第21話 シャルルの考察

 *****


 その日王都の外れにある屋敷跡に現れたのは、醜悪な姿をした魔神だった。

 邪教を崇める者たちの命を対価に呼び出された魔神。

 魔神はファールンの王都へ襲いかかろうとしたが、その事にいち早く聖女が気がついた。

 騎士団と魔神の戦いは熾烈を極めたが、聖女が聖獣に魔力を渡し覚醒させた聖魔獣が魔神を排除する。

 こうしてファールン国の平和は守られたのだった…。 


 *****


「これが公開予定のシナリオでしてよ」

 公爵令嬢のイザベルが笑顔で伝える。

 あの日、彼女は未来の王妃だということで王宮へと避難させられ、王妃グレースとともにイアンナの安否を祈りつつシナリオを考えていたのだ。

「…私は攫われたのですが…」

 相変わらずの宣伝力に脱帽するが、いつも自分が表に出されてなおかつ盛られてしまう。

 裏に王妃様がいるのは明白だった。

「だからすぐに対処が出来たでしょう?校内でも、わざと攫われたのか、なんと勇敢なことか、と噂になっていましてよ」

「学園でも…」

「そうよ。聖女イアンナ」

 イザベルが断言して微笑んだ。

 事件収束後、イアンナたちは一度寮へ戻ったが、まだ不埒者がいるかもしれないと学園長に言われ、すぐに王都にあるハッセルバック侯爵家のタウンハウスにレオと共に避難したのだ。

 学園内がその後どうなったか聞いたのは初めてで、頭痛が起きそうだった。

「あ、あの、神官さんはどうなりました?」

 聖女の話題を避けようと神官の行方を尋ねるが、イザベルはそれを分かっていて苦笑しつつ教えてくれた。

「…お父様から聞いたのだけど。もうすっかり聖王国がお嫌いになったようで、彼の国が成そうとしていた事を全て話したそうよ。そして魔力はすっかり失われたのだけど、本人の希望で神殿で働いてるわ」

 情報を対価に死刑を免れたことは話さない。

 だが生き生きとしていて、新しい聖典を丸暗記して広めているという。

(イアンナがもたらした、新しい人生よね)

 過去の神殿が行っていたことの生き証人でもある。詳細を聞いて史実に残そう、という事になっていた。

「聖王国ルーナは…何をしようとしていたのでしょうか?」

 そういう物騒な話は<ヒカコイ>には無かった。

 女神でも暴走を止められなかった国の目的が分からない。

「この国を内側から弱らせて、ここぞと言う時に手を差し伸べて救うフリをして、乗っ取ろうとしていたようよ」

 グレース王妃が考えていた通り、冬の厳しい土地ではなく南方の豊かな土地が欲しかったそうだ。

「…聖王国ですよね?」

「ええ。だから周辺諸国は呆れているわ」

 ファールン国が発表したことを少々疑っていた国も今回の事件を機に、聖王国から本格的に手を引き始めたという。

 そもそも聖獣がいたのは聖王国ではなかったのだ。

 数年経てば滅びるのではないかしら?とイザベルは物騒なことを言い捨てた。

 しかしイアンナは思案顔で言う。

「難民の受け入れ方を考えないといけませんね」

「…貴女って本当に…」

「はい?」

 資金の調達先や避難場所を考えていたイアンナは顔をあげる。

「いいえ、なんでもないわ」

 この子以上に人の事ばかり考える人間なんているのかしら?とイザベルは思いつつ、難民受け入れの際のチェックについて話し始めた。後でグレース王妃にも伝えねばならない。

 その様子を、シャルルは同じ卓の一人がけのソファから…2人を眺めながら紅茶を飲みつつ見ていた。

(…言っちゃ悪いけど、面倒くさい話。王妃になんてならなくてよかった)

 公爵令嬢は16歳にして既に王妃見習いのように国の事業に手を出している。

 しかも楽しそうなのだ。

 自分に置き換えて考えてみると、学園へ通いつつ年がら年中仕事漬けの状態で私室でもメイドがいる状態。

 確実に病む自信があった。

 人生という時間を全て、国のために捧げるのだ。並大抵の覚悟では出来ない。

(向いてない以前の問題だ〜…)

 なぜ昔の自分はその事を考えなかったのだろうと、ついつい遠い目をしてしまう。

(ゲームと現実がごっちゃになってたのかな)

 そんな事を考えていると、イザベルがシャルルを見た。

「それで…魔王以外の厄災はないのよね?」

 急に話を振られた彼女は慌てて答える。

「ありません。…少なくとも<ヒカコイ>には」

 そんな言葉で通じてしまう。

 まさか王も王妃も宰相も王子たちも、皆が<ヒカコイ>を知っているとは思わなかった。

 そしてずっと転生者はイザベルだと思っていたら、まさかのイアンナだった。

 彼女は自分を見て嬉しそうに話していたが、イザベルは最初のうちは警戒の視線を向けてきていた。

 自業自得だから仕方ない。

 とんでもなく恥ずかしかったが、もう<ヒカコイ>に沿った攻略はしておらず、逆にルイスに攻略されて恋仲となっていて卒業後は結婚する予定だと伝えたら、ようやく鋭い視線を外してもらえた。

「…そう。これからは、自分たちの力で乗り越えないといけませんわね」

「この後のイベントは、結婚くらいですから、そうなります」

 攻略対象者との結婚がゴールだ。その後のイベントは無く、スタッフロールの背景に少しだけ未来の様子が色鉛筆のような優しいタッチで描かれる。

(はて、ルイスエンドはどうだったっけ…?)

 一瞬考えようとして首を振る。分かっている未来など、つまらない。知っていても予想外のことが起きる。

 ようやくその事に思い至ったシャルルだった。

「シャルルの結婚式、ぜひ呼んでちょうだいね!」

「イアンナ様、貴女が先だと思いますが?」

 そう言うと、イアンナは顔が真っ赤になった。

(悪役令嬢が可愛いとか…なんなの…)

 吊り目で目が大きいし眉毛もキリッとしているから力強い印象を受けるが、それは黙って澄まし顔をしている時だけだ。

 普段はこのようにフンワリしているらしい。

 黒髪と緋色のグラデーションの髪も、公爵令嬢が作ったバラと、王妃様の聖女作戦のお陰で忌み色ではなく、神秘的な色、唯一無二の色として称えられている。

 王都では髪を2色に染めることも流行っていた。

「式はずらすようにしましょう。わたくしも参列したいわ」

 イザベルも王太子妃として卒業後に結婚が決まっている。

 結婚の発表から数年掛けて準備されるそうなので、やはり一番手はシャルルだろうと思われた。

「…分かりました。ですが、場所は我が領地です。これは譲れません!」

 領民にも自分とルイスの晴れ姿を見せたいのだ。健康体にはなったが今ひとつ心配な妹を王都に連れてきたくないし、素晴らしく美人におしとやかに育っているため下手な貴族に会わせたくもない。

「ええ、よくてよ。農地も見学させていただきたいわ」

「もちろん行きます!ご家族に会えるの楽しみね」

(なんだかふつーの友達になっちゃってない…?)

 これもヒロイン効果なのだろうか。

(…違うか)

 もう自分はヒロインではない。この世界に生きる人の一人でしかないのだ。

 それに性格的には自分よりも目の前のイアンナの方がヒロインに近い。

 自分の事を話し始めて直ぐに、下町の生活は辛かったでしょう、と幼い頃から慰問活動を行っていた彼女に同情された。

(イザベルは口に出して言わないけど、本当にこの人、人のことばっかり考えてるなぁ)

 ずっと"この世界のヒロインは私"だと思い、他者をいかに攻略する事だけを考えていた自分とは大違いだ。

(私には無理だわ)

 じっと見ていると、襟巻きになっているチロルが目に入った。

 ゲームとは全く違った色だ。幼体の時は念話だったが、普通に喋れるようになっている。

 小さな子供のような声なので、聖獣というよりは、みんなが可愛がっているペットのようだった。

「…チロルも連れてこられます?何を食べますか?」

「この子はバーグ領の野菜が大好きなの」

『ヤサイ、オイシイ』

 チロルの言う野菜はバーグ領のものを指す。他の産地の野菜は一切食べない。

「さすがウチの野菜ですね!」

 むふん、と胸を張ると2人の令嬢がクスクスと笑う。

「引き出物で悩んだけど、やっぱり野菜かな」

「引き出物?」

「イザベル様、引き出物というのはですね、日本の結婚式であるもので…」

 こうして3人の令嬢の雑談は、報奨授与の時間が来るまで続けられたのであった。



「レオンスタール、前へ」

「ハッ」

 玉座の間ではないが、王妃そして宰相や騎士団員が見守る中で、報奨は授与された。

(レオンスタール…)

 王の前へ進み出るレオをシャルルは感慨深げに見る。

(魔王様の名前の一文字違いって…)

 魔王の名はリオンスタールという。

 レオと言う名はイアンナが彼の髪色を元に付けたものであり、今呼ばれた長い名は養子になった際の手続き上の名前だと聞いたが、まさかのニアミスだ。

(もうゲームじゃないんだしね)

 魔王の核は聖魔獣チロルに渡った。イアンナを殺しても魔王は覚醒しないし、あんな巨大な魔獣をワンパンで倒した聖魔獣を誰が倒せるのか。 

 それに、イアンナは彼を魔王だとは思ってもいない。話せばレオンスタールが処刑される可能性がある。

 そんな事になったら、レオをパパと呼ぶ聖魔獣チロルと、婚約者であるイアンナが新たな魔王になりかねない。

 シャルルは墓まで持っていこうと考えた。

「イアンナ、前へ」

「はい」

 レオが戻ると、最後にイアンナが呼ばれる。

「そなたは聖女として国内外から正式に認定される。その名に恥じぬように…いや、今までのお主で良いか」

 アイザック王がグレース王妃の厳しい目線を受けてコホンと咳払いをした。

「そうですよ。イアンナちゃんはそのままで良いのよ」

「聖魔獣チロルとともに、有事の際は国を助けてくれ」

「はい、承知いたしました」

 パールで出来たネックレスの先には黒と朱の宝石で作られたバラ細工が下げられている。

 昔から会っているせいなのか、気負いなく王に笑顔で挨拶している彼女の姿を、じーーーーっと見ている男が居た。レオだ。

(メロメロじゃん)

 しかも王の前だというのに王そっちのけでイアンナを結界で包んでいる。

 ストーカーのようなその眼差しにシャルルは少し引いた。

(そうだった。魔王様ってヤンデレで束縛すごいんだった。攻略しなくて良かった…)

 四六時中見張られるように見られるというのは落ち着かない。

 なお、王太子ウィリアムは既に公爵令嬢イザベルの尻に敷かれているようで、今の王と王妃のような関係だ。

 そして第2王子ジョシュアと一緒にいた謎の娘は、彼の婚約者で隣国の王女だと聞かされた。

 イアンナの父であるハッセルバック侯爵の外交でついて行った国で出会い、お互いに一目惚れをして恋に落ちたらしい。

 まるで恋愛小説のような話だった。

(乙女ゲームを再現しようとした私がバカみたいじゃんね!)

 そもそも神様はなんでこんな世界を用意して、自分と杏奈の魂をヒロインと悪役令嬢に突っ込んだのか、と思う。

(…攻略するのを見るんじゃなくて、聖王国を潰したかったのかな)

 それなら、自分やイアンナが逸脱した行為をしても、元に戻されなかったのも頷ける。

 どちらかがアプローチしてくれればいい、と思ったのだろうか。

 女神の真意は分からないが、先程の雑談からも、教義から逸脱しなおかつ悪用する彼らを排除する事が女神の最終目的だったように思われた。

(まぁ、いいか。私は私の人生を歩もう)

 報奨授与が終わった後、壁際で見守っていてくれていたルイスが真っ先に駆け寄ってきてくれる。

 いつものように、頭をぽんと優しく叩いてくれた。

 それが嬉しくてくすぐったくて、つい笑顔になってしまうシャルルだった。


◇◇◇


 ささやかな式典が終わりシャルルはルイス、ヘンリー、エレンといういつもの面々と一緒の馬車に乗り学園へ戻っていた。

「良かったのか?パーティ。美味いもんありそうだぞ?」

「うん」

「イアンナ様がドレス貸してくれるって言ってたのに」

「うん」

「他の貴族と交流を結べたかも知れないぞ?」

「うん」

 それぞれの言葉に全て「うん」で返す。

 王宮の庭園で王族と高位貴族たちが流星群を眺めるのだという、星祭りにイアンナから誘われたのだ。

「皆とふつーに話す方が楽」

「シャルちゃんらしいけど…ま、いっか」

「そーだな、本人がいいって言ってるんだし」

 星祭りもずっとバーグ領で祝ってきた。王都のお祭りからしたら田舎臭いかもしれないが、人も多すぎず、また灯りも少ないので流星群がよく見えた。

 今年は報奨授与式があったので領地には帰れないが、寮に戻った後は着替えて街へ行こうと話している。

 王都での初めての祭りだが、露店もたくさん出ているらしい。

「聖魔獣チロルも現れたしな、今年は凄いぞ」

 ルイスは準備する側だけあり、もう内情を知っているようだ。

「どう凄いわけ?」

「うーん、ちょっと言えないんだ。口止めされてて…」

 言ったくせに言えないとは。シャルルはルイスの横腹に肘鉄を入れる。

「イテッ!」

 その様子をニマニマと眺めているエレン。二人とも言わないけども、そういうことなのだろう、と気がついた。

(そうだ。二人のこととか、女神様にお礼を言わなくちゃ)

「ねぇねぇ。街に出たら一度、大神殿に寄って欲しいな」

「何かあんのか?」

「うん。こないだの、みんな無事だったからお祈りしたいなって」

「あー…」

 寮生は危険がないようにと街が落ち着くまで謹慎させられていて出歩けなかった。だから大神殿で祈りたいという。

「ふーん…たまにはお祈りするのも、いいかな」

「えっ!」

 シャルルの言葉にヘンリーが驚く。普段は無神論者で通しているからかもしれない。

「そうだな。シャルルとの婚約が無事に結べますようにと俺も祈りたい」

「!!」

 慌ててルイスの口を塞ぐが遅かった。

 ヘンリーたちは驚いたように顔を見合わせ、そして言った。

「「おめでとう!!」」

「いやちょっ…まだなんですけど!」

 数日後に訪れる夏季休暇でルイスをバーグ領に連れていき、父に話すつもりだった。

 ルイスの父の方は星祭りの片付けが終わり次第、挨拶に行こうと考えている。

「まだって…もう確定だろ」

「うんうん。シャルちゃんのお母さんて元平民なんでしょう?」

「そうだけど」

 父もその事についてはとやかく言わないだろう。

「じゃあ、大丈夫じゃん。ルイスん家なら超金持ちだし将来こまらねーな!」

「いや俺が家を出て婿に入るぞ」

「へ!?」

「あー…シャルちゃん家って弟くんまだ小さいって言ってたもんね…」

「そうなんだ。だから俺が合間の補佐に入ろうかと」

「ちょっとちょっと!!勝手に先を決めないでよ!!」

 先を知り攻略しようとしていた自分が言うのもなんだが、本当にやめてほしい。

 顔の熱が引きそうもない。

「そうだな、二人で考えないとな」

「ぶっ」

 肩を引き寄せて言うものだから、余計に恥ずかしい。

 エレンの笑みを含んだ視線が鬱陶しい。

(溺愛ルートって…こんなに恥ずかしいものだとは…)

 小さい頃からそんな言葉を連呼していた自分の前に行って、”知りもしないくせに言うんじゃない”と言いたい。

「もう、だめ」

「ん?」

 シャルルが恥ずかしさのあまりルイスの胸に顔を隠すように埋めた。突然デレたシャルルに、ルイスのほうが顔を赤くしている。

 エレンは「シャルちゃんは逆にこうなるのね〜」と苦笑していて、ヘンリーは負けたくないと思ったのかエレンの方をチラチラと見ている。その肩に頭を乗せた。

「みんなで、幸せになろうね」

「おう!」

「…そうだな」

 シャルルの耳元で「幸せにするよ」と囁やくと、「ん」と小さく返事があった。

 それだけで満ち足りるルイスなのであった。



 学園へ戻り着替えた後に街へと行くと、まだ夕方前のせいか人ではそこまで多くない。

 夜になると倍以上になるのだとか。

 ルイスに手を引かれながらシャルルは日本もこっちも変わらないんだな、と思った。

(あれ?そういえば私って…死んだのかな?)

 攻略に忙しくてすっかり忘れていた。余裕が生まれてやっと気がついたシャルルは考え出す。"最期"の記憶が全くない。

「大神殿も混むのか?」

「うん。みんながお祈りしに来るんだよ」

「すげぇ昔は誰も来なかったけどな!」

「返しにくいことを言うな…」

 ヘンリーの言葉には笑うしかないが笑えない。

 黙ったままのシャルルにエレンが声を掛ける。

「シャルちゃん?」

「何だ、珍しい。悩みごとかー」

「ん?いやまぁ、そんなところ…」

 死んで転生したのなら、もう前世は関係ない。

「だったら、女神様に祈るといいよ」

「祈って何かあんの?」

 即返すと、エレンは苦笑しつつ教えてくれる。星祭りは女神様が近くなる日、ということを。

(あー…なんか、聞いた気がする)

 教育の内容に宗教の話もあったのだが、それ以外に詰め込むことが多くて忘れていた。

 春夏秋冬の女神にまつわるお祝いはするが、当の女神には全く祈っていなかった事に気がつく。

(それなのに光魔法が使える…やっぱヒロインの体だからなのかな)

 なおも考えるようにしているシャルルに、ルイスは心配げに言う。

「悩み事があるんだったら、女神様に打ち明けたらどうだ?」

「いや、いいよ」

 もう乙女ゲームとは関係ない。そう思いたい。今更何かの使命を課されても面倒だ。

 4人は大神殿へ行くと表ではなく裏口から入り、忙しくしているシスタークロエに挨拶を簡単にしてからバザーなどを見て回る。

「あ、刺繍が」

 目を引く色とりどりの野菜の図案。

「ホントだ〜すごいね、美味しそう」

 とても上手な人が刺すと立体的に見えるようだ。あれから二人でたまに刺繍を刺しているが、シャルルから妹へ野菜の刺繍をしたハンカチを贈ったところ、とても喜ばれて父と母からも催促されている。

「結構多いな」

 以前は花の図案が多かったというのに、逆転している。

「ガラス製の野菜も売れてるぞ」

 野菜ブームに乗っかり、ルイスの実家であるクロス商会はだいぶ儲けているようだ。

 しかしシャルルは何かを思い出せそうで、じっとハンカチに刺繍された野菜を見ていた。

「あ!」

 小さく声をあげて慌てて口を閉じる。神殿は声が反響するのだ。

「シャルちゃん、しぃ〜!」

「ご、ごめん…」

(そうだった。野菜…)

 今のところバーグ領の野菜はシャルルの魔法でしか作れない。

 乙女ゲームっぽい世界で、ヒロインと同じ名前・姿で自分を作ったのはおそらく女神だろう。

 それなら相談を…対話が出来るかも知れないと考えた。

「それじゃあ、裏から祈ろっか?」

「そうだなー。並ぶと長そうだ」

「裏??」

 神像までの行列を眺めていたルイスが訊くと、こっちこっち、とヘンリーたちが手招きする。

 顔見知りの神官やシスターたちに挨拶をして、一般の人は入れない場所へと入れてくれた。

「神像の…真裏?」

「そう!」

「シスターとか忙しいからな、こっちから祈るんだよ」

 女神像の前はいつも誰かが祈っている。祈るのなら場所は関係ないのだが、やっぱり女神像を前にしたいらしい。像の背面は透明・白・金色のガラスが使われた美しいステンドグラスになっていて、裏からでも透けて見えるのだ。

 仕事の合間に祈る人たちが来ては去って行く。

「そのクッションに膝をつけて、祈るの」

「こう?」

 背筋は伸ばしたまま、胸の前で手を組んで頭を垂れて祈る。

「そうそう。えーと、このベルを鳴らすからその音が鳴っている間ね!」

 ベルと言うか仏壇に必ずあるお鈴じゃないのか、とシャルルは道具を見て思った。

 エレンが鳴らしたりぃーーんという涼やかな音に慌てて目をつぶって祈る。

(えーと…女神様、ウチの野菜のことなんですけど…)

 自分が居なくても今の品質を、と頭で考えようとして肩に手を乗せられた。

「?」

 誰だ、と思いつつ祈りを中断して顔を上げると、見知らぬ女性が見下ろしていた。

 というか、周囲が別の空間になっている。

 隣りにいたはずのルイスも見えないし、人っ子一人居ない。

「!?」

(やばい、なんかのイベント!?)

 慌てて立ち上がり逃げようとして「待って!」と言われてしまった。

 立ち止まり、逃げれる体勢でそうっと振り返る。

「だ、誰…?」

『女神ルーナです』

「はい!?」

 なぜか灰色のパンツスーツ姿の人物を凝視する。髪は黒髪だが妙に艶が…いや、光っている。

 目は金銀のオッドアイ、頭には星の飾りをつけていた。服装と姿の違和感が半端ない。

『あの…大変申し訳ありませんでした』

 シャルルは初っ端から謝罪を受ける。体を女神に向けて首を傾げた。

「えーと、何が?」

『あなたを乙女ゲームの仕様に巻き込んでしまいました…』

「なんだそのこと。…別に構わないわよ。全然違う道筋に行っちゃったし…」

 悲惨な目には特にあっていない。むしろ謝るのはイアンナのほうではないのか。

 そう考えていると、どうして自分がこのような世界を作ったのか、二人の記憶を用意したのかを勝手に話し出す。この事はイアンナにも伝えていることも。

(なぁんだ、死んでないのか)

 若干ホッとした。それなら日本の事は気にしなくていい。

(まぁぜんぜん気にしてなかったしね。…というか、最初は逆だったのかぁ)

 女神が乙女ゲームの矛盾に気が付かなければ、自分は悪役令嬢の中に入っていたようだ。

 運命からは逃れようとしただろうが、現在のイアンナのようにうまく立ち回れたかは全く自信がない。

(たぶん無理だ)

 お人好しな悪役令嬢を思い浮かべる。自分なら継母と、そしてイザベルと喧嘩していそうだ。

「んで?魔王様はもう…現れないわけ?」

『はい』

 乙女ゲームの魔王と聖女または勇者という仕組みは無しにした、と言う。

『魔王について貴女は気がついたようですが、その、内緒でお願いします』

「言うつもり無いから安心して」

 言った所で反王家や裏社会が食いつくだけ。王家や自分たち貴族、そして真っ当に生きている平民になんの益もない。

「それより、学園のイベントは?」

『もうありません』

「はぁ、良かったー!」

 それならもう自分やイアンナが何かに巻き込まれるようなことはないだろう。

 今更ホッとするシャルルだ。

「それなら本当に謝らなくていいわよ。別に私は案外ふつーに生活してたし」

 むしろ裕福だった。卒業後の進路も見えている。自分は野菜を育てるだけだ。

(あ、そうだった、野菜!)

「あの、私の光魔法って…他と違うんですよね?」

 急に下出に出て敬語になったシャルルにクスリと笑いながら女神は言う。

『ええ。聖女の特別な…ということで少し改変して、光魔法に精霊魔法が混じっています』

「精霊魔法!…なるほど〜」

 道理で他所で真似できないわけだ。それならヒロインに”精霊の加護”がついたのも頷ける。

 RPGパートをこなしていないので威力は弱いがシャルルは全属性持ちなのだ。

 しかし自分と同じようにするためには、素質を持つ人を探して育てないといけない。

 だいたい全ての属性持ちという人は、ヒロインだけのような気もする。

「ウチの領地…バーグ領で育ててる野菜なんですけど」

『もちろん、知っています。貢物によくあがります』

「そうなんですね。えーと、その野菜を継続的に作りたくて…でも、私以外出来なくて」

『はい』

 自分の話を真剣に聞いてくれているが、言いたいことを察してくれない。

(真面目か)

 女神の気質がわかったような気がした。そんな事を思いつつ、ハッキリと言う。

「バーグ領だけで、私の魔法がなくても、あの野菜がずっと採れるようにしてほしいです」

『わかりました』

「えっいいの!?」

 自分で言っておいてなんだが、いいのだろうか。

『はい。お詫びもありますし…あの野菜は美味しくて私も好きなのです』

「そ、そうですか、ありがとうございます」

 黒髪の女神は美女だがパンツスーツのせいで神々しさが半減している。

 シャルルは詫び銭と言って特典を強奪している気がしてきて、提案した。

「ウチの領に神殿でも建てましょうか」

 領地には記憶に残るような、立派な神殿はない。幸い、子爵に上がり下賜された広大な土地と金はある。目下開発中だが、どう開発しようと悩んでいた場所もある。

 女神は少し目を見開き、微笑んだ。

『それですと…とても嬉しいです』

「そういうもの?」

『はい。祈る人が増えれば、私の力になります』

 栄えている土地の力も神の力になるそうだ。

「なるほどね。それじゃ、えーと…なんか希望はあります?」

 まるで日本で一軒家を建てる時のように、シャルルは尋ねた。

『?』

「ルーナ様の部屋ですけど。…ん?ひょっとして、こういう…降臨?ってあんまりしないの?」

『ええと…いえ、たまにはいいかもしれません!』

(ないんかい)

 だが、気持ちはわかった。

 乙女ゲームをプレイしてその世界を創造までしたのだ。

 天界で眺めているだけではなく、直に触れて楽しみたいのだと。

(私もそうだったしな…)

 触れることの出来ない世界。

 日本ではわかり切っていたが、憧れて自分が住んでいたら、と妄想もしていた。

「神殿内に作っておきますから、適当に使って下さい」

『!……ありがとうございます』

 美女から輝くような笑顔を向けられてしまった。

(まぶしー)

 だが女神に感謝されるというのも悪くない。

 これでバーグ領は安泰だ。

『お手間を取らせてすみません』

「いえ!…あ、最後に一つだけ。私は…ヒロインでは、ないんですよね?」

 真剣な瞳にルーナは伝える。

『はい。乙女ゲームの世界を模して土台は作りましたが…ゲームの主人公のような設定はしておりません』

 その言葉にシャルルはホッとした。

(ルイス…よかった)

 彼はヒロイン効果で吸い寄せられて落としたのかと、少しだけ考えていたのだ。

(でも貴女は”落とされた”ほうですよね?)

「ゴホッ!?」

 頭に直接声が響いて吹き出してしまった。

「え!?…まさか…心の声が読めるの…?」

『はい』

「げっ」

(じゃあ、私がルイスをどう思っているかも…?)

『奥ゆかしい想いは、日本人ならではですね。ご婚約おめでとうございます』

「ぎゃあああ!!」

『彼が心を寄せたのも、ヒロインだからではありませんよ?貴女だからです』

「おうっふ!」

 うふっと笑いながら言うルーナに、シャルルは顔を真っ赤にしている。

『溺愛ルート…羨ましいです。二世を楽しみにしていますね』

「ああああ…」

 今すぐ戻って、ルイスの胸に顔を埋めたいと思うシャルルなのだった。

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