を離さず応対する。

 女性はやれやれといった顔でカウンターの自分の座っていた場所に着席する。


「そのゲーム楽しいんですか?」

「えぇトラウマⅣ、いえ、トラウマシリーズは大好きです。こうみえて何度も何度も繰り返しプレイしてるんですよ。多分ですけどあなたが想像する以上に繰り返し繰り返し」

「そうなんですね」


 女性は亮太の勢いに若干引きつつも話をこじらせないように相槌を打つだけで流す。


「あなたにもあるでしょう? 繰り返しやってしまうほど好きなこと」


 女性はそう切り返してきた亮太の顔色を伺おうと視線を向けるが、そこにはゲーム機との隔たりが相変わらずある。


「でなきゃ、こんな世界で生きていくなんてツライでしょう。強要されたような趣味は知りませんが、息抜きの手段を模索せずにできるって大切なことだと思いますよ。僕にとってはその息抜きがこの悲恋な物語を観ることにあるわけですが」


 一向に顔を合わせない亮太だが、女性の返事を待つことなく話を続ける。


「あなたがこんな辺鄙な喫茶店に訪れたのも思うこところがあったからでしょう。もちろん、それが息抜きに、あわよくば転機に繋がっていればいいと思いますが」


 そこで初めて女性と亮太の目が合う。


「随分と博識なんですね」

「博識? ロマンチストと言ってもらったほうが嬉しいのですが」


 亮太は苦笑しながら女性の言葉を受け止める。


「でも、ここに来たおかげかはわかりませんが私にもまだやれることがあるとわかったのでもう少し頑張ってみようとお思います。まぁ、諦めるつもりは毛頭なかったんですけどね」

「そうですか。ぜひ頑張ってください。花牟礼さん」


 亮太は笑顔で伝えると、そのまますぐに再びゲーム画面へと視線を移すのだった。


◇◆◇◆


「そういえば、今この列車はロシアのどこに向かっているのですか?」

「東部軍管区。それ以上のことは言えないわ」


 場所までは極秘事項ということなのだろうかと友香はタチアナの喋り方から察する。


「桜峰さんは、ピンときているかわからないけど、大体一週間の移動生活になる」

「一週間!」


 アリスが驚きの声を上げる。果たしてそれが一週間も移動生活をしなければならないことなのか、一週間もしないと目的地につかないほどの広大なロシアに対してのものなのかはわからない。そして友香も内心では少し驚いていた。

 ロシアが広いということは知っていたが、実際に体感することになると実感が湧いてくるというものだった。


「まぁ、合成人を中心とした部隊の主力がそっちで活動してるから当然なんだけどね。まったく、モスクワとかそっちの賑やかなところも行きたかったよな、みんな」


 サラリと恐らくタチアナが言いにくいであろうことを言っていく純。


「まぁ、何もない長旅ってわけではないと思うから暇にはならないだろうな」


 みなが純の言葉に半笑いになる。それはタチアナも同じだった。だからみな次に来た衝撃に驚きを隠せなかった。列車が大きくはねたのだ。そんな中で友香は初めて焦ったような顔をする純の顔をみた。

 しかし、それは決して苦虫を潰したようなものではなく、新鮮なトラブルに心躍らせつつ挑むことに燃えた自称快楽主義者の顔そのものだったようにも思えた。


「なんだろうななんだろうな、おい」


 一目散に行動を開始した純にひとまず倣うように、全員立ち上がり周囲を警戒するのだった。

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