第19話 終わり良ければ全て良し

「レオ、ありがとう」

「アンの居場所場所が分かるのは、オレだけだからな!」

(パパ、オソカッタ!)

 チロルがレオの頭をポカポカと叩く。

「瘴気でアンが見えにくかったんだ。ヘンリーのマーカーじゃ弱すぎて…」

 目眩ましのように瘴気溜まりがあちこちに出来ていて特定が出来なかったのだ。

 気になっていた場所を手当たり次第探っていたが、見えるようになったのは少し前だという。

(魔封じの道具のせいね)

 魔王の魔力を遮断するような道具だ。もしかしたら乙女ゲームのアイテムかもしれない。

 課金アイテムだろうか、思ったよりも厄介な道具が存在するようだ。掘り出して王宮で管理してもらわないといけない。

「もう大丈夫よ、レオが来てくれたから」

「当たり前だ」

 ホッとしたようにレオはイアンナの額に額をつける。

「ここは?」

「…王都の外れ。ヘンリーの魔法で飛んできた」

 イアンナもそれを見て驚いた。

 ずいぶんと魔法制御がうまくなったものだ。しかも、魔法使いの乗る箒、とは。

(きっと、あの子の…いえ、それはあとね)

「魔神は?」

「魔神?…ってほどじゃないな」

 瘴気を集めてだいぶ強くなっているが、神と名乗れるほどの力はない。

 だが人には十分脅威だ。

「あのまま魔法陣の中へ押し戻せるかしら…」

 空の色がまったく見えない暗雲が立ち込める天に祈りを込めるが、それを邪魔するように屋敷が吹っ飛んだ。

「!!」

「結界展開!!!」

 ジョシュアの焦った声が響いた。

 凄まじい音とともに半壊した屋敷の一階部分に、先程見た腕の大きさとは段違いに大きくなった魔獣がいる。

 頭は二階の天井を突き抜けていた。

 山羊頭に角、黒く巨大なコウモリのような翼に、尾は蛇。うっすら燐光を放っている。

 知らない人が見れば「魔王が復活した!」と思ってしまうくらいには、恐ろしい姿をしていた。

「ど、どうやって倒せばいいんだアレ!」

「ヘンリーの魔法でも駄目?」

「何かが邪魔してて本体に届かねーんだよ!」

 さっきから魔法を打っても途中で消えてしまうのだ。

 邪魔をしているのは一部の人にしか見えない瘴気。

 騎士団も瓦礫を避けながら前進をしていたが、一定の距離を保った所で止まっている。

 倒し方がわからないからだ。

 しかし魔獣は元気いっぱいな様子で、咆哮を上げながら周囲を見回している。

 美味しそうな餌がたくさんある、と言うような目で見て、笑っていた。

(ど、どうしよう…<ヒカコイ>でもこんな敵は居なかったし…)

 イアンナは狼狽える。

 一番の敵は魔王だった。

 しかしアレはそうではないから、普通に剣と魔法で削ればいいのだろうが、それでは犠牲者が出てしまうだろう。

(乙女ゲームってやっぱり変…!!)

 魔王をヒロインと攻略対象、そして聖獣とで倒せるゲームがおかしいのだ。

 今、悩んでいる間にも小さい魔獣が生み出されていて、騎士や魔道士が敷地内から出さないように討ち取っている。

 厳しい表情でレオは魔獣を見ていた。

「決定打がないな」

「…ええ」

 おそらく周囲が期待しているのはイアンナの言葉。

 事前に話を聞いていた皆は対処方法が無いことを知っているが、それ以外の人たちは知らないのだ。

(何か、考えるのよイアンナ)

 自分自身に言い聞かせつつ、彼女は落ち着かせるために伺ったレオの頭の上にいるチロルの体が光っている事に気がついた。


◇◇◇ 


 その様子を少し離れた場所から、流れる血に目を回しつつ騎士の治療にあたっていたシャルルが見ていた。

 魔王様爆誕!?キタコレ!!と思い公爵令嬢に指示されるまでもなく喜んで騎士団と一緒に来たのだが。

(イアンナ生きてるし…魔王様いないじゃん…)

 魔獣は大きいし騒がしいし怖いが、魔王でもなんでもない。脳筋っぽい魔獣だ。

(むぅ〜)

 逆に悪役令嬢とその騎士のイチャイチャを見せつけられている。

 やっと間近でじっくり見ることのできた騎士は、野性味があるものの非常に美しかった。

(見ると睨まれるしなぁ。…ん?)

 イアンナの黒い髪にレオの山吹色の髪が映えている。


(魔王様の、髪…?)


 魔王の髪は黒く長い髪に、毛先が黄金色だ。


(いやでも、目の色違うし)


 魔王の目は紫色だ。

 2人の瞳は赤と青で…混ぜれば魔王の瞳である紫にならないか。


(いやいやいや。魔王様はもっとひょろくて青白くてヤンデレで!)


 だいたい彼がそうなら悪役令嬢と恋仲になってるのがおかしい。

 攻略に躍起になりすぎて、目がそう処理してしまっているのかもしれない。

(ダメだ、疲れてる。やっぱ夏休みはそっこー領地に帰ろう。…ん?)

 イアンナの周りを飛ぶ聖獣が光っている。いつも光っているが、それよりも強い。

 驚いた様子のイアンナが声をかけていた。

「チロルどうしたの?」

(ボク、オオキクナル!)

「えっ!?」

 そう言えば魔力を渡している最中だった、と気がついたが、もう成長に必要な量に達したらしい。

 明滅しながらチロルは皆から少し離れると、ぎゅっと体を丸めた。

(あ…私の中の、核がない…?)

 魔力はあるが重いような質量の塊がない。レオは気がついたようだ。

「アンの中にあったやつが、チロルに移動してる!」

「だ、大丈夫かしら!?」

 自分の中にあったのは魔王の核だ。聖獣の中に入って大丈夫なのだろうかと思いつつ息を詰めて見守っていると、ズモモモモモモ…とチロルが膨れだした。

 <ヒカコイ>の聖獣は、非常に美しい狼のような姿になるのだが。

「なにあれ!?」

 シャルルもギョッとして叫んだ。

「…あらら?」

 ちょっと違う、と思いつつ魔獣よりも大きい怪獣サイズになったチロルを見上げる。

 ほぼ元の姿のまま巨大になったようだ。

 レオが呆然としつつ言う。

「魔力は…光と闇が半々だ」

「そんなことあるの…?」

「はは!凄いな!」

(さすがオレたちの子供だ)

 もはや聖獣とは違う生き物なのかもしれない。

 皆が驚いて見ていると、チロルがむくりと起き上がってファイティングポーズを取った。

『アイツ、倒す!』

「えっ!?」

 聖獣って拳で戦う存在じゃないよねと思ったのは一瞬で、チロルは空へ飛び上がると一瞬で魔獣へ肉薄し、ブン!と丸い手足を振り上げ…威嚇する魔獣を魔道士たちの張った結界ごとベシン!と叩いた。

 辺りに盛大な破壊音が響き渡り、しかし瓦礫と爆風は魔道士たちが防いでくれた。

「チロルちゃんすごい〜!!」

「嘘だろ!?」

 エレンは喜び、ヘンリーは口を開けている。

 煙を巻き上げる屋敷からチロルは手を離した。

 その真ん丸の手からひらり、と何かが落ちていく。それとともに急速に暗雲が散っていった。


 夜のような闇から一転、青空に照らされた一同は呆然と聖獣を見上げる。

 金色だった角は夜空が混じり星がまたたいているように美しい。体毛は耳の先と手足の先、そして尻尾の先だけ夜色になっている。目も角と同じ色で、ずっと見ていると吸い込まれそうになるような美しさだ。

 太陽の光に照らされた聖獣は、燦然と光り輝いていた。

 キュオオ!という勝利の雄叫びに呆然とそれを見ていたレオはハッとする。

「…行ってくる」

「ええ、気をつけて」

 レオはイアンナの額にキスをすると、腕の中からおろす。

 そしてチロルへ向かって走り出した。

「レオ、どうなった!?」

 ジョシュアがこちらへ駆け寄ってくるので、半笑いで振り返る。

「…瘴気が…膨大な魔力が、なくなった…」

 王都上空を漂う瘴気の靄も。魔獣に吸収されていたようだが、それごとチロルがぶっ叩いた。

 ヘンリーが声を上げる。

「ちょっとオレ見てくる!」

「あ、私も行く〜!」

 ヘンリー&エレンが箒にまたがり風魔法で飛んでいくと、チロルの元から何かを拾い折り返してきた。

 駆け寄ってきたレオとジョシュアへ見せる。

「さっきのヤツって…コレか?」

 ヘンリーが引きずり差し出したのは、ペラペラになった魔獣の姿。まるで絨毯のようだ。

『ごちそうさまでした』

 ペコリとチロルが頭を下げて合掌した。

 いつもイアンナが食後にしている所作なので、レオは吹き出す。

「これ、どーすりゃいい?」

「いらないな…神殿だろうか」

「こんなの要らないっていうか…怖がられるだけだと思うよ…?」

 エレンの言葉にヘンリーとジョシュアが首を傾げていると、チロルが一歩だけ近寄ってくる。それだけで砂煙が上がった。

『いらない?食べる』

 チロルが事も無げに言うとヘンリーの手からパクっと魔獣を口で受け取り瞬く間に飲み込んでしまった。

「うそっ!?」

 エレンが青い顔で見上げる。離れた場所で見ていたイアンナも真っ青な顔で見上げた。

 もちろんレオもだ。

(いや、オレも生きるために色んなモン食ったけど、それは駄目だろう!!)

 当然、腹を壊したこともある。

「チロル!腹は!?」

『大丈夫』

 お腹いっぱいになったようで、膨れた腹をさすっている。

「えええ…後で腹壊さないといいけど…チロルちゃん…」

「あはっ!お前サイコーだな!!」

『チロルは最高!』

 ヘンリーが褒めるとチロルは尻尾を振る。瓦礫が舞い上がり、慌ててレオが止めた。

「良かった。大丈夫そうね」

「あれが聖獣…?」

 イアンナがホッとしていると、いつの間にか隣に居たシャルルがチロルを口を開けて見上げている。

 知性、優美、俊敏性、神秘…そういう言葉が似合ってたはずの狼形態の聖獣ではない。

 モフモフであったかそう、というのが正直な感想だ。魔獣を食べるようには全く見えない。

(は〜…もう、何が何だか…)

 頭を振るとイアンナを見る。

「あ、あんた怪我してるじゃん!手、出して」

「自分で…」

 まだ魔力は自分の中にある。以前と比べると随分とスカスカした頼りない感じだが、比べる対象が間違っているのかも知れない。

「聖獣に魔力渡したんでしょ?あんまり使うと気絶するわよ」

「はい…」

 素直にシャルルに腕を出すと、拘束具のせいか手首が赤黒くなってしまっていた。夏服なので袖がない部分も切り傷があり痛ましい。

 シャルルは顔をしかめて目を細めながらも治癒魔法を唱える。面倒だったのか見たくなかったのか、その光は全身を包んで治療を行い、イアンナは体が軽くなるのを感じた。

「ありがとうございます」

「…別に。制服汚れてるわね」

 青い顔で制服の染みを見ると、浄化魔法を唱える。

 ルイスの魔道具のおかげでようやく魔力が見え細かい制御が出来るようになり、使える魔法も増えたのだ。

(…こんな目にあったら、私なら倒れて何も出来ないな)

 考えないようにしているが、黒い染みは血だろう。

 邪教誘拐のイベントはその時に一番好感度が高い人が分かる、そして好感度の上がるただの救出イベントのはずなのに。

(おっかない…)

 イアンナは攫われて殺されかけて、見知らぬ人…自分を攫った人を助けていた。

 放心したように地面へ倒れている男がそうだろう。

(私だったら絶対に助けないね)

 更にイアンナは魔獣を倒そうと、自分のチートである魔王の核を聖獣に差し出した。

 自分にはそれが出来るとは到底思えなかった。

(RPGパートから…怖いことから逃げてたくせに、なんで攻略しようとしてたんだろう)

 本気で攻略するなら、ゲームの通りにするのなら男爵が探しに来るまでひっそりと下町で暮らしていればよかったのだ。

 もしくは乙女ゲームを忘れて母ともども男爵家へ行き、親子で平和に暮らしていれば焦ることもなく学園生活を満喫していただろう。

(中途半端にゲームっぽく楽しもうとして、自分で難しくして首を締めてたのかな…)

 ようやくシャルルは自分の行っていた矛盾に気がつく。

「”分相応”か。…ほら、染み無くなったわよ。…なに?」

 イアンナがとても嬉しそうにこちらを見ていたからだ。

「”分相応”って言葉…やっぱり貴女は転生者だったのね?出身はどちら?」

「はぁ!?」

 元の世界の単語は日本語でつい言ってしまうのだが、なぜその言葉を知っているのか。

「私は神奈川県の川崎出身なの!」

 見た目は悪役令嬢の美しい姿から、まったく似つかわしくない言葉が飛び出てきた。

「えっちょっ、まさかあんたが」

「アン、そいつから離れろ!」

「レオ」

 宰相から侯爵から、危険分子と言われていたために慌ててやって来たレオが2人を遮る。

「ごめんなさいね、また今度!」

「……!?」

 混乱しているシャルルを置きざりにし、レオはイアンナを連れてジョシュアの元へと抱えて行く。

(まったくアイツ、いつの間に近寄りやがって…)

 若干怒っているレオにイアンナは言う。

「治療してくれたのよ。とてもあたたかい魔力だったわ」

 さすがヒロインよね、とも言っている。レオは呆れた。

「あのな…アイツがあんなんだからアンが攫われたんだぞ…」

 まったく聖女らしくないヒロインのお陰で、イアンナが標的になってしまった。

「でもあの子、血が駄目だから私で良かったのよ」

 小さい魔獣でも悲鳴を上げるのだ。卒倒してしまうだろう。

「それ、結果論だろ…」

「そうよ!こういう事を…終わりよければ全て良し!って言うのよ」

 ニコリと笑ったイアンナに負けたレオは、仕方ないというように微笑んだ。

「イアンナ嬢、お疲れ様です」

「ジョシュア殿下も」

「いや…ほぼ何もしてないよ…」

 母が厳しく育ててくれたお陰で魔獣に怯みはしなかったが、どう対応すればよいか、まるで分からなかった。

 もっともっと、書庫の蔵書を読み込んだほうがいいのかも知れないと彼は考える。

「強い技や武器などがあれば…」

「それが聖獣ではありませんの?」

 ジョシュアの傍らに居る少女が質問をする。

「いや、そういう不思議なものに頼らず、人間でなんとかしたいところだと思って」

「……」

 その様子を見てイアンナは思い当たるところがあったが、課金しないと解放されないクエストの報酬なので在り処が分からない。

(あとで…あの子に聞いてみようかしら)

 逆ハーレムをやろうとしたのだ。自分より詳しいだろう。

「暴れ足りなかったけど、一件落着、か?」

 魔道士たちは下がり周囲の警戒をし、騎士が瓦礫を片付け始める作業へと移っていた。

 ヘンリーの言葉にジョシュアが、連れてこられたが貧血で座り込んでいるマーロウを見下ろす。

「残党がいる」

 マーロウは顔を上げてすぐに懺悔した。

「…その御方を攫ったのは私です。邪教の者と手を組んで…愚かな行為でした…」

「ですが、あなたは私を助けてくれました」

 イアンナは慌てて弁護するが、マーロウは首を横へ振った。

「聖獣が守護する乙女と知ったからです。…聖女を救えた事は我が身の誇りです」

「…聖女ではありません」

 近くには本来の聖女であるヒロインもいる。

 居心地が悪くなり言うが、傍らには真の力に目覚めた聖獣もいる。今は元の大きさに縮んでイアンナの肩に収まっていた。

 ここにいる全員も、とジョシュアの傍らにいる娘がにこやかに言う。

「どう見てもイアンナ様は聖女でしょう。わたくしも証人ですわ!」

「そうだな〜」

「イアンナ様は私たち…保護児童も救ってくれたんですよ!」

「……」

 イアンナが詰まっていると、レオがため息と共に告げた。

「もう逃げられそうもないな、アン」

「うう…聖女では…ないのに…」

 こうして邪教集団による魔獣召喚騒動は幕を閉じた。


◆◆◆


 その後、現場は騎士団長が引き継ぎ、少年少女たちは学園へ馬車で送り届けられる。

 シャルルは魔道士たちと同じ馬車に乗ったが、目をつぶって寝たフリを決めた。

 なお、ヘンリーとエレンは箒で先に帰っている。

(あんなの無理だ)

 空を飛びたい!と言って体を浮かすことに難儀していたヘンリーに、箒に乗ることを勧めたのは自分だが乗るとは言ってない。

 一応ヘンリーに「送るぞ」と言われたが、シャルルはジェットコースターの類が全く駄目なので、絶対無理と馬車を選択した。

(ヘンリーはホント自覚ないわ〜)

 そして婚約者同士の相乗りにくっついていくほど無粋でもなかった。

 なお、ヘンリーは聖女救出に、エレンとシャルルは現場にて騎士団員の治癒に当たったということで、報奨が後日贈られる事になった。

(別に報奨なんていらないのに)

 欲しかったのは聖女の称号だが、今となってはそれもいらないと思ってしまった。

(あーあ、本当に馬鹿みたい、私…)

 救いなのはまだ1年生だということか。これから普通に過ごせばいいのだ。

 学園へ馬車が到着し、営業スマイルでお先にどうぞと言い続け、のろのろと最後に立ち上がる。

(足が…)

 今更震えが来てしまった。手すりを掴んで足元を見ながらタラップを降りていた彼女は気が付かない。

(あと一段〜)

 これを降りれば日常だ。部屋に帰って寝たい。

「ぎぇ!?」

 最後の一段で滑った。


「おっと!」


 前のめりになった肩を支えてくれたのは。

「ルイス…」

(なんで?)

 馬車から降りた彼女を待っていたのは、ルイスだった。

 目が合った途端、緑の目が潤む。

「シャルル…良かった」

「あー…ごめん」

(そっか。置いてきちゃったっけ)

 彼はイケメンだが普通の人なので、そこまで魔力も武力も高くない。

 危険な上に自分には瀕死状態を解消する魔法が使えないし、もしもの時に蘇生させる聖獣もいないと思って同行を強く断ったのだ。

「心配したぞ」

 真っ直ぐに目を見られて、つい逸らしてしまう。

「なによ、野菜が採れなくなるからでしょう」

 そのいつもの憎まれ口にルイスはホッとしたようだ。

 泣き笑いのような顔でニッと笑ってくれた。

「まぁな」

 その笑顔を見て、自分にも待ってくれてた人がいた、と少々嬉しくなった。

 という事は、部屋でマチルダが祈りながら待っている事だろう。

 早く顔を見せないと、と思った。

「…疲れたから寮に戻るわよ」

 じっと自分を見るルイスの視線に耐えきれなくなり、横を通り抜けて歩き出すと彼がポツリと言った。

「戻ってこなかったら、どうしようかと思った」

「!」

 背中に温かいものがあたり、体が大きな腕で包まれる。

(ばばばばばばっくはぐっ!?)

 耳元には吐息が感じられて、だるさが吹っ飛び、頭が真っ白になった。

 上から覗き込まれて、口をはくはくしているとルイスは愛おしげに自分を見てフッと笑った。

「!?」

 その破壊力抜群な色気のある微笑みに何も言えないでいると、ルイスがすり、と頭に頬を擦り寄せた。

「…今日は諦めるよ。それに、たぶん城に呼ばれるだろうからな…そのあとで、話したい事が、ある」

 落ち着いた低い声で言われて、心臓がはちきれそうにバクバクしている。

「わ、わ、わかった」

 体を離したルイスの顔が見れずに下を向きながら言うと、オデコにキスをされた。

「!?」

 思わず額を押さえガバっと顔を上げると、ルイスはニヤリと笑った。

「これで我慢する。戻ったら教えてくれ」

 そしていつものように頭を撫でてくれる。

 そのまま振り返らずに去るルイスを、シャルルは混乱した頭で見送ることしか出来なかった。

 それからどうやって部屋まで戻ったか記憶はないが、扉を開けるとマチルダに泣いて抱きつかれた。

「公爵令嬢様がらの使いに教えられで…祈ってまじだぁ…!!!」

「ご、ごめんごめん」

 現実に戻ってきたシャルルは慌てて謝る。

 マチルダは規定の言葉しか言わないモブではないのだ。心配するのは当たり前。

 そのまましばらくなだめていると、ようやく涙が引っ込んだマチルダが顔を拭いて笑顔で言う。

「これ、全てルイス様からですよ」

「え!」

 軽食やお菓子、花、良い香りのポプリなどがたくさんテーブルに並べられていた。

 先程の事を思い出して、顔に熱が集中する。

「あれ…いつの間に、攻略、してた…?」

 マチルダは笑いながら言った。

「そうでしょうか?…お嬢様が攻略されたのでは?」

「へ!?」

 そして思い出したのは、先程のバックハグ。ルイスルートでそんなシーンがなかったか。

「ふわぁぁぁぁぁぁ!??」

 脳が許容量を越えて沸騰する。

(いや!そりゃ!べつに!イケメンですけども!!!)

 攻略対象者だから、顔がいいのは当たり前だ。

 商人の息子であるルイスは攻略対象の中でも柔らかい印象で、大人の女性受けのする男の子だったが。

(あれ、男の…子?)

 乙女ゲームによくある設定だ。細そうに見えて実は筋肉がある。 

 胸板がそこそこあったのを思い出して更に顔に熱が集中した。

「ヒロインだからって…別に、誰かを攻略しなくてもいいんですよねぇ」

 マチルダが追い打ちをかけ始める。

「侯爵令嬢様だって、ジョシュア殿下の婚約者でもありませんし…」

「そ、そうだけどっ!」

「それに、ルイス様なら。…王宮、王政に縛られることもなく自由にできますし、裕福でもありますよ?」

 豪商の次男だから家に縛られることはなく、領地もなく、もちろん自由だ。

 自分が心配している領地にだって帰れる。むしろ、婿に取れば。

(む、むこ!?)

「うごぉぉぉぉぉっっ!?」

 頭を抱えるシャルルにマチルダはとどめを刺した。

「ほら、お嬢様も日頃言ってますでしょう?愛するより愛される方を選択するって」

 それは<ヒカコイ>の悪役令嬢に対する持論だが、正に正論だ。しかも身から出た錆。

「ちょっっ…心を抉るの止めて!」

 ヒロインの姿をして生まれたからって、攻略を無視することも出来た筈。 

 さっきイアンナを前に気がついたことだ。

 マチルダを制し10回ほど深呼吸をするとソファに倒れ込む。

「はぁ…私、何を必死になってたんだろ…」

 くすくすとマチルダが笑った。

「…ルイス様って素敵ですよねぇ」

「……」

「お嬢様もよく話をしてくださいますし」

 確かにいつもヘンリー&エレンと揃ってつるんではいる。

 しかしマチルダにそんなに彼の話をしただろうか。

「ニホンの品物を製品化できる、って言ってましたよね?」

「あっっ…」

(そーだ、話したわ。思いっきり)

 以前から信用できる商人がほしいーと言ってた所に来た”カモ”と話していた。

 今考えると非常に失礼だ。

「いや、そういうのじゃなくてっ」

 シャルルが慌てて言うとマチルダは大げさに頷いた。

「ええ、もちろん分かってます!愛のほうが大きいんですね!!」

「ぎゃあ!!そっちでもなくて!!」

 真っ赤になったシャルルにマチルダは苦笑した。

「一緒に居て楽な人がいいって、いっつも言ってましたよね。そういう事なんでしょう?お嬢様」

「……そ、それは否定しないけど…」

 子供っぽいヘンリーには全くときめかないし、騎士団長の息子も隙もなく冷静過ぎて睨んでくるから苦手だ。

 宰相の息子はエンカウントすらしないし、第2王子はキラキラ過ぎてアイドルを見ている気分だったのを思い出す。

(あ、教師も居たけど論外って思っちゃったっけ)

 子供の写真をニヤニヤしながら見せてくる教師は、影のある色男の、影も形もなかった。

 隠しキャラの王弟はもう既に恋人がいて幸せオーラが漂っていた。

(え…マジで…ルイスだけ…?)

 普通に話せているのも、ちょっとでもドキッとしたのも、彼しかいない。

 悶々と考えていると、マチルダがふふっと笑った。

「卒業後は忙しくなりますね?」

「ぶふっ」

 学園生活はあと2年以上もあるし、明日からどんな顔してルイスを見ればいいか分からない。

「い…今は寝かせて。もう、駄目。…いっぱいっぱいだわ」

 とうとう顔を隠して白旗をあげたシャルルにマチルダは笑う。

「わかりました。では食事はマジックボックスに入れておきますね。こちらもルイス様からですよ。さすがの状況判断ですね」

「あ…」

 その言葉に、彼が商人であったことを思い出す。

 こちらの商売に関しての知識はそこまで蓄えていないシャルルだ。

(私、どの時点で先読みされて、囲われてた…?)

 まったくもって覚えていない。

 野菜に反応して釣られた男にしか見えなかった。

 道具を作ってくれるのは、後で儲けられるからだろうとしか思っていなかった。

(お、恐るべしルイス…!)

 これはもう逃げられないのか。しかし先程の切ない笑顔を思い浮かべると、体が熱くなる。

 いや、ヒロインが攻略されるってどうなの、と思いつつシャルルは寝室のドアを開けた。

「お疲れさまでした、お嬢様。良い夢を…」

「う…うん…ありがとう、マチルダ」

 気力を振り絞って片手を上げると、シャルルは寝室に消えた。

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