第12話 女神

 今ではない時間、場所で二人の女性が話していた。

 そこは雑踏を眺めながらお茶をいただける、ごくごく普通のカフェだった。

「ねぇ、これからどうするの?」

「うーん、そうだねぇ…私は中抜けする」

「えっ!…そうかぁ、貴女は優秀だものね…」

 長い黒髪の女性は羨ましそうに、前に座る親友を見た。

 輝くような金色の髪に青い目で凹凸もバッチリ。ザ・女神という容姿で大変羨ましいと思う。

 最も、周囲の人たちには平凡な黒髪焦げ茶目の地味な会社員に見えるようになっているが。

 彼女たちは人の言う神。…の卵だった。

 今は研修中でランダムに割り当てられた世界にて、人として生活をして様々なことを学んでいる。

 事前に受けた試験の成績が良いと、研修を早めに終わらせる事が出来るのだ。

「それならもう、どういう世界を造るのか決めたのね?」

「そうなの!…この間ね、とっても面白いものを見つけたの」

 二人の研修場所はとある空間の、地球という星。その中の、日本という国だった。

 偶然出会い、意気投合して…研修が終わったあとのことを話している。

「あ、ひょっとしてゲーム?」

「そう!」

 最近親友はずっとゲーム機を持ち歩いている。

 鞄の中から取り出すフリをして、手のひらに繋がる収納空間からすぅっと可愛らしいコーラル色のゲーム機を取り出してきた。

「じゃーん!これ!」

「…なぁに?…男の人がいっぱいいるわね」

 トップ画面を見せられて黒髪の女性は首を傾げる。

 日本の文化では見目麗しいとされる男たちで、だが、二次元だ。

「乙女ゲームってやつなの。とっても面白いっていうか…よく出来てるなぁって」

「日本人の想像力ってとてもたくましいものね」

 小説、漫画、ゲーム…様々な物語がこの国にはある。

 自分も小説や漫画を読んではいたが、まだゲームには手を出していなかった。読むものがたくさんありすぎるのだ。

「ま、よくある話で…シンデレラって言ったら分かるかしらね」

「ええ、わかるわ。灰かぶりと呼ばれた少女が王子様と結ばれる話ね」

 海外発の、どの国でも受け入れられるシンデレラストーリーだ。

「ただ迎えを待ってるだけではなくて、女の子が自分で男どもを攻略するのよ」

「へぇぇ…」

 随分と積極的だな、と思う。だから似たような親友がのめり込んだのかもしれないが。

「キュンキュンするセリフも多くって、もうハマっちゃって!」

 しかし残念な事があるという。

「もっとこう…国ならあちこち行ってみたいのよね。クリアしたら終わりだし…」

 本当に残念そうな顔に思わず苦笑が漏れる。

「ゲームだから仕方ないわ」

 容量の都合上、そこまで造り込めない。そもそもゲームの性質上、やる人が決まっている。

 この国の忙しい女性たちが国の隅々まで探検するとは思えないし、それは別のゲームで出来る。

「あ、まさか…?」

「そう!!これを参考に作ろうと思ったの!!」

 大好きな世界をナマで見れるのよと、とても興奮している。

(随分と染まっちゃったわねぇ)

 親友がそれでいいならいいが、果たしてうまく行くものかと思う。

 研修でも教えられた通り、人間という種族は御しがたいのだ。実際に会社勤めをしているが、人間関係が複雑すぎて、自分自身、うまくいっていなかったりする。

「その事を考えたら早く造りたくなっちゃって」

「人間って…難しいと思うのだけど」

「うんまぁ、それはコミコミで。頑張って造るわ!」

 分かってて実行してみるという。

 物語通りに世界が進むかは怪しいが、世界はきっと造れるだろう。親友の腕なら間違いないと思える物が。

「じゃ、私、先に行くね、ルーナ!」

「ええ」

「出来たら見せるから!」

「分かったわ。…私はまだこの世界に居るから、ゆっくりでいいわよ」

「オッケー!じゃね!」

 よっぽど早く造りたかったのか、その場で転移されてしまい慌てる。

 親友が飲み終わったグラスとケーキ皿などを消して、周囲の意識を操作してあたかも一人だったことを装う。

(さて、私はどうしようかしら…)

 先生からは”やる気が足りない”だの、”想像力が不足している”と散々言われている。

 親友にあって自分にないものだ。

 あと数十年で研修期間は満了する。人間ではない自分にとってはたったの数分、という感覚だ。

 造る世界を早く決めないと、と焦ってしまう。

(乙女ゲーム、ね。どういうものなのかしら)

 小説や漫画はもう山程読んだ。

 だから、ありきたりな世界だろうと思ってしまうのだが。

(物は試しだわ。少しでもやってみましょう)

 ”食わず嫌い”というのも指摘されたことがある。

 果たして…ルーナと呼ばれた神の卵は乙女ゲームをいくつかプレイして…そこそこにハマった。

(ちょっと、ご都合主義なのが否めないけども)

 中世ヨーロッパのような、それでいて暗鬱としていない世界観が良い。

 努力してステータスを上げていくのも良いし、努力が報われる、というのも良い。

 親友が”この世界を造りたい”と思うはずである。

(キュンキュンする、というのは、あまり良く分からなかったけど)

 若干堅物である自分だからかもしれない。研修場所の日本にはアイドルという職業の人たちもたくさんいたけど、親友のようにはハマらなかった。

(でも、参考にするのは良いかもしれない)

 全くの無から独自の世界を造れる神様というのは少数だ。数千年に一人くらいかもしれない。

 大体は誰かの造る世界に似ていたり、研修先で学んだ物を参考に造りあげる。

 なら、自分もそれでいいではないか。

(そうしましょう。…真似ではない、リスペクトって言うのよね)

 親友がよく使っていた言葉だ。

 ルーナはそう決めると、研修場所での体が天寿を全うするまでその世界へ居残り卒業すると、世界造りに取り掛かった。


◇◇◇


「それで、この世界を…造ったのですか…」

『はい』

 まさか神様が乙女ゲームをプレイしていたとは考えなかったが、言われてみればプレイしていないと造れない。

 なお、ソファをレオが素手で移動させて対面になるようにしたので神様は対面に座っていた。

 イアンナは恐る恐る尋ねる。

「あの、私は…いえ、佐川杏奈は…死んだのでしょうか…」

『いいえ』

「!」

 異世界と魂を直接やり取り出来るのはもっと実績を積んでから、とのこと。

 世界を初めて創造する神には、初回特典として研修先の神から援助を受けられるそうだ。

 ルーナは地球の神様にこの乙女ゲーム<ヒカコイ>を知っている人で、行動力のある人と、穏やかな人の魂のコピーを下さいと頼んだという。

「知ってなくちゃ、駄目だったんですか?」

『そうしたほうが世界に近づけると思ったからです』

 女神ルーナは笑いもせずにそう告げた。

(…たぶん、こいつクソ真面目だ)

 そんな囁き声が隣から聞こえてくる。

 不敬だがイアンナも同意だ。

「で、穏やかな魂のコピーを…アンにしたのか?」

『結果そうなりました。…最初は反対にしようと思っていたのですが』

「えっ」

 そのほうがよりヒロインと悪役令嬢の性格に近づけるだろう、と。

 しかし、世界創造の参考にしようと後から取り寄せた”ヒロイン”および”悪役令嬢”という単語が出てくるゲーム、漫画、小説を読むにつれて不安になった。

『別の書物では、記憶のある二人が流れに逆らい…対決するものもありました』

 よくよく考えてみたら、権力のある方に行動力のある人の魂を使うとヒロインが脅かされるかもしれない、と気がついた。

『乙女ゲームに多くの矛盾があることに気が付きまして…』

「まぁ…その、そうなりますわね…」

 舞台は中世ヨーロッパに似せており王政で貴族も居る社会だというのに、庶子と王子という身分差のかなりある結婚が許されてしまう。しかもヒロインは王子妃に…ゆくゆくは王妃となってしまうのだ。それまで王妃教育を施されていた悪役の令嬢が可哀想にも思えてきた。

 親友はシンデレラストーリーと言っていたが、シンデレラは平民ではない。

 しかしその事に気がついたのは世界を作ってしまったあと。全てを壊して再構築するのは骨が折れる。

『少し様子見をしてから、と思っていたのですが…』

 いい淀んだ女神に、レオは冷たく言う。

「子分が腐って力が弱くなったんだろ」

「レオ!」

 しかしルーナは力弱く微笑んだ。

『良いのです。その通りですから…』

 過去には熱心に祈る者ばかりだった。そのため神託を授けたり、数々の奇跡を起こしたりしていたのだが…甘やかしたのが良くなかったのか、彼らは手柄を自分の物にし始めた。

 これはいけないと考え、神託や奇跡を止め自分に祈らない者から聖なる力ー光魔法が使えないようにしたが、彼らの増長はとどまることを知らず、そのまま自分の名前を冠した国を作ってしまった。

 女神にとっては数十分内の出来事だったが、地上ではそのまま数百年ほどが経過してしまう。

『ほとほと困り果てまして…』

 祈ってくれないから力が溜まらない。諌めようにも声が届かない。声が届いた者がいたとしても強大な力を持った国に粛清され、儚く散っていった。

 何か特別な人を投入して流れを変えなければ!と焦り…世界が落ち着くまでは、と未だ投入していなかった二人の魂をルーナは思い出す。

 それから、聖王国をどうにかするのではなく、舞台として作っておいた国を少々操作して登場人物を作るように仕向けた。

『先程申しました通り、ヒロインが害されては元も子もありませんので…性格を反対に、そして双方に聖女としての素質を埋め込みました』

「!」

「なるほど、それで”悪役令嬢”のはずのアンが、聖女になったのか」

『ええ。貴女は本当によくやってくれました』

 穏やかな微笑みをイアンナに向けてくる。女神はイアンナの行動が想像以上だったとも褒めた。

(何か感謝されてるけど…私は母様と兄様が死ぬのを見ていられなかっただけだし…)

 自分が虐め蔑ろにされる未来を知っていて止めないのは、嗜虐思考の持ち主だけだろう。

(それでいいのです)

(!)

(お恥ずかしながら、結果論ですが…)

 女神が心の声に割り込んできた。

 思わず顔を拝見すると、ニコリと微笑む。

(もう本当に…私が消えて、この世界が消えてしまうのかと思っていましたから…)

 その目に宿るのは、子供が良いことをした時に向ける母親の感情のようだった。

(そうならなくて、良かったです)

 自分はこの美しい世界が好きだ。自分を取り巻く人々のことも。

(そう言ってくれて嬉しいわ)

 一層微笑みを強くした女神は、追加で教えてくれた。

『イアンナの中にある杏奈の記憶は、3歳程度から徐々に…5歳から人格を伴わない記憶を思い出すようにしていましたよ』

「7歳で急に思い出したのは?」

『あれは私の意図したタイミングではありません』

 ゲーム内の史実を曲げて良いものか、と真面目な女神は悩んだそうだ。ヒロインともども、体が成長して行動出来るようになる12歳くらいが頃合いか、と考えていたんだそうだ。

(ええ…じゃあ、思い出して止めなかったら大変なことに…)

 思わず青くなってしまう。7歳の自分を抱きしめて褒めたいと思ってしまった。

「なんつーか…決めれた歴史って面白くないと思う」

「れ、レオ…」

『返す言葉もございません』

 その後は貴女方も知る通りです、と苦笑している。

 おかげで平民の祈りが増えて力も徐々に戻ってきているという。

「では、この世界は消えませんか?」

『ええ。軌道修正していただきましたから』

「良かったです!」

 女神は静かに微笑んでいるからイアンナは安堵した様子だ。

 春の湖のように優しく輝く穏やかさを彷彿する波動が、二人から漏れて共鳴していた。

(聖女の光、か。…神にとってそれは一部でしかない)

 レオは大神官たちの行く末を知っている。集められた者をここぞとばかりに一網打尽にした力。

(…あれもこの神の力だ)

 彼らを飲み込んだ深淵を作ったのも目の前の女神。

 聖なる力だけでは世界の創造など出来ないのだ。

(アンもオレも、コイツの駒でしかないのか)

 イアンナのお陰で、女神の…また自分に都合の良い現在が構築されているが、そうでなかったらどうしていたのだろう。

(オレは…オレであってそうじゃないヤツになってたはずだ)

 思考を読んだのか女神が謝罪の視線を送ってきた。

『あなたは…あなたのままで』

「そんな事は分かってる」

「レオ、言い方!」

 イアンナにはなんの事についてかわからないが、不敬な物言いを注意する。

「いーんだよ」

 自分に不要な力を埋め込んだのも、この女神だ。睨みつけるくらい、許されるだろう。

『私はもう、余計なことはしません。見守りましょう』

「そのほうがいいだろうな」

「もう…。女神様、大変申し訳ありません」

『貴女も怒って良いのですよ?』

 イアンナが謝罪すると女神は微笑む。

 レオと同じく不幸を運命にされていたのだ。むしろ叱ってほしいとすら思う。

 しかし彼女は首を横に振った。

「母も兄も生きていて…私は今、幸せなので…」

『!』

 女神は歯をほころばせて微笑んだ。

『その言葉に、私は救われます』

「も、もったいないお言葉です…」

 地球の神が選んだ魂は、本当に素晴らしいと思う。

 もう一人の方は少々心配だが、きっと大丈夫だと信じている。

『イアンナ。あなたはイアンナであり、杏奈でもあった。どちらも、貴女です』

「はい」

『レオ』

「オレのことはいい」

『…わかりました。この世界を、自由に過ごして下さい』

「いいのか?アンが神になっちゃうかもしれないぞ?」

「えっ!?」

 思わずレオを見る。

「だって、今のアンって聖女だし予見の姫とか言われてて…信仰の対象になりつつあるって言ってたぞ」

 むしろ王妃と宰相がそのように仕向けている感じがする。本当に止めて欲しい。

『それも良いかもしれませんね』

「冗談は止めて下さい、ルーナ様!」

 イアンナは慌てて言ったが、レオは女神が本心なのに気がついた。

(まぁ、渡さないけどな!)

(そう言わないで下さい…)

 勝手に思考に割り込んでくるなとも思う。

(アンはオレのだからな)

(分かっていますよ)

 本当に分かっているか怪しい。分かってて何かやりそうだ。

 イアンナからは片時も目が離せない、そう思ったレオだ。

『では、私はこれで』

 女神は立ち上がり淡い光を纏った。

 慌ててイアンナもレオの手を引っ張って立ち上がる。

「もう干渉するなよ…イデッ」

 流石に不敬すぎると感じたイアンナが足を踏んだのだ。女神は微笑む。

『また、お会いしましょう』

「は、はい!」

「……」

 来るなと言いたいが、相手は神だ。勝手に来るんだろう。

 女神はクスリと笑うと、小さな球体になる。

 そして星降る空へと逆走するように戻っていった。

(くっそ…ここから出てったの丸わかりじゃねーか…)

 最後に置土産をしていった女神に、悪態を付く。後で絶対に噂になるだろう。

「女神様、綺麗だったわね〜…」

「そうか?オレはアンのほうが綺麗だと思う」

「……」

 毎度毎度、よくそういう台詞を恥ずかしげなく言えるな、と思うが彼は素直なのだ。

 そろそろ自分も素直になったほうがいいかもしれない。

 今までのぶんも。

「…ありがとう」

「!」

 伏し目がちに言うとレオが驚いている。

「あ、あんまり見ないで…」

「分かった」

「!?」

 突然腕を引かれたかと思ったらば、もうレオの胸板に頬を付けていた。

 驚きと、恥ずかしさで固まっていると、彼は言う。

「もう、逃げないよな?」

「え?」

「…二人きりの時に、いいムードになるといつも話題を変えてたろ」

「……」

 こういうシチュエーションにならないようにしていたのを、気づいていたようだ。


 杏奈はレオが好き。

 イアンナもきっと好き。

 でも、レオを拾ったのはイアンナ。


 だから、自分の恋心をレオにぶつけるのはおかしいと、ずっと気持ちに蓋をしていた。

 いつか体をイアンナに返せれば、と考えていたが…。

(私とイアンナは同じ…)

 女神はそう言っていた。

 ならば、もう隠さなくていい。

「……」

 しかし、急に自由にして良いと言われて、砂漠の中に放り込まれた気分だ。

 どう伝えるのが正解?と考えていると、焦れた様子のレオが身体を少し離して顔を覗きこんできた。

「!」

「また悩んでる」

「そ、それはその…」

 杏奈の時に異性と付き合ったのは十代の頃一回きり。しかも友人のような、かなり清い交際だった。よって、一歩以上進んだ婚約者への接し方が分からない。

 クスッとレオが笑った。

「オレだってどうやればいいか、わからない」

「!」

 心の声が聞こえた…というより、お互いに恋愛初心者だからだろう。

「ごめんなさい、私もこればっかりは助言できなくて…」

「それは嬉しい」

「え?」

「二人で、出来るだろ?」

 素直な笑顔を向けられて、イアンナはようやく気がつく。

(何が正解か、なんてバカね…)

 ゲームではないのだ。答えなどない。

 あるとすれば、たった今、レオが言った言葉だ。

「そうね。二人でないと出来ないことね」

 ふふっと笑えば、レオも笑ってくれる。

「!」

 腰に回された手とは反対の手で後頭部を支えられてドキリとする。

 徐々に近づく顔に焦るが、大好きなレオの瞳を見て…そっと目を閉じた。

「……」

 唇にやわらかいものがそっと触れる。

 イアンナは優しい力に護られている、と感じた。

 レオは新しい力が自分に入ってくる、と感じた。

 数秒なのか、数十秒なのか分からない時間が過ぎて、温かさが離れていった。

 と同時に、二人は息を吐く。

「はぁ〜」

「ふぅ…」

 そして目を見合わせて笑った。

「息止めちゃった」

「オレも」

 クスクスと忍び笑いをしてソファへ座る。

 イアンナはごく自然な動作でレオの肩に頭をあずけた。

「…このままでいたいわね…」

 来年になると学園へ入学することになる。

「大丈夫だ。オレが護るから」

 もちろんレオも一緒だ。それがとても心強い。

「みんなも、知ったからな。神も余計なことはしないって言ってたし」

「そうかしら…」

 確かに攻略対象者たちは軒並みゲームとは異なる生活を送っている。

 簡単に攻略はされないと思うが、あの真面目そうでどこか抜けている女神が何かを忘れている気がしてならない。

「何かあれば、みんなと解決しよう」

「そうね。…今から悩んでも仕方ないわね」

「そうだぞ。勿体ない!ただでさえ、あいつのせいでアンとの時間が減ったのに」

「ふふっ。大丈夫よ、ずっと一緒にいるから」

 二人は星空をすっかり忘れて手を握り合い、柔らかな光が満ちる部屋で触れている場所の温かさを感じ…そのままスザンナが呼びに来るまで寝てしまったのだった。

「こんな顔を見ると、まだまだ子供ですわねぇ…」

 そのあどけなさの残る穏やかな寝顔を見て、スザンナは”二人”の悩みがなくなった、と悟る。

 イアンナは前世の記憶について、レオは出来すぎる自分について、悩んでいる事を知っていたから。

 皆、二人に期待し過ぎなのだ。

 まだ14歳の子供たちに重責を課さないでほしいと思ってしまう。

「さて。このままという訳には行かないから起こさないといけませんね。…あら?」

 窓に向けていたはずのソファが対面になっている。

 向かいのソファは一人がけで、女神様用に整えた席ではなかったか。

 テーブルの上には二人が飲まないお酒も置いてある。供えてあったはずの星の形をした砂糖菓子は消えていた。

「…まさか…?」

 イアンナは聖女だ。ありうるかもしれない。

 それに、自分に前世の記憶があるのは”神の領域”だからどうしてそうなったかは分からない、とイアンナは過去に話していた。答えを知るのは、神しかいない。

「…あまり泊を付けすぎないで頂きたいものね」

 困った顔で微笑むスザンナは、もう少しこのままで…と考えて肌がけを二人にそっとかけるのだった。


◇◇◇


 その頃、王都では。

「……」

「……」

 ゴードとオリビアが王宮のガーデンパーティで星空を眺め、絶句していた。

 他の流星たちよりも一際明るい光が地上付近できらめいたかと思うと、天頂へ向かって尾を引きながら登っていったのだ。

 列席者たちはわぁっ!と歓声を上げて美しい光景に沸いていた。

「ねぇあなた」

「…ああ」

 ゴードはもう頭の中でこの後のことをどうしようか、考えている。

 二人で固まっていると、デリクが走ってやってきた。

「父上!母上!…見ましたか?」

「見たわ、デリク。あの方向は…」

「…だと思いますよ」

「そうよねぇ」

 はぁっとオリビアはため息をついた。南西の空、どう考えてもハッセルバック領の方角から星が登っていったように見える。気のせいだと思いたいが。

「来訪したのでしょうか?」

「ありえるわね」

 腐敗した神殿を一掃するキッカケになったのはイアンナの告白だ。

 グレース王妃からは「きっと女神様も感謝なさっているわ!」とよく言われていたのだが。

 ゴードが言い訳を考え終わったのか、二人に振り返る。

「覚悟しよう」

「ええ」

「わかりました」

 ゴードとオリビアは後日、宰相、ひいては王と王妃に呼ばれた。

 女神が来訪した理由をあまり言いたくはなかったが、神託などない事を伝えなければならない。

 ゴードは渋々と娘の憂いが晴れたことを説明したのだが、宰相と王妃はイアンナが女神と会話したことに注目をした。

 そしてそのまた後日。

 聖女イアンナは星祭りの日に女神の来訪を受け同じ卓についた、逆走した星は女神が天界に戻る際の光でした、と発表した。

 というのも、逆走する星は不吉の表れではないか、という者たちも少なからずいたからだ。

 ゴードとオリビアは「そのくらいなら」と考え発表を許可したが、世間はそうもいかなかった。

 ハッセルバック領にある侯爵家の屋敷から光が飛び立つのを多くの人が目撃している。

 女神の存在が分かるような現象が今までなかったため、その事に人々は驚き、形骸化していた祈りが本来の形を取り戻すキッカケになったのだった。


★★★


『はぁ〜…もうちょっと柔らかく言えないものかしら…私…』

 天界ではルーナがベッドにつっぷして自己嫌悪に陥っていた。

 服装が服装なだけに、疲れたOLにしか見えない。

 創造主だというのに、人に緊張してどうするの!とも思ってしまう。

『お礼をもっとたくさん言えばよかった』

 自分のポカを尻拭いさせたのだ。

 神殿があのままなら…悪役令嬢が悪役令嬢たる道を進んでいたら。

 そしてヒロインが成長して聖女になったら恐ろしいことになっていただろう。

 確実に神殿は聖女を囲い、更に増長し、彼女の力を利用したはずだ。

 魔王が現れたのなら率先して聖女を使い、王太子と結婚をさせて…裏から国を操っただろう。

 もう国教どころではない。圧政=ルーナ教になってしまう。

 自分が造った民に恨まれて力を無くすのだ。

 そして世界は…消える。

『お、恐ろしい』

 本当にもう少しで世界が維持できなくなるところだった。

 室内にある信仰計を見る。

 巨大な試験管のような透明な筒には、金の砂がサラサラと上から落ちていた。

 金砂の量は2割くらいから4割くらいまでに復旧している。

 自分がどれだけ祈ってもらえているかの指標になるが、翻れば、世界が満ち足りているかという目安にもなる。

 世界にある国々が聖王国と国交断絶をし、彼の国から派遣された偽の神官を追い出し、独自に祈ってくれた結果だった。

『本当に、人って制御出来ないわ…』

 先輩の中には、制御しようと思うな、と言う人もいた。

 操ろうとすればするほど、ドツボに嵌る、と言う人もいる。

『そのとおりだわ。…着替えなくちゃ』

 といっても手を振るだけ。

 パンツスーツの服から質素なワンピース姿になり、背中には翼がふわりと現れる。

 わざわざ着替えていったのは、イアンナに安心してもらうためだ。

 乙女ゲームをプレイしていました、という説明に納得してもらうためでもある。

『あとは…余計な事をせずに、見守りましょうか…』

 どこまでが”余計な事”なのかは、まだ新米の自分には分からない。

 長く世界を維持した神でも、生涯修行と言ったとかなんとか。

『あら…?』

 信仰計がきらめくと、砂が増えた。

『え?』

 自分はイアンナの元へ行って帰ってきただけだ。それだけで上がるらしい。

『やっぱり彼女は凄いわ!』

 …と、ルーナは考えた。

 ニコニコ顔のルーナはイアンナへ害が及ばぬよう、彼女の加護を強めることにした。

 世界に仕込んだままの乙女ゲームのイベントを消すことを、すっかり忘れて…。

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