第九筆:始まりまして
純が優紀を引っ張って後にしたその場は確かに大量の手榴弾によって爆撃された。しかし、その爆撃は紘和と陸には届くことがなかった。なぜなら、蝋翼物【最果ての無剣】が展開され、全てを少し離れた空中で処理したからである。さらに熱風を直接受けるのを避けるために周囲の土を巻き上げて瞬間的な壁まで形成していた。
紘和はそうした手段を持っていたため、助かると自分の腕を信じて疑っていなかった。だからこそ、いくら紘和が天堂家として純に安全という太鼓判を押したからといってあそこまで取り乱すことなく平然と友香(優紀)を連れて逃げていく純の方向を見送ることが出来るだろうかと疑問に思ったのだ。加えて爆風すらも気にもとめず、身を守ろうとも微動だにしない姿にもまるでこういった状況には慣れている、もしくは紘和が対処しなくてもどうにかできたのではないかという余裕すら感じさせ、違和感を植え付けたのだ。
純のような人種であるならば話は別だが、紘和が知る限りただの友香の友人であるはずだからこそ、違和感は濃くなる。
「天堂さん、早く俺たちも中に移動しましょう」
首をクイッと純たちが向かった咆哮とは反対側に向けて催促してくる陸。ロシアの目的が神格呪者の捕獲である以上、本来ならば友香と純を追って加勢に行くべきである。しかし、陸がいる以上足手まといを連れて行くことは出来ない。かと言って陸一人を置いていくこともできるはずがなかった。そこで勢力を分散するという名目に切り替え、紘和は先に行動を起こしていた陸を追いかけるために純と友香とは別方向の廃工場に逃げ込む提案を受け入れることにした。
昨夜のタチアナの雰囲気からすれば紘和の蝋翼物を神格呪者の確保のついでに奪いに、いや紘和に意趣返しに来ることも考えられる。そもそも普通に考えればここの最大戦力は紘和である。向こうからすれば分散したいはずだから目論見は容易にできるだろう。加えて、幸いにも手榴弾が投擲された軌道から相手の視界を考えても、一目散に逃げた友香を認識できている可能性は低い。砂煙や爆風でちょうどいい目くらましになっているはずなので物音を立てながら反対に逃げるだけでも数を引き付けられると判断する。もちろん、この時点ですでに人数の配分が済んでいることを紘和が知っていれば、展開は少しだけ変わっていたのかもしれない。
逃げ込む先が廃工場というのに若干の不安はある。工場と言ってもほとんど無人の倉庫のように何もないので遮蔽物があるわけではない。加えて建物ごと破壊されては問題はないがめんどくさい。だが、ロシア側には標的を確認すること、加えて自分たちの手で殺そうとする合成人のプライドから向かってくる可能性が十分にあるので屋内という制限された空間は、むしろありがたいと判断することにした紘和だった。
◇◆◇◆
戦闘に入れば結果は快勝だった。なだれ込んできた変貌した姿のロシア人、つまり合成人であろうと、蝋翼物が、【最果ての無剣】が引き起こす超常の力に匹敵することができなかったのである。見えない刃物が有限とは言え、ほとんど無制限のように任意の空間に出現するだけでも地雷を掻い潜るようなものなのに、ましてそれが世の理を逸した力を発現できるのである。何もないところから炎が発せられるのを皮切りに、人が内側から爆散したり、空間をなぞって切ったかと思えば、はるか離れた複数人が一斉に胴体を堺に切り離されていた。前回と違い、チャールズが介入していたというサプライズニュースを受けたことで苛立ちがあったこともあり、【最果ての無剣】の力を有効に利用して戦場をより凄惨に蹂躙した。
まさに一騎当千。
あっという間に倉庫の中は肉塊と血の池がそこかしこに散らばる状態となった。室内なだけに余計に血独特の匂いが鼻につく。しかし、紘和は二日前にやってみせたようにそれらを霧散させて掃除してしまう。そして、早々にロシア側との因縁に一旦の終止符を打つと紘和は一緒にいる陸に幾つかの質問を始めた。
全く今までの喧騒に無関心でつまらなそうに端で座りながら見ていた陸にだ。
「終わったわけですが、九十九さん、あなたは一体何なんですか」
不気味なまでに虚ろな目をした陸はその問には答えず、立ち上がった。友香といた時とは全く違う雰囲気。
それこそ別人ではないかと疑うレベルだった。
「この状況に動じないこともそうですが、いや、だからでしょうか、あなたが無理やりここへ付いてきたことも、純がそれを許可したことも、今となっては不自然さを感じます」
ジッと見つめ続ける陸。このまま紘和が違和感の正体を探るためだけに質問をぶつけるのが続くかと思われた。
しかし、ついに陸が口を開いたのだ。
「何も知らないのか? と問うには俺を知る人間は少ない。だとすれば……何も教えてもらえていないのか、天堂の?」
それは劇的な変化だった。低く、小馬鹿にしたような声。虚ろな目以外、身体の何処かが合成人のように変わったわけではない。それはまるで本当に二つ目の人格が現れたかのような変化だったのだ。
身体を這うように包み込む威圧感は紘和が警戒するほどに強く重いものだった。
「質問したのは私です。それに、随分と本当の九十九さんを見られた気がします」
目を細めながら緊張感を研ぎ澄まし、紘和は陸を睨み返す。ここで動じていることを悟られてはいけないと紘和は陸にとにかく強気で言い返したのだ。
紘和は戦闘をましてや戦場を数多く体験してきたわけではない。しかし、血筋と家の影響で潜在的な力、加えて戦い方のいろは鍛えられてきた。だからこそ、経験を凌駕するセンスを手に入れた。それは先の小規模ないざこざと紘和にとっては思える合成人との戦いでも十分に通用するものだった。
そんな紘和が、純粋に経験不足から【最果ての無剣】なしでは勝てない一樹、人類最強を謳う説明の出来ない純を除いて危ないと感じ取れる気配を今、目の前にしている陸は発しながらそれを徐々に色濃くしているのだ。
「これだけやる気を見せれば、自ずとわかっただろう。感じたというならお前は……祖父と純以外だと、たしかに初体験になるだろう。俺みたいな人種って言っていいのかはわからないが、それを除けば、まぁ今は除かざるを得ないわけだが、チャールズに……エカチェリーナはどうだろうなぁ。まぁ、八角柱ならみなわかりやすく同じ畏怖を放てるだろう。他にもいるんだが……でも俺のそれはお前の経験値でどのラインだ? 答える権利を与える。答えたなら先手をやろう」
どちらも質問には答えず、自分の話を進める。そして力は淡々と今までになく饒舌にしゃべる。やる気をみせたという割にはその表情や態度からは覇気というものを一切感じられない。しかし、紘和には下手をしたら殺されると感じ取れる雰囲気をこの場でひしひしと感じさせられていた。
紘和はそれに深呼吸をして答える。
「祖父より上かもしれないが純、より下だ。でも、正直あなたは、まだ何かある」
率直な意見を紘和は述べる。まだ何かある。
これはそれ以上でも以下でもない、わからないものを例えるために用いたのだ。
「では、お前の先手を許そう。それと理解あるお前に世界の広さを教えよう。お前の言う何かを教えるのはその後でも遅くないだろう。俺も時間まで暇だからな」
紘和はその言葉を機に即座に行動を起こす。起こすといっても思考を巡らせるだけだった。油断はしない。万全を期す。そのためだけに紘和は、【最果ての無剣】を手に持ったのだ。
そして、陸の右から炎が吹き出し、陸に火傷をおわせるはずだった。
「これはすごい原石だったな。俺も初めてみたぞ」
そう言った陸は見えないはずの具現された剣を足で弾いていたのだ。だから出かけた炎は一瞬消えた後に再噴出したため照準を外し、陸にかわされることとなった。
一瞬で見えないモノへ距離をつめて攻撃する。動作や言葉にすれば単純過ぎるそれは単純すぎるが故に、紘和に驚きを与えた。加えて、初めて見たというワードが気になった。確かにこの異物をブライアンや一樹が使ったという情報を知らなかった。
陸の力量にさらに気を引き締めるべく新しい技を展開する。【最果ての無件】は武器の制約により召喚するものに重複を許さない。そこでされた逆転の発想が【最果ての無剣】をもう一つ召喚するというものである。この技を無剣二刀流といいこれを使用できたことが、紘和が最強を引き継いだ理由でもあった。
ちなみに、初めてこれを使うに至ったのは一樹である。
「そう、そんな話ではなかったな。これが世界の広さだ。畏怖を、殺気を放つ純度で測れる限界を教えてやった。いや、限界とは少し違うか。ただ、純などのイレギュラーでなくとも、それに近い技の、力の体得は人間なら出来て当然だ。努力と時間の掛け方によってはしまうがね」
つまり陸はさっきのことが人間ならば誰でもできると言ったのだ。紘和は理解はしないが納得した。それが紘和の持つ人間性だからだ。しかし、それでも純と初めてやりあった時に比べればかわいいものだった。当時、純は出現するポイントに先回りして【最果ての無剣】によって出現した刃物を握りったのだ。しかし、今はそんな比較をしている場合ではない。明らかな脅威が迫っている。人間離れした人間業が迫っているからだ。純から許可されている一発を使うなら今しかない。純はこのことがわかっていて事前に自身のコレクションを熟読させたのだろう。
本当にメジャーなところからマイナーなところまで、紘和も疑うような逸話や神話を幅広く集めてあったあの収集本を。
「では、お前の知り得ない何かを教えてやろう」
正直に言えばこんな状況になった時点で陸が何者かというのは些細な問題となりつつあった。少なくとも目標は何者かを聞くことではなく、敵意を持った眼の前にいる人間を敵と認識し、【最果ての無剣】を駆使する紘和と渡り合う危険な化け物を倒すことだった。だから選ぶ。あらゆる敵を倒し最期にその脅威を全て駆逐して脅威となった自分を殺したという逸話からどんな敵でも刀身を抜き出した瞬間に一撃で殺すことの出来る魔剣ウザコリフを出現させる。触れる必要はなく切るという行為が成立するだけで必殺の条件を満たす魔剣。
そして握ったウザコリフからの一撃は陸に向かって放たれた。さいの目状に肉を、骨を切り分け、血が水風船を割ったように弾け飛ぶ。逸話通りならば勝ちを確信してもいい瞬間でもあった。
◇◆◇◆
「お前は不死身、なのか?」
紘和は決して馬鹿になってこの疑問を口にした訳ではない。紘和の目の前では、殺したという余韻が残る中を床に降り注いだ血痕が、肉片が、骨片がキレイに集まろうと逆再生を見ているかのように一箇所を目指して集まっていくのだった。白い骨がパズルのように組み合わさり、そこへ血管が巻き付くように伸びてゆき、それが人の姿を作ろうとしていること顕にする。さらに血が糸のように肉片を縫い合わせ、保健室で見たことのある人体模型のようにむき出しの肉体が現れる。ギョロリとこちらを向く眼球は実に見覚えのある虚ろな目だった。
最後にまさに皮を貼っていくように再生を終えると殺したはずの男が、陸が口を開いた。
「不死身では足りない」
もとに戻った身体に不調がないか確認するように首を回し、肩を回す陸。
「そして不老不死でも足りない」
最後に指をポキポキとならす。
そして、まるで期待はずれだと言わんばかりの蔑んだ目と声のトーンで陸は己の力の名前を口にする。
「【環状の手負蛇】。神格呪者ってやつだ」
「お前が神の愛という呪いを受けた人ならざる人、なのか」
神格呪者。そしてその能力の名は【環状の手負蛇】。ロシアで確認されていた合成人を造る上で使われた能力の名称だった。
生き返る人間、神格呪者、度重なる幾つもの驚きから紘和は自身の口調が余裕を持っていないことを雄弁に語り始めているのに気づいていなかった。
「お前が合成人を造った張本人だったって訳か、九十九」
「いや、俺の血液を提供しただけにすぎない。動物の血液に俺の血液を混ぜて人間に注入すると、よくわからないが注入した動物のDNAをうまく身体的特徴としてその人間に定着させられるらしい」
「そうか」
そう言うと紘和がとった行動は単純だった。殺し続ける。再生し続けるならば、自分が全力を出して力尽きるよりも、純が増援として来る方が早いと判断したからだ。そう、これは時間を稼ぎであり、有効な手段だった。だが、この時の紘和は別の感情で動いていた。自分の力が及ばなかったことへの悔しさではない。力を持つものが平気で争いを助長させる悪行に加担していたことにだった。それも自分のためにだ。
自分の正義に誓って許せない。
紘和は二本の【最果ての無剣】を使い次々に刃物を召喚していく。
「やはり、最強は伊達じゃないな」
その結果、陸は手も足も出せないままに紘和に殺され続ける。予測した【最果ての無剣】出現地点への妨害にすらいけない。それを阻止するだけの武力が溢れるように紘和にはあるからだ。陸は人類最強ではない。だから、防げないが、負けることはない。人ならざる人だから。
ひゅーっと喉から空気を漏らしながら陸は問うた。
「なぁ……お前の……疑問は……ふぅ……全て、理由が付けられたのか?」
「お前は死なない【環状の手負蛇】。死ぬことに慣れて警戒心がない。だから殺し続けるしかない。それだけわかればやることは変わらない。お前がここにいる目的なんざ、知ったこっちゃない」
そして、勢い良く倉庫が開け放たれた。
◇◆◇◆
「天堂さん、いったい何を……何をしてるんですか!」
優紀の質問はごもっともだった。
しかし、その問いに答えたのは陸でも紘和でもなく、純だった。
「陸くんを、いや、ジュウゴくんを串刺しにしているようだね」
紘和が陸の腹を思いっきり蹴りでふっ飛ばして【最果ての無剣】を引き抜く。ゴチャッという不快な音ともに床を跳ねるように転がる陸。そして、再生した。そう身体から溢れ出たものが一点に戻っていく光景。
それを見て、紘和は苦虫を噛んだような、純は新しいおもちゃをみつけたような、そして優紀はバケモノのそれをみたような顔をした。
「さて、戯れは終わりだよ。それにしても、随分とお名前に執着があるようで。ジュウゴくん、いやツァイゼルさんかな」
「随分と教養があるみたいだな」
そこで紘和は気づく。最小のツァイゼル数が一〇五であることに。
それは九十九陸と合わせてただの言葉遊びであるということに。
「俺たちはたどり着いた。その褒美として聞かせて欲しい。なぜ、こんな事件を引き起こしたのか」
人体の修復を目の前にした優紀は言葉も出なかった。驚きに驚きが重なり瞬きだけが回数を増す。
本当の最悪な状況が確定したのだ。
「生憎まだ身体はボロボロでね、先に君の見解を聞きたい。おしゃべりは好きだろう」
普段よりも年期を感じる陸の喋り方に違和感を覚える余力すらない優紀を置き去りにして会話は進む。
「あなたが行動を起こすキッカケになったのは私と一緒であの黒い虹の出た天気雨の時でしょう。私は直感でしたが、あなたは明確な変化を認識したのではないですか?」
楽しいと言わんばかりの口調で語る純はそこで区切ると、続けていいかと陸に視線で応対を求める。
「それで?」
その反応に満足すると純は再び饒舌に語り始める。
「その変化はこの世界に大きな変革をもたらした。変革と言うにはあまりにも小規模だが、とにかく変わったんだ。あなたの立場で言うならば、求めていたものが姿を見せたとでも言うのでしょうか。俺はあなたがどうしてそれを求めていたのかは知りませんし、求めていたものの力がまさかあんなものだったとは、と先ほど確認しました。だからこそ問いたい。あなたがお友達かわからないものをわざわざ自演してまでなぜロシアに襲わせたのかを。あなたのお友達であるロシアを使ったのは神格呪者の凄さを彼らが知っていたからでしょう。あれだけの個の力に軍事転用までできるんだ、他の人間もいるなら欲するでしょう。合成人以上の兵器でも創れれば万々歳でしょうからね。加えてその情報源が同じ神格呪者であったあなたからなら信憑性も高い。話が少し逸れた。つまり、俺が問うのはあなたが同族である他の神格呪者を欲する理由。そしてもう一つ俺が正解の一端を言っておいてなんだが、どうしてわざわざロシアにゆーちゃんを襲わせたか、だ。そうわざわざ襲わせたよな。もっと楽に拉致できたろうに、わざわざ襲うように注文をつけただろ? 俺にはわかるぞ」
満足した。そんな顔で純はおしゃべりをやめた。訳のわからない事実だけが優紀の頭を駆け巡る。陸がツァイゼルで神格呪者である、と。
つまり、優紀を襲わせていたのは陸だったということになる。
「なるほど。間違いは一つもないようだ。流石だな。いつだってバグは……予想を越えようとする」
紘和ですら目を見開いている。
この場で全てを理解してついてこられているのは純と陸だけだった。
「さて、幾瀧に応える前に確認しなければならないことがある。……友香?」
それは、今までの穏やかな声による呼びかけだった。
「な、何?」
優紀は呼びかけに応じる。ここであったことが夢だったと言ってもらいたいがために。
しかし、そんな都合のいい話はこの何も空間には塵の一つもなかった。
「よく観えるようになったか? よく見失われるようになったか?」
何を言っているのかはわからない。それでもこれ以上喋られると優紀と陸は今までみたいに楽しそうに笑い話ができる関係ではなくなると思った。
どれだけ時間が経とうとも消えない傷が今深く深く刻まれようとしていると。
「まっ」
止めようとする優紀の声は決して届かない。
「舞台は整ったぞ、優紀!」
言われてしまった。言わせてしまった。友香に向けて優紀と呼ぶ。どうしてお前がという悲しみが先立ち涙が溢れそうになる。溢れないのは驚かされ続けているからだろうか。それとも裏切られたことに悲しみを相殺するだけの怒りがあったのだろうか。
驚きと裏切りが連動する度に今日までの信じられない出来事が頭の中で再生され、点と点が繋がり辻褄を合わせていく。陸がどうして優紀の身体が変化した時に驚き笑っていたのか。どうして、心配してくれたのか。どうして、どうして、どうして、どうして。すべての理由が善意から悪意に反転していく。
そして、さっきのロシアとの戦いで訪れた観える、避けられるといった現象が神格呪者としての特性ではないのかということ。
「では、ロシアを襲わせた理由だ。それは、俺の求めていたものを思い出させるためだ。そうしろと、お達しがあった。それがあの黒い虹の出た天気雨だ。癪にさわるが、お陰様で改めて前にすすめる。皮肉な話だ。だが、確かにこいつらは力を取り戻しつつある。常軌を逸した環境が、人材がその力の開放を加速させた。その片鱗は一緒に戦った、幾瀧ならわかるだろう?」
いつの間にか火の付いた煙草をふかしながら陸は、当分気持ちが追いつかず話にならないであろう優紀を放おって純に答え尋ねる。
「確かに。すごかったよ、ただの一般人が上記が逸した一撃を初見で交わすんだ。まぁ、もっと言えば、初めて会ってから別れた後、車の中でバッチリ目があったと思わされた時も、片鱗の片鱗ってことでゾクゾクしたけどな。でもどうしてなんだ? どうしてわざわざこんな憎まれ役を買ってまであなたの力にも対抗しうる力を持つ力を解放させたんだ?」
「そのどうしてに答えるのが神格呪者を欲する理由だ」
伸びをして陸は続ける。
「神格呪者は三人いる。一人は【環状の手負蛇】である俺だ。そして後二人がそこにいる桜峰友香と菅原優紀だ。そして、この呪われた神の愛は享受した人間が死ぬたびに移譲される。俺は探し続けた。そして、何度殺したろう。それでも諦めずに探しては殺した。殺せない時もあった。そういう時は死ぬのを待つんだよ。死んでくれるのをただただ願うんだ。そして、ついに、幸運にも二人の神格呪者が同じ高校に、同じステージにいる舞台に俺は巡り逢えた」
なぜ殺せる状況と殺せない状況が混在するかはわからない。ただ純や紘和にとってはある意味突然現れた三人目の神格呪者。友香と呼ばれていた少女が優紀でもあるということ。
そちらの方が驚きだった。
「で、その三つの力をすべて集めると、何が起こるんですか?」
気になる点は多々あるが、確信をついた質問を純は間髪入れた。
今は早く目の前の規格外が何を望んでこんなバカげたことをしたいのかということに興味の欲求を抑えられなかったからだ。
「復讐を果たしてもらえる」
果たしてもらえる。
その言葉に、純は急激に己の興味が薄れていくのがわかった。
「……他人任せか。考える時間があっただろう、あなたなら。どうして、そこで自分でなんとかしないんだ。今が一番、お前のふざけた舞台で最高に楽しく踊れる瞬間だろ? それをお前……」
深く深く軽蔑するように溜め息を吐く純。
「さすが人間捨ててるだけあって、つまらないな」
そして唾を吐き捨てた。
「考える時間、か。自分のためと迷惑をかけた俺だからこそ、チャンスを譲ることを決めたってのにな。お前が言うと、お前みたにな何もかも持った状態の人間が言うと、実に不愉快で……言い返せない」
遠い目をして空の見える穴の空いたトタン屋根を見る陸。それは誰が見ても昔を後悔している人のそれだった。
しかし、そんな顔もほんの一瞬でゆっくりと首をカクっと傾けるように正面を向くと陸はまた言葉を続ける。
「さて、良い質問のおかげで舞台完成が少しそれてしまった。話を続けさせてもらおう」
この時、すでに優紀の中にはモヤモヤと複雑な感情が顔を出しつつあった。自分も神格呪者であったという事実に驚く余裕すらないほどに。点と点が繋がったその過去に向かい合わされていたからだ。
先程まであれほど決別したことが、今まで連れ添ってもらえていたからこその想い出と共に悲しみを増長させていたのに、だ。
「俺はその神格呪者の力が欲しくて、わざわざ日本のその高校に入学したわけだ。殺せれば力が譲渡されるからな。しかし、問題があった。俺の力では少なくとも桜峰を殺すことが出来ないからだ。なぜならば、彼女の力は無自覚であったとしても死という概念から自身を遠ざける力だからだ。一方で菅原の力は無自覚では真価を発揮しないが、無自覚でも充分人間でない存在には無類の効力を発揮する。つまり、俺はこの【環状の手負蛇】を持ってしても優紀の前では絶対的に公平にされてしまう、無力なただの人間になってしまうわけだ。なぜなら、優紀は【想造の観測】だからだ。ただし裏を返せば友香という【雨喜びの幻覚】も同じまな板の上に乗るわけだ」
「そういえば、お前の力の説明は受けてなかったな。不老不死でない、それ以上だ、から他にもあるようにも見えたが……できれば、質問に答えると言われた以上、そこぐらいは教えてもらいたいものだが」
紘和が説明を求める。
「大切な質問だ。実に大切な質問だ」
すると、そう前置きして惜しげもなくあっさりと紘和に質問に答え始める陸。
「【環状の手負蛇】は不老不死に加えて口にした血液の相手を記憶して、不老不死以外の人間的性能を全て共有する。つまり、俺は不老不死だが、血液を手に入れた相手は俺に外傷を加えるとその傷を自身も負う。無論、その傷を俺は回復できるが、相手はできない。それは同時に、血液さえ取り込めば、俺が自殺した瞬間にそいつは死ぬってことだ」
まさに人ならざるの部分に相応しい規格外な力だった。
「そして、【雨喜びの幻覚】は対象を取られなくなる。意識すれば存在を認識の対象から外すこともできる。意識していなくても脅威から自然と対象を外される。最後に【想造の観測】は観る。当たり前に観ていると思っているものを現実に投影することができる。これは無意識で誰もが普通に処理していることに、つまり今ある光景を見ているだけというニュアンスに近いが、逆に意識して何かを観たと思えればなんでもできるということに真価を発揮する。つまり、俺の【環状の手負蛇】を知らなければただの人間として、知っていればそれをないものとできるわけだ。力の序列は【想造の観測】、【雨喜びの幻覚】、【環状の手負蛇】だろうな。まったく、どうしてこんなに強そうなのに最弱に等しいんだろうなぁ。まぁ、それでも【想造の観測】の場合、持ってる人間が自覚してなければただの白兵戦に持ち込んで、俺が勝てるんだけどな。それでも【雨喜びの幻覚】はどうしようもないっていうのが俺が苦労したところって訳だ」
シンプルだが、どの能力も一線を画していた。不老不死者が相手の人間的性能を全て共有するは説明されたことそのままに、捨て身という概念が破綻した生殺与奪を一瞬で握れる力である。
対象をとられないとは気づかれることなく、痕跡を残さず物事をなすことができる。自身の存在を不安定にしながらも誰からも相手にされないということだ。
そして、二つと更に一線を画す全ての能力を無に帰す上に自分の想像を現実にしてしまう観る力だ。当然の現象を外部からの干渉を受けず自己完結できてしまう力。
だから、紘和は陸の説明を整理しながら気づく。なぜ、陸は願いを叶えるために力を求めているはずなのに、これから殺すであろう相手にその自覚すれば最強の能力を教えたのかと。明らかに不合理ではないだろうかと。もちろん、それを解決する案がすでに構築済みなのなら話は別なのだろうが。
陸は煙草の火を踏み消しながら新しい煙草に火をつける。
「だから、だ。二人には付き合ってもらった。当たり前に視界に入れられる優紀の前でなら友香も簡単に殺せるからな。そして、雨の降ったあの日、二人を密接した状態で帰らせるために優紀の傘を隠し、トラックに引いてもらって友香を殺すはずだった。しかし、結果は力を失った優紀だけが転がっていた。俺は手がかりを失ったよ。教えてもらった話と違うだなんて確認のしようがないからな」
新しい煙草がポトンと口から落ちる。失敗に激怒してもおかしくない状況で、実に虚ろな目で落ちた煙草を見つめている。じっとじっと灰が上がっているのを見つめているのだ。
そして、次に出てきた言葉はそれまでと違う陸という男の今までの苦悩を凝縮したような嘆きそのものだった。
「あんなにも待ったのに、あれだけ待ったのに、待って、待って、俺自身は死ねないから待つことしかできなかったのに。初めて俺の計画で神格呪者を殺すつもりだったのに、殺したはずなのに、うまく殺せたはずなのに。桜峰の遺体だって見た、燃やされるのも、埋められるのも見た。菅原が悲しむのも見た。それなのに……どちらの力も俺の目の前から消えた」
出しきったように息を吐く陸。
「だから、次の移譲先が見つかるまで暇をつぶすつもりだった。俺にとっては俺と同じぐらいに打ちひしがれている無様なやつの面倒を見るのもそれはそれでいい暇つぶしになったしな」
陸は淡々と優紀との想い出を踏みにじるようにしゃべる。
事実だけを報告のように語っているだけだった。
「とはいえ、すぐに見つかる訳もなくあっという間に大学生活が始まった。実に暢気に自堕落な人生を送れたよ。こんなことをしてていいのかと思うほどに平和で気が狂いそうだった。だが、黒い虹の出た天気雨を機にチャンスは転がってきた。優紀が友香に姿を変え、二つの力がうちに秘められていることを確認した。そう、【想造の観測】は【雨喜びの幻覚】を持った友香ごと自分の頭の中に保存していたんだ。だから、【想造の観測】は【雨喜びの幻覚】に隠される形となった。本人の深層意識の下に、だ。でも友香になったことで【雨喜びの幻覚】は【想造の観測】と距離を取ることに成功し、どちらも表に出る結果となった。だから俺にもわかった。あの時の感動は、今でも忘れられない。興奮を隠すのに精一杯だったのを覚えてるよ。でも、本来の感覚が鈍っているのを感じた俺は、改めて殺すためにちょいと能力の感覚を取り戻しておいてもらう必要があった。その後のことは先に話した、いや幾瀧に説明してもらった通りのことであり、お前らも知るところの事実だろう。満足したか? 俺は満足してるぞ。やっと始められるのだから。やっと終わらせてもらえるのだから」
陸は満足げに純に全て話したと視線を送る。
「満足、はおいといて、とてもわかりやすい説明だったと思うよ。やっぱり、俺はこの後に残るものに用があったようだ。俺は踊った。後はそっちで踊っててくれ。紘和と見届けてやるよ」
「おい、こいつはどう考えても今この場で」
「紘和。お前は人類最強でもなければ、ましてやバケモノですらない。お前の大好きな、ここはわきまえる場だ」
紘和はグッと言いたいこと、聞きたいことを飲み込む。その表情を見た純は満足げにした顔で頷く。そして二人は倉庫の隅へと移動した。
そして、陸と優紀が対峙する。
「全部、お前のせいなのか」
地獄で煮えくり返った憎悪の、怒りの一発目がそのセリフだった。
「起こそうとしたのは俺だ。起こしたのはお前だ。そして、そうさせたのは、外の人間だ」
◇◆◇◆
「なぁ、紘和」
「なんだ?」
何も出来ない憤りを言葉に乗せて、陸と優紀の方を見ていた紘和は純の方を振り返った。
するとそこには、目を輝かせた、無邪気な純がいた。
「聞いてたか。今、俺は確かに目的を覚えたぞ」
純がハッキリと何かを抱いたという宣言。紘和にとってはそれだけで死を予感させる恐怖とは違うが背筋が凍りつくものがあった。一体、純をやる気にさせる程のものとは何なのか、その疑問が紘和にわかるはずもなかった。
◇◆◇◆
友香を保存していた。
『ありがとう。私はいつでも優くんのそばにいるから』
友香がそう言ったと思っていた言葉が、脳内を駆け巡る。そう言っていなかったら、この身体はここになかったかもしれないということである。そもそもこの身体がこうなることも本来ならばなかったはずなのだ。友香は不運な事故で死んだのではない。そのことに対する怒りが湯水の様に溢れ出る。今まで自分という存在を失ったことに、友香の両親に会うことに、中途半端に過ごして来た自分の情けなさに、友香を再び失うことに、恐怖し足を竦ませ無力を通関していた男がその全てを忘れて激怒しているのだ。
全て陸が、自分勝手に悪意を持って仕組んだことだったということに。
「ふざけた言い回しで話を逸らすんじゃねぇぞ」
荒ぶる感情が整理する前に言葉となって出る。
「お前が、やったんだ。ふざけるなよ。何だったんだよ。どういう気持ちで今まで隣に、俺は何に救われて、クソが、何なんだよ。何だったんだよ。何なんだよ。おい、陸!」
友香として体裁を保とうとする気は今の優紀にはなかった。余裕がなかったのではない、真実を問いただしたかったわけではない、ただ単純に怒りがあるのだ。陸が友香と優紀を殺したかったことに、優紀と過ごしてきた楽しいと思っていた六年間が偽りだったことに。
だが、溢れた言葉が一旦止まったことで、今度はまともに、言いたかったことを形にする。
「お前が、友香を殺すために俺と引き合わせて、殺す場所に誘導して、加えて、遊んでたんだろうが、全部わかってて、こうなることもわかってて」
溢れる感情に自然と涙し、叫ぶように訴える。
そして、相手の反応を待つのに噛みしめる唇からは血の味がした。
「そうだ、俺が友香をお前に引き合わせた。そしてお前は友香に惚れた。俺が傘を紛失させた。そしてお前は友香の傘に入って帰った。そして友香はお前に見られたから交通事故で亡くした。そんなお前を俺が元気づけた。そしてお前はそれを支えにすることで今日この日まで生きてきた」
あくまでも陸は優紀が決めてやったのだと、煽る言葉をやめようとしない。あんなに献身的に支えてくれていた人間が心の中でこうも真逆の精神を持ったまま接することが出来るのか。そう思えるぐらいに今、眼の前にいる男は優紀の知る陸ではない。陸の皮をかぶった別の何かにさえ思えてしまう。しかし、そんなはずがあるわけもない。これも陸であり、これが陸なのだろう。裏切られ続けていた。百倍に楽しませる気はなかったのだ。
そして許せなかった。
「早く、聞かなきゃならない質問があるだろう。なぁ、優紀!」
陸は首を回しながら優紀を見下すような姿勢をとる。信じられなかった。
親友だと思っていたものがここまで邪悪だったのかと。
「お前は、俺達と友達じゃなかったのか!」
優紀が振り絞って出した声は、怒りに飲まれた全ての感情の中でなんとか一粒だけ残った希望の言葉で、今までのことを否定して欲しいという思いを込めていた。
「殺すつもりのやつに友達もクソもあるかよ、バーカ」
いつものトーンで挨拶を投げかけてくるように爽やかに紘和は笑顔で言った。そして、次の瞬間、陸の顔面に優紀の拳がめり込んでいた。紘和の目で見えた光景は優紀が一瞬で陸の目の前に現れたということだ。つまり、優紀が陸の目の前に行きたいと思ったからこそ、現実となったのだ。
さらに、殴られた衝撃で出た血が再生しないのだ。
「ハッ、お上手に使う割には……いや、お前は俺の話そっちのけで試しただろう? 死者は蘇らないぞ」
確かに陸の言うとおり優紀は移動したいと思うよりも先に、いや前からずっと友香を生き返らせたいと考え、思い、願った。しかし、それよりも前にこれが悪夢であってくれとも思った。それほどまでに耐え難いものだったのだ。しかし、できなかった。恐らくこの力は生物に直接作用できないか、死者の復活のみ許されていないか、優紀が単純に想像できなかったかの三択だった。仮に想像できていたとしても、きっと先に認識した現実の印象が強すぎてその現実は霧散してしまっていただろう。
そしてその全てのうまくいかない行き場のない感情がこんなにも優紀を理解してくれている陸を殺したくて仕方がないこと気持ちへと導かれてゆく。
「殺してやる」
もう後戻りはできないと思った。
それが今まで陸に言えなかった優紀のこの言葉から伺えた。
「殺してやる」
ふっと優紀の右手に包丁が握られていた。そして、何かが振り切れていた優紀はあっさりとそれを陸の腹部に刺したのだ。そこには一切の躊躇はなかった。殺意に満ち満ちているのがわかった。そう、何年と生きていて経験値というものがある、人間としてもそんな直情的な気持ち任せの直線的な一振りをあっさりと陸は食らっていた。それは【想造の観測】の力ではない。
身も心も怒りに任せているのはずなのに涙を零してしまっていた不思議な形相の優紀の顔に虚をつかれた、それだけだった。
「……っとに。お前ってやつは……」
一呼吸。
「随分と……上手に刺せるじゃないか……なぁ? ご飯炊く以外は俺がしてたのによ」
「馬鹿にしやがって、お前は、誰に復讐したいって言うんだ……よ?」
優紀は陸を責め立てて攻め立てる予定だった。自分の人生を無茶苦茶にした憎悪すべき陸に。しかし、刺したまではいいが急に自分の手に力が入らなくなっている事に気づいた。経験はないがピリッとした一瞬の痛みが、次に温かいものがゆっくりと腹を伝う感覚が、最後に金属独特の冷たさが腹の中にあると人体の持つ温度差から感じられる。そして急激に激痛となって優紀を襲う。
剣のようなものが陸を背後から貫いて、そのまま優紀の心臓付近を貫いていたのだ。
「随分と待ちました」
聞き覚えのある声が陸の後ろからする。
そして、覗かせた顔はテレビで見たことのある顔だった。
「チャー……ルズ」
「これでまた始められる。今までで一番早いここから」
チャールズのボヤいた小さな声に疑問を持ちながら優紀の意識は途切れた。
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