第17話 対象違いのイベント

(駄目だ…全然闇落ちしてない)

 シャルルは呻いた。

 もう8月だ。領地へ帰らなくてはならない夏季休暇がやってくる。

 星祭りイベントをこなしてから領地に行こうと思っていたが、そもそも誰かとデート出来る間柄にもなっていない。

 攻略対象者は皆一様に満ち足りていて、たとえ話が出来ても<ヒカコイ>ヒロインの言葉が心にグッと来ないようだ。

(当たり前だよね…)

 そしてヘンリーとエレンの過去の話から、攻略対象者の闇落ちの原因が全て大神殿だという結論に至る。

 2人から聞く限り、最低最悪な場所だ。

(掃き溜めじゃん)

 そこのトップである大神官に聖女認定されていたら自分はどうなっていたのか、と少々顔が青くなった。

 それを侯爵令嬢が7歳当時に暴いたとか。聖女と呼ばれるように、神がかり的な力だ。

(この時は公爵令嬢が絡んでないみたいなんだよなぁ。なんなん?イアンナって)

 見る限り、とてもおとなしそうなご令嬢だ。黒に緋色の髪だから遠目でも目立つのだが、人をいじめるような性格にも見えない。

 学園でも”聖女”や”予見の姫”として一目置かれている。

(しかもその隣りにいるやつ…)

 彼女の隣には騎士のような少年が常にいた。

 今は伯爵家に籍を置いているが、卒業と同時に侯爵令嬢イアンナの元に婿入りすることが既に決まっているという。

(超イケメンなんだよなぁ。魔王様並みだわ)

 だが魔王は病的で、彼は野性的だ。

 山吹色の短い髪を後ろになでつけ、日焼けた肌は精悍な印象がある。

 獅子というよりは、豹のような印象を受ける青年なのだが、サファイアのような瞳はいつもイアンナを愛おしそうに見ている。

(絶対に溺愛コースじゃん。どこで見つけたんだろう?モブなのに超カッコいい)

 キラキライケメンの第2王子や王太子も霞むほどだ。

 <ヒカコイ>から逸脱した聖女イアンナなのだから、またこちらもストーリーとは関係ないイケメンなのかも、と思うことにした。

(それよりも!!!なんで聖獣があっちにいんのよ!!)

 ある日、庭園内でイアンナとモブ騎士が仲良く歩いているのを見ていた際に、周囲を飛ぶ聖獣が目に入ったのだ。

 ウサギに似た姿だが、額には金色の角、背中には白い翼があり猫のような長い尻尾がある。全身真っ白で、目は虹色だ。

(あいつ裏切ったわね!?)

 とシャルルは一瞬考えたが、どこにいるんだっけ…と出会うはずの場所を思い出す。

(あ…違う…アイツ、RPGパートに出てくるやつだ…)

 学園の裏側にある森の奥深くの洞窟…ダンジョンにいるのが聖獣だ。

 学園へ入学してから1ヶ月以内にダンジョンの隠し部屋へ行くと仲間になり、その後の攻略が非常に楽になる。

 貴族の子息が通う学園のダンジョンなので、冒険者達が潜るようなダンジョンよりは難易度は高くないが、シャルルは実技が超苦手だし、そもそも魔獣のいるダンジョンに入りたくもなかったので、課題に関係する浅い階層しか入っていなかった。

 よって、ダンジョンの怖さに聖獣の存在を今まで忘れていたシャルルに文句を言う筋合いはない。

「よー!どうした?」

「シャルちゃん、精神統一?」

 木の根元に座り込んで険しい顔をしていたせいか、エレンにそう言われてしまう。

 慌てて額の皺を伸ばしていると、目線に気がついたヘンリーが教えてくれた。

「ああ、あれ。大丈夫だよ、魔獣じゃねぇ。聖獣だよ」

 シャルルの魔獣嫌いは有名だ。小さな魔獣でも本気の悲鳴を上げて逃げて行く。

 一部の男性陣からは守ってあげたいと言われているのだが彼女は知らない。

「可愛いよねぇ。イアンナ様のペットだって!」

「ペット!?…え、聞いたの?」

「うん。神殿にもちょくちょく来てくれてるし、こないだ仲良くなったの!」

 さすがエレンだ。物怖じしない彼女の交友関係は多岐に渡る。彼女の夢は大神殿のシスタークロエのような存在になること。

「学園のダンジョンの、先生も行かない下層まで行った言ってたよ」

「物好きすぎない!?」

 思わず目をひん剥いてしまった。

「シャルちゃん、しぃ〜」

 さすがに不敬だと感じ慌てたエレンに抱きしめられて背中をポンポンと叩かれる。

(最近こういうの多いな…)

 しかし挙動不審な自分が悪い。

「あの2人、すっげぇ強いんだよ。特にレオのほう」

(あれ、そっち?)

 元悪役令嬢の体の中には魔王の核があるから、強いのは当たり前だと思ったのだが。

「イアンナ様は魔力も多いけど、制御もすごいの!」

「2人だけでダンジョン攻略しちまうんだから、すごいよなぁ」

 目の前の2人も強いのだが、20階以降は行けてないらしい。いたく感心していた。

「なんかね、すごく弱ってたから魔力をあげたら懐いたって言ってたよ」

 さすが聖女様よねぇ、と過去に救われた経験を持つエレンはうっとりと言う。

「聖獣は光魔法が強いらしくて、治療院で怪我をあっという間に治して驚いたって言ってた」

(…という事は、慰問に行ってるんだ。治療院ってことはイアンナ自身も光魔法が使えるってこと?)

 増々<ヒカコイ>から逸脱している悪役令嬢だな、と思ってしまった。

 ついでにシャルルは隣のモブ騎士のことも聞くことにした。

「で、隣は誰?」

「俺のダチ!」

 ヘンリーがドヤ顔で答える。

 どうやらあんな綺麗な貴族っぽい顔をしているのに、平民とも話が合うらしい。

「剣の腕もだけど、魔法も強くってさ!すげーの!でも俺も負けないぜ!!」

「魔法が強いとすぐそれだ…」

 エレンが苦笑している。しかしその瞳は穏やかで優しい。

(婚約者か…)

 そう考えると、ヘンリーの攻略なんぞ出来ない。というかこの淀みのない子供っぽい少年は自分の好みからだいぶ外れているので、恋愛感情を全く持てない。

(何考えてるんだ。アホか私は…)

 シャルルは遠い目をした。

「次は魔法の授業だぞ、的あてだから俺達の独壇場だ!!いこーぜ!」

「はいはい…」

 イアンナとレオはまだ庭園内で聖獣と戯れている。

 シャルルはヘンリーとエレンに引っ張られて後ろ髪引かれつつも立ち上がった。


◇◇◇


「あれ、例のヒロインだよな?」

「そうね。とても幸せそう」

「…そうか?」

 なんか疲れてるみたいだけど、とレオは呟く。

 イアンナはちょくちょく見る彼女にホッとしていた。

(友達もいるし、攻略も全然してないし、大丈夫だと思うのだけど…)

 初日に迷子になった私を案内をしてくれたのよ、とイザベルに伝えたが、そこにいる時点で駄目よと言われてしまった。

 そして話しかけることは継続して禁止されている。

 聖獣が本当に存在したと聞いて、宰相が”問題なし”とする事に難色を示したからだ。

 女神は”イベント”を消していない、と。

 いつ、世界の自浄作用が働くとも知れない。そうなったら、今までの皆の苦労が泡と消えてしまう。

(油断できないな。チロルを見ていた)

 レオは厳しい目をヒロインの背中に向ける。

 彼女はチロルを睨みつけたと思ったら、アレっとなり、アチャーという顔になった。

(そりゃそうだ、お前が放置して死にそうになってたんだから)

 睨みつけるなど、お門違いというものだ。

「それにしても表情豊かね。見ていて飽きないわ」

 <ヒカコイ>のスチルでは思案中の顔、笑顔、照れている顔、真剣な顔の4パターンが使い回しされていた。なお、課金するともっと表情豊かになる。

「そりゃあ、人間だからな。ゲームでもないし」

 本人がどう思っているかは謎だが。

「このまま、なにもないといいわね。みんなと一緒に卒業したいわ」

「ああ、大丈夫だ。絶対に守る」

「…いつもありがとう、レオ」

 私は大丈夫よ、と肩に止まったチロルを撫でながら言うイアンナを抱きしめたい衝動に駆られたが、ここは中庭で校舎と寮からは丸見えだ。

 我慢して別のことを考えようと空を見上げる。

(…少し、多くなってきたな…)

 魔王が顕現していないせいか、黒い煙のような靄…一般の人には見えない瘴気が王都の空に浮かんでいる。

 瘴気が見えるアルフィ司教は、魔王を含む攻略対象者達の中に巣食うはずだった瘴気が行き場無く漂っているのだ、と話していた。

 光闇どちらかの力が突出して強ければ見えるが、魔力が多いだけでは見えない。

 イアンナは見えないようでレオの見上げる空を見て、今日もよく晴れてるわねぇと言っていた。

 しかしチロルは自分と同じように空を睨みつけている。

(コイツも危険視している。気をつけねーと)

 王都から離れた領では、魔王を崇める邪教の者が捕まったという。騎士団長のユージンから息子のジャック経由で聞いていた。

 宰相からは「狙われるのはイアンナ嬢かもしれない」と言われている。

(邪教のイベントもあるとは言っていたが…どうも違うみたいだな)

 <ヒカコイ>では聖女と認定されたヒロインが邪教のアジトに生贄用に攫われる、というイベントがある。

 攻略対象者のうち一番親密度が高い者が助けに来て…イベント的にはアッサリと終わると聞いた。が、この世界はゲームではない。

(街のほうに…だいぶ外れの方に、嫌な気配があるのは分かるが…)

 イアンナは危険回避のため下町や門に近い場所は行かないように、と釘を刺されている。

 自分は彼女の護衛だから、置いて調査に行くのはためらわれた。

(というか、離れたくない)

 侯爵家に婿入りする事は決定事項だが、制服姿のイアンナは3年間限定。片時も離れずに見ていたかった。

「アン、そろそろ行こう。午後の授業が始まる」

「もうそんな時間?早いわ…じゃあ行きましょう」

 イアンナは差し出された腕に手を掛けると、チロルを頭に乗せたまま歩き始めた。


◇◇◇


 校舎へと戻る2人を、影から見つめる者たちがいた。

「…あれか?」

「間違いない、黒に、緋色の髪だ」

 白いローブを纏った神官は頷くと、学園の敷地から出て行く。

 暫く無言で歩き、路地へ入った所で荷物を持った男が聞いてきた。

 貴族神官と従者を装って学園へ侵入していたのである。

「あれは聖女では…?」

「違う。あの娘は、魔王の魂を持っている。人に善きことを行い油断させて、後で支配するつもりであろうよ」

「なんと!」

 男は声を上げてから、慌てて口を抑えて周囲を見回した。

「大丈夫だ。裏路地になんぞ、今は人がいない」

 大神殿が掃討されてからというもの、街に浮浪者や孤児がいなくなり裏路地は掃除されて陰鬱な場所ではなくなった。

 足元では犬や猫がくつろいでおり人は来ないので、格好の隠れ場所であるがそんな所で密談をしている自分たちが少々間抜けに…いや場違いに思われた。

「さすが神官様。よくご存知で」

「まぁな」

 神官の男はドヤ顔をしている。その目線から見えないように、従者風の男はほくそ笑んだ。

「では、手はずを整えてきます…」

「ああ、頼んだぞ」

 従者風の男は路地を出ると、人混みに紛れて消えていった。

(これで一歩進む。再び聖王国の手に大神殿を取り戻すのだ…!)

 神官服を着ている男はマーロウという名の元・神官だ。

 大神殿に勤務していたが、掃討作戦の起こる数日前に大神官の部屋の壺を割り、神官の資格を剥奪されて拷問部屋に押し込まれていたのだ。

 救助された際に神官服ではなくまともに喋れなかったので虐げられていた者だと勘違いされ、イアンナの裁定を受けなかったため生き延びた。

 傷は癒えたが、ずっと大神官の言葉…侯爵令嬢は魔王の魂を持つ…という言葉が気になっていて、今日はある団体に援助してもらい、学園へ侵入していたのだ。

(この目で見たが…あれはとてつもない魔力だ。どうして今まで放置していたのか…)

 マーロウは元々聖王国から派遣された神官であったが、予言の力や神託など本国でもなかった。もちろん彼も神聖魔法…光魔法は使えない。

 だからイアンナの予見の力を信じていないのである。

(どうせ王族があの魔力を利用して、神殿で無体を働いたのだろう。我らの城を…)

 そしてガチガチの右翼でもあった。

 聖王国ルーナとの国交も断絶されたため、帰ることも出来ない。

 除名されていたので新たに神官を名乗る場合は非常に難関な試験が必要という事を知り、そこまで熱心な教徒でもないマーロウは受験を諦めた。

 仕方なく冒険者登録をして日銭を稼いでいる。

(神殿にいた時は衣食住が揃っていたというのに…)

 服は絹、食事は王族のようなコース料理、部屋も個室を与えられていた。

 女は選べなかったが遊び尽くされた中にも良い者が回ってくることもあった。

 彼は威圧的な大神官こそ苦手だったが、あの腐りきった場所をそうと思わず自分の居場所だと思っている。

 王族がそれを奪ってしまった。

(ならば、我々が奪い返すだけだ。目にもの見せてくれる)

 聖女とうそぶく令嬢を攫い生贄にして魔神を喚び出す。

 そして奥の手である奥歯に仕込んであった浄化の魔法石を使い魔神を浄化し、偽の聖女を祭り上げていた王族の信頼を消して民に大神殿…いや、聖王国こそ正義だという事を植え付けるのだ。

 既に布石は打ってある。

(邪教の使徒なぞ、使い終わったら後で殺せばいい)

 マーロウは薄く笑い、路地を後にしたのだった。


◆◆◆


 ある日、シャルルは公爵令嬢がようやく一人の所を見つけて声を掛けた。

「あの…少しお話があるのですが、お時間よろしいでしょうか。お手間は取らせません」

 扇越しにこちらを見やる冷たい目線に耐えながら言うと、イザベルは扇の内側で冷笑を浮かべた。

「…よくてよ」

 余裕綽々に答えるイザベルにぐっとこらえつつ、シャルルは中庭にあるガゼボに誘った。

(もう敵認定じゃん!)

 ガゼボから少し離れて、すでに卒業している彼女の婚約者である王太子の代わりなのか、第2王子と謎の娘がこちらを心配そうに見ている。

(取って食やしないわよ。どっちかというと私のほうが食べられる方に見えなくない?)

 シャルルはムスっとしながらガゼボに入ると、イザベルも優雅な動作で入り石の椅子をハンカチで払うと座った。

「…レオ、結界を張ってくれる?」

 渡り廊下からその様子を見ていたイアンナはレオを見上げる。

 彼はイアンナを守るため彼女の周りに常時結界を展開しているのだ。

「イザベル様か?」

「いえ、ガゼボに」

 公爵令嬢とヒロインが揃っている所を狙う輩もいるかもしれない。イアンナも最近の不穏な噂に敏感になっていた。

「あの2人、いい意味でも悪い意味でも目立っているから、2人きりにして危険が来たら大変だわ。イザベルは王太子殿下の婚約者ですもの。それに…」

(シャルルは転生者だから、危険には疎いわ)

 口には出さないがレオには彼女が言おうとしたことが分かった。

「…仕方ないな」

 レオは基本的にイアンナの願いを断れない。

 ここは学園の中で皆も見ているから大丈夫だろう、と思いつつイアンナの結界を解き、ガゼボに新たに展開した。


 ーその時。


 中庭を望める渡り廊下の屋根から何者かが躍り出た。

「!?」

 ジョシュアの元へ二人、ガゼボの元へ二人、そしてこちらには一人が来た。

「レオ、4人を守って!!」

「え!?」

 身分的には王子とその隣にいる娘、そして公爵令嬢のほうが上だ。

 ここでレオがイアンナを最優先させて4人に何かがあった場合、お咎めがある。

(ここでしくじると、アンと結婚できない)

 その思いがイアンナの手を引く動作を躊躇させてしまった。

「!!??」

 イアンナが眠るように目を閉じ崩れ落ちた。その途中で背後から現れた男に抱えられて行ってしまう。

「アン!!!」

 それを見届けると、王族や公爵令嬢の元へ行っていた輩達は即座に引き上げていった。

(しまった!目的は、アンだ)

 王族や公爵令嬢を狙うフリをしただけだ。それを<ヒカコイ>を知る皆が気づき、目を見合わせた。

 ジョシュアは既に走り出している。

 ヘンリーとエレンもそれに続いて行ったのを確認してから、イザベルは冷たい目線をシャルルへ向けた。

「…あなた、知っていたわね?」

「ちょっ…今の、私じゃないわよ!?なんで私じゃないの!?」

 慌てたように言うシャルルは恐怖のあまり椅子から転げ落ちていた。

 <ヒカコイ>のイベントで攫われるのはヒロインだけだ。

「やはりね。…カマをかけただけよ。助け出すの、手伝いなさい」

 イザベルは有無を言わさず命じると、屋根の上へ飛び出して行ったレオにため息をついた。

「言っても聞かなさそうね…あなたのお友達も借りるわよ」

 そう伝えると優雅な動作で立ち上がり、ガゼボを出て行った。

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