第11話 聖女の悩み

「…アンの元気がない?」

 養子縁組された伯爵家へ赴いていたレオが久々にハッセルバック侯爵家へ戻ると、出迎えたスザンナが教えてくれた。

「なにか悩んでおられるようで…」

 たまにため息もついているという。

 手紙でのやり取りでは問題がなさそうだったが、隠しているようだ。

 レオはたちまち心配になった。

「…分かった。聞いてみるよ」

「お願いね。わたくしたちには気を遣って話さないの」

 昔から一緒にいるレオなら、と彼女は彼が戻ってくるのを心待ちにしていたのだ。

「任せて!」

 いつも通りの輝く笑顔を向けられてスザンナはホッとする。

(お嬢様はレオになら、お話ししてくれるでしょう)

 悩んでいる内容はスザンナには分かったのだが、自分たち使用人では癒やせなさそうなデリケートな案件だ。

 今後イアンナのそばにずっといるであろうレオに解決してもらいたい。

 客間にティーセットを用意しておきます、と告げて二人は別れた。

 レオは自分に与えられている部屋へ行くと、旅装を解いて普段着に着替えた。

 14歳になり背も伸びたし体つきもすっかり変わったが、シャツにズボンだけ、というラフな格好は変わっていない。流石に庭師時代とは素材が違うけれど。

(アンは…王都にしょっちゅう呼ばれるって聞いてるから、それ関係なのはわかるけど)

 聖女、予見の姫という二つ名は表に立つことを嫌うイアンナには重たいということも分かってはいるが。

(助けられた人が多すぎるんだよなぁ…)

 大神殿が変わらないままであったら、死ぬ必要のない人の命が失われ、なおかつ悪事を働く者が更に繁栄していたであろう。

(オレだってそうだ)

 自分を始め、様々な人の命も助かっているから聖女という呼び名は正しいと思うレオだ。

 侯爵家の長い廊下を歩き、顔見知りの使用人と「久しぶり」「元気?」と挨拶を交わしながらイアンナの部屋へ行くと、スザンナに呼ばれたのか部屋から出てくるところだった。

 ちょうど扉を開いたところにいたため、驚いた顔が笑顔になる。

「レオ!…おかえりなさい」

「アン、ただいま」

 いつでも「お帰りなさい」と言ってくれる少女は、淑女に変わりつつあった。

(可愛けど…キレイにもなってきた…)

 性格は元々大人びているので、容姿がそれに追いついてきた感じだ。

「お姫様、お手をどうぞ」

 腕を差し出すとクスッと微笑んだあとに、白い腕を伸ばして組んでくれた。

(夏っていいなぁ)

 イアンナの出で立ちは侯爵令嬢だというのに割と質素だ。パフスリーブつきの水色のワンピースを身に着けている。養子縁組されている伯爵家には今年21歳になる令嬢がいるが、わざわざ屋敷の冷房を効かせてドレスを着込んでいた。夏用の制服を着ている使用人は迷惑そうだが、全く気にしていない。

(アンは優しい)

 寒がりのスザンナを気遣って、冷房ではなく衣服で調節している。

 季節によりそう服を身に纏うイアンナが見れて、眼福だと思っているレオだ。

「勉強ははかどってる?」

「ああ。貴族のマナーって面倒だな」

 小さい頃は自由にさせてもらっていたが、今はそうもいかない。

 聖女と崇められるイアンナの隣に居るには必要な技術なのだ。

「覚えるまでが大変だけど…子供の時から教育されていれば容易いわね。…きっと大人になってからだと、苦労するかもしれない」

「あ、それ、カサンドラ様がそうだって」

 伯爵家の令嬢のことだ。

「え?…伯爵家の…その、本当の子供よね?」

 小さい頃から教育者がついて教えられたはずだ。

「そうなんだけど、我儘でぜんっぜん覚えようとしなくて今になって慌ててるとかで…家令がため息ついてた」

「あらまぁ…」

 イアンナは何も言わずに苦笑したが、レオはハッキリという。

「だから嫁ぎ先がないんだろうな」

「…レオ」

「本当のことだろう。税収で生きてる貴族なんだ。それくらい出来て当たり前なのに」

 様々なことを吸収し、知識がついてきたレオは元が真っ直ぐな性格なだけについ口に出して言ってしまう。

「思っても言わないの」

「ここがハッセルバック家で、隣にアンが居るからいいんだ」

「…もう、しょうがないわね。ここだけよ」

 誰にでも息抜きは必要だ。イアンナが折れるとレオはいつものように太陽のような笑顔を返してきた。

 客間へ到着すると既にティーセットが置いてある。

「スザンナは?」

「忙しそうだったから、同伴しなくていいって言ったんだよ」

 レオが嘘を付くと、イアンナは信じて頷いた。婚約は既にしているし二人きりでも問題はない。

 ソファへ座るとレオが座りながら言う。

「隣、いいか?」

「もう座ってるじゃない」

 ふふっと笑いながらティーセットからポットを取り、紅茶を淹れてくれる。

 グラスに入れられた氷がピキパチと良い音を立てた。

(カサンドラはこういうのも全部人任せなのになぁ)

 ほとんどの貴族が…よほど家が傾いていない限り、ご令嬢は自分でお茶を淹れないとスザンナも言っていた。

 イアンナは小さい頃から一緒に勉強する時に自分にも紅茶を淹れてくれていた。侯爵令嬢としては異例ですからね!とも言われている。

 レオ用にはレモンを、自分用にはミルクを入れるとレオに差し出す。

「美味しいな」

「スザンナが用意してくれたなら当たり前ね」

 誇らしげに言うイアンナだ。

 最近は王都に行くことも多く、王妃様の元で最高級の茶葉で淹れられた紅茶をいただいたりしているが、やはり地元の茶葉は幼い頃から馴染みがあり美味しい。昔からそれを扱うスザンナが淹れたのならなおさらだ。

「スザンナびいきだなぁ」

「もちろん!」

 小さい頃からずっとお世話になっているのだ。そこは負けてる、とレオは思う。

 そのスザンナに任されたのだ。うまく聞き出さないといけないが…。

「なぁ、何か悩んでるだろ?」

「えっ?」

 唐突に言われたイアンナが本気でキョトンとしている。

「オレも頑張って勉強してるからさ、何でも相談してくれ!」

 胸を叩いて言うレオに、イアンナは吹き出した。

「…スザンナに言われたの?」

 すぐにバレてしまった。レオはあれ?という顔をして言う。

「わかった?」

「ええ」

(だって…レオと会う時は嬉しくて、悩みを忘れているんだもの)

 それ以外で自分の様子をつぶさに観察しているのはスザンナしかいない。

 クスクスと笑っているとレオが頭をかきかき言う。

「悩んでるのは本当なんだろ?」

「…ええ、まぁ…」

 イアンナはチョコを一つ摘んで口に入れた。

(む。この感じだと言わなわそうだな)

 はぐらかすのがうまい彼女に、レオは直球で言う。

「婚約者のオレでも聞けないのか?」

「!」

 ちょっと小狡い手だとは思うが、彼女の憂いをなくしたい。

「結婚前に、問題があるなら解決したい」

 結婚、という言葉にピクリと反応したイアンナだったが、そのままグラスを持ち上げる。

 ミルクティーを飲む横顔をじいっと見ていると、グラスを置いて苦笑した。

「あんまり見ないで」

「なんで?久々だから、ずっと見ていたい」

「……」

 ありのままの言葉を言うと、イアンナの耳まで真っ赤になる。

(嫌われたくないけれど…もしそうなら、ずっと嘘を付くのは嫌ね…)

 そして一つため息を付くと目を伏せて、言った。

「レオを助けたのは…この”私”なのかしら」

 長いまつげが再び上がり、緋色の真剣な目の色を見てレオは頷いた。

「アンだ」

 断言されてイアンナは少し困ったように微笑む。

「…その、前世の記憶があると話したでしょう?」

「ああ」

 様々な場所へ一緒に行くに当たり、もちろんレオにも前世と乙女ゲームのことは話してある。それを回避しようと皆が動いている事も。

「5歳の時に私はあなたと会った。7歳で記憶のほとんどが戻ったけど…前世の私がイアンナを侵食してしまったように思えて…」

 幼い頃の自分は”わたくし”という一人称だった。強く記憶を思い出してからは、前世と同じ”私”という一人称になっている。両親や兄だって気がついているはずだ。

「だからね、あなたを助けた時のイアンナと、今のイアンナと…違っていたら、どうしようと思っていたの」

「……難しいな」

 レオは思わず呟いた。聖女につきまとう重責の事だと思っていたが違うようだ。

 少しだけ考えてからレオは質問をする。

「ええと、アンは前世の記憶があるんだよな?」

「そうね」

「前もその姿なのか?」

「いえ、違うわね」

 日本人だからこんなに顔の彫りは深くないし、凹凸もなかった。

 髪はストレートで真っ黒、目は焦げ茶。中肉中背だが、今よりは背は低かった。そう伝えるとレオは微笑む。

「その姿も見てみたかったなぁ」

「え?い、いえ、あの…」

 イアンナは困った顔をしてレオを見る。彼はニッと笑いながら言った。

「最近さ、ルーナ教っていうの教わってさ」

「国教だから、必須だものね」

 この世界を造った神様だから、国教というより世界中で信仰されている。

「ああ。その中に輪廻転生ってのがあって」

「……」

 日本の乙女ゲームによく似た世界だからなのか、輪廻転生という概念が定着している。

 全ての生き物は死んだあとに魂だけの存在になり、神の審判を受け、生前の行いにより選ばれた姿で再び生を受けるという。

「先生の話聞きながらさ、アンの前世の人って…よっぽどお人好しだったのかなーって思ってさ」

「…ええと、つまり?」

 イアンナは思わず聞き返した。レオの話は言葉が足りずによく飛ぶことが多い。

「うーん、なんて言ったらいいかな。すげぇいい人だったから、そのまま持ってきたのかなって」

 どうやら記憶のことを言っているらしい。

「…普通の人間よ?」

 悪行はないが、素晴らしい善行をしたかと言えばそうでもない。

 両親、弟、祖母と暮らす普通の家庭だった。34歳と若干行き遅れていたのは、弟が先に結婚して子供もいたから両親の「早く結婚しろ」というお小言もないし、手のかかる甥っ子が可愛くて…また、仕事も楽しいという状況だったので、”忘れていた”のが正直なところだ。

「そうかな。昔っから優しかったよ」

「何を言ってたか覚えてるの?」

「うん。もう辞めちゃったけどさ、ビリーが階段を上がってた時に…なんだっけ、エス…なんとかがあればいいのにって言ってた」

 ビリーとは使用人の一人で、高齢で膝を痛めていたために数年前に屋敷勤めを辞して田舎へ帰っている。

 その状況は覚えていないが、言葉はわかった。

「…エスカレーター?」

「ああ、そんな感じの言葉だった」

 その場に居たデリクが質問をしたところ、動く階段だと説明していたという。

 世の中にはそんな物があるんだなぁと感心したら、デリクに「ないからね!」と釘をさされた。

「汚い格好してたのにオレも拾っちゃうし」

「それはレオのせいじゃないじゃない」

 酷い身なりだったのは本当だが、イアンナは躊躇なく自分の手を掴んだ。

(温かくって…柔らかいって思ったなぁ…)

 倉庫の隅で寝る時に寄ってきてくれる、猫みたいだと思ったのは内緒だ。

「倒れてる時に、近くを子供が通ったけどさ…誰も触らなかったんだ」

 怯えた子供の声で「死んでるの?」という声が聞こえた。何とか体を動かしたけれど、誰も自分を助け起こそうという人は居なかった。

「だからさ、ふつーの子供だったら怖くて近寄れないんだよ。アンには前世の記憶ってのがあったから、感じ方が違ったんじゃないか?」

 それが侯爵令嬢ともなれば、余計に触らないんじゃないか、とも言う。

「……」

(確かにそうかも)

 5歳となると前世の自分の甥っ子と同じ年齢だ。もしかしたら重ねて考えた可能性はある。

 イアンナは形の良い顎の下に手を持っていって考え込んでいた。

(お、少し納得してくれた!)

 大人の記憶があるイアンナにいつも言葉や考えを補填してもらう側の自分だが、ようやくきちんと説明できた気がした。

「もし記憶がなかったら結果が違ったかもしれない」

「それはそうだけど…」

 曖昧に微笑むイアンナだ。

(侵食ってやつのほうかな?)

 それなら自分も体験したことがある。

 気がついた時から付きまとわれていた黒い靄…瘴気。あれはなぜだか自分につきまとっていた。

(子供だから簡単に取り込めると思ったんだろうな)

 そうやって取り込まれた瘴気憑きの子供は、目つきがおかしくなり犯罪に走るのだ。

 自分が自分以外のせいで”ああなるのは嫌だ”と思っていた。

 イアンナに拾われる直前、気をつけて遠ざけていた瘴気に包まれてしまった。

 今まで感じたことのない、煮えたぎるような怒りが突然沸き起こり「なぜこんな目にあわなきゃならないんだ」と…力を入れた指はやすやすと石畳を砂に変えた。

 その事に驚いたが、体に入り込んだ”何か”の歓喜のほうが勝った。「この力でみんなを殺してやる」の「ころし」くらいでイアンナに手を掴まれて我に返った。

(あれは…オレの意思じゃなかった)

 危なかったと自分でも思う。完全に取り込まれたら、一体何になっていたのか。

 この街にはお世話になった人もいるというのに、そんな恐ろしい感情が自分の中に存在することを恐れた。

 街一つくらいの殺戮なら、「できてしまう」力が自分にあることも分かってしまった。

 その”何か”の侵食を止めたのは紛れもなくイアンナだ。

 慣れない場所で生活する自分の元に、おせっかいなほど通ってきてくれた。

 その事を思い出しながら、イアンナに伝えようと思う。

「…冬に外の水が凍っちゃった時にさ」

 ハッセルバック領は王都に近く四季がはっきりしているため、冬は庭園の噴水が凍りつくほど寒い。

 当時、庭師見習いのレオのところにやってきたイアンナは、蛇口の水が出ないと困っていたレオに言った。

「”水道管”が凍ったのかなって言ってたよ」

「え!?…そんな事を言ったの?」

 もちろん水は魔石により供給されるため水道管などない事は知っているし、単に蛇口に残った水が凍っていただけだ。…と、今なら普通に想像出来る。

「なにそれって訊いたら、地面の中を通ってる管だって…」

 そんなのあるんだな、と後で先輩に訊いたら大笑いされたという。

 水は魔石により供給されていて、蛇口はお湯をかければすぐに詰まった氷が融ける、と教えてもらったそうだ。

「ご、ごめんなさい…」

 みるみるうちに顔が赤くなったイアンナだ。

「いいって。あ、でも、他にもあるんだよ」

 洗濯をしている人の所では洗濯をするキカイが、屋根に命綱をつけて外から窓ガラスを磨く清掃員にはクレーンが、突然の雨に濡れた洗濯物を取り込む使用人たちを見て、洗濯物を乾燥をするキカイがあればいいのに…と言っていたという。

(そ、そう言えば…なんでないの?って思った記憶があるわ)

 イアンナは赤い顔を手で覆った。

「…それは、日本の知識ね…」

 思ったよりも自分は昔から日本の事を口走っていたようだ。

「やっぱりそっか。…デリクがさ、アンはたまに変なこと言うから、そういう時は自分に聞けって」

「もう兄様ったら…注意してほしいわ…」

「無理じゃないか?アンは屋敷を走り回ってたし」

 あちこちに出没しては「これはなに?」と使用人に訊きまくっていたという。

 実を言うとその延長上で、イアンナは使用人たちと仲が良い。

「オレも訊かれた」

「えっ」

「この花はなんで茎がピンク色なの?って」

 まさか新参者である自分が訊かれる対象になると思っていなかったレオは、慌てて先輩を引っ張ってきたという。

「こーごーせーしてるのに緑じゃないんだって言ってて、正直、何言ってんだコイツって思ってた」

「…光合成ね…」

 もしかしたら人格を伴わない日本の知識と、現実とを照らし合わせていたのかもしれない。

 面倒くさい子供だったのかしらと、イアンナは過去の両親と兄と使用人たちに申し訳なくなった。

「そんなんだから、急にわっと出てきたんじゃなくて、ずっとそうだったと思うよ」

 疑うなら両親と兄に訊いてみればいいと言う。

「う…ううん、レオがそう言うなら絶対にそうだから、いいわ」

 これ以上恥ずかしい思い出を聞きたくないと思ってしまう。

 それにレオは自分に対して決して嘘は言わない。例えそれが優しい嘘だとしても言わないのだ。

「生まれた時から大人の…人格ってやつ?があったら大変だろ!だから…なんていうか、ピンチの時に出てきたんじゃないか?」

 乙女ゲームの知識は昔からイアンナにあったのかもしれない。

 それが現実味を帯びたのが、あの家族離散の危機だとしたら。

「…そうね…思い出さなくちゃって、言わなくちゃって、思うわね」

 当時の記憶は混乱して今ひとつ思い出せないが、必死だった記憶はある。

 それは昔から自分には記憶が存在したことを肯定するもので。

 イアンナは顔から手を外してレオを見上げる。

「ありがとう、レオ」

 両親や兄も寄り添ってくれるが、やはり心で頼っているのは彼だ。

 しかしレオはじっとイアンナの目を見ながら言う。

「まだ…まだ少しでも疑うならさ、神様に訊いてみればいいんじゃないか?」

「えっ、神様に!?」

「うん。ちょうど今日、星祭りだ」

 星祭りはこの世界を創造した女神ルーナを讃える四大祭りの一つで、夏に行われる。

 ゴードとオリビア、そしてデリクは王都での祭事に行っているのだ。イアンナは最近移動ばかりで疲れたので、今回は遠慮させてもらっている。

 そうデリクから聞いて、イアンナを一人にさせてはいけないと、飛んできたのだ。

「星祭り…そうだったわね」

 どうやらその事を忘れるくらい、悩んでいたようだ。

「この日って、人と神の距離が近づくんだろ?」

「ええ、そう言われているわね」

 春の”生誕祭”は命の誕生と作物の芽吹きを願う日でモチーフは翼、秋の”月祭り”はその年の実りを精霊に捧げる日でモチーフはもちろん月、冬の”感謝祭”は一年を無事に過ごせたことを女神に感謝する日でモチーフはハート、と決まっている。

 夏に行われる”星祭り”は女神ルーナに願いを叶えてもらう日でモチーフは星だ。

 この日に願った事柄は、叶いやすいという言い伝えがある。

 だが願いは一生に一度だけしか叶わない。アイザック王は星祭に出会ったグレースを「王妃にしたい!!」と強く願い叶ったから、グレース王妃が病に倒れた時は願いが叶わなかったと苦笑していた。

 それはグレース王妃が助かったから聞けた言葉だ。

「…今日の夜に、サロンで訊いてみないか?」

 レオがいたずらっぽく笑うと、イアンナはくすりと笑う。

「いいわ。…レオは何か願いがあるの?」

「オレはない。だから、オレのぶんも使っていい」

 イアンナはそんな彼を相変わらず無欲だな、と思う。

(無欲だとか思ってるんだろうな。…ぜんぜんそうじゃない)

 本来なら望外な願いである”イアンナの側にあること”のために動き続けている。

 己の手でどうにもならなかった命は彼女が救ってくれた。

 神ですら救ってくれなかったのだ。今更願うことはない。

 自分の願いは、自分で叶える。ただ、それだけ。

(…違うな。オレの場合は”願い”じゃない。”予定”だ)

 将来、彼女の側に居るのは自分以外、許さない。

 そのためにはなんだってしてやろうと思う。

 じっと見るレオに、イアンナは首を傾げる。

「どうしたの?」

「ん、なんでもない!…あとでスザンナに相談して、飾り付けしよう」

「そうね、そうしましょう」

 きっとイアンナの頭の中には、スザンナ以下、使用人たちと星祭りを祝う席が展開されているのだろうけど。

(絶対に、二人っきりにするんだ!)

 家族が居ないことを良いことに、そう画策するレオなのであった。


◇◇◇


 その夜。

 普段は庭園が一望出来る侯爵邸の二階にあるサロンには、星空のような淡い光がそこかしこにあった。

「思ったよりも綺麗ね」

「ああ。魔石ランプの、魔力切れでこんなになるとは思わなかった」

 普段屋敷で使われているランプには魔石が入っている。

 魔力を”輝く”事に変換しながら消費しているのだが、魔力が切れてくると光が弱くなる。魔力を補充すればまた再利用できるが、その補充前の石を借りてきたのだ。

 この案はレオが思いついた。昔、庭師の見習いだった頃に庭園で使う魔石ランプの魔力切れのものを倉庫に持っていって交換していたから。

 明るすぎない…また、時折明滅する穏やかな光は神秘的にさえ思えた。

「…みんなは?」

「今日くらい二人きりがいい」

 相変わらずストレートな物言いにイアンナは赤くなるが、ぼんやりとした明かりの中ではわからないだろうと思い…顔を隠さないことにした。

 前から聞きたい事があったのだ。

 庭園側の大きな窓ガラスは天井付近まで湾曲していて、星空が見える。

 窓際に設置されたソファに二人で座りながら、イアンナはレオに尋ねる。

「レオは、私でいいの?」

 婚約の事を父から聞いたのは最近だが、随分前から書類上は婚約者だったらしい。

 デリクは「男親の抵抗ってやつだね」と言っていた。母からは「たくさんの縁組のお手紙が届いていたのよ」と言われてとても驚いた。

「今更だなぁ。…アン以外は嫌だよ」

「そ、そこまで言ってくれるのは嬉しいのだけど。…その、前世の記憶があるから、オバサンぽいと自分でも思うの」

「他の令嬢は子供っぽくて面倒くさい」

 養子縁組先の伯爵家の令嬢しかり、デリクにたまに連れられて行くお茶会での令嬢しかり。

 皆、自分の事やせいぜいが家のことしか考えていないし、贅沢すぎる。

 一度社会の底辺を経験した自分からすると、市井に混じって働いてみればいいと思ってしまう。

 行き遅れ令嬢のカサンドラには一度言ってみたが、お祖父様のような事を言うのね!と言い返された。

「オレのほうがオッサンくさいんじゃね?」

「それはないわ!!レオは頑張り屋でとっても格好いいの!!」

 と、つい声を上げて言ってしまってから後悔する。

 嬉しそうにレオが見てきて、余計に顔が熱くなった。

「こういうの、精神年齢が高いって言うんだろ?」

「え、ええまぁ…」

「じゃ、お互いそうだから、お似合いの二人ってことで」

「なにそれ!」

 仲人のような言葉を言うレオに思わず吹き出してしまう。

 二人で忍び笑いをして、それが収まるとイアンナはしみじみと言う。

「…本当にたくさん、言葉を覚えてきたのね…」

「おーよ。アンは語彙が多いってデリクも言ってた。だから、二人で頑張ったんだよ」

「えっ兄様も?」

「うん。ゴード様も異世界の記憶に負けてられないって、国外から本を取り寄せてて、それを貸してもらったりしてた」

「…なんだか、申し訳なくなってきたわ」

 ということは、外遊に連れて行っている第一、第二王子も然り、だろう。

 なお、公爵家令嬢であるイザベルは自分とも話が合うので既に勉強済みなのかもしれない。

「アン、流星群が始まった!」

「わぁ…綺麗!」

 この日は空から星が落ちてくる。落ちた星を見つけた人には幸運が訪れるのだとか。

 小さい頃は見つけに行きたいと言ってよく両親を困らせていた。

(…ふふっ。そんな事もあったわね。…イアンナの思い出もちゃんとあるのに…)

 考えてみたら言語も違うのだ。生まれた時から記憶があったら言葉を覚えるのに苦労しただろう。

 大人である杏奈の記憶が強くて侵食してしまったのかとずっと思っていた。イアンナとして杏奈に少々申し訳なくなる。

(そう考えられる事が出来たのも、レオのおかげね)

 隣を見れば薄明かりに照らされた端正な顔が流星を見ている。随分と大人びてきていたが、目の輝きは変わらない。

 小さい頃に一緒に見た時は「いつか星をみつけにいくんだ!」と言っていたことを思い出す。

(本当に似たもの同士なのかも?)

 そんな事を考えてニヤけていると、レオが言う。

「そろそろ、願い事言ってみるか?」

「んー…でも、もういいかも…」

 相談が出来た事で、心の靄はだいぶ晴れている。

「遠慮するなよ。…おーい、女神様!…アンの…えーと、前世の記憶ってなんであるんだ?」

 少し遠い場所に居る人へ話しかけるように言うと、一瞬の静寂のあと、何者かの気配が近くに生まれた。

「!!」

 レオは身を翻しその相手を探すと、その目は驚愕に見開かれる。

「れ、レオ?」

 突然立ち上がり剣の柄に手をかけたレオの視線の先を見て、イアンナも驚く。

 少し離れた場所に”女神様の席”と称して、お酒とお菓子を用意していたのだが…そこに輝く星の飾りを乗せた女性が座っていたのだ。

「ま、まさか…」

 レオはごくりとつばを飲み込む。

 瘴気とは真逆の力。いや、それすらもひっくるめて全てを凌駕するような圧倒的な存在。

 ストレートの長い黒髪を揺らめかせて女性は立ち上がり、金と銀の目を細めて微笑む。

 衣服は神殿の女神像が身につけているようなトーガ…ではなく、ワイシャツにパンツスーツのようなものを身に着けて5センチヒールほどのパンプスを履いていた。

「え?…え?」

(どうして?)

 神秘的な顔以外は全て、日本の働く女性のような出で立ちだ。

 驚くイアンナにいたずらっぽい瞳を向けて、女性は口を開いた。

『私はルーナ。この世界を創造した者…』

「「!!??」」

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