第二十六筆:激闘、強敵との決戦!
「状況は?」
「現状が噂に聞く幻覚の新人類によるものでなければ、決着は時間の問題だと思いますよ。それぐらい優勢です」
「幻覚なものか。そういう手はずなんだろう。だからこっちも仕事を早く終わらせる」
央聖は会議室を出た足取りでわき目も振らずに地下を後にし、外で待機させていた茅影と合流する。
そして、漠然とした報告を聞き入れながら早々に苦虫を潰したような顔をした央聖が言葉を続ける。
「だから、帰りの時間を把握したいから詳細な状況報告をしろ」
「予定通り、生きることを選んだコピー五人、転移五人は確保し他は排除、ヘンリーに未報告の成りすましをダミーに一時しのぎとしての入れ替え殺害が終了しております……が」
「どうした?」
茅影の報告の仕方に否が応でも聞き返さなければならず、暗雲を進む気持ちで内容を催促する央聖。
「ミルドレッドさんのところに一人、怪力の中でも特異体と表現したほうがいい個体がいたようです」
「決着は時間の問題じゃなかったのか?」
「えぇ、時間の問題ですよ。ですから、仕事を早く終わらせるための詳細な状況を報告しました。決定を下すのは、私ではありません」
茅影が言わんとしていることを理解する央聖。つまり、この戦いの決着を早急に済ませられるか否かはミルドレッドを見殺しにするか否かで決まるという意味である。それだけミルドレッドが戦闘において劣勢を強いられているという意味なのだ。では、本来であれば仲間であれば助けたほうがいいのでは、と思う局面でなぜ選択という概念が生まれるのか。これは央聖の利益になるか否かという考えに基いていることである。言ってしまえば、現状、新人類を確保出来た段階でミルドレッドという人間の戦力以上の価値が発生しているのだ。それは、助けることでかかるコストと見捨てることで浮くコストどちらが益となるかがこの場の判断における全てということである。だから、本来であればミルドレッドが自力で助かることにベットという判断を央聖は即座にしていただろう。傭兵は消費されるもの、そう思っているのだから。
しかし、央聖が下すべき決定を茅影が誘導している、そう直感しているだけに茅影を使うと決めた日のことを思い出す。茅影が央聖に提案するというのは今回が初めてというわけではないし、その提案を飲むことは珍しいことではなかった。だが、央聖が純と一枚噛んでいるとわかった茅影には何か昔を思い出させるだけの得体の知れない脅威を、今までどうして忘れていたのかと思うぐらいに思いださせていたのだ。
実際すでに央聖の知らないところで動く別の策略に加担させられていたことを知った今、こうして早々に利益だけを獲得し、戦場を後にしようとしているのだ。だからその最中に起こったミルドレッドの危機というハプニングが果たして偶然のものなのだろうかと央聖は疑わずにはいられなかった。つまり、茅影のこの提案を飲むことは、無益、最悪損害を産む商売に足を突っ込むことになるのではないかという不安があった。
それは央聖が下そうとしている結果が利益になることが決定している故の疑心である。
「特異体について何かわかっていることは?」
央聖ができる質問はここが限界だった。特異体を知っているかどうかを知りたいのではない。知っていたとしたらなぜ知っていたのかというところにあった。無論、これは特異体と茅影が断言している次点で茅影が報告にない特異体をそれと判断すべき材料を持っていると示唆しているからの質問であった。では、なぜ知っていたのか、つまりこれが別の計略ではないのかと茅影に聴けないのか。理由は一つ。計略だとした場合に見抜けなかったと茅影に判断されることが、雇用主として見抜けなかったことに、茅影にそれしきも考慮できない人間と考えられることに直結してしまうからである。恐らく、このデメリットを推し量った上で茅影も央聖に対して言葉を選んでいるのだから、央聖が先に折れてしまうわけにはいかないということである。故に懐疑心を向けるわけにはいかない。なにせ、央聖が相手にしているのは悪魔のような情報屋なのだ。
利用するならば、上であり続けようとする心構えを示し、飼いならさなければならない。
「わかりません」
「わからない、だと」
央聖は予想外の返答に思わず聞き返してしまう。
「だから特異個体です。私も知らない未知数な個体ですし、怪力とカテゴリーは出来るが、それにしても異質、そんな感じです」
つまりこれは仕入れた時期がこの戦闘が始まってからであることを示し、情報に関して嘘を言わない茅影という点に於いて、本当に突然湧いて出てきたイレギュラー的戦力ということを意味していた。つまり、今までの考えを更地にした上で判断を下してもいい可能性が出てきたということであった。
◇◆◇◆
ミルドレッドは央聖の指示通り、新人類の殲滅と捕虜の確保を順調に行っていた。しかし、そこに一人の新人類が現れたことで順調なことの運びに影をさすことになる。そいつは骨だった。スケルトンと表現できないのは彼とも彼女ともにつかない存在が骨のいたるところに最低限の筋繊維と思わしき黒い肉片を人体の駆動させるための最小限に再現しているからといった些細なことではない。生きているかのように骨が変形しているからというわけでももちろんない。理由は黒い柔らかい塊がその骨から付かず離れず、血管のようなもので繋がれうねっていることにあった。しかもそれは見た目からは想像できないほどに硬く、銃弾を軽く弾いていた。白い人骨に、黒い肉体を周囲に漂わせ、赤い何かがところどころから漏れる、新人類の中でも特にクリーチャーと呼びたくなるほど人間を止めたと表現して間違いない存在が現れたのだ。加えて厄介なことに致命傷と思われる臓器がどこにも見当たらない。
恐らくは頭部と胸部と思われる位置に球体で白く覆われた骨があるのでその内側にあると推察はできるが、それを壊せるだけの兵器と人材がミルドレッド側にはいなかった。
「俺はこんなところで死ぬつもりはない。計画なんて知るか。クソみたいなこの世界に復讐するんだ」
声帯、首と呼べるべき部位がどこにあるかわからない新人類がどこから声を出しているのかはわからない。それでも少しかすれ気味ではあるもののはっきりと音が周囲に怒りとわかるように伝播する。
死に場所に満足しない人間が、救われなかったことを嘆き手当たり次第に攻撃しようとしている姿がそこにはあった。
「社長はなんて言っているの?」
ミルドレッドは近くにいた男に連絡の解答を催促する。
「状況の説明はすでにしているのですが、未だ返事は来ていません。判断を決めかねているのかもしれません」
ミルドレッドにはその言葉で央聖が何を悩んでいるのか理解した。恐らくは入れ替え制の行使を悩んでいるのだろう。優秀な戦闘力を持った人間を迎え入れるパーチャサブルピースの儀式。至極単純に強ければ迎え入れる。その判断に対峙する社員より強いかどうかが試されるため入れ替え制と呼ばれているのだ。つまり勝ち残ったほうが生き延び、迎え入れられる。もちろん、勝ち残ったほうが迎え入れられることを望むとは限らない。しかし、今回の状況を考えれば説得は難しくないのだろう。当たり前だがミルドレッドはこのやり方に不服はない。彼女自身もそうして前の有力者を殺してパーチャサブルピース戦闘員の席についたのだから。そして央聖もまたこの制度で仲間を失うことを恐れていない。当然である、前回よりも優秀な商品を迎え入れるのだから商品に情を持っているような男ではないのだ。雇用主と社員。そのドライな環境がこの職場のウリでもある。実力があれば確実にそれに見合った対価が支払われる。だからミルドレッドはフリーランスをやめたのだ。
故にそんな央聖が判断を決めかねている状況がミルドレッドにとっては妙、だった。つまり、今まで通りに考えれば、決める上で目の前の相手に損が見えているということになる。確かに、今回の作戦は出来すぎている上に央聖の苛立つ顔がわかりやすく見て取れた。主導権を握れていない顔、それなりの付き合いがなくても央聖は顔に出やすい。特に駆け引きを必要としない場では。
故にこの損得勘定が何か知らない場所で知らない秤にかけている可能性もあるとミルドレッドはなんとなく、そうなんとなく考えていた。
「皆殺しだ」
しかし、央聖の連絡など敵が待ってくれるはずもなく、今も大声をあげながら黒く宙を舞う外装が触手のように滑らかに伸び、怪力の新人類の雄叫びに合わせて現場のパーチャサブルピースの部隊、そしてラクランズを撫でるように切り裂いていく。ミルドレッドはそれを紙一重でかわしながら銃撃を止めず後退する。
正直、自身の手には余ると考えているだけに逃亡が許可されない限り遅滞行動を取るほかないのだ。
「ミルドレッドさん」
するとミルドレッドのそばにいた男が連絡を受けたのか口を開いた。
「お前の価値を示せ、だそうです」
それが伝え終わるのと同時に男は心臓を一突きされ叫び声も出せぬまま絶命した。ミルドレッドは入れ替え制が執行されたのだと認識する。金を得るためにどのみち殺さなければならない存在ではあった。と同時に、この新人類との局面を避けることはできなくなったことを意味していた。故に央聖に恩を売ってボーナスをもらう参段でミルドレッドは取り敢えず手榴弾をばらまいた。
少しだけ、そうほんの少しだけミルドレッドの肩を持つような指示に違和感を覚えながら。
◇◆◇◆
「お久しぶりです。コウアン? の二人の相手は私がさせていただきます」
廃工場に入った紘和たちを出迎えたのは昨夜紘和たちを襲撃した女の一人、幻覚の新人類だった。
「四対一の方がこっちとしては助かるのだけど、その条件を聞くメリットはこちらにはあるのかい?」
泰平は何もない閑散とした廃工場内を見渡しながら相手から情報を引き出すべく口を動かす。
「あると思います」
「どんなメリットがあるのかな?」
◇◆◇◆
「お久しぶりです。昨夜はどうもです。コウアンの人間は私が止めておくのでお二人は先に行ってください」
紘和は虚空に向かって喋り続ける泰平とその後ろで臨戦態勢の梓を横に見ながら目の前の少女に質問する。
「実際に、あなたを倒してから下に降りたほうが私達には好都合だと思いますが、どう思いますか?」
この殲滅戦で受けていたタイムリミットの指定をヘンリーから受けていたが、純の構想により全てが前倒しになっていたが、仮にここで躓いたとしてもタイムリミットに間に合わなくなるような慌てる時間でもない故、紘和たちからすれば強く厄介な敵であれ確実に倒して前に進むほうが限りなく安牌であるのは間違いではない。
「この下に新人類で最も強い人間が、そして、更に下でジェフ様たちがお待ちです。それでも四人で下に向かった方があなた、にとって都合がよろしいですか?」
紘和は目の前の少女の言葉に耳を疑う。あなたを強調されたことで新人類最強と紘和がサシで戦う環境を、加えて複数形というジェフ以外の存在がいることを友香に示唆したということは、まるで純が望むシナリオを歩かされているような錯覚にとらわれるからだ。それは友香も同じだったようで警戒心を強めたことがわかった。まるでこの場は両陣営合意のもとで行われているのではないかと。
故に幻覚で足止めをしてあげていると。
「どうしてこの条件なら私達が飲むと思ったのですか? あなた方にも、いえ、少なくともあなたには死んでしまうかもしれないデメリットしかない。その先にあなたが果たしたいことでもあるのですか?」
「ジェフ様が言ってたから」
この一言に友香はゾクリとした。眼の前の少女の発言は一種のカルト宗教的なものを感じさせる。ヘンリーから聞いている情報から推測するにジェフは身寄りのない孤児を利用し、人体実験を行っているマッドサイエンティストと評される部類の人間である。そんな人間の言葉を、疑問を抱かず信じきっているのだ。それが一種の洗脳に近いものなのかはわからない。それでも、友香でなくとも常識があればこの、相手が言っていることを、特に己の身の危険を考慮するべき状況で正気の目で鵜呑みにしている違和感に恐怖するのだろう。
一方の紘和もゾクリとしていた。しかし、それは友香と同類のものではない。純とジェフの関係性だった。否、純と陸との関係性と言い換えたほうがいいのかもしれない。先程の疑念が核心に傾いているからこそゾクリとしたのだ。端的に言えば人間にできることはたかがしれている。それが一人の、となれば話はより現実的なものとなる。それは純という奇人に対しても言えることであった。それは、チャールズにやらせた黒い虹の情報統制、一樹にやらせた紘和への天堂家としての権限行使の継続が当てはまる。そう、少なくともやっているのは純ではないのだ。他にも子飼いの情報屋のような存在が影響しているかもしれないが、問題はここにいたるまでである。パイプである。一樹に関しては状況がそう生んだと解釈できなくもない。しかし、チャールズとはどうやってこの流れを作ろうとしたのか、この謎は一般人が子飼いにしている情報屋を仮に使ったとしてどうこうなる問題を遥かに超えているのである。純がどれほど異質な存在であろうと、彼は一般人より少し足を突っ込んでいるというカテゴリーを脱していないのである。何か大きな政、事件を動かせるだけの権力を持ち合わせていないのは揺るぎない事実だった。
だが、それができている。あまりにもスムーズに、まるでそうなることが決まっているかのように協力者が現れ、事が進んでいる。つまるところ、一樹に天堂家としての権限を紘和に残し続けると宣言させるために剣の舞計画が明るみに出ようとしたのではないかと錯覚するほどだった。そして、その根拠となる先にいるのがいつだって陸だった。まるで互いが導きあっているようなそんな疑念が、紘和の中で徐々に膨らんでいこうとしている。
故の驚きと恐怖にゾクリとしたのだ。
「断ったらどうするのですか?」
紘和はその果てしない憶測からくる得体の知れない者に対する感情を顔には出さず少女に問い返す。
「断られることはないと思っていましたが、そうなったら私を殺してもらうだけです。もちろん、抵抗はします」
紘和は後ろで息を呑む友香の声を聞く。恐らく、カルト的な返答に友香の常識が耐えきれなかったのだろうと紘和は思いつつ、紘和は交渉の余地がないことを悟る。友香の前で少女を殺す訳にはいかないという理由ではない。
この先にいる新人類を紘和一人で相手取ることができなくなってしまうことが問題だと結局紘和は自分のための判断をしたのだ。
「ちなみにこれが幻視ではない証拠は?」
「少なくとも私はそちらの女性には無力だそうですので、そこから判断するのが現実的だと聞いてます」
紘和は今後ろにいる友香が友香でない可能性も考慮しつつ、後ろを振り返る。
「行くよ」
紘和はそれだけ伝える。もしこの言葉に前後感の脈絡から友香が不審に思えば、紘和は幻聴にかかっていたことになる。
もちろん、単純に反対だったとしてもどのみち友香と意志の疎通ができるだけのことだった。
「はい」
小さな子供を慈しむような眼差した友香の返事は、異常性を感じられる新人類に見とれていたからか、少し遅れたもの了解を示すものだった。だからひとまずは幻覚にかかっていないと判断することにした。同時に、この先には【雨喜びの幻覚】について知る人間がいることは間違いないと思いながら紘和はゆっくり少女の脇を抜けて地下へと続く階段へ足を伸ばすのだった。
◇◆◇◆
「くっそ」
ミルドレッドは攻めあぐねていた。手元に残る部下の数もラクランズの数も視界に収まるだけとなっている。それは手榴弾程度の爆風でも、ラクランズ程度の硬度の打撃でも傷つかない相手の強靭さにあった。そのくせ動きは機敏で、何より骨格周りに漂う黒い塊の自由度は高かった。意思を持って自在に伸縮するナイフのような触手、かと思えば薄く広がることも容易にできる。つまり、ミルドレッドの得意とする銃撃戦では歯が立たないのが現状だった。もちろん、ミルドレッド専用に作られたパーチャサブルピースオリジナルの白兵戦特化の銃の様なものは仕込んである。しかし、それは本当に白兵戦特化の文字通り肉薄しなければ効果を発揮しない。つまり、一定の距離の空いたこの状況で伸縮自在の触手をかいくぐるのは、無謀に見えてならなかった。だから機会を待ち続けていた。
このままではジリ貧となって負ける未来が見えて始めているだけに少しづつ迫りくる死に鼓動を大きくしながら。
「俺は強い。だから弱者を捨てる強者を殺す。だってこの世は弱肉強食なんだろ」
聞いていて気持ちの悪い破綻した理論の主が逃げ隠れするミルドレッドに痺れを切らしたかのように突然歩みから駆け出しに歩幅を変えて詰めてきた。そして、距離が近づいたことにより狙ってから目標にたどり着くまでの距離が短くなり、鋭利な触手がミルドレッドの頬を今回初かすめたのだ。そのチャンスを見逃すミルドレッドではなかった。触手とすれ違うように素早く特異体の懐まで走り込んだのだ。ただ無様に死ぬよりも危険を犯してでも勝利を勝ち取りに行く姿勢が生み出した行動。
特異体の胸部と思われる骨にミルドレッドの右足裏がピタッと貼り付く。
「杭改めろ、クソガキが」
「アァアアアア」
バキッという何かが砕ける音と共にミルドレッドの右足がその反動で上方向に持ち上がり身体がその勢いにひっくり返りながら吹き飛ばされる。特異体にもダメージはあったのか激痛に苦しむ声が施設内に響きつつ反射的に伸ばしたであろう細分化した触手がミルドレッドの身体を無作為に何箇所も貫いていった。幸いなことがあるとすれば狙ったわけではないので全てが急所を外していたことだ。それでも一度に大量に刺されたということは一度に大量の血が流れ出ているということにもなる。だからミルドレッドは意識が朦朧とする中で失敗を覚悟しつつも、自身の成した行動の結果を、特異体の胸元を見た。そこには僅かなヒビが見受けられるだけで破壊にまでは繋がっていなかったという現実があった。
ミルドレッドが放ったのはパーチャサブルピースが開発した杭を弾丸のように加速させて放ついわゆるバリスタに近いものを反動を考慮した上で脚部に装着して近距離から確実に当てる兵器だっだ。反動が大きい故に脚部に取り付けざるを得ないこと、重量が程々にあることから女性であるミルドレッドで簡易化を試作している段階にある白兵戦特化兵器である。しかし、特異体の骨密度の前に杭は発射されて、胸部を砕くこと叶わずそのまま発射装置の中へ押し戻されてしまったのだ。
結果軽量化や反動を抑えていたにも関わらずその勢いに身体が支えきれず、ミルドレッドの脚はあらぬ方向へ飛び、それに引きづられるように身体が宙を舞ったのだ。
「結構痛かったぞ。お前の骨でも食べれば治るかな」
薄っすらと横たわるミルドレッドの視界に入る特異体はミルドレッドを包み込むように黒い塊を広げていた。血も抜けて冷静だからだろうか。同物同治という考えに馬鹿でまだまだガキなんだなと思ったミルドレッドは叩きつけられた時の影響もあり身体がまだ思うように動かない故、死を覚悟していた。武器性能では補えないものがあったのだと、精一杯やった結果なら仕方がないと、考えたのだった。
◇◆◇◆
特に何かの話をするわけでもなく紘和と友香は地下へと続く階段を降りていた。互いにこの先に待っている人間に用はありつつも、何処か釈然としない気持ちが頭の中で考える時間となり、この沈黙の移動に繋がっているのだ。そして階段を降りると錆びついた鉄の扉が姿を現す。紘和は後ろからついてきている友香を確認するとゆっくりと扉を押し開けた。軽く軋む音を立てながら扉はゆっくりと開かれていく。そして目の前には上よりも殺風景で、しかし確実に電球によって明かりが保たれた広い、それこそ戦うために用意されたような部屋があった。そしてそこには一人の女性が立っていた。
しかもそれは紘和も友香も見たことのある人物だった。
「あなたが新人類最強だったのですね、被験ナンバー一、成りすましのアリス・レイノルズさん」
「そうね、今の私なら間違いなくあなたを倒せるわ、紘和。いえ、倒すの」
茶色い髪を背中まで垂らすまるでモデルのようなアリス。
しかし、その口からは挑戦的な、攻撃的な言葉が飛び出してきた。
「でもその前に、彼女。えっと……友香は下に行ってくれないかしら」
「危険はないのですか?」
「知らないわよ」
後ろ髪を手でかきあげながらアリスは自分の後ろにある扉に注目させる。
「決めるのは桜峰さんだけど、危険がないとはいいきれない」
紘和は後ろにいるであろう友香の方には振り返らず言葉を送る。実際、地下に進んだのは紘和自身のためではあるが、同時に友香を護れる戦力でもあったから公安組を置いて前進してきたのである。
つまり、友香が一人先に向かうということは仮に戦闘行為が行われたとした場合、手が足りないということを意味した。
「ありがとう、天堂さん。それでも私は先に行くよ」
返事は紘和の前方からしてきた。
「わかったよ」
紘和は唇を噛む。友香の身の安全を保証していた手前、今が止めるべき局面でもそれをする資格がない自身に嫌悪しているということもあるが、それ以上に友香の覚悟を物理的に阻止できない状況にあったのだ。
紘和が気づかないうちに前方に移動していたことから、言葉以上に【雨喜びの幻覚】をすでに発動させたこと、つまり何があっても行くことを友香は宣言しているのだ。
「状況が飲み込めないからさ、彼女がこの場からいなくなったら教えてね。そしたら戦いを始められるでしょ」
「と、いうわけだ。何かしらの合図、お願いするよ。桜峰さん」
「わかった」
自分勝手に陰謀に歩み寄る二人を止めるものはこの場に誰もいなかった。
◇◆◇◆
ミルドレッドが意識を取り戻した時に思ったことは生きていることに対する疑念だった。
「どうなって」
ミルドレッドが意識を失ってからどれだけの時間が経過し、何故自分が生きているのか、それを確認しようと上半身を起こし周囲を確認しようとする。
「目覚めるのが早いな、ミルドレッド」
「マーキス?」
声でミルドレッドはその場にマーキスがいると判断する。
実際にマーキスがミルドレッドを敵からかばうように背を向けていた。
「安心しろ、一分も寝てないさ」
マーキスの言う通りミルドレッドが意識を失っていたのは一分にも満たない時間だった。その間、襲われていたミルドレッドを助けたのが別の場所で仕事をしていたはずのマーカスだったのだ。だがこうして駆けつけられていたマーキスは意識を失いまさに殺されそうになっているミルドレッドの現場に間に合い、発見してすぐに自前の特注ハンマーで割って入り救出したのだ。
そしてハンマーの威力を目の当たりにした特異体は距離を取り、結果としてミルドレッドが起きるまでの膠着状態を生み出していたのだ。
「どうしてあなたがここにいるの?」
入れ替え制が適応されたと思っていたミルドレッドからしてみれば救援のような形でマーキスが介入してきたことは疑問でしかなかった。
「旦那の用意した撤退ルート上がここで……なんだか苦戦してるから助けた。そんなところだ。まずかったか?」
マーキスのありのままの状況を説明したとでも言いたげな言動に、ミルドレッドは央聖の配慮を感じ取った。この入れ替え制に対する疑念を央聖に対して持ってはいたミルドレッド。しかし、戦闘が開始されれば素直に従うことを選んだ。そんな入れ替え制が行われている事実をマーキスに伝えずに撤退ルートに混ぜることで救援としている。
そう考えれば、この戦いが目の前の特異体を倒すことに重きが置かれているとわかる。
「いや、あなたのそういう気遣いには救われるわ、マーキス」
「ハハハッ。何のことやら」
ミルドレッドは立ち上がると特異体の状態を確認する。
白かった骨に軽い焦げ目が見られることからマーキスの攻撃があたったこと、それを警戒して膠着していることまでミルドレッドは理解する。
「取り敢えず、あれを何とかするわよ」
「あぁ、任された。それにこの武器の性能も評価するためのデータも足りなかったしな」
マーキスは両端に大きさの異なる打撃部分を持ったハンマーを振り回し、再び臨戦態勢に入った。
◇◆◇◆
「いってきます」
友香の言葉を合図に紘和が大きな一歩を踏み込む。そしてその先に予想してたかのように置いてあった大きな手のひらに視界を塞がれる。頭を掴まれた紘和はその腕を反射的に掴み近距離を維持することに専念すると即決した。アリスもその意図に気づいたのか紘和を握る手の握力が強まっていくのを頭蓋骨に感じていた。そこからは互いの余った腕が殴打するだけの時間が暫く続く。長引くだけ頭という致命的な部位を握られている紘和の方が分が悪い。あれだけ華奢だった人間から繰り出される力だとは思えないほどに怪力なのだ。
しかし、紘和はすでに見えずとも今相手にしているアリスの姿に検討はついていた。だからこそ、ただの力比べに付き合っていると言っても過言ではない。恐らくアリスも今の身体でどれだけ紘和に対抗できるか図っている段階に過ぎないのだろう。数撃相手の身体を捉えたのは序盤だけで次第に紘和の殴打をアリスが殴打で迎え撃つ構図が出来上がった。
だが、その構図ももちろん長くは続かない。白兵戦を持ち込んだ紘和がアリスを掴んでいた腕を離し、両腕でアリスを捉えようとしたのだ。アリスはその数撃を甘んじて受けると紘和の後頭部を床に叩きつけるべく体重を乗せた。しかし、アリスの巨漢は活かし切ることができない。
紘和はまるで地中で根を張っている大樹のように上半身を微動だにさせなかったのだ。
「チッ」
アリスは舌打ちと共に改めて先天的スペックの差を痛感した。同時に内心ではこれから始まる戦いに心躍らせてもいるのだが。筋肉で覆われているからなのか頭蓋骨をかち割ることがこのままでは出来ないと判断したアリスはその場から動かない紘和の頭から手を離し距離をとって仕切り直すことを選択した。
そして紘和は目の前のアリスの力量を視覚的に納得する。
「やっぱり、な」
なぜ紘和が様子見をするように不利ながら接近戦をしかけたのか。答えはアリスの姿がヘンリーに変わっていることにあった。八角柱との戦闘。井の中の蛙は一樹以外の上位の存在と直に手合わせをする機会がほとんどなかった。
もちろん、そんなことが頻繁に起こり得ている場合は世界の均衡に疑問が浮上するわけだが。
「驚かないのね」
「まぁ、成りすましが相手だというのもあるが、そんな気は薄々していた」
純からジェフとヘンリーの裏での繋がりを示唆された上で、紘和のために用意されていた成りすましという点から予想はしやすかった。
敢えて言うならば最悪の想定ではなかった故、ちょうどよかったとまで思ったほどだった。
「そう。ちなみにこいつと手合わせするのは初めてかしら」
「あぁ、そうだな」
一樹とは戦闘訓練の手合わせ程度、チャールズとは純と一緒でしかも僅かな時間しか対峙していない故、世間で公表されている化物レベルの人間と正式に戦うのは初めてということになり、紘和は落ちつきを払った言葉とは裏腹に内心テンションが上っていた。
「不幸ね」
そう言うとアリスの、ヘンリーの巨体が宙に浮く。紘和は見た目以上に体重がある。正確には筋肉が倍以上発達している。とはいえ、見た目が普通なので俊敏に動こうとも違和感自体はそこまでない。しかし、ヘンリーに関して言うならば別である。力士が意外と素早い、瞬発力に長けていると言われ、土俵で見れば納得のできる技量を示していると言えばわかるだろう。加えて昨今ではメディアなどに力士の見た目と運動神経のギャップを取り上げるようにバク宙やかけっこを披露しているところを見たことのある人間は日本に限れば決して少なくはないだろう。そんな紘和ですら違和感を覚えるほどに身軽、それがヘンリーの体格から繰り出された動きだったのだ。跳躍した身体は一秒とかからず天井まで到達。そして天井に破壊音のようなものを添えて紘和目指して突っ込んできた。さっきまでとは違い勢いがあるためぶつかれば吹き飛ばされるのは明確であったため紘和は回避行動をとる。
しかし、紘和の行動をギリギリで失敗にさせるヘンリーの特徴、ふくよか故の接近する際の表面積の大きさに、紘和の回避を捉え、物理的接触ダメージを与えさせることにアリスは成功した。
「かすったか」
思わず声に出てしまうほど、かすっただけなのに予想以上のダメージに驚く紘和。
「お見事」
紘和は聞き馴染みのある声に、目を向ける。
「これなら、さっきとは違うだろ?」
紘和の視界が捉えたのは紘和自身。
そして、ゼロ距離からの拳が顔面を捉え、紘和は身体を宙に浮かされたのだった。
「すごいね、やっぱりこの身体は」
昨日の再戦が、紘和対紘和が行われようとしていた。
◇◆◇◆
「で、何か策はあるのか、ミルドレッド」
「あるわよ。むしろ来てくれたのがあなたのお陰で勝機がわかりやすく掴めるところまできたわ」
「どうすればいい?」
「温度差であの骨を壊してくれればいいわ」
「単純でわかりやすい」
近接戦闘に持ち込むまでが難しい、そういった点には一切触れずマーキスは特異体のもとへと駆け込んだ。ハンマーを正面に持ち器用にくるくると回すことで擬似的に表面積を増やして盾のようにしながら、同時に遠心力で触手を弾きながゴリ押しで接近するマーキス。その攻撃をかわすために脇から迫る触手をマーキスの後ろから追従するミルドレッドが両手に持った銃で弾き飛ばす。するとあっという間に特異体との距離を縮めることに成功した。力技のようでそれぞれが長所を理解し補うことで成立している連携に特異体は先程まで圧倒していただけにたじろいだ様子が見られた。無論、マーキスがそのマイナス的思考を見逃すわけもなく、さらに距離をつめる。
ブラストハンマー。マーキスに与えられた試作段階の打撃武器。怪力にも自信のあるマーキスだから振り回せるその重量は二百キロを超えている。もちろんハンマーと呼ばれるからには打撃武器の性能として重量というものは叩きつける際にあって損はない。しかし、この重量はブラストハンマー最大の特性の副産物でしかない。その特性とはブラストと名前にある通り、ハンマーの大きい頭に爆風を生み出す仕掛けが施されているのだ。故にそこから放たれる一撃は音速を超え、爆風を生み出すための熱量はそのままハンマーに伝達され高熱の打撃が一点を殴打するのである。ただし、その一撃は改良しているとは言え使用者の人体、主に鼓膜部分に多大なダメージを残し、近い表皮は軽く火傷をさせてしまう。そしてその改良の結果付属したのは小さい方のハンマーの頭に当たる冷却部である。大きい部分が可動するたびに二酸化炭素を個体化させるほどの電力が同時に生産され、そのまま個体として冷却手段を貯め続けることができる仕様になっている。ただ、こちらもこちらで低温やけどの危険性があるなどと、完成の域を脱していないのも事実である。
ただし、今後熱に強いラクランズの生産が進めばその兵装として考慮している、というのが現状である。
「かますぜ、ミルドレッド」
マーキスの言葉に耳をふさぎながら少し後退するミルドレッド。そして、グッと特異体との距離を詰めたマーキスはブラストハンマーを起動し、爆音と共にひび割れた骨周辺に打撃を与えた。
あまりに一瞬の出来事に特異体は打撃をもらったと気づくより前に吹き飛ばされ、支柱を数本破壊しながら吹っ飛び、最後は壁に激突して止まった。
「いっ」
衝撃にめまいなどの不快感を得る特異体。しかし、これでも骨が完全に粉砕されていないというのは人体の素晴らしいところでもあった。故に壁から起き上がろうと動き出す特異体に多少の驚きを得た。
だが、抑えきれない衝撃は確実に内蔵にダメージを与えていると確信するミルドレッド。加えてマーキスはまだ足を止めていない。未だ赤く熱せられた跡の残る胸部に冷却部分での一撃を入れるため失った聴覚を気にもとめず飛びかかっていたのだ。
そしてミルドレッドも残されている仕事をこなすべくマーキスの背後を再び追っていた。
「砕けろ」
冷却部分が高熱部分に当たりジュワッ蒸発するような音共にピキッと何かが砕け落ちる音がする。
実際に石膏のように白い大きな塊が、骨がボロボロと砕け落ちているのだ。
「終わりよ」
ミルドレッドの左足が砕け落ちる骨の中へと吸い込まれるように入る。そして、両足に装着していた内の左脚に装着されたパイルバンカーが今度は特異体の内部で炸裂する。貫通音が轟音となって風圧を生む。
決定打だと思う一方で、予想に反してミルドレッドは手応えを感じないことに違和感を持つ。それは特異体の力を理解していなかったというよりも、心臓が胸部にあると思っていた常識からくる単純な、そして致命的なミス以外の何物でもなかった。
今にして思えば、あれだけの衝撃を人体に受け止めておきながら即座に活動を再開している次点で衝撃が内蔵に伝わっていないという考えにたどり着くべきだったのである。
つまり、胸部周辺、否、臓器は骨の内側ではなく、先程から触手のように伸び縮みさせている黒い物体の何処かに格納されているという事実に気がつくべきだったのである。
「楽しかったよ、ありがとう」
特異体の勝ち誇った声が聞こえたのとミルドレッドの全身に激痛が走ったのはほぼ同時だった。このままでは恐らく鼓膜を破れたせいで、特異体の生死にワンテンポ遅れて気づくであろうマーキスまで触手に貫かれて殺されかねない。そう思ったミルドレッドは自身が前衛に変わっていたことに安堵しつつ起爆スイッチを押す。
そう、先程放たれた杭はただの鉄の塊というわけではない。本来の役目は固い装甲、城壁を突き破った後、反しを展開させてからミルドレッドが手にする起爆装置を起動することで内部から対象を爆薬で吹き飛ばすことで真価を発揮するものだった。そして、特異体はそんな事実を知るわけもなく、知ることなく意識を失うことになる。
まばゆい閃光の後、その戦場は赤と黒に飲み込まれたのだ。
◇◆◇◆
成りすましはその対象を三人までストックすることが可能と聞いていたが、紘和は起き上がりながら改めて目の前にいるもう一人の自分に思わず顔がにやけてしまったていた。つまりアリスはもう一人の余力を示しつつヘンリーと紘和に成りすまして応戦しているということになる。
そして昨夜の戦闘とは違うものがあった。
「少しは驚いてもらえたようね。そう、私は成りすましにして新人類の第一号。この力を使いこなすには時間はあったのよ」
アリスの言う通り、アリス自身が紘和の身体に適応しているのだ。
昨夜の新人類との戦闘での違和感はこの使いこなせてない感にあったのだ。
「つまり私は成りすましに成功した人間のポテンシャルを存分に発揮できるの」
声色が変化するのと同時にアリスは紘和から再びヘンリーに姿を切り替えていた。
「お得だな」
「はい?」
紘和の言葉に理解ができないことを示唆するアリス。
追い詰められた状況の人間の出す声にしては驚きではなく、余裕と喜びが感じられたからだ。
「俺は今、自分の力量を確認しながら強くなれるわけだ。これがお得じゃなくてなんだよ」
しかもお得の意味はアリスがヘンリーと紘和を使い分けていることに対してではなかったのだ。想像と違う返しにアリスはここに来て初めて目の前の男に気味の悪さを感じた。
一方で、昨夜のように紘和は自分がハイになっているのがわかった。だが、目の前に転がってきた力の可能性を前にしてはわかっていても抑えられるものではなかった。
試さずにはいられない、成長できる、その歪な向上心が紘和を駆り立てているのだ。
「そうだよ、練習練習。自分をサンドバックにできるなんて貴重なんだからしっかり練習しないとテストで失敗しちゃうぞ」
「遅かったな、純」
アリスはもちろんのこと紘和も声がするまでは気が付かなった存在が突然降って湧いたように登場する。しかし、紘和はそれに驚くよりも目の前の力試しの方を試したくて仕方がない状況だった。
だから、アリスが代弁した。
「いつから、どうしてここにこれたのよ」
「ついさっき、会議もあらかた終わったから各々行きたい場所に馳せ参じたわけだよ。しかし、幻覚もすごいけどやっぱり成りすましの切り替えを見ると、ゾクゾクしちゃうなぁ」
明らかに漂う空気の違う純の登場にアリスは少し警戒心を強くする。
「邪魔するなよ、純」
「あぁ、今はいろんな事を忘れて眼の前の試練とやらに集中しなよ。俺も邪魔はしないよ。むしろ、アリスちゃんの味方をしたいぐらい」
ますます分けのわからない言動にアリスは身を低く構える。
「頼もしいなぁ、奇人」
紘和は再びアリスとの距離を詰めるのだった。
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