第十九筆:こちらはグリニッジで新年を迎えています!

「これがプライベートジェット機」


 友香は生涯乗ることのなかったであろう物を目の前にしていた。チャーターしたとしても数億すると言われる代物が個人の所有物として目の前にあるのだ。それに今から友香は純と紘和と共に乗り込むのだ。

 この日が来るまでいろいろな事件に巻き込まれてきたにも関わらず、貴重な体験ができるということでワクワクしていた友香であったが、いざ本物を目の前にすると紘和という男の存在が際立つ故の緊張とモノの壮大さから足が地面から離れず、一歩を踏み出せずにいた。


「さぁ、遠慮せずに乗ってください」


 トンッと後ろから付いてきていた紘和に肩を叩かれ促される友香。そう、友香は現総理大臣の孫と一緒に乗り込み、これからイギリスを目指すのだ。

 まだ短い付き合いではあるが、こうした規格外の出来事に遭遇できるのは間違いなく人脈によるところが大きいのだと思い知らさられる。


「なんでプライベートなん? 普通の飛行機でファーストクラスとればいいじゃん。何この贅沢。むしろ嫌なんだけど。ねぇ、なんでプライベートなん? ねぇ」


 明らかに浮足立って、楽しいと子供が大きな機械を見て興奮している様にきっと傍から見てもみえるだろう。しかし、プライベートジェット機の頭の下では先程の文句をガヤガヤと垂れている支離滅裂な純がいた。何より普通の飛行機で移動するでは止まらず、何故かファーストクラスを要求してくる辺りに別のおかしさを感じさせられる。そして、そんな純を紘和と友香は無視していると純は少しプライベートジェット機から距離を取り、操縦席が見える所まで下がると機長にガンを飛ばし始めていた。

 相変わらずほとほと行動の理解に苦しむ存在であった。


「置いてくぞ」


 そんな純を尻目に友香は紘和と共にすでにタラップを昇り終えていた。そして、中の荘厳さに驚く友香を脇目に紘和は外ではしゃぐ純に早く乗るように準備を促していたのだった。いざ、イギリスへ、である。


◇◆◇◆


 友香は今、機内だというのにソファーや大型のテレビ、シャンパンでも注ぐようなグラスが置かれたテーブルに、言ってしまえば全てのものに驚かされていた。


「これが」

「プライベートジェット機、だよ」


 タラップを駆け上がりながら助走をつけて飛び込んできた純が友香の驚きから出ようとした言葉をさらっていく。

 そして勢いそのままに純は飛び込むようにソファーへと寝転んだ。


「ほら、客が乗ったのにここは飲み物も出せないのかね」

「お前が部外者を入れるなって言ったから機長しかいない。欲しいならそこの冷蔵庫から自分で選べ」

「機長がいるじゃん。しかもおっさん。何、お前は飛行機も運転できないの?」

「教習は受けたことがない」

「使えねぇ」


 純はいつものように紘和に理不尽に突っかかりながらソファーから跳ね起き、備え付きの冷蔵庫の方へ向かっていく。

 現在、機内には機長を含め友香、紘和、そして純の四人がいる。なぜ、これだけ純が人払いにこだわるのかはわからないが、機長は天堂家がいつもジェット機を利用する際にお得意にしている人なので問題はないと紘和は言っていた。

 友香達はこれからイギリスへ向かう。理由は、第一に陸を追うためである。なぜ、陸がイギリスへ向かうことが純にわかるのかは不思議な点であるが、何らかの情報網があるという匂わせぶりなセリフに否応なく友香は納得させられていた。何よりもそれ以外に情報という情報がないというのもあり、イギリスに向かうしかないというのが正直なところである。

 第二に、イギリスで行われているという実験を妨害しに行くことで紘和の訓練を行うことになっている。これまたイギリスで行われている実験が何なのか、そもそも何故純がそれを知っているのかはわからない。しかし、この二点が今の友香と紘和には最優先事項でもあるのと同時に頼みの綱でもあるため、純の口を信じざるを得なかった状況だったので今こうしているのである。

 そして、イギリスへ向かうとわかってからの行動は実に早かった。紘和の家も緊急の案件を多数抱えて忙しいだろうに、総理大臣交代から三日目にはイギリスへ行く段取りを、その翌日に出立びを決めたのだ。そう、今日本国内は英雄の存在があっても、先の国会議事堂陥没、兼朝失踪の行方を含めて不信感が拭えている状況ではない。政府はメディアを通じて今回の事件を説明しなければならないはずだった。しかも、現実的に考えれば、剣の舞計画や神格呪者という真実を伏せた上でである。そんな慌ただしくなり、日本の今後の行く末がどうなるのかという中でイギリス行きを準備できたのは友香にとっては驚きだったのだ。一方で、それほどまでに紘和にとって政治というものが興味がないと捉えることも出来るかもしれないが、そう思い至る上では確実に紘和の正義の信念がその発想を邪魔するのである。

 話を戻して、数日の自宅もとい、新しく一時的に用意されていた千絵と同室でない社宅内の自室代わりの一室で待機している間に友香はイギリスに対して様々なことを調べていた。所謂下準備である。もちろん、友香のできる情報収集などインターネットや図書館を通じたごくありふれた方法しかないのだが、それだけでも純分過ぎるほどに昨今の日英の関係が悪いということだけは改めて認識することが出来た。

 日英の関係が悪化したのはもちろん今から四十五年前の事件である。一樹が当時最強を名乗っていたブライアンに武者修行の一環で勝負を申し込み、死闘の末、一樹は左腕を犠牲にブライアンを殺害、そして【最果ての無剣】を戦利品として獲得して帰国したのだ。世間的に【最果ての無剣】が今よりも認知されている時代ではなかったものの、これにより日本という国が世界に注目されるようになったのは間違いない、異例とも言える大事件だった。その証拠に、結果として【最果ての無剣】を取り戻すためにイギリスを筆頭にアメリカとロシアが手を取り、第三次世界大戦が勃発し、日本はこれを一樹の右目を代償に引き分けまで持ち込むことで終戦へと導き、そのまま八角柱に参席するという異例が続いたのだ。

 しかし、友香は立場的に蝋翼物を知るため、世界の隠された権威の崩落を伺うことが出来るが、一般の人にはそう都合良くは捉えられない。特にイギリス側からすれば偉大なる指導者を一人、一樹に一歩的に殺されただけなのである。そんな人間がいる国を快く思わない世論で溢れかえるのは無理もない話である。故に一樹は八角柱に所属してから今に至るまでイギリスの敷居を跨ぐことを許されていない。

 そんな中、天堂家の人間が、それも【最果ての無剣】を所持している紘和が入国することを受け入れられたことに友香は驚きと共に不信感を抱いてもいた。しかも、この短期間で手続を済ませ渡英までこぎ着けている。まるで口を開けた鰐に頭を差し出しているような感覚さえ覚えるほどであった。裏がないといえば嘘になる、と考えるのは至極当然のことだと思われる。ただ、そんな順調な話の裏側で友香が慌てて長期旅行の身支度を整えさせられることになったのはまた別の問題である。


◇◆◇◆


 そもそも紘和は純の言う通りプライベートジェット機での移動自体には反対だった。話は簡単で、イギリス側が紘和の入国を容易く許可したことにある。正直、ここまで因縁のある国同士の対峙である。紘和側に不利な条件を突きつけた上で入国を許可するか、最初から入国を許さないという可能性が大いにあった。だからこそ、構えていただけに拍子抜けする程トントン拍子だったため逆にきな臭さを感じさせられていた。加えて、唯一突きつけてきた条件が関係者のみによる渡英だったのだ。そこで紘和は時間の都合、周囲への万が一での被害、巻き添えを考え、プライベートジェット機という選択をしたのだ。そこに落とし穴があるのだとしたら。

 要するに、【最果ての無剣】を一樹が突然さらっていったように、これを機にイギリス側も奪取を狙っているのではないかということである。乗客を巻き込まずに、密室で襲撃を行う。そうなるように誘導した上で、紘和から【最果ての無剣】をイギリスへ取り戻す作戦を決行する。十分に起こりうる可能性であるのと同時に、対処の可能である事案ではあった。

 まず、こちらには大前提に敵意から自動的に対象を回避できる【雨喜びの幻覚】を持つ友香がいる。ミサイルなどの奇襲が成功することはありえない。友香が察知したのと同時に紘和がそれらを撃ち落とせるからだ。ただし、現在修行の一環で紘和は【最果ての無剣】の使用を控えている。しかし、持ってきていないわけではない。つまり、絶体絶命の時に開放すれば問題なく間に合わせる自信があった。そして奇しくもこちらには純がいる。戦力ともに申し分はない状況だった。だからこそプライベートジェット機での移動を決めたのだ。仮にそれでも強襲で、合戦でどうにかできると考えられているとしたら、それはそれで一樹ではないという点でやられるとも捉えられて、紘和なら行けるだろうという結論がイギリス側にあったと考えると苛立ちを覚える点ではあった。それが、自分は弱いと先の戦いで自覚していたとしても、である。出来る人間と明確な差を実感した上で優劣を比べられるというのがこういう感覚なのか、と思うほどである。

 しかし、これでも紘和には拭えない点があった。それは純が人払いと機長が男であることに不満を言ったことだ。何らかの内通者の可能性を疑う気持ちはわかるが、それを純が嫌うかという話である。前回、タチアナを交えて食事会を設けた程である。面白いことを目的に動く純ならば間違いなくその内通者を使って遊ぶはずだ。つまり、他に理由があるはずなのだ。

 もちろん、純の口から何かを聞いてるわけでもないのでこれはあくまで紘和の推察である。


「はぁ」

 

 考えるだけ無駄と悟り、紘和はため息を漏らす。


「それでは当機はまもなく……」


 機長のアナウンスを聞いて紘和はシートベルトを締める。いよいよイギリスへ出発である。


◇◆◇◆


「十二時間半もかかるとか、暇だなぁ。どのくらい待たせるんだ」

「十二時間半だろ」


 文句を言う純に的確に返す紘和。そんな落ち着いた二人とは裏腹に友香は初めての飛行機、それがプライベートジェット機ということもあり、独特の重力と浮遊感の離陸から興奮冷めやらぬ状況にいた。窓を覗けば、どんどんと空港が小さくなっていく。そして視界が広がっていく外下には海と小さなビル群や住宅街、工場地帯が一望でき始める。

 高所恐怖症ではないが、鉄の塊が空を飛んでいるという状況に正直、なんとも言えない高揚感があった。


「凄い」


 ポツリと口からそんな言葉が出てしまうほど、初めての空の旅は友香にとって衝撃的なものだった。

 そして雲の中に入るのと、また違った見たことのない景色に目を自然と輝かせていた。


「まるで田舎者ですな」

「わっ」


 いつの間にか友香の横に純の顔があった。

 あまりにも外に夢中になっていて全く気づかなかった。


「関係ないだろう。一大学生がその生涯で飛行機を利用した経験がある方が珍しいはずだ」

「そんなものか?」

「そういうお前はどうなんだ?」

「珍しい人種ですが、田舎者ではな~い」

「そうですか」


 友香は少し自分の言動と行動を恥ずかしく思い頬を赤らめる。

 そして当の失礼な言動をかました純は、すでに友香から離れたところで二リットルペットボトルに入ったお茶をラッパ飲みしていた。


「あんな奇人の言うことなど気にしちゃいけませんよ。初めての経験ならばそれを存分に楽しんでください」


 当然のように友香のフォローに入る紘和。これはこれで恥ずかしいものがあるが、いつもの流れだと思えばそれも多少和らぐ。

 そして、紘和の言葉まだ続く。


「私も初めて飛行機に乗った頃は幼く、離陸の際の重力や、気圧の変化に驚き、落ち着いた頃に覗く窓の外の光景に、はしゃいだものです」


 どこか寂しそうに昔を懐かしんでいる紘和の表情があった。しかし、自分の今の状況に未だ冷めない羞恥を残しているため、そんな紘和の表情の変化に気づくことはなかった。だから、言葉だけを聞き取った友香は、本人に悪意はなく、加えて想い出に浸っている程度に感じていた。

 しかし、幼くという補足に精神的ダメージないし、歳相応という壁を感じた故に軽率に次の質問を流れるようにしてしまう。


「そうなんですか。どんな目的で乗ったんですか?」


 トホホという感情を抑えてつつ、友香は話を少しでも紘和に寄せるべく質問したのだ。


「父に会いに母と乗りました」


 友香はその一言でようやく紘和の声に哀愁があったことに気づき、その表情を直視した。父親に当たる央聖のことは友香にはよくわからないが、仕事で帰らない央聖に会えない、会いに行けないことが原因で母親である瞳と不仲になったのは知っていた。しかも実際のところは不仲という簡単な言葉では片付けられないことがわかるほど二人の間に溝があることを実際に目の当たりにしていた。

 故にこれ以上の言及には問題があると感じ、友香は押し黙ってしまう。


「つまらない話をしてしまいました」

「いえ、そんなことは」


 友香は紘和がわざわざ出した助け舟にうまく乗ることも出来ず、次の言葉を失ってしまった。


「ホント、つまらんわ。ほら、時間まで遊ぶぞ」


 そこを不躾な態度で入ってくるのが純だった。しかし、これがもっとも簡単でわかりやすい空気の解消であったのも事実であった。

 それを裏付けるように紘和が口を開く。


「お前に言われると気に入らないな。で、何をするんだ?」


 このように砕けた空気へ持っていけるのは流石に純と紘和の間柄と言ったところだろう。しかし、純にその気がないのはわかっている。それでも、今回に限れば友香にとって最良の助け舟だった。


◇◆◇◆


「レイズ」

「コール」

「ドロップします」


 リバーされるカード。


「レイズ」

「……」


 テキサス・ホールデムを採用したポーカーに興じる三人。ディーラーはいないが基本は紘和がカードを配り、フロップ、ターン、リバーの度に純がカードを山札からめくっていた。最初はカタンやシャーク、メディチといったテーブルゲームをしていたのだが、三人という状況からどうしてもゲームに均衡性が取れないため、また少し疲れたということもありこのトランプゲームに移っていたのだ。すでに出発して五時間経過している。友香はどのゲームも初心者であったため手も足も出ないが、狙いすましたかのように状況を操る純と着実に確実な道を選ぶ紘和というそれぞれの性格が垣間見えるプレイングがあちこちでみられ、面白いと思っていた。

 そして、今は十回目のショーダウンに入るところである。お金は実際に掛けていて、友香のチップは紘和持ちとなっている。緊張感が欲しいという理由らしいが、その緊張感から、しかも借りているお金を無駄にしたくないという思いからドロップを選択し、加えて強制コールを強いられるプリフロップの手番が三人のため早く来ることもあり友香は自然と負け越していた。一方で、負けている印象が強いが、トータルで見るとトントンである先程レイズを唱えた純。そして、確率を計算して堅実に手を進め勝ち越している紘和がいた。そして今、紘和はショーダウンを目前に自分の手札と純の顔色をうかがっていた。

 友香には二人の二枚の手札はもちろんわからない。しかし、今回はプリフロップの段階で友香のコールに対して純はレイズを仕掛けてきていた。ハッタリなのかすでに手札にワンペアが揃っているのか。それに対して紘和はコールしていく。そして、その後も純はレイズを唱え続け、ここまできていた。場にはクイーンのワンペア、そしてエースとキング、更にはジャックが出揃っていた。

 柄は揃っていないものの、これは強いワンペア以上が揃い、且つスリーペア以上、更にはストレートまでもが状況によっては狙える、わかりやすい盤面となっていた。


「どうする? 俺に貢ぐ? ねぇ、紘和」

「いや、ドロップだ」


 勝負を諦める紘和。ここでドロップしたということは結局純の一人勝ちが決定する。

 しかもここまで一貫して純のレイズにコールし続けたため、ギリギリ純を上回れると判断した故の判断と伺えた。


「六と二、ブタだ」


 ハッタリだけで全てを掠め取った結果になった純。


「お前のダメなところだ」


 ドヤ顔で純が紘和を煽る。しかし、友香はこうも思う。遊びにここまでしてるって大丈夫なのだろうかと。真剣すぎて逆に何をしているのかと、娯楽に対して疑問を抱かせるのだった。

 ドンッ。

 そんな時だった。激しい衝突音とともに突如、機体が大きく揺れたのは。


◇◆◇◆


 瑛はヒースロー空港内でキャリーバックに腰掛けながら地図を眺めていた。イギリスはロンドンの西部にある空港に着いたはいいもの、そこから先の手がかりが一切なくなっていたため瑛はこのように立ち往生しているのである。

 機内では初の海外ということで浮かれて忘れていたが、正直宛は一切ない状況だった。


「てか、二日後には年も明けるのよねぇ」


 なんとなく新年に向けた従業員の慌ただしさや利用客の浮かれ具合を横目にしながら、そう言えば行きの飛行機でカップルがいたことを思い出す瑛。今に至るまでスクープと初機内で他のことは何も考えていなかったが、途方に暮れたことで逆に心に余裕が生まれ、冷静に自身を分析していると年越しぼっちという現状に少し悲しくなってもいるのだった。

 携帯を広げ、幾度となく千絵と連絡を取るという選択肢に心奪われていた。しかし、これ以上手を借りてしまうと折角のチャンスを疑いの目により失われる可能性もあった。

 何より友達を利用したということに後ろめたさがあったのでそこを突かれたくないという思いもあった。


「どうしようかなぁ」


 そもそも金銭的に余裕があるわけではない、国際電話にお金が普段よりかかるのはもちろんのことだが、現状宿泊先すら予約せず、最悪の場合は野宿すら視野に入れている始末なのである。日本の治安の感覚が抜けてないと言われればそれまでだが、財布事情はそれを容易に上回るのが現状でもあった。

 少しでも長くロンドンに滞在するには無駄遣いなどしていられないのだ。


「さっきの便で着いた方ですよね」


 異国の地で、しかも日本語で話しかけられたということもあり、瑛はパッと後ろにいるであろう声の主へと振り返る。そこには、一人の日本人女性がいた。

 高齢者というわけでもなく、かといって若者とは決して言えない年齢ぐらいのその女性は瑛の顔を観て安心したのか、胸に手を当てながら続けざまに質問をしてきた。


「もしよろしければ、グリニッジ天文台までの行き方を教えてくれませんか?」


 瑛はその質問に心の中でため息をついた。日本人だからで選ぶぐらいなら、土地勘のあるインフォメーションセンターで話を聞けばいいのにと思うからだ。一昔前ならいざ知れず、今なら通訳だって対応しているのだから。

 一方で、ここまで思うのと同時に、途方にくれていた自分に苛立ちが募っていて悪い空気だと自己を認知することで瑛は対応だけは丁寧にしようと決めた。


「申し訳ありません。私も海外旅行自体が初めてでして。バックパッカーとかじゃないんですけど現地で臨機応変といったあまり目的のない旅をしてます。ですから、もしそういったことが知りたければ案内係を探すといいと思いますよ」


 顔にだけは出さないようにと精一杯の笑顔で対応をした瑛。

 しかし、相手は瑛の言葉の節々から出てきていた、関わらないで欲しいという思いを感じ取れたようで愛想笑いを浮かべ始めていた。


「あはは、そうね。ごめんなさい」

「いえ、あの」


 この対応に至った理由が自分に余裕がないことであったため、それを悟らせて相手にマイナスな感情を与えたことに結局何とも言えないモヤモヤした気持ちを瑛は抱く羽目になる。

 そして今にもこの場を離れてしまいそうな女性に瑛は思わず引き止めてしまう。


「案内所まで、ご一緒しますよ」


 愛想笑いを浮かべながら瑛はただの言い訳のような自己満足のために重い腰を上げたのだ。


◇◆◇◆


「ここみたいですね」


 瑛は女性を案内所まで送り届けていた。道中の会話でわかったことは、彼女が花牟礼山彩音という人物で賃貸人であるということだけだった。仲のいい住人が海外旅行へ出かけるということで触発されたらしい。

 なぜイギリスを選んだのかと問われると昔の男と一緒に来たことのある場所だったからということだった。


「ありがとうございます」

「いえ」


 瑛も道中話しをしながら案内所で情報を集めようと思っていたのだ。理由は単純明快で紘和たちの目撃情報を聞こうというわけだった。もちろん、個人情報としても紘和クラスの情報がそう簡単に出回っているとは限らない。しかし、職員、それも上の階級に当たらない人物ならば目にしたことを漏らす可能性があると踏んだのだ。いわゆる市民の目というやつだ。だから彩音に続き、後ろに並ぶ。

 受付は日本人を対応する窓口があるようなので並んだ。


「次のお客様」

「あのぉ、グリニッジ天文台へ行きたいのですが」

「旧グリニッジ天文台ですか?」

「えっと」


 こうして二人の、彩音と受付の女性との間で会話が進んでいく。

 当然、瑛はこの間もここでのあてが外れた時の次の一手を考える。


「よろしければお伺いしたいのですが……」

「なんでしょうか?」

「もしかして、その……関係者の方ですか?」

「というのは?」

「いえ、ご存じないのなら結構です。興味本位だったので、あはは。お気をつけてください」


 どうやらグリニッジ天文台への行き方はわかったようで話が終りを迎えていた。

 そして瑛の順番が回ってくる。


「次のお客様」

「さっきのことについて詳しく聞きたいんだけど」


 瑛の手にはすでに受付のその助成にしか見えないようにお金をチラつかせていた。


「私、所謂記者でして」


 ニカッ笑いながら瑛は内心ガッツポーズを決めていた。関係者の方ですかという質問に記者としての直感が死んでも離すなと訴えかけてきたのだ。


◇◆◇◆


 瑛は現在、ロンドン地下鉄の一つピカデリー線に彩音と一緒に乗車していた。早い話、目的地が重なったのだ。つまり、先程の受付嬢からそれなりの額を情報量として握らせ痛手を追ったが、それに見合う話が聞けたのである。

 簡単に言うとこうだ。天堂家の誰かと数人が三日前にイギリス政府の招待客として招き入れられているという話だ。もちろん、彼女は彼らの動向を詳しく知らせてもらえる立場の人でもなければ、その数人が空港内をウロウロ歩いていたところを観たわけではない。ただし、それなりに大きな話だっただけにどこからか目撃談が漏れ、噂となってここまで広がっているらしい。驚くべきことは天堂家の人間が招待と言う形で受け入れられているのだ。国民としては、忌むべき存在である分情報の統制もままならないのだろう。加えてその訪れた人間は瑛にはすでに紘和と判明しているため問題はなかった。ここヒースロー空港からはいっていたという情報が重要なのだ。そして問題の行方だが、受付の女性の彼氏がホテル宅配サービスの運送を行っているらしく、彼が運んだ荷物の中に紘和の荷物があり、送るホテルの先がグリニッジにあるホテルだったのだ。

 これほど情報が出てくるとは思わなかったが、ここまで聞いて一つ疑問が出てきたので、瑛は何故彩音を国の関係者と疑ったのか聞いていた。すると面白いことを教えてくれたのだ。なんと、グリニッジへの行き方を聞いてきた人間がこの二日間にも三人いて、そのうちの一人が紘和の、天堂というワードを口にしていたのだという。当然のことだが、紘和の行方を知っている人間が日本側にもそう多いとは限らない。つまり、紘和達にも知らされていない警護係か監視役が後を付けていると予想することができた。この時、もちろん瑛としては後者であることを望んだ。そして、あわよくば、違った陰謀を持ったものであることを。


◇◆◇◆


「いやはや、凄いのが見れたな」

「とぼけるなよ、知ってただろ」

「何をさ」

「チッ……頭いてぇ」


 瑛たちが到着する三日前、紘和達はヒースロー空港に降り立っていた。そして、発着場から車ですぐにグリニッジへと移動していた。なぜなら、そこへ泊まるように説明されていたからだ。つまり、宿泊先の手配も全て行われていたということである。ちなみに現在、三人を乗せているリムジンもイギリスから手配されたものだった。

 そして、紘和は顔を赤くしてまるで酔っているようだった。


「至れり尽くせりだな。荷物だけは一応検査かけるからってことで預けられたけど……ホント、楽しみだな」

「あぁいうのは厄介事っていうんだ」

「ですよねぇ……それに私はバレないか心臓バクバクでしたよ」


 ポツリと紘和と純の掛け合いに意外な人物からの同意と愚痴が飛んでくる。友香だ。緊張や機内で一睡もしていないということもあり疲れが出た顔から普段ではありえないテンションで、無気力な一言が、故に本音のようなものが放たれた。そんな二人のポカンとした顔が友香を直視する。

 それに気づいた友香はどうしたのだろうかという顔をした後、先程の自分の発言を思い出したのか、右手で口を抑えてながら顔を伏せる。


「すいません、私、ボーッとしてて」


 返事はない。友香は恐る恐る顔を上げる。

 すると、そこにはワクワクした顔の純と少し柔らかい顔をした紘和がいた。


「よかったんじゃない。てか、よかったよ。なんかこう、スッと落ち着く感じ? いやぁ、まともなツッコミ万歳だね」

「あぁ、俺も少し、気が楽になる」


 純の言うことにもだが、紘和の敬語を取り払った喋り方に友香は驚いた。

 初めて紘和が友香に、まるで友達のように砕けた喋り方をしてきたのだ。


「なんだ、紘和。個性が死ぬぞ」

「でも、お前もこの方がいいだろ?」

「お前にしては物分りがいい」


 そんな二人のやり取りに友香は置いてけぼりをくらう。


「まぁ、一緒になって日は決して長いとは言えないけど、くぐってきたものが違う。桜峰さん、今後はもう少し俺たちはフランクに行こうか」


 仲間意識というものをここに来て初めて感じた友香。やはり、今までどこか二人に保護者としてそばに置いといてもらっている感が拭えないのが本音のところだった。事実、友香は純の何かに利用され、その過程で紘和に支援してもらっているだけの存在であると言っても過言ではなかった。故の疎外感である。

 そんな友香を気にかけてくれた千絵とも離れてしまった。


「いいんですか?」


 友香は念を押すように聞いてみる。


「かまへんかまへん。ティーオーピーと親しき仲にも礼儀ありがわかってれば問題なしなし」


 純は何かを期待するように友香の返事に後押しする。


「それ、幾瀧さんが言うんですか」


 最後にクスリと笑い声が漏れる友香。そして親指を立ててチラリと歯を覗かせる紘和の姿があった。


◇◆◇◆


 夜遅くに友香達はグリニッジの宿泊先へと到着した。流石もてなされているだけあってそれなりの高級感溢れるホテルだった。

 途中、純の身勝手で車を何度か止めたこともあり、荷物より遅くホテルに到着する羽目になっていた。


「で、なにこれ。いつの間にこんなシール貼ったの?」

「私のにも貼ってある」


 ロビーでチェックインを済ませ荷物を受け取った紘和と友香は二人の荷物にシールが一枚貼られていたのを見つけていた。


「いやいや、どうしてそれで俺を疑うの? わかりやすいように空港の人がつけたんでしょ?」

「だったらどうして幾瀧さんのにはないんですか?」

「こりゃ厳しい」


 友香はこの一回無駄を挟まなければならない会話とその反応にいちいち逆撫でるような含みがある対応にイラつく紘和の気持ちを、親しく話せるようになりつつあるからこそ理解し始めていた。

 ちなみに貼られたシールには天堂様御一行と書かれ、その下に持ち主の名前がかかれていた。


「まぁ、あれだよ。宣伝。俺達が来た、ってね」


 友香に悪寒が走る。そんなことをこのイギリスという地でやっても逆効果であるのは明白だったからだ。だからこそ、イギリス側も隠すためにこれだけの配慮をしているはずだった。

 つまり、あわよくば厄介事が転がり込んできたら面白そう、と言った純の独断と軽率さが出ているのだろう。


「まぁ、私は優くんさえ見つかればいいのでその邪魔にならないのならいいですけどね」


 じろりと友香は純を見つめるとそのまま自分の客室へと移動を始めた。

 そんな友香の後ろ姿を見つめながら紘和はポツリと呟いた。


「適応力、凄いな」

「そうだといいねぇ」


 どうなるんだろうという不安を感じさせまいと強がりを見せた割には目の泳いでいた顔を見られないうちにその場をそそくさと立ち去った友香には、今の会話は聞こえていなかった。


◇◆◇◆


 ドッグランドレールに乗り換え最寄り駅に到着する。


「それじゃぁ、またね、花牟礼山さん」

「ありがとうございました、篠永さん」


 瑛は彩音と別れ、改札を駆け抜けた。そして、日も暮れてきたので瑛は今夜の野宿する場所を、公園で風をしのげる遮蔽物のある場所を探しに動き出す。まさか海外に来て野宿をすることになるとは、と思いつつ念のためと用意しておいた寝袋の存在に安心していた。そう、お金を握らせたせいで宿泊費すら今は惜しい状況なのだ。


◇◆◇◆


 翌日の昼、瑛はさっそく紘和に関する情報を調べるべく駅前へ戻ってきていた。流石に宿泊先のホテルまでは聞き出せなかったのでここからは地道な聞き込みということである。因みにどうして昼過ぎになってしまったかというと、単純に警察に注意を受けていたからである。子供の遊び場で寝ている不審者ということで通報されたらしい。身なりが整っていたことが幸いしたのと旅行者ということで今回は注意だけで済みはした。そして、情報源は探し始めてすぐに向こうからやってきた。

 ツイてる、である。


「篠永さんじゃん」


 知らぬ土地で瑛の名字を呼ぶ声に止められた。そして、その声は聞き覚えのある声だった。まさかという思いとそうであって欲しくないという思いは紘和の同行者を知らない瑛には強かったが、こんな日本以外の土地で有名人でもない瑛の名字が呼ばれたのである。

 覚悟を決めて声の方向を恐る恐る振り返る。


「やっぱり篠永さんじゃん。どうしてこんなところに?」

「げっ、あんたこそどうしてこんなところにいるのよ、幾瀧」


 そこには瑛の知らない女性と一緒にいる大学時代の後輩である純の姿があった。


「デートだよ、デート」


 その純の返しに隣りにいた女性が心底嫌そうな顔をしたので、デートでないことだけはすぐにわかった。


「嘘はいいから」

「そういう篠永さんの方こそ何しに来たの? デート?」

「どうみても一人だろうが。嫌味か。たく、同期にはもう結婚したり彼氏持ちが多いっていうのに私はいまでに未経験。悲しいわ」

「待ち合わせでもしてるのかなと」

「待ち合わせって。見知らぬ土地で?」

「仲いい友達と現地集合的な?」

「まぁ、千絵でも誘っておけばよかったかなぁとは思ってるよ。でも、大晦日を私と過ごしたいかと言われれば別でしょうけどね」


 このやり取り、年下の癖に妙に人を煽ってくる、不快指数を超えないギリギリのラインでおちょくってくるのが、嫌いにさせない、厄介な男だったなと懐かしさを思い出す瑛。その懐かしさは同時にどうして純がこんなところにいるのかという疑問を解決に導いていた。これもあくまで直感である。しかし、偶然で片付けることが出来ないからこそ直感が正しいと自分の中で裏付けることが出来る。だからこそ今は、純が学生時代から紘和と仲良くしていたという経歴を信じて一緒に今もいる可能性を考慮して話を進めようとしていた。紘和に付いてきたにしろ、先程の話の通りここ二日でグリニッジへの行き方を聞いた日本人の一人にしろ、そのどちらかには該当していると信じて。だからこそ、ここへは何も知らず来たことにしなければならないと思い、先の嘘を、自分もたまたま自発的にここに来たということにしたのだ。

 瑛がまだ紘和周辺の人間とコンタクトを取っていないと。


「あれ、篠永さん知らないの? 紘和と千絵は別れたんだよ」

「……え? 別れたって、え?」


 初耳だと言わんばかりに驚きの演技をする瑛。


「だから、もし千絵にあったとしてもその話、振らないほうがいいかもよ」

「待って。突然過ぎない? どうして、なんで、あんなに仲良かった二人が別れたのよ」

「さぁ、知りたければどっちかと連絡取ればいいじゃん。連絡先ぐらい知ってるでしょ?」

「そりゃ、知ってるけど……いくらなんでも、それが本当なら私だって直接、いきなり聞くのは気がひけるわよ」

「そんなもん? 俺は紘和から聞いた時は嬉々として根掘り葉掘り聞いたけどね。篠永さんとかそういう面では同族だと思ってたよ」

「……あんた、最悪ね」


 最後の瑛の言葉はブーメランとなり自身の良心を少しだけえぐった。

 一方でそんな瑛にとってすでに知っている会話をさも知らない風に喋っている間に純の隣にいた女性が姿を眩ませていた。


「で、幾瀧は何してるのよ。デートじゃないんでしょ? 女の子いなくなっちゃってるし」

「まぁ、またすぐ顔を合わせることになるから問題ないよ。俺はね、まぁ、言っちゃえばボランティアかな」

「ボランティア? あんたが?」


 瑛は素の感想を言う。

 純という人間ほどボランティアという単語が似合わない男はいないと。


「ひっどいなぁ。それで篠永さんはどうしてここに?」


 瑛はそれ以上ツッコんで話が進まなくなるのもめんどくさいので先程耳にした彩音の口当たりの良さそうな理由に少し脚色を加えてここへ来た目的にしようと決めて答え始める。


「同僚が海外旅行に言ってきてね。話聞いてたら私も行ってみたくなったのよ。それでここグリニッジで年でも越してみようかなって。標準時とか面白そうでしょ?」

「実に篠永さんらしいね。それなら旅行ついでに記事にもできちゃいそうだしね」


 そして何かを考えている仕草をした後、純は瑛の期待通りのセリフを吐く。


「でもさ、もっと面白い記事、どうせなら書きたくない?」

「まぁ、私も記者としては半人前っていうか目立つ成果もないからその面白い記事っていうのが、この世界の時間の中心グリニッジで年を越す人々とは、の見出しの記事に勝るならありがたい話だけど」

「紘和にあわせてあげるよ。何なら密着する?」


 願ってもいない申し出が舞い込んできたのだった。


◇◆◇◆


 大晦日、年を越す数分前。


「いやぁ~、グリニッジ天文台から飛び出した青い光線を見ながら、ホテルで最高の食事と共に迎えられる新年最高だなぁ」

「そうね、これでもっと天堂が事件の真相をしゃべってくれれば私もハッピーなのにハッピーなのにぃ」


 最後の締めだと言わんばかりに海外のホテルに似つかない流し蕎麦を一人で堪能する純と酒に酔いつぶれ仕事に対する不満を垂れ流す瑛を遠目にしながら、友香と紘和はバルコニーでゆっくりと外の喧騒に耳を傾けていた。少し身体を冷やすために二人で出てきていたのだ。

 ちなみにこのホテルからではテムズ川が一望できるだけでグリニッジ天文台は全く見えない。


「ホントにどうしてあんなめんどくさいのを招き入れたのやら」

「どうせ、牽制か自分たちへのハンデのつもりじゃないですか?」

「考えるだけ無駄かぁ」


 紘和は手すりに背を預け空へ声を投げる。そこには雲一つない夜空が広がっていた。昨日、紘和は純が連れてきた瑛に質問攻めを食らっていた。しかし、特に何かを話すわけでもなく終了した。当然だろう。

 しかし、純は何を思ったのかイギリスに滞在する間、瑛を同行させると言い出したのだ。まるで瑛のような存在を待っていたかのように。

 だからこうして今も瑛はこの部屋で新年をパァっと迎えようとしている。


「無駄ですよ。諦めましょ」


 友香は顎を手すりに乗せ、尻を突き出した体勢で気持ちよさそうにテムズ川を眺めていた。そう、紘和が今後の展望に不安を抱く中、友香は別のことを考えていたのだ。それは、この空の下、共にどこかで新年を迎えようとしている優紀とどれだけ距離が近いのかということだった。純曰く、イギリスにいる可能性は高いのだ。そうすれば同じ空を同じ地でみていることになるとロマンチックに考えながら、友香は心を躍らせていたのだ。

 そして室内外のあちこちから年越しに向けてカウントダウンを始める声が聞こえ始める。


「おい、ゆーちゃんも紘和もこっち来いこっち」


 部屋の中から楽しそうに手招きする純がいた。そして、友香と紘和は顔を見合わせると仕方ないといった顔をして中へと戻る。


「いえーい」

「ハッピーニューイヤー」

「あけましておめでとうございます」

「おめでとうございます」


 それぞれの新年が今この時からスタートした。

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