第十五筆:往々に妬ましい剣

 日本の剣と呼ばれる者同士の戦いであるにも関わらず、一方的で凄惨な戦いを友香はただただ見ていることしかできなかった。もし、【雨喜びの幻覚】の力を紘和に使用していたら達也と刹那はもっと安らかに殺されていたのではないだろうかと、殺されることを前提とした考えがまるで現実味がない感覚の中、友香は思うのであった。

 それほどまでに苦痛に歪んだ顔が血溜まりの中に二つあった。


「出てきても大丈夫だよ。桜峰さん」


 一人に戻った紘和が本人にとっては虚空に声を投げかける。本来であれば紘和のこんな言葉を待たずして、立ちふさがる敵に勝ったのと同時に仲間として健闘をたたえに飛び出していてもおかしな話ではない状況なのかもしれない。特に友香にとっては、この先に進めるということには大きな意味が、優紀か陸の手がかりが待っているはずだから、事の結果は感謝するべき結末なのだろう。しかし、友香にとって素直に喜べるものではなかった。この場に関して言うならば、覚悟が足りなかったという言葉で片付けるにはあまりにもお粗末かもしれないが、そう表現せざるを得なかったのだ。友香の覚悟は身に降りかかる危険への覚悟と優紀に出会うまで諦めない覚悟である。そこである種の戦いが起こるのは当然のことであり、拮抗した、敵を説き伏せるための一過程としての戦いは想像できていた。少なくとも友香は陸に殺されかけたと伝え聞いている。衝突すればただではすまないことということは揺るがぬ事実であった。

 だから、目の間で起きたこの有無を言わさぬワガママな蹂躙、それこそ進行方向にあった木が邪魔だから抜いたように人間を殺していくということへの、多くの陸や優紀とは関係のない人の死がついてくる覚悟は出来ていなかったのだ。とは言え、である。果たしてこれが友香の覚悟が足らなかったと言えるだろうか。こんなにも後味の悪い、解決を放棄した圧殺を前にして。誰の意見も間違えと言い切るには個人の倫理観の重きが違うだけの話だった。少なくともあれだけの力を持つ紘和には達也も刹那も殺さずに前に進むことが出来たはずなのである。力を持つ人間には選択肢が多く与えられているのではないかと。

 言い換えれば、友香には無関係の人間を切り捨てでも前に進むという感覚がなかったのだ。何もおかしなことではない。

 今までただの大学生だった人間に、そんな酷い選択を迫られる機会などあるはずもないのだから。


「桜峰さん」


 穏やかな声がする紘和の背中は真っ白であった。しかし、後ろを振り向いた時、未だに【雨喜びの幻覚】を解いていない友香は血にまみれた紘和の何事もなかったかのような平然とした顔を見た。それは能力を解きたくないと思わせるほどに友香に恐怖を与えていた。

 それと同時にもしこの能力がなければ、紘和をここに来る前に止めようとしていた友香も殺されていたのではないかという恐怖も合わせて芽生えていた。


「桜峰さん?」


 スッと散らかった肉塊や血溜まりが消えていく。マカブインで分解し、霧散させたのだろうか。その光景を見て、友香は慌てて姿を現す。

 実際にこの掃除にそういった意図はなかっただろうが、出てこなかったら何をされるかわからない脅迫感を恐怖に支配されている友香は感じたのだ。


「大丈夫だったようですね」

「はい。……紘和さんも、無事でよかったです」

「あはは。この程度、大したことでもありませんよ」


 ニッコリと爽やかな笑顔で謙遜した感想を述べる。場に不釣り合いに思える感想がより紘和という男を友香に不気味に映す。それに友香が千絵と出会った夜の紘和の説明では、日本の剣は皆がいわゆる一樹の集めた強者だと言われていた。その中でもレベルの差というものはあって然るべきである。それを大した事ないと言い切った紘和はやはり友香の想像通り、いな想像以上に一方的に達也と刹那を虐殺していたということになる。きっと、この先に待ち構えている誰かも同じ目に遭う可能性がある。

 しかし、今の友香には止める勇気以前に止める実力がないと思い、胸を痛めつけられる。


「それはよかったです」


 紘和と目を合わせることが出来ず、視線を少しそらしながらつぶやくことしか出来なかった。


「それでは行きましょうか」


 どうしたのだろうと、友香の今の心情を一ミリも理解できていない顔のまま紘和は大扉の前に立つ。すると、大扉が砂のように崩れ落ちていくのだった。それは再び、二人を殺す必要がなかったことを友香に印象付けるのだった。


◇◆◇◆


 段数はわからないが三分は下りたであろう長いようで短い電気はあるのにどこか薄暗く不気味な階段。降りきった先は広く短い通路となっていた。そして通路の先には再び大きな扉が立ちはだかる様にそびえ立っていた。

 しかし、鍵もパスワードも解除されているのか厳重なセキュリティが施されているのがわかる装いにも関わらず、紘和と友香が近づくと自ずと音を立てながらまるで向かい入れるように開いていった。


「何もしないで隠れていてください。そしてこの扉より先は付いてこないでください。敵も強くなっているでしょうから」


 紘和はそれだけ友香に言い残すと罠を貼った敵が待ち構えているかもしれないにも関わらず、迷いなく扉の先へ足を進めた。友香も【雨喜びの幻覚】を使って姿を隠しながら、ドアの向こうを覗き込む。コンピュータ機器が壁の隅々に配置され、幾つかの培養槽が奥に見える。そして、中央には何かを置くために設置されたような大きな丸い台座が設置されていた。その周辺には紘和ではない人影が三人いた。その内の一人を確認して、先程まで人殺しに対して葛藤していた友香とは思えない、黒いものが少しずつ滲み出し始めていることにはまだ本人は気づいていない。


◇◆◇◆


「おや、どこに友香さんを置き忘れてきたんですか? それとも、何か企んでますかな?」

「企んでいるのはそちらではないのですか、野呂さん。それに……母さんも」


 兼朝の質問には答えず交戦の意思を示すように、勘ぐり返す紘和。友香が唯一知らなかった女性が消去法で剣聖にして嫉妬な女、瞳である。紘和の母で一樹の娘。日本の剣で五番目に発言力を持つ。

 嫉妬の由来はそのままで紘和の口から聞いて友香には少し変な気もしたが、出来の良すぎる一樹と紘和に嫉妬しているかららしい。


「そして、お久しぶりです、九十九さん」


 台座の上に立っていたのはなんと陸だった。特に返事をするわけでもなく紘和の方をジッと見ているようだった。しかし、次の瞬間、扉の後ろから覗いていた【雨喜びの幻覚】を使っている友香は陸と目があったような気がした。ドキッとする。目覚めて初めて目にする友人の顔は友香の知らない、優しさというものを感じさせない無機質な表情でいて、鋭く一点を射抜くような眼光を放っていたからだ。しかし、すでにその視線は紘和に向かっており、本当に友香を見ていたのかは確認の仕様もなかった。

 だが、目と鼻の先に優紀の敵がいるのは間違いないことだった。


「どうしてその男がここにいる?」


 紘和の口調が、スイッチが入るには充分な材料を見極めたと言わんばかりに崩れる。

 よりにもよって手がかりではなく目標の一人が目の前に現れた故に交戦は必死と覚悟を決めたとも見えた。


「わかっていることを聞くんですか、紘和くん」


 兼朝は紘和に皮肉めいたことを言う。この状況で陸がいるということは、関係者であるということがわからないのかとでも言いたげに。それだけに紘和は理解する。幾つか見せられてきた研究経路からは確かに紘和を説得させるような様々な製作に至った理由が記載されていた。そして、研究結果からは紘和が陸を見失った日を堺に記録が残されておらず、そこから今日この日までに出来損ないとはいえ、今まで一切の進展がなかったものをここまでの完成度を作りあげるという、ありえない技術革新の結果を間近に体験してきた。

 だからこそ、陸が【最果ての無剣】の複製に協力するだけの技術ないし力を持っていたと紘和の中で断定することができた。


「お前たちの口から聞きたいんだよ。言えよ、どうしてその男がここにいる」


◇◆◇◆


 陸はチャールズとの一戦の後、優紀が同時に貫かれたことに幸いして【環状の手負蛇】の効果を陸の意思に関係なく再発することとなっていた。そのため、蝋翼物二つと純との戦闘を避けるため、加えて自身の異変に対処するために即座にその場を逃げ出ることを選択したのだ。そして、復讐を果たすための準備を整えるために、友の願いを叶えるために、友香から隠れるために迷うことなくセーフハウスとして最悪の心当たりを訪ねたのだ。

 否、すでに悪魔にでもなろうとしている様な人間の手を借りている故に、後戻りは出来ないからこそこの手を選んだ、選ばされたと言い換えることも出来るのだが。


「お前は、本当に何も変わらないんだなぁ、ツァイゼル。いや、今は九十九陸だったかな?」

「そういうあなたも歳以外は何も変わってないじゃないですか、天堂」


 雨の降る中、天堂家の庭先に佇むあっさりと誰にも気づかれることなく不法侵入を果たした陸という緊急事態を、異常事態を目の前に、一樹は変わらず縁側でゆっくりと横になってお茶をすすりながら旧友と話すように穏やかに話かける。


「ハッハッハ。わかるか? この抑えきれぬ強さへの執着が」


 湯呑みを縁側に乱暴に置くと体を起こし足を組み、身を乗り出す一樹。


「【環状の手負蛇】。お前の力量に関係なく、その力はお前を強者足らしめる。お前がたとえ全力を出さなくともな」


 一樹は鞘に収まった刀を掴んだ右手を前につき出す。


「続き、やってくれんか?」


 何の続きかは文脈でなんとなく察することができる。それがこの状況でなければ、陸と一樹の立場を考えなければ、どれだけ感動的な再戦となったかわからない。

 一方で、未だ陸の侵入は気づかれていないのか、誰も警備の人間が一人も姿を現さない。


「お願いがあって来ました」

「だったら、まずはワシのお願いを聞け。問題あるか?」


 互いに自分の主張を第一に、相手の思いを無視して話を進めようとする。陸にとって一樹のお願いというのが、想像通り陸との対決を望んでいるという状況だとここにきた思惑としては最悪である。チャールズはまだしも紘和を始め様々な人間から逃げ隠れた上で安全に準備を進めたいからである。そのために因縁がありつつも、一樹という人間の性格を考慮した提案を持ってきたのである。

 だからこそ、まず陸は己の要望を何としてでも通す必要があった。


「それは今の俺の状況を鑑みてもらった上でのお願いですよね?」


 一樹の発言の解釈を間違えればこちらは頼みの綱を一つ失うことになる。陸は一樹を刺激しないように、同時に目の前の人間の状況把握を確認するためにゆっくりと言葉を選んだ。

 その言葉が一樹の興味を少しだけ持たせたのか、品定めをするような笑みを浮かべる一樹を直視することになる。


「身のある話をしようじゃないか? ココに来た理由は匿ってもらうため、だろう? ワシからすればここで終わらせればいろいろプラスになるわけだが、それよりいい話が今のお前にできるのか?」


 陸もここまで来るのに周囲にバレないように細心の注意を払ったのは言うまでもない。それは恐らく成功している。一方で、陸の侵入をここまで許したとは言え、その後、数人の強い人間の気配を感じるものの今、一樹と一対一で対話ができている状況が、一樹が陸を取り巻く状況を把握しつつ、話し合う準備が事前に出来ていること、何より受け入れる準備が整っているということを意味していると匿ってもらうという単語が一樹の口から出たことでほとんど確定したと断定できた。そして、次はないと言わんばかりの発言。これ以上、探りを入れれば一樹の機嫌を損ねる事に繋がると理解する。それこそ場合によっては最悪の状況が、一樹との一戦が待っていることに繋がる。

 だからこそ、陸は単刀直入に最大のリターンを提示した。


「蝋翼物の複製による強者の補強、お手伝いさせてください」


 陸のやりたいことにして、一樹の求めるモノ。剣の舞は現在、国家戦力を旨として兼朝が主体として行っている。そこには紘和の父親の思惑も絡んでいるとされているが、一樹にとっては自分の欲を満たす可能性の一つとして計画の継続を許可していた。強者の補強。武器を使いこなす以前に人間として強くなければ確かに意味はない。しかし、瞬発的に強くするならば、ある程度良質なものを分け与えたほうが早いのも事実である。そして蝋翼物を握るのが日本の剣であれば尚の事早いだろう。つまり、一樹の強者を求めて作り出したとされる当初の目的に沿う可能性は十分にあり、それは陸にも一時的に隠れることが秘匿事項に関わる故に達成されること、そして今計画を推し進める兼朝にもメリットの大きいことだった。

 敵を作っても対処できる自信があるが故の感覚かもしれないが、日本にこの技術が広まっても問題がないぐらいの価値があると陸は判断した上でのことでもあった。


「そうか。ワシの頼みを満たす手段でお前は自分を売らずにそっちを選ぶのか」


 陸の解答にどこか寂しそうに、他人事のようにポツリと漏れた一樹の言葉は何か諦めに似たものを感じ取れた。

 一樹自身が望む一番にふさわしくないと言われたことに肩を落とす、それはつまり陸の返事に満足していないような含みがあったのだ。


「兼朝、キセル持ってきてくれ」

「どうぞ」


 どこからともなく現れた兼朝が煙を昇らせるキセルを持って一樹の横に立つ。一樹はそれを受け取ると口に長い間含む。後、大きなため息を吐くように煙を深く深く吐き出す。

 そして、刀を杖の代わりのように支えにしながら立ち上がった。


「そっちの条件は飲んでやれ。後は任せたぞ、兼朝」


 一樹はそれだけ伝えると兼朝と陸を残してその場を後にするのだった。


◇◆◇◆


「よかったんですか、御老公」

「何がだよ、智」

「身のある話をしましょう、御老公」


 部屋から出てきた一樹の少し後ろを追従していた智は自身が慕う男の微妙な変化を聞くために愛嬌ある皮肉のように質問をした。しかし、返事はなく、無言のまましばらく廊下を移動することとなる。

 そんな状況が嫌だったのか、智は再び口を開く。


「まずは、この件をヒロに隠すこと。激昂するのは間違いないと思いますが?」

「構わん。むしろ、あの英雄に憧れるリアリストにはいい刺激になるだろうさ。まぁ、リアリストが英雄でないかと聞かれれば、ワシにはわからんがな」


 紘和に隠すことが前提であるというお互いの共通認識がある案件。日本の剣だけに限った話ではなく、ましてや蝋翼物に関する事案を知っている人間に限定されることもなく、紘和と接していれば誰もが一度は垣間見る、常人には少し理解し難い独自の正義感が紘和にはある。正しいことに強いこだわりがあり、それを為すためには正しさすら破綻しかけてしまうものと受け取られることが多い。そして、紘和の逆鱗に触れることには慣れたとでも言わんばかりの受け答えをした一樹。

 智は右手で頭を掻きながら、知った時の紘和を想像し、ため息を吐く。


「では、総理殿に任せてよかったんですか?」

「国の利益になれば問題なかろう。兼朝ならワシよりもうまくやるだろうさ」

「その辺は否定しませんが……」


 一樹が兼朝の手綱をしっかり握れているからこそ、智もその辺は心配していない。言葉の通り政治を行う頭としては兼朝の方が優れているのは間違いなかった。当然の話である。一樹は地位に縛られることで誕生した武人であり、正直、政治に興味が無いのだから。それでいて兼朝は一樹曰く野心と忠誠心を両立させた遊びがいのあるかわいいやつなのだという。忠誠心は置いといても野心は国の総理大臣に上り詰める辺り、目標もなくたどり着ける場所ではないだろう。積み重ねてきた実績が一樹とは違うのである。そして、置いといた忠誠心はいつ反転して主人の喉元に牙を向けるかわかったものではない。しかもよりによってそれをそそのかしかねない人間が兼朝の隣には今、確実にいるのだ。

 つまり、問題は兼朝であって、兼朝ではない。


「央聖の旦那は、個人的に嫌いと言ったらそれがここで意見する最大の理由なんですが、いいんですか?」

「構わんよ。この関係をアイツが崩してきてからでも問題はないからな」


 天堂家と血のつながりなどもちろんなく、婿養子として歓迎されたわけでもなく、瞳という一人の女性に取り入り、天堂の姓を手に入れた紘和の父親、それが天堂央聖、旧姓を國本に持つ國本財閥の御曹司である。取り入るという表現が正しいほど紘和という子を一人授かった段階で家庭を顧みず商人としてその腕を世界へと伸ばしにいった男である。損得だけで動くことが出来るその性格から多額の金の流れを操り、その勢いを求めるが故に天堂の姓を手に入れたと周囲が勘ぐるほどであり、事実である。それは父として金だけを家族に、国にもたらすだけで情といったものを傾けたことはなかったことからもわかる。なにせ、年に一度瞳の顔を見に来ればそれは奇跡にすら映る光景なのだから。

 しかし、一樹は当時から央聖という男の本質は見抜いていたようで、一度は瞳の結婚を考えるように諭した程だった。しかし、憧れていたのか、依存していたのか、天堂家という環境で育った瞳にとって、その柵、優秀なものであるとして見られる周囲の羨望の目、比較の目から逃れられるように央聖からかけられる甘い言葉からはすでに逃げられなくなっていたのだろう。結婚を止めるという選択肢はその時の瞳には存在していなかった。一樹はその戒めとして、離婚という選択は一切ないことを瞳に科したのだ。もちろん、戒めを除いて天堂家という首輪をつけて自国の経済を潤わせるという目論見が一樹になかったかと言われればそんなことは決してなく、一樹もまたある程度割り切ることが出来る男ではあった。だから央聖も未だ明確に一樹にも日本にも牙を向けたことはなかった。

 だからこそ、智はこの一言に嘘偽りのない重みを感じていた。


「最後に。良かったんですか、一戦交えなくて」


 前を歩く一樹がその歩みを止める。


「まぁ、【最果ての無剣】の複製を持った人間と【環状の手負蛇】のどちらが真に魅力的だったかとお前が聞いてるんだったら」


 ふぅと一樹の口から煙が細く伸びる。


「全力で挑んで来ないことがわかってる者に価値はないからな、構わんさ」


 顔の皺がよりくっきりと見えるほど落胆したような表情がそこにはあった。


「それは……」

「あれは、生死感の欠如からじゃない。前にもまして死に焦がれるただのバカの目だった、それだけの話さ。まぁ、俺の直感だからな。当人に聞いてみれば……いや、いいか。俺の直感だからな」


 実に残念そうな溜め息の連発に智は頭を下げる。


「それに関しては、我々も申し訳ないと思ってますよ、御老公」

「ホント、育てがいのなくなる奴らだよ」


 最初ははっきりと見える煙も先へ進むにつれて、ぼやけ霧散してしまうのだった。


◇◆◇◆


 一樹たちが去った後の部屋では机を挟んで兼朝と陸が向き合って座っていた。


「来られるとは思っていましたが、僕にはあなたがここに来るメリットが本当に雲隠れだけとは思わないのですが……一応お尋ねしてもよろしいですかね?」


 兼朝はまるで陸が純や紘和から逃げ隠れするために来ることを知ったような物言いだった。


「誰が手を貸しているのかは知らないが、大方把握してるんじゃないのか? そして、その見解はどうせ間違っていないだろう。俺は純やチャールズから一時的に逃げたい。そのためにアンタたちの実験に協力する。ギブアンドテイク。違うか?」


 陸は一樹の時とは違い、そして学生生活を送っていた時とも違う、本来の喋り方で兼朝の質問に答える。

 兼朝は首を軽く傾けながら疑いの視線だけを送ると、これ以上質問しても答えが返ってこないと判断し、話を進める。


「いえ、僕もその通りだと思います。つきましては、神格呪者の力を見せてもらえませんか? 一樹さんは知っていても、いえ、百聞は一見にしかず。僕も【環状の手負蛇】というのを、実物をぜひこの目に留めておきたいのですが、構いませんか?」


 右手の中三本を机の上に置き、タタタンと順番に指を叩きながら小刻みなリズムを取り続ける兼朝。


「痛いのは嫌いでね。これで勘弁してもらえると助かる」


 陸はそう言うと右手の親指を口の中に入れた。そして口の中から取り出してみせる。すると机に落ちそうになっていた血の雫がみるみるうちに親指に引っ込んでいく。

 同時に口の中から数滴の血液や皮膚が右手の親指に戻っていくのが見られた。


「随分と……疲れそうな力だ」


 兼朝は聞いていた情報の不老にして不死の一端を実際に目撃したにも関わらず、眉一つ動かさず、まるで同情するかのように呟いた。

 陸からしても羨ましがられたりなどともっと食いつきのいいリアクションでも来るのかと思っていた分、拍子抜けだった。


「それで、どうやって複製するんだい? 合成人とはわけが違うだろう? ましてやサンプルの【最果ての無剣】は紘和さんの手の中だ」

「お前たちはどこまで着手できているんだ?」


 兼朝も陸も互いの核心に触れる質問を投げかける。しかし、兼朝はあっさりとその研究内容を打ち明け始める。

 それが信頼の証だとでも言いたそうに。


「どこまで、と聞かれれば正直、投資した額に見合わない程度に、全く前進していないよ。央聖さんにも協力してもらって各国から、特にロシアとオーストラリアには技術を買わせてもらった。直近だとイギリスも面白い試みをしているから近々話でも聞きたいと考えていたが、正直僕には何に頼れば前進するのかわからないのが現状だよ」

「知恵に愛、そして希望か」

「まぁ、頼った買ったとはいったけどね、そもそもろくなものは手に入れられないよ。八角柱の中でも日本は嫌われ者だからね」

「しかし、随分とあっさりと機密を話してくれるな」


 蝋翼物という得体の知れないものがそう安々と解析できるはずがないが、その実情をあっさりと初めて合う陸に、それも元はロシアと懇意にしていた経歴元に、兼朝が話してしまうことに多少なりとも驚いていたからだ。

 本来ならばもう少し警戒され、陸の手の内をもう少し開示させてからでも遅くはなかったのだろう。


「だって、一樹さんのお墨付きなら無駄話になるだけでしょうからね。加えて補足していうなら最初から別にアナタを疑っていたわけではありませんよ。さっきの神格呪者の確認は単純に僕が、興味があっただけですから」

「お前が一樹を信頼しているとは、正直驚きだ」


 陸も兼朝と一樹の関係を様々な情報として聞いたことがあったが故の驚きであった。


「信頼という言葉を使われると否定したくはなりますが僕の噂、というかそういった話は概ね正しいと思います」

「それはそれで問題があると思うが」


 陸はそう言いながら言葉を待つ。


「私が認めた相手、だからです。長生きしたあなたにならそういった経験あるんじゃないですか?」


 実にシンプルな理由だった。認めた相手が、兼朝と一樹の知られた噂のような関係性をそのまま受け取り解釈するのならば、一樹を一人の権力を喰らう上での邪魔者として捉えているならばなおのこと納得のいく理由だった。そして、そんな純粋な関係は確かに陸の身の回りに存在していた。

 だからこそ、陸自身にはないもののように感じられた。


「愚問だったようだな。すまなかった」

「それで、そちらの提示する内容の具体的な話が聞きたいからそろそろ話を進めてもらうと助かるよ」

「そうだな」


 否、いたとしても忘れてしまうほど時間が過ぎ、やるべきことに囚われているだけなのかもしれないのだが。


◇◆◇◆


「自衛を目的とした戦力の強化のために、いや、人をより簡単に強くするために強い武器を作ると言い換えたほうが意に沿う場合もあるのかな? そして、達成するためには彼の、神格呪者の力が必要不可欠だった。どうやら陸さんはいろいろな人から逃げていたみたいだからね、匿うのを条件にその力を行使してもらったんだ。身体を再生するように、【最果ての無剣】という情報を幾つか再生したってわけだよ。どうだい、紘和くん。君が想像したとおりの答えだったろ?」


 煽るように紘和の質問に丁寧に答えてみせた兼朝。

 もちろん効果はテキメンで紘和の怒りはすぐに沸点に到達する。


「そんなことのために、お前たちは他人を容易く危険へ導くものを作っているとでも言うのか。おかしいだろ、おかしい、おかしいんだよお前たちは」


 言葉を繰り返す度に抱えた頭を垂れるように身体を小さくする紘和。そして、全てを吐ききったのと同時に物凄い勢いで顔だけが正面を向く。

 まるでゾンビが得物を見つけたかのようなその動きは紘和が何かに狂っているのを表現するのに適した動きをしていた。


「あんたもか、瞳」


 ギロリと実の母親を呼び捨てに、解答を求める紘和。


「あんたはそうやっていつもいつも自分が正しいことを疑わない。いえ、疑ったとしても最善ではなく最良から選んで悲劇に酔うだけなのよ」


 そして瞳もまた実の息子にかける言葉とは思えない単語を含ませながら、悲痛の訴えを始める。

 彼女が嫉妬たる所以の真の顔が映し出される。


「あんたがこの世界に生を受けてから、央聖さんは変わってしまった。私にお前の世話を優先させることで仕事に、仕事に、仕事に力を注げるようになってしまった。私にではなく仕事に情熱を注ぐようになってしまった」


 女性特有の金切り声が、その叫びをより一層悲劇であったように紘和を責め立てる勢いを色濃く感じさせる。


「私は央聖さんの良き妻だからそんな仕打ちにも耐えてあんたを育ててきた。育てたのよ、央聖さんにふさわしい子供を、央聖さんだから尽くせる私が。それなのに、あんたはお父さんみたいに武道に長け、央聖さんのように賢いあんたは私の手厚い愛情からすぐに自立してしまうだけの信念を、支えを手に入れてしまった」


 罵声を止める者も、理不尽な訴えに意義を唱える者もここには存在せず、瞳の溢れ出る思いの丈だけが続く。

 触れるもの全てを不快にする、誰も報われない、罵詈雑言が続いたのだ。


「央聖さんみたいに賢いだけが私の救いなのに、あんたは私を超えてもなお力にこだわり、お父さんや他の剣の方たちと修練を積む。どんどん央聖さんの面影を私から隠して、私のいた日本の剣という立場すら脅かそうとする。才能あるあんたは期待され、愛されるのに、私はこんなにもあんたのために自分を押し殺して押し殺して押し殺して頑張ったのに報われなかったのよ。でもね、報われなかっただけなの」


 そして、瞳の言葉は唐突に穏やかなものへと変化する。


「剣の舞を邪魔する国の敵であるあんたを殺せば、央聖さんの仕事の邪魔するあんたを殺せば、央聖さんはきっと振り返ってくれる。私は報われるのよ、愛されるの」


 実に穏やかに瞳は紘和に告げる。


「私の息子なら、央聖さんの商品のために、最後くらい私に感謝されるようなことで死になさい」


 瞳という女性の事情を知っている者でも、今までのセリフを聞いて紘和に対して何も思うところがないのであれば、それはよっぽど感情を切り離すことに長けた冷酷な人間と言えよう。つまり、事情を知る由もない友香にとっては、理解すら到底及ばない言葉の数々であった。こんなにも肉親から、実の母親から実の子供が妬まれる対象であれるのだろうかと。少なくとも友香の知る親というものは子供のために怒り、喜び、悲しんで成長を支えてくれる存在だと思っていた。行き違いがあっても家族の絆というものがあると思っていた。それは自分の休学とやりたいことを後押ししたという実績がつい最近のことのように思い出せるからでもある。思い出せば、今でもあの家族の愛は温かい。しかし、目の前にそう言った感情はなかった。血のつながりや絆といった曖昧なものは存在しない。あるのは好きか嫌いかそれだけだった。

 いや、憎いかどうかそれだけが冷たくあった。


「クズが」


 それは紘和ですら例外ではなかった。親としておかしいとは思わないのだ。

 あれだけの理不尽で的はずれな批難を受け止めた上で平然と母親を人としてただ軽蔑できるのである。


「母親に対して随分な口の利き方ね」


 今すぐにでも襲いかかりそうな獣のように語尾を荒げ、低い姿勢を保ちユラユラと揺れる瞳。それでも手を出さないのはそれだけ紘和が手強い故に迂闊に先手を取れないのか、何かを待っているのか、戦術、戦闘を知らない友香にはわからないことである。そして、友香の想像とは違い、一人ひとりが紘和に応えるただの流れがある故に瞳はただ動かないだけだった。もちろん、最後の一人が口を開くまで戦闘を許さんとしない紘和の気迫が凄まじいことに変わりないことではあるのだが。


◇◆◇◆


 陸にとって紘和の到着は予想よりも早いものだった。想定の範囲内ではあるだが、なるべく刺激を与えないうちに逃げている予定だっただけに、刹那と達也では足止めには力不足であったことをこの瞬間に感じる羽目となってしまった。実戦という経験不足を補う一つの才能として陸が考える、人を躊躇なく自らの意志で殺すことができる、を紘和が持っていたからここにいるのであり、つまり二人があっけなく殺されてしまったと考えている陸。同時に、どれだけ紘和が化物に近づいてきているのかを理解していた。化物のような力を有した陸が言えることではないのかもしれないのが、殺しを行う上でも非情になれるということに一線が存在すると陸自身は思っている。そもそも殺すことを突発的ではなく意識した上で即時実行に移せるということは例え相手が敵だったとしても最初は思い悩むはずだと考えているのだ。初めての中でも基本的には抵抗を感じなければならないことだからだ。

 思い悩むと言う点では紘和は確かに節があった。しかし、結果としてやってしまっている。初めて人を殺したであろうあの駅での攻防でも殺すということにためらいなどなかった。使命感に脅迫されるように鮮やかに殺し消していた。そして、今回は仲間を殺してここまでたどり着いたのである。自分のために感情を切り離して、もしくは押し殺して、否、今回は勢いに任せて殺せてしまい、そこにあるべき後悔がつきまとっていないのである。つまり、母親にあたる瞳すら手にかけてしまうことは現状、明白であった。どこが一線に当たるかと聞かれれば明確なものはない。しかし、ただの殺意ある殺人犯と紘和のような人間がいかに違うかは伺えるだろう。この殺す性能に関しては陸の予想を上回っていただけに保険に効果がないことを悟らされていた。

 だからこそ、陸は今後の逃げの算段にめんどくささを感じ始めているのだった。


「俺は匿ってもらう間の技術者であり、用心棒というわけではないのだが、その所どうなっているんだ、兼朝」


 どうやら陸が紘和を納得させるだけの言い分を述べる番が回ってきたようだ。しかし、陸にとって通過点でしかないこの場での出来事で陸を納得させるだけの何かを語ることなどできるわけもない。だから、全てを兼朝に丸投げする。

 言葉巧みに何かできるとしたら間違いなくこの場で適任なのは兼朝なのだから。


「どうだい、紘和さん。理解は出来ましたかね?」


 兼朝が一歩前に出るのに続くように瞳もその歩みを一歩前進させる。兼朝は予想に反してあっさりと紘和に応答を求める。

 それは、陸に逃げたければ尻尾を巻いてみろと言われてる様な気分になるほど、流されたと陸に感じさせるものであると同時に一つ貸しにすると勝手に話を進められている様な気分でもあった。


「要するに俺の邪魔なんだろう? そんなにたくさんいらないんだよ、俺の敵は」


 紘和が【最果ての無剣】を展開しているのがわかる。密閉された地下空間で微妙に違和感のある空気の流れがその証拠である。だからだろう、死に疎くなってしまった陸以外の二人からは警戒心というものが見ただけでわかるほど身体に出ていた。一樹の懐刀である智は別件で他の場所で待機しているだけに、兼朝と瞳の正確な力量を知らない陸は一抹の不安を覚える。何せ、紘和は全力で襲ってくる。武器の性能で埋まらない力を紘和が持ち合わせているのはここまで来たことで確実である。だからこそ恐怖に怯える彼女は、一瞬でも気を引くだけなら十分だろう。とはいえ、一瞬だろう。

 何せ、紘和は何度も言うとおり、自分の意志で感情を無視して正義を優先した上で人を殺せるのだから。


「では、始めよう」


 再び、紘和は手にしたマカブインとグンフィエズルを己に刺し込む。


「正義を示す戦いを」


 重なる言葉とともに、紘和と瞳、そして兼朝が動き出すのを尻目に陸は逃げる準備を始めるのだった。


◇◆◇◆


 仲間だけではなく、今度は母親ですら手にかける戦いが母親の望みの一つとして友香の目の前で始まってしまった。友香は憎むべき相手がいるにも関わらず、紘和を止めたいという使命感にも似た感情があるにも関わらず、結局恐怖で前へ進めないという事実に心痛めていた。悲しい戦いを仲裁しに行けないのだ。死ぬのが怖いという意味では共通しているが、仲裁に言っても全く歯が立たないで死ぬ可能性があるのと同様に、待機命令を破ればそんな友香にすら牙をむく可能性のある紘和にもやはり恐怖して、援護すら出来ないでいたのだ。

 だから友香には戦いを見ることしか出来ない。しかし、ここ数戦を目撃していた友香だからこそわかることがあった。それは紘和を相手に瞳と兼朝が善戦しているということである。圧倒的な力量と【最果ての無剣】という力の前に為す術なく死んでいった刹那と達也の二人の戦いを考えると瞳と兼朝は連携を取ることによって渡り合っていたのだ。もちろん、個々の力も死んでいった二人に比べれば強いのだろう。なにせ、日本の剣としての階級は発言力の序列でしかなく、力量の評価ではないのだから。日本の剣で一樹の次に年長な兼朝に、誰がなんと言おうと天堂の血を引き継いだ瞳である。その武に対する実戦の経験を紘和以上に積んでいても日本の剣に名を連ねるだけの才能を持っていてもなんら不思議ではない。しかし、そんな二人が何の合図もなく連携を取るという行為を選択していたのだ。今までの二人のように己の力に過信し個別に対処するわけではなく、二人で確実に勝とうとしているのである。だが、友香からみてもその連携は所謂コンビネーションのとれたものというわけではないことがわかる。瞳と兼朝が、特に兼朝が互いの不足を補うように攻撃を加え、回避していたのだ。だからなのかはわからないが、連携は取れていても意思の疎通が行われているわけではないその攻撃には規則性というものが存在しない。臨機応変にお互いの戦闘への才能が偶発的に織りなす攻防の嵐なのだ。故に紘和の動きが今までと違い鈍いように感じられた。

 紘和は現在二人いる。友香はもちろん知らないが二人の紘和は決してすべてを共有した存在ではない。一時的に分裂を解除する意思決定権を持つほうが主導権を握っていること以外は個々に分裂しているだけであり、分裂するまでの思考を共有していてもその後の視界や思考は共有できていないのだ。だが、戻った際にその経験を共有することはできる。つまるところ、連携というものが完璧にこなせるかと問われればその答えは練習していなければノーである。もちろん、元が本人であるためにある程度の傾向、このタイミングで【最果ての無剣】を召喚するだろうといったことならば両者判断することは出来る。しかし、自分をフォローするためにどう動けばいいのかなどといった調整はほとんど初めてということになる。そう、本来個の力は多勢に対して無力で本来その言葉の通り各個撃破を目的とした技なのである。故に、センスと技量のみが今の拮抗を作り出している。

 もちろん、兼朝はこのことを理解していた。瞳が知っているかは定かではないが、兼朝は日本の剣でもっとも長い間一樹に仕えていたからこそ、この分裂する技の特徴を知っていた。故に、瞳を中心とした無理矢理な連携を組むことで紘和の不慣れをついたのだ。一樹曰く、自分と全く同じ人間と共闘するとか、わかりすぎてやりづらいということだった。わかる故の無駄が生じるのだと。わかりやすく言えば、あるタイミングで【最果ての無剣】を召喚しようとすれば、同じタイミングで同じ場所に二人が召喚しようとしてしまうのである。そして強者であるが故、己の力でなんとかなるからこそ、その行動は連鎖していく。フォローしてもらうという感覚、フォローしようという感覚が本来彼らにはないのだ。それは強大な力を持つがゆえに経験することが難しいことなのである。

 一方で瞳は普段ではありえないぐらい乱れた紘和のすきを丁寧に丁寧に崩していく。【最果ての無剣】が召喚されていくポイントを的確に弾きながら、紘和の攻撃を受け流す兼朝のサポートを受けながら前へ前へと突き進んでいく。無色透明な剣を出してくるだけで遺物などの力をマカブインとグンフィエズル以外使用してこないというナメた行動につけ込むようにその剣撃の速さを瞳は増していく。初めて使う場合、距離感すら掴みづらそうな無色透明な【最果ての無剣】の模造品をいとも容易く両手で振り回しながら、忌々しい二つの顔を切り裂こうと、休むことなく美しく動作をつなげていく。

 そんな瞳の攻撃を兼朝はフラガラッハをもってさらに加速させる。【最果ての無剣】の出現場所を自ら予測できるからこそ、フラガラッハがその解答をより最適化させる。そして分裂の欠点と言っていいのかわからない欠点を的確に誘発できるように攻撃を差し込みどちらかの紘和の行動を抑制、否辛うじて半手だけ遅らせる。その半手遅れた片割れの行動分だけ優勢を生むチャンスとなる。それを何十回に一回の剣撃の中で作り出し、繰り返す。【最果ての無剣】の異能になぜが制限を設けてを全力で扱っていない紘和に勝つためにはまさに今しかないのだから。


◇◆◇◆


 紘和の中では苛立ちが募っていた。純のまったく理解のできない【最果ての無剣】の制約を律儀に守っている自分にもそうだが、無色透明な刃物は置いといて、使い手が優秀だとここまで性能を伸ばすことが出来る模造品としてのフラガラッハと日本の剣としての兼朝がとにかく紘和の自由を僅かに、しかし確実に縛ってきていることにだ。しかも、瞳の方も兼朝の意図に徐々に気づいているのかこちらの僅かに遅れた反応に付け入るように着実に反応してきている。自分より確実に下であっても日本の剣に選ばれた天堂家の人間だということに、同じ血が通っているということに、さらに苛立ちを覚える。どうして同じ血が通っているのにこうまで考えがこじれてしまうのかと。

 敵でなければどれほど心強かったものかと。


「流石だ」


 ポツリと紘和は己の道を阻む二人へ賞賛の言葉を口にすることで苛立ちを発散しようとする。瞳は相も変わらず、喜々とした表情で紘和の命を狙う攻撃をやめようとはしない。しかし、兼朝はその言葉に目を細くした。戦闘の中で相手を賞賛するという行為に、兼朝は紘和が次なるステージへ自身を上がらせることを察知したのだ。攻撃の技に関してはこれ以上、紘和が向上することは恐らくない。正確には、紘和が【最果ての無剣】の力を熟知したという報告を聞いていないからである。つまり、多数の能力の発動を実行するものと考えられる。捌ききれるか、という迷いが生じつつも身体は先手必勝を信じ、押し切ろうとする。そう、押し切ろうと身体が反応できるほど、選択するべき最適解が突然減ったのだ。それは紘和の手にしているであろう【最果ての無剣】と触れてわかった。受け流すことの出来ない、重い受け止めからの弾き。キン、キンとリズミカルに続いていた剣の交差が、止まってしまったのだ。

 兼朝同様に瞳も動きを鈍くしている。


「だけど、お前たちは俺の敵なんだ」


 紘和は自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 そして、一人に戻っていた。


「図に乗るなよ」


 紘和の手数が減った。一人より二人の方が手数が多くなるのは当然のことである。つまり、一人に戻れば減るのが道理であり、その通りだった。しかし、一撃における攻撃力の密度が倍以上となって瞳と兼朝の攻撃を弾いてきた。それでも二人が善戦しているのは未だに【最果ての無剣】を召喚しかしていないからだろう。しかし、つくべき弱点を消し、数から個の強さへと切り替えた紘和は確かに兼朝が予期していた好機が後退することへと繋がってしまったのだ。このままでは二人とも無事ではすまない、というのが兼朝の見解だった。結局、恵まれた力を所持した紘和には一歩及ばないのか、そう思わされるのだった。


◇◆◇◆


 陸はことの成り行きを用意させておいた保険と共に身を潜めながら眺めていた。逃亡を図らないからこそ、こうして未だに陸は紘和から手を出されていない。だから、この保険が足止めになるはずだった。しかし、仮にもここまで一緒に研究をしてきた連中だと思うと、貸しを作る形で瞳と兼朝が逃げるチャンスもしっかり作り、一緒に体制を立て直すのも悪くないと考えていた。なにせ、二人がかりであるが紘和と渡り合い続けているのだ。今後何らかの形で再び手を借りるとしたら貴重な戦力と捉えられるのは間違いないだろう。そして、救うだけの余裕が陸にはあった。不老にして不死。最悪、相手の血さえ飲めればこの場で紘和を戦闘不能にすることだって容易いのだ。

 【環状の手負蛇】という忌々しい力があるからこその芸当と余裕がるということに少し憤りを感じつつ、陸は舞台に上がる。


「おい、紘和。今すぐ、その手を止めないとお前の大切な人が死ぬぞ?」


 キーンという金属音を最後に三人はそれぞれ距離を空けて声の主の方向に目をやる。三人の視線の交点に陸はいた。そして、紘和の目に飛び込んできたのは手足を縛られ、口をきつく縛られた千絵の姿だった。千絵も恐怖からなのか目に涙を貯めながら、人質という立場に利用されたことを申し訳なさそうに、それでいて助けて求めるように顔を動かす。紘和も突然のことに目を大きく見開く。

 しかし、即座にその足を陸の方へと向け走り出す。


「動くなと言ったのが、聞こえなかったのか?」


 ここまで全くの予想通り。しかし、逃げるという選択肢はなかったのか、兼朝と瞳は千絵を狙うように陸の斜め後ろからそれぞれ走り出していた。千絵を盾に紘和を狙えば殺せずとも手負いに出来るという参段なのだろう。そう考えると陸からすれば甘いと感じられた。逃げるチャンスを無駄にする行為である以上に、紘和の正義への執着への理解が足りないと。だから、迷っているのかは分からないが、切り捨てようと走ってくる紘和に対して陸は千絵をぽんと前に突き出す。

 陸は紘和ならば、自分の正義の邪魔になる懸念材料を真っ先に殺しに来ると信じて。そして、その後の怒り狂ったような理性を失った瞬間にこの施設を爆発させて逃げてしまおうと。残念なことがあるとすれば、紘和の殺しに来るスキに瞳と兼朝が逃げ出すという選択をしなかったことだ。お陰で陸はより余裕を持って退散できるのだが。そして紘和がワンテンポ早い段階で千絵を斬り殺そうとした瞬間、陸はその二人の間に一人の少女の姿を目撃する。

どうしてお前が、と思うのと同時にそういう優しいやつだと思い、この機会を作る力を与えた存在に陸の姿をした化物は恨み、そして彼女の名前を叫んだ。


「友香!!」

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