第十二筆:魅力的なお誘いな剣

 翌日の日曜日のお昼。友香はすでにアパートの自室へ帰ってきていた。こんなにも早く実家から戻ったのは、もちろん、大学関係の柵を一旦解決できたからでも、いたたまれない気持ちが抜け切れず実家に居心地の悪さを感じていたからという訳ではない。もちろん、そんな気持ちがゼロでなかったといえば嘘にもなるが……。

 昨日の夕飯はテレビの音と雰囲気を良くしようと普段より明らかに口数の多くなった父の声が目立った。友香もそんな父の気遣いがわかっているので会話を何とかつなげる努力をした。その一方で、何とも言えない表情で友香の休学ことをまだ悩んでいるようだった母は、黙々と食事を口に運びながら、たまに相槌をうつように優しく笑う努力をした顔を向けてくるだけだった。そう結局、父と母が大学を休学するということに納得しきれていない空気は拭うことが出来ないでいた。当然だろう。突然言われたのだ。納得できる方がおかしいとも言える。そして、食後は母が用意した友香の好物であるかぼちゃのプリンを食べて一日を終えていった。

 そして翌朝、目が覚めて友香の部屋がある二階から降りてくるとすでに朝食の準備を始めている音がした。

 日曜日でまだ朝の六時だと言うのにピチビチと油の跳ねる音から母がよく朝食に用意してくれるベーコンエッグを作っているのだろうと予想できた。


「おはよう」


 リビングから台所の方を恐る恐る覗き込みながら入り朝の挨拶をする友香。


「おはよう」


 賛成してくれた父がいない分余計に気まずい空気を感じながら手伝うべきか悩む友香。

 そんな空気を察してなのか、母が話しかけてきた。


「昨日は良く眠れたの?」

「う、うん」

「そう? てっきり私のことが気がかりで、それでいてやりたいことに夢中でよく眠れてないと思ったのに」


 皮肉にも聞こえる母の言動。実際によく眠れたのかと言われれば、優紀を探しに行けるというはやる気持ちとどうしても拭えない両親の温かさに触れたからこその後ろめたさで寝付きは自体はなかなか眠れずに悪かった。しかし、一度寝てしまえば朝まで起きることはなかった。そして、むしろ目覚めた時には了承を得て肩の荷が降りたと思うことができるようになったからかスッキリとしたものさえあった。

 母は答えない友香の態度からそうではなかったのだろうと解釈する。


「そうよね。友香は昔からしっかりした娘だもんね。一度やると決めたことはしっかりやり遂げてたし、やり遂げるだけの度胸もあったもんね」


 お皿にベーコンエッグを取り分けながら、母は話し続ける。


「こんな小さい時から見てたんだもん。知ってたわ。意地悪言ってごめんなさい。アナタがしっかりした自慢の娘だから今すぐにでもやりたいことをやりたいだろうから、この時間から朝ごはん用意してたんだもんね」

「お母さん」


 友香の言葉を待たずして抱きしめる母。

 ポンポンと友香の後ろに回した両手がやさしく背中を叩く。


「応援しかできないけど、しっかりとやりきってきなさい」


 耳元でそういった母が背中に回していた手を友香の両肩に添え直すと、お互いの顔が正面で向かい合う。

 母は友香の顔からその意気込みを確認し、友香は母に頑張りますとやる気に満ち溢れた柔らかい笑みを返した。


「よし」


 そう言うと母はふっきれたようにベーコンエッグなどが載った皿を持つ。


「お父さん、起こしきて。見送れなかったら僻んじゃうだろうし」

「わかった」


 母は凄いなと友香は思った。昨日の今日であれだけ反対していたのに、それを全て飲み込み、友香の背中を押したのだ。同時に友香はこうも思う。きっと自分は親に恵まれているのだろうと。理解ある、という言葉だけで形容したくない親だからこそと思える数々の気遣い。怒っても、反対もしてくれれば、こうして背中も押してくれる。自分は最高に幸せだな、と。だからこそ、その期待に、桜峰家の長女として、胸を張って帰れるような結果を、優紀を連れて帰ろうと決意を固くした。

 こうして家族揃って朝食を済ました友香は母と父に家から暖かく送り出された。友香がやりたいと思うことが間違っていないと信じて送り出してくれたのだ。だから友香は早速行動に移す。できるだけ早く、優紀を見つけ出すために。


◇◆◇◆


「もしもし、桜峰です。天堂紘和さんですか?」

「はい、天堂紘和です。桜峰さん」


 友香がアパートの自室に帰って真っ先にしたのは紘和への電話だった。


「大学、休学することになりました。これで条件クリアですよね」

「休学、ですかぁ……」


 そうなったかぁという感情を露骨に言葉に乗せる紘和。


「理解ある良きご両親ですね」

「自慢の両親です」


 しかし、続く言葉は友香にとって嬉しい言葉だった。

 だからこそ、紘和の言葉に間髪入れずに返事した友香。


「羨ましい、限りです。本当に」


 そんな明るい友香の返事とは違い、何かを、自分の両親でも思い浮かべているのだろうか、少し哀愁漂うものが紘和の返事からはした。

 しかし、友香にとって今は人の家庭に首を突っ込んでいる場合ではなかった。


「これで、優くん探すの、ご一緒しても問題ありませんよね?」


◇◆◇◆


 友香が実家に相談に来る三日前。水曜日の夜に友香の父は自分の携帯にかかってきた見知らぬ電話番号に出ていた。

 二階の寝室のベランダでちょうど夕食後の一服をしている時だった。


「もしもし、桜峰ですけど……どちら様ですか?」

「初めまして、桜峰さん。天堂紘和です」


 友香の父は一瞬何を言われているのかわからずポカンとしていた。

 そして、煙草の灰が指に落ちて、熱さに驚き、我を取り戻すと慌てて確認のために質問する。


「天堂紘和ってあの天堂一樹さんのお孫さんの?」


 知らない名前ではなかった。

 生きた英雄の孫で、メディアで何度か聞いたことのある名前だからだ。


「はい、その天堂紘和です。突然のお電話、不快もしくは気味の悪いものを感じるとは思いますが、今、お時間よろしいでしょうか」

「あぁ……はい、大丈夫ですよ、えぇ」


 何故か自分の電話番号を知っていたということに疑いの目も向けられず、有名人から突然来たという電話に呆気にとられた様に、流される様に対応を始める友香の父。


「私も深く言及されたくはないのですが、事前に桜峰さんには聞いておいてもらったほうがいいかと思いまして」


 友香の父は紘和の話がまるで見えてこない。

 テレビ番組の企画でドッキリか何かだろうと思いつつ、電話に耳を傾ける。


「近いうちに、娘さんの友香さんが大学を辞めたいと相談に来ると思います」

「へ?」


 紘和の言葉を受け止めきれず、間の抜けた返事を返してしまう。どうして友香のことを知っているのか、どうして友香は大学を辞めたいと言い出すのかなど疑問が出てくる。ドッキリを直前に疑ったこともあり、そうであればどれほどいいかと思いつつ、企画の話題にしてはなかなかに重たいテーマであるため、何より紘和の真面目なトーンにそれが嘘であるとは思えなかった。

 そして、そんな友香の父が驚いていることを気にもかけず紘和は話し続ける。


「多分、やりたいことがあるからと言った感じで懇願してくると思います。その時は、親として、娘の人生をよく考えて説得にあたってください」

「いや、いやいやいや。ちょっと待って下さい。どうして友香が? それにどうしてあなたがそんなことをご存知なんですか?」


 友香の父は予期せぬ言葉の数々に慌てふためく。これがドッキリだったらどれだけよかったことかと改めて考える。早く聞き馴染んだ音楽とともにネタばらしをしてくれと。

 そんな父親の気持ちを知ってか紘和はため息を軽く漏らした後、友香の父の質問に答える。


「深く言及されたくないと言いましたが、やはりあなたは素晴らしい父親のようですね」

「そういう話ではなく」

「一ヶ月、いえ、もう二ヶ月が経とうとしているわけですね。娘さんが事故に遭って、私たちが現場に居合わせ、救わせていただいてから」


 公にできない事件に巻き込まれた。そう言われて友香の父と母は国の関係者から多額の口止め料と友香の入院費をもらっていた。納得したわけではなかったが最愛の友香の無事と多額のお金にそれ以上首を突っ込まないことにしていた忘れもしない事件。

 その事件から紘和は友香を救ったと言ったのだ。


「ど、どうしてそれを」


 説明されたにも関わらず、友香の父は質問してしまう。


「友香さんにとってあの事件は相当心に引っかかりを残すようなものだったらしいです。どうやら真相を暴きたいみたいでして先程、相談を受けていたのです」

「え? あのぉ」


 あたふたしてしまう友香の父。それはつまり、友香は再び危険に晒される可能性があるということである。

 そんなこと父親として断固認められるはずもなかった。


「ですから、友香さんの身を案じるならば是非、止めてあげてください」


 見透かされたように最良の提案を推された友香の父。そのため、本来なら認められるわけ無いだろうと怒鳴ってもおかしくない機会を見失ってしまう。

 しかし、この手の言い回しはもう一つの選択肢の可能性を示唆している。


「ただし、もし桜峰さんが娘を信じて、友香さんのやりたいことを応援するならば、私が全力で友香さんをお守りします」


 力強い自信に満ちた声がしてきた。

 友香の父にとってはどちらを選ぶにしてもどこか気乗りのしない自分がいるのがわかっている選択肢だった。


「……どうして、私にこんなことを教えてくれたのですか?」


 頭をさまざまな思いと考えが巡った末、絞り出すように選んだ言葉。言及されたくないという言葉にもあった通り、事件の関係者であることは紘和が伏せたかったからこその口止め料が出されたはずだった。それを話してまで、娘のことをきちんと報告した紘和の意図が友香の父にはわからない故の質問だった。

 情報開示による脅しといった類のものなのか、家族の身の危険要素だけが増えていくような感覚にも陥る。


「親なら、子供の将来を真剣に考えるはずですから。支えるのにもしっかりとした理由、と言ってもこれ以上具体的には言えませんが、知らないと困ると思いまして。だから、私は考えていただきたくてお電話しました。そして、桜峰さんがどちらを選んだとしても、桜峰さんが考えて出した結果なら、親として恥じるべきところは一つもないと思います。考えたなら、あなたは友香さんのことをそれだけ思っていたことになるわけですから」


 友香の父は返す言葉もなかった。


「お礼を言うべきところなのか複雑な気持ちではありますが、ありがとうございます」


 もっと言いたいことがあったはずなのに、紘和の先回りしたような解答によって友香の父が言えた言葉はこれだった。


「いえ、気にしないでください。では、このことは友香さんにはご内密に。ついでにしゃべったというにはあまりにも内容のない話でしたが、事件のことはくれぐれも、お願いします」


 それだけ言うと電話は途切れていた。

 友香の父は考える。友香にとっての不幸はなんだろうかと。幸せはなんだろうかと。やりたいことをやって結果人生を棒に振る例はきっとあるだろう。だからといってやりたいことをやらせてあげないのはどうなのだろうかと。しかし、それが危険と隣り合わせなのは事実だった。危なげなく、順調に大学を卒業して就職してもらったほうが、間違いなく安定した幸せな生活を送れる可能性が高いだろう。故に友香の事を思って友香の父は悩み続けた。

 そして、あの日、友香の父は一人、娘を信じることを選んだのだ。


◇◆◇◆


「えぇ、構いませんよ。それではそこのアパート代は私が受け持つので必要最低限の身支度を整えてアパートの前でしばらくお待ちしててください」

「え? アパート代ってどういうことですか?」


 紘和は電話の向こうで驚いている友香のあわてっぷりを想像して軽く笑いながら、さも当然といったように言葉を続ける。


「おや、私と一緒に探したいのにそこから毎日通うつもりだったのでしょうか? あなたは今から国が運営する特別なマンションで私の彼女と、まぁ、半監視下の元で過ごしてもらう予定だったのですが」

「えっと、ちょっと待って下さいね」


 この間の威勢はどこへやらといった歳相応にふさわしい友香の態度に気を良くする紘和。


「それはつまり、私はこれから天堂さんの彼女さんと一緒に暮らすんですか?」

「そうです。私と二人っきりより健全だと思いますよ」

「じゃぁ、ここのアパートは引き払っても……」

「荷物をいちいち私の持つ力で往復するのもめんどくさいですし、何より復学された時どうなさるおつもりですか?」


 四日前の会話が嘘のようにオウム返しから始まり、質問する友香に優しく対応する紘和。一方でさすがの大盤振る舞いに加え、まるでこうなるとわかっていたかのような手際の良さに何か裏があるのではと疑ってしまう友香。

 だからこそ、思わず質問してしまう。


「何かありましたか、天堂さん?」

「いいえ、あなたが思っているような裏、なんてものはありませんよ。ご安心してください。協力関係にある以上、絶対に守り抜くという言葉に二言はありません。えぇ、誓いましょう」


 仮に紘和に裏があるとするならば、それは友香に素晴らしい選択肢を提供できた友香の父や母に対する敬意を込めた賞賛であった。紘和を取り巻く環境だけは間違いなく恵まれたものだったろう。

 しかし、隣の芝生は青く見えるもので、紘和にはないものを友香の家庭には感じ、それを大切にし続けて欲しいという思いがあったのだ。


「でも、アパート代なんて、そんな」

「では、桜峰さんに貸しているということにさせていただいて出世払い、してもらうことにしましょう」


 紘和はこの手の引き際をわきまえていた。別に返されなくてもいいものだからこそ、簡単に友香にも責任を載せることで相手の良心を刺激する。その効果は覿面な様で、電話の向こうで友香がまごまごしつつも同意したのが確認できた。

 一方の友香も国が運営する特別なマンションという響きに自分の想像を超える暮らしが送られているのではと胸を膨らませていたりした。加えてこの堅物そうな紘和の彼女と一緒に暮らすのだという。さすがの友香もこの時だけは少し浮かれていたのだろう。内心でラッキーと思っていた。当然である。

 優紀を追うことがどれだけ難しいことか今の友香に想像できるわけ、いや想像と食い違っているかわかるはずもないのだから。


「それでは必要最低限の身支度が整いましたら、先程言ったとおり、アパートの前でお待ち下さい。曽ヶ端千絵という女性が桜峰さんをお迎えに上がりますので」


 こうして話は急ピッチで進んでいく。友香は紘和の支持に従うことしか出来ず、また後で会うことを約束して電話を切った。紘和は今少し家のことで忙しいらしい。それに緊急でもないからこの前のような登場はしないのだろう。

 友香は一年半ともに過ごした部屋を見渡す。思い入れがあるほど住んいたわけではない。しかし、やりたいことを始めるため離れ、そして叶えて戻ってくる部屋と考えると思うところが出来てしまう。だから戻ってこようと決意する。

 両手で頬を思いっきり叩いて気合を入れる。


「よしっ」


 テキパキと部屋の整理を軽く済ませるとキャリーバックに身支度を整える。できるだけ速やかにやったつもりだったがそれでもすでに二時間も時間を使っていた。

 そして、冷蔵庫の中のナマモノをゴミ袋に詰めて部屋を出る。


「いってきます」


 友香は戻るべき部屋を後にした。


◇◆◇◆


「ゴミの日、今日じゃないわよ」


 友香が玄関先で出会ったのは散歩帰りにも見えなくない大家の花牟礼彩音だった。

 大学への進学が決まりここへ越してきてから娘のようにお世話を焼いてもらった女性である。


「すいません。実は今日から長い間、大学を休学しつつやりたいことがあってアパートを開けることになりまして。冷蔵庫の中のやつだけでもゴミ出ししときたいと思いまして」

「あら、随分な急用みたいね」

「そうなんです」

「九十九くんも最近見ないし、桜峰さんもしばらく会えなくなると思うと寂しくなるわね」

「そう、ですね」


 優紀を殺し、友香にまでその牙を向けた彼氏の親友。もう親友と考えることも間違っていると思うが、それでも友香も支えてもらって仲良くしていただけに、未だに本当なのか疑ってしまうほどだった。しかし、情報を知っている人たちがそう言うのも含めて、何故だが真実だと思える友香自身が不思議といるのは事実だった。陸とも会えていないということはきっとそういうことなのだろう。

 ふと、どうしてこんなにも知らないことを信じながら行動できるのだろうと思い、胸に手を当てる。やはり心音はない。

 しかし、それがやたら優紀が生きているという安心感を与えてると同時に、陸と優紀の一件が事実だと訴えかけてくる。


「それじゃぁ、ゴミは家で預かっておいてあげる」

「そんな」

「ルールは守らないといけないでしょ? 桜峰さんだけ特別扱いは出来ないもの」

「あ、ありがとうございます」


 彩音の押しに負けて素直にご厚意に甘えることにした友香。


「それじゃぁ、頑張ってきてね」

 

 綾音はそう言うと友香の背中を力強く気合を入れるように押す。


「やりたいこと、頑張ってね」


 念を押すように告げられた言葉。それだけ残し、綾音はゴミを手にアパートの自室へと姿を消していった。その後姿に今までお世話になったという意味も込めて、友香は深く一礼するのだった。


◇◆◇◆


「あなたが友香ちゃん?」


 タントよりも座高の低い軽自動車が友香の目の前で待ち伏せていたかのようなタイミングで停まると、助手席の窓が開いて、先程の質問が飛んできた。

 友香の名前を知っているということは紘和がこちらへよこすと言っていた千絵だと判断し、声も女性だったことから質問に答える。


「はい。桜峰友香です。あなたが曽ヶ端千絵さん、ですか?」


 カチッと後ろのトランクが開く音がする。

 そして運転席から降りることなく、手だけを無理やり伸ばして助手席のドアのロックを解除する女性。


「そう、私が紘和の将来のお嫁さんの曽ヶ端千絵よ。よろしくね」


 何を言っているのだろう。そんな、言葉と認識している状況がうまく噛み合わず反応が遅れる友香。早い話が、堅物の紘和の彼女の声がこんなにも清楚というイメージからかけ離れているハツラツとした姉御肌な声が聞こえるとは想していなかったのだ。

 まだ声だけなのにとても失礼なことを考えてしまったと瞬時に反省してゆっくりとスモークガラスで見えなかった運転席の方を開いたドアから覗き込む。


「まったく、反応がないと恥ずかしいでしょ? ほら、荷物あるなら後ろに積んで。ほら、早く行くわよ」


 そこには無地の落ち着いたTシャツにロングコートを羽織り、デニムのショートパンツを着こなしたセミロングで胸もたわわなまるでモデルのような女性がサングラスを掛けて座っていた。

 普段からスーツないしYシャツの真面目で誠実そうな紘和のイメージからはかけ離れた女性がいたのだ。


「はい、すぐに置いてきます」


 友香は大人なお姉さんに怖気づく。友香自身も二十歳を超えているにも関わらず、その魅惑的な身体とファッションは素晴らしいものだったのだから。そして荷物を載せ、助手席に座ると車は勢い良く発進し、その場を後にした。


◇◆◇◆


「これから一緒に暮らすことになるんだけど、友香ちゃんは何か買っときたい物とかある? 夕飯とかの心配はしなくていいよ。今日は特に」

「いえ、衣服とかはだいたい持ってきたので大丈夫だと思います。あっ、今日からよろしくお願いします」

「そう? こちらこそよろしくね。私のことは千絵か、千絵姉さんって呼んでね。それ以外だとむず痒くってね」


 千絵はイメージ通りではなかったが、出会ってからは、その喋り方から想像通り、気さくなお姉さんといった印象を受けた。

 ちなみに年齢は紘和よりも二つ年上らしい。


「友香ちゃん、緊張してるでしょ? それに……そうだなぁイメージと違ったかな?」


 千絵は親しみやすいがいろいろなものを軽く飛び越えて接してくる節がある。今もそうである。お陰で友香は図星を疲れた上で答えづらい質問に答えなくてはならなくなっているのだ。

 友香は言葉を選びつつ、慎重に質問に返していく。


「やっぱり、知らない人と二人きりというのは緊張してしまいます。それに千絵さん、私と違ってキレイで眩しいです」

「千絵か千絵姉さんね」


 親指を立てながら念押ししてくる千絵。


「それにしても、友香ちゃんって彼氏とかいないでしょ」


 たしかに今はいない。しかし、どうしてそんな話題が急に出てくるのか友香には皆目検討もつかなかった。

 今まさに優紀を探すためにここにいる友香からすれば気分の良くない話だった。


「ごめんなさい。いたみたいね。謝るわ」


 千絵は先程のフランクな感じから一点、真剣な声で友香に謝罪の言葉を述べてきたのだ。


「いえ、その……はい」


 顔に出ていたのだろうかと友香は気にするが、そんなことよりもその口調の急変に驚かされた。そのため間の抜けた、それでいて素直に返事をしまっていた。

 その返事を聞くと再びフランクな口調に戻り、千絵は話し始める。


「いるんだったら自分を卑下しちゃダメよ。あなたはその人が自分を愛してくれていると信じているならなおのことね。そうじゃないと、卑下したあなたを彼が好きになったことになってしまうのよ。彼の事を思うなら、自分に自信を持ちなさい。あなたは彼にとってそれだけ価値のある女なのだから」


 千絵は友香にとってどこかで聞き覚えのあるセリフを言った。それは友香が優紀を亡くしてふさぎ込んでいた時に、似たようなことを陸から言われたのだと気づいた。そして、実感のこもった千絵のセリフには説得力があった。簡単に想像できるとは言わないが天堂家の、しかも【最果ての無剣】を持つほど特別な存在である紘和と交際しているのだ。

 これぐらいの思いがなければそばにいるのもツラいのかもしれないと友香は勝手に想像する。


「まぁ、私に劣ってるのには変わらないかもしれないけどね」


 サングラスをクイッと上げて右の口角を少し上げてニヤついてみせる千絵。どうやら立場というより本当に根っから自分に自信が持てるタイプだったようだ。

 それでもきっと周囲の目もあり苦労はあるのだろうと推察はする。


「ふふ、何言ってるんですか」


 友香もつられて笑ってしまう。


「やっと笑ってくれたわ。よかった、安心しちゃう」

「こちらこそ、お気遣いかけて申し訳ありません、千絵姉さん」


 似たような言葉を言えるということは千絵自身が本気でそう思っているのか、誰かに言われたことがあるのだろう。もしかしたらドラマなどで有名なセリフ回しなのかもしれない。それでも友香にとって親近感が湧いたのだ。千絵が苦労しているということに、友香の想い出を重ねてしまったのだ。それに、別に悪い人ではそもそもない。千絵の言葉を借りるなら紘和の彼女を務める女性である。先入観だけで人を遠ざけていては何も始まらないだろう。友香はこれから一緒に時間を過ごすことになる千絵に改めてよろしくと心の中で呟くのだった。


◇◆◇◆


「ちょっと確認してくるから待っててね」


 千絵は車をパーキングエリアに止めて、友香にそれだけ言うと少し離れたところにあるひっそりとした雰囲気の店に入っていった。


「ふぅ」


 そんな束の間の安息にゆっくりと息を吐く友香。あれから二時間ほど車の中で過ごしていたが、その間千絵の口が止まることは殆どなかった。オシャレの話、千絵のしている仕事の話、そして紘和との馴れ初めや愚痴が永遠と続いたのだ。実はモデルのように思えた友香の第一印象は的を得ていて、表紙は飾らないにしろ、ちょこちょこと広報という役割でモデルをしているらしい。もちろん、本職の傍らであるため、デカデカとメディアに露出することはないらしいが、そのため流行というものには敏感らしい。友香も決してオシャレに疎いわけではないが、千絵の話す流行やファッションテクニックは友香にとっては新鮮なものばかりでつい聞き入ってしまうものだった。

 そんな千絵の本業は法務省に配属された国家公務員だった。友香は携帯の画像で見せてもらったが法務省のポスターに起用されている姿がそこにはあった。表向きは基本法制の維持及び整備、法秩序の維持といった一般的に知られている活動を業務として行っている。しかし、実際のところは蝋翼物に関する他国への法的処置を維持、整備しているのだと言った。そんなことを友香みたいな一般人に話してもいいものかと疑問に思ったが、よくよく考えれば友香はすでに紘和から蝋翼物のことは聞かされていたので、それを知っての判断がされているのだろうと千絵を信じることにした。友香にとって、これで秘密を知ってしまったから云々となってしまっては堪ったものではないからである。

 そして最も内容の濃かった話が紘和との馴れ初めや愚痴だった。同じ大学の二個上の先輩だった三年生の千絵は最初、自分に自信がないという理由で紘和からの告白を一度蹴っているらしい。そして、四年生に上がり国家公務員の資格を取り、就職先を決め、自信がついた時、今度は千絵から告白したのだという。しかし、今度は紘和がその告白を蹴ったのだという。本人曰く、千絵の努力に答えてからにしたいということだったらしい。つまり、蹴られたと言ってもほぼ半分オッケーのような状態だったことが容易に想像できる展開だったのだ。そして、紘和は大学卒業後、晴れて千絵と彼氏彼女の関係を結んだのだという。それから千絵は蝋翼物のことを知り、今の職場に移動することで紘和を支えているのだという。ちなみにどうして結婚しないのかと聞くと、どうやら紘和にとってのやるべきことを果たさないと出来ないことになっているらしい。その内容までは流石に教えてもらえなかったが、千絵はそれまで待ち続けるのだと言った。何とも甘酸っぱいお話である。

 そして、ここ最近は妙に忙しそうにして紘和に会ってもらえないのだと愚痴を言いだしたのだ。あまりの情報量に後半、友香は相槌を返すので精一杯だったという。


◇◆◇◆


「お邪魔します」


 そう言って友香の入った場所は、ヒマツブシという名前のカフェのようなバーだった。

 店からすぐに出てきた千絵は友香に車から降りるように言うとそのままこの店に連れ込んだのだ。


「何、友達? それで、この荷物とどう関係してくるの?」


 店内は閑散としており店主と思しき男と千絵と友香以外には誰もいなかった。

 しかもそれをいいことに店主と思われるその男は友香に一目くれただけですぐに携帯ゲーム機で音を出したままゲームに勤しみ始めたのだ。


「亮太はさ。大学生だよ、大学生。少しはなんだっけ、そのトラウマ二なんてゲームの娘よりこっちにも興味を示しなって」

「別に二次元が、三次元がって俺は言わないよ。どっちがいいなんて正直どうでもいい。それを踏まえた上で俺はこの作品が好きでやってるの。千絵は映画館で話しかけられても迷惑に思わないのかい?」

「私は映画館で携帯電話を、職場でゲームをしたりはしないけどね」

「しかたがないだろ? 最近、よく一緒にオンラインプレイしてた二人がまったくインしないというか辞めちゃったみたいで一人でやらなきゃいけないことが増えたの」


 亮太は器用に二台のゲーム機を用いて異なったゲームを楽しんでいた。


「へぇ、一人でギャルゲーばっかりやってるんだと思ってた。亮太と気が合うゲーム仲間がいるゲームってどんなのなの?」

「冒険ファンタジーのオンラインゲームだよ。よく三人でパーティ組んで素材集めとか行ってたんだけどね。すがわんさんとDECIMさんみたいなちょうどいい代わりがなかなか見つからないんだよ」


 二人の会話に入ることも出来ず、借りてきた猫のように入店してから挨拶以外何も言葉を発することの出来ない友香。今のところ、友香にとってはゲーム好きの店長である亮太と千絵は顔見知りであるということしかわからない。

 そんな二人がどのように知り合いになったのかが不思議なくらい、少なくとも趣味が全く合わないようにみえた。


「で、さっきも言ったけどこの届いてる荷物。送り主が千絵で開けるなって、どういうこと?」

「そ、れ、わ、ね」


 ここで千絵が後ろで会話に置いてけぼりの状態で店内をただただ見渡していた友香に振り返る。

 パッと突然振り返ったものだから友香はビクリと身体を強張らせてしまう。


「な、なんですか千絵姉さん」

「ふふっ」


 友香の目と鼻の先に千絵の顔がある。亮太宛に届いた荷物が友香に関係するのはここまでの会話から簡単に想像できる。それにしても友香の目の前にある顔は実に楽しそうな笑顔を浮かべている。

 自然と嫌な予感がしてくる友香。


「夕飯、食べたい?」

「心配ないって言ってませんでしたか?」


 グイグイとくる千絵の言葉に、友香は引きつった笑顔で答える。


「ないわよ。お腹いっぱい豪華な料理が待ってるわ」

「ありがとう、ございます?」

「でも、それじゃダメなの」


 がっしりと千絵に両肩を掴まれる友香。


「亮太、その荷物を置いて今すぐ二階へ上がりなさい。このお店にクローズの看板を下げてからね」

「それ、営業妨害って言うんですよ。俺の言いたいことわかります?」


 友香の肩から両手を離さないまま千絵は亮太の方へ振り返る。亮太は何かを催促する様に右手を差し出しながら目を細めている。すると、千絵からため息が漏れる。そして、友香から両手を離し、バーカウンターを挟んで亮太の正面に立つ千絵。

 ロングコートから縦長の財布を取り出すと、そこから何枚か諭吉を取り出し、それを亮太の右手に置いた。


「これ、見ようによっては恐喝よね」

「そうですか? いつも何かと勝手に使われる側としては妥当な請求だと思いますけどね。毎度」


 亮太はそのまま金を受け取ると、すぐさま店を閉店し、テキパキとサンドイッチを出すとゲーム機を両手にバーカウンター横のドアから出ていった。閉まる前に良識の範囲内で好きに飲んでいいと言いながら。

 亮太がいなくなったのを確認すると千絵はバーカウンターの裏側へ回り込んで何かを探すようにしゃがみ込む。


「えっと、それで私はこれからどうなっちゃうのでしょうか」


 友香は恐る恐るこれから身に降りかかることを千絵に伺ってみる。


「コレを見なさい」


 バッと勢い良く飛び上がった千絵が両手に持っていたのは二着のドレスだった。


◇◆◇◆


「その、どうしてこんな服を?」

「まぁ、派手に感じるかは人それぞれだけど、お辞儀した時に胸元が見えないようにとか、いろいろマナーがあるのよ、パーティーに着ていくドレスにも」

「パーティー?」


 前半の千絵のパーティーに着ていくドレスのマナーよりも聞きたかったことがここでわかる。どうやら友香はパーティーに連れて行かれるからヒマツブシでドレスに着替えさせられたらしい。千絵は二着のドレスを見せた後、黒の広がるスカートがクラシカルな印象のドレスを友香に着るように指示した。一方の千絵はその場で発色のきれいな青色の同系統のドレスを着る。千絵は友香が動揺している間にドンドン服を脱ぎ捨てていく。

 下着姿は服の上から見るよりも美しいプロポーションであった。


「あれ、サイズあってない? それよりもボレロみたいなの羽織って出てみたかった? あれ、肩隠すのに一枚羽織るのとかめんどくさいから、袖ありのにしちゃった」


 サイズは合っている。ボレロは知らない。

 友香はとにかく進む状況に頭が追いつかないでいた。


「どうしたの友香ちゃん、これから軽くお化粧もするんだから早く着替えてよ」


 すでにドレスのサイドファスナーを上げながら千絵は動かない友香に声をかける。


「その、パーティーって」

「うちのマンションって月末に意見交換も含めて、会食するのよ、住民全体で」

「えっと」

「あれ、紘和から聞いてないの、うちのマンションのこと?」

「国が運営する特別なマンションとは聞いていますが」


 友香は紘和から聞かされた通りの言い回しを千絵に伝える。


「そう、国が運営する蝋翼物を知る関係者が住んでる社宅のマンションよ。そこの一階の多目的ホールで今日、友香が来るのに合わせて恒例のパーティーをするのよ」


 蝋翼物を知る関係者。それは国家秘密を扱う人間がひしめく場所ということになる。つまり、パーティーというにはあまりにもかけ離れた華やかさのないものと友香は想像してしまう。しかも、友香が来るにあたって日程をずらしたということは入国審査のようなものだと理解した。思い描くパーティーとはかけ離れたプレッシャーと社宅という当初のイメージと違い豪華なマンションではない可能性に友香は自然と肩を落とす。

 とはいえ、一階の多目的ホールでパーティーが行えるようなマンションである故、友香の期待はいい意味で裏切られることになる。


「まぁ、緊張しなくても大丈夫よ。そのためには、まず身だしなみが大切なんだからほら、急いでね」


 住んでいる人間も相当な役職、下手をすればメディアでよく顔を見る人がいてもおかしくないということである。確かに友香にとって体験したことのない、豪華な夕食になるのは間違いないみたいだった。友香は心の中で深い溜め息を何度もつきつつ、千絵にお化粧をしてもらうと、早速パーティー会場へ向けて再び車での移動を開始するのだった。

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