第十三筆:形式張って面倒な剣

 友香の予想通り外観では高級感をあまり感じられないマンションの前で車が停まる。

 すると千絵はサングラスを外し、助手席のグローブボックスを開けてそこへ投げ入れる。


「さぁ、荷物は車の中に置いといて大丈夫だから付いてきて。ちょっとめんどくさいけど食事を楽しみながら我慢しましょう」


 千絵はそう言うと車を降りる。友香も借りたドレスの裾を踏んだり、ドアに挟んだりしないように気をつけながらゆっくりと車を降りた。

 すると一人の外国人のような見た目の老執事がこちらに近づいてくる。


「それではお車をお預かり致します」

「よろしく、サルマン」

「はい、千絵様」

「わかるんだけど、ムズムズするなぁ」


 千絵はサルマンと呼ばれた中年の男に車のキーを渡す。

 どうやら、呼称に関して何度もお願いしてはいるが、執事という職務上、名前に様をつけることに折れることはなかったのだろう。


「さっきのはサルマン。まぁ、マンション内の雑務をこなす執事の中の一人で一番歴が長いの。まぁ、いわば執事長みたいなものね」


 千絵は先程の人物の説明をしながら後ろから友香が付いてきているか確認する様に振り返る。そして一見するとただの引分け自動ドアに見えるもの前で停まる。

 一見すると、というのはガラスの向こう側が曇っていて外からは中が見えないようになっているのである。


「はい、マットの真ん中辺に立って。もう登録はされてるはずだから」


 何が登録されているかを友香はもちろん知らないが、千絵の言うとおりにマットの中央へと移動する。するとピピッという機械音と友に身体が軽く外側に引っ張られるのを感じる。答えは簡単で、それなりの速度で床の一部が動いているのだ。友香をちょうど半円で囲むぐらいの床が目の前の曇りガラスと共に回っていく。四分の一ほど動いたあたりで千絵が視界に入り手を振っているのが友香からも確認できた。どうやらこれはどこかで本人確認をすると動く回転ドアだったようだ。そして友香はマンションの中に入って驚く。

 外装からはまったく想像できなかった光景が広がっていたのだ。


「驚いた?」


 友香は後ろからポンと千絵に肩を叩かれる。


「はい。……別世界ですね」

「ここね、天堂家の資産で運営されてるのよ。だから警備も万全。だから関係者はもちろん、来賓にも対応できる施設にもなってるの」


 高級リゾートホテルの風格をイメージ、迎賓館を彷佛させるエントランスの設えや、その佇まいは、まさに友香が当初想像していた華やかさだった。別世界の言葉の通り、圧倒される友香は驚きに満ち満ちていた。

 それは目を輝かせながら顔を上下左右に自然と振ることから、誰の目から見ても容易だった。


「今日の主賓の到着のようだ。久しぶり、お嬢さん」


 陽気な声は突然、友香の背後から聞こえてきた。浮かれていたから気づかなかったのか、それとも浮かれていなくても気づくことはできなかったのかはわからないが、今、友香は頭に手をのせられ、耳元で見知らぬ誰かに囁かれている状況だった。しかも相手は友香が知らないのに対して、知っているようだった。

 パッと振り返ると右手で顎をこすりながらニヤニヤしている無精髭を生やした風来坊の様なエロオヤジ臭さのある男の顔がそこにあった。


「中之郷さん、セクハラです。驚いてますよ、桜峰さんが」


 次に正面から友香にとっても聞き覚えのある声がする。


「いいじゃんか、ヒロ。堅いこと言うなって。軽いスキンシップだよ、スキンシップ」


 そう言って男は両手を自身の胸の前まで持ってくると、小さく左右に小刻みに振りながら悪意はないと意思表示しつつ、ひょいっと友香の前に躍り出る。

 そして聞き覚えのある声がその男の隣へ来る。


「お待ちしてました、桜峰さん。こちらの失礼な男が、中之郷智さん。実は二ヶ月ぐらい前に顔だけは合わせているのですが、覚えていませんか?」


 智を紹介する紘和の二ヶ月前というワードに、自分が記憶を無くしている時に出会った人だと察しがつく。実際に紘和が軽く左目でウィンクしてくる辺り、友香と智が出会っているのは本当のことなのだろう。それと同時に一部記憶を喪失していることはあまり周知されていないこともここでわかった。

 そういった意図があってのことかはわからないが、今は紘和の意を汲むことにした。


「あ、あの時の」


 友香は覚えてもいない智に会ったことを今思い出した様にとっさに嘘をついたのだ。


「おぉ、覚えててくれた? 嬉しいねぇ。あの時はあんな現場でごめんね」

「い、いえ。お構いなく」


 記憶にない現場ではあるが、当たり障りない返事で切り抜けようとする。

 内心バレないか鼓動を早くしながら心配しているだけに、顔に出てしまうのだけは避けないとと気を引き締める友香。


「それにしても二ヶ月前にあったお嬢さんとは思えないぐらいキレイで可愛いねぇ。元がいいからなのかな」

「い、いえ。ありがとうございます」


 お世辞であったとしても人前で褒められると流石に恥ずかしいものがあり、自分の中の鼓動の加速が違う方向性に変わったのを実感する。しかし、少し前の友香だったらそのまま恥ずかしさのあまり、お礼を言う前に自分を卑下していただろう。これは千絵に言われたことを直前に思い出せていたからできた対応だ。結果として心象は良いものとなったのだろう。

 もちろん、そんな余裕は目の前の智の人柄の良さ故に引き出されたのは間違いなかった。


「智さん、独身だからって友香ちゃんに手、出さないでくださいよ」


 千絵が友香の後ろから肩に手を乗せ疑いの眼差しでジトーと睨みながら言う。


「おぉ、怖い、怖い。大丈夫だよ。俺はヒロの彼女にもお嬢さんにも手を出さないよ」


 智が投げキッスのような仕草をしながら決めたぜというドヤ顔を友香と千絵に見せつける。そんな中、友香と千絵は自然と同時に右手をゆっくりと上げるとそのまま人差し指を前に突き出すようなジェスチャーをしてみせる。智も随分と真顔でそのジェスチャーをする意図を察したのだろう。ゆっくりと指された方向に首だけを捻る。

 そこには笑顔の紘和がいた。


「中之郷さん。緊張感を和らげてくれるのはとてもありがたいのですが、冗談にも言っていいもの悪いものがあるんですよ」


 笑顔が怖いとはまさにこのことだった。

 智は下をぺろりと出す。


「それじゃ、今日は楽しんでいってくれな、お嬢さん。いろいろ聞かれて疲れるだろうけど」


 ポンポンと友香の頭を二回軽く叩くと智はそのまま背を向け、紘和の横をそそくさと通り過ぎその場を去っていった。


「悪い人では、ないんですけどね」


 紘和はそんな智の後姿に苦笑した。


◇◆◇◆


「紘和」


 そう言って先程まで友香の傍らにいた千絵が紘和の腰元辺りに飛びついた。人の目を気にしない大胆な行動だった。幸いにも、すでに会場に皆行っているのかその人目は友香しかいない状況ではあったのだが。

 紘和も千絵を受け止めるとその場で軽く一回転して勢いを殺しながら、ゆっくりと千絵の足を床につけさせた。


「久しぶり、千絵。それと、桜峰さんをありがとう」


 そう言った紘和は自然と千絵の前髪をかき揚げ、額に口を軽く付けた。見ているこっちが恥ずかしくなる光景に友香は思わず両手で口をふさぐ。そして、同時にトキメイてもいた。こんなにも当たり前に幸せそうに出来て羨ましいなと。

 友香は優紀と約一年、陸の紹介で出会い付き合っていた。お互いが一目惚れだったのだろう。出会って数日で友香は優紀からの告白を受け入れていた。最初の頃は何を話したらいいか戸惑うことも多かったが、徐々にお互いのことを話したり、何気ない世間話だけでも会話が続くようになっていった。そいて付き合って半年も経てば、人目さえなければお互い手を繋ぐようにすらなっていた。逆を言えば、人目があればプラトニックな恋をしていたことになる。

 しかし、目の前の紘和と千絵を見ていると当時中学生であったとは言え、優紀とキスもしたことがないと思うと、プラトニックな恋しかできなかったことに寂しさを感じた。だからこそ、友香は思うのだ。今度あったらあんなふうに大胆に抱きついてからキスでもせがんでみようかと。そんな事を考えてしまうほど、紘和と千絵からは幸せさを感じられるのだった。

 そんな紘和の胸の中で幸せそうに顔をくっつけて埋もれている千絵をポンポンと優しく紘和が叩く。


「ほら、桜峰さんが見てるから」


 ハッと我に返ったように目を見開いて、紘和から離れる千絵。


「ごめんなさい、つい」


 ヒマツブシへ向かう道中で紘和への愚痴を散々こぼしていた人間にはとても思えない可愛さがそこには確かにあった。


「改めまして桜峰さん。ようこそ、私たちはあなたを歓迎しますよ」


◇◆◇◆


 紘和の後ろを付いていき会場へ向かう友香。

 そして紘和は大きな扉の前で立ち止まると、後ろを振り返り、念を押すように口を開いた。


「では、先程話した通り、今日いらしている方の中には日本の剣の方々もいます。二ヶ月前にお会いしているので、その辺は気をつけて立ち回ってください。みなさん、明日もありますので一時間もすればお開きになると思います。本来は意見交換を目的とした会食なのですが、どうも桜峰さんをひと目見たいと思う方々が多かったようで、歓迎会を兼ねてしまいお手を煩わせます」


 千絵は紘和が友香と二人きりで話したいことがあるということで先に会場に向かっていた。そして、紘和は友香が神格呪者であること、一部の記憶を無くしていることを周囲に、特に日本の剣に知られてはいけないと話す。何故知られてはいけないのかと友香が聞くと紘和はそうしないと軍事利用でもされて自由が効かなくなり、せっかく手に入れた時間を有効に活用できなくなると答えた。理由としては理にかなったものであり、言い回しからも人体実験を始めとしたマイナスイメージの大きいもの想像してしまい、ここは素直に従おうと決める。何より、優紀捜索と関係ないことに長時間拘束されるというのが、友香にとって何よりも避けたかった。

 日本の剣、一樹が八角柱の七つの大罪として迎え入れられたのを機に立ち上げた剣士としての階級と七つの大罪を当てはめた七人の一樹が選抜した人材で出来た組織。空席を徐々に埋めていくような形で、紘和が最強を引き継ぐのと同時に完成した。つまり、日本の剣は発足したはいいが、完成したのはつい最近ということになる。


 剣神にして傲慢な天堂一樹。

 剣帝にして暴食な野呂兼朝。

 剣将にして色欲な浅葱刹那。

 剣王にして怠惰な中之郷智。

 剣聖にして嫉妬な天堂瞳。

 剣鬼にして憤怒な今久留主達也。

 剣豪にして強欲な天堂紘和。


 七人はそれぞれが内部で実力差があるにしろ、剣士として最低限腕の立つことが一樹により保証されている人間である。ちなみに七人中三人が天堂家の人間であることは、一人を覗き、そもそも遺伝子レベルで強みを持っている、所謂血筋というものであった。そして、今回のパーティーには一樹と瞳を除く五人が出席している。そしてそれぞれの人間の外見的特徴や性格を紘和から記憶の補完として教えられて先の会場前の会話に至る。

 友香が頷くのを確認した紘和は、ギィィと重たい両開きの扉を開ける。これから友香は国の重要機密を耳に入れる代わりに、値踏みされるのだ。扉から徐々に差し込む光は友香にとってスポットライトのようにとても眩しく感じた。


◇◆◇◆


 紘和に続いて入った多目的ホールは中心に大きなシャンデリアを吊るし、まるで結婚式を彷彿とさせる白い布のかかった丸テーブルがいくつも置かれ、左右には見たこともない高級そうな料理がズラリと並んでいた。人の座ったテーブルからは蝋翼物の名前や八角柱に関わる国や人の名前が飛び交っているのがわかった。紘和がどんどん前へ行くのに友香は取り敢えず付いていくのがやっとなほど場の空気に飲まれていた。そして、友香が通り過ぎた後ろからは、あれが新顔か、随分と若いといったひそひそ話が広がっていく。友香が緊張感を増していく一方で、そのまま奥の壇上に上がる紘和。そこでうろたえて足を止めかけている友香に気づいた紘和は笑顔で手を差し伸べてきた。友香はその手をすがるように掴む。

 緊張からかズシリとまるでコンクリートブロックを掴むような感覚を紘和の腕から感じ、グイッと引き上げられる。


「みなさま、お忙しい中出席していただき、いつもありがとうございます。有意義な時間をお過ごしになれられているでしょうか」


 壇上は光源がたくさん集まっているのか、はたまた緊張からなのか、友香は周囲がとても暑く感じていた。そして、そう感じれば感じるほど、気持ちが内側に向き、自分が客寄せパンダになっている様な気分になる。ここに来るまでのささやき声もあるだろう。注がれると感じる視線もだ。見つめている相手の顔はよくわからない。ましてや本当に視線を集めているのかも思い込みであるかもしれないと、何が何だかわからない。しかし、友香が紹介されているのは間違いない事実で、紘和の言葉に会場が静まり返っているのも事実だった。それはつまり、見られてはいることに繋がる。

 注目されることへの緊張は友香の中で徐々に大きくなっていく。友香のことを国の中枢に関わる人達がどう値踏みしているのか。もし、この会場で行われていることがただの会食だと、友香に合わせて行われたことだと知らなければ、ここまで先入観から考えて込んでしまいふさぎ込みたくなるような緊張はしなかっただろう。

 そしてそのストレスは確実に友香の身体へ負担をかけていた。


「そして、こちらが今日から新しく仲間に加わった桜峰友香さんで…す…」


 紘和を始め、周囲が軽くどよめき立っているのがわかる。その喧騒にハッと緊張から内側に集中していた意識が覚醒させられる。ぼんやりと耳に残っていた紘和の言葉から友香は今、自己紹介を自分の口で言わなければならない場面だと思い、横に立つ紘和を見る。すると、紘和の顔はこちらを向いていた。しかし、視線が合わない。

 友香はそれを催促だと受け取り、慌てて自己紹介を始める。


「ご紹介に預かりました、さ、桜峰友香です。暫くの間、お世話になります」


 それだけ言うと友香は思いっきり頭を下げる。するとしばらく間が空いた後、拍手がまばらに鳴りだし、やがてそれなりの音量になると徐々に止んでいくのだった。


◇◆◇◆


 友香が一瞬消えた。

 紘和は自分の認識の甘さを知った。陸は最初にこういった、無自覚でも死に瀕すると発動すると。その後、意識すれば存在を隠し、意識しなくても脅威から対象を外されるとも言っていた。だからこそ、無意識下で働く脅威の対象となる事が死ぬかもしれない現象に対してのみ発動する自己防衛措置だと考えていた。しかし、それは身体に過度なストレスがかかっても同様に自己防衛として働くのが【雨喜びの幻覚】だったのだ。つまり、こんなに重役が集まる中、友香がここに受け入れても大丈夫な人間であるのかと選定を受けているという風に事前に伝えたことは、覚悟をしようとする、友香がどういった立場なのか判断する材料にはなったが、それ故に考え過ぎ、緊張感を助長させる結果になったのだとわかった。自己紹介をしようとした矢先、紘和が認識していた空間から友香の姿が一切見えも感じなくなったのがその証拠であり、会場が不審がった証拠でもあった。

 これが一瞬の出来事として済んだならどれだけよかっただろうか。実際、ごく一部の人間を覗き、それは一瞬の出来事であったし、違和感を覚えたとしても気のせいだと思える程度のことだろう。何せ、人が消えるなんて普通はありえない話なのだから。ただ、今回はよりにもよって神格呪者という存在だけを知る日本の剣のメンバーが紘和を除いて四人もいた。三人いる神格呪者の内、一人が紘和や純と協力関係にあることを秘密にして、今後を優位に立ち回り続けるはずが、ここで違和感となり何かをキッカケに気づかれる可能性まで浮上したのである。

 少なくとも今起きた友香が消失するという現象に気づかない人間は日本の剣を名乗れていないはずなのだから。


「それではみなさん、ごゆっくりとお過ごしください」


 紘和は友香の紹介を締めくくり、壇上を降りていった。そして、感知できないという脅威を紘和は身に染み込ませるのだった。


◇◆◇◆


「緊張したでしょ。お疲れ様」


 紘和と共に壇上から降りてくる友香へ一番に歩み寄ってきてくれたのは千絵だった。友香は壇上から降りるというだけであらゆるものから解放されたような気分になる。

 加えて、千絵が側にいることもあるだろう、少しでも気の知れた相手がいるのは落ち着けるというものだった。


「随分、緊張していたみたいですが、大丈夫ですか?」

「は、はい。さっきはなんだか負のスパイラルっていうんですかね。何かしっかりしないとって意識してたらすごく緊張しちゃったんですけど、今はもうそうでもないです。大丈夫です」


 よほど心配していたのか少し焦りが見える顔をしていた紘和の顔は友香の元気そうな返事に少しだけ安心したような顔に変わった。


「それじゃ、ご飯一緒に取りに行くわよ。ここの料理はどれも一級品だから」


 千絵は友香を左手で押すとその場を後にする。チラッと紘和の方を向いたかと思えば軽くウィンクをして任せておいてといった感じの合図を送っていた。紘和も女性同士のほうが落ち着くのだろうと判断し、他の参加者に混じっていくのだった。

 ちなみにこの時点ですでに会場から日本の剣のメンバーである刹那と達也が退出していた。


◇◆◇◆


「どうも、友香さん。自己紹介お疲れ様でした。さぞ、疲れたでしょう。あっ、申し遅れました。テレビで見たことも、二ヶ月前にも実際にお会いしている野呂兼朝です」


 料理を皿に載せて千絵と二人、食事を楽しんでいた友香の元にその男はワイングラス片手にやってきた。


「は、はい。その節はどうも」


 出会ったことを覚えていないことが直結して出会ったことに等しい存在、つまり友香の目の前に現れた疲れた顔をした男は天堂家で会ったことのある日本の剣の一人であることを意味する。しかし、そんなことに関係なく友香はその男の顔を知っていた。剣帝にして暴食以上に知られた役職を持つ男。日本の現総理大臣である。

 元総理大臣である一樹からその地位を引き継いだのが兼朝だった。


「ご一緒してもよろしいですか?」

「はい」


 そして紘和が日本の剣としてもだが、それ以上に人として最も警戒して欲しいと念を押された一人だった。

 日本の剣に与えられた二つの称号はしっかりと意味を持つ。剣士としての称号は日本の剣における上下関係を、そして七つの大罪はその人間の性格を一樹なりに捻ったものになっているらしい。つまり、兼朝は日本の剣の中で副将にあたり、一樹の次に発言力があり、暴食であるということである。そしてこの暴食は決して大食いであることを示しているわけではない。兼朝は利用できるものは利用する、権力という権力を食いつぶす。そして一樹に対して最も厄介な行動を取る、まさに飼い主にすら平気で噛み付く食えない男だから暴食なのだという。事実、総理大臣に着任してそうそう一樹が総理大臣の時に作った法律をあっさりと軍事向きに改定していたらしい。

 どうしてそんな人間を一樹が腹心として迎え入れたのかと紘和は日本の剣に入った当初聞いたことがあるらしい。


「自分に都合の良い連中だけ配下にしたら面白くないだろう」


 実に一樹らしい、それでいて的を得た解答だったと紘和は言っていた。そんな人物が友香に近づいてきたのだ。そもそもそんな前情報がなくとも総理大臣と食事をすると思うだけで緊張してしまう友香だった。

 兼朝は席につくとグラスを傾け赤ワインを軽く口につける。


「どうですか、ここの料理は。お口に合いますか?」

「は、はい。とても美味しいです」


 どうしようといきなり最も危険と言われた兼朝との接触に紘和を目で探す友香。見つけた紘和は違う席で食事を楽しんでいるようだったが、たまにこちらの様子を見てはいてくれているようで視線をよこしてきていた。つまり、無意味に紘和が対処して疑われるのを避けたいということなのだろう。なにせ、紘和がほとんど勝手に千絵と同居させることを決めた、二十歳という若い大学生なのだから、なにかあると疑われるのはどうしようもない。しかも、友香が蝋翼物を知っている理由は友香が記憶を失っている期間中に【最果ての無剣】を偶然目撃したことで通されているのである。単純な嘘故に、疑われても仕方がないが、疑われたところで何とかなる。

 とは言え、助け舟が来ない以上、友香は一人でこの窮地を乗り切らねばならないということになる。


「しかし、偶然とは言え、蝋翼物のことを知って、こちらで勉強なさることになるとは、お若いのに大変でしょうに」

「い、いえ、そこまでは」


 早速、探りのように兼朝は友香に言葉を投げかけてくる。


「兼朝さん、怖い思いをした娘にそんなこと聞かないであげてください」


 今までとは異なった礼儀作法をわきまえたような上品な声が友香を援護するように聞こえてきた。

 それは友香の隣りに座る千絵のものだった。


「僕としたことが、コレは失礼しました」


 取り敢えず、友香は千絵のおかげで余計なお喋りをすることで嘘がバレてしまう可能性を回避することができた。恐らく、紘和から全てを聞かされているわけではないだろうから、人として自然とフォローしてくれたのだろう。そのことに心の中で感謝する。それと同時に千絵の声や態度の変化に友香は驚かされていた。活発で無礼講な千絵が今は物静かで誠実な女性という初対面とは真逆の印象を受ける存在に映っているのだ。

 一方で、話でしか、それも紘和から少し前に聞いた話でしか知らない兼朝の印象とは全く違い、確かに何を考えているのかはその疲れた表情からは分からないが、強引に押してくるわけでもないとわかり少しだけ安心する。紘和からの印象では取調室で審問のように容赦なく質問攻めをし、それこそあらゆる手を使って友香の素性を聞いてくると思っていた。

 やはり自分で直接話して判断する必要もあると思いつつ、隣の千絵の様に容易く自分を演じ分けられる可能性も考慮しなければと相反する考えを共存させるのだった。


「では、そうですね。ご家族のことなどは聞いてもよろしいですか?」


 兼朝は実に穏やかに質問を続けてきた。しかし、別に悪い気もしない。

 特に偽る必要もないことなので友香はしゃべろうとする。


「おっと、総理殿、その話題は俺も混ざりたいかな」


 そう言って、このテーブルに乱入してきたのはまたしても日本の剣の一人、智だった。エントランスで会った印象と紘和から聞いた人物像にはほとんど相違なく、のらりくらりとした日本の剣で四番目に発言権を持つ剣王にして怠惰な男。紘和が言うには怠惰が直接意味するような自堕落な人間ではないという。ただし、自分で決めるということをしない癖があり、また責任という言葉が苦手なところ以外はいい人なのが智らしい。

 紘和が日本の剣の中では一番気を許せる相手だとも言っていた。


「それは僕ではなく、友香さんに聞いてくださいよ、智さん」

「あっはっは、これは失礼しました。というわけでお話に混ぜてちょうだい、お嬢さん」

「智さん、あまり積極的すぎるのはよろしくありませんよ」

「あれ、ヒロの彼女さん、お出かけモード? それはそれで可愛いけどね」


 智の介入で場が和んでいくのがわかる。友香はそんな気の緩んだ中で自分の家族のことや昔の思い出をかいつまんで、優紀や陸のことは避けながらしゃべった。それはつかの間の休憩のような、友達同士でするよう気楽な、そしてご無沙汰していた笑顔の溢れる食事だった。ただし、紘和の智に対する鋭い視線を除けばの話ではあるのだが。


◇◆◇◆


 友香の家族や小中高の話、兼朝の家族の話、千絵ののろけ話など、楽しい時間は時間経過の感覚を忘れさせ、あれからあっという間に一時間を過ぎようとしていた。すると、酔いで少し顔を赤くした兼朝が智のナンパした話を無理やり締めくくるように両手を叩いた。

 そして、声を少しはってしゃべる。


「実に楽しい時間でしたよ。友香さんは僕と違って、実に素直で良い娘だ」


 その言葉を皮切りに会場の空気が和らぐのを感じる。どうやら、兼朝は自分が友香と会話をすることで他の人とのおしゃべりする時間を奪いつつ、この一言を言うことで総理大臣という立場から会食の終了を後押しし、友香がここで窮屈にならないようにに計らってくれたのだと理解できた。智はその緩衝材といったところなのだろう。

 兼朝の演技がかった口調にやれやれと智は首を振ってみせていた。


「こ、こちらこそ楽しかったです」


 友香は素直な感情を述べる。


「それはよかった。では、僕はそろそろお邪魔するよ。みなさんもあまり長居はしないように」


 そう言って席を立った兼朝は軽く手を振りながらゆっくりと出口へと歩いていった。すると、兼朝が出ていったのを合図に、他の人達もぞろぞろと会場を出ていき、席に座る人間はまばらになっていった。どうやら、みな兼朝より先に退出するのをためらっていた節もあったようだ。もちろん、友香の無害が良い娘という兼友の言葉によって宣言されたということも大きな要因ではあったのだろう。

 それは仲間として情報を共有したとしても特に問題がないと判断されてここに向かい入れられたわけである。


「あぁ、随分と減っちゃたな。まぁ、普段はもっと人の出入りが激しいっていうか、あんだけ大勢が居座った状態だったのがおかしかったんだろうけどな」


 智はビール瓶をひっくり返して瓶の口に右目を近づけ、ビールが切れたのを確認しながら普段の会食の様子を説明する。

 それは同時にどれだけ友香が注目されていたかを説明しているものだった。


「そうですねぇ。まぁ、いいんじゃないですか。そういう意味では一番情報交換がみなできたでしょうし」

「あれ、もう、お出かけモード終了? もっとみたかったなぁ」


 智の言うとおり、千絵はいかにも気を使って疲れたという顔でテーブルにつっぷす。そんな千絵を見てか、友香もどっと疲れが来るのを感じていた。楽しかったと言っても慣れない場とそれ以前に溜まった緊張からくる疲労が溢れたといったところだった。

 しかし、そんな雰囲気を微塵も感じさせない紘和が背筋を伸ばして智の背後に立っていた。


「中之郷さん、俺だって妬くんですよ」


 軽い怒気を放ちながら放つ言葉に智はすぐさま後ろを振り向き、やりすぎたという顔を露骨に表情に出す。


「いけ~、やっちゃえ紘和」


 千絵も気疲れを吹き飛ばしたいように紘和に突撃の命を出す。


「待て待て、お前の一撃は技術とかそういうの関係なくやばいんだから」


 笑顔で振り下ろされる紘和のゲンコツ。ズンッという音と共に智が両腕で必死に支えていた。

 それにしても拳を振り下ろしただけでこれほどの風圧を感じるものだろうかと髪をそれなりになびかせた友香は不思議に思いつつも静観を続ける。


「おい、俺が避けてたら大惨事だぞ。って重。ほら、もうギブギブ」

「避けたら備品が壊れるの、中之郷さんならわかっていると思いまして、ハハ」


 紘和の乾いた笑いという珍しいモノが拝める。


「悪かったっ……て」


 しかし、次の瞬間、フワッと紘和の身体が宙を舞う。智の手の動きが円を描くように紘和の振り下ろした腕を這った瞬間にだった。右腕を軸に腰が曲がり足が宙に持ち上げられ回転するように浮いたのだ。

 そして智は両手を離して脱兎の如く走り出す。


「それじゃぁ、お嬢さんたち」


 別れの挨拶だけを女性陣にだけ済ませる智の遠くへ消えていく背中を眺めていた友香はその後の紘和がどうなったのか気になり慌てて振り返る。

 しかし、紘和は音もなく着地していて何事もなかったかのように智の背中を見送っていた。


「私もこのまま失礼させてもらいます」

「……忙しのね」


 久しぶりにあったから少し構って欲しそうにダダを捏ねている様にも拗ねている様にも見える千絵。恐らく、千絵としても分かっているが、もっと二人でいる時間が欲しいという思いもあるのだろう。そんな千絵の気持ちに気づいてか、襟を正しながら紘和が千絵に近づいていく。

 そしてパッと両手を広げてそのまま優しく抱きしめる。


「いってくる」

「いってらっしゃい」


 紘和は千絵の機嫌を伺うような言葉を投げかけるようなことはなかった。それでもその包容は千絵の気持ちを満たすには十分すぎるということが溢れる笑みから見て取れた。紘和は多くを語らず満たし、千絵も最小限で満たされ紘和の邪魔をしないように立場を立たせる。年相応でない熟年感に、その姿に友香は焦がれるのだった。


◇◆◇◆


 多目的ホールを後にして千絵に付いていく友香。エレベーターで十九階まで上昇すると三十メートル間隔で配置された扉が並ぶ廊下に出る。個人の空間を尊重した結果できた規模の部屋が扉の先にはあるのだと千絵は言った。まさに友香の想像以上に豪華なマンションであるということになる。

 そして一九○五と扉に書かれた角部屋の前で千絵は足を止める。


「ここが私と、友香ちゃんの部屋よ」


 そう言うと合鍵を渡してくる千絵。友香はそれを受け取る。千絵は友香が受け取ったのを見ると扉の前から横にズレて友香に鍵を開けるように催促する。恐縮しつつも友香は一歩前へ進むと鍵穴に鍵を差し込んで捻る。ガチャッという音を確認してドアノブを捻る。外観とは裏腹に部屋の内装はまさにホテルだった。友香にとっては実際に泊まったことがないので正確なところは分からないが、所謂スイートルームというやつぐらいの豪華さなのだろうと思うことにする。

 三LDKを超えるぐらいの部屋に、大型の薄型テレビ、キングサイズのベッド、台所にシャワールームとバスルーム、どれをとっても難しい言葉を知らない友香にとっては高級な物が一式揃った部屋という簡単な表現しかできないほどだった。


「やっと面倒から解放。情報交換はいいことなのかもしれないけどやっぱりみんなでなんてめんどくさいわよね。友香ちゃんもお疲れ様。冷蔵庫の中は全部自由に使ってくれてかまわないわ。食事は一階の食堂を使ってもいいし、電話でルームサービス感覚で持ってこさせてもいいわよ。もちろん、自炊しても構わないから。私もするし」


 食事の説明をしながら再び玄関へと向かう千絵。

 そしてドアを開けるとそこには呼び鈴を鳴らそうとしていたサルマンが荷物を持って立っていた。


「おや、お手を煩わせてしまい申し訳ありません。お荷物をお持ちしました、千絵様」

「ありがとう、サルマン。友香ちゃん、自分の持っていって」

「は、はい」


 友香はすぐに自分のキャリーバッグを持ってリビングまで戻って行く。

 車の鍵を受け取り、戸締まりを済ました千絵もすぐに戻ってくる。


「荷物はそこのクローゼットを自分のだと思って使ってくれればいいから。ベッドはそれしかないから一緒に寝ましょうね」


 必要な説明をし終えるとドレスを脱ぎ、下着姿で友香の前に立つ千絵。


「ほら、入るわよ」


 何にとは流石に聞くほど状況がわからないわけでもなかった。誰かと一緒に風呂に入るなど小学校低学年以来であった友香はなんだかんだで初対面で間もないということから気恥ずかしさがあり、了承をしかねていた。しかし、友香の返事を聞く前に千絵は首根っこを捕みバスルームへ引っ張らっていく。ドレスがどうとか考える間もなく長座体前屈を始める姿勢で拒否権などなく友香は引きずられていくのだった。


◇◆◇◆


 広かった。少なくとも実家の浴槽よりも広く、友香と千絵が二人で入っても窮屈さを感じさせない程度の広さが確保されていた。


「服の上から見るよりも意外とあるのね、友香ちゃん」


 褒められているのだろうが。どう見ても友香にとってそれは嫌味に捉えられても仕方のない胸を、大きさを千絵は持っていた。

 友香は体育座りしながら顔を半分湯船に浸からせながらブクブクと口から息を吐き続けながら千絵の胸をジトーっと見つめる。


「羨ましい?」

「そこで恥ずかしげもなく羨ましいって聞き返せるのが羨ましいです」

「私だってある方かって言われれば普通の人より少しってだけだし、ちょうどいいのがちょうどいいと思うわよ」


 ムギュッと千絵が友香の胸を鷲掴んでくる。

 そのまま千絵はこねくり回そうとするが友香が手を振り払いながら素早く立ち上がり、それを回避する。


「女の子同士だし、いいじゃない。減るもんじゃないしむしろ揉まれたほうが増えるって言わない?」

「いや、それでも嫌ですよ。こう、なんかエッチじゃないですか」


 友香の初な反応に駆り立てられる欲情が、高揚感が千絵にはあったのか、この後も激しい女の戦いが繰り広げたのは言うまでもない。


◇◆◇◆


 友香の昨日の記憶は風呂上がりに千絵と二人でワインを飲んだところで途切れている。友香はそもそもお酒に強い方ではないため、パーティーで満足に飲めなかった千絵の勢いについていけなかったのだ。そのせいでいつもより多く飲んでしまい、少し頭が痛い。

 しかし、問題はそこではない。


「ん?」


 すでに開け放たれているカーテンからさす朝日の眩しさで目を覚ました友香の目の前には一緒に寝ていた千絵がいた。酔いがすごかったのかバスローブは乱れ、着ているというよりは敷いている様な状態だった。バスローブの下には当然何もつけておらずその姿は無防備にさらされていることになる。

 もちろん問題はここでもない。


「ん?」


 取り敢えず、時間を確認するとまだ七時前。千絵の職場までにかかる通勤時間は分からないが、社宅である以上近場にあるはずなのでそこまで問題はないだろうと推察しつつも朝の身支度を考えるなら少し遅い時間かなと思う友香。そして、上着のボタンがいくつか外れて実は千絵同様に少しだけ乱れている友香は、上半身を眠気と酔いによる疲れが残ってだるく感じる身体に鞭打ってやっとの勢いで起き上がらせる。

 すると、問題が口を開く。


「おはようございます、桜峰さん」


 もちろん、この朝の挨拶には何一つ問題がない。そして、千絵の彼氏がこの部屋にいたとしても、合鍵を持っていたとしても、何ら不思議な事はない。

 しかし、友香にとってこの無防備な姿を見られるのは女性として問題だったのだ。


「おはようございま……す」


 一瞬で大きく息を吸い込んで大声で悲鳴を上げそうになるのを驚きだけで済ませる。そして、素早く上着を寄せるように腕をクロスさせて肩を掴み、友香ははだけた部分を隠した。

 同時にこれが夢現の世界ではなく現実なのだと理解し意識が覚醒していくのがわかった。


「どうして……紘和さんが?」


 いつからいたのだろうか。女性二人のほうが安全で健全だと言っていたからこそ友香も安心していたのに、これでは油断も出来ずに問題があるという話である。紘和は千絵の枕元に腰掛けて昨日の埋め合わせをするように頭を優しくゆっくりと繰り返し撫でていた。

 そして、愛おしそうに見つめていた。


「早速ですが、今日から私の秘書見習いとして頑張ってもらうのでお迎えに上がりました」


 どこまでも優しい笑みで紘和は悪びれる素振りなく、否、友香のそういうのには興味が一切ないのがわかる様で、友香に仕事を持ってきた話をするのだった。


◇◆◇◆


 朝食を三人で過ごして、慌ただしく出勤していく千絵と別れ、友香は今、紘和の運転する車の助手席に座っていた。ペーパーではあるが免許を持っていた友香は秘書見習いならば運転をしようと名乗りを上げたが、紘和にかまわないと言われてしまった。

 どうやら、紘和は車を運転するのが好きらしい。


「さて、これからは私の秘書見習いとして毎日朝八時までには、マンションの外で待っていてもらいたいと思います。そして今日は、視察の名目で国の施設を私と一緒にいくつか見ていくことになります」


 車内で紘和は今後の予定を説明する。


「名目というのは言葉の意味する通り、実際は君の力を使って施設を詮索するのが目的です。桜峰さんの【雨喜びの幻覚】で監視の対象から外れて行動する。桜峰さん自身を除いても一人巻き込むことが出来るんですよね」

「はい」


 友香の返事を聞いて紘和はバックミラーで自分の姿が自分からも視認できないことを確認する。そして車の窓を小突くことで実態はあることを更に確認する。決して存在が消えたわけではなく、対象から外れる。だからその場にいるのに見えない。

 魂だけの存在になったような感覚。


「もう大丈夫です」

「はい」


 無人の車が動いているとなっては大騒ぎになるで紘和はすぐに解除を要求した。バックミラーには紘和が映っていた。他にも向かってくる攻撃の対象から外れるといったこともできるわけだから改めて紘和は能力の恐ろしさを感じる。

 そして、純が言っていた通り、何故このような能力を持った人間が少なくとも三人存在しているのか、不思議な点でもあった。


「では、私の合図で私や桜峰さんの存在を監視の対象から外していただくとします。それからは各自で九十九と菅原さんの痕跡を探します。よろしいですか?」

「わかりました」


 紘和は一通りの今後の説明を終える。すると特にしゃべることがなくなり、友香にとって少し居心地の悪い静寂が訪れた。

 そこで、意を決して気になっていたことを聞くことにした。


「その、どうして、国の施設を私の力を使って調べるのでしょうか。それこそ、天堂家の力でしたら自力でも簡単なのではないですか?」


 ごもっともな質問だった。

 国のトップが係る案件を国のトップの関係者がわざわざ調べているのである。


「そういえば、お気づきになられていましたか?」

「な、何にですか」


 友香にとっては脈絡を感じさせない会話。はぐらかされるのだろうかと感じる。

 紘和にとっては昨夜のパーティーで消えたことが友香の無意識であったことを確認する会話。


「昨日、桜峰さんは一瞬、壇上の上で消えていました」

「え?」


 無自覚であったために驚く友香。


「やはり、気づいていなかったみたいですね。九十九の話では【雨喜びの幻覚】は無意識下でも能力者の、この場合ですと桜峰さんの存在を危険という対象から外すようなのです。恐らく、経験したことのないプレッシャーや緊張感が桜峰さんの精神的なキャパを超えた結果、先日の様なことに無自覚でなったのだと思います」


 自分の知らないところで自分が消えてしまうという恐怖に少しばかり小中学生のトラウマが脳裏をよぎる。もしかするとそれも【雨喜びの幻覚】の影響だったのかと考えることもできるが、今ではその事実確認はしようもない。

 そして、昨日の紘和の向けた視線を合わせない顔が友香の能力の暴走まではいかずとも不用意な使用による驚きだったのだと理解した。


「ごめんなさい」

「もちろん、謝っていただいてかまいません。日本の剣が私の他に四人もいる中で力を見せるということはバレていてもおかしくない状況です。彼らは神格呪者という存在を知っているのはもちろんですがそれ以上に実力というものがありますから」


 とっさに謝罪の言葉を口にしたものの紘和が眉間にシワを寄せながら、友香を珍しく責める。


「ごめんなさい」


 友香のメンタルや危機管理に関係するものだとしても無意識に作用してしまうならどうしようもない話だが、友香にはただただ頭を下げつつ謝ることしかできなかった。


「実に面倒なことになったはずでした」


 紘和はそこで意味ありげに言いながら友香の俯いた頭に手をのせた。


「しかし、ここで一つの可能性が出てきました」


 顔をあげる友香。


「ここからが桜峰さんの質問に対する解答です」


 紘和は正面を向きながら言葉を続ける。


「私と純は神格呪者である桜峰さんの安全を守りつつ、九十九という脅威を取り除き、菅原さんを保護することを目的に行動しています。そして、純が今どうしているかは以前説明した通りなのですが、私の捜索網には以前と引っかかってこないのが現状です。そこで私は桜峰さんが来られるならば、【雨喜びの幻覚】を利用してもう少し身辺を調べることを考えていました」


 友香は静かに聞き続ける。


「九十九に廃工場で言われました。何も知らないのか? と問うには俺を知る人間は少ない。だとすれば……何も教えてもらえていないのか、天堂の? とね。まっさきに思い浮かんだ顔は奇人、いや純でしたが、冷静に考えてみると、一樹、つまり私の祖父だったのではないかと思えたわけです」


 友香も紘和が身辺調査をしようと思い当たった経緯を理解し始める。


「そして、考えていた、と言った通り、昨日のあの時までは一応といった気分でしたが、桜峰さんが消えたことでやる価値のあることだと判断しました」

「えっと」


 それがどう繋がるのかいまいちピンとこないと友香は考えるように口から言葉を漏らす。


「日本の剣があの現象を目にして、誰一人として桜峰さんに追求するわけでも、私にも接触がこれと言ってないのです。つまり」


 歯を食いしばる紘和。


「めんどうなことに、私に隠して何かしている可能性があるということです。少なくとも【雨喜びの幻覚】を知っている人間が混じっている可能性が大いにあります。そこから考えられるのは合成人を生み出した神格呪者を知った上で他の神格呪者の存在を視野に入れた状況で何かが動いてる可能性があるということです。そうでなければ私に秘匿する理由がありません」


 紘和の口調からなんとなく推察を理解する。要するに自分だけが知らなかった現状がおかしい故に紘和に対して後ろめたく思うことをやっている可能性があるということだ。なかなかの暴論にも聞こえるが、そこからさらに【雨喜びの幻覚】の手の内が知られている可能性があると示唆したわけである。それは友香ないし陸が誰かの手に簡単に渡り、合成人の様な実験に加担させられることも充分にあるということで、その包囲網を抜けるには、邪魔されずに優紀を探すには先手先手で動く必要があるということである。そして、そんな中を今から紘和と友香は優紀と陸を探しに行くのだ。何が待ち受けているかはわからない。

 しかし、危険なことになるのはある程度友香だって覚悟していたから問題はなかった。いざとなれば【雨喜びの幻覚】だってある、と今はまだ信じている。本当に怖いのは、あんなに楽しく感じた兼朝や智との会話がドロリと崩れていくのを感じさせる、人間の腹の底に抱えた思惑が全くわからないということだった。

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