第二十七筆:上には上が、上が居続ける!

 アリスはヘンリーになって有利な場作りをし、そこからチャンスと判断した際には紘和となり攻撃を当てることを軸に敵である紘和の動きをある程度コントロールしながら優位に戦っていた。

 時折、パターンを変えることで紘和に紘和の打撃とは違ったヘンリーの的確な部位への打撃を入れることで徐々にダメージレースで勝っているという状況が続いた。


「私が言うのもなんだけど、加勢しなくてもいいの?」


 戦いに余裕があると判断したアリスが意図も容易く乱入してきたものの先程から一切の介入をしてこず、欠伸をしながら横になりアリスと紘和の戦闘を眺める純に声を掛ける。


「死に急ぐ必要はない」


 その問に答えたのは紘和だった。


「どういう意味?」

「俺が強くなる前にお前に死なれるわけにはいかないって意味だ」


 アリスがヘンリーの姿で放った一撃が本来当てようとしていた箇所を紘和によってわずかにずらされて来ているとこの状況でも余力があることと判断する。つまり、ある程度のタネがバレ始め対応されつつあることを理解した。無論、純という周りからの評価が高く、それを伝聞でしか知らないアリスにとって紘和の答えは苛立たせるものではあったが、それ以上に前提として紘和を倒さなければならない。

 だからこそ、アリスは紘和の成長スピードに若干の警戒を示すのだった。


◇◆◇◆


 紘和は戦闘パターンからヘンリーという男の持つ力、この場合は素質というものを理解し始めていた。当たり前だが八角柱の一人としてその一席に座しているのである。強者足り得ることは疑う余地もなく当然であるが、それ以上に光るものを持っているということである。

 イギリスの希望。その異名を飾るに相応しい力の片鱗に紘和は気づいたのだ。最初の疑問は攻撃を当てる瞬間にアリスが成りすましで姿を使い分けていることにあった。つまり、切り替えるだけの理由があると考えた末の疑問だった。なぜ、使い分ける必要があるのか。それはアリスの行為にはメリットがあるからこそ実行している行為だと判断したのだ。そこで二人の攻撃力、純粋な攻撃を当てられた時のダメージを受け続けることで体感することにした。結果としては紘和の時に受ける一撃のほうが圧倒的に重く感じた。故にアリスは正攻法で行くならば紘和の姿のまま押し切った方が火力を叩き出せるということになるがそれをしないのはなぜなのか。一つは攻撃に緩急を、それこそ攻撃の重さの違いはもちろん、人の癖とでも言うべき特徴で同じ殴るという動作でも常に些細な変化を持たせて相手に対応させないことを意識している場合である。だが、攻撃されるという点においては基本その瞬間は紘和でしかこないので意図が噛み合わなくなる。時折フェイクなのか攻撃時もヘンリーで攻撃してくることもあるが、より的確に攻撃を受けた時にダメージを感じやすい部位、みぞおちなどをしっかりと狙えているという点以外には、紘和の身体のポテンシャルからすればそこまでのダメージになっていないのであまり意味をなしていない。ただヘンリーからの攻撃はダメージはなくとも急所を的確に狙っていようとも、そもそも喰らえば反撃に転じにくい攻撃であるというのが、紘和の視点としては最も厄介に感じていた。そもそも、攻撃するまでの間は必ずヘンリーなのである。

 そしてここまで来て紘和は一つの仮説を立てる。それは紘和の力ではなくヘンリーの力で相手には勝てる算段がすでに見えているのではないかということである。思い返せば、一撃を入れる瞬間に紘和になる瞬間は多い。しかし、全体的で戦いの構成を見た時、基本的にはヘンリーで立ち回っている時間の方が長いのだ。ヘンリーよりも圧倒的な身体のポテンシャルがあるにも関わらず、である。つまり、紘和で行う攻撃の方がフェイクに使われている可能性が高かいのだ。だからこそ紘和はアリスがヘンリーで攻撃を仕掛ける瞬間に最大限の抵抗を試みて見ようと意識を集中した。結果で言うと、未だに解決策に至っていない。異様とまで言える読み合いに負け続けているのが実情だった。まるで細い糸を確実に通し切るかのような自信が攻撃に乗っているかのように紘和の思惑をかいくぐり到達する。

 だが、転機は唐突に訪れる。ヘンリーの攻撃を少しずらせたのだ。その瞬間明らかにアリスの表情が引き締まったのを紘和は感じた。故に紘和はさらに高圧的に攻めの姿勢を示す。

 さすれば勝ち得るべき強さをその身に宿すことができると確信していたからだ。


「楽しいだろう。圧倒できない実力を出し抜くために考えるのは」


 紘和の後ろでまるで紘和の昂ぶる気持ちを代弁するように純が言葉を投げかけてくる。紘和はそれには答えなかったが、相手の動きの先に攻撃を仕掛けに行く楽しさを確かに感じていた。


◇◆◇◆


 アリスと紘和が攻撃を交えてすでに十分が経過しようとしている。結論から言うとどちらにも決定打がない状況が続いているが故の膠着状態だった。紘和からしてみればこのまま超えられると思っていたのだが、やはりヘンリーと自身を相手にする壁は想像以上に難攻不落であったのだ。

 一方のアリスもヘンリーという選択肢を持っているが故に優勢であると思っていた。しかし、蓋を開ければ戦況はやや有利という程度で押し切るまでには至っていなかった。加えて紘和の飲み込みの早さが、対応が、成長が、想定外だった。アリスは他の成りすましとは異なり対象の力を最初から使いこなすことができるた。対象の力を最初から使いこなすというのは、記憶などの話ではなく経験によって身体が覚えていることに限定はされる。それでも、できることは他の成りすましと異なり、明らかなハイスペックであることに変わりはない。加えて対象に成りすますことで獲得した経験を擬似的に自身の経験として蓄積することができた。つまり、身体的無理がない限りAという対象にできることをアリスは習得しそれをBという対象になった時も反映することができるのだ。それは、一度取り込んでしまえばその時点の対象の技量を全て盗むことにもつながる。だからこそ、紘和同士でぶつかっても問題がないと判断していた。当然のことだが、アリスが今までに成りすましとしてストックしてきた人間が全て実力者だったということはない。だからこそ反映できる技量にも限りはある。それでも目の前の紘和のスペックを上回ることは可能なはずだった。ところが結果は悪い方向に向かっていた。紘和がヘンリーの特異性に対応し、さらにアリスの紘和としての攻撃を交わすたびにそれをものにしていっているのである。

 つまり、紘和の順応と吸収力がアリスの行動を裏目にしたのである。


「っと」


 そんな反省が頭をよぎったところに紘和のお構いなしの一撃が顔面に収まろうとする。それをヘンリーの身体で無理やりかわすアリス。同時に長期戦ではアリスの負ける可能性が高かまると判断し、ここぞとばかりの追い込みを開始した。それはヘンリーによる一点突破だった。


◇◆◇◆


 アリスが急いているのを紘和は感じ取った。それは確実に短い一歩を踏み続けている紘和だからこそわかることでもあった。恐らく逆の立場なら自身でもヘンリーの身体で早期決着に何処かのタイミングで切り替えていたと今なら思うからだ。

 そしてそれは紘和に決まったヘンリーの、アリスのみぞおちへの攻撃から加速した。


「くっ」


 今までの一撃とは違い明らかに腹筋を固めていなければ勝敗すら決めかねない一撃。そうわかるほどのみぞおちの中でも的確な急所となる位置を、攻撃を滑らかに決めてきたアリス。わかっていたから抵抗はできた。しかし、アリスの攻撃がわかっていても、アリスの攻撃が決定打にならなくても確実に決められていく。

 奇跡の御業のように滑らかにつながる攻撃。紘和の行動がわかっている、いな、わかっているならここまで接戦にもつれ込まされてすらいないだろう。なんとか時間経過で積み重なる経験から紘和が応戦できるようになっているという事実が確かにあるのだから。そして紘和は考える。点の攻撃を身体の硬い、硬くした部位で受け止め、横や縦の攻撃を弾く。掴もうとする意思があれば、アリスがかわし距離をとってしまうからである。だから確実な場面で、少なくとも最も高確率な場面で掴むならば掴み、そのまま泥沼でも殴り合いを制さなければならないと判断した。だから紘和は大きく動く。イケイケな状態だと信じて、大胆に大ぶりに全力で右腕を縦に振り抜きアリスの首根っこを掴もうとした。結果、それはアリスに右腕側に逃げるように容易にかわされ、横を過ぎ去ることとなる。つまり、アリスの攻撃チャンスへと変わったのだ。


◇◆◇◆


 紘和が今の拮抗を保てているイケイケの状態でアリスとの決着を付けるべく急いているのをアリスは理解していた。ダメージは紘和の方が受けているのである。そう考えを変えたとしても不思議ではない。一方で長期戦ではアリスにも負ける可能性があると判断したこちらの判断に紘和乗っかってきたというのも考えられた。しかし普通に考えれば、対応しきって安全に勝ちを拾うのが正しい判断だろう。特に勝ちたいのならばなおさらだった。だからアリスは眼の前の人間が先に言っていた強くなるという言葉の意味を理解する。本気で、自分を追い込んででも強くなろうとしているのだ。だから、こちらの攻撃の変化に合わせてきたのである。狂っていると思った。負けが死に直結するかもしれない場面で、これほどの判断を未来の自分のために投資できるのかと。それとも単純に自分の勝ちを確信しているのか。ただただ理解に苦しんだ。しかし、紘和が意図的にこちらの戦法につきあうというならそれを利用しない手はないと考えた。だから、大ぶりに振った手を、紘和の死角をついやろうと思い、アリスは手を伸ばすのだった。


◇◆◇◆


 紘和は死角を作り、その死角にアリスがチャンスと判断し攻撃を挟むことを信じた上での行動をとった。それは上半身を、右腕を振り抜いた勢いのままにひねり、その先で右腕で無理やりアリスの何処かの部位を掴みに行くというものだった。アリスが取った攻撃は左脚による単純にして純粋に威力に特化した前蹴り。死角に入った一瞬で助走も万全と言ったところだった。一方、その前蹴りを倒れゆく中、右脚にくらった紘和が掴んだのは無防備にならざるを得ない今自身を支えているアリスの右首だった。どちらかと言えばもっと腰といった掴んでいても即座に攻撃に転じやすい部位が良かったのだが、今はそこまで贅沢を言う余裕はない。紘和はアリスの右首を折る勢いで握りながらそこを確実な支点をし、前蹴りの威力を少しでも軽減させる意味も込めて地面を振り抜き無防備だが全身を床に水平になるように宙へ浮かし、無理やりヘンリーという巨漢に身を預けて、右腕に左腕をしがみつかせて、その力だけでグイッと身体を一段階アリスに近づけた。。

 結果、アリスの左脚は紘和の右脚の骨にヒビを与えるだけとなり、紘和は足を掴んで床に水平に倒立のような姿勢を取ることになる。


「これで決着だよ」


 ふわっとヘンリーの、アリスの身体が宙に浮く。アリスの攻撃対象を失った左脚は次の攻撃に転じていたのだ。前蹴りの勢いのままに床を陥没させる勢いで踏み抜き、その勢いのまま、そう紘和を右脚につけたまま、空中で一回転したアリスは掴んで手を離さない紘和をそのまま叩きつけた。それだけではない。さらに追い打ちをかけるべく右肘を構えながら自身の体重を乗せて落下することで完全に紘和を沈黙させるべく動いていた。

 はずだった。


「落ち……ない」


 端説明するならば紘和の状態は膝を床につけながら重たい岩を片手で下から支えるようにを持っている状態に近かった。

 そう紘和が自身よりも重たい存在を叩きつける加速度込で床に叩きつけられた状態で持っているのだ。


「多少力技で最悪の形でこのチャンス」


 紘和はゆっくりと起き上がりながらゆっくりと右腕を曲げアリスを自身の左拳の射程まで持ってくる。


「掴んだぞ」


 アリスのみぞおちにキレイに紘和の左拳がめり込む。そして腕を振り抜くためにアリスを掴んでいた右腕を、空中では威力を殺せないとわかった上で離す紘和。そして、今ある全力で紘和は右腕を振り抜いた。

 そのままアリスは反対側の壁に轟音とともに激突した。


「できればこの辺にしてもらいたいが……」


 息が荒く、肩を上下させる紘和からは明らかな疲労が見て取れた。当然である。追撃はもらわなかったにしろ確実に遠心力込の大打撃を受けたのである。しかし、そのかいあって確かな手応えはあった。それでも舞い上がる粉塵の中、影はユラリと動いている。当然である。

 紘和の全力を紘和が耐えたとしても誰も疑わないからである。


「無理やり、ってやっぱり卑怯だよね。あんた、ずるいよ。あぁ、痛かった、痛かったぞ」


 額からから血を垂らしながらアリスが激怒した。


◇◆◇◆


「紘和、お前にプレゼントだ」


 アリスの昂ぶる感情に最初に返事をしたのはこの場にいた第三者の声だった。そう純だ。

 純がそう言ってヘンリーと紘和を使い分けるアリスに純の髪の毛を渡したのだ。


「どういう了見だ、純」

「テストだよテスト。練習したならその成果を示せよ」


 アリスはいつの間にか傍にいた純に驚きはしたものの手渡された髪の毛は自然と受け取っていた。純が並外れた力の持ち主であることは先の戦いでも、ジェフや陸から聞いていた言葉からも伝わっていた。何より紘和の理解に苦しむと言った顔が、純の強さをより一層裏付けていた。だからアリスは素直にその髪の毛を受け取り、咀嚼する。突然アリスの横に現れた者のも技量によるものならば成りすました瞬間に理解できるはずである。だから驚きはしても疑問を口にするぐらいならば後悔させてやろうと何も考えず純の指示に従ったのだ。何より、情報の上書きで消えるものがデニスの情報なので、仮にこの髪の毛が全く関係のない人間のものだとしても、純が予想に反して弱くても痛くも痒くもないとアリスは考えていた。

 何より、今より強くなるなら儲けものである。


「さぁ、合格点を取れるかな、紘和?」

「どっちの味方なんだよ」

「お前の敵なら、俺はとうにお前に殺されてるよ。お前がそう決めてない、そうだろう?」

「そうかよ」


 純との会話を終えた紘和が動く。そして、アリスは純の髪の毛を飲み込むとその姿を純に成りすました。その姿を確認したからか先程の戦いよりも明らかに覚悟を決めた目をしてアリスに突っ込んでくる紘和。もちろん、わざわざ獲物、奇剣と呼んでいるものを手にしたのもあるが、その表情の変化は純に成りすましたアリスだからわかるかもしれない些細な違いである。当たり前だが、ヘンリーと紘和を使い分けていたアリスに対しても紘和は加減はしていなかったとアリスは思っている。なぜなら、圧倒はされずとも決して不利な状況ではなかったからだ。だからこうして先程実力に牙をたてられた。それほどまでにアリスは紘和としての身体を使いこなしていて、ヘンリーは紘和と同程度の身体的特性を有していたことになる。同様に紘和が単純に強かったことの証明でもあった。しかし、アリスの今の身体はヘンリーと紘和を圧倒するスペックを獲得していた。

 紘和がなぜ覚悟を決めたのかがわかるほどに。


「おっそ」


 思わず慣れない動体視力にそんな感想を述べてしまうアリス。それほどまでに紘和の攻撃が止まって見えたのだ。攻撃以外にも表情の強張りと行った心の状態が体に現れる微妙な筋肉の収縮が見えた。当たり前だが時間の流れが実際に遅くなったわけでも未来が見えるなどといった超現象が起こっているわけではない。人間の性能の極限、そう錯覚してしまうほどのスペック、ただそれだけのことだった。アリスは様々な人間を試してはいる。その中でも確かに身体の調子に差がある例はたくさんあった。近場でいけばデニスとヘンリーである。圧倒的にヘンリーの持つ特性と身体能力ではデニスのスペックなど大したことはなかった。しかし、それはあくまでデニスの評価が五段階で三だとしたらヘンリーが五であるという話だった。それが純の身体は十、下手をすればそれ以上だったのである。

 さらに恐るべきは身体で感じている思考の様なものである。考えうる可能性とその選択が絶妙すぎてまるで未来を見ているかのような錯覚に陥るのである。先程も言った通り完全な未来視ではない。あくまで純の持つ思考の予想の範疇を相手が越えないのである。わかりやすく言えば全てが対の先に置き換わるのである。先の先の相手の行動を予測して攻撃をおく、その予測が勝手に予想を取捨選択して確定の情報だと信じて疑わずに行動できるのである。そして確信めいてあることは後の先、予測を誤ったとしてもそれは予想の中にあった行動の一つであり、この体感ならば必ず対処ができるということである。

 加えて、見た目以上にしなやかな必要なだけの筋肉を備えていることがわかる。鍛え抜かれただけでなく、柔軟な筋肉がほとんど反射の領域で動く。仮に十センチ先の銃口から銃弾が押し出されているのが見えたらその瞬間に手が焼け焦げるといった話を抜きにすれば指先で器用に掴むことが出来るだろう。そして、何故だがその弾速を指の皮だけで器用に抑え込める気すらする。それほどまでに筋肉、いや身体が自身の求める動作を為すことが出来るとわかった。

 つまり、負けることが想像できなかった。故にゾッとする。純は相手と対峙する時、全力を出さずに本当に楽しんでいる、もしくは弄んでいるのだと。

 アリスは交わした紘和の奇剣の突きを見送りながらすでにその腕を両手で掴んでいた。


「くっ」


 紘和から漏れたこの声から得られた情報が純となったアリスの思考をより研ぎ澄ませていく。紘和が成りすましの出来に驚いていること。故に次の行動にわずかにひるんだこと。だから、アリスは紘和の勢いを殺さずそのまま引っ張り投げる。重心を器用に移動させ紘和の力をキレイに流しきり、掴んだ両手で紘和の重心をこれまた器用に不安定にさせて踏ん張りを効かなくさせる。それでも天性の身体で足を床にめり込ませ体勢を維持させる紘和を全身の力が下へ向かうのと同時にアリスも身体で下へ引きずる。そして前のめりに倒れ込みそうになる紘和がさらに体幹だけでキープするのを利用してアリスは背後を取る。そして膝裏を足で殴打した後、アリスは体重をのせて腕を両手で拘束したまま紘和を無理やり床に押し倒そうとする。そして、押し倒す。先程では考えられないほどあっさりとである。もちろん、顔面から潰すことは出来なかったが、右肩を外すことは出来た。それでも紘和が左手だけで自身を支えたことを賞賛はするべきだろう。

 これだけ聞けば単純である。しかし、紘和を相手に全ての選択を制した上でこの状況に持ち込むまでは十秒と満たない。まさに流れるように、プログラムでもされていたかのような攻防の展開。いな、紘和の攻撃を防御に転じる間もなく攻撃で伏せきってしまったのだ。そして無慈悲に間髪入れずに紘和の左腕を紘和の右腕を支点に肩を折らんばかりの勢いでアリス自身を宙で一捻り入れつつ正面に運び、右脚で払った。ここで苦痛の声が上がってもいいものだが、それは床に顔面が押し付けられてかなわない。もちらん、そんな状況にならずとも紘和が声を上げることはなかっただろう。そんな余裕が無いほどに紘和もまたアリスを相手取っていたからだ。その証拠に左腕だけで地面に反動をつけて身体を押し上げたのだ。アリスはその勢いのまま再び両足を宙に投げ、振り落とすことで勢いをつけて紘和を背負投する。そして紘和はアリスと距離を取ることに成功した、と思うとアリスは理解していた。だから着地点へ移動する。紘和ならば体勢を直して着地できると信じて。

 ついで、アリスはなぜ純が自身の傍にまでいつの間にか接近していたのか身をもって体験する。第一に相手の視線がわかるのだ。故に視覚に入ることが出来る。さらに跳躍するように走ることが出来るその足裏の使い方があった。指先だけをつけて地を掴むように走る。これができるのである。動物で言う所のチーターのような動き。骨格的に無理な再現を無理やり体現しようとした結果なのかもしれないが、それでも大きな一歩を瞬時に繰り出し続けられる。結果、アリスは紘和の着地点に死角から入り、紘和の両足がつく前に紘和の背中を背面蹴りした。


◇◆◇◆


「いっ」


 紘和は思わず声を漏らす。肩を外される時はそうされるとわかっていたからなんとかなったが、流石にいつのまにか回り込まれた上で背中を強打されては致し方のないことだった。そして紘和は純の強さを思い知らされる。なぜなら、アリスからまだ何もさせてもらえていないからだ。そんなことは今までなかった。それは【最果ての無剣】を持って挑んだ最初の戦いでもだった。圧倒はされないが、勝たせてもらえない。紘和が純との手合わせでされたことだった。故にここまで一方的にされるがままは初めてだった。いや、一方的という意味では同じだが、紘和がアクションを起こせないで一方的なのは初めてということである。先程までは予測できたことが全く通用しない。このままでは採点どころの話ではなかった。新人類を倒しても何も得ないまま終わらせてしまう、最悪終わってしまう可能性があった。いや、得てきたものを踏みにじられて終わる可能性があったという方が正しいのかもしれない。

 純は敵ではないが同時に味方というわけではない。利害が一致しているだけに過ぎない、そう紘和は捉えている。その利害が実に利害と言っていいのかはわからないところではあるが、それでも純はここで紘和が死んでも気にはしないのだろうということである。つまり、紘和は結局自分の力でこの状況を打破しなければならないのだ。だから、絶対に護りに入ってはならない。チャンスを伺う余裕がないからだ。このまま護っていても後手になるだけで意味がない。だから、攻め続けながら、攻めようとしながらそのチャンスを掴み取らなければならないのだ。だから、紘和は再び空中で体勢を立て直そうとしながら純を探す。しかし、このままでは死角から一撃入れられるのは目に見えている。つまり、捉えられないところにいる。

 故にそこすらも視野にいれたつもりで紘和は攻撃を置きに行く。


「ありがとう」


 紘和の裏拳があっさりと正面から受け止められる感覚。この予想すらわかった上で対処したアリスが避けずに優位を言葉で示しにきたということである。意図的にやっているのか、それとも出来るからやっているだけなのかはわからない。それでも純と違うところはある。それはアリスが全力で紘和を殺しに来ているということである。故に紘和は死なずに済んでいる。この事実に本人が気づいているかはわからない。しかし、殺そうとする人間のやることは紘和の中でも選択肢を絞り込むことが出来る。殺す気が、戦う気がない純だったからこそ、やりづらかった。しかし、純の身体を活かしきっているが故にアリスは紘和を生かすことになっていた。


◇◆◇◆


 もうじき戦闘開始から一分が経とうとしている。そこでアリスは一つの違和感を覚える。これほどの戦闘能力を備えているため負けることが想像できないとはついさきほど思ったことだ。しかし、勝ち、ここでいう紘和を倒す、もしくは殺す想像が未だに訪れていないということである。そう選択肢は永遠と有利を取り続けるし、そもそも一分という時間内で倒せない人間が紘和である可能性もある。それでもアリスは純の身体を手に入れたからこそそんなはずはないと思った。つまり、アリスはまだこの身体を使いこなせていないか、紘和がここまでの戦闘でDNAを取り込んだ時点よりも凌駕できるほど成長しきった二つの可能性が浮上した。どちらかではなくどちらもの可能性。そう疑問に思うほど負けるはずのない戦いで勝利条件が満たない現状に気持ち悪さを覚えてしまうのだ。だからアリスは空中で紘和の左腕に両足を絡めるとそのまま腕挫十字固を決め叩き落とす。右肩を外した時のように今度は左腕を折らんばかりの勢いをのせてだ。

 そして、互いが止まった状態で話せる状況を作り出すとアリスは紘和に質問する。


「お前に、コイツの再現で違和感はあるか?」


◇◆◇◆


 実に率直な質問。駆け引きなどを一切考えない問いに紘和はもちろん純すらも驚く。

 紘和は自分の身に迫る危機感に、純は違和感に気づくそのセンスに。


「その質問は時間の無駄だろ」


 だからこそこの密着した膠着状態という最大のチャンスを紘和は危機回避のために利用する。攻撃の手を緩めたと言うにはあまりにも不適切だが、それでもこの攻撃は継続しているだけで連続していない。無理やり左腕をあげようと右上半身に力を込める。無論、そんなことで解けるようなやわな技をアリスはかけていない。その動きに合わせるように右腕が引っ張られ下に押し付けられる紘和。しかし、それでも確実に紘和の右肩は自身の体重の負荷を受けられるほどに床側に移動する。

 つまり、右肩がはまったのだ。


「チッ」


 即座に技を解き紘和から一旦距離をとるアリス。そう、アリスのいた場所は陥没している。純の身体では再現できないゼロ距離からの渾身の一撃の威力の違いである。紘和はこのとぎれた瞬間を見逃さなかった。距離のとり方が大きい、その足を着地させるまでの瞬間。それを紘和の力士顔負けの立ち合いが間に合わせる。アリスも策を講じていたのか紘和の低いままの姿勢を上空から打撃で迎え撃とうとしていた。それを紘和は低姿勢のまま、身体を反転し仰向けとなり両肘で全てを受け止める。少しでも攻撃した相手にダメージを与えつつ、防御をするなら硬い部分でという考えの元だ。しかし、殴打の連続は実際数回しか行われず、即座にアリスによってその肘を掴まれた。そして身体の自由を得たアリスの腰が紘和を支えにしなやかに勢いをつけながら重力を借りて紘和の側頭部を蹴りぬいた。

 なまじ丈夫で重たい身体故に、身を反転させ宙に浮いた紘和の身体は吹き飛ばされる、という現象を起こすことが出来ずもろにその衝撃を頭に残すことになる。


「まだ、だ」


 意識を保っている紘和はそのままアリスの足を掴んだのだ。あとは握りつぶしてアリスの身体に支障をきたせればいいだけだった。先程の掴みとは違い余力を残す必要も余裕もないのだから。しかし、突然顎にきた鈍い衝撃に紘和の意識はそこで途切れることになる。両足が紘和に掴まれたことで足に力が入る様になったため握りしめた拳を紘和の顎目掛けてアリスが振り下ろしていたのだ。


◇◆◇◆


 アリスは紘和が質問に答えた時点で再現性にかけていることを考え、純の人間性を考慮した。その結果、紘和がアリスからにじみ出る殺意を頼りに攻撃を回避する攻めをしていることに気がついたのだ。故に紘和にチャンスを与えた。一つは跳躍し後退する時間を長くしたこと。そしてもう一つは攻めきる意思をなくしたことだ。事実、紘和はこの二つのチャンスをしっかりとものにするべく行動し、小技を使いながらアリスを取りに来た。だからたやすく戦闘不能にまで持っていくことが出来た。どんなに鍛えたところで内蔵は、脳は鍛えることが出来ない。それは人間である以上、弱点として仕方のないことだった。それは頭蓋であろうと振動なら突破できるのである。


◇◆◇◆


「さすが俺。今の紘和にしては健闘したが、やっぱり仕上がるのはもう少し先か……いやはや急かしちゃったかなぁ」


 脳震盪を起こし意識を失っている紘和にとどめを刺そうとするアリスの前に割り込むように立ちはだかったのは純だった。


「恥ずかしいから俺が助けたなんて言わないでくれよ。紘和は俺が紘和のことをどう思ってるかは知らないけど、俺は約束を守る。それが楽しいと知っているからな。だから俺は、味方と思われてなくても、味方でなかったとしても、敵になるまで、紘和に殺されるまではコイツを生かしておく。わかるか」

「まるでこの場から無事に逃げられる、そんな言い回しだね」


 アリスは純の姿になっている自身を純に見せつけるように胸を張る。


「逃げる? まさか、堂々と勝つに決まってるだろう? 俺をそこで伸びてる男と一緒にするなよ。ようやく攻撃の仕方だとか防御の仕方を考えるようになった、戦略を練るようになった、数ヶ月前までは力をただ振るうだけだった赤子より強いぞ、俺は」

「私は、そのお前なんだが」

「さぁ、誰もが気になる俺の実力やいかに」


 まるでこれから始まることが見世物であるかのように、アリス以外誰もいない戦場で観客を煽るようなパフォーマンスを挟む純。


「経験値の量で私が勝つんだよ」


 アリスと純が鏡合わせのように同じ初動を、拳をぶつけ合う。


「気が合うね」

「合わせてやったんだ」


 アリスは自身のほうが上手だと言わんばかりのセリフをはく。


「その調子で頼むよ。これだけは知ってから初めての実地検証なんだからさ」

「なんのことだ。意味深に言えば、カッコいいとでも思ってるのか?」


 純の重心が後ろに下がったところを見逃さず、追撃を入れるべくアリスが前進する。この瞬間一つの事実が上下関係を決定づける。前述の通り純が回避行動を、アリスが追撃を選択したということである。それは、純が自身が導いた最善を選んでいなかったとしても、アリスが選んだ最善の選択にこのビジョンがあったということになる。つまり、アリスは純を退けさせるだけの攻撃手段を持ち合わせていたということである。

 事実、純はアリスの攻撃を交わしきれず追撃に伸ばしてきた左拳を右頬にかすめさせる。


「感謝はするよ、純」


 そして純の顔を過ぎた左手で純の襟を掴むアリス。アリスはそのまま純を抱き込むように自身へ引き寄せ右膝をみぞおちに入れた。

 内蔵を持ち上げ骨にたどり着く手応えを感じる。


「っつ」


 吹き飛ばされることで距離を取ろうにも純の身体はアリスの襟に掴まれている左手だけでその自由を制限されていた。事実、アリスは離す気がないらしく浮きかけた両足で辛うじて逃げられない故に踏ん張ることを決めた純に追い打ちをかけるように右拳で純の左太ももの狙った一撃を放つ。それを純は辛うじて左手首を返した形で払う。そのタイミングに合わせるように純は自身の身体が沈むのを感じる。アリスが左手を振り下ろすように純を床へ引きずり込ませたのだ。そして、投げつけるように左手をアリスは離す。そして純は自分の顔面が床よりもアリスの右脚とぶつかるほうが早いことを目で捉える。

 それは自身が左手をアリスの攻撃を払うために大きく外側へ向け、右手は襟から離れたアリスの左手によって近づけさせないように仕組まれた状態で訪れた瞬間であり、顎が砕かれそうな感覚とともに蹴り上げられたことを意味していた。


「さっきの戦いでわかったが」


 意識が飛びかけているであろう純にだからこそ得意げに話しながら、上がった顔を右手で鷲掴みにするアリス。


「お前は、こんなに恵まれたものを持っていて、戦闘行為に明確な勝利を望んでいない。だから、この身体で戦闘経験の多い紘和を攻めきれなかった」


 アリスはそのまま後頭部から純を床に叩きつけるように押し付ける。


「つまり、勝つ気のないお前はこの身体の本気に負けるんだよ」


 頭蓋骨が割れずとも明らかにヒビが入る音が右手からアリスの全身に達成感のように響き渡る。

 加えて後頭部からは見事なまでに血が飛び散った。


「ありがとう、感謝してるぜ」


 純の口から出たその一言が戦局を変えた。アリスは何にという疑問を持つより先に即座に飛び退いた。それが正解だと知っているからだ。すると血だるまの男が右手で頭を抑えながら左手で上半身を支えるように腰から上をバネじかけの人形のように勢いよく起こした。アリスは理解できずとも納得してしまっていた。この身体が導き出す現状の勝機はさっきの一言でなくなったと。アリスは必死で自身を守る参段を考えていた。

 なぜなら第六感が生きるなら逃げろと言ってくるのだから。


「やっぱり少し時間はかかるようだが、対価にしては申し分ないかな」


 致命傷を負わせたはずの純がユラリと身体を左右にわずかに揺らしながら話していた。傷が癒えた様子もない。

 ましてや、確実に何かしらの身体的機能不全を起こしても不思議ではない損傷を与えたはずなのに、それでも笑顔で口元に付着した血をナメながら笑う純。


「どうした、さっきまでの威勢が嘘みたいだな」


 第六感が告げようと挑発され、それに乗り体を動かす決定権を持つのは残念なことにアリスである。つまり、アリスは先程までの全能感を信じてふらつく純の息の根を止めるべく距離を詰めたのだ。

 殺される前に殺せばいいと。


「いいよ、その信じて疑わない感覚」


 アリスは気づいたら後方へ吹き飛ばされていた。単純なことで近づいたアリスのみぞおちに純のカウンターの両拳が入って、もろにくらったから吹き飛んだ、それだけのことだった。

 アリス自身のスピードもあって壁に激突した車のような衝撃と反動を一身に受け吹き飛び地面を転がる。


「ぐっ」


 数度と回転した身体をその勢いを利用して飛び起きる。痛みを和らげる余裕すらなくツッコみきってしまったため呼吸が未だにまともに出来ない。

 両手を床についたまま顔と床との距離が近いことを実感させられながら何とか息を整えようとする。


「ほら、前を見ろ」


 アリスは右耳から聞こえるその声にすでに純が横を通り過ぎようとしていることに驚いた。

 そして、即座に低姿勢ながら両腕を曲げて顔面への攻撃に備えた。


「だ~れだ」


 視界がべっとりとした何かによって塞がれる。アリスは後ろで両手で目をおおいっている純へ曲がった肘を突き出すことで純を後退させようとする。そしてそれは成功し、両目の圧迫感は消える。だから、即座に後ろを振り返り純の姿を捉えようとする。だが、その行為はまぶたから滴る液体によって塞がれる。状況に飲まれずもっと冷静だったなら目を一度拭うことは出来ただろう。今のアリスはそれすらできないほどに平静を保っていられないのだ。

 何せ、同じ純の身体でここまで圧倒されているのだから。


「んっ」


 何故べっとりとしていたのか。考えれば単純でそれは純の両手が自分の血で滴っていたからだ。故にアリスの見開いた目の視界は再び刺激と共に一瞬奪われる。この後手後手になる状況で致命的なミス。これは確実に取られたと確信するアリス。それでもなんとかする、その一心だけで感覚を研ぎ澄ませ風の流れを感じようとする。攻撃が来るということはどこかで気流が乱れる。その僅かさを感じ取れる純の身体で受け身を取ろうとする。

 だが、そんな攻撃はどこからもこなかった。


「そう身構えるなよ」


 アリスは思い出す。純という男が勝利に飢えてはいないことに。

 こんなにも優勢であと一歩で確実に障害となるアリスを殺せる手前であっさりとそれを止めることが出来る男だと。


「もし、俺と戦う前のお前ならこの気持がわかったかもしれないな」


 まるで純の甘さに疑問を抱くアリスを見透かすようにその答えを口にする純。


「まぁ、大前提に強者には、勝者にはそれを見逃すだけの余裕がある。つまり、余裕がないお前はその時点で資格がない。挑戦者だ。それを踏まえて、なぜ勝利にこだわらないのか。簡単だ。負けた人間が強くなって俺のもとに再び現れる。この戦いは未来の俺に捧げる……だからお前は殺せない。俺はお前が今後どうなるのか唯一知らないからな」

「何様だよ。唯一知らない? じゃぁ、他の奴らのことは知ってるんですか、なぁ幾瀧様よぉ」

「あぁ、知ってる。何が知りたい?」


 アリスの嫌味を当然のように受け取る純。おはようという挨拶におはようと返されたそんな感覚。条件反射のような返答。

 つまり、純は本当に知っていることになる。


「化物め」


 聞きたいという感情よりも驚きが勝る。

 そしてアリスは新人類という異能を持ちながら目の前の人間に苦し紛れに罵声を浴びせる。


「私達より、よっぽど人間離れしてんじゃねぇか。私が新人類、笑わせんじゃねぇよ。なぁ、幾瀧純」


 アリスの言い分は自然のことだった。同じスペックのはずなのに越えられない存在。それも、対峙すればするほど純との戦闘能力は確実に広がっていく。

 それはまるで進化し続ける新人類だった。


「人間かぁ。逆に聞くけど、お前の知ってる人間ってなんだよ。異能力を持たないホモ・サピエンスのことか? それとも感情を持った二足歩行で意思疎通のできるモノか。なぁ、何だよ、人間ってよ。哲学かよ。ハッハッハ……それともそれが知りたいことなのか」


 狂ったように大声で叫んだかと思えば高らかに笑い出す純。


「聞いてるのは私だ」

「俺に成りすまして何いってんだよ。わからないのか? 人間っていうのは俺以下のなんでもない奴らのことを言うんだよ。俺は人間を超える天災だぞ。同列にするな。だから安心しろ、新人類。お前らは確かに人間離れしたらしいが、それでも人間であり続けられているさ。なんせ、俺に勝てないのだから。今のお前も俺であろうと頑張ってる間は人間さ」


 冗談の様なセリフ。しかし、独説が終わりに近づくにつれて顔も声も真面目に言っていることがわかる気迫を帯びているのがアリスにはわかった。他の成りすましと違い、成りすました時点の人間の全てを百パーセントのパフォーマンスで再現できるアリス。それでも、同じ境遇に置かれても相手の感覚が全くわからないというのは初めての体験だった。

 故にアリスには純という人間が何を言っているのか理解も納得もできなかった。


「ほら、かかってこいよ。紘和を倒してしまったお前が救われるにはもう俺しかいないんだろう?」


 蝋翼物を持たない紘和を圧倒した純と同じ身体、パフォーマンスで言えば他の肉体で得た経験値分、純という個に劣る理由が見当たらないアリス。それでも考えてしまう。何度もぶつかったからこそ身震いする。アレはなんだと。

 歩みを止めないアレは何なのだと。


「面白くないよ、あんたに殺されても」

「どっかのジジイも同じこと言ってたよ」


 アリスの真下に純が出現する。純は瞬間移動なんて超能力は使えない。つまり、静というゼロの状態からトップスピードを瞬時に出し、再びアリスの眼下に停止していた、そういうことだった。友香の相手は陸がやっている。つまりジェフから聞いた【雨喜びの幻覚】というとんでも能力ではないのだ。アリスがそれをギリギリ目で追えたのは純の身体だからである。

 しかし、今のアリスがそれを再現できるかと聞かれれば、無論ノー、出来る気がしなかった。


「強さを求めてるくせに、どいつもこいつも本人を前に酷い言いようだよね」


 打ち上げるようにアリスの顎を狙った右掌。アリスはまだ追えていることを実感しながら、それすら追えなくなるのではないかという感覚に怯えながら左手で純の手首を捕まえる。そもそも純はDNA情報をまるで残さない。それが今回の新人類の成りすまし勢がヘンリーや紘和頼みだったことに繋がる。

 故に、何を思ったのか与えられた髪の毛一本に、現在のアリスの全力をのせている。


「つかまえたぞ、アリスちゃん」

「クッソが」


 アリスが掴んだのは間違えではない。しかし、アリスの行動を全て悪手に変えていくのが純である。つまり、今のアリスにもそれが出来るはずであり、イタチごっこのように拮抗するはずだった。

 純はアリスに掴まれた腕を自身を後ろに倒すことで引き寄せる。アリスはその勢いにのることで右手を純の顔面めがけて振り抜く。しかし、純はその右腕の内側へ顔を滑らせるように接近させ自身の肩をアリスにぶつける。一瞬の怯み、アリスがそれを感じた時には上下の体位が入れ替わっていた。

 そう、アリスの背中が硬い床に押し付けられる。


「まぁ、こんなもんか」 


 軽い一言とは裏腹の説明のつかない体捌き。同じ人間を再現できているはずなのにやはり届かない。


「で、誰に、どんな状況で殺されたい?」

「どういう……」

「そのままの意味だよ。俺に殺されたくないなら選ばせてやる。もう一度俺に挑戦するために鍛えるのか、殺されるべき相手に殺されるための場所を設けるのかを」


 アリスは考える。この状況を覆す方法はないのかと。せめて目の前の純に一泡吹かせる方法はないのかと。おそらく選択すればそれは適切な形で叶うのだろう。では選択肢以外を選んだ場合は。間違いなく意に反したアリスを興味深そうにみるのだろう。アリスは自問し続ける。どうすればいいのかと。どうすれば純という男を超えることができるのかと。その兆しはすでにあった。紘和をどうやって倒すか考えた時に着想は得ていた。

 そうだ、成ればいいんだと。


◇◆◇◆


 純はアリスの答えを聞くべく待った。しかし、中々に答えを口にしようとはしなかった。おそらく選択肢に従うか一泡吹かせる解答を模索しているのだろう。純にとって彼女の先は純に成りすましているからこそ未知数でそれこそ、最初は新しい刺激が手に入るのではないかと期待していた。しかし、結果として今までと大差はなかった。だが、万に一つの可能性を拭いきれずこうしてチャンスを与えている。

 何かが起これと。


「じゃぁ、お前の選択に従えるか選べよ、俺」


 随分と落ち着きを取り戻した声が純に届いた。それはまるで選択されたことを楽しむ準備ができているかのような受け入れようだった。その違和感の理由を事前に察することも警戒することも出来なかった純。警戒する必要性。

 それはまるでただの純がそこにいるかのような違和感の無さに既存することだった。


「まさか、成りすましが進化したのか」

「どうだろうなぁ、お前ならわかるんじゃないのか?」


 未知数が、予想の範疇が、純の知らない未来がそこに迫ってきていたのだ。

 おそらく今アリスはすべてを忘れて純になろうとしている途中なのだ。


「出来るのか、お前は。出来たのか、お前は。アリス、どうなんだ」

「アリ……ス? 何が出来るっていうんだ。俺は」


 純は確信する。育てるべきものがここにあると。だからこそ見つかる前になんとかしなければならない。

 故に他者の記憶のトレースを利用できない状態にしなければならない。


「ようこそ、地獄へ」


 アリスの意識はそこで後頭部の強い衝撃と共に途切れるのだった。

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