第89話 支部長を辞任します(模擬戦:対メル)
第二章 葡萄の国と聖女(89)
89.支部長を辞任します(模擬戦:対メル)
「メル、それ以上ウィンを侮辱することは、私が許さない。」
ルルさんの声が響くと、ギルドのフロアは静寂に包まれた。
ギルド支部長のメルさんは口を開いたまま固まっている。
確かに「呪術」とか「邪術」とか「暗黒魔法」とか「堕落魔法」とかは、相手を侮辱する言葉なんだろうな。
メルさんの口調があまりにも小気味良く、ポンポンと言葉が飛び出してくるので特に侮辱されてるとは感じてなかったんだけど。
しばらく静寂が続いた後、メルさんのブルーグリーンの瞳がだんだん見開かれ、そしてそこから涙が溢れ出した。
「だって、グスッ、ひどいじゃないですか、グスッ、私だって、グスッ、パートナーって呼ばれたい〜!」
メルさんはしゃくりあげながらそれだけ言うと、大声で泣き出してしまった。
体が小さいだけに絵面だけ見ると、大人が幼女をいじめてるようにしか見えない。
でもメルさん、30歳だよな。
25歳の二人が30歳を泣かしてるって、どうなんだろう?
「分かった、ウィン、戦え。」
「はい?」
「戦えば分かる。」
戦え?
何と?
「そうです。勝負です。そこのあなた、私が勝ったら、ルル様のパートナーの座を譲りなさい。」
メルさんがルルさんの言葉を受けてすぐに反応する。
大泣きしてたはずなのに、もう立ち直ってる。
そういうことですか。
僕がメルさんと戦ってパートナーとして相応しい存在だと証明しろと。
しかし、あれだけの言葉で理解できるなんて、メルさん、ルルさんとの付き合いが相当長いんだろうな。
それに、別にパートナーの立場なんて速攻で譲っても構わないんだけど。
「コニー、すぐに裏の訓練場を準備しなさい。訓練してる冒険者たちは追い出していいわ。私の一世一代の勝負ですもの。必ずこの悪い虫をぶちのめしますわ。そしてルル様のパートナーとして共に冒険に旅立つのです。そうだわ、ついでにギルド支部長も辞めるので、コロンのギルド長にも連絡しておいてね。」
ウサギ獣人の受付嬢がメルさんの指示を受けて、慌ててギルドの奥へと走っていく。
メルさん、もう機関銃トークが復活してる。
でもついででギルド支部長辞めるのって、大丈夫なのか。
ネロさん(コロンギルドのギルド長)、苦労が多そうだね。
「あなた! 何をぐずぐずしてるの! 早く着いてきなさい! ギッタンギッタンに叩き潰して、魔物の餌にして差し上げますわ。ルル様に手を出した報いは重いのです。今さら謝っても絶対に許しませんからね。」
うん、帰ってもいいかな。
こちらには戦うモチベーションが何もないんだけど。
ルルさんに手は出してないし、パートナーの座は譲って構わないし、(何も悪いことしたとは思ってないけど)謝ってもいい。
全部無かったことにして、葡萄農園に帰って美味しいワインとアリーチェさんのご飯が食べたい。
そんなことを思いながらルルさんの方を見ると、ルルさんは無言で頷いた。
えっ、帰ってもいいの? とか思ったけどそんな訳はなかった。
「ウィン、軽く稽古をつけてやれ。」
ルルさん、それは「煽り」っていうんですよ。
ほら、メルさん、また泣きそうになりながら僕のこと睨んでるじゃないですか。
どうしてくれるんですか。
僕はいろいろ諦めてギルド支部の訓練場へ移動することにした。
* * * * * *
訓練場はそれほど広くはないけど、模擬戦をするには十分な広さがあった。
周囲にはそれまで訓練していたと思われる冒険者たちと、フロアからついてきた冒険者及びギルド職員が取り囲むように立っていた。
僕とメルさんは訓練場の中央で向かい合って対峙する。
ルルさんは審判のような立ち位置に立っている。
「ウィン、近接戦闘はなしだ。」
「了解。」
メルさんは魔術師だし、どう見ても近接タイプじゃない。
魔法勝負ってことだね。
「メル、何でもありだ。」
「はい、ルル様。」
ルルさんの言葉に素直に頷くメルさん。
ちょっとルルさん、それは不公平じゃないですか。
メルさんだけ何でもありって。
でもこちらも人物鑑定で手の内を見ちゃってるから文句は言えないか。
「では、初め。」
ルルさんの掛け声で模擬戦が始まった。
メルさんは両手に杖を持っている。
右手には青い石が埋め込まれた杖、左手には緑の石が杖頭に着いた杖。
魔法によって使い分けがあるんだろうか。
「ウォーターアロー! アースバインド!」
メルさんが両手をクロスさせるように振って、2つの魔法を同時に放ってきた。
水でできた5本の矢が僕に向かって飛翔し、足元の土が盛り上がって僕の動きを止めようとする。
僕は最小限の動きでアースバインドを逃れ、軌道を微妙に変えながら向かってきた5本の水の矢を剣(黒)で切り落とした。
次の瞬間、僕は嫌な予感がして右側に飛ぶようにして転がった。
転がりながら元々立っていた位置を見ると、そこには槍のように尖った木の根が突き出していた。
まさか避けられるとは思っていなかったのだろう、メルさんが顔をしかめて悔しがっている。
ちょっと危なかった。
周囲に植物がないので、植物操作は使えないだろうと油断していた。
島でカニバラス・ミニマ(コンちゃんの仲間)と散々戦ったおかげで、根の攻撃を察知することができて助かった。
それにしても、普段の饒舌とは打って変わって、戦いになるとメルさんは無口で冷静だ。
おそらく無詠唱でも魔法を打てるのに、わざと最初の2つの魔法を詠唱して、その裏で無詠唱で植物操作を使ったに違いない。
でもこれ模擬戦だよね。
完全に殺しにきてる気がするんだけど。
そこからは無音声の戦いが繰り広げられた。
ギャラリーたちは何が何やら分からなかったかもしれない。
メルさんはほとんど無詠唱で、次から次へと魔法を打ち込んできた。
水の矢、水の刃、水の鞭、水の球、水の壁。
土の矢、土の刃、土の球、土の壁、土の目潰し。
根の槍、根の鞭、根の拘束。
多彩な魔法を組み合わせながら、足元を崩し、死角を作り、多方向からタイミングを変えて攻撃を通しにくる。
水と土の併用で足元にぬかるみを作ったり、土の壁からさらに根の槍を出したり、土の刃のすぐ後ろに水の刃を忍ばせたり、魔法はアイデア一つで千変万化することを実感した。
僕はひたすらメルさんの魔法を防御することに徹した。
それも魔法系統のクエストはいっさい使わず、身体能力と剣(黒)だけですべての攻撃を避け、防いだ。
別に手を抜いた訳じゃない。
この世界の魔術師の魔法をできるだけ多く見たかったのと、クエストの力なしにどれだけ戦えるかの確認のために。
実際、危ない場面はたくさんあったし、内心ではヒヤヒヤしながらの防御だった。
その攻防がどれくらいの時間続いたただろうか。
いつの間にか、メルさんは魔法を打つのを止めていた。
両手に杖を握り締めたまま、訓練場に立ち尽くしている。
「そこまで。」
ルルさんが模擬戦の終了を告げる。
どちらに対しても勝者のコールはない。
僕はそれでも油断せず、メルさんの動きを見つめていた。
「なんなのよ、あなた! なぜ逃げるの! なぜ攻撃しないの! なぜ当たらないの! 私、馬鹿みたいじゃない!」
メルさんが叫ぶ。
悔しい気持ちは良く分かるけど、同情する気にはなれない。
そもそも勝手に絡んできて勝手に空回りしてるだけだし、こちらは初めからまともに戦う気もなかったし。
自分の腕試しに利用させてもらった感じだけど罪悪感もない。
自分でも性格悪いとは思うけど、誰にでも優しい人になるつもりはないからね。
「メル、力不足だな。」
項垂れているメルさんにルルさんがはっきりと告げる。
今の、けっこう刺さったんじゃないかな。
メルさんがさらに俯いちゃったよ。
「でも落胆する必要はない。ウィンには私でも瞬殺される。」
ルルさんが続けた言葉を聞いて、メルさんの顔がガバッと上がる。
「ルル様を・・・瞬殺!?」
いやもう瞬殺は無理ですから。
あれは初見殺しみたいなもので、今は手の内もバレてきてるので、そんなに簡単じゃないです。
元々実戦経験はルルさんの方が遥かに上だし、少しずつクエスト魔法も覚え始めてるので近い将来、僕の方が瞬殺されるかもしれません。
「だから一緒に頑張ろう。」
「はい!」
ルルさんの言葉にメルさんが力強く返事を返す。
一緒に頑張ろう?
どういう意味だろう。
なんか、いつの間にか「雨降って地固まる」みたいな、絆を取り戻した師弟のようないい雰囲気になってるけど、展開が良く理解できません。
この話はどこに向かってるのかな?
「コニー、すぐに手続きをお願いするわ。私は今日付けでポルト支部長を辞任します。書類を整えてコロンのギルド長、ネロさんに提出して。それからルル様のパーティーに1名追加の手続きもお願い。追加メンバーは私ね。あとパーティー名も変更して。今の名前は知らないけど新しい名前は『ルル様とメルと従僕』で。あと次の支部長が決まるまではあなたが支部長代理ね。コニーなら大丈夫よ。私でもできたんだから。さあルル様と私の新しい旅立ちよ。みなさん、今までありがとうございます。私は必ず強くなって、この悪い虫を駆除できるくらい強くなって、またルル様と二人で帰ってきます。それまで、ご機嫌よう!」
僕は言葉を失ってしまった。
いや、訓練場にいるすべての人が言葉を失っていたと思う。
誰か全部なかったことにしてくれないですか?
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