釣瓶落としの後始末

増田朋美

釣瓶落としの後始末

その日は寒かった。日が出ると、暑いくらいの天気であるが、日が出ないとこんなに寒くなってしまうものである。どうもその寒暖差が極端すぎると思われるが、それでも、その中で、生きていくことが必要なのである。実際のところはそうは行かなくて、嫌だ嫌だと言ってしまうのが、人間なのだけれど。

その日、製鉄所では、いつもどおりに杉ちゃんたちが、着物を縫ったり、料理を作ったりしていた。製鉄所と言っても、鉄を作る工場ではなく、家に居場所が無いだとか、通う場所が無い人に、勉強や仕事をする部屋を貸している、福祉施設であった。最も、福祉施設という言い方を、杉ちゃんも、利用者たちもあまり好きではなかったが。

製鉄所では、様々なイベントが行われることもあった。音楽を演奏するとか、ピアノレッスンとか、ちょっとした勉強会のようなものも行われてきたこともある。最も、最近は、勉強会をするために、団体が利用するというケースは少ないが、その日は珍しく、製鉄所の食堂を借りて、勉強会が行われていた。なんでも、鳥について勉強する団体だという。

「えーと、この辺りで観察できます野鳥は、カワセミ、ヒヨドリ、ヤマガラなどいます。特に、ヤマガラは、戦前くらいまでには、ペットとして飼育されており、ヤマガラ専用の鳥かごもあったと言われるほど、人気を博していました。」

講師は、ネイチャーガイドと呼ばれている、鈴木妙子という女性だった。ネイチャーガイドなんて何の役に立つ職業なんだろうかと思われるが、こういう動物や、植物の観察会などに呼ばれて、講座を受け持つこともよくあるらしいのである。

「それでは、実際に写真を見てみましょうか。こちらの小鳥さんがヤマガラです。小さな鳥ですが、目立つ体色をしていますので、すぐ発見できると思います。」

妙子さんは、写真をメンバーさんたちに見せた。何故か、彼女は鳥に対して、鳥と呼び捨てすることはしないで、鳥さんということが多かった。勉強会の参加者は、女性が三人参加していたが、その中で、一人、ちょっと、他の参加者と違う方向を見ている女性がいた。彼女の名は、藤井唯。年は、まだ、30にもなっていない。そうなると、大学に行っているか、働いているかの時間帯であるが、彼女は、どちらもできなかった。なんでも、高校時代、学校の先生にひどいことを言われて以来、ほとんど家から出なくなってしまったという。

「はい。ヤマガラはとても、人懐っこい鳥です。人間を怖がることも無いので、すぐに餌付けすることができます。それで飼育することもできたと思われますが、現在は、法律で禁止されています。ヤマガラの芸として、釣瓶落としとか、神社のおみくじを引くなどの芸がありましたが、現在は、ほとんど廃れてしまっています。」

鈴木妙子さんはそう話した。

「次の鳥さんはヒヨドリです。ヒヨドリの写真は、このような感じの鳥さんです。身近なところでも見られますが、、、。」

鈴木妙子さんの講座はそのまま続いた。そして、すべての鳥を紹介すると、

「はい、富士市の野鳥講座は、終了です。皆さん、本日は参加してくださいましてありがとうございました。」

と言って、参加者に頭を下げる。参加者全員から拍手が起きて、講習会は終了した。

「ありがとうございました。それでは皆さん、お忘れ物のないようにお帰りください。」

製鉄所を管理しているジョチさんこと曾我正輝さんが、一応部屋を貸している提供者として、その挨拶をした。参加者たちは、カバンをとり、筆記用具をしまって、別の人は、上着を着て、それぞれの持場に帰っていった。一応製鉄所には、駐車スペースは限られているので、みなバスで帰っていく人が多かったが、藤井唯さんもその一人だった。一応、製鉄所から歩いて数分のところに、富士山エコトピアという停留所があった。そこは、富士山エコトピアという、昔の名前で言えばゴミ焼場、今の名前で言えば、清掃工場兼観光施設になっている施設があって、そこの従業員さんが、通勤で使用することもあり、結構人がたくさん乗る場所なので、複数の行き先のバスが到着するところでもあった。大体の人は、富士駅行か、新富士駅行に乗ることが多いが、唯さんは、吉原中央駅行に乗っていかなければならなかったから、しばらく、そこで待たなければならなかった。唯さんが、バスをそこでぼんやり待っていると、

「あら、先程、私の講座を聞きに来てくださった方ですね。」

といきなり声をかけられてびっくりする。

「あ、先程の鈴木妙子先生ですね。素敵な講座をありがとうございました。私鳥について全然詳しくありませんでしたけど、なんか、私も、鳥さんたちと一緒に生きているんだなという感じがして、すごく楽しかったです。」

唯さんは、正直に妙子さんに感想を言った。

「いいえ、あたしのあんな下手な講義でしたけど、聞いてくださって嬉しかったわ。あたしたちは、人間だけで生きているわけじゃないのよ。鳥さんたちも、いろんな種類の鳥さんがいっぱいいるの。だから、人間が全てだって奢っちゃいけないわね。」

妙子さんは、そういう唯さんににこやかに答えた。それと同時にトラックがやってきた。トラックの前を、一話の小さな鳥が、飛んで行った。

「あの、今の鳥は何という鳥でしょうか?」

唯さんは思わず聞いてみる。

「ヤマガラよ。人を怖がらない鳥だから、ああして大型バスも怖がらずに飛ぶわ。」

妙子さんはにこやかに答えた。

「へえ、さっき先生は、ヤマガラは芸をするっておっしゃってましたよね?それは、今でも飼育して、覚えさせることはできるんですか?戦前までは流行ってたって、言ってましたね。」

唯さんは好奇心からそれを聞いてしまった。

「ええ、まあ人になれやすい鳥だから、覚えることはできるでしょうね。でも、今はヤマガラが絶滅の危機にひんしているということで、なかなか飼育できないんじゃないかしら。もし、そういう芸をさせて見たいんだったら、そうねえ、自宅に、鳥さんが止まっても大丈夫なくらい枝ぶりのいい木はある?そこで、ひまわりの種かなにかを紐で縛ってつる下げて置くと、ヤマガラがそれをたくし上げて食べる芸をすることもあるわよ。」

妙子さんは、知識人らしく、そう話してくれた。こんな話、妙子さんだからこそしてあげられるのかもしれなかった。他の偉い先生だったら、企業秘密とか、そういうことで答えてくれないかもしれなかった。

「わあ、すごい。私やってみます!」

と、唯さんはとてもうれしそうに言った。二人は、それと同時にやってきたバスに乗って、吉原中央駅まで向かっていった。バスの中からでも鳥がいたが、ヒヨドリ、尾長、ハシブトガラスなど、妙子さんはいろんな鳥の名前を教えてくれた。唯さんは、鳥というものが、こんなに面白いことを初めて知った。吉原中央駅でバスを降りて、自宅に帰ったが、自宅は父親の会社の社宅であり、とてもヤマガラが止まれるような、枝ぶりのいい木はない。大家さんの庭でやらせてもらおうかとも考えたが、不法侵入なんて言われてしまったら元も子もなかった。普通の人なら、ここで諦めるかもしれないが、唯さんは、諦めなかった。

翌日。唯さんは、再び製鉄所に行った。どうせ仕事もしていないし、学校に行っているわけでも無いので、一日中家にいては気が滅入ってしまうということで、唯さんの家族が、製鉄所で過ごす事を勧めてくれたのだ。製鉄所では、嫌な人が居るわけでも無いし、優しい人が居るから、唯さんも居心地が良かった。製鉄所にいる間は、唯さんは持っていたパソコンで、インターネットをして過ごしていたのだが、今日は違った。

「おいおい、松の木に何をしているんだ?」

杉ちゃんに言われて、唯さんは、

「ああ、こうしておけば、ヤマガラが釣瓶落としの芸をしてくれるんじゃないかと思って。」

と答えた。彼女はタコ糸で、ひまわりの種を入れた袋を松の木の枝に、結びつけているところだった。

「ああ、ヤマガラの釣瓶あげの芸ね。なんか思いっきり昭和的な芸だな。それをされるためにヤマガラ専用かごなんて販売されてたりしていたんだよな。今は、ほとんど売らなくなっちまったけど。」

「そうなのよ。だから私も芸をしているところを見てみたいと思って。」

杉ちゃんの話に、唯さんはすぐに答えた。

「だから、こうしておけば、ヤマガラが来てくれるかなと思ったのよ。それを写真にとって、ウェブサイトにでも載せようかな。」

「はあ、ウェブサイトか。ヤマガラにしてみれば、肖像権侵害だぜ。」

杉ちゃんは、そう言ったが、唯さんはそんな事、気にもとめず、松の木の枝に、ひまわりの種の袋をぶら下げた。それを10箇所に繰り返して、作業は終了した。そして、唯さんの目論見通り、ヤマガラは、製鉄所の庭にやってきた。人間を怖がらない鳥だから、人が見ていても平気で松の木の枝に止まり、餌にするひまわりの種の袋を見つけると、器用に嘴と、足でたくし上げて、袋を破って中身を食べるのである。この芸を、ヤマガラの釣瓶あげというらしい。体の小さなヤマガラなのに紐をたくし上げて中身を開けて食べてしまうのが、とても可愛らしくて、唯さんは、ヤマガラの写真をひっきりなしに撮った。あっという間に、ヤマガラの芸の写真は、30枚近く撮ってしまった。

「おやつだよう。」

杉ちゃんが、製鉄所の利用者さんたちに言った。製鉄所では、食事やおやつが提供されることもあるし、利用者が自分で食事を作ってもいいことになっている。またはあまり栄養的に良くないが、コンビニなどで食事を買ってくる利用者もたまにいる。でも、そうする人は、代わりにおやつを食べることになっている。おやつを作るのは、杉ちゃんの担当でもあった。以前は、調理係のおばちゃんを雇っていたこともあったが、結婚して退職してしまって以来、杉ちゃんがおやつを作るようになっていた。

「今日のおやつは、ケーキだよ。栗が取れるから、栗のケーキ。」

「わー、嬉しい。」

「杉ちゃんのケーキって美味しいもんね。」

そう言いながら、利用者たちは、急いで食堂に行っておやつを食べ始めた。製鉄所では、おやつの時間くらいは、利用者全員が集まって食べることになっていた。おやつをたべるだけではなく、会話の練習の場でもあるのだった。利用者たちは、おやつを食べながら、学校であったことや、職場であったことを話しはじめた。学校の先生の悪口を話すこともあれば、そうでないことを話す人も居る。いずれにしても、おやつを食べながら、いろんな人の話を聞いて、それに応答したり、時には聞き流したりする、練習を重ねていくのだった。藤井唯さんは、どうもこのおやつが苦手だった。彼女は、対人関係が少し苦手なようだ。誰かとあって話すと、どうしても恐怖心が出てしまって、自分の気持ちや感情などがうまく人に話せない。人が冗談をいうとそれが、冗談とわからずに、迷惑だと率直に言ってしまって、人付き合いが難しくなったこともある。杉ちゃんたちは、そういうことにいちいち応じるのではなく、聞かないでそのまま流してしまえと言っているが、彼女にはそれは難しいことのようだった。そういうところをもしかしたら、医学的には発達障害とか、対人恐怖症などと言うのかもしれなかった。

でも、今日は、唯さんは、黙って聞いていることができた。なぜなら、松の木に止まっているヤマガラたちの写真を眺めることができたからであった。それをしていれば、利用者たちの悪口も聞かないで流すことができた。利用者の中には、学校の先生なんていなくなってしまえなど極端な話をする女性もいたが、唯さんはそれも聞き流すことができた。ただ、スマートフォンで撮った鳥たちの写真を眺めて、そして、ケーキを黙々と食べる。唯さんは、おやつを食べながら、周りの人の話を最後まで覚えてしまうことも多かったが、今日は鳥たちの写真を眺めることで忘れることができた。

「ごちそうさまでした。」

と、唯さんは、ケーキを食べ終えて、椅子から立ち上がることができた。

「もういいの?お茶、もっとあるけど?」

杉ちゃんに言われて、唯さんはもういいですといった。早くこの集団から脱して、ヤマガラが釣瓶あげをする写真を撮りたかった。唯さんは、それをするために、いつもならよく飲むお茶も今日は一杯だけにして、急いで中庭へ直行したのだった。

ところが、庭の松の木につけられた紐は、全て撤去されてしまっていた。

何故か知らないけど、そこには水穂さんがいて、紐をすべてハサミで切り落としてしまっていた。

「どうして?」

思わず唯さんは言ってしまう。水穂さんは彼女に気がついて、

「ああ、この松の木に、こんなに大量の釣瓶あげの紐をつけておくと、松の木がヤマガラの糞害を受けるおそれがあるので、取って置きました。」

と言った。

「だって、ヤマガラが、松の木で釣瓶あげの芸をするのを楽しみにしてたのに。」

「それなら、こんなに大量につけなくてもいいのでは?やりすぎると、松の枝で糞をされるといけないですから。それでは、松に取って不利ですからね。それはやめて置いたほうがいいのではないかと思って。」

水穂さんは、唯さんに言った。

「せっかく、私が鳥を観察するのを楽しみにしようと思ってたくさんつけておいたのに。」

唯さんがそう言うと、

「でも、松の木のこともありますし。それにヤマガラはもともと野鳥ですから、餌付けをしなくても、餌を食べるすべを持ってますよ。人間が餌付けする必要はないと思いますけどね。」

水穂さんは、優しく言った。

「でも、ヤマガラを飼育していたりしたこともあったんでしょう?」

「それはカナリアとか、そういう飼い鳥がいなかったときの話ですよ。それに今は、環境省の命令で、飼育はできなくなっているのではなかったかな?自然なままでいさせて上げるのが一番じゃないですか。それとも唯さんは、ヤマガラを観察してなにか商売でもしようと思われたんですか?」

水穂さんに言われて唯さんは黙ってしまった。でも、このときは、黙ってしまうのは、いけないことのような気がした。自分のことをいうのは本当ににがてな彼女だが、ちゃんと口に出して言わなければ、だめなこともあると思ったのだ。

「ごめんなさい。私、ヤマガラが、釣瓶あげの芸をしているところを、ちゃんと写真に収めて、それをちょっと小遣い稼ぎにすれば良いと思ってしまって。」

唯さんはしどろもどろに言った。

「そうですか。でも、そういう事は、ヤマガラにとっても、人間にとっても迷惑になりますよ。生活している姿を写真にとって、どこかへ売り出そうなんて、ちょっと相手が可哀想すぎますよね。自然のままにさせてあげるのが一番なのに。それを妨げてしまうのは、やっぱりいけないことじゃないかな。」

水穂さんは、唯さんの発言に答えてくれた。普通の大人だったら、彼女の発言には答えないのが当たり前だ。精神障害のある人の考えは、ほとんど的を得ていないことが多いから、答えを言ってはいけないというのは、時折病気の解説書などに書いてあることがある。でも、話さなければならないことは結構ある。それが、たとえすごく幼児的なことであっても、当事者の人にとっては真剣に悩んでいることでもあるので、それに合わせるようにして喋らなければならない。

「だから、ヤマガラに餌をやたら上げてしまうのは考えものだし、それを写真にとってどこかへ売り出そうなんていうこともやめたほうが良いと思います。自然に暮らさせて上げるのが、一番だと思うんです。芸をさせることだって、ヤマガラの側から考えれば、ただ餌をもらいたくてやっているだけで何の意味もありません。」

水穂さんは、そう唯さんに言った。

「それでは私、やってはいけないことをしてしまったのでしょうか?」

唯さんは、小さな声でそう聞いた。

「ええ。人間は時折自然に反することをしてしまうけれど、それはいけないことだってわからない人のほうが多いから困るんですよね。」

水穂さんはそう答えてくれた。

「そうかあ。私、そんな悪いことをしてたんだ。だったら、ヤマガラに悪いことをしましたよね。それのおかげで色んなことができるようになった気がしたけど、でも違うんですね。私は、何ていう悪いことをしたんだろう。なんで、こんないけないことをしちゃったのかな。」

唯さんは、自分の額をげんこつで殴ろうとしたが、

「いいえ、そんな事しなくても、これから気をつけようと思えば良いのですよ。痛いだけで何も意味もありません。」

と水穂さんに言われてそれはしないで置いた。

それと並行して、製鉄所の応接室では、管理人のジョチさんが、誰かとスマートフォンで話していた。

「ああ、この間はありがとうございました。鳥さんたちの講座、皆さんとても楽しそうに聞いていらっしゃいましたよ。なんでも鳥について、少し詳しくなれたと言って勉強になれたそうです。良かったじゃないですか。またこれからも、鳥について、ぜひ、やっていただきたいものですね。」

「本当ですか?ありがとうございます。あたしが本やビデオで調べて得ただけの知識ですけど、それを、披露できて助かりました。あたしも、鳥のことなら、色々調べられるんですけど、それ以外の事は全然だめでやっぱりだめな人間なのかなとか、自分で自分を責めておりました。それが、こうして講座をやれることができて嬉しいです。」

話しているのは鈴木妙子さんだ。妙子さん自身も、ちょっと不思議なところのある人物だった。妙子さんは、変な妄想を持ってしまうとかそういう症状的なところは少ないが、やはり、鳥のことになると、ものすごい興味を持って、寝るのも食べるのも忘れて没頭してしまう。逆にそれ以外のことは、とてもできない。学校の勉強だって殆どできなかった。それで、親御さんがネイチャーガイドとという職業を与えたのである。

「まあ、これからも鳥について、一生懸命勉強してくださいね。応援してます。」

「ありがとうございます。あたし、これから、もっと鳥さんたちについて詳しくなります。」

そう言っている、二人を無視して、時間はあっという間に過ぎていくのだった。



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釣瓶落としの後始末 増田朋美 @masubuchi4996

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