第三章:ついに始まる彼女の物語 ~新人類編~

第十八筆:私は真実を知る人々を追った!

 都内の雑居ビルに社を構える小さな出版社がある。小さなゴシップネタを追いかけては週刊誌に掲載し、内容を脚色することで世間の反応を煽り、SNSなどで話題を挙げ売上を伸ばしている。しかし、これといった大きなスクープがあるわけでもなく、記事はどうしても誇張か批判による同情と炎上でしか映えることがなかった。

 そんな出版社に入社して三年目に突入した女性記者の篠永瑛は、今日も他愛もないネタをいかに食いつく内容に仕上げるか四苦八苦していた。入社した時の瑛にも情熱というものはあった。記者として隠された真実を追って世間に公開していく姿を夢見たがゆえにこの業界に足を突っ込んだのだ。しかし、現実にどれだけ情報を集めようが大手にはどうしても大きなニュースは取られてしまい、仮にある程度の内容を入手しても公開するにあたって圧力がかかってしまうという無慈悲な現実に直面してきたのだ。社内競争を避け、自由に取材やスクープを狙うためにわざわざ大手に就職しなかった瑛が社会の下にいると実感するのに時間はそんなに必要としなかった。だからといってその情熱が失われていたかと言えば、そうでもなかったのである。

 発端は一つの事件と一つの繋がりだった。まず、一つの事件とは、総理大臣の突然の交代だった。突然舞い込んだニュースにしてはあまりにも情報規制がしっかりとした一大事件。果たして選挙などなく、急遽疾走した総理大臣の代役がその翌日に決定して誰も、ここで言えば議員の中から疑問、抗議の声が大になって表層に表れないものだろうか。世論だけを見ればニュースにならないだけで町中では疑問の声を多々耳にするが決してメディアにはのらないのである。故に瑛もこのトピックにはきな臭さを感じたが、いかんせん何度も言うところの徹底した情報規制であった。政治関係の部署、そういったものを普段ゴシップとして扱う会社ですら知らないの一点張りである。それは情報がどこからも漏れていないことを示しているのだ。これは情報を取り扱う人間として見れば、こうなることがわかった上で事前に対処がされていたと言われても不思議でないほどの徹底ぶりに思えた。何故行方をくらませたのか謎のまま、兼朝という総理大臣が日本の英雄にして八角柱の一人で前総理大臣である一樹にその座を奪われたのか、と表現したくなるほどだった。そしてこの事件の問題の核心はまさに代役以前に兼朝の行方をくらませた理由を明らかにしないことであった。

 並列してこの発表がされる前に国会議事堂周辺の地盤が崩落していることが発表されている。これによる死傷者などの発表はなく、もちろん原因も地盤沈下という四文字以外何一つ明かされていないし解明されようとしていない。しかし、広がる地下空間の存在は自明のことであり、これが原因で少なくとも兼朝が姿を眩ませていることは疑いようのないことだった。それを謎のままにしようとする日本の政府、ひいては天堂家の振る舞いが納得いかないのだ。加えて、ここまで大規模となると資金面で裏では國本財閥も尽力しているのは容易に想像ができる案件でもあった。天堂家と國本財閥。夫婦であるという点からも結び付けないという選択肢は瑛の視点からはなかった。

 そして、一つの繋がりというのは、大学の後輩の存在だった。瑛の大学時代の友人の千絵が一つ下にいた天堂家の紘和と付き合っているのだ。もちろん、その伝手を使って瑛もこの事件以外で情報を仕入れようとしたことはあった。しかし、千絵も政府関係者の人間であるため、その立場として向き合えば、お互い有益になる情報の交換をすることは殆どなかった。一方、友人としての付き合いは大学一年の時から変わらず続いていた。

 そのため、一樹が総理大臣に就任したニュースを聞いて以降、瑛は定期的に千絵に電話をかけているのだが、不思議な事に一切出てもらえることがなく一週間が経過しようとしていた。


「まさか、巻き込まれてたりしてないよね」


 千絵の職場は法務省。基本法制の維持及び整備、法秩序の維持、国民の権利擁護、国の利害に関係のある争訟の統一的かつ適正な処理並びに出入国の公正な管理を図ることを任務としているため何かと暗部に関わっていても不思議ではない。加えて付き合う相手が紘和である。日本の剣というその全貌がよく見えない一樹が選抜したエリート戦闘集団に所属しているという噂もあり、千絵が何か事件に巻き込まれても不思議ではない立場であることには違いなかった。

 と勝手な妄想を繰り広げることしか出来ないのが今の瑛である。


「おい篠永、携帯いじってないで記事仕上げろよ」

「友達と一週間も連絡取れなくて心配なんですよ。わかります?」

「事件か?」

「そういうノリは止めてください。不謹慎ですよ。一応、電源は常に付いてるので大丈夫だと思ってるんですけどね」


 隣に座る上司が机に突っ伏して携帯の画面を見続けていた瑛に注意をする。瑛はそれに対してぶっきらぼうに応答するとため息を漏らしながらパソコンの画面に視線を移していった。

 言葉通り瑛は千絵を心配しているのはもちろんだが、事件かと問われた時、口で言うのとは裏腹に興奮している自分がいることにも気がついていた。なぜなら千絵周りで起きた出来事、今回の兼朝の一件に迫るものの可能性があるかもしれないと思ってしまうからだ。パソコンの画面に浮かぶ他愛もない記事を見返すほど、瑛が追うことになるかもしれない事件の魅力が輝いていくのを感じていた。

 もちろんここまで憶測であり、不謹慎であることに変わりないが、それでもこの業界でやっていこうとしていた情熱が再熱しているのは間違いなかった。


「はぁ」


 ため息を漏らす。裏があることは間違いない事件にあと一歩で踏み込めるかもしれないという、暴露ネタ、真実を明るみに出来るかもしれないという興奮は同時に現状をより一層つまらないものへと変えていく。自分はこんなところで仕事をしている場合ではないのに、と言ったようにだ。一通のメールが来たのはそんな時だった。瑛は送り主を確認するとバッと身体が反射的に起き上がった。隣の上司もその俊敏さに驚き顔を向けてくる。

 しかし、瑛はそんなことお構いなしに立ち上がると帰りの身支度を始める。


「どうしたんだ? 仕事は?」


 上司の当然の質問に瑛は笑顔で返す。


「友達からの連絡です。なので、失礼します」


 脱兎のごとく職場を後にする瑛。


「おい、篠永。お前、せめてこの記事しあ……」


 取り残された上司は脇目も振らず静止を聞かず飛び出した部下に言葉を続けることを止めて一人、静かな職場に残されるのだった。


「はぁ、誰か帰ってこないかなぁ」


 ダメな部下のことを愚痴りたい一心で現場でネタを追いかけている仲間の帰りを待つこことなった上司なのであった。


◇◆◇◆


 瑛は喫茶店ヒマツブシにいた。いつ来ても客がいないこの店は瑛や千絵の大学の後輩である亮太が経営する喫茶店である。閑古鳥が鳴いているにも関わらず経営が成り立っているからくりは気になるところだが、それ以上に気になるのはいつ来ても亮太が新しいゲームを触りながら接客に勤しんでいるということである。もうすぐなる夕飯時ともなれば、昼食時と同様にかき入れ時な気もしなくはないのだが、そんな慌ただしさを一切感じさせることなく亮太は瑛が入店した時から今日もずっとゲームをしていた。話し相手もいないので何のゲームをしているのかと聞けば、トラウマⅢという恋愛シミュレーションゲームを絶賛プレイ中だということである。シリーズを通して一番クセの有る作品でプレイを重ねる度に味が出てくるとオタク特有の早口で熱く語り始めてきたので話を振っておいて興味がさほどない瑛はほとんどを聞き流しながら友達の到着を待っていた。

 友達、仕事中に千絵から届いたメールは実にシンプルで電話に出ないで心配かけたことに対する謝罪と久しぶりに会って話したいという内容だった。

 だから、二人が落ち着いて話のできるここ、ヒマツブシが選ばれたわけである。


「聞いてます? オタクがとか言う偏見で、勝手に距離感作ってません? というか聞いてきたのそっちですからね」

「あぁ、ごめんごめん。正直、記事のネタにならないとわかったら秒で興味なくなっちゃったわ」

「……ナチュラルに人の心えぐってきますね。全く、相変わらず噂好きなんですね」

「仕事よ、仕事。まぁ、否定もしないけど」


 カランカランと店のドアベルが心地よい音が響き渡る。

 その音に釣られるように振り返ると、そこには瑛の待ち人である千絵がいた。


「あっ、待たせた?」

「久しぶり千絵。全然待ってないよ」


 店に一人しかいない客である千絵を見つけると小さく手を振りながら近づいてくる千絵。ここで亮太は千絵に軽く手を挙げて挨拶すると女子会には興味が無いと言った顔でシェイカーを取り出すとおもむろに氷と共に材料を入れ、振り始め店主らしい行動を始めるのだった。


◇◆◇◆


「こちらスティンガーとバイオレットフィズ、そしておつまみのナッツです」


 何を注文するか瑛と千絵が相談している所へ亮太がカクテルを持ってくる。


「珍しく率先して何かしてると思ったら、これ高いの?」


 疑いの目を亮太に向ける瑛。


「サービスですよ。サービス」

「ふ~ん、ならいただくけど」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 亮太はそのまま二人の注文を取る。


「それでは少々お待ちください」


◇◆◇◆


「それで、どうして電話に出なかったのよ」


 パエリアやペペロンチーノ、付け合せのサラダと瑛と千絵が注文した品々が運ばれてくる中、瑛は千絵に本題を切り出す。

 一方、亮太は注文された品を出し終えると再びゲームに没頭している様子だった。


「ちょっとね、入院してたの」

「え? 入院してたの?」


 瑛は驚きと共に押し寄せてくる溢れんばかりの興奮が湧き上がるのを感じていた。友達に対して体調の心配を通り過ぎる勢いで憶測が確信へ近づくその興奮が、脱兎のごとく追い抜いていく。だが、これを表に出すことは出来ない。

 焦らず、あくまでも身体をいたわるように会話を広げていかなければと瑛は自分を落ち着かせるように心のなかで言い聞かせる。


「パッと見、目立った怪我とかなさそうだから、事故ってわけじゃなさそうだけど……病気?」

「そんなところ。まぁ、大したことなかったからすぐ退院できたんだけどね」


 すぐに逃げ道を用意してしまったことを公開する瑛。意識しすぎて千絵がのってきた場合、そのまま追求しにくい形を自ら作ってしまったのだ。正直、千絵の方も瑛の性格を鑑みて、言葉を慎重に選んでいる可能性もある。

 それを考えると今の質問は失策と言わざるをえない。


「それで、今のが私に話したかったこと?」


 千絵に持病があるなどと聞いたことはない。加えて、もし病名がハッキリとしているならばここで隠す必要もないだろう。もし、隠すような、それこそ感染症のようなバイオハザード的なものならば病院から出ることがそもそも困難だろう。

 だからこそ、病気について言及してボロを誘おうとして警戒されては元も子もないため、瑛は別口から話を進めざるを得なかった。


「ううん、違う」


 当然だろう。

 機会を一度失ったことに改めて瑛は落胆する。


「じゃぁ、何?」


 パエリアを口へ運び、バイオレットフィズで流し込んで一息つく千絵を見ながら、瑛は少しもどかしい気持ちから煙草を一本取り出す。そして、チラッと千絵に見せて吸っていいかの確認を取ると頷く姿を捉えられたので火をつける。

 そして、瑛も一息いれると返した左手を前に突き出し、指先をクイクイと数回曲げて話の続きを促す。


「……私の彼氏、覚えてる?」


 唐突に千絵の口から出てくる瑛が望んでいたキーワードの一つ。


「そりゃ、覚えてるわよ。おじいちゃんは最近じゃ、ニュースに引っ張りだこだしね」


 明らかに少し高揚感のある声に少しまずったという思いはあったものの瑛は相槌を打つ。


「そうね。みんな忙しそうにしてたわ」


 そのみんなに誰が含まれているのかはわからない。しかし、どことなく哀愁を帯びたその言葉に違和感を覚える瑛。そして違和感は、なかなか続きを口にしない千絵という構図により一層色濃くなっていく。

 そして、ようやく開いた千絵の口から告げられた一言は瑛にとって衝撃的な出来事だった。


「別れたの、天堂くんとは」

「え?」


 瑛は口にした通り、予想外の理解しがたい現実に対する疑問を口にする。空いた口が塞がらず、千絵が何度も呼びかけるのに気づかないでいるほど頭がフリーズしていた。

 これが文字通り思考停止状態だったのだと。


「瑛?」

「あっ……ごめん。って何があったの?」

「今のままだとお互い足の引っ張りあいになるから私から別れを切り出したの」

「いやいや、二人とも仲よかったじゃん」


 正直、事件を追うための手がかりを失ったことに対する落胆はこの時の瑛からは無くなっていた。それ以上に、千絵が紘和を名字で呼ぶことによる別れたことを強調したことによって帯びる現実味の驚きが勝っていたのだ。だからこそ今の瑛は友達として千絵の心配をしている。

 確かに思い起こせば、紘和の方には考え方というものに多少の難があるように見受けられる節は大学生時代から少しあった。頭が堅いというというか、妙に真面目でしっかりしているという点である。しかし、それ以外は普通でむしろ付き合っていた千絵に不快感や迷惑をかけるような男には見えなかった。どちらかと言えばそういったことはよく一緒に紘和とつるんでいた純や亮太の方が与えていそうな印象だった。

 だからこそ、まだ紘和の方から別れを切り出すならばその性格ゆえにわかる気もしなくないが、その性格を承知の上で付き合っていた千絵からとなるとよっぽどの理由があったのではないかと考えてしまうわけである。


「いろいろって。いろいろって何? 本当に何があったの? 大丈夫?」


 少し声を荒げながらも瑛は興味ではなく、ただ千絵を心配する一人の友人として、その心配させる原因を聞くことでなんとかしてあげたいと思いことの追求をしていた。


「ありがとう、瑛。私、やっぱりあんたのそういう純粋な所、好きだよ」

「好きだよって、辛かったんでしょ? だから話したんでしょ? だったら少しでも肩の荷、おろしなさいよ」


 打算のない言葉が瑛の口からは飛び出していた。自分が呼ばれた意味を主張するように瑛は千絵にハッキリと訴える。その言葉に千絵も安心したのだろう、うっすらと寂しそうな顔に笑顔を貼り付けるような顔を作っていた。そして、ゆっくりと、いつの間にか亮太の姿がなくなっていた千絵と瑛の二人きりの店内で千絵がタイムカプセルを開封していくように喋り始めるのだった。


◇◆◇◆


「というわけで、私は天堂くんと別れたの」


 あれから大雑把にだが、千絵は瑛に紘和と別れるに至った経緯を話した。千絵の職場でのミスが紘和の地位を、名誉を間接的に傷つけるスキとなっていたこと。それが積み重なって、最近大きな失敗となって紘和に還元されてしまったこと。そして、紘和が千絵の想像以上に自分の信念に忠実で、還元された千絵の失敗を躊躇なく失敗として千絵自身を切り捨てられるドライなところに千絵が一歩引いてしまったこと。同時に信頼を取り戻すために過労を重ね過ぎてしまったらしく倒れてしまったことを。

 故に、千絵は紘和の傍にいても足手まといなるだけだと感じ、距離を置く決意をしたという話だった。


「千絵ぇ、あんた尽くし過ぎだって。ホントにあんたが悪いの?」


 酔いもあって瑛は自分のことのように涙目になりながら千絵の話に同情していた。これだけの話を聞いているとどう考えても自己中な紘和に千絵が一心に合わせようとしているようにしか見えないからである。もちろん、要所々々で真実を隠しつつ話しているであろうことは付き合いの長さからわかった。そもそも仕事で、というところが瑛のような記者にそうせざるを得なくしているのだ。恐らく外部に漏らせない内容を抽象化しているのだと。それでも瑛には千絵が不敏で一途で、紘和が好きなんだろうなと思えた。

 だからこそ、その原因を作った上で千絵の別れ話を受け入れた紘和に、酷い敵対意識を芽生えさせるほどだった。


「そうよ、私が悪いの。私の理解が……足りなかったの」

「理解って……」


 千絵の悔やんでいるという思いが全て詰まったようなセリフが、息が苦しくなるような調子で口から漏れる。その後悔に直面していない当事者でないだけに瑛もここだけは不用意な言葉はかけられないと判断する。きっと、ここで同情の言葉をかけても、紘和を糾弾しても、千絵が折り合いを付けられないと考えるからだ。それが出来ていれば、苦労はないのだ。

 だから、瑛は話を逸らすように話題を選ぶ。


「はぁ、三十路も近いっていうのに二人して婚期を逃してるなんて……笑えないわね」


 自虐気味に笑い、この場の雰囲気を上向きにしようと努める。

 しかし、それに水を指したのは瑛にとっては意外な、千絵だった。


「あら、私は確かに別れたけど、天堂くんを諦めたわけじゃないのよ」

「どういう……こと? え? 話が全然見えてこないんだけど」

「お互いが自分自身に納得がいくまで距離を取るだけで、それでもまだ好きだったら、だけどね」


 ぽかんと開いた口が塞がらない瑛。そして徐々にそれは笑いへと変わっていく。

 心配して損したという結論としてのろけ話を聞かされていたと理解した自分に対して瑛は笑ったのだ。


「何よそれ。別れたって言うの? 全く、そんなことがお互いにできるなんて羨ましい限りよ。結局惚気話に付き合わされただけじゃない」

「べ、別に確約されたるわけじゃないから。あくまで可能性があるって話にはなっちゃうの」

「はいはい」

「だって、連絡先も断って今は天堂くん、イギリスに行っちゃったみたいだし」

「そう、なんだ」


 ほっこりとした空気ができたからだろうか。瑛は今こそチャンスを掴むことができる自分がいるのではないかとこの瞬間に思ったのだ。いろいろが繋がり、今スクープを取りに行くために動かなければならないのではないかと。千絵は瑛のことを純粋と評価した。それは言わば思ったことに素直であるということ。

 今、瑛は千絵への心配が収まりかけ、ここへ来た本来の目的を思い出し、編集者として、否、記者としての興味へと千絵の恋愛相談をシフトしていたのだ。故にここまでの話を線で結んでいく瑛。千絵は仕事で失敗し、紘和とすれ違ってしまった。この仕事と入院が重なる最近の出来事があるとすれば、国会議事堂での事件である。そして、現在紘和はイギリスへ赴いている。イギリスといえば第三次世界大戦のきっかけとなる日本と因縁を持った国である。つまり、イギリスの大使と千絵が法律関係でモメた結果、あの事件は引き起こされたのではないだろうか。その穴埋めをするために紘和が今度はイギリスへ赴いているのではないだろうかと。瑛の考えは憶測の域を出ない。むしろ、全く違う理由である。しかし、求めていた人物の情報がそこにあり、次の事件の匂いは確実に嗅ぎ取れた。

 後は無理矢理にでも本人を探し出せば、先輩後輩、さらに千絵との知り合いのゴリ押しで何かを抑えることが出来るかもしれないと考えたのだ。


「何しに行くとか詳しいことは聞けなかったけど、いろいろあったからね」


 千絵は後半を露骨に気分が沈んだようなテンションでボソボソと付け加えるように呟く。だからこそ、瑛には行動するに十分だと判断できた。

 それからも食事やおしゃべりに花を咲かせるが、瑛の頭の中では同時に有給申請後のスケジュールを組み始めていたのだった。


◇◆◇◆


「ごちそうさま、退院祝いってことで今日の会計は私がしておくよ」


 瑛はそう言って夜も更けて来たところで席を立つ。


「えっと、もう行っちゃうの?」

「私の仕事知ってるでしょ? ちょっと大きな仕事に取り組む予定だからうかうかしてられないの」


 瑛はそう言いながらいつの間にか姿を現していた亮太のいるレジへと向かう。

 そして二人分の会計を済ませた。


「それじゃ、身体と恋愛には気をつけなよ。久しぶりにあえて楽しかった」

「うん、私も相談聞いてくれてありがとう。瑛こそ、仕事、頑張って」

「おう」


 そう言って瑛は早々とヒマツブシを後にしていった。まるで修学旅行前の子供のようにウキウキしているのが傍目からでもわかるほどだった。

 そして、亮太と千絵だけが店内に残される。


「俺も詳しいことは知らないけどさ、おしゃべりなやつがこの前ここに来てたんだよね」


 千絵がいなくなるのを待っていた様に独り言の体で喋り出す亮太。


「篠永さんにあんなに思わせぶりに喋っちゃってよかったの?」


 瑛の食べ終わった皿やグラスを取りに来ながら、亮太は、今度はハッキリと千絵の目を見て問いかける。


「というと?」


 千絵はすっとぼけたように聞き返す。

 答え合わせをしたければそう考える理由を話してみろと言われているようであった。


「瑛さんの大きな仕事って、絶対ついさっき、というか今決まったことだと思うんだけど……嗅ぎ回らせたいの?」


 亮太の疑問はもっともだった。今話題のニュースの渦中にいてもおかしくない人間の位置情報を、スクープを追いかける職業に就く瑛に教えてしまう。

 口が軽いと言うには露骨すぎる、まるで丁寧に道しるべを立てた、誘導したと思われても仕方のない会話だったのだから。


「天堂くんたちがどこまで喋っていたのかは知らないけど……言ってしまえばこれは半分仕事よ」

「悪かったよ。興味本位で聞いといてアレ炊けど喋られても困るだけだった。というかむしろ、正式に国家公務員から聞く方が危ない橋に突っ込んでくような気がする。俺を面倒事に巻き込まないでくれ。ただの一般人でいたいんだよね。そう、できれば観客席……いや、この場合は蚊帳の外で構わないんだけど……平和にゲームしたいから」


 一連の流れで火の粉が飛び交っているのを感じ取った亮太は大げさに広げた風呂敷を畳みたいと千絵に頼み始める。


「おおよそ見当がついてるなら、大したことないでしょ?」

「じゃぁ、俺が予想を喋るから、お願い、千絵は口を開かないで」


 不満そうな千絵の顔が亮太へと向けられるがそれを無視して亮太は先に言葉を述べる。


「お目付け役」


◇◆◇◆


 実は千絵が退院したのは国会議事堂周辺が崩壊して三日後のことだった。外傷はなく、落ち着きを取り戻した時点ですぐに社宅へと帰っていたのだ。とはいえ、サルマンと言った千絵を誘拐する側の人間がいた場所である。

 怖くないと言ったら嘘になるが、取り敢えず自室へと向かったのだった。


「やぁ、待ってたよ。お願いがあるんだけ……」


 そして、部屋の扉を開けると中で待っていたのは智とサルマンだった。不法侵入されていた、ということよりもサルマンという男の顔を見て条件反射的に恐怖と危険という認識が頭を駆け巡り、慌てて扉を閉めようとした。

 しかし、すんでの所で閉まるドアの隙間に手が割って入り、そのまま千絵の手を掴んでいた。


「安心して、ヒロと話はついてるから、ね?」


 ギギギと音を立てながらゆっくりと扉は手首の力だけで開いていく。わざわざ退院後で自然に密会の場を設けてきたのである。これ以上は抵抗しても意味は無い、逃げられるはずがないだろうと千絵は思う。そして、日本の剣の関係者の中でも智とは面識が他の人以上にはあり、まだ信頼ができる範疇の人間であったというのも大きかった。故に千絵は諦めて閉める扉の手を緩めた。

 それに、あれだけの修羅場を経験すると肝も座るというものであった。


「わかりました」


 こうして、千絵は三日ぶりの自宅に帰ってきたのだった。


◇◆◇◆


「それで、今度は私をどうするつもりですか?」


 リビングでテーブルを挟んで向かい合って座る智とその横に立つサルマンを交互に睨みつけながら千絵は目的を尋ねる。


「うんうん、その調子で頼むよ。そして、先に謝っておかないといけないんだけど、まずは先の一件に巻き込んでしまったこと、本当に申し訳ない」


 そう言うと智とサルマンは同時に頭を下げた。


「そして、さっきの紘和と話がついてるっていうのは嘘だ」

「でしょうね」


 千絵と紘和が別れた、という状況がここでプラスに働くほど紘和が千絵を案じてくれているとは思っていなかった。

 むしろ、そうしないことこそが二人にとって別れている期間の信頼につながっていると千絵は思っている。


「へぇ~、そう」


 感心、感心とでも言いたげに智は顎に右手を当てながら軽く頷く。


「とは言え、危害を加えるつもりはないよ。もちろん、信頼されるための準備はできてる。サルマン」

「はい」


 スッとサルマンが智に一歩近づいて右手を差し出す。そして次の瞬間、ぽとりと何かがテーブルの上に落ちた。それがたった今切り落とされたサルマンの小指だと千絵が気づくには少しの時間を要した。手から離れた小指に一滴、また一滴と断続的に、しかし絶えることなくサラサラと赤い液体がコーティングしていく。しかし、小指に乗り切らず広がっていくそれは当初のサラサラとした感覚を失い、ドロリと粘着質を持ってゆっくりとテーブルを浸そうとしていく。

 そして、小指が切り落とされ血が流れていると明瞭に気づいた瞬間、声にならない悲鳴と共に千絵は智とサルマンを先ほどとは違った恐怖の眼差しで交互に見比べた。


「これはケジメとして当然の前払い。そして、次は彼の首を落として君の信頼を取り戻したい。かまわないだろうか?」

「脅しの……つもり?」


 千絵の目には捉えきれない攻撃という恐怖が確かに目の前に存在していた。もちろん、智は次にサルマンの首を千絵が求めれば躊躇いなく切り落とすのだろう。しかし、同時に千絵が部屋に入ろうとしていた時に言っていた智のお願いを聞き入れなかった時の未来を見せられているような気もしたのだ。こうも平然と、信頼を勝ち得るために部下を、近しい人を殺すことができるのだと見せしめにしているのだ。

 千絵に利用価値がなければそれこそためらいなく昨今の事情を知る人間の口を封じてくるだろうと勝手に恐怖が憶測を助長する。


「人聞きの悪い」


 普段の飄々とした智と目の前にする智は何も違いがない。しかし、それが一層恐怖を助長させる。同時にまた紘和と再会を果たすために千絵が死んでしまうことは避けなければならなかった。だから、ここは恩を着せるつもりで立ち回ろうと千絵は覚悟する。仮に千絵にサルマンの首をよこせという度胸がないことが計算ずくだったとしても、だ。むしろ、それ込みだったとすればその茶番にのっかるという意味でも貸しにできると信じて。

 そうでなければ、次に落ちてる首は千絵なのかもしれないのだから。


「じゃぁ、ま、まずはそれ以上、小指以上は謝罪として望まないわ。サルマンのく、首はいらない」


 千絵は気丈に振る舞う努力をしても声が少し震えているのがわかった。そして、千絵の返事に即座に何の返答もないこの状況が怖かった。しかし、智との視線だけは外すことなく、強い意志を見せつける努力をした。

 そして、実際は十秒ぐらいを、長く感じさせられた沈黙は破られる。


「ぶっちゃけ、そう言ってもらうとすごく助かる」


 ぷはぁというため息が聞こえてきそうなぐらい緊張の糸が切れるのがわかった。そして、智は感謝の意を述べると共にサルマンと再び深々と頭を下げてくるのだった。


◇◆◇◆


 止血をすませるためサルマンは智の指示で部屋を後にした。


「正直、ヒロの親父さんに借りは作りたくなくてね。いやぁ、ホントいろいろ助かったよ、千絵ちゃん。俺にはバンバン貸し作ってくれていいからね」


 先程の緊迫した場面が嘘のように、それでもいつもと何も変わっていないのだが、先程よりは朗らかに聞こえる様に話しているように見える智。

 央聖への借りというのはよくわからないが、千絵の選択は悪くなかったことが伺えた。


「それで、お願いっていうのは?」

「あぁ、それね。まぁ、その前に現状を話さないといけないかな」


 状況を進展させたく前のめりになっている千絵を見て、智は自分の髪の毛を右手の人差指で絡めるように遊びながら話し始めた。


「日本の剣が半壊状態、元総理殿は行方不明、その代理に御老公が総理をしているのは知ってるよね?」


 前半は一般的に報道されていない状況だが、それでも渦中に巻き込まれていた千絵は知ってしまった状況に置かれていた。

 そのため首を縦に振らざるをえない。


「この状況に追い込んだのは、元総理殿とヒロだったわけだが、御老公の意向で全てをひた隠しにすることが決定したから、御老公が総理代行を行う羽目になってる。そう、ひた隠す理由がお願いに繋がる」


 変な話だった。もちろん、上層部や身内の恥を世間に知られたくないという理由に問題はないのかもしれない。しかし、国を売った兼朝を、身内とは言え刹那と達也を殺し、剣の舞計画を潰した紘和をそれだけの理由で隠し、見逃せるほど、一樹にとって釣り合いの取れた不祥事だったのかと聞かれればこの違和感には行き着かなくはない。だが、個人の物差しが計り知れないことは先の紘和の一件で千絵も知っているつもりだった。

 故に隠す理由というのにはわけがあるという智の言い分には、むしろ惹かれるものがあった。


「まず総理殿だけど、バックにアメリカがついた可能性がある。つまり、事を大きく構えるにはその後ろ盾の存在がやっかいになる」


 とてもわかり易い理由だった。兼朝の不祥事を取り上げることが、アメリカと事を構えるという民意ないし風潮に誘導されるという点に問題があるからだ。過去に争ったことがあると言ってもそれは蝋翼物【最果ての無剣】を所持していた若かりし一樹がいた頃の話である。

 一樹たちと対立関係にあるような紘和の手にそれが渡っている状態でアメリカと一戦交えるとなれば、兼朝が不完全とは言え、剣の舞の成果を持ち逃げしている分、加えて半壊の日本の剣では戦力に差がありすぎ、厳しい状況は免れないからだろう。


「次にヒロだけど、御老公の計画を表沙汰にしない代わりに、今回の一件を黙認、さらには行動の自由を保証することが約束されてる」

「計画?」

「もちろん、質問されてもこれだけの対価に値する計画だからね。教えるのは無理だ。というか俺もよく知らないってことにしておいてくれると助かる」


 少し残念そうに答える智が印象的だった。


「それでここから本題、お願いに入るわけだけど。まぁ、総理殿の一件はこっちでやるとして、紘和の自由を認めた以上こっちから手を出すわけにはいかないでしょ? それでもって、イギリスに行くとか言ってる始末。正直、因縁のある国に行って欲しくないし、【最果ての無剣】を持って国外にいかれるのが厄介なんだよね」


 ここまでくればお願いとはないか、おおよその検討が千絵にもつく。

 そのため、千絵はお願いを聞く前に水を指すように口を開く。


「その、ここまで喋っていただいてなんですけど……私と天堂くん、別れまして……」


 口をへの字に曲げ、千絵を凝視する智。


「えっと……それは唐突だね。流石にそこは知らなかったなぁ……でも、そう考えると嘘が見破られてるのも納得いくかぁ。でも、そうかぁ」


 頼みの綱を失ったようにポツリと呟く智。


「ただ、もしよければうってつけの人を紹介しますよ」


 そう言って千絵は携帯を取り出し、通話履歴や受信ボックスを見せる。


「私の友達で、小さな出版社に勤めてるんです」


◇◆◇◆


「さすがね、亮太」

「それの同意は言ったも同然だろ? やめてっていったじゃん。守秘義務とかどうなってんだよ。あぁ、可哀想な俺。そして、そのお目付け役に選ばされた瑛さんも可哀想に」

「大丈夫よ、他にもいるみたいだし」

「何が大丈夫なんだか。それにそこも聞いてませ~ん」


 食器を片付ける手を休め、一瞬だけ両耳を両手で震わせながら抑え、猛烈に関わりたくないアピールをする亮太。

 しかし、気になる点があったので再び食器を片付け始めながら、亮太は千絵に聞いた。


「それで、もう半分は何なの?」


 千絵からため息が漏れる。


「私欲よ。顔見知りに頼んだほうが天堂くんのこと聞きやすいじゃない」


 そして、ほろ酔いなのか頬を赤らめながらテーブルに顎を乗せると付け加えるように呟いた。


「あんなイケメン、他の女子が食いつかないわけないもの」

「あらら、随分と惚れてはいるんですね。だったら瑛さんに頼んだのはまずいんじゃないの?」

「……」

「それにわざわざしっかりと別れ話をしなくても、良かっただろうに。自分に塩を塗った上でフリーであることを主張したようなもんでしょ? 随分とまぁ、難儀にこなすねぇ」

「……亮太。それ以上しゃべると本当に巻き込むよ」


 少しだけ涙を浮かべていて両頬を膨らませている千絵を見て、やれやれという表情を作ると亮太は皿洗いを黙々と開始するのだった。


◇◆◇◆


「ロンドン行き、七時三十分発、百二十三便は、ただいま皆様を機内へとご案内中でございます。ロンドン行き……」


 瑛は千絵と食事をした二日後にはすでに成田空港国際ターミナルへ来ていた。未消化のまま溜まっていた有給休暇を上司の静止を押し切って全て申請し、貯金を多く切り崩しこの場に来ていた。予定では、年越しもロンドンで行うことになる。ちょっとした小旅行気分なのも否定はできなかった。しかし、目的はあくまで紘和を追って国会議事堂周辺の事件と急な総理大臣の交代を結びつけることだった。正直、どこまで真実を捉えることが出来るかはわからない。それでも瑛には不思議と根拠のない確信があった。

 故に追いかける。


「古賀先輩、どこですか?」

「ここだ、今野」


 旅行へ出かけるカップルのような二人組を尻目に、独身の瑛は羨ましいと感じることもなく目の前にちらつくビッグニュースへと思いを寄せる。自分が記事にしたかったのはこういった世間をざわつかせる様な真実であったのだと。

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