第16話 ダンジョンとデート

「本当に行くのか?」

「うん。ちょっと気になることがあって…」

 今日は学園の休みの日だ。しかしイアンナが「時間があれば付き合ってほしい」と遠慮がちに言うので、街歩きか?と思いつつ了承したらば、装備を整えてくるように言われた。

 二人の目の前にはダンジョンがある。

 学園の敷地内の森の奥にあり、授業でも使われるが休日に立ち寄る者は皆無だ。

 …と許可をくれた先生に言われた。

(まぁ、いいか。久々に、二人っきりだし…)

 イアンナの出で立ちは魔法剣士のように身軽に動けるもので、本気度が伺える。

 自分も同じような装備だ。

(デリクがお揃いで作ってくれたやつ、出番があってよかった)

 授業では学園が用意した専用の装備を使うし、普段は冒険者のように気軽にダンジョンや森に行けるような身分でもないので、イアンナの兄のデリクが”もしもの時のために”と作ってくれた装備の出番が無かったのだ。

「扉開けるから下がって」

「うん」

 授業でも先生が生徒を下がらせてから扉を開けるので、一応そのようにするが、1階層には魔獣はいない。

 稀に下層から迷い込んで出てくる時があり念の為だ。

 レオが鍵を開けて扉を開き中へ入ると、広いフロアを見回し魔獣がいないことを確認してから、外を警戒するように見ていたイアンナを呼び寄せる。

「扉閉めるからな。鍵は2つあるから、何か起きた時のためにアンも持っててくれ」

「分かったわ」

 キッチリと扉を閉めて内側から鍵をかけ直すと、魔石ランプのあるフロアを階段へと歩き始める。

「それ、似合うな」

 白を基調とした上下で割とタイトだ。いつもはスカートなので体の線がハッキリと灯りに浮かび上がり、レオはドキドキしているのを誤魔化すように言ったのだが、彼女は彼女でレオに見惚れていた。

「レオも似合うわよ。騎士みたい」

「それは言い過ぎだな。ジャックに怒られる」

 騎士団長の息子であるジャックは元冒険者の母親に今でも鍛えられており、今日も王都郊外のダンジョンに連れて行かれている。

 それ以外にも、座学や礼儀作法など自分以上に叩き込まれているのだから、気軽に”騎士”という単語を言えなくなってしまった。

「いいじゃない。今日は2人だけだもの」

 昔から変わらない微笑みを浮かべてイアンナがそういうのだから、レオはアッサリと頷いた。

「そっか。…!」

 レオの手に、イアンナの温かい手が滑り込んできたので驚く。

「?」

 ちらりと見ても「どうしたの?」と言わんばかりにこちらを見上げている。

 二人きりだから、幼い頃の癖が出たのだろう。

(うう、わざとじゃないって、本当に破壊力がすごい…)

 イザベルもよく”無意識って本当に恐ろしいわね”と言っているが、その意味がよくわかる。

 まだ1階層目を下りていないから大丈夫なのだが、レオはイアンナの手を離したくないので「魔獣出るな!」と念じながら歩いた。

 運が良いのか、レオの願いにも似た威圧に恐れをなしたのか、5階層までは魔獣が出ずに歩けた。

 6階層目でようやく魔獣が出てイアンナの手が離れてしまったので、レオは睨みつけて怯んだイノシシ型の魔獣をアッサリと屠った。斃れた魔獣は砂のように崩れて地面へ吸い込まれて消える。

「いつ見ても不思議ね」

「魔法なのに手応えもあるって怖いよな」

 このダンジョンは特殊で死体は残らない。一般のダンジョンと異なり魔法で魔獣を形成しているという。

 学園の創立者が…古の賢者が作ったといういわくつきのダンジョンで、全部で何フロアあるなどは分かっていない。

 新入生が入ると大抵「そんな場所に我が家の大切な子供を入れるのか!」とクレームがくるのだが、命を落とすような場面になると強制的にダンジョンの外へ転移させられるので、授業でも使われているのだ。

 剣を納めたレオにイアンナが歩きながら尋ねる。

「レオは授業でどこまで下に下りたの?」

「えーっと…10階だな」

 ジャックやジョシュアも同じだ。鍛えている者たち以外は、まだ5階程度。

「アンは?」

「……」

 なぜか、言わない。

「まさか10階以上?」

「その…18階まで…」

「18!?」

 驚いて止まり顔を見れば気まずそうに、えへへ、と笑っている。

「あ、まさか例の記憶ってやつ?」

「うん…」

「びっくりした!」

 このダンジョンは魔獣はそれほど強くないが、そこかしこにギミックがあり皆はそちらに苦戦しているのだ。

 彼女は例の記憶で、解き方をそこそこ知っているらしい。

「じゃあ、一気に行くか?なんか下に用があるんだろ?」

「う、うん」

 なんだか歯切れが悪い。

(久々だからかな)

 本当に2人だけで他に人が居ない状況、というのがほぼないのだ。

 いつもどこにいても護衛の視線がある。

 学園は結界があり警備がいるので侯爵家の護衛はいないが、イザベルたちが護るようにイアンナを取り巻くので、なかなか2人だけで話す事が出来ない。

「手、握る?」

「うん」

 ギュッと握るとホッとしたようだ。

 下層へ続く階段が隠されている簡単なパズルがある場所まで行くと、それを解除しつつイアンナは話しだす。

「この下にね、聖獣がいるの」

「!?」

 イアンナが言うのだから、本当だ。しかし彼女は自信なさげに言う。

「たぶんよ?…もう、話の道筋が変わっているし…瘴気もそれほどではないようだし…」

 存在意義がわからないのよ、と言う。

「確かに瘴気は前のほうが酷かったな」

 自分が幼い頃のほうが濃かったように思える。今は霞のように王都上空で漂っているだけだ。

「…もしかして、聖獣はヒロイン側か?」

 言い淀むのだからきっとそうだろう、と思いつつ訊いてみると、彼女は頷いた。

「そうなの。だから、居るのかわからないけど…いえ、私の前に姿を現すかはわからないのだけど」

 本来なら、ヒロインが好感度の高い者と一緒に攻略して聖獣を見つける。

 賢者が秘匿した部屋にいた聖獣は数百年に及ぶ眠りから覚め、弱っていた。

 見知らぬ魔獣を前にして、ヒロインは危険だという攻略対象者を説得し、聖獣と知らずに魔力を渡し…聖獣は心優しい彼女へついていく。

「聖獣も、生き物なのよ」

「…もしかして、時期が過ぎてるのか?」

 イアンナは頷いた。

 本当ならもうヒロインの側に聖獣がいる時期だというのに、彼女はダンジョンへ近寄らない。

「あー…あいつ、苦手だっけ…」

 授業で小さな魔獣を前に悲鳴を上げて逃げ回っている、という噂は有名だ。

「うん。…知っていても、近寄れないのかも」

「はは…そうだな」

(イアンナはそう言うけど、あいつは攻略対象ばかり見ているからな。確実に忘れてる)

 レオはそう思っていたが、口には出さなかった。

「さ、解けたわ」

「早い…」

 レベルを上げるために散々潜ったから、とは言えない。

 イアンナは曖昧に笑うとレオの手を引いて階段を降りる。

 雑魚は相手にせず18階まで一気に踏破した。

「何階まであるのかは、分かってるのか?」

「ええっと…99階?」

「ん!?そんなにあるのか!?」

 休み中に外へ出れるかも怪しい。

 慌てだしたレオにイアンナは言う。

「あ、ごめんなさい。隠し部屋はもうすぐなの」

 このダンジョンは30階を越えると、ランダムな作りになる。

 それは99パターンあるので正確には99階以上なのだが、100階に聖獣が居るという訳ではない。

「なんだ…。授業では行かなかったんだな?」

「時間がなくて戻ったのよ。ここからが本番なのだけど」

 そう言うと、いかにも階段がありそうな場所のパズルは無視して、蔦の絡まったレンガの壁へ移動する。

 しばらくじーっと眺めていると「あ、これだわ」と言ってレンガの一つを押した。

「押せた!?」

 レンガは壁の奥へ吸い込まれて行き、別の何かが目の前に出てきた。

「うわ、パズル!」

 レオが顔をしかめるとイアンナはくすりと笑った。

「大丈夫よ。覚えているから」

 この先には”回復の泉”があるため、聖獣を救出した後も頻繁に通っていたから。

 絵合わせパズルのような仕掛けを解くと、レンガの壁が手前にせり出して横へスライドした。

 誰もこの仕掛けに気が付いていなかったのか、蔦がぶちぶちと剥がれて行く。

(…ヒロインのためにこれが用意されているのか…)

 本当にこの世界はなぜ、イアンナの記憶にある物語と似すぎているのだろう、と記憶を知る人は言っている。

 イザベラは「神の怠慢ではなくて?」とイアンナが居ない場で言っていたが、まさか神が研修中に出会ったゲームにハマってそうしたとは言えていなかった。

「レオ」

「!」

 すっかり開いた壁の奥に、白い光が見える。

 その光に照らされてイアンナから後光が差しているようだ。

(やっぱり、聖女はアンだ)

 そう考えながらレオは自分を待つイアンナの元へ行く。二人で壁をくぐると、自動的に元に戻った。

「別の道から戻れるのか?」

「転移陣があるから、大丈夫よ」

 清浄な空気に包まれたその空間には、小さな泉がある。

 天井から白いつららが伸びて、透き通った雫をポトリポトリと落としていた。

「これは回復の泉。飲むと…ええと…体力と魔力が回復するわ」

 HPMPはこの世界にはない。代わりの言葉を伝えると、レオは頷いた。

「魔力ポーションはともかく、体力が回復するっていうのは凄い」

「…そう言えば、そうね」

 ゲーム内では薬草やポーションでHPが回復していたが、この世界でずっと生きてきてそのような薬は無かった。

「あ!…待て待て。アン、俺が飲む」

 泉のふちに跪いて片手で水をすくったイアンナを止める。

「え?大丈夫よ?」

「駄目だ!」

 一切瘴気の存在しない場所で毒などは入っていないだろうが、彼女の父である侯爵にも、王や王妃、イザベラに口を酸っぱくして言われている。

(アンを信じているけど…それとこれとは別だ)

 そう思うようにしなさい、と注意されている。

 レオは手袋を脱いで泉の水をすくい、口に含む。

(うん、毒はない)

 なぜだか毒の有無は昔から分かるのだ。もしあったとしても、自分は中和してしまう。

 幼い頃はこのスキルに非常に助けられた。

「大丈夫だ。身体がスッキリするな、これ」

「…ありがとう」

 物語から逸脱しようとしているのに、その知識を過信し過ぎるのも危険だろう。イアンナはその事に気が付いてレオにお礼を言う。

「いいんだよ。俺はそのためにいるんだから」

 イアンナを物語から外れさせるためなら、なんだってやろうと思う。

 毒味から、護衛から、学友から、恋人まで。

(恋人…)

 幼い頃拾われた頃から憧れていた、その手を自分が握ることが出来ている幸せ。

「レオ?」

「あー…いや、なんでもない」

 今日はそういう時間ではない。聖獣を確認するという用件がある。

「そう?何かあれば、言ってね?」

「ああ」

 そう言って手を差し出すイアンナの手を握り、立ち上がる。

(オレ以外のヤツは近寄らないし、近寄らせない)

 こうやって触れるのも自分か家族だけ。

 周囲はイアンナを半ば神のような…触れてはいけない領域の人のように見ているため、恋愛対象にはならない、とイザベラが言っていた。彼女には「良かったわね」と言われたが、本当にその通りだった。

「このあとは?」

「こっちよ」

 泉の奥に、白い壁があり小さな扉がある。どうやらそこが隠し部屋のようだ。

 そこにはパズルと、金属を曲げて作った鍵束のようなものがある。

 パズルはイアンナがササッと解いてしまった。そして鍵束が壁から外れる。

「これは?」

「知恵の輪っていうの」

 知育道具と言いながら、こちらもイアンナは直ぐに…複数ある鍵の中から一つをするりと外した。

「???…今、どうやった??」

「…一見取れなさそうなのだけれど、ある一箇所だけは通過するのよ」

 少々苦笑しつつイアンナは言い、小さな鍵穴に鍵を差し込み回す。

「あ!開けるのはオレがやる」

「…お願いね」

 小さな扉を手前に引くと、扉は消滅する。

 そうっと中をのぞくと、ふわりと日向の匂いがした。

「!…奥にいる」

「小さくって、白い?」

「ああ…!」

「大変っ」

 中を見たイアンナが横を走って行く。慌てて追うと白い獣の前まで来た。

 全身が白くウサギに似た姿だが、額には白い角、背中には翼があり猫のような長い尻尾がある。

 その獣が力なく祭壇のような場所に横たわり、肋は浮き出ているし、呼吸は非常に浅い。

「待ってね…ごめんね…」

 目尻に涙を浮かべつつ、イアンナは魔力を練り少しずつ小さな獣へと注ぐ。

(もう少し早く来れば…。いや、それはアンじゃないけど)

 同じようにレオも魔力を注ぎ始めた。

 しばらく二人で魔力の譲渡を行っていると、獣がもぞりと動いた。

「!」

「もう少しか…」

 二人で目を合わせて、魔力をいっそう注ぎ込む。

 すると痩せ過ぎだった身体はふっくりと膨れ上がり、毛艶が良くなった。

「角が!」

「金色になったわ。これで、大丈夫」

 聖獣の完成形を知っているイアンナはホッとして手を離した。

 固唾をのんで見守っていると、小さな獣はふと目を開ける。

「虹色…」

「アンの目も綺麗だけど、こいつのも綺麗だな」

「わ、わたしのはいいのよ…」

 照れた顔でプイと顔を逸らし、不思議な顔をしてこちらを見ている獣を見る。

「…来るのが遅くなってごめんなさいね」

(キミハ、ダレ?)

「!」

「頭の中に、声が聞こえたな」

 念話というスキルはあるにはあるのだが、亜人や魔獣たちが持っている事が多い。

「私は、イアンナ。こちらはレオよ。身体は大丈夫?」

(ダイジョブ)

 エヘッと聖獣は笑った。それだけでキラキラと小さな光りが舞う。

「…ええと、ダンジョンを出ましょうか。私と一緒に来ていただける?」

(イク!)

 聖獣は躊躇なく、イアンナの胸元へ飛び込んできた。

(いいのかしら)

(…って顔をしてるな、アンは)

 レオは聖獣へ尋ねる。

「お前は聖獣であってるか?」

(ウン)

「残念ながら魔王とか、今後出てこないんだ。だから、お前の出番はないんだけど…」

「……」

 イアンナがじっとこちらを見ている。レオは聖獣の頭に手を乗せて撫でながら言った。

「外に遊びに行くか?美味しいもん、いっぱいある」

 ピョコン、と聖獣の耳が立ち上がる。

(アソブ?)

「…こんな寂しいトコじゃなくて、あったかい寝床もあるし、ご飯もある。それにアンがいるからな!可愛がってもらえるぞ?」

「れ、レオ…」

 買収みたいに言わないで、とその目が言っているが本当のことを言ったまでだ。

「オレだってそうだった。だから、保証する」

 教育も受け養子縁組をして、学園にも入れてもらえた。

 普通ならば…高位の貴族にしては一風変わった侯爵家以外に拾われたのなら、一生下働きのままだっただろう。

「あのね…ここに来るはずだった子は、ちょっと理由があって来れないの。だから、私で申し訳ないのだけど…」

「アン、卑屈だぞ」

「だって…」

 キョトンと二人を交互に見る聖獣は、イアンナを見て言った。

(ナマエ、ホシイ)

「えっ、名前?えーっと…」

 ゲーム内の聖獣に名前は無かったはずだ。イアンナは慌ててレオを見るが、センスの全く無い彼は目を逸らした。

(シロとか、チビとかしか思いつかない)

 イアンナは突然の事に声に出して悩んでいる。

「えーっとえーっと…」

 前世で、乙女ゲーム以外にプレイしたゲームでもこういう場面は多々あった。

 そのうちの…いくつかの候補から選べる名前を思い出す。

(なんだっけ…どれにした?)

 幼い頃に鮮明だった記憶は年々薄れて行っている。

 必死に思い出そうとしていると、ポンと飛び出るように記憶が出てきた。

「あ、チロルだわ」

(チロル!ボクはチロル!)

「え、え、いいの?」

 あまり格好いい名前とは言えないのだが。

「いいんじゃないか?見た目に合ってる。な、チロル?」

(ウン!チロル〜!!)

 嬉しそうに空中を飛び回り始めた。

 そのままイアンナの頭にビタッと張り付く。

「わっ!…え、軽い」

「そうなのか?」

 聖獣だから、普通の獣とは違うのだろうか。

「でも温かいわ」

「不思議な生き物だな…」

 ふと、チロルは虹色の目をレオに向けた。

「なんだ?」

(ダイジョブ)

「は?何が??」

 イアンナには今の言葉は聞こえていなかったのか、チロルを撫でている。

(まったく…女神のやつめ)

 忘れた頃に言われて星祭りの日のことを思い出してしまった。

 だがもう自分のことは自分で制御が出来るからどうでもいい。

(イアンナに危険がないならいい)

「さ、行こう。着替えて街に…チロルと行こう」

(マチ??)

 チロルは飛び上がり、レオが差し出す腕に収まる。

「休みだから、たぶん大道芸人とか来てる。あと露天で買う串肉とか、うまいぞ」

 性格的に子供っぽい感じがしたのでそう言うと、興味を示したようだ。

 長い耳がピンと立っている。

「レオが食べたいだけじゃないの?」

「それもある」

 レオがニヤリと笑いながらそう言うと、イアンナは吹き出した。

「…わかったわ。それじゃ、着替えて街に行きましょう」

「やった!」

(ヤッタ!)

 レオのマネをして両手をあげたチロルに、イアンナは微笑むのだった。



 ダンジョンを元通りに戻してから出て街歩きをしていた時に、レオはチロルに確認をしようと口を開く。

 串肉やチョコバナナ、ドーナツなどをこれでもかと食べた聖獣はお腹を丸くして満足気にイアンナの肩に乗っていた。

「お前…オス?メス?」

「レオったら、何を聞いてるの?」

「いや、重要なんだよ」

 オスだったら、寮では自分の部屋へ連れて行こうと思っている。

 しかしチロルは首を傾げた。

(ナニソレ?)

「ん??」

 レオはチロルの脇に手を入れて抱えあげる。

(ねーな)

「レオ」

 イアンナが怖い顔で見ている。

「女子寮は男子禁制だろ!」

「この子は人ではないわよ?」

 聖獣は聖獣であり、ゲーム中でも人に変化するようなことはない。

「とにかく、オスならオレの部屋な」

(?)

 よくわからないようで、チロルがまた首を傾げている。

「寝る時とか、風呂とかオレと一緒ってことだよ」

 そう言うと顔を輝かせる。

(イッショ!)

「うっ…」

 聖女でなくても良いらしい。今まで放置されていたから相当寂しいのだろう。

 イアンナはクスクスと笑う。

「レオがその子を気に入ってくれたのなら、仕方ないわね」

「いや、そーゆーのじゃ…」

 たしかにさわり心地はいいのだが、触るならイアンナの髪のほうが良いと思う。

 レオは手をおろして猫を抱くようにチロルを腕の中に入れて、イアンナに尋ねる。

「…コイツって、強いのか?」

「ええと…本来の姿を取り戻したあとは、とても強いわね」

 魔王が復活した際に、聖女とともに魔王を弱らせることが出来る。

 だが今は力も魔力もそれほどではない。その代わりにヒロインを補助する能力がある。

「治癒魔法が強いはずよ」

 あとは防御力を上げる魔法だが…この世界でいうと、結界にあたる。

 覚醒前のため魔力が少なく、ヒロインの魔力を消費するあたりが難点だが。

「へぇ!凄いなお前!」

 なんだか分からないが、褒められたチロルは満足げだ。

(たしか…戦闘中に死んでしまうと、一回だけ聖獣が復活できるのよね)

 魔王へ挑むヒロインか攻略対象のどちらかが魔王の攻撃により死んでしまうと、一回限り蘇らせてくれる。

 …ということをイアンナが思い出している時、レオはううむ、と唸っていた。

(とすると、コイツはアンの近くに居たほうがいいかもしれない…)

 時折いるのだ。聖女に近づきたいと…あわよくば触れようとする者が。

(聖女ならいいだろう、とか、ありえねぇ)

 国からも、”聖女”は功績の結果与えた称号の一つでしかなく、本人は普通に生活する一人の少女だからそっと見守るようにとお達しをしている。

 だが、大昔の聖女像…万人に等しく優しく慈悲を与える…を根強く持つ人もいるのだ。

 中には往来で突然立ちふさがり「祝福をお与え下さい!」と言ってくる人もいた。

 出来ないと言うと「なぜ?」という顔をされるのだ。

 一体、聖王国ルーナはどういう教義を振りまいたのだと国王たちも憤慨している。

(アルフィ神殿長が聖典を修正したって言ってたけど、まだまだだもんなぁ)

 王宮の書庫にある太古からの聖典を引っ張り出して現代の生活様式と合わせて改変し、新しい聖典を作ったのだがまだまだ周知徹底されていない。

「ん?」

 チロルがレオの腕からぬるりと飛び出し、イアンナの横をすり抜けた男性へ噛み付いた。

「うわっ!?」

「!!」

 その男の手から財布が滑り落ちる。

「あっ!」

 男は慌てて立ち去ろうとしたが、レオに眠りの魔法を掛けられて倒れる。周囲の人が警邏隊を呼んでくれた。

 チロルは口で財布を拾うとふわりと飛び上がってイアンナへと渡した。

「ありがとう、チロル」

 額を撫でられて気持ちよさそうにしている聖獣だ。

「アン〜…やっぱ財布は俺が持つよ」

「そうね…」

 社会勉強だからと、お金を持ちたいと言うのでそうさせていたが、やっぱり隙がありすぎるようだ。

「つーか、賢くないか?コイツ」

「ええ。さすがは…ってことかしら?」

 当の本人は先程の素早い動きが嘘のように、喉を鳴らしてイアンナへすり寄っている。

「…はぁ、仕方ねぇ」

「なにが?」

「チロルは、イアンナの部屋だな」

「まぁ!いいの?」

 パァッと輝くような笑顔を向けてくれた。

(そっか…ペットとか、ずっと飼えなかったもんなぁ)

 母のオリビアは猫アレルギーだし、頻繁に王都へ行くようになっていた侯爵家なので、犬は置いてけぼりにすると可哀想、とイアンナが言うのでペットは買っていなかった。

「チロル、イアンナを守れ」

(マモル)

 瞬間的な威圧を乗せた命令にもひるまず、虹色の目はまっすぐにレオを見た。

(当たり前ってことか)

 自分と同じだ。

 もしくは、聖女を護るという神からの命令が生きているのだろうか。

 それはイアンナなのか、もう一人の少女なのか。

「…浮気すんなよ?」

「えっ?」

 その言葉に反応したイアンナは驚く。そして頬を染めながら言う。

「チロルは聖獣だから…浮気なんてしないわよ?」

「!」

 チロルに言ったはずの言葉だが、イアンナは勘違いしたようだ。

 当の本人はやりきったとばかりに彼女の腕に収まり顎を肩に乗せている。

 いや、尻尾がゆらゆらと揺れているから、話を聞いてはいるようだ。

 レオは苦笑しつつ言う。

「…そーかな。ある日突然人になったりしたら…男だったら、すぐにオレの部屋だからな!」

「たぶん、性別はないと思うわ」

 横目で警邏隊の人に担いで連行されるスリの男を見つつ、イアンナはチロルに言った。

「私に構わず、自由にしていいのよ?」

「!」

 おそらく、女神の作った道筋から離れてもいいのだと、聖女だから護らなくていいと言っているのだろう。

「だと。チロルはどうだ?」

(イッショ)

 小さな手でイアンナの服を握る。

(そりゃあそうだろうな。…あんな小さな部屋にオレよりも長く閉じ込めれて…飯もなくて…人も来なくて…)

 そう考えると不憫で泣きそうになってしまう。

 レオは慌てて顔に力を入れて涙を引っ込めると、イアンナへ笑う。

「一緒だってさ」

「…わかったわ。学園へ届け出をして…あ、あちらには報告も必要かしら?」

「目立つからな、言ったほうが良いと思う」

 誰とは言わないが、王家や公爵家、そして両親たちだ。関係する人に報告しておかないと心配されてしまう。

「ごめんね、しばらく人がいっぱい来ると思うけど一緒にいるからね」

「オレも」

 チロルは虹色の目で、イアンナと、レオを交互に見る。

 そして言った。


(パパとママ?)


「「!!??」」

 一瞬の間の後、真っ赤になったイアンナからチロルを持ち上げた上機嫌なレオに、わしわしとチロルは撫でられた。

「そーだぞ、オレがパパな!」

(オッキイ、テ)

 気持ちよさそうに目を細めている。

「いくらでも撫でてやるよ!」

「レオ…」

 その後、報告は速やかに行われてチロルはイアンナの正式な護衛となり、彼女の寮の部屋へ収まることになったのだが…一人にすると可哀想、というレオの言葉により授業にもついてくることになった。

 もちろんママであるイアンナと、チロルが喜んだのは言うまでもない。

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