二章 一周目 学院

第3話 竜と魔女

 ガタゴトと馬車に揺られる。


 まさか入学したてで、学外へ出ることになろうとは思わなかった。


 着慣れぬ制服に、見慣れぬ同級生。


 集団の比率は、圧倒的に貴族の子女が多い。


 同じ制服に身を包もうとも、平民出とはやはり違うものだ。


 養護院の連中と比べてやれば、より判別もし易い。


 肉付きや血色がまるで違う。


 碌に苦労も知らず、衣食住も満ち足りているのだ。


 忌々しい、とは思うまい。


 生きているだけで儲けもの。


 人なんぞ、いつ何時なんどき死ぬとも限らないのだ。


 そう、不運な両親のように。






 一度だけ街道の宿に泊まったものの、翌日には目的地とやらに到着した。


 西区、帝国領との国境。


 両国を分ける幅広の川が流れている。


 川向こうの壁が、もう帝国か。


 北壁とどちらが頑強なのだろう。


 考えるまでもないか。


 そりゃあもちろん、帝国に決まってるよな。


 王国とじゃ年季が違い過ぎる。


 是非とも参考にさせてもらいたいもんだぜ。


 ……んで結局のとこ、コレを見させて何をさせたいんだ?



「余り川岸には近づかないように。川を挟んだ西側がもう帝国領となります」



 橋が架かっているのは、もっと南側だよな。


 別段、帝国領まで見に行くつもりは無いようだ。



「当学院では、帝国との交換留学生を募ってもいます。興味がある者は学院に戻った後、教師に申し出るように」



 ……はあぁ?


 入学したてで留学とか、意味が分からないんだが。


 貴族は王国内に居ればこその権威なわけだし、平民出の魔術師なら、普通はそのまま魔術局入りをすることだろう。


 留学するとはつまり、将来を棒に振るに等しい。


 もし名乗りを上げる奴がいるとするなら、余程のバカだろう。



「帝国は皇帝の専制君主制をとっています。我が国とは違い貴族は居ません。主だった戦力としては──」



 この流れ、まさかとは思うが、青空教室でも始めるつもりか?


 こちとら栄養が足りてねぇから、立ってるのもシンドイんだが。


 付き合ってらんねぇ。


 その辺の椅子にでも座って休憩しとくに限る。






 ぼんやりと川面を眺めつつ、物思いに耽る。


 態々出向いてまで、することだったのかねぇ。


 さっさと魔術の一つでも覚えたかったとこだ。


 しっかしまぁ、東区とは違って、西区は平和だねぇ。


 町並みも随分と異なる。


 廃墟や瓦礫なんざ、見当たらねぇし。


 此処までの様子からして、商業が盛んらしいな。


 帝国の恩恵が大きいのだろう。


 どうせなら、東区に行けば良かったのだ。


 平和ボケした貴族共の目に、あの惨状を焼き付けてやれば──。



「キャアアアアアァーーー!」



 突然響き渡った悲鳴に、反射的に長椅子の陰に隠れる。


 東区じゃあ、いつ魔獣が襲って来ないとも限らない。


 その習慣が染みついてる。


 もっとも、椅子程度じゃ壁代わりにもならないだろうが。



「ま、ま、魔獣だぁーーー!」



 ──って、ホントに魔獣なのかよ!


 此処は西区なんだぞ⁉


 しっかし、叫ぶとか命知らずなことだ。


 逃げる者、騒ぐ者をこそ、魔獣は優先して狙う。


 犠牲になってもらってる間に、さっさと逃げるに限る。



「魔獣との遭遇時、騒いだり逃げたりするのは誤った行動です。平静を失った者から命を落とすことになります」



 悲鳴は止み、落ち着いた声だけが聞こえてきた。


 椅子の陰から様子を窺う。


 生徒が注視する先は……川か。



「──な」



 川が凍り付いていた。


 氷の中、魔獣らしき姿がある。


 す、すげぇ……これが魔術かよ。


 大きさからして幼生体だろうけど、にしたって単独でたおすとか、戦士団要らねぇじゃん。


 引率の教師、こんなに強かったのか。



「皆、川岸から離れて。念の為、ワタシのそばに集まるように」



 今、一番安全な場所は、あの教師のそばに違いない。


 逆らわず、椅子から離れ移動する。



「しかし妙ですね。上流には帝国の水門がある。魔獣が侵入できるはずが……」



 そんな独り言が漏れ聞こえてきた。


 これだけ大きな川だ。


 両国にとって、貴重な水源だろう。


 当然、魔獣が侵入しないようにされてはいるはず。



「ね、ねぇ、アレってまさか……」


「影……か? かなり大きいぞ」


「また魔獣⁉ もう嫌ぁーッ! 早く帰りたい!」



 またぞろ騒ぎ始めた。


 見れば、上流から黒い影が近付いて来ている。



「先程も言ったはずです。騒げば騒ぐだけ、魔獣はこちらへと向かってきます」



 ……アレは確かにヤバそうだ。


 さっきのとは明らかに大きさが違う。


 幼生体と成体は別物だ。


 成体相手じゃ、単独で勝てるはずがない。


 分かっているのかいないのか。


 教師は避難を促すでもなく、川面を眺めているだけ。



「こうも魔獣が現れるなど異常過ぎる。上流で何かあったのは確かなようですね」


「せ、先生。逃げようよ」


「そ、そうだよ。早く逃げないと殺されちゃうだろ」



 声量こそ抑えているが、それも限界だろう。


 魔獣が姿を現わせば、すぐにも叫びながら逃げ出すに違いあるまい。


 安全地帯のはずが、すぐにも危険地帯になりかねない。


 少しでも町側に移動しておくべきだ。


 が、判断が遅過ぎた。


 視線を向けられた。


 たったそれだけのことで、身体が動きを止めた。


 息すらもできない。



「やはり成体ですか。昨日今日で成長できるはずもない。ましてや、国境警備を預かる者が見逃すことなどあり得ない」



 イカれてんのか、この女⁉


 この状況でまだ喋るとか、あり得ねぇだろ⁉


 氷を砕き、魔獣が遂に姿を現わした。


 デカい。


 川底の深さがどれだけかは知らないが、見える限りで既に家なんかよりも大きい。



「いいですか? 決して動かないように。騒ぐのも厳禁です」



 んなこと言ってる場合か⁉



「GWAAAAAAAAーーーーー!」



 全身が震える。


 いや、空気そのものが震えてやがる。


 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。


 もういつ襲われても不思議じゃない。


 誰かが叫んだ瞬間に終わる。


 くそがッ!


 まだ何もできてやしねぇってのに!


 こんなとこで死ぬのかよ。



「──そこ、危ないですよ~」



 教師の声じゃない。


 誰だ──と思う間もなく、魔獣が爆ぜた。


 凄まじい衝撃と振動。


 堪らず、地面に倒れ込む。


 大量の水と血と肉が降り注いで──。


 ……あれ? 降ってこない?


 何だこれ、空中で止まってる?



「おやおやぁ~? 余計な真似しちゃいましたかねぇ~?」


「アナタは──その恰好、赤竜せきりゅうですね」


「そう言うアナタは、四大しだいの魔女殿じゃありませんかぁ~? いやはや、ジブンなんかが覚えてもらえてるなんて光栄だなぁ~」



 せきりゅう?


 何だそれ。


 肉塊の上には、いつの間にやら槍を手にした人影があった。


 髪も服も真っ赤なあの兄ちゃんが、魔獣をたおしたのか?


 たった一人で?



「宮廷魔術師が国境にいらしているとは珍しいですね~。随分と子供を連れてもいらっしゃるようですし~」


「院外学習の引率です」


「ほほぉ~、確か魔術学院ってヤツでしたかね~」


「違います。王立学院です」


「おやおや~、これは失礼しました~」


「話を戻しましょう。帝国に名を馳せる竜が、2体もの魔獣を今の今まで見逃していたのですか?」


「これでも国境警備って大変なんですよぉ~? 端から端までなんて、とても見切れませんよぉ~」



 二人は知り合いなのか?


 何となく、この女教師が凄い奴だったっぽい風に聞こえたが。



「す、すっげぇー」


「なあなあ! あれってマジの魔獣だったんだろ⁉」


「一撃かよ」



 せきを切ったように生徒が騒ぎ出した。


 体が動く。


 呼吸もできてる。






「水門は帝国の管轄。とは言え、事は両国に関わります。破壊されたにせよ、故意に開放されたにせよ、由々しき問題です」


「なるほどなるほどぉ~。こんな場所に魔獣が現れたのは、水門に異常があったのかもしれませんね~。これはもうしっかりと調査させないといけませんか~」


「──では、水門の調査には、我が国からも人員を派遣いたします。よろしいですね?」


「国境はジブンの管轄ですしねぇ~。態々陛下にお伺いを立てずとも構わないかな~。ってなわけで、入国許可はジブンが出しとくんで、お好きにどうぞ~」



 槍を軽く振るうなり、隣の氷塊が砕け散った。


 閉じ込められていた魔獣諸共に。



「ではでは~。自分は他の見回りがありますので~。これにて失礼しますね~」



 既に姿は掻き消えて、声だけが残った。


 王国の戦士団とは違い、帝国には騎士団があると聞く。


 さっきのも騎士ってヤツだったのか?


 にしたって、強さが異常過ぎる。


 北壁ほくへきにいるとされる最強の戦士団だろうと、先生の戦士団だろうと、成体を一撃でなんて、仕留められやすまい。



「──余計な真似を。折角の魔石が」



 ……あ? 今、何か呟かなかったか?



「院外学習は中断とし、予定を変更して辺境伯の館へ向かいます。その前に、まずは人数の確認を──」



 何がどうなってんだよ。


 魔獣をこうも容易くたおせる存在が、何人も居やがんのか?


 ならよぉ、何でもっとたおしに行かねぇんだよ⁉


 オマエらがもっとやる気を出してりゃあよぉ、死なずに済んだんじゃねぇのか?


 くそがッ!


 未だに他者を頼みとしようなんざ、ホントに俺はバカだよなぁ。


 そうだな、連中は連中の都合でしか動かねぇのが道理。


 先生に助けられただけでも、望外の奇跡ってもんか。


 いいさ、分かってる。


 連中に頼らずとも、自分で何とかしてやるさ。





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