第13話 学園にて
「とうとうこの日が来てしまったわねぇ…」
イアンナは感慨深げに寮の窓から外を見る。
王都の王城のほど近くにある全寮制の学園はとても大きい。
真ん中に学び舎、両側には男子寮、女子寮がそれぞれある。
学び舎の正面には庭園があり、裏には運動用のグラウンド、薬草園、小さなダンジョンなどがある。
大神殿が正常になったことと、疫病も流行らなかったせいか、今年は学生も多く寮は満室だ。
入学希望者が多く、通いの学生も居るという。
「お嬢様、これはどちらに?」
「あっ。スザンナ、ごめんなさい。手伝うから待って」
「…侯爵令嬢なのですから、お座りになっていていいのですよ」
「そうもいかないわ。私の荷物なのだし」
身分が身分なだけに部屋も広く、荷物も多い。
それをメイド一人にやらせるよりも手伝ったほうが早く終る。
「スザンナ、良かったの?旦那様と子供を領地に置いてきて…」
入学にあたり一人で構わないと言ったし、王都にあるハッセルバック侯爵家のタウンハウスから通いますと言ったのだが却下されてしまった。
オリビアからは、社交性を養うように、と強く言われている。
しかしスザンナにこぼしたのは、卒業をしたら大人の仲間入りをしてしまうので今のうちに青春を満喫してもらいたい、という母の本音だった。
「大丈夫ですよ。たかが3年です。これでへこたれるようなら侯爵家の庭師失格ですね!!」
ほほほ、と笑いながらスザンナが言う。
どうも侯爵家は女性が強いような気がするのは気のせいだろうか。
(私も見習わなくちゃ…)
そう思い、荷解きを続けていると書類が出てきた。入学式前に出さなければならない書類だ。
「あ…スザンナ、ちょっと書類を出してくるわ」
荷物の間からスザンナが顔を出す。
部屋の中以外はなるべく過保護になりすぎないように、と言われていたので承知した。
「承知いたしました。お嬢様が戻ったらお茶にしましょう」
「ええ!」
イアンナは書類を手に持ち、廊下へと出る。
最上階である7階にある高位貴族のフロアだけあって人はいない。隣はイザベルの部屋だ。
廊下にある案内図を見ながら寮を出たのだが。
(あら?迷った…?)
校舎と寮の間には小さな森がある。歩いていたらいつの間にか校舎の裏にいた。
さすが前世の学校とは規模が違う敷地である。生け垣が迷路のように入り組んでいる。
(近いのに辿り着けない…)
もう15歳だし、中身はもっと上だ。しかし杏奈もイアンナも極度の方向音痴なのだ。
少々情けなく思いながら、彷徨っていると声を掛けられた。
「何してんの?あんた」
「え?」
春の風にふわりと柔らかそうな髪が舞った。
(ピンクブロンド!!)
それに王族特有の紫の瞳。
(ひひひひヒロインだわ!!)
「その書類…新入生ね、こっちよ」
「あっ」
ヒロインは有無を言わせずイアンナの手を取り歩き出した。
(気づかれてない…?)
今は髪を編み込みにして埃がつかないようにレースの帽子の中に押し込んでいる。
緋色の目はそこまで珍しくないので、彼女は気が付かないようだ。
生け垣の迷路を熟知しているようで、スイスイと迷いなく歩いて行く。
(これ、入学の時のイベントだわ)
第2王子を攻略対象に選択した場合、先程の場所でヒロインが迷子になり、第2王子が偶然通り掛かり校舎の中へと案内してくれる出会いイベントだ。
(何故あそこにいたのかしら?)
やっぱりこの世界が<ヒカコイ>だと思い、攻略しようとしているのだろうか。
イアンナは少々日に焼けた横顔をチラリと見る。
「何よ?」
「あ…その、可愛いわね、あなた」
引いてくれる手が力強く日に焼けていて逞しい印象を受けるし、背筋がピンと伸びていて高位のご令嬢のような所作だ。それでもやっぱり、主役であるヒロインの顔は可愛らしかった。
褒められた彼女はクスッと笑った。
(あ、ちょっとドヤ顔)
(そりゃそうよ、あんたと違ってモブじゃないし!)
お互いの心の中を知るはずもなく。
「そうね、ピンクブロンドは珍しいものね」
シャルルはサラリと髪色を褒められたことにした。
イアンナは自分も珍しい髪色なのだけど…と思いつつ歩いていると、校舎へ辿り着いた。
(普通に、良い子な気がする…)
そもそもヒロインは良い子なのだが、転生者という事が分かっているため用心していたのだ。
あの場にいたのは、もしかしたら挙動不審な自分がいたのを見て来てくれたのかも?とイアンナはヒロインを疑ったことを逆に恥ずかしく思った。
「ほら、あそこの入り口から入って…真っすぐ歩いて突き当りを右行けば受付あるから」
「ありがとう。あの、貴女の名前は?」
「シャルロッテ…じゃない、シャルル、よ」
(シャルル?愛称じゃなくて?)
攻略対象者と親密度がある程度上がった所でそう呼ばれる愛称だ。
疑問に思ったが自分も名乗ろうと勇気を出した所でシャルルは慌てだした。
生け垣迷路の向こうに誰かを見つけたようである。
「あ、ちょっと急いでるからまたね!!」
そう言って走り去って行く。
(足が早いわ…)
あっという間に見えなくなってしまった。
さっきは自分に合わせて歩調を落としてくれていたらしい。
(とても優しい人ね)
でも走っていった先には第2王子はいないだろう。もちろんイベントのことはずいぶん昔に話してあるから、ジョシュアは絶対に近寄らないと言っていたからだ。
もしそこに居るのが一般生徒だったら、もう一人の迷子を送ってくれるかしらと思いつつ、イアンナは受付へ行くのだった。
シャルルはトボトボと歩きながら3階にある自分の部屋に戻っていた。
結局もう一人もただの迷子で、男爵令嬢だという少女を案内をして終わった。
(居なかった…そりゃそうよね。ストーリーを知ってる公爵令嬢がいて…王太子にツバつけたのを見ていたかもしれないし)
王太子を攻略するためにはまず第2王子を狙うなど、当然分かっているだろう。
(なんで転生者が2人もいるの!…私だけでいいのに)
未だに彼女はイザベルを転生者だと思っていた。
元男爵家が雇える密偵が高位貴族の事を探れるはずもなく密偵を雇うのは諦め、しかも農園の仕事が忙しくて王都に来たのは初めてなのだ。
<ヒカコイ>キャラクターを生で一度も見たことがない。
その時点で既に一歩以上遅れているとも考えていた。
「お嬢様、お帰りなさい。王子様いましたか?」
高位貴族に比べたら小さな部屋だが、子爵令嬢のため世話をするメイドの部屋もあるのだ。
彼女は唯一、前世と<ヒカコイ>の話を信じてくれる年の近い仲良しのメイドであるマチルダを連れてきていた。
「いなかったわ…先回りされたみたい」
「まぁまぁ、まだチャンスはありますよ。お茶淹れましたから」
だが彼女は信じたと言っても別に王子様と主をくっつけようとは思っていない。
「ありがとう〜…はぁ。子爵になっちゃったの、ストーリーに悪影響したかしら…」
バーグ男爵領は光魔法を野菜に使うという画期的な方法でより良い野菜を産出し税収もあがったため、その功績を認められて男爵から子爵へワンランクアップしていた。
シャルルは知らないが、提案したのはグレース王妃。鞭ではなく飴を与える事でヒロインに現状で満足してもらう為だ。
確かに交友関係は広がったし、野菜も認められて領内はいまだかつて無いほど潤っている。
別の意味で王族の目に止まったのが吉なのか凶なのか、彼女には分からなかった。
「あ、旦那様からお手紙が届いてますよ。あとマリー様とシャルロッテ様からも」
「ん?別なの?」
「旦那様はおそらくお仕事の事でしょう。マリー様たちは労いの言葉じゃないでしょうか」
香り良い自領産の茶葉で淹れられたお茶を飲みつつ、まずは父からの手紙を開封する。領地を初めて出たので、領の生命線である農園がだいぶ心配なのだ。
「…農園は大丈夫そうよ」
「土壌に掛けた光魔法が良かったんですかね?」
「かも。でも、休みは絶対に戻らないと駄目ね。効果切れちゃう」
成長促進の光魔法を使い続けたお陰で魔力も増えたが、土壌にかけた魔法の効果は半年で切れてしまう。
夏休みは重要イベントをこなさなくてはいけないし、ゆくゆくは自分が王妃となれば気軽に帰れない、なにか方法を考えないと、と思うシャルルだった。
(もう経営者の顔だわ)
マチルダはこっそり思った。
眉根にシワが寄り始めたので慌てて声をかける。
「お嬢様!お菓子も買ってきましたよ。例の野菜スイーツです!」
「え、なんてものを買ってきたのよ…」
「敵を知るためですよ!!」
確実に自分が食べたいからじゃん、と思いつつ仕方なくいただくと甘さ控えめでとても美味しい。
(ふんっ、私の野菜が入っているからよ)
そう思って溜飲を下げることにした。
もう一通の手紙は、無理をしないでね、という母の言葉とお姉さまがいなくて寂しいです、という妹の言葉がしたためられていた。
(なんでこうなったのか…)
ちょうど1年前に、父エドワーズから母マリーと、正妻との間に設けた子供がいることを告白された。
思わず「生きてるの!?」と叫んでしまったのだが。
屋敷の応接間に行くと自分を待っていたような母が飛びついてきて、抱きしめられ、久々の母の香りに思わず涙腺が緩んでしまった。
いくら前世の記憶があろうと、自分はこの人の娘なのだ、と再認識してしまい珍しく狼狽えるシャルルの姿にエドワーズも彼女を誤解していたと涙した。
隠れ家で静養していた2人はすっかり健康になり、マリーはより美しく大人の女性の魅力満載に、いつの間にか双子の妹になっていたシャルロッテも、どちらかというとこちらがヒロインじゃないのか、というくらいに美しくお淑やかに成長していた。
しかも母の腕の中には、やっぱりピンクブロンドの3歳になる弟もいたのだ。
流行病の薬は用意してあったが皆健康で病などにもかからなかったという。
エドワーズは予言の外れた自分を追い出すつもりはないし、母も令嬢もヒロインに非常に感謝していた。
むしろ先だって保護出来たからこそ、健康でいられるのだと言い出した。
そんなつもりじゃなかったんだけど、とも言い出せず。
バーグ子爵家の屋敷は至極暖かな家庭の場所となり、学園行きは皆に惜しまれつつも壮行会まで開いてもらって送り出されてきたのだ。
(もうずいぶんと…変わっちゃったわよねぇ…)
子爵家については確実に自分のせいだ。だが結果オーライとは思っている。
(でも今、自分は一人で王都にいるんだし!大丈夫よ)
家格や領地は関係ないだろうと、そう思うようにしているシャルルだった。
しかし次の日の入学式の後、権力がもっとあれば良かったと思わず思ってしまった。
(第2王子とクラスが別…だと!?)
まだ一度も王子の顔を拝めていない。
さすが王都と言うべきか金髪銀髪が山程いるのだ、紫の目で判断しないといけないが、鼻息荒く顔をガン見してくる令嬢に少々男子学生陣は慄いていたりもしていた。
なお、公爵令嬢イザベルと侯爵令嬢イアンナは同じクラスだ。
こちらはストーリーと関係ない元悪役令嬢を自分の庇護下に置いたのか、と思ったが、第2王子は更に別のクラスだったので首を傾げる。
(…どういうこと??)
公爵令嬢の意図が分からず、その日は悶々として過ごすしか無かった。
その後、何も起きないまま3ヶ月が経過していた。
(王弟いたけど…なんか違ったな…)
王弟オスカーは隠し攻略対象だ。フラグは未だに秘匿され解読されておらず、SNSでは様々な憶測が飛び交い、攻略対象になったというのは誰かの妄想じゃないのかと言う人もいた。
自分は運良くフラグを回収できたようで、攻略ももちろんした。
その内容は、王妃を失い弱り圧政を敷き始める王を諌め…話を聞かなくなった王に変わり即位するという物語。悩む彼を支えるヒロインは一足飛びに若くして王妃となる…はずだった。
なお、彼は逆ハーレム対象からは外れている。
「はぁ……」
授業が終わった後、中庭でぼーっとメモを見ながら考える。
シャルルはまず、攻略対象者を発見・確認することから始めていた。
すぐに見つかったのは教師ハロルドと商人の息子ルイス。
(ハロルド、めっちゃ幸せそうなのよね…)
話してみれば妻も娘もいて更に息子が生まれたそうで、思い出しているのかやたらとニヤニヤしている姿だった。
(ルイスも悩んでないし)
商人の息子も家は兄が継ぐからと、自分だけの販路を持つんだと夢に溢れていて…シャルルの領地の野菜が例の光魔法の野菜だと聞いて早速食いついて来たので友達になっておいた。
(ジャックは、脳筋じゃないし)
騎士団長の息子ジャックは、<ヒカコイ>のスチルでは口をあけて笑っている姿が多かったが、いつも冷静な顔で第2王子ジョシュアの周囲をそれとなく警戒している。既に歴戦の戦士のような風格だった。
(あ、ヘンリーだ。エレンも居る)
広い中庭の別のベンチに赤毛が見える。その隣には、薄い金色の髪の少女がいた。濃いピンク色の目が自分を見つけて手を振っている。
シャルルはへらっと笑って手を振り返した。
(生きてるんだもんなぁ…あの子)
後に宮廷魔道士になるヘンリーの復讐劇の原因となる死んだはずの少女。
何の憂いもなくピンピンしてるしとても明るくて気さくで、入学直後、毎日キョロキョロしたせいか挙動不審で友人が居ない自分に声を掛けてくれた。
彼女たちは平民で、自分も中身は平民だ。話が合い今ではたまに一緒に昼食も食べる仲である。
その彼女…エレンが言うには、侯爵令嬢イアンナが悪の巣窟だった大神殿を変えてくれた、だから今自分はここにいるんだと、それはそれは熱く語ってくれた。
だから必死に勉強してシスタークロエに推薦してもらい2人でここにいるのよーと、とても良い笑顔で教えてくれた。
(そのシスタークロエと王弟オスカーがまさかの恋仲とは…)
ヘンリーとエレンと友達になり、街へ遊びに行った際に大神殿へ案内された。
ここが自分の住処になるのか〜と感慨深く中を見ていると、治療院から出てきた王弟オスカーに目が釘付けになったが。その隣にはとても美しい女性が居たのだ。
思わず「え!?」と叫んでしまったシャルルだったが、その視線に気がついたエレンがニヤけながらシスターったら王弟様と恋人同士なのよ〜とコッソリ言ってきた時は、頭がパンクしそうだった。
なんでも、治療院の責任者として薬を届けている内に、心清らかなクロエに惹かれたらしい。
(誰よクロエって…)
モブとしてシスターはいくらでもいたが、顔なんて覚えていなかった。そもそもそんなにたくさん用意されていたかも怪しい。
<ヒカコイ>の大神殿の中で名前がついているような重要人物はいなかった。絵が用意されていたのは大神官くらいである。
そしてその大神官は居らず、神殿長という役職があって王族がその任に付いているとのこと。
自分の知っている情報が全く役に立たない。
「はぁ…誰にも隙がないじゃん…」
第2王子ジョシュアもそうだ。真面目で素直だけども王族の責務に悩み、母を失った寂しさを…空虚な心を持っているはずのジョシュアとは異なり、全くと言っていいほど隙が無かった。王妃が生きているからだろう。
しかも、もう仲良しグループが出来ているのだ。
公爵令嬢イザベル、侯爵令嬢イアンナ、謎の娘、第2王子ジョシュア、騎士団長の息子ジャック、名前の分からない侯爵令嬢の護衛。こちらは伯爵家出身だという。
皆、伯爵以上だ。いくらワンランクアップしたとはいえ、子爵家の娘は到底入り込めない。
(せめてあの中にヘンリーとルイスがいればいいのに)
ちょこちょこ話をしているようだが、<ヒカコイ>のような攻略対象によるグループではない。
しかも顔を見ても全く知らない謎の娘が、第2王子と仲が良いのだ。常に一緒にいる。
(公爵令嬢がどっかから女を連れてきたのか)
彼女は第2王子の婚約者ではないらしい。
(まったく…悪役令嬢何やってんの!)
イアンナに八つ当たりをするが、彼女は既に<ヒカコイ>ストーリーから逸脱している存在だ。
そんな事をしても現状に変化がある訳もなく、ただ日々が過ぎていくのであった。
「どうしたの?シャルちゃん」
「やべーな。怖い顔してるぞ」
昼休みに中庭の木陰でテイクアウトのサンドイッチを食べていると、ヘンリー&エレンコンビがやってきた。
その後ろにはルイスがいる。彼は歩み寄ってきてシャルルの頭をポンと優しくたたいた。
「いつもの場所に居ないから探したぞ?」
「いや別に…待ち合わせしてないでしょ…」
食堂に行ったはいいものの、いつも座っている場所に近いテーブルで、例の仲良しグループが談笑していたのである。高位の貴族オーラが凄かった。
イザベルの仕業なのだが、イベントが全く起きずにイラッとしていたシャルルは今日は外の気分なのよ!と最初からそう考えていたかのように振る舞い、サンドイッチを買って外に出てきたのだ。
3人は木陰に座り、自分たちもテイクアウト品を購入してきたらしく食べ始める。
(これだから平民は…)
庭園は整備されており芝生はとても綺麗だが、貴族たちはさすがに座らない。せめて何かを敷く。
しかしシャルルも農園では土の上に座っていたから口に出しては言えなかった。だいたい自分も今、直に座っている。
ルイスが穏やかな緑の目を向けてきた。
「悩みがあるなら聞くぞ?」
髪色は銀灰色だ。少し伸ばした髪を後ろで結んでいる。もちろんイケメンだ。
王子のようにキラキラしてはいないが、直に覗き込まれてうっかりときめいてしまい、慌ててそっぽを向く。
「別に…」
<ヒカコイ>攻略が上手く行かないとは口が裂けても言えない。
領地ではあんなに声高々に言っていたのに、アウェーと加齢は恐ろしいものである。
理性がブレーキを掛けていた。
「今日の午後の魔法の授業って、細かい制御でしょ。アレが嫌で…」
「あーなるほど…」
「あれ、肩凝るもんねぇ…」
適当に言った、しかし半ば事実の事を話すとヘンリーとエレンが頷いた。
「そっか、お前たちは魔力多いもんな。俺は少ないから、細かい制御のほうが楽だ」
ルイスは苦笑する。
ヘンリーは精霊魔法が得意で大技を放つし、エレンはシャルルと同じく光魔法…神聖魔法が使え、治癒と浄化が大の得意である。欠損部位も治癒できた。
ルイスは下位貴族の娘を嫁にした大商人の息子だが、平民としては多いが貴族からみると少ない。
羨ましい悩みだった。
「野菜や土地に掛ける時は、やっぱりドバーッって感じか?」
ヘンリーの大雑把な言い方にシャルルは頷く。本当にそうだからだ。
「手を広げて届く範囲に掛けるわよ。どりゃー!って。苗木一つ一つにやってられないわ」
普通は魔力を無駄に使わないようにチマチマやる方が正解だが、魔力が多い彼女だからこそ出来る大技だ。
「ウチでもやってみたらしいけど、そこまで美味しくならないって言ってた。なんでだろう?」
ルイスは首を傾げる。
光魔法を掛けるだけなら、と他所でも真似されたが、バーグ領の野菜のように大きくしかし繊細で濃厚な味にならない。
(そりゃそうよ!聖女の光魔法をそこいらの神官の光魔法と一緒にしないでよね)
心ではそう考えていたが口にしたのは違う言葉だ。
「さぁ…ウチも試したけど、私じゃないと駄目ね、やっぱり」
企業秘密でもないのだが言っても信じてもらえないだろう。バーグ領では信じてもらえるのだが。
「そうか〜。…あ、魔力の制御方法だけど、乳母がやってたんだが…針と糸あるだろ?」
「うん」
「それが?」
「糸に魔力を乗せて、針に通すんだ。そうするとコツを掴めると思うぞ」
ルイスの乳母はその方法を行い、刺繍に魔力を乗せる。その刺繍糸で刺されたハンカチは少しだけ運がよくなるので、予約制ではあるが貴族に人気だ。
しかし魔力が多い3人は、うへぇ、という顔をした。
「糸に…その人すごくない?」
「オレ、すぐに燃やしちゃいそうだ」
ヘンリーは精霊魔法のうち、炎魔法が得意なのだ。
「ただでさえ針に糸を通すのが大変なのに…」
シャルルも引き気味だ。マリーとシャルロッテは刺繍が得意でしょっちゅうハンカチやテーブル掛けを贈ってきてくれるが、細かく美しい図案によくやるなぁと思っているのだ。
「最初は大きなやつでいいと思うよ」
「布団針とか?」
「布団針…うーん、そんなに大きくないな。…よし、作ろう!」
さすが商人である。ないのなら作ればいいという思想だ。
「じゃあお金出すわ」
今は貧乏男爵令嬢ではないのだ。シャルルが言うとルイスは首を振った。
「いいよ。3人で成功したら売るからさ!…それより刺繍出来るようになったら、刺して欲しいなぁ」
ルイスが遠慮がちにシャルルを見る。
「ん?私?」
「ああ!」
逡巡したものの、タダでやらせるのも申し訳ないし、タダより怖いものはない。
「…出来たらね…?」
「おう、きっと出来るよ、シャルルなら」
またしても頭ポンをしてくる。
その隣では、ヘンリーとエレンがニコニコとしながらこちらを見ているのであった。
憂鬱な午後の授業を終え、シャルルは寮に戻る。
部屋へ入るとマチルダのお帰りなさいの声に「ただいま」と一言返事を返した後、自室に籠もった。
そしてベッドに顔を押し付けて叫ぶ。
「何私普通の学校生活送ってんの!?攻略はどうしたのよヒロイン!!!」
続けてもう一言。
「頭ポンってアオハルじゃねぇのよ!?気安く叩かないでよね!」
そこで苦しくなって顔を上げてゼーハーと息をする。
ルイスの顔は嫌いではないしむしろ好みの内にはいるのだが、自分は第2王子からの王太子、そして最終目的である魔王様に添い遂げるという目的があるのだ。
(でも…もう、逆ハーも難しい…)
入学イベントもなし、中庭でイベント待ちしていても誰も来ない、他の場所でもそうだ。
そしてゲームと何が違うのか攻略対象をよく観察したいのだが、それよりも勉強が忙しくて暇がない。
実を言うと宰相命令で今年からカリキュラムが変わり、今までの交友優先のゆとり教育から専門教育を施すという本格的な学園となっているのだが、シャルルは知らない事だ。
「お嬢様ー?どうしました?」
「ちょ、ちょっと待ってそっち行くから」
心配げなマチルダの声に慌ててベッドから身を起こすと、制服を私服に着替える。
廊下の扉に面した暖炉のある小さなリビングに行くと、マチルダがお茶を淹れて待っていてくれた。
ソファに座ると、今日も野菜マドレーヌを出してくれる。
これは母マリーが作って送ってくれたものだ。
「……」
蜂蜜の甘さのある優しい味にホッとする。正直に言うと、領地の方が楽しかったかもしれないと思い始めていた。
寂しそうなシャルルの横顔を見ながらマチルダは思う。
(ホームシックかしら?)
それとも、全く進まないという王子のイベントか。
「シャルル様…領地も儲かっているからそこそこ贅沢な暮らしも出来ているじゃないですか。王子様にこだわらなくても良いんじゃないですか?」
「……そうだけどさ…」
<ヒカコイ>で貧乏な男爵令嬢として学園へ送り込まれる際、メイドなどいなかった。
部屋も1DKのような間取りだったが、今は2LDKだしマチルダもいる。
「孤独な平民上がりヒロインじゃないですし」
平民だけどもなかなか良い友人もいる。貴族にも会えば話をしてくれる者もいた。
その貴族ともそつなく会話をこなせるから、入学当時の挙動不審な印象もそろそろ薄れてきている。
「なんかもう、<ヒカコイ>とは違うみたいですよ?」
マチルダが隣に座り、ポンポンと肩を叩く。3つ上なので妹のように接してくる時もあるのだ。
「…じゃあどうすんのよ。今まで王妃教育受けさせて貰ってたのに…無駄にするの」
ムスッとしたままシャルルは言う。
自分でも分かっているのだ。フラグを折られまくった今、攻略など出来ないことを。
「いえ、無駄じゃないです。教育を受けたことはシャルル様の武器ですし。…それに学校に来てから、<ヒカコイ>のヒロインのように、馬鹿にされてませんよね?」
ヒロインは学園入学当時、第2王子から声を掛けられたこともあり貴族からは田舎者が、と噂されたりする。
それを第2王子が聞きつけ、彼女を守ろうとより接近してくるのだ。
「…それはそうだけど」
それもそのはず、付け焼き刃ではない洗練された淑女の対応ができるのだ。
王都の貴族女性に大人気の野菜を産出している領地の娘、ということで、お金もあるし王族に認められて子爵にもなった。
そのせいか、シャルルの凛とした気配のせいか、特にいじめられたり田舎者と馬鹿にされたりしていない。
また、本人は気がついていないのだが、そこそこモテている。
(これは自信を持ってもらうために見せないと!)
マチルダは捨てようと思っていたものを取り出して持ってくる。
「なにそれ?」
束になった手紙をテーブルに置く。
「ラブレターですよ!さっすがお嬢様!」
「はぁ!?」
そんなもの、前世でも一通も貰ったことはない。
「貴女を一目見て恋に落ちました、とか、けっこう情熱的ですよ?高位貴族もいます」
その言葉に顔を赤くさせたシャルルは慌てて言う。
「ちっっ違うのよ〜…私は、王子なのよ〜…」
広げて見せられた手紙の内容が恥ずかしいのか、顔を手で覆ってしまう。
(王子様王子様って言う割には、恋に奥手なのよねぇ。恥ずかしがっちゃって…)
マチルダは笑いながら手紙を閉じる。
「でもお嬢様、考えてもみましょうよ」
彼女はシャルルの手を取る。
「旦那様は卒業後は戻ってきて欲しいって言ってるんですよ?…領地を任せるとも言ってますし。学園なら貴族の第2第3子もいっぱいいますから、そこそこの貴族を捕まえて領地に”お持ち帰り”すればいいんですよ!」
学園へ通っている平民は貴族の推薦を受けた有能な者ばかりだ。そっちでもいいと彼女は言う。
思わずシャルルは苦笑した。
「日本の言葉、教えすぎたわね…」
しかしマチルダの言葉は、逆にシャルルの心に火を付けた。
(で・も!…野望は王子ひいては魔王様!!)
そう心に誓ったシャルルだったのだが、現実は非常に厳しかった。
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