第19話 後悔の涙

「ん……」


 意識が戻り、私は静かに目を開ける。目に入ってきたのはあまり見慣れない天井だったけど、何回か入った事があるからそれが保健室の天井だとすぐにわかり、漂う消毒薬のツンとした匂いやベッド同士を遮るカーテンがそれを証明していた。


「私……屋上で倒れて、それで……」

「運ばれてきて、今まで寝ていたのよ。有原真澄さん」

「え……?」


 その声に驚いていると、カーテンを少し開けて毒島先生が姿を現した。


「毒島先生……」

「気分はどうかしら? まだ熱があるなら解熱剤をあげるけど?」

「あ、大丈夫です……少し眠ったからか体も軽くて熱も下がったみたいなので」

「そう。でも、まだ安静にしておきなさい。そもそももう授業は全部終わる時間帯だし」

「え……あ、本当だ」


 ポケットから取り出した携帯電話の画面を見ると、そこに表示されていた時間は先生が言うように六時間目の終わり頃だった。


「それじゃあ私は、二時間くらい寝てたんですね……」

「貴女が眠っている間に軽く熱を測ったけれど、明らかに風邪をひいている程の熱だったもの。そんな中で隠して一日を終わらせようとするのは流石に無茶よ」

「そうですよね……」


 毒島先生と話しながら自分がどれだけバカな事をしたかと考えていたその時、私は毒島先生と“普通に”話を出来ている事に気付いて驚いた。

 毒島先生はネイキッドに所属している人で、私が久寿弥と初めて会った日も久寿弥の子供を授かるためにあの屋上で行為に及んでいた上に久寿弥を含めた四人でお昼を食べていた時に私に対して敵意に満ちた視線を向けてきたはずだ。

それなのに、毒島先生は私と二人きりの中でも何もしてこないし言ってこない。それが本当に不思議なのだ。


「……毒島先生」

「何かしら?」

「……私に何もしないんですか?」

「……本当はしたいわよ。ネイキッドの素晴らしい教えに背くような貴女達が久寿弥様に気に入られ、この保健室から連れ去ってしまった事は心から腹立たしいし、無理にでも貴女を久寿弥様から引き離したいわ。

私は早く久寿弥様とのまぐわいで子供を授かりたいし、その子を優秀なネイキッドにするために育てたいもの」

「それじゃあどうして?」

「……こういう理由よ」


 そう言ってカーテンを全開にすると、そこには椅子に座っている久寿弥の姿があった。


「えっ……!?」

「私だって久寿弥様がいらっしゃる中でそんなバカな事は出来ないの。久寿弥様は貴女を心配して、今日だけという事で午後の授業をここでの勉強時間にしていたし、久寿弥様から早くお恵みを頂きたくても貴女がいる中でそんな事は出来ないとおっしゃるからそれも出来なかったし……」

「当然だ。具合悪くて寝てる奴の横で騒がれたら、良くなる物も良くならないからな」

「久寿弥……」

「毒島、少し席を外せ」

「……わかりました。久寿弥様の仰せのままに」


 そう言うと、毒島先生は少し悔しそうにしながらも素直に保健室を出ていき、その男子高校生に成人女性であり保健室勤務とはいえ教師が従う様は私にとって驚くべき物だった。

そして久寿弥は私に近づくと、そのまま額に手を伸ばしてきて、軽くピタリと触った。その瞬間、久寿弥の軽く冷たい手が心地よく感じられ、久寿弥は安心したような顔をした。


「本当にもう大丈夫そうだな」

「う、うん……」

「さて、お前にはちゃんと言っておく必要があるな」

「い、言っておくって……?」


 私が恐る恐る聞いたその瞬間、久寿弥の顔は安心した物から怒りに満ちた物に変わった。


「この……大バカ野郎!」


 その少し小さくて低い、だけど重みのある声は私の体を震わせるには十分過ぎる程であり、私が竦み上がっていると、久寿弥はその顔のままで再び口を開いた。


「なんで無茶なんかしたんだ! 倒れるくらいに具合が悪いなら、学校なんて休んでちゃんと家で寝てろよ!」

「だ、だって……休んだら久寿弥が気に病むと……」

「それよりも倒れられる方が嫌だ。お前が目の前で倒れた瞬間、俺は本当に心配したし、早く助けてやらないといけないって思った。お前がこのまま死んだらどうしようって……そう、思ったんだよ……」

「久寿弥……」

「真澄が俺の事を気にかけてくれたのは嬉しいさ。だけど、俺だってアイツらみたいに何も気兼ねなく言われるような関係になりたいんだ。今回みたいに俺の事を気にして、真澄が本当に命の危機に瀕したら、俺は自分を許せないし、絶対に後悔する。

だから、これからは俺の事情や考えなんて気にしなくていい。俺に頼りたいなら素直に頼って、何か言いたいなら遠慮なく言っていい。お前に倒れられたり辛い目に遭われたりして欲しくないんだ」


 そう言う久寿弥の目には軽く涙が浮かんでいた。その様子から久寿弥が本当に私の事を心配してくれていて、自分よりも私を優先したいと考えている事がハッキリと見て取れた。

それがわかった瞬間、久寿弥に対して本当に申し訳ない事をしてしまったと感じて、私の目からはポロポロと涙が出てきた。


「……ごめん、久寿弥……本当にごめん……!」

「お、おい……別に泣かせる気なんて……」


 私が泣き始めた事で久寿弥は珍しく狼狽える。そして久寿弥がどうしたら良いものか迷い続ける中、私の涙はポロポロと流れ続け、しばらくの間、後悔は久寿弥に対しての私の行いについて責め続けた。

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