第2話
叫び声が聞こえた。人数はわからぬが、一群の足音。逃げようとしては行く手を遮られている二人の足音。
青年はそれを聞き取り、ヒノキを地面に下ろした。
「野盗だろう。ヒノキはここで待ちなさい」
返事も聞かず、青年は駆け出した。杖は槍のように構え、目が開いているかのごとく、道を違えることがない。
樹木が密に生え見通しが悪い細道で、六人の荒くれ者が二人の町人らしき者を取り囲んでいる。
荒くれ者は刀を抜き、じわじわと獲物に迫っていく。いたぶって楽しむつもりだろう。
青年の足音に気付いた荒くれ者の一人が振り返った。
「な、なんだ、テメエ!」
青年の姿が消えた。
野盗達、皆が青年の行方を探して視線を配る。
どさりと重いものが落ちた音がして、野盗達が目をやると仲間の一人が地に伏し、青年が襲われている二人をかばうように杖を水平にかまえたところだった。
「杖術士か!」
叫ぶような声を上げた男の鳩尾に杖が突きつけられた。男は地に頭をつき、腹を押さえてうめき声を上げる。
青年は間を置かず杖を横に薙ぎ、三人の男の膝を叩き割った。
三人はもんどり打って倒れ伏す。
最後の一人に杖を突きつけると震え上がり、背中を見せて逃げ出した。
青年はとんと軽く地を蹴ると、野盗との間に距離などなかったかのように追いつき、男のこめかみに杖を叩きつけた。
あっという間に六人の野盗を倒した青年を、襲われていた二人は目を丸くして見つめる。
杖を突き、ゆっくり歩いて戻ってきた青年に、高齢の男が深々と頭を下げた。
「命を助けていただいて、なんとお礼を申し上げればいいか……」
「お怪我はありませんか? 私はめしいなのでわからないのですが」
老人は連れのことも確認して答える。
「おかげさまで、無事でございます」
青年が「良かった」と微笑みかける。その美しさに二人は言葉もない。
「それでは、私はこれで。道中、お気をつけて」
道を戻ろうと踵を返す青年に、老人が慌てて追いすがる。
「お待ち下さい、なにかお礼を……」
「お気になさらず。命を救うことは術士の使命。連れを待たせておりますので、参ります」
「あのぉ」
老人の随行の若者が、道の向こうを指差す。
「もしや、お連れ様とは、あの方では」
ヒノキが枯れ枝を支えに道を辿ってきていた。
「ヒノキ?」
青年が声をかけると、遠くから返事がやってきた。
「御師様! ご無事ですか!」
青年が返事をする間もなく、若者が駆け出し、ヒノキのもとに向かう。
「私は大丈夫。ヒノキこそ、足は平気だろうか」
大きくはない声だが、どこまでも深く響く。
若者がヒノキが背負う荷物と、ヒノキ自身を背負い、戻ってきた。
「弟子を運んで頂き、恐れ入ります」
「お弟子様は怪我をなさっておられましたか。どうぞ、我が家に起こしください。怪我の手当をいたしましょう」
ぜひに、ぜひにと頭を下げられ、ヒノキを下ろしてもらえず、青年は同行を了承した。
老人は仁左衛門と名乗った。近くの村の長だという。
その言葉通り、連れられていった仁左衛門の屋敷は、それは立派なものだった。
四脚門を備えた、一見、寺院かとも思うほどの広さと堅牢な造りの母屋、渡り廊下を行くと、六角堂のような離れがある。
玄関で足を洗い、その場でヒノキの怪我を診てもらう。随行していた若者が医術に詳しいということで、薬草と軟膏を塗り、布で硬く足首を括った。
「こうしておけば、二、三日で歩けるようになりますよ」
「それまで、どうぞご滞在ください」
すかさず口を挟んだ仁左衛門の嬉しそうな様子と、弟子の怪我を心配するあまり、青年は逗留を決めた。
通されたのは母屋の奥、便所に近い部屋だった。通常なら客を通すような部屋ではないが、ヒノキが出来るだけ歩かなくて済むようにとの配慮だ。
仁左衛門の心遣いは温かく、食事も部屋まで運ばせ、手ずから給仕まで務めた。
「やもめ暮らしで大したお構いも出来ず、お恥ずかしい限りで」
そう言う仁左衛門は寂しそうで、青年は委細を尋ねた。
「妻はつい先日、あやかしに襲われ亡くなりました」
「あやかしに?」
思わず大きな声をあげたヒノキに、仁左衛門は深く頷いてみせた。
「見たものによると鳥のような姿だったそうです。くちばしのある女の顔をしていたと。妻を鷲掴みにし、天空から地面に落として……、それはもう、見るに堪えない姿にされて……」
ヒノキはなんと言葉をかけていいものか、思いつかない。自分だったらなんと言って欲しかっただろう。
「いや、すみませんな、お食事中にこんな話を」
青年が静かに箸を置く。
「そのあやかしは、まだ捕らえてはいないのですか?」
「峠を超えて飛んでいったのですよ。それで私どもは隣村にあやかしのことを尋ねに行ったのです。その帰りに野盗に襲われたという次第で」
「それは、大変でしたね」
なにかを考え込んでいる青年の代わりにヒノキが慰めの言葉をかけると、仁左衛門は寂しげな笑顔を見せた。
「隣村まで行ってもなんの手がかりもなく、妻の無念は晴らせそうにありません」
青年がヒノキに顔を向ける。
「ヒノキ、これまでの道中で、あやかしの気配はあったかな?」
「いえ、御師様。あやしい空気はありませんでした。それに、道中の村でも、行き会う旅の人でも、あやかしの話は出ませんでした」
「仁左衛門さん」
青年は膝を繰って仁左衛門と向き合う。
「あやかしは峠に潜んでいるかも知れません」
「峠ですか? しかしあやかしは、かなりの大きさでしたそうですし、峠に隠れられそうな場所はありません」
「あやかしの中には、姿を消すことが出来るものもいます。ひっそりと獲物に近づくこともあるのです」
ヒノキが仁左衛門に向かって頭を下げた。仁左衛門は驚きうろたえる。
「申し訳ありません、仁左衛門さん。僕が怪我しなければ、あやかしの気配を見逃すことなどなかったのに」
「いや、頭を上げてください」
そう言われてもヒノキは顔を上げる事が出来ない。おのれの不甲斐なさに唇を噛んだ。
「もしかして、ヒノキさんは、あやかしを見つけることが出来る方なのですか?」
ヒノキはこくりと頷いた。
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