第29話『寺田屋襲撃事件その2』

寺田屋のある地区は高級宿屋街になっており、木の家にしか住む事を許されない一般住民は立ち入ることを禁じられている。また、宿屋に泊まる者達も、夜10時以降の外出は禁止となっている。ミヨシの最大の任務は、スセリを外出させないことであった。更に宿屋地区へと至る出入り口は、ラズルシャーチの精鋭兵士達が厳重に守っており、賊が侵入してくるとしたら、上空からしかあり得ない。武の国では、常に上空にも目を配らせているため、賊が侵入してくることは絶対にまず考えられない、と、自信を見せていた。


 だが、無人の通りをゆっくりと歩いていたゼントは、不穏な気配を感知していた。何かが蠢いている。生まれ持った剣士としての類稀なる嗅覚が、彼をそう確信させていた。ゼントはゆっくりと肩にかけた剣を抜き、前後左右、更に上空にも視線を散らす。そして、彼は気がついたのである。侵入経路は不明。だが、今、寺田屋に向かって、左右から、かなりの数の賊が紛れ込んできていることに。その気配は、今まで感じたことのないもので、人間なのか、魔族なのか、それとも異種族なのか、怪物なのかも把握できない。鉄の混じった血の臭いすらしない。ただ禍々しい殺気を放っていることだけは感知でき、剣士は寺田屋を背にして、通りの左右を瞳だけで何度も確認し続けた。

 ゼントは夜目が利く。夜の闇の中でも、対象物を的確に捉えることが可能である。そして視認した。正体はわからないが、槍や剣、斧を持った黒い影のような集団が、左右から挟みうちにするように、寺田屋に接近してきていたのである。

 左側よりも、右側の方が数が多いと判断したゼントだったが、不用意には動かず、集団に囲まれる覚悟で、賊を一人で迎え撃つ決断をした。

 寺田屋を、黒い影の集団が取り囲み始める。当然の如く、ゼントの周囲にも賊が集まってきた。夜よりも少し明るく、歪な暗を放っている者達の集団。剣士は完全に包囲された。


「・・・お前達、賊か? 一体何者だ?」


 ゼントは冷静な声で、自らを包囲する黒き集団達に語りかける。体躯2メートルはあろうかという黒い影が集団たちを左右に移動させ、ゼントの前に姿を晒す。その影のレベルは見えず、その答えも要領を得ない。唯一判断できたことは、この一際巨大な黒き影がこの集団の陣頭指揮を執っている、ということだけだった。


「ゼント、貴様を殺す前に教えてやる。俺達は、人でも無ければ、魔族でもない。異種族でもなければ、何者でもない。名もない尖兵だ」


 何故俺の名前を知っている? 刹那に浮かんだ疑問を直に振り払い、剣士は臨戦態勢に入る。これは、命のやりとりになる。そう確信したゼントは呼吸を整え、いつものように剣を構え、どのように立ち向かうか、思考を巡らせ始めた。

 

「お前達は宿屋に侵入し、スセリ・サラバナの命を確実に取れ。ゼントは、この俺が、直接、・・・殺るっ」


 指揮を執る尖兵の指示に従い、残りの尖兵達は寺田屋を完全に包囲し始めた。そのとき、一階の綺麗な風呂場で湯に浸かっていたおりょうが、黒き影の存在を窓の外から確認する。彼女は生まれたままの姿で風呂桶を飛び出し、スセリとミヨシがいる二階へと階段を駆け上がっていく。


 スセリのいる室内では、ミヨシと何も事態を把握していないスセリが楽しく談笑していたのだが、ミヨシが奇妙な気配を察知し、彼女との会話を止め、窓の外を確認した。そしてあり得ない事態に直面し、戦慄する。同刻、全裸姿のおりょうが部屋の襖を開き、「賊です! 賊が寺田屋を包囲していますっ」と視界に入ったスセリに向かって叫んだ。


「賊? どういうことぜよ」


 未だ事態を飲み込めていないスセリだったが、自らの生命に危機が及んでいることだけは即理解することが出来た。そして決して感情を表に出さず、落ち着いて銃を取り出し、おりょうに服を着るよう命じた。彼女は大慌てでその場に折りたたまれて置かれていたスセリの寝間着を着込んだ。

 事態を完璧に把握したミヨシが、悲壮感溢れる表情で、スセリの前に跪き、こう告げた。


「スセリ様・・・寺田屋の周辺を大量の賊が取り囲んでいます」

「数は?」

「確認できただけでも、100名です・・・」

 

 最低でも100名以上。その言葉を聞いたスセリも、思わずニヒルな笑みを浮かべてしまう。一体どういうことなのか、事情はわからないが、自分の命が狙われていることだけは確信した。そして、ミヨシと視線を合わす。


「2体100じゃ、全く持って勝負にならん。外にはゼントがおるはずだ。何人入ってくるかわからんが、賊が部屋に侵入してきたら、まずは迎え撃ちつつ、この宿屋から何とか逃走することを最優先に考えよう」


「ここは危険です。相手のレベルも不明です。むやみな戦闘は避け、直に奥の窓から逃走しましょう」


「いや、ここの部屋は広いが、入り口は一箇所しかない。それもかなり小さい。100名もの大軍が一気に部屋に押し寄せてこれるとは思えん。せいぜい侵入できても、一度に10名か、多くても20名ぐらいだ。正面さえ死守すれば、ある程度防衛することはできる。ウチもちとむかっ腹が立っておる。相手の顔も見ずに逃げるのは、恥だ」


 スセリの決断に、ミヨシは悲壮感溢れる表情をしつつも、彼女を擁護した。


「・・・承知致しました。まずは賊を確認し、少し応戦した上で、確実に逃走しましょう。」

 

 ミヨシの力強い武士の眼差しに、スセリは神妙な表情で頷いて見せた。と、そこに衣服を着込んだおりょうが割って入ってくる。


「スセリ様、私が、あなたに力を授けたく存じます」


「力? って、どんなもんだ?」


 唐突なおりょうの申し出に、スセリは戸惑ったが、黙って彼女の話を聞くことにした。


「私には、大恩を受けた人に特別な加護を与える、という特殊能力があります。人生で一度だけしか使えない、たった一度だけの特殊能力です。今が、まさにその能力を使うときが来たのだと確信しました」


 おりょうのスセリへの眼差しは、畏敬の念で溢れていた。その話を聞いたスセリは、あえて何も言わず、笑顔を見せ、そっと手を差し伸べる。


「すまんなおりょう。なら、その特殊能力、ウチにくれんか? 今はまだ、ウチは死ぬ訳にはいかんきに」


「勿論です。あなたは死んではいけないお方、私が手を握って、あなたに加護を送り込みます」


 そう言うと、おりょうはスセリの白く美しい手を掴み、自らの魔力をスセリに流し込み始めた。そしてスセリの体が温かな光に包まれ、透明な球体に包まれたのである。


「なんだ? ウチの回りに、球体が??」


「これが、加護です。あらゆる物理攻撃や、魔法攻撃、特殊能力による攻撃を完全に無効化します。そしてその効果は、スセリ様が自身の意思で解かない限り、続くのです」


 話し終えると、おりょうは表情を曇らせ、その場に前のめりに倒れ込んでしまった。とっさにミヨシが抱きかかえる。


「おりょう、大丈夫かっ?」

「心臓は動いてますが、呼吸をあまりしていません。ひょっとしたら、生命力を代償にして引き渡すような能力なのかもしれません」


 ミヨシは険しい表情をしつつ、スセリに語った。


「おりょう・・・このベコノカワッなんでウチにそれを言わんかったんじゃっ」

「そ・・・それを言ったら・・・スセリ様は・・・受けとって下さらないでしょう・・・」


 途切れゆく意識の中で、おりょうは苦しそうな表情でスセリに笑みを見せると、意識を失ってしまった。


「おりょう・・・絶対に、おまんを死なせんからな。ミヨシ君、ウチらは絶対に生き残るぜよ」


「勿論です。城に行けば、回復専門術士のヤマト総隊長がいます。すぐに彼女を連れていけば、まだ間に合うはずですっ」


「よし、行くぜよっ」


 二人が腹を括ってからしばし後、薄闇の部屋の入り口が開き、少し赤みのある黒い影が数名室内に侵入してきた。スセリとミヨシは部屋の中央に堂々と向かい合って座り込んでいる。


「おまんら、こんな夜分に無礼であろう。何者だ! 何故ウチの命を狙っちょる?」


 スセリの詰問に対し、黒い尖兵の一人は、口角を上げて、こう答える。


「俺たちは、人でも無ければ、魔族でもない。異種族でもなければ、何者でもない。名もない尖兵、ただスセリ・サラバナ、貴様を殺すためだけに生まれた存在だ」


 こいつら、一体何を言ってるんだ? 得体の知れない賊に、歴戦の猛者であるミヨシにも、わずかに動揺の兆しが見られた。そして尖兵達は、そんな少年のかすかな心の揺らぎを見逃さず、室内に20名ほど突入してきたのである。スセリは加護をかけつつ、直に銃で尖兵達を攻撃していった。彼らは予想外に脆く、彼女の銃一発で消えさった。そのあまりの手ごたえのなさに、少女は驚く。一方、ミヨシは十文字槍を握り敵陣に突撃し、華麗な立ち回りで尖兵達を次々に攻撃していった。多くの尖兵はミヨシの俊敏な動きに対応できず、一撃で倒されていく。そしてミヨシもまた、手ごたえのなさに違和感を覚えて、すぐにスセリの下へ下がろうとする。が、そこに剣を持った尖兵の一人が突撃してきて、スセリを狙い打ちにしてきた。刹那の油断で加護を解いていたスセリは、完全に虚を付かれ、右手に持った銃で相手の剣を受けるので精一杯であった。そして、スセリの右手の動脈が切断され、彼女は大量の出血をしてしまう。


「スセリ様っ!」


 怒りの形相になったミヨシが、即座にスセリを襲った尖兵を仕留める。そのミヨシのあまりの強さに、尖兵達も不用意に踏み込むことが出来ず、入り口付近で二の足を踏んでいた。

 スセリは苦痛に顔を歪ませ、右手を押さえ続けている。


「スセリ様、これ以上は危険です。ここを抜け出しましょうっ手当てはその後で行います」

「ああ、わかった。ミヨシ君、おりょうを、おりょうを抱えてくれっ」


 スセリに言われた通り、ミヨシは倒れているおりょうをおんぶし、そして三人は奥の大き目の窓へと逃げ込んだ。


「逃げたぞっ追えっ」


 尖兵達が、続々と室内に侵入し、スセリ達を追いかけてくる。ミヨシは窓をこじ開け、スセリを先に外に出させると、追っ手の尖兵達を、おりょうを背にしながら相手にした。そしてひと段落したところで、彼も窓から脱出する。

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