第3話『坂本龍馬と近江屋で』

 スセリは掛け軸の裏から畳の敷かれた部屋に投げ出されるように転がってきた。それに驚いたのは、真剣に話し合いをしていた二人の男。一人は維新志士の中岡慎太郎。もう一人は、坂本龍馬である。スセリビメは、坂本龍馬が暗殺される直前、日本の近江屋へ迷子としてやってきてしまった。

 スセリの姿を見て驚いた中岡は、早々に剣を抜き、少女を威嚇してみせる。彼女を刺客だと思ったらしい。しかし、坂本は中岡を諌めた。


「落ち着け、石川。こんな子供のオナゴが刺客なわけないだろうが。」

「しかし、才谷・・・」


 坂本と中岡は、二人だけのときも、常にお互いを変名で呼び合うよう気遣っている間柄であった。そのため、スセリには、二人は顔の怖い方が石川で、と少し優しそうで整った容姿をした方が才谷という人物だ、と頭の中で記録された。


「あの、すみません。ここは、どこですか?」

 スセリは大柄だったが優しい瞳をした坂本龍馬の方に、勇気を出して尋ねてみた。

「ん? おまん。何もしらんのだな? ここは近江屋っちゅーところだ。俺の名前は」

「梅太郎!」

 自分の名を名乗ろうとした坂本を、中岡が制した。しかし、坂本は意に介さず、下の名前だけは本名をいう事にした。

「俺の名前は龍馬。・・・才谷、龍馬だ」

「才谷、龍馬様ですか。失礼しました。私の名前はスセリ・サラバナ。サラバナ王国の第三公女で、民からはスセリビメと呼ばれています」

 スセリの発言に、両者は対極的な反応を示した。龍馬は瞳を丸くして驚き笑みをみせ、中岡は早くも憤慨し、ただでさえ生まれつきの怒り眉を、更に尖らせたのである。  

「すっスセリビメ!? 本当か」

「貴様! その青い瞳、異国人の分際で、わが国の文化を冒涜するつもりかっ子供とはいえ、容赦せんぞっ」

 

 中岡は一度収めようとした剣を再び抜き、スセリを威嚇した。


「わっ私は嘘はついていません。本当に、そう呼ばれているのでございます」

「落ち着け、石川。すまんのう。あいつは今、ちょいとカリカリしちょるんだ。大事な話をしとる最中だったからな」

「ひょっとして、喧嘩ですか?」


 心配そうに尋ねるスセリに、龍馬は優しい声色で語りかける。

 

「いや、そういうわけじゃない。それにしても、スセリビメとは、いや、たまげたな。生きてれば驚くこともあるもんだ」

「そんなに私の名前が珍しいのでしょうか」

「勿論。スセリビメっちゅーたら、この日本を代表する超有名な神様と同じ名前だぞ。でもお前、まだ子供だろ? 大国主様とはもう会ったがか?」

「大国主? すみません、どなたか存じ上げません」


 スセリビメなのに、大国主を知らない。龍馬は疑問に感じたが、どう見てもまだ子供。恐らく出会っていないのだろうと独自に解釈し、一方的に話を進めることにした。信心深く仏や神やあの世の強く存在を信じる坂本に、彼女の存在を疑う理由は一切なかった。


「そか。ま、世の中色々あるもんな」

「その・・・失礼ですが、龍馬様は、一体ここで何をなされておられるのですか?」

「ん? 今はな、ちょっとこの国の行く末について、そこにいる怒りんぼうと話をしとったんだ」 

「才谷、そんな子供は直に外に叩き出せっ。刺客かもしれんぞ?」

「おいおい石川、こんな黒髪の可愛い顔した女の子が、刺客なわけがないだろう。刀も持っておらんじゃないがか」

「懐に獲物を忍ばせているかもしれない! 改めさせろ!!」

「え、え??」


 中岡はスセリに近づき、彼女のどこか和の雰囲気を感じる小奇麗な装束を掴み、剥ぎ取ろうと必死になった。しかし、それを龍馬が必死に止める。


「おい、石川。落ち着け、もし刺客なら、とっくに俺は刺されてる。まずは落ち着いて、この子の話を聞いてみようぜよ」

「子供の話など、聞いてる場合かっお前一人で喋ってろ。俺は少し横になるから、話が終わったら起こせ」


 ちょうどそのとき、スセリは不覚にもお腹を鳴らしてしまった。彼女は少し空腹だった。

 

「お前、腹減ってるのか?」


 龍馬は柔和な笑みでスセリに尋ね、彼女は気恥ずかしそうに頷いてみせた。


「すみません」

「そか、なら、お前に軍鶏を食わしてやるぞ」

「軍鶏?」

「軍鶏っちゅーのはな、そりゃもう、たまるか! っちゅー食い物だ」

「たまるか??」

「とっても美味いっちゅー意味だ」

「そっそうですか。この世界の言葉は、とても難解なのでございますね」

「そうか? まあお前さんの時代には、土佐なんてもんはなかっただろうからな。俺の姉さんの嫁いだ先で、子供の頃から軍鶏鍋を食べていた。俺にとっては故郷の味だ」


 そう言うと、龍馬は威勢よく笑いつつ、少し咳き込んだ。彼はその日、体調を崩していたのである。


「大丈夫ですか? 龍馬様?」

「ああ、ちょい風邪を引いてしまってな。あまり俺には近づくなよ」


 言われた通り、スセリは正座をして、龍馬から少し距離を置いて座った。


「あの、そこで寝ている石川という方は、何者なのでしょう?」

「維新志士だ」

「維新志士?」

「この国を救う存在だ。ちなみに俺も維新志士というほどではないが、国を憂いているんだぞ」


 国を憂う。龍馬の言葉に親近感を覚えたスセリは、素直に言葉を返す。


「何故、龍馬様は国を憂いているのです?」

「そりゃあもう、今、日本は世界中から領土を狙われてて、このままだと存在しなくなってしまうからだ」

「国が、無くなる・・・」

「ああ。国が無くなって、あらゆる物を破壊しつくされ、言葉を奪われ、文化を破壊され、この国の神である天皇様も、殺されてしまうだろう。それだけは、なんとしても避けなければならないんだ」


 そう語る、坂本の眼差しは真剣そのものだった。その瞳にはどこか聖なる志を感じさせるものがあった。この人は只者ではない。仮にも王族として沢山の貴族階級の人間と触れ合ってきたスセリは、坂本に人間としての度量と懐の深さ、そして大きさを感じとったのである。それゆえか、スセリの坂本に対するかすかな警戒心は薄らいでいった。


「それは、大変ですね」

「ま、といっても、俺のやるべきことはもう終わっててな。あとは第二の人生だ」

「第二の人生?」


 二転三転する坂本の言葉に幻惑され、スセリは戸惑う。この者、何を考えているのか全く読めない。こんな人間に、初めてであった。少女は目の前の大男のそこはかとない神聖な佇まいに驚きを隠せずにいた。


「ああ、俺の夢、世界の海援隊を作って金儲けすること」

「海援隊で・・・金儲けですか。富の得方なら、私も多少は心得ておりますよ。そのような教育を受けて育ちましたから」

「そうなのか? さすがスセリビメは違うな。やっぱりお父さんはスサノオノミコト様なのか?」

「いえ、父上は、ヨウドウ、と申します」


 ヨウドウ。その名を聞いたとき、坂本の頭の中に、僅かだが憎悪の感情が浮かんだ。自らの国、土佐藩主、山内容堂と同じ名前だったからだ。郷士出身の彼にとって、悪魔より憎い相手。身分階級の激しい土佐の王。心底気に入らない存在であった。表情には現さなかったが、殺されていった自らの同士の事を思い出し、坂本の心にかすかに陰が過ぎった。


「どうかいたしましたか?」

「いっいや、なんでもない。知ってる名だったからな、ちとばかし、驚いただけだ」

「はあ・・・左様でございますか。では、龍馬様は商人になりたいのですね」

「ああ、俺は船に乗って、海を渡り、世界中を飛び回って、商人として貿易っちゅーのがしたいんだ」

「貿易ですか。それは儲かりそうですね。一体何を売るんです?」

「今は主に銃だが、将来的には、色々な。考えているところだ」

「銃? 銃とは何ですか?」

「そか、お前、銃を知らないのか。」


 丸腰のスセリを哀れんだ坂本は、懐から、自らが所持していたリボルバー式の銃と弾を取り出し、彼女に手渡した。


「ほれ、これだ」

「これが・・・銃ですか」

「やるよ」


 スセリが手にした銃は、小さな彼女には重いはず。だがしかし、何故か手に馴染み、どこか不思議と懐かしさを覚えた。それが何故なのかは、スセリにもわからなかった。坂本から少し銃の持ち方と使い方の手ほどきを受けた彼女は、さっそく銃口を眠っている振りをしている石川の後頭部に向けてみた。「引き金は引いたらいかんぞ」と、坂本はにやつく。スセリは少し口角を緩め「はい」と可愛らしい声で答えた。しかし、こんな上等な品物を頂くわけにはいかないと、遠慮の気持ちも芽生えてきた。


「お気持ちは非常にありがたいのですが、このような大層な物は、いただけません」

「かまわん。一年ぐらい前に命を狙われてな。そのとき、俺は手を怪我してしまって、今は銃が上手く使えないんだ。銃は便利だし、護身用に持っておいた方がいいぞ。これからは、刀よりも銃の時代だからな」

「ですが・・・」

「気にするな。銃なら俺は仰山持ってる。武器商人だからな」

「武器商人?」

「そう。長崎っちゅー場所で、アメリカが内戦で使用した安い銃を、たっくさん買いこんでな。祖国の土佐を抜けた俺は、基本薩摩藩士として活動しつつ、銃を売ったり、長州に行って情報を仕入れ、薩摩に伝えてた。長州とも懇意とも懇意になり、京で締結された薩長同盟っていうものの保証人にもなった。俺は別件で居合わせただけだけど、長州側は桂さん一人だったから、その同盟が本物で、偽りのないものであることを示して欲しいと頼まれて、俺が薩摩側、長州側、双方の仲介役の代表として裏書きさせてもらったんだ」


 そう話す龍馬は、少し得意気な表情をしていた。自らの業績を、日本の神であるスセリビメに伝えたい一心であった。


「一体何故そんなことを??」

「・・・ちょっと前まで、この日本もアメリカと同じ内戦状態だったからな。とにかく武器が大量に必要だった。武力も、な」

「武力・・・ですか」


 武力。それはつまり戦争を意味する。争いを好まないスセリの表情は、少しだけ曇った。その彼女の表情の微妙な変化を見逃さなかった坂本は、直に言葉を重ねてきた。


「うむ。だが、どうやら、この俺の考えは、間違いだった。ただでさえ世界中が日本を狙っている状態なのに、国内同士で戦争していては、国力が落ち、その間隙を付かれ、他国に滅ぼされてしまうだろう? だから俺は、もっと良い方法を思い付き、それを実行に移す算段を考えた」

「一体、何を考えたんですか」

「大政奉還だ」

「大政奉還?」

「徳川幕府に政権を天皇様に返還させて、血を流さずに、新しい国家を作る、ちゅー計画だ」

「血を流さずに、新しい国家を、作る?」



 坂本の発想はとっぴ過ぎて、スセリにはよく理解できなかったが、目の前の大男が傑物であることだけは充分に伝わってきていた。


「大人になったら、お前はとても凄い神様になるけれど、まだ子供のスセリビメには、ちと難しい話だったかな。ま、とにかく今は、その最後の詰めで、そこでふて腐れてる石川と話をしていたんだ」

「よくわかりませんが、そんな大変な時に来てしまって、申し訳ありませんでした」

「気にするな。あのスセリビメに生で会えるなんて、生きてればいいことあるもんぜよ~。それにしても、やっぱり神様だけあって、死ぬほどめんこい顔してるなぁ。大国主様が一目惚れするのも、わかるぜよ」


 スセリに顔を近づけ、好色な龍馬は、少しだけ、猥褻な笑みを覗かせる。


「おい、才谷。お前、馬鹿も休み休み言えよ? そんな子供が、本物のスセリビメなわけないだろうっ瞳の色以外、どうみてもその辺にいる日本人の子供の顔じゃないかっ」

「でも本人はそう言ってるぞ。高貴な雰囲気もする」

「自分の夫のことを名前も知らないとか言ってるような子供だぞ? しょうもない嘘を付いているに決まっているっ」

「まだ子供だぞ? 出会ってないだけかもしれないだろうが」

「夫? 私には、夫がいるんですか?」

「ああ、そうだぞ。お前さんは、大国主っていう、とんでもなく偉い神様と、将来出会って、結婚するんだ」 

「結婚!? この私が?? 大国主という神様と??」


 結婚。大国主。想像しがたい言葉の羅列に、流石のスセリも困惑した。一体大国主とは何者なのか。その者と結婚とはどういうことなのか。スサノオノミコト様の事は知っていたが、少女には全く坂本の言っている事が理解できなかった。


「ま、神様とはいえ、運命はどう転ぶかはわからん。今日ここに突然現れたことで、少し状況が変わるかもしれん」

「そっそれもそうですね・・・」

「勝先生にこの事話したら、きっとびっくり仰天するぞ。早く会いたいな~自慢話がまた一つできたぜよ」

「・・・よくわかりませんが、喜んで頂けたのなら、幸いです」

「元の世界に戻ったら、俺の事を神様達に、日本に偉大なる天才商人、さか、才谷龍馬ありって、声を大にして言いふらしてくれよな」

「はっはあ・・・神様ですか。では、我が国が崇める神、ニニギノミコト様にでも・・・」

「ニニギノミコト様だと??」


 ニニギの名を聞いて、坂本は仰天し、背を少しのけぞらせた。ニニギノミコトといえば、この日本の天皇の祖先にあたる、偉大なる神様の名である。


「はい。私の国では、ニニギノミコト様を信仰しておりますから、社を通し、そのように申し伝えておきます」

「お前、ニニギノミコト様まで知ってるのか? やっぱり、本物のスセリビメなんだなぁ~俺は確信したぜよ」

「才谷、酔狂も大概にしておけ。いい加減、怒るぞ?」


 はたから見てばかばかしい二人の会話に業を煮やした中岡は、いつものように憤慨し、龍馬を責め立てた。


「お前はさっきからずっと怒ってるじゃないか~」

「そりゃあ怒るさっこの俺は、お前に振り回されて、もう散々だっほとほと愛想が尽きた、この件が解決したら縁を切りたい! とっとと海にでも外国にでも行ってしまえっ」


 中岡は立ち上がり、龍馬を感情的に糾弾し始める。それに対し、龍馬は一切動揺することなく、冷静に切り返していった。


「悲しいこと言うなよ、石川。俺達は間違ったことはしていないだろ? 万事うまく行くはずだ」

「ああ、ならそうしてくれよっ流石にもう俺の手には負えそうにないからなっお前の意見には賛成だが、話の規模がでかすぎて、俺も、どうしたらいいか、わけがわからないんだぞ??」

「あの、お二人とも、やっぱり、喧嘩中、なのですか?」

「心配するな、スセリビメ。石川はな、ちょいと癇癪持ちなんだよ」

「誰が癇癪持ちだっ全部お前がっいつもいつも、あれやこれやとこの俺を引っ掻き回すからだぞっ」

 

 中岡は頭を掻き毟り始め癇癪を起こすと、再び不貞寝を始めた。そしてそれからしばしの沈黙の後、スセリは自らも商人になって自分の街を作りたい旨を坂本に伝えたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る