第六筆:協力者、現る

 天堂家から紘和の運転する白いウンアスリートのような車に乗り、目的地のレストランへ出発する。優紀は車庫までついて行ったが、そこには高級車が四台並んでいた。それぞれが両親、一樹、そして紘和が所有している愛車と説明された。実際は紘和が運転するもの以外は殆どが乗られていないらしい。それもそのはずで、殆どが迎えの車に乗って移動しているからである。また、使用人や来訪者の車は反対側に停められているという説明も受けた。これは、会話が続かないと気まずい雰囲気になるであろうという紘和の気遣いなのだろうと優紀は思いながら相槌を打ちながらありがたく聞き入っていた。


◇◆◇◆

 

 運転中にも関わらず、紘和は軽い会話を助手席にいる優紀に向けてきた。窮屈に感じない程度の会話量である。そして、話題は車内に飾られていた写真の女性に移った。

 優紀がチラチラと気にしていたのを感じ取ったのだろう。


「この写真に写っている方は、私の恋人です」

「あっ、そうなんですね」


 気にはなっていたが、気にしていたことがバレた上に突然話題として出されると言葉に詰まっり気の利いた返事ができなかった優紀。しかも、それが紘和にとっての恋人の写真だとなる尚の事、興味を持っていたことに恐縮してしまう。撮影場所はどこかの河川敷だろうか。鉄橋に緑の斜面、人がジャンプするには不都合に感じる程度の、自然にできたであろう飛石。

 加えて、麦わら帽子に白いワンピースと突き抜ける青空がとても写真映えしていた。


「今、自分の為すべきことを成せたなら、結婚しようと考えています」


 実に堂々と、赤面などせずにまっすぐ前を向いたまま宣言する紘和。純粋にカッコイイと優紀は思う。もちろん、紘和は努力や運もあって恵まれた環境にいて他のどの人よりも何かをしようとした時に選択肢が広く設けられているかもしれない。一方で生まれながらにして格式ある家に生まれたことにより敷かれたレールの上でやりたいことができないかもしれない。どちらにしろ選択肢があり過ぎても、逆になさ過ぎてもそれを言い訳にやるべきこと、広義に捉えれば夢を諦める人間はこの世界を見渡せばきっとそれなりに、知らないだけで多くいるのかもしれない。それでも、しっかりと自分を意識して、自分の出来る範囲でやり遂げてみせると紘和は宣言している。そんな紘和を隣にして果たして、自分は与えられた環境を利用し切ることができるだろうか、と考える。振り返れば振り返るだけ、出来ないだろうと思う。結局は意志の強さに左右される問題なのだろうと。その結果がある意味、悪かったというつもりはなかったが、陸と共に遊び倒してきた学生生活なのだ。

 優紀はふとそういった自己嫌悪に陥り、いかに自分が不甲斐なかったか再び噛みしめる。


「素敵なことだと思います」


 だからこそ、優紀は紘和の成したいことを聞いてみたかった。


「天堂さんの成したいことってなんですか」

「どんな手を使ってでも自分の正しさをこの世界に証明することです」


 それは優紀の想像し得ない夢だった。そして、それをハッキリと言った瞬間、素敵だと思っていた感情が崩れるのを感じた。先程の尊敬や憧れとは違う印象、昨日敵を前にして、皆殺しを宣言した時に感じたものを思い出さされたからだ。だからこそ、どんな手という言い回しに、紘和が持つという自身の正義についても聞くことができなかった。

 きっとそれは聞いてはいけない内容だと、聞くなという警鐘を鳴らす言い回しを優紀にした様にも感じさせられるのだった。


◇◆◇◆


 数分の沈黙を経て、紘和が再び口を開く。


「それより、桜峰さんには恋人とかはいらっしゃらないのですか? 私が言うのもあれですが、あなたのような魅力的な女性、周りがそうほっとけるとも思えませんが……」


 返す言葉を忘れていた優紀は会話をつなげてくれた紘和の内容にハッと我に返る。

 それと同時に顔が熱くなるのがわかった。


「い、今はいません」


 正直に事実を答える。


「つまり、その言い方ですと昔は彼氏がいらっしゃったのですか?」


 鋭い質問に加えて、今は友香の身体であったことに気づく優紀。

 彼氏がいたという表現にはやはり違和感を覚えた。


「はい、昔はいました」


 それを取り戻すために行動している、とは流石に言えない。

 しかし、事実を伝えられずとも優紀の言葉からにじみ出る感傷に浸るようでそれでいて強い意思は紘和に伝わったようだ。



「そうですか。随分と、思い入れのある方だったのでしょうね」


 優紀の心を見透かすように言葉を作る続ける紘和。


「まだまだ人生、これからですよ」


 その言葉に対して優紀は返事をしていいのかわからず、ただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。


◇◆◇◆


 しんみりとした雰囲気が漂う車内。優紀は意外と遠くまで移動するのだなと思いながら車窓を眺める。そして、すれ違う対向車や人、高層ビルを眺めながら、自分が壊してしまったこの空気の流れをどうしたものかと模索する。未だに目的に着く気配はない。何か話題を、せっかくだからこんな時にでしか聞けないようなことでもあればと思っていると優紀は当初の目的を思い出すのだった。親子喧嘩のような騒動に加え、ロシアの集団という圧倒的な情報量を得たことで忘れていた案件だった。それを話題作りという場をつなぐための苦肉の策として思い出すとは随分と皮肉な話にも思えた。

 黒い虹である。


「そういえば、天堂さんは黒い虹って知ってますか?」


 いざ自分から、しかも目的の内容を聞こうとして少し声を上ずらせる優紀。


「えぇ、もちろん。話題になっていましたし、何より私も桜峰さんに会いに行く道中、車内から眺めていましたから」


 心の中でホッとする優紀がいた。誰も覚えてない事ではやはりなかったと。確かにあの天気雨の中で黒い虹は出現していたのだと。

 優紀は逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと言葉を選びながら話を続ける。


「不思議、でしたよね」

「えぇ、本当に。本当に不思議でした、あの虹は」


 眉間にしわを寄せながら何かを思い出している様子の紘和。


「その存在もですが、何より情報の徹底した隠蔽が、です」

「わ、私もそう思います」


 自分が知りたかったことがわかるかもしれない、何より自分が考えていた本題を紘和の方から口にしたという真相に着実に近づいている興奮から優紀は紘和に迫る勢いで同意する。

 キタキタと、紘和ほどの人間が疑問に思ったのなら何かしらの解決の糸口を見つけているのではないかと。


「どうしてどこのメディア媒体からも黒い虹に関する情報がなくなってしまったんですかね」

「えぇ、全くどうして隠蔽したのか、私にはその理由がわかりません」


 興奮から冴えていたのか、それとも興味のベクトルがしっかりしたものだったからか、優紀は言葉に違和感を覚える。否、正確には会話に、だろうか。

 それは紘和が仲間外れにされて拗ねている、そんな感覚をだった。


「私には? 理由……が?」


 優紀はそのワードを繰り返すことで、違和感の正体を露わにしようとする。


「こんな芸当ができるのは私が知る限り一人しかいません」


 やはり、紘和は知っているのだ。そして違和感の正体は知っている人物が勝手にやっていることだということがわかる。ただ、優紀は国絡みだと思っていただけに、個人で実行しているということに驚きを隠せずにいた。それだけに目的もハッキリとしてこない。もちろん国家絡みだとしてもハッキリとしてくることはないだろうが、隠す理由に正当性とは違えど機密の規模を伺うことはできたと優紀は思うのだ。

 逆に言うと黒い虹という現象を個人が起こした可能性という線も考えられないことはないが、それこそあの規模になることぐらい承知であるはずだから、それだけのことが出来る人間にしては詰めが甘いとも考えられることだった。


「そ、そうなんですか?」


 それが誰なのか、と直接的な言葉で聞くのは流石に紘和がズバッと言わない点からも躊躇いが生まれるが、詳細を知りたいという欲望には抗えなかった勢いの結果の言葉。優紀の異変の手がかりを知っている人物である可能性も高いのである。新たに出てきた可能性を考慮すれば当事者の線だってありうる。

 手のひらにはじんわりと汗が広がり、答えが出てくるかもしれないという緊張感が鼓動をはやらせる。


「アメリカの正義、最凶のチャールズ・アンダーソン。正確には彼の持つ【夢想の勝握】の力です」


 優紀はその名称、名前に思わず口をあけたまま紘和の顔を見てしまった。何せつい先程一樹から聞いた蝋翼物と呼ばれるモノが、アメリカの現大統領が使用したということになるからだ。つまり、蝋翼物に関わる三人が友香を優紀を中心に動いているかもしれないということになるからだ。もちろん、未だに黒い虹と友香の関連性は何一つ結びつかない状況だが、他の点が繋がることで、否が応でも関連性を見出してくるような感覚に陥るのだ。故に驚きと混乱でその後も優紀は開いた口をパクパクと動かす。

 一方の紘和は前を向いたまま淡々と説明を続ける。


「アメリカ側の何らかの実験結果だったのか、それとも世界規模で隠さなければならないことだったのか。しかし、どちらだったとしても私の耳に入ってきていないのはおかしいです。そう考えると彼個人が何らかの理由があって黒い虹という現象を隠そうとしていることになります」


 説明される内容を話半分聞き流してしまいながら、優紀は途中から紘和が本当にそれ以上のことを知らないという事実に、手繰り寄せてきた手がかりが遠く遠くへ逃げていってしまったような感覚に囚われた。

 流石にチャールズに合わせてくれなんて紘和に言えるはずもなく、仮に言えたとしてもチャールズが会ってくれるとも思えない。


「どうかしましたか?」


 紘和が反応もなくうつむいていることに気を使って声をかけてくる。


「いえ、なんでも」


 なんでもあるのにこう言わざるをえないことに優紀は悔しさを噛みしめる。

 どうして自分は今に始まったことじゃなく、ことごとくチャンスを生かせないのだろうかと。


「そうですか……そろそろ目的地です」


 その言葉に優紀は正面を向く。

 するとそこにはいかにもと言った高級感漂う高層オフィスビルがそびえ立っていた。


「ここが本日、貸し切りで予約してあるレストランが入っている所です。私持ちですので安心してください」


◇◆◇◆


 オフィスビル最上階の四十五階。目的であるレストランまでガラス張りのエレベーターに乗り上昇していく。オフィスビルに入ることは出来ても最上階にある高級レストランにしかも貸し切りという状態で入ることは、果たして多くの人が経験できることなのだろうかと優紀は思うことで下に広がる遠ざかっていく地面から目を背けていた。高所恐怖症というわけではないと思っていたが、流石にこれだけの高さを見下ろすとなると足がすくんでしまうものがあった。そして景色が、夜景が綺麗という理由で存在する高級レストランに多少の嫌悪感を覚えるも無事に到着した。

 エレベーターを出たすぐ目の前に受付があり、本日貸し切りという立て札が目に入る。優紀は紘和の後ろを恐る恐る付いていく。すると、二つのことに気がつく。一つはバイキング形式のお店なのか、様々な食材が並べられているのに、オープンキッチンに人が誰もいないということ。つまり、料理だけ用意して料理人すら出払った状態でのフロアの貸し切りだということ。

 そしてもう一つは言葉となって現れる。


「遅いぞぉ。人がせっかくこんなところで待ってお前んちに気を使ってたのに。早く来いよ、紘和、ゆーちゃん」


 取り皿を持たず何本も箸やフォークを器用に使い分けながらバイキングとして並ぶ料理を直接頬張る純の姿がそこにあったのだ。確かにお詫びも兼ねる食事になることが想像できた。


◇◆◇◆


「これ、うまくね? ちょっと燃やしてくる」


 純を無視して紘和と共に優紀は窓際の席に座っていると、大玉のメロンにかぶりついていた純が駆け寄って来てそれだけ言うとオープンキッチンへ向かいローストビーフとともにコンロの火にかけ始めた。かぶり付いた場所に詰め込まれたローストビーフを巻き込みながら火の手はメロンの皮を瞬時に包み込む。それと同時に豚の丸焼きにでも使いそうな長い鉄串を差し込みながら器用にクルクルと回し始める。皮が燃え尽き、中身に火が近づいたのか、勢いが弱まっていくのがわかる。

 そこを見計らってか息を思いっきり吹きかけ、火を消すと慌ただしく食べ散らかす。


「やべぇ、これ。ウマいの? わっかんねぇ」


 実に一人楽しそうな純。


「気にしないで食べてください。料理は味はあんなことをしなければ保証します」


 気にするのが無理なほど存在感をアピールしてくる純が何故いるのか。先の出会いでは殺意を向けたり、会話をしている時は毎度紘目の上のたんこぶのように嫌な顔をしたり、挙げ句のは手には一樹から存在そのものを嫌われているとわかっていて危険を承知で一緒にいる紘和。実は純ととても仲良しなのではないかと錯覚してしまうほどペアであるという印象がこびりついてしまう。そうでもなければこんな横暴を許しておきつつ一緒にいることができるのだろうかと。

 もちろん、実は仲良しなんですか、などとは口が裂けても言いたくはないが。


「じゃぁ、料理をとってきますね」

「どうぞ、お皿はあちらです」


 そそくさと立ち上がるとすぐに皿を手に持ち料理が並ぶテーブルへ向かう優紀。その間に純は先程の創作料理を食べ終えたのかマグロの解体を一人始めていた。

 無茶苦茶な包丁さばきでドンッ、バコッと料理と呼ぶには似つかわしくない音を立てながらマグロの頭が切り落とされ先程までメロンを焼いていたコンロの上に直接落ちる。


「カマじゃカマじゃ、ひゃっほ~い」


 最早理解に苦しむレベルである。紘和は慣れているのかグラスに入った水を飲みながら純には一切目もくれず窓の外の景色をボーッと眺めていた。優紀も郷に入っては郷に従えと言うようになるべく見ないように料理へと視線をそらした。お惣菜からパスタはもちろん、豊富な種類のネタののった寿司に、スイーツ、分厚い肉からカニの山、それに三大珍味があしらわれた芸術とも思える飾り付けをされた見たことのない料理が並ぶ。バイキングがバイキングたる様な豊富な量と種類の料理がそこにはあった。そんな料理に見とれて、優紀が今は友香の身体であることを忘れて、欲張りながらたくさん量と種類を持ち帰ってしまったことは想像に固くなかった。


◇◆◇◆


 二皿抱えながら着席した優紀の眼の前を脊髄からキレイに真っ二つにされた大きな骨が窓ガラスに衝突する。どうやら何か奇声あげていると思われた純が何故かキレイに取り除けていたマグロの骨をそのまま紘和めがけて投げたらしい。それを紘和が【最果ての無剣】で出現させていた刃物でキレイに真っ二つにして交わした結果のようだった。

 優紀はギョッと驚きながら骨と紘和を交互に見る。


「見かけによらず、随分とお食べになりますね。御気に召していただいたようで何よりです」


 優紀の驚いた顔と目があった紘和は何事もなかったかのようにそう言った。するとそこへ再び何かが飛んでくる。紘和は特に顔の向きも変えることなく横から迫ってきたものをフォークで刺し止める。そこにはこんがりと焼きあがったマグロのお頭が突き刺さっていた。

 そしてゆっくりと自分の皿に載せると背かみ、頬肉、脳天、目玉、かま、かまトロ、腹かみとキレイにナイフで切り分けながら別の皿に分けていく。


「熱いうちにこちらもお召し上がりください」


 紘和はそう言うとそっと先程取り分けた皿を優紀に渡す。

 すると、テーブルに影が差す。


「お待たせしたつもりはないマグロのご到着で~す」


 ドンッと解体したマグロの切り身を全て積み上げたであろう皿が置かれる。

 さらに大量のいくらが上からかけられていてまさに豪遊といった品に仕上がっていた。


「遠慮せずに食べ給え」


 純が何かを頬張りながら偉そうにそのまま席につくのだった。


◇◆◇◆


 友香の身体がこんなにも食が細かったのかと料理に対して後ろめたさを感じていると、何も言わず純がひょいひょいと優紀の皿の上のものを口に運んでいっていた。確かに食べきれなかったものではあったが、了承も得ずに食べるのはいかがなものかと、それ以前に異性が口にしたものを何のためらいなく口に運んでいける純に優紀は若干引き気味になる。

 紘和はタワーのようないくらの掛かったマグロをゆっくりと食べていた。


「さて、俺がここにいる本題なんだけどね」


 いつの間にか手にしていた一玉のキャベツに塩を振りながら純が優紀に話しかけてくる。


「ゆーちゃんさ、俺たちの助け、欲しくない?」


 それは単刀直入な申し出だった。

 しかし、この申し出が出るまであまりにもトントン拍子だったことに、何より純という男の言動に警戒心を抱かざるを得なかった。


「そう警戒しないでよ。ゆーちゃんはロシアに狙われてる。俺たちがそれから守る。それだけ」


 優紀の一瞬の身体を強張りを見逃さなかったとでも言いたげに純は言葉を押し寄せさせる。その言葉の勢いすら何かを企んでいるが二足歩行しているような、心象操作に感じる。

 だから優紀は面と向かって自分を、友香を護るために面と向かって疑いの眼差しを言葉にする。


「一昨日、言いましたよね。幾瀧さん然り、良い奴面してる奴は信じるなって。正直、身を守ってくださるということに関しては是非にです。でも……」

「どうして助けてくれるのかって? そんなことをして俺たちに何のメリットはあるかって? 少なくともそこの正義マンには一般市民を護る、それだけで意味があると思うよ。でも、そんなことは、そんな気持ちの悪い思想はここまで短い時間だけど紘和と接してゆーちゃんだってわかってるよね。じゃぁ、どうして俺がゆーちゃんを助けるのか。善意って言って信じてもらえないだろうから俺らしい言葉を送ろう」


 優紀の言葉を遮り、仰々しくそして自分に酔っている様に純がまくし立てる。


「君が特別な人間だからさ、ゆーちゃん」


 特別、という言葉に身体がピクリと反応したのが優紀自身にもわかった。


「大丈夫だよ、喋らなくて。特別ってどういう意味か知りたいんでしょ? 安心していいよ、俺は知ってる」


 ペラペラと楽しそうに優紀の驚きの中にある怯えを伺いながら言葉を選んでいく純。


「どうして知っているのかって顔だね。それともどう特別なのか知るのが怖いのかな? はたまた知られているのがすでに問題だったりする」


 純はどんどん不安を煽るように喋り倒す。事実、言葉として言われ続けることで増す恐怖というものがある。それは自分が思っていないことが、そう思っているんじゃないかといつの間にか刷り込みすり替わっていくような感覚があるからである。優紀は純から聞こえてくる疑問が代弁されているような錯覚に陥り、不安を煽られているのだ。そしてその疑問は一つに集約されていく。お前は何を知っているんだという未知に対する事実を突きつけられる恐怖へと。

 優紀は胃から何かがこみ上げてくるのを感じるほどの不安というストレスの急激な重圧に押しつぶされそうになっていた。


「ゲス野郎。そこまでにしとけよ」


 そんな状況を救ってくれたのはやはりこの場では紘和だった。


「お前みたいな奇人の楽しみ方なんざ知らねぇんだよ。話を、前に、進めろ」

「おぉ、怖い。場が盛り上がってきたってのに」


 優紀にとっては二度目の、大学の女子トイレで見た時以来の両者の温度差。しかし、味方してくれる人がいるとわかるだけで落ち着きというものは取り戻せるものであった。

 加えて、ノイローゼにでもなりそう弾幕なおしゃべりも収まっていたのもあり、吐き気が引っ込んでいくのを感じた優紀。


「こういうやつなんです。だから、許す必要はありません。嫌悪感を露わにすることは間違っていません。でも、話だけは聞いてやってください」


 深々と、何故か紘和が深々と頭を下げながら優紀にお願いしてきたのだ。

 当の純はやれやれと両手を広げながら少しも悪びれた様子を見せていなかった。


「え、えっと」


 流石に優紀はどう返したものかと言葉に詰まった。


「興が冷めた」


 軽蔑するような眼で優紀と紘和を見下す純。

 そしてため息を深く吐くと昨日あった出来事を話し始めるのだった。


◇◆◇◆


「えっと、どぉぶらえう~とら?」


 片言でロシア語の挨拶の放たれた先にいたのは、エカチェリーナだった。紘和とロシアの部隊が相対する駅前広場が一望できるほどの高さの屋上を持ったビルの上での邂逅だった。

 突然の背後からの見知らぬ人間の出現に警戒するエカチェリーナ。


「一体どちら様かしら?」


 エカチェリーナにとっては事前に仕入れた情報通りターゲットとなる友香の確保に動こうとした時、これもまた情報通り最強が現れたので力の数でゴリ押してしまおうとした矢先、純が現れたのだ。これほどタイミングよく現れる人間を警戒しない理由はない。

 しかし、エカチェリーナにとって純は知らない人間であって特別な何かを感じる人種ではなかった。


「おぉ、すげぇな。もしかして日本語って英語の代用になる勢いだったりするの? ん? この場合はロシア語なのか? まぁいっか」


 首を回し、両手を組み手首を回しながら躊躇なく距離を詰めて来る謎の男。目的をもって行動しているようなハッキリとした態度からエカチェリーナは一先ず紘和の前に目の前の男の処分を決意する。

 何はともあれ、こんなところに自分が来ていることが一般人に知られることはまずかったからである。


「俺の名前は、幾瀧純。信じてくれていいよ、対話を求めたい相手に俺は嘘を着かないから。ね? エカチェリーナさん」

「それ以上近付かないでもらえるかしら」


 エカチェリーナは自分の名前が知られていたという事実で最大限の警戒態勢に入った。紘和やチャールズと違い、彼女はメディアに姿を晒したことのない存在だったからだ。つまり、顔と名前が一致するということは同時に国の中枢に関わっている僅かな人間であるということである。つまり、この男は見たこともないが、紘和の差し向けた援軍である可能性が高いと推測できた。

 エカチェリーナはネックレスにしてある錠前に右手を触れる。


「おぉ、初体験。さてさて、どんな能力を使ってくるのかな」


 やはり、紘和がよこした援軍のようだ。【漆黒極彩の感錠】の存在を知っている素振りを見せた以上、やられる前にやるに越したことはないとエカチェリーナは即断する。完膚なきまでに油断なく倒すためにいつもの能力を選択する。そして、ナイフを片手に突撃するだけだった。


◇◆◇◆


 身を低くし、一瞬にして純の視界から消えたエカチェリーナ。純はわくわくしながら左から迫ってきていたエカチェリーナの両腕をより低い姿勢から掴み取った。エカチェリーナを下から覗き込むように純の顔が現れる形となった。

 ハッとなるエカチェリーナの顔に満足した純はパッと両手を離してエカチェリーナから一歩距離を取るべく後ろに下がった。


「いや、びっくり。死角から的確な一撃。恐れ入るよ」


 純は死角からの一撃を止めた自分に驚きを隠せないであろうエカチェリーナを挑発する。


「俺は話し合いを求めてるんだ。そのナイフを収めてもらえないかな」


 話し合いを求めているのは事実だったが、ナイフを収めてほしいとはサラサラ思っていない純。そうでもなければ相手の技を看破し、何の反撃もせず挑発的な行動、言動を取る理由がない。

 だからこそ、返事もせずにエカチェリーナももう一度純の視界から消えたのだ。


「おっ」


 また驚かしてやろうと先と同じように力を入れて迎撃しようとする純は自分の身体が思うように動かせないことに気づく。だから単純に力を入れる起点を変え、より低く力士のぶちかましよりも低い姿勢まで下がり右肩をエカチェリーナの右脇に入れるように突っ込んだ。スッと低姿勢に互いの身体が組み合う。純は勢いそのままに反転すると背中をエカチェリーナの腹部にくっつける。そして長座体前屈を彷彿とさせる体勢から純はエカチェリーナを背負い投げしてみせたのだ。フワッと浮き上がるエカチェリーナ。しかし、即座その反動を利用して身体をひねるとキレイに着地してみせた。

 純はそれを確認すると先程同様に手を離しエカチェリーナを逃してやる。


「いいの? 能力をバンバン公開して。俺は話し合いを求めてるだけだよ」


 ぴょんぴょんとその場で軽く跳ねながら純は楽しそうに笑うのだった。


◇◆◇◆


 目の前の相手はやばかった。やばいという単調な表現でしか表せないほどの規格外とでも言うべきなのだろうか。それは日本の生きる英雄と呼ばれている一樹を超えているものではないかと錯覚してしまうほどである。もちろんエカチェリーナが当時の一樹を知っているわけではない。だが、蝋翼物を持つエカチェリーナを軽々と相手にできているのである。

 こんな人間が、全く知られていなかったとは驚きの極みであった。だからといって引くわけにはいかない。加えて全力で戦闘を続けて事を大きくするわけにも行かない。日本という国に対して何か許可を得てこれだけの部隊が侵入したわけではないからだ。現状、立場としては厳しい状況に立たされていた。純が攻めてくる気配はなく相変わらずその場で軽く跳ねていた。そんな攻めあぐねていた状況にエカチェリーナの無線に連絡が入った。

 それは部下からこちらの作戦が筒抜けであったということで、それが純という目の前の人間によって引き起こされているということだった。


「えぇ、人間という括りを逸脱した一般人なら確かに目の前で楽しそうにこちらに交渉を求めてきているわ」


 無線の向こうで部下たちがざわつくのがわかる。するとカシャカシャとシャッター音が聞こえる。睨むように音のした方、純を見るエカチェリーナ。

 携帯で写真を撮ったのだろうか、ニヤニヤしながら見下ろしてこちらの視線には気にもとめず通話を始めていた。


「呼ばれず飛び出すピギャギャギャギャ。ねぇ……」


 どうやら愉快に紘和と連絡をとっていると伺えた。


「残念だけど、私はそちらの援護に行けそうにないわ。あなた達だけで回収をして。でもどうしようもないと、無理だと明らかにわかると判断したら、迷わずに逃げなさい」


 そう言うと通信を切るエカチェリーナ。

 どれだけの犠牲を出してしまうかはわからないが、ここまで来たら交渉の場について少しでも状況を好転させるしかないと判断する。


「……じゃぁ、頑張ってくださいな」


 そう言って純の方も電話を切った。


「お待たせしました。どうやら、これでようやく人命と国の威信かけた交渉が始められるようですね」


 ただの一般人がどうしてこんなにも上から最狂に迫れるのか、不思議な交渉が始まる。


「さぁ、急ごうか。アナタのおもちゃじゃこっちのおもちゃに何分保つかわからないよ」


 エカチェリーナには言葉の意味がわかっていた。対蝋翼物といっても今回のメンバーでは紘和を相手に拮抗することは不可能だろう。蹂躙されるところまで容易に想像できる。だからこそ手短に、それでいて利益を生まなければならない。つまり、どちらが主導権を握れるかである。

 とはいえ、すでにほとんど主導権を握られたようなエカチェリーナは純の提示を聞くところから始めざるを得なかった。


「それで、どんな交渉をしたいのでしょうか?」

「随分と素直になってよろしいと思いますよ。俺も自分の時間は大切にしたいですし、命を無駄に散らせるのも大嫌いです。もしかしたら今日殺されてしまう人間の中に、面白い人種がいるかもしれないのに。あぁ、合成人だとかいうツッコミは結構ですよ。俺が言いたいのは人間的に、ですから」


 とって付けたような丁寧な言い回しがエカチェリーナを苛立たせる。


「要件をお願いします」


 その無駄なお喋りが仲間を最強の脅威にさらす時間を増やすとでも言わんばかりにわかりやすく怒りをはらんだ口調でエカチェリーナは純の無駄口を制する。


「交渉が終わった段階であなた方の生き残りを見逃し、その痕跡の一切を消し、そして、俺が黙認する代わりに、どうしてゆーちゃんっと、わかりづらいですね。桜峰友香さんを狙ったのか。そして、この情報を含めて、あなた方をここまで導いた協力者を教えてください。それが交渉の内容です。さぁ、どうしますか? 流石に仲間は売れませんか?」


 絶対に自分の名前を明かすなという条件でこの情報を得たロシア側としては国と提供者どちらを選ぶかは本来簡単な話のはずだった。


「協力者。この情報を我々に教えた方の名前を教えすることは出来ません」

「じゃぁ、狙う理由は教えてもらえるとして……お前は俺に他に何をよこせるんだ?」


 まるで悪魔と取引しているような感覚だった。二人称が変わっただけで不気味さが増す。

 この交渉には制限時間があった。それはこちら側が全滅する前に交渉を終わらせることである。生存者をゼロにしてしまうこともだが、このままでは確実に痕跡が残る。しかもその始末をする人間が減っているのだ。そして、痕跡が残れば、八角柱の会議で裁判にかけられ、ロシアが世界から糾弾されることが明白だからだ。つまり、友香の奪取に失敗することを前提にしても、何の痕跡も残さず、生存者を撤退できなければこの交渉に応じた意味が、隠蔽ができないのだ。

 そしてその仮定は今や現実味を帯びすぎていた。


「本名じゃなければコードネーム。愛称でもいいよ。代わりにお前だけは日本を今すぐ退去且つ今後日本への入国を制限とするけどね。裏を返せば、どっかに待機してるまだ見ぬ私兵はここに残していってもかまわないってことになるんだけど、ダメ?」

「アナタは一体、どこまで知っているの?」


 顎に手を当てこすりながらこちらを値踏みするかのように睨む純という得体のしれない存在にエカチェリーナは思わず、質問してしまう。一抹の望みであった伏兵の存在もバレているのだ。もちろん、連絡を取った所でここに間に合う場所に今はいない。

 国外に逃亡する時の妨害を確実に排除するために温存した伏兵だからだ。


「いいの? 無駄な質問してて。俺が紘和止めに行くのだって時間はかかるんだよ」


 今度は優紀が無駄口を叩くなとエカチェリーナを制す。


「わかったわ。アナタの条件を、愛称と目的を教えることで受け入れます」


 エカチェリーナは顔を伏せていた。力があるのに屈してしまったことに、多くの部下を死なせてしまったことに。

 何より自分をここへ向かわせてくれた現在の八角柱でロシアの愛であるアンナ・フェイギンに合わせる顔がないと。


「じゃぁ、教えてくださいな。嘘なんて野暮な真似はしないでくださいね」


 純はエカチェリーナにハンカチを差し出しつつ、交渉成立の握手を無理やり交わした。


◇◆◇◆


「それで、情報提供者の愛称はツァイゼル、目的は神格呪者とされるゆーちゃんの【雨喜びの幻覚】を軍事利用するためだってさ」


 興が冷めたと言っていたからだろう。間を作ることも、言い回しでもったいぶることもせず、純は昨日の出来事とそこから得た情報を淡々と告げた。

 知っているのは優紀が友香になっていることではなかったが、それよりも最悪なことだった。


「だからね、まぁ、守ってあげるけど、俺はその神様に愛されてしまったっていう力が見てみたくてね。面白そうだなぁと思って君を助けたいと思ってる。別にただ見たいだけさ。そんな誰も知らない異能なんて面白そうだろう」


 サッと自分の血の気が引くのを優紀は感じた。一樹と話した後に頭の中で現状を整理した時に考えていたことの一つだった。誰かに口にしてその状況が確定するのが嫌で飲み込んだ疑問の一つ。友香を求めていた理由が【環状の手負蛇】という神格呪者ではなく、【環状の手負蛇】をおびき寄せるための関係者でもなく、他にも神格呪者がいてそれが友香、友香に成ってしまった異能と呼んでも遜色ない自分ではないかという可能性である。【雨喜びの幻覚】がどういった力かは実際のところわからない。

 ただ、確実なのは友香もしくは優紀も神に愛された人ならざる者であり、現実になっていたということである。


「まぁ、俺がゆーちゃんについて知ってるのはこれ、だけじゃ実際はないんだけど、今はそんなこと耳に入りはしないかな? ともかく、だ。今は協力し合おうじゃないか。少なくとも日本としてはロシアに軍事力として国民を使われたくないだろうし、ゆーちゃんも人体実験とかは嫌だろ?」


 純はナイフにマグロの切り身を何枚も突き刺しながら半ば脅迫を演出する様な態度で提案をしてくるのだった。

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