022.怖くないよ

 青空がどこまでも続く空。その下にも、どこまでも続く青い海があった。まるで空と海が同化したような、そんな巨大な青がどこまでも続いている。


 漣の音が心地よく耳に届いた。


「あ、暑い」


 僕は手を膝につけた。


「本当だね〜」


 アオさんも手で顔を扇ぎ、風を送っていた。


 砂浜から、そして上からも熱波が襲いかかってきていた。体のエネルギーが全て吸い取られていくような暑さだ。


 僕は顔を上げた。


 それにしても、本当にきれいな海だ。


 壮大。本当にこの一言に尽きる。


「ねぇ!せっかくだからさ、泳ごうよ!」


 アオさんは満面の笑みだ。


 僕はドキリと反応し、後ろに退いた。


「ぼ、僕はいいですよ」


「え?どうして?暑い時に海に入ると、とても気持ちいいよ?楽しいし」


 アオさんは首を傾げた。


「……実は、僕、海が苦手なんです」


「……なんで??」


 僕は俯く。


「小さい時、家族で海に行ったことがあって。その時に僕、溺れそうになったんです。


 いや、溺れました。


 はしゃいでて、気づいたら1人になってて。とても怖かったです。


 次第に疲れてきて、僕は海の中へ沈んでしまいました。どんどん陽の光がユラユラして、遠くなっていく。そして冷たい。暗い。


 そんな恐怖の感覚を刻み込まれました。


 僕は本当に死ぬと思いました。苦しくて、最後は息ができなくなって。自分が吐いた息の泡がどんどん上へ上がっていくのを眺めながら底の方まで沈んでいったのを覚えています。


 ……でも、そこからは覚えてなくて、なぜか助かってました。母親と父親は泣いて僕の無事を喜んでいました。


 その時からなんです。海が怖くなったのは」


 僕は顔を上げる。アオさんは僕の言葉を静かに聞いていた。


 その時だった。


 急にアオさんが僕の手を握って走り出した。そして海の中に走り込んでいく。


 僕は踝あたりまで海に浸かった所で、投げられた勢いで飛ばされた。バランスを崩した僕は転倒し、全身がびしょびしょになった。


「ちょっと、なにするんですか!?」


 僕はずぶ濡れになって座り込んだ。アオさんは相変わらず満面の笑み。


「気持ちいいでしょ?夏の海は!」


 アオさんは微笑んでいる。口に入ってきた海水はとてもしょっぱい。


 確かに気持ちいい。久しぶりの海。冷たくて、水に濡れるのも心地がいい、……のかもしれない。


「……やめてくださいよ」


 僕は立ち上がった。そして、アオさんも海の中へ入ってきた。アオさんが僕に向かって一歩を踏み出すたびに、パシャと水が弾き上がる。


 アオさんはエメラルドグリーンの瞳を僕に向ける。


「確かに、小さい時に経験した怖いことってなかなか克服できるものじゃない。だって本当に怖いんだもんね。それに、海は命を奪う。これは本当。


 でも、海を怖がらないで欲しい!海は広いし、深いし、美しい。それを私は1番理解している。


 私にユウ君の苦手なものを強制して克服させる権利なんてないのかもしれない。でも、ユウ君が私に人間の世界を教えてくれるように、私もユウ君に海の世界を教えたい!そして、海を好きになって欲しい!だからね、


 海はさ、怖くないよ」


 アオさんは微笑んだ。そして、手の平からシャボン玉を作り出して、僕の顔にすっぽりとはめた。


「よし!ユウ君!!今から海の中を案内するよ!さぁ!!私に捕まって!!」


 アオさんは再び僕の手を握って海の中へ走り出した。どんどん海の中へ入っていく。


 ついに顔まで海の中へ潜っていった。僕は足を地面につけようとするが、届かない。


 怖い!!目を開けられない。僕は急いでアオさんに捕まった。


 


 ──感覚的にアオさんの背中の上に乗っているようだった。どうやらアオさんは擬態をやめて人魚にもどっている。


 水を跳ね除けて進んでいる感覚を感じた。つまり僕たちは海の中を泳いでいる。


 暗い、冷たい。あの時と同じだ。


 シャボン玉のおかげで息はできるけど、怖くて目が開けられない。


 怖い、怖い!!


《怖がらないで》


 なぜか、頭の奥に響くようにアオさんの声が届いた。驚きのあまり、僕は目を開けてしまった。


 ……明るい!白い光が僕の目の中に入ってきて、視界が真っ白になる。


 反射的に目を瞑ってしまったが、もう一度ゆっくりと目を開けた。


 

 そこには、神秘的な光景が広がっていた。


 透明な青い海。海の中はどこまでも見えていた。


 地上で見るよりさらに濃くなった青。


 海底の水草たちは優雅に揺れていて、色とりどりの魚たちは踊るように僕たちと泳いでいる。


 どこまでも広く、サンゴが生い茂る海。


 太陽の光が波のせいかユラユラと差し込んでいる。白い泡がプカプカと浮かび上がっていく。


 僕は美しさのあまり、思考が止まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る