第24話 似た者同士

「ええと、書庫はこちらか…」

 デリクは部屋で少し休憩をしてから、晩餐までの時間を潰そうと本館の廊下へ出ていた。

 一瞬イアンナを誘おうと考えたが、レオの嬉しそうな顔を思い出して止めた。

(本当に溺愛しているからな…引き離すと恨まれそうだ)

 彼は”聖女の騎士”という、騎士団に新たに儲けられた役職に収まっている。

 といっても始終イアンナの側にいるのではなく、王族宰相の相談役であるイアンナが王宮にいる間は側を離(さ)れて、騎士団の鍛錬や少々手強い魔獣退治に付き合っているのだ。

 先日も王都から少し離れた場所にあるダンジョンから魔物が溢れ、警備の都合上イアンナを王宮へ置いたまま騎士団と出張していた。

 本人曰く「イアンナ成分が不足している」のだそうだ。

 シャルルが教えた言葉らしいが、確かに彼の状態に当てはまっていた。

「いいんだ…私は本と仕事が恋人だから…」 

 所々に案内板があるので迷わないように出来ている。

(このお屋敷も既に観光地の一部なのか)

 もしくは自分たちの仕事で忙しい使用人の手を煩わせないためか。

 本当に合理的だと感心しつつ、目的の書庫へと辿り着く。重厚な扉には植物のレリーフが描かれている。

「中々立派だ」

 本はシャルロッテがコツコツと買い集めていて、シャルルがお金を気にしなくていいと言ったらば更に増えたそうだ。蔵書が増え過ぎたので、古い客室を潰して書庫にしたら余計に入り浸るようになったと、妹を心配する姉は困ったように話していた。

(ヒロインの殻を脱いだ彼女は自然体だ。…女神様も罪なことをなさる…)

 苦笑しつつ中へ入ると、司書のカウンターはあるが人はいない。

 カウンターに並べられたカンテラ型の魔石ランプを一つ手に取ると、灯りをつけて端の本棚から眺め始めた。

(国内の本もあるが、他国の本が圧倒的に多い…カテゴリ分けに苦労しそうだ)

 棚は国別になっており、それぞれに歴史書や文化史、平民が読むような新聞まで収められている。

 定期的に人を遣わして購入しているのだろうか、と思いつつ手に取る。

(これは…ゴシップ?)

 平民が読むような、しかも出所不明の噂をまとめたような薄い新聞だ。

 だが他国の状況に詳しいデリクは、中々精度が高いな、と思う。

 こういうのは手当たり次第に購入して選別しなければならないが、それは中々骨の折れる仕事なのだ。

 父ゴードが言うには、外交で行った先の王族や貴族の状況、そして町並みを見れば自然と分かるようになってくる、と言っていたが中々難しい。

(集めているのはエドワーズ殿だろうか。…いや、違うな)

 式の準備の合間を縫って先程部屋へ挨拶に来てくれた子爵は、絵に書いたような真面目な地方領主という風体だった。

 野菜が売れて自分の領地にかかりきりだろうし、隣接もしていない他国のゴシップを集める理由がない。

(ルイスなら集めそうだが、彼は最近ここへ仲間入りしたばかり。…ということはシャルロッテ嬢が…?)

 本好きという事は聞いているがこんなものまで集めているとは聞いていない。

 もしかしたら、姉も知らないことなのだろうかと思う。

(見た目はシャルル嬢に似ているのだったか…)

 しかし肌は白く髪は結わえず背中へ流したまま、父に似た青い大きな目だと…姉が王都で彼女のために仕立てたドレスも”もったいない”と言って袖を通さずに飾ってしまう。引きこもりで比較対象がない上に、自分に頓着がないのよ、とシャルルはまるで母親のように心配をしていた。

(いや、精神的な年齢は私よりも上か。なら仕方ない)

 新聞を棚へ戻しながらデリクは再び蔵書を眺めながら歩き出す。

(シャルル嬢もイアンナと同じく、記憶だけの転生者、か)

 あちらでの名はシオリ・ヤマダという不思議な名前で記憶を複製された時の年齢は28歳だったという。ルイスが思いついたように「シオリ」と彼女を呼んだら真っ赤になって奇声を発して逃げていってしまった。「効果抜群だ」と悪そうな笑顔で言っていたのを思い出して笑ってしまう。

(私にも…そういう相手に出会えるのだろうか)

 妹が行動を起こさなければ今この世に存在しなかった命。

 乙女ゲームの話を聞いてからずっと、存在価値を自分に問うてきた。

(本来ならば私はいない。…いや、”本来”という言い方がおかしい事はわかっているのだが)

 女神の当初の予定、だ。

 謝罪も受けて”生きていいのだ”という。イベントもない。決められた道筋は消えたのだ。

(だが…どうして良いのか…)

 例えば今の書庫のような状況だ。

 少し先に薄闇があり、ランプで照らされているのは自分の足元だけ。

 周囲には膨大な知識がある。

 自分はそれと経験を頼りに、ハッセルバック侯爵家を継いで…外交を担う大臣となるのだが。

(少々、息苦しい)

 妹が聖女として頑張っているのだから、自分もと思い弱音を吐かなかったが。

 生まれて初めて海を見た時がちょうどこんな感覚だった。そんな自分に苦笑を漏らす。

「はは…私も父上が見つけたように…光り輝く灯台が欲しいな…」

 今までで一番、素の声が漏れたことも知らずにデリクは本棚の角を曲がった。

「!」

 そこにはとてもとても美しい…まるで妖精のような少女が佇んでいた。


◇◇◇


「…ふぅ」

 シャルロッテはため息を漏らした。

 気分を落ち着かせるために、書庫の空気をめいっぱいに吸い込む。

(明後日はお姉さまの結婚式だから、そろそろお客様が来る頃ですけれど…)

 行動的な姉は王都でたくさんの友人と、志の高い素敵な婚約者を作り戻ってきた。

 自分も子爵家の人間だ。接待をしなければならないことは分かっているけれど。

 きっと7歳になる弟のエドガーも走り回って愛想を振りまいているだろう。

「はぁ…」

 自分は人と話すのが少々苦手だ。

 実母のミラからは「話が長い」「簡潔に」「結論から」とよく注意を受けた。

 だから出される食事についてどう表現してよいか分からずに結局「食べられない」と言うしかなかったのだが、そう伝えると、「贅沢ね!」と言われ食事を下げられてしまった。もちろん作り直しなどはない。

 満足に食べられず痩せ細り、熱も頻繁に出していた。

 自分の何かが…もしかしたら全てがミラには気に入らなかったのかもしれない。「先は長くなさそうね」と言われて教師もつけられず、毎日をメイドと過ごす静かな暮らし。

 本を読み話せる単語を増やしたがいつの間にか、ミラは自分より先に亡くなった。

 正直悲しいかと言われるとそうでもなかった。彼女はほとんど家に居らず自分の部屋へこなかったし、自分を育ててくれたのは今の母…マリーだから。

 彼女は湖の側の家へ移された自分の前に現れて、優しく微笑んでくれた。

 話を怒らずにゆっくりと聞いてくれて、食事を自ら作り食べさせてくれた。

 最初に食べた蜂蜜を少し垂らしたパン粥は涙が出るほど美味しかったものだ。

(あの頃よりは語彙も増えているけれど…)

 知識ばかりが増えて行く。このままではいけないと思うのだが。

(まさか、わたくしが…物語の登場人物だったなんて)

 ミラがきっかけではあったが、幼い頃から記憶力がよく本をねだってはそれを頭の中に入れていた。

 それしか出来ないと思う気持ちもあったが、姉には「知識も力なのよ」と言われて、そうだと思っていたが。

(でも、わたくしは死ぬ運命だった…)


 記憶力が異様に良いのはそういう”仕様”だから。

 皆が褒める容姿も、王太子の目に止まるため。


 ついついそんな事を考えてしまった。

(いけない、いけない。知識は…そんな事を考えてしまうためにあるのではないのに)

 むしろ解決方法を知るためにあるのだ。

 夜に水路へ見回りの兵士が落ちる事件が発生した時も、夜光石という太陽光の光を溜めて夜に光る性質のある石を思い出して父と姉にたいそう褒められた。

「でも…」

 姉の表現力はとても面白く、知識を溜めてもいまだに敵わない。

 話せば話すほど、そう感じてしまった。

(わたくしのの知識は一体なんのため?)

 姉には「あんたの知識は外でこそ役に立つわよ」と散々言われているが、彼女のように一人で王都に行くような勇気はない。

 父と母は優しいから、「ゆっくりでいいのよ」と言う。

 でも、何もしないでいる焦りと、もどかしさが消えてくれない。

 ふと…最近姉にせがんでお話してもらった、異国の童話が思い浮かぶ。

 悪い魔法使いに攫われ塔に閉じ込められていた乙女は、長い魔法の髪を垂らして脱出するのだったか。

 太ももまで伸びた長い髪を見やる。同じピンクブロンドだというのに、日に当たってキラキラ光る姉の髪とは違う。ランプに照らされて、まるで夜の川のように静かに灯りを反射している。

(いえ…彼女は自ら外に出るのよ。まるでお姉さまみたいに)

 何度目かのため息が漏れた。

「誰か、私をここから連れ出して…」

 物語の姫のように呟いた時、目の端にランプの灯りが映った。


「……!」

「……!」


 驚きに見開かれた瞳が、お互いに絡み合う。

(王子、様……?)

 そう考えかけて知識が否定をした。

 現在のファールン国の王子はウィリアムとジョシュアの2人だけ。

(……もう、夢のない…)

 行動的だがどこか夢想家な姉に対して、自分は夢見がちな顔をしているようで現実的なのだ。

 少ししてハッとした様子の青年が微笑み、挨拶をしてくれた。

「驚かせてしまい、大変申し訳ありません。私は、ハッセルバック侯爵家のデリクと申します」

「!」

(この方が、聖女様のお兄様)

 それと同時に、自分と同じく乙女ゲームではいないはずの存在だということを思い出す。

 勝手に親近感を覚えていた人が、目の前にいる。

 精力的に国内外を飛び回っているからだろう、想像よりも逞しく、だがその翡翠色の目は優しく知的な色を宿していた。

 二人の間にある距離を詰めようともしない。

 随分とゆったりした空気が流れている感覚に陥った。

(なんて素敵な人…)

「お嬢様のお名前を、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「!」

 相手が名乗ったというのに、見惚れてしまっていた。

 そんな自分にゆっくりと話しかけてくれる。

(きっとお分りになっているでしょうけど)

 わざわざ訊いてきたのは外交慣れしている性分なのだろうかと…そんなことを考えてないでさっさと答えなさい!と言う二人の自分が頭の中にいた。

「あ…あの、わたくしはバーグ子爵家の…シャルルと双子の妹で、シャルロッテと申します」

 相手は高位貴族だ。座ったままでは不敬だと机に手をついて立ち上がろうとしたら、見事に手で髪を踏んでしまった。

(ああっ、もう……!)

 慌てて手を伸ばすが薄暗くどこを掴めばよいかわからない。

「おっと」

「!!」

 いつの間にか、自分はデリクの腕の中にいた。

(えっ…あの一瞬で、ランプを置いて、私を支えたの?)

 シャルルなら顔を赤くしただろうが、残念な思考回路のシャルロッテはデリクの身体能力の高さに驚いた。

 そのまま手で手を取られ、体を起こされる。

(外交官というと文官寄りのはずなのに、どうして剣を振るうような手をしているの…?)

 見上げて見た瞳はやっぱり優しくて。

 この人なら訊いても怒らないかも、と頭の中の自分が言う。

「ありがとうございます。…あの、不躾ですが鍛えでらっしゃいますのね?」

 我慢できなかった。

 たがデリクは少し目を見開いた後、ふっと微笑む。

(こういう方を、素敵と言うのかしら…)

 物語の王子を絵に描いたような人だ。

 そして意外な言葉を言う。

「ありがとうございます」

「えっ、お礼ですの?」

「はい。…見た目が弱々しいのか、武の国へ訪問すると大抵、一試合頼まれるのですよ。そんなに貧弱に見えるのかと思っていて…」

 だから「分かってくれて」ありがとうだったそうだ。

 シャルロッテは気になった続きを尋ねる。

「あの、その試合は…?」

 デリクはいたずらっぽい顔をした。

「侮って来た者は全員倒しましたよ!…まぁ、その後に出てくる相手は苦戦しますけどね」

 自分とて幼い頃からレオとともに鍛錬していたのだ。今でも時間ができると、なまらないように素振りや鍛錬を欠かさない。

「素晴らしいですわ!…後から来る方はデリク様の動きを一度見ているでしょう。デリク様は所見ですから、苦戦するのは当たり前ですわ」

 試しに組ませた者をあっさりと倒されて、慌てて段違いに強い者を呼び出すはずだ。

「ふふ、そう言っていただけると、私も嬉しいです」

 外交の一部であるため、その後の夜会や晩餐などで話題に上がりこそすれ、自国での評価にはならない。

 そんな些細なことを褒めてもらえて、デリクは心から喜んだ。

(はは、承認欲求が満たされた、というのだな。この状態は)

 イアンナから聞いた異国の言葉だ。とても癖になる感じがする。

 もっと話したい、とデリクは思った。

「この書庫にある本は、シャルロッテ嬢が集めた物とお聞きしましたが、新聞も?」

 たずねると彼女は目を見開いた。

「はい。…ゴシップの事を仰っていますよね…」

 いけないものでも見つかったかのように、少し肩を落としている。

「そうですが、どうされましたか?」

「お父様からは、あまり変な記事が書かれたものを集めるのは止めなさいと言われていまして…」

 新聞、とピンポイントで言われたので、父と同じ指摘を受けると思ったようだ。

(なんだ、そんなことか)

 一般的な貴族の女性は集めないだろうが、デリクの周囲の女性は一般的から外れているので気にならない。 

「ふふ、私も集めていますからご安心を。様々な情報を集めなければ、仕事になりませんから」

 そう言うとシャルロッテは羨ましそうな顔を向けてきた。

「ですが、わたくしはお仕事をしておりませんので…」

「ふむ」

 デリクは顎に手を当てて考える。

 自分は彼女と気が合いそうだ、と感じている。しかもシャルロッテの集めた情報はかなり優秀だった。

(逃したくない)

 千載一遇のチャンスと言うと大げさかもしれないが、デリクはそう感じていた。

 来年、バーグ家は伯爵家へランクアップする。その際、シャルルは女神と対話できる者、特別な”光野菜”を作り出した者としての功績が認められて、准聖女という称号を与えられる事にもなっている。

 そして妹のシャルロッテは…明後日に姉の結婚式に参列するのだ。

(…となれば、家との繋がりを彼女に求める者たちが多いだろう)

 バーグ家と観光面で手を組んでいる公爵家の長男にはまだ婚約者がいない。第2王子の近衛になる予定の騎士団長の息子も。

 2人には性格的に合わない娘だが、公爵家の方は他国の情報に詳しいシャルロッテが身内になるのなら喜んで息子との縁談を画策するだろう。

(彼女を知っているはずのイザベル様がそうしないのは……)

 自分に合う能力を持つ娘だと、チャンスをくれたのだろうか。

 公爵家の方は明日、来訪予定だ。

(メーア王女も結婚式にお忍びで参列するから、隣国からも引き合いがあるかもしれない)

 既にシャルロッテ争奪戦が始まっていることをハッキリと意識したデリクは、こちらを不安そうに見つめるシャルロッテに微笑んだ。

「ならば、仕事にすれば良いのです」

 彼女はポカンと口を開けて…慌てたように手で塞ぐ。

「ですが、貴族の女性は仕事をしないものだと」

 少なくとも実母はそうだった。

「本当にそう考えていますか?」

 これだけ他国の情報を集めたのなら、書面だとしても様々な文化に触れたはずだ。

 異国には女性の立場が強かったり、男女ともに差別なく働いている国もある。

 案の定、シャルロッテは黙った。肯定の沈黙だろう。

(よし、針に食いついた)

 先程まで灯台を探していたはずのデリクは、何故か大物が掛かったと喜ぶ。

「…ですが、伝手などが…」

 父も許さないでしょうし、とも言う。

 心が決まらないのは、一人で何かをする不安からなのか。

(領地から…屋敷から出ていないのでは仕方がないか)

 だが、勿体ないと思う。

 彼女に必要なのは経験で、それを自分は提供できる場と権力を持ち合わせている。

「目の前にいるでしょう」

「え…」

 シャルロッテの視線がデリクに向いているようです、どこか違うところを見ている。

 きっと迷っている。

 デリクはお願いをするように話した。

「ちょうど秘書を探していましてね。…あなたの能力…複数言語の読解と他国の知識は私の仕事にとても有用なのです」

 通訳ももちろんいるが、やはり重要な交渉は自分の言葉でやらないと細かいニュアンスが伝わらない、と父ゴードは話していた。言葉を知らないだろうと侮られ、交渉事を曲げようとする事もしばしばある。

 デリクも複数言語を操れるが、他に身近な人で話せるのは父くらい。

 話していないと忘れてしまうので、他国へ行く際は一人で復習もしたりしていた。

 それが対話で出来るのならとても嬉しいと話すと、シャルロッテの頬はみるみるうちに赤くなっていく。

(肌がとても白いのだな…)

 興奮しているのがすぐにわかってしまうほどだ。

 年齢の割に無邪気そうなのは屋敷から出ていないせいか、本当に好きな事だからなのか。

(おそらく、後者だ)

 そう考えると同時にデリクの思考は飛躍した。


 友人はかなりの確率でもう既に結婚している。

 そういう人たちは大抵、妻になぜ帰りが遅いのかとか、家を何日も開けてどこに行っているのとか、少なくとも一度くらいは言われるらしい。

 貴族ゆえ、政略結婚が多いから…仕事内容を話してもどうせわからないし、理解されないと言う者もいた。

 生涯を共にする相手が、夫の仕事の内容を理解していて、補助どころか一緒に作業できるなど、なんと素敵なことか!

 それはちょうど父と母、妹とレオのような関係だった。


「貴女ならば我が家と付き合いのあるバーグ家のご息女であるし、こちらからお願いすればお父上も駄目とは言わないでしょう」

 というか、言わせない。

 笑顔の奥の、少々熱っぽい目の輝きを見てシャルロッテは自分の頬に熱が上がってくるのを感じた。

(そんなに…わたくしの能力を買ってくれているのはなぜ…?)

 外交官に必要なスキルだということは分かるが、自分は素人でバーグ領からは出たことがなく何が出来るかわからない。

 そう素直に伝えると、デリクは少しだけ悲しげに微笑む。

「貴女は、私と同じでしょう?」

「!」

 彼と同じ部分というのは、一つしかない。

 乙女ゲームの登場人物であり、未来がなかった事、だ。

「…不安に思う気持ちも同じです」

「そう、ですね…」

 他にも居るのだが、みな成人していて役割を持っていた人たちだった。子供なのは3人だけだがエレンはヘンリーの隣、という揺るぎない場所がずっとあり、なおかつ貫き通している。

 自分たちにはそのような存在もなく…どういう未来を築けば良いか、分からない。

「人は誰しもそうだとは思うのですがね、元々なかった未来、と思ってしまうのですよ」

「ええ、本当に!」

「だから人よりも多く考えてしまうこともあります。この選択は正しいのか、と」

「わかりますわ。…わたくしは、その事が怖くて…」

「異界の知識のある妹に負けないように、本もたくさん読みましたよ」

「わたくしは、産みの母にきちんと現状を説明したくて、読みましたわ」

 小さい頃の話を少しだけ聞いて、デリクは実母ミラの間違った教育方法を察した。

(全く…体が弱かったのも、その方のせいではないか)

 エドワーズとミラの結婚は完全なる政略結婚だったと聞いたが、夫ならともかく子供にも愛情がないとは呆れてしまう。

「今はデリク様と同じく、お姉様に負けたくないと思っていて」

「おや。負けず嫌いですか?」

「ええ、お恥ずかしながら…。向こうの記憶があって”仕方なく”こうなのだから、勝ち負けではないと言われたのですけれど、何か悔しくて…」

「はは、わかります」

 武力ではレオに、知識とはまた違う”考え方”で妹に負けていると感じている。

 神が選んだ者たちに勝とうと思ってはいけないのだが。

「あちらの文化は、こちらとは比べ物にならないくらい発展しているそうで、驚きましたわ」

「そのようですね。私は異世界があることに驚きましたが…」

「ですが、魔族の住む世界もいわば異世界でしょう?」

「いえ、基盤が違います」

「…ああ、なるほど。そうですわね。あちらには魔法などないと姉も言っていましたから…世界を構成する”元”が違うのですね」

「はい。世界を創造した神様が異なると、そうなるようですね」

「それは手記に纏めなければいけませんね!」

 シャルロッテの柔軟性のある思考と行動力にデリクは面白くなってきた。

 それからしばらく二人で異世界のこと、国内外のことについて話の花を咲かせているとデリクは「そろそろ晩餐の時間ですね」と話を打ち切る。

「…ここは時計などありませんのに、よくおわかりになりましたね?」

「はは。よくこういう場面があるのですよ」

 外交で赴いた国で、国王との謁見や重要な会議の前の空いた時間で良いからと顔つなぎに来る者がいるのだが、たまに意地悪く時間を伸ばして謁見・会議の時間を削ろうとしたり、遅刻させたりしようと画策する者もいる。そういう部屋には大抵、時計がないし、異国の貴族を前にして懐から懐中時計を取り出してチラチラと見るのも心象がよくない。「話がつまらないでしょうか」と揚げ足をとられたりもする。

「それで時計がなくとも大体の時間が分かるような体質になりましてね」

「体質で済みますでしょうか、それは…」

 とても感心したように見られて、外交官として当たり前のスキルだと思っていたデリクは嬉しかった。

「ふふ、ありがとうございます。…お支度がありますから、そろそろここを出ましょう」

「そうですわね!」

 今晩は確実に正装だ。シャルロッテは慌てて本を片付けだす。

(支度に手間がかかるのはわたくしのほう。気を遣っていただいて申し訳ないわ…)

 いつも時間がわからないほど書物に没頭して、メイドが呼びに来る。

 今日…いや、明日から早速直さねば、と思うシャルロッテだ。

(わたくし、家族に甘えているのね)

 デリクは年上で仕事もしているから、自分とは比べてはいけないが。

「!」

 デリクがさっと本の束を取り、戸棚にしまってくれている。

「この本はこちらですね?」

「よくおわかりに…」

「カテゴリの分別方法が、とても分かりやすくて良いです」

 微笑んでそう伝えれば、頬を染めている。

 きっと書庫は彼女の範疇で、誰も褒めたりしないのだろう。

 本を片付けランタンをお互いに持ち、片手でシャルロッテをエスコートする。

「本当にここは素晴らしい書庫です」

「ありがとうございます。わたくしも自慢なのですが…まだまだ足りませんわ」

「勉強家でいらっしゃる」

「知識にゴールはないでしょう?」

「はは、そうですね。本当に果てしない」

 お互いが持つ二つのランタンに照らされた足元と周囲は明るい。

(なるほどな、灯台ではなく…分け合えば良いのか)

 自分も言ったではないか。一緒に仕事をしたいと。

「先程のお話、考えて頂けると嬉しいです」

「あ…はい」

 彼女の”迷い”を理解した上でデリクは言う。

「私の補佐をしていただきますが、もちろん、私もあなたの支えとなりましょう」

「!」

 シャルロッテは立ち止まり、驚いた顔でこちらを見ている。

(…今のは、求婚のようになってしまったか)

 そのような意図で言った訳ではなかったが。

(でも、ここまで話しの合う女性は初めてなんだ)

 他の家に嫁げば、家の中にすっかり収まってしまうだろう。それも勿体ない。

 シャルロッテが人質のようにバーグ家との交渉材料にされるのはまっぴらだ。

 デリクの頭の中には、外交で訪れた先で彼女とともに重要人物へ挨拶をしている姿がすっかり出来上がってしまっていた。

(未来像、というやつか)

 こんな事は初めてだった。

 デリクは片手に持ったランタンを側の棚に置いて、その場でシャルロッテの前にひざまずく。

「…私の、手を取っていただけないでしょうか」

「!」

 空色の目が、大きく見開かれた。

(ど、どうしましょう)

 シャルロッテは迷っていた。

(いえ、手を取りたいのは…わたくしも同じ気持ちなのだけれど)

 自分と同じ悩みを抱えた、いわば同士であり、同志。

(でも…)

 勝手に決めてしまったら父は怒るかもしれない。

 だいたい彼は侯爵家で…数年後に公爵へと上がるかも知れない、と噂されている。

 バーグ家は来年に伯爵家へと上がるが、王都にタウンハウスもない地方の領地だ。嫉妬や僻みが多いだろう。

 そうなると姉の事業に迷惑をかけてしまうかもしれない。

 …という事を一瞬で考えていたシャルロッテだったが。

(連れ出して、と言ったのはわたくしではないの、シャルロッテ!)

 千載一遇のチャンスだと感じている。

 だが打算でその手を取るのは嫌だ。

(デリク様に失礼よ)

 その頭の中で、失礼って思うことは彼のことを想っているのではなくて?と…こーゆーのは勢いよ!と、また二人の自分が争っている。

(…いやだわ、結局同じ意見ではないの)

 デリクの手を取る前提の話だ。シャルロッテはとっくに決まっていたらしい自分の心に素直になることにした。

 自分を真剣に見ているその翡翠色の目を、ずっと見ていたいと思う。

「…わたくしでよければ」

「!…もちろんだ。君以外、嫌だよ」

 そっと手を重ねて言えば、その手を引き寄せられる。

 柔らかく抱きしめられて安心するのはなぜだろうと思う。

(似たもの同士だから…?)

 頭の中の二人の自分が、ニコニコと、ニヤニヤとこちらを見て笑っている気がする。

 今になって恥ずかしくなってきたシャルロッテは、デリクを見上げて弁解をしだした。

「あの、しばらくは役に立ちませんし、お仕事で足を引っ張るかもしれませんが…」

「最初は誰でもそうです。私も父の足を散々引っ張りましたから」

 攫われそうにもなりましたねぇとしみじみ言うと、シャルロッテの表情は”引く”のではなく、その前後の話が気になったようだ。

「ふふ、そこはまたの機会に」

「はい!」

 二人は明日があることを…その隣にはお互いが居ることを喜び、微笑み合ったのだった。



 なお、その後の晩餐の席で二人に告白された父エドワーズは、青天の霹靂のような表情をした。

 呆れ顔のシャルルに「まさかずーっと家に置こうとか、考えてなかったわよね?」と突っ込まれ、マリーにも「男親はこれだから」と苦笑しながら言われてしまい、却下できない雰囲気とこれ以上ないだろうと思われた縁談に渋々折れた。


「勝手に決めてって怒られるかと思っていましたわ」

「そうさせないと言ったでしょう?」


 という言葉にエドワーズが「ヒッ」と小さく悲鳴をあげたとか。

 もちろんハッセルバック家としては申し分ない縁談だと喜ばれ、ハッセルバック領の屋敷の書庫は更に拡大されたのだった。

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