第3話

 ヒノキの生まれ故郷は、あやかしが多く潜む山の麓にある。

 里の者は大半が術士だった。剣術士、妖術師、槍術士。折々に襲い来るあやかしから身を守るために技は磨き上げ続けられた。


 そんななか、ヒノキは身を守るすべを何も持たない。

 両親を早くに亡くし、親戚に厄介になり育った。豊かではない家だ、術を体得するために道場に通わせてもらうことまでは出来なかったのだ。


 山は食材の宝庫だ。皆が技を磨くのは暮らしのためでもある。

 ヒノキもほぼ毎日、山に入らねばならなかった。自分の食い扶持は自分で採って来なければ、食いっぱぐれる。


 自分には術はない。幼い体に力もない。あやかしに出会わないように隠れて移動することぐらいしか、出来ることはなかった。


 里のものは皆、怪しんでいた。術も持たないヒノキが、山に入れば、里の誰よりも多く収穫してくるのだ。

 あやかしが化けているのではないか。そう噂するものが出てきた。


 ヒノキは身を寄せていた家から追い出された。親戚たちがヒノキをあやかしと疑ったからではない。

 里中から向けられる猜疑の目を反らすためだった。

 幼いヒノキは生きるために山に住みついた。

 身を隠すこと、気配を読むこと、それをヒノキはすぐに覚えた。あやかしに見つかってはならない。それ以上に村人に見つかるわけには行かない。

 山で暮らし続けていることが知れれば、今度は本当にあやかしと決めつけられるだろう。


 そんな暮らしの中、ヒノキに友だちが出来た。木の虚に住みついた怪鳥の雛だ。育てばどれだけ凶暴になるかわからない。だが、雛はヒノキに懐き、体を擦り寄せた。


 怪鳥はどこへ行ったのか、雛の元へやってくる様子がない。虚を観察していたヒノキは三日待ち、それから雛の様子を覗いた。

 餌を与えられない雛は瀕死で転がっていた。


 ヒノキは採集したものを次々と雛に与えた。木の実、草の実、きのこ、虫の幼虫。

 普通の鳥ならどれかは口にしたかも知れない。だが、あやかしのことだ。何を食べるかなど誰も知らない。


 バサリと大きな羽音がした。

 空を見上げると、怪鳥が輪を描いて飛んでいる。


 雛を探しているのだ。それに気付いた雛が、消え入りそうな声で泣く。怪鳥はすぐに勘づいて、ここに降りてくるだろう。


 ヒノキは身を隠そうと辺りを見渡した。その時、背筋にざわざわと、鬣でも生えてきたのではないかと思う異様な感じを覚えた。

 身の危険が迫っている。疑いようもなく、本能が叫ぶ。


 身を隠す時間もない。ヒノキは里に向かって駆け出した。

 怪鳥が耳を聾する鳴き声を発して、木の枝を叩き折りながら恐ろしい速さで降りてくる。


 恐ろしくて振り返ることも出来ず、ヒノキはただ走り続けた。


 どおん、と大きなものがぶつかった音がして、地面が揺れた。もんどり打って地面に叩きつけられる。

 すぐに起き上がり振り返ってみると、怪鳥の首に、大蛇が食いついていた。体を怪鳥の翼に巻き付け、地面に引きずり降ろした。


 怪鳥は身を捩って暴れたが、大蛇はお構いなしに怪鳥の首を食い千切った。ばたばたと何度か羽ばたいて、怪鳥は動かなくなった。


 大蛇が怪鳥を喰む。骨が折れる音が山に響き渡る。頭を落とし、我が身と同じ程にも巨大な怪鳥を丸呑みにしてしまった。倍ほどにも太くなった大蛇は、頭を延べて動かなくなった。

 ヒノキを突き動かしていた感情が、すうっと引いていく。大蛇を見ても恐ろしくない。


 雛はどうなっただろう。雛がいる虚は、大蛇の口の直ぐ側だ。近づけば丸呑みにされるかも知れない。理性的に考えれば、近づくべきではない。

 ヒノキの本能は近づけと囁く。


 足音を忍ばせて大蛇に近づく。大蛇はぴくりとも動かない。


 木の虚に近づくには大蛇の体を踏み越えねばならない。誰もそんな危険を犯そうとは思うまい。ヒノキは自分がおかしなことをしていると思いながらも、大蛇に這い登り、硬い皮膚を踏みながら、虚に近づき、中を覗いた。


 雛は目を閉じ、動かなくなっていた。両手で掬うようにして抱き上げると、小さく口が開いた。生きている。すぐに餌をやれば生き延びられるかもしれない。


 雛を抱えたまま、怪鳥の頭に近づく。くちばしの中を覗き込むと、噛み砕かれた兎の死体がある。

 雛のために狩ってきたのだろう。ヒノキは兎の肉の柔らかそうなところから、肉をむしり取り、雛に与えた。

 目を開け、すぐに肉に食らいつき、恐ろしいほどの量を食べ、その量の分、あっという間に大きくなっていく。


 あやかしの成長など初めて見たヒノキは恐れながらも、魅入られていた。


 シイと名付けた雛がヒノキの身長を超えるまで、そう時間はかからなかった。兎を一羽食べきってしまうと、狩りをするようになった。

 ヒノキを家族とでも思っているのか、獲ってきた動物をヒノキにも分け与える。


 シイはどこまでも大きくなり、とうとう飛び立った。そのままどこかへ去るものと思ったが、しばらく山の上で輪を描くと、ヒノキのもとに戻ってきた。

 とんでもない大声で鳴く。


 里人が山狩りに出たのは、その夜だった。

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