第10話 ヒロインの迷走

「入学まで、まだずいぶんとあるわねぇ…」

 シャルルは窓から見える木立を見ながらため息をついた。

 相変わらずの勉強漬けである。

「でも、王太子フラグは立てたし…」

 あとは学園へ入り攻略対象者を攻略しまくればいいだけだ。

 それまではまったりとした貴族ライフを送っても時間はある。

 バーグ家当主のエドワーズは思ったよりもちゃんとしていて、領内の経営もしっかりしているし、自分をほったらかしたりせず、屋敷に帰ってきた時は会話もしてくれる。

「屋敷の人も…一部を除いていい人ばかりだし」

 エドワーズの人柄なのか、農家が多い領地のせいなのか、割と穏やかな人が多い。

 故に、非常にまったりと日々が過ぎていた。

「あとは、王妃教育のお金だけかな」

 礼儀作法、一般教養などは講師もそこらにいるが、王妃教育となると位の高い貴族の夫人に頼まないといけない。

 王妃教育をしたいと言ったらエドワーズにそう説明され、さすがに給金が払えない、と言われてしまったのだ。

 もしかしたらまだ自分の事を疑っているから断られたのかもしれないが…。

 確かに、無一文で屋敷に飛び込んできた居候という身分で、高額な出費を不確定要素で強要するのもおかしいし、下手を打つと最悪追い出されかねない。

 それはシャルルとしても避けたい事だった。今更下町生活には戻れない。

「うーん、鉄板は…石鹸作りとか?」

 そう考え、市場調査と言い訳をつけ街に繰り出す。

 なお、こういう時の為に非常に質素な平民服を布地から選んで仕立てて貰っているので、護衛は居ない。

 そもそも長閑な農業の多い領地なので、そういった輩も少ないのだ。

「エッうそ、ある!?」

 果たして、石鹸はあった。

 城壁内にある領内で一番大きな町の雑貨屋に入った所、とても良い香りのする石鹸が並べられていた。

「そちら、本日入荷したんですよ。もう大人気で!」

 シャルルの言う言葉を勘違いした店員がにこやかに言う。

 並べる側から売れてしまう、とのこと。

 確かに隣に女性が3人程いるが、カゴの中にせっせと石鹸を詰めている。

 思わず、一つ取ってカゴに入れた。

「この紋章は…?」

 バラの香りのする石鹸は、バラの紋様が刺繍で描かれた美しい布にラッピングされていた。

 隣りにいたご婦人が教えてくれる。

「公爵家の紋章よ。この石鹸はご令嬢が作ったらしいから」

 その隣からも別の女性が教えてくれる。

「この包み布もとっても良い香りだから、私はクローゼットに入れてるわ」

 香りがなくなったら洗ってハンカチにするのよ、とも教えてくれた。絹が混じったハンカチは非常に手触りが良いという。それを庶民でも購入できる価格で販売しているとは。

(ほえぇぇ…やられた…)

 既にバラ石鹸という素晴らしい商品がある。これ以上の物は出来ないだろうと思い、石鹸を一つ購入して店を出た。

 石畳をテクテク歩きながらシャルルは考える。

(おかしいわね…やっぱり公爵令嬢が転生者かしら)

 実のところはイアンナの案と知識を、公爵令嬢イザベルが商品にしただけである。

 そんな事は知るわけがないシャルルは、公爵令嬢こそが転生者であり、倒すべき敵として認定し始めていた。

(あ、いい匂い…)

「おじさん、一つ頂戴!」

「あいよ。熱いから気をつけな〜」

 露店でチュロスのような香りの、しかし丸い揚げ菓子を買い広間のベンチに腰掛けて食べる。

 なお、ピンクブロンドは目立つので帽子の中に隠していたが、男爵家と言えどもご令嬢が一人で街を出歩き、露店で買い食いをするとは、この世界の常識で言うと人攫いも考えていない。

 元々下町で生まれ育ったシャルルは、気負いもないため街にすっかり溶け込んでいた。

「うーん、他に…なんだろ…」

 金策がないか考えるが、シャンプー・リンスはハードルが高いし、光魔法は訓練してないのでポーションなども作れない。チート能力の素質はあるが、鍛錬もしてないので魔物も狩れない。

 手にしたチュロスを見て思いつく。

「スイーツ、は、駄目か」

 料理が得意でないのだ。

 <ヒカコイ>では料理が得意なヒロインだが、シャルルは前世の苦手意識のせいで覚える事もせず、食事の用意はなんだかんだと理由をつけて母親に任せっきりにしていた。

 だから竈で火起こしも出来ない。

(うぐぅ、詰んだ…ん?)

 先日街に来た時にはない施設に、人の流れが吸い込まれて行っていた。

「なにあれ?」

 店先で蜂蜜を垂らした炭酸入りのレモネードを売っている。一つ買って店員に質問してみると、彼女は誇らしげに教えてくれた。

「お風呂屋ですよ!」

「お風呂…屋???」

「ええそうよ。平民には馴染みがないのだけど…温かいお湯で体を流したり、浸かったりするの。体は清潔になるし、とてもスッキリするわよ」

 どうやら銭湯らしい。

 どこか異国風の、石造りの情緒ある店の屋根には、輝く竜の紋章。

(まさか、ここは…)

 その視線に気がついたように、店員がドヤ顔をして言った。

「この施設は王太子殿下が考えたのです!庶民にも使えるように、とても低価格なのよ。ちゃんと男性女性別れているし、見張りもいるから、あなたも時間があれば入りに来てね!」

 入浴代はパン一つ分の代金だ。破格の値段である。

「は…はい…ありがとうございます」

 呆然としつつ店員にお礼を言うと、シャルルはそこから退散した。

(うっそぉ〜…温泉…銭湯も商品化されてるぅ〜)

 庶民も入れる温泉、それは入浴を習慣化し清潔にすることで、伝染病を防ぐ意味合いもある。

 こんな地方の領地にまで広げているとは、さすが王家というところか。

(まさか王太子も転生者…?)

 疑い出すときりがない。

 地方では珍しい氷が入ったレモネードは、蜂蜜の甘さがちょうどよく、久々に飲む炭酸が喉を焼くように通り過ぎていくのだった。


◆◆◆


「王都の大神殿??」

「ええそうなの。そこの神官たちが、とっても悪い人だったんですって」

「信じられない!!」

 今日は伯爵令嬢の催すお茶会に、友人の子爵令嬢に誘われて来ている。

 どうやら伯爵令嬢は手に入れた情報を誰かに話したかったらしい。初見の自分がいても、ペラペラとおしゃべりしてくれた。

 大人しく聞いていたシャルルはその内容に愕然とする。

(え、大神殿?聖女である私が、お世話になるところじゃん)

 そこが悪の巣窟だと伯爵令嬢は言っている。

(嘘じゃなくて?)

 そう思いつつ会話に耳を傾けた。

「捕まえたのは、騎士団でしたの?」

「それと、冒険者たちよ。孤児院も、救護院も、それは酷い有様だったとか…」

 女性は娼婦のように扱われ、少年少女はロクに食事を与えられずに働かせられていたという。

(そういや、メイドもなんか言ってた気がする)

 王都で大捕物劇があったとか先日に騒いでいた。どうやら神殿=悪の巣窟というのは本当の事らしい。

 しかし、聖女の認定はどうなるのか。確か大神殿に居る太った大神官とかいう爺さんが聖女の手を取り涙しながら、お待ちしておりました、とか言って宣言するはずだ。

 ヒロインはその様子に「信じられない…」と呟き、その時の攻略対象者と驚きながら認定を受けるはずなのに。

「それでね、聖女が現れたらしいの!」

「!?」

 思わず紅茶を詰まらせそうになったシャルルは、先日買った石鹸の包み布のハンカチで口元を押さえる。

「え、今回は勇者じゃなくて、聖女なの?」

(勇者の時もあるの!?)

 神殿に行けば耳にタコが出来る程繰り返し話される内容だが、領内の神殿に一度も足を踏み入れていないシャルルは驚いた。

「そうみたい。とても美しいお姫様らしいわ」

(姫!????)

 シャルルは混乱してきた。

 今の王族には姫などいないはずだ。なぜ姫が出てくるのか。

(え、なんか隠しキャラとかいたっけ???)

 攻略内容や、設定集を思い出してみるが覚えている限りではそのような情報は無い。

(隠しキャラは…一人だけのはずなんだけど)

「黒と緋色の髪を持つ少女らしいわ」

(!!!!!…侯爵令嬢、イアンナ!?)

 黒と緋色というと、その一人しかいないはずだ。

(それが姫とか、どういう事?)

 やっぱりこっちが転生者か、と考えていると伯爵令嬢が言う。

「まだ幼い御方なのだけど、神殿の事を予見し、悪事を暴いたのだとか」

「すごいわ」

(…神殿の悪事なんて<ヒカコイ>の中に、出てこないんだけど…?)

 それを暴いたという。

 本物の預言者なのか?その功績で王族の養子にでもなったのか、頭の中でぐるぐると推測が渦巻く。

「あのバラなんだけど」

「え?」

「あら!珍しいわ。グラデーションになってる」

「隣もとても美しい黄金色ね」

 伯爵令嬢はこちらもお披露目したかったらしい。だから今日はガーデンパーティなのかと皆がそちらを見ると、一際美しいバラの株が真新しい土に植えられていた。

 バラの花は根元が黒で、花の先端に行くほどに緋色が濃くなっている。

 小振りの八重の蕾はお辞儀をするように下を向いて咲いていた。

 一本で花束のように蕾がなったバラはとても可愛らしい。

「”予見の姫”の功績を称えて、公爵令嬢様が作ったそうなの」

「さすがだわ」

「とっても高貴で、美しい色ね…」

 貴族のご令嬢は高位になるほど、何か高尚な趣味を持っている。

 目の前の伯爵令嬢は確か刺繍がものすごく上手だが、公爵令嬢はバラの品種改良などもやるらしい。

(金はあるところにはあるんだなぁ…)

 思わず遠くを見つめてしまう。

「その隣は?」

「姫の傍らには少年騎士がいるそうなの。黄金の騎士と呼ばれて…片時も離れずお守りしているとか。その方の髪色を模したものだそうよ。だから、この2つはセットで配られているの」

 その言葉にロマンチックね〜、だの、私もそんな騎士様に守られたい!と令嬢たちがきゃあきゃあ言っている。

 シャルルの頭は目下混乱中だ。

(金髪の騎士って誰よ、モブ?もう既にイアンナがシナリオを逸脱してる。全く別のキャラとしか思えない…)

 もしかしたら自分の死後に、<ヒカコイ2>が出たのかも知れない。

 そんな事も思いついてしまう。

(うぉぉ、どうやって攻略すんの!?今って1なの2なの!?…魔王様ってもういないの!???)

 悩めるシャルルに、そうとは知らずに伯爵令嬢は止めを刺した。

「今日頂いて貰っているスイーツも、王都から取り寄せたものなの。公爵令嬢様がお作りになったそうよ!」

(ぎゃふん!!)

 もう、そうとしか言いようがない。

 そのスイーツはこの地方にしてはずいぶん洗練されてるな、お店はどこだろう?と最初に思ってしまっていた。

 完全に負けである。

 前世で食した物に近いとても美味しいスイーツをいただき、頭がいっぱいいっぱいになってシャルルは帰路についたのであった。

 その夜、ベッドで天蓋を見つめていたシャルルは思考を纏める。

(イアンナはもう、除外。私は学園へ行って第二王子と他の攻略者たちを見つけ次第攻略する!)

 乙女ゲームの知識がある自分に有利な舞台となるはずだ。

(敵は公爵令嬢イザベル!アイツが転生者なんだわ)

 そしてフラグを折り、前世のスイーツや石鹸、なおかつ王太子を誑かして温泉までも普及させているのだ。

 イアンナについては腐った神殿を綺麗に掃除してくれた、くらいにして放置することにした。

(そうと決まれば、やっぱり王妃教育だわ)

 公爵令嬢は王太子の婚約者だ。彼女から王太子をぶんどるためにも、あれ以上の仕上がりにしなければならない。

 それには金策が欠かせない。

(私が出来ること…)

 今の所、少しの治癒しか出来ない。

(思い出せ…!光魔法は他にもなんか出来たはずだ…!)

 攻略対象の各ルートを一人ずつ、頑張って思い出していると最後の一人でやっと閃いた。

(そうだ!!!植物の成長を早められるよ!)

 光魔法の特性として魔力を元に修復、および植物の成長促進が出来るのだ。

(いや出来るけども)

 それで何するんだ、と思ってしまった。

 商人の息子ルートのイベントでは、悪役令嬢に課題の薬草園をメタメタにされたヒロインが、光魔法を使って薬草を倍速で育て無事に課題を達成するというもの。ある程度鍛えていないとその術は使えない。

(治癒か、成長促進か)

 腕を組んで悩む。

 しかし割とすぐに解答は出た。

(成長促進にしよう)

 なにせ怪我が怖い。血も駄目だ。前世では健康診断で採血する時に寝て採ってもらっていた。

 ゲーム中のヒロインは欠損部位も治せるが、そんな重傷者を前にぶっ倒れない自信が全くない。

(うん、苦手な方より、できそうな方にしよう)

 シャルルはそう決めると、翌日から屋敷の庭の一つを自分用にしてもらい、花や野菜を植えてもらう。

 そこに光魔法をひたすら掛けるという、地道な修行を開始した。

 光魔法が反応し、野菜がグンと成長するようになったのは…そこから実に3年後の事だった。

 

◆◆◆


 そして本日は、絶好の畑日和だ。

「お父様!見てて!」

 半信半疑のエドワーズを連れて領内の畑に来たシャルルは一角にある野菜たちに光魔法を使う。

「おおっ!?」

 農園の主や小作人などが見守る中、金色の粒が畑や作物に吸い込まれていく。

 小さな双葉だった野菜たちは、あっという間に成長した。

 トマトもナスもつやつやで、葉物野菜に至っては少々光っている気がする。

「も、もう!?」

「なんという奇跡だ!!」

(そうよ、その言葉を待っていたのよ!!)

 今日この日まで悶々としながら修行をしたが、ようやく自分が陽の下へ出た!という達成感があった。

(ちょっと…いやかなり?時間がかかったけど、その分、嬉しい…!)

「う、美味いぞこれ!?」

「普通に育てたものと味が違う!!」

「これなら、お嬢様の言う王室御用達も行けるんじゃ…?」

 エドワーズも農園の主も、口々に称賛の言葉を述べている。

(そうでしょうそうでしょう!聖女印の野菜よ!!)

 今は10歳。しかし学園に行くまでまだ5年もある。

 これでお金を作れば教育も受けさせてもらえるだろう。

「この魔法を定期的に掛けていくわ。光魔法を与えた野菜は、王都で売って頂戴!」

 何事もブランドが大事なのである。

 美味しい野菜を近くの領地で二束三文で売りたくはない。

「よし、明日…いや、今日だ。早速行ってこよう」

 初めは乗り気でなかったエドワーズだが、自分の治める土地での奇跡にようやく重い腰を上げてくれた。

 奇跡の野菜たちを収穫すると、彼は早速王都に向かって旅立つ。

(絶対売れるはず…!)

 そうは思うものの、地味な野菜である。

 エドワーズが帰ってくるまでだいぶ不安な日々を送ったが、毎日畑に光魔法を掛けることは忘れなかった。

 広い範囲を掛け続ければ威力も魔力量も上がるだろうという、ライトノベルによくある、シャルルなりの修行なのである。

 現に今日は見える範囲の畑全てに光魔法を使い、倒れて屋敷に帰ってきた。

(遅いなぁ、お父様)

 まさか売れなかったのか、とも思ってしまう。

 しかし心配は杞憂に終わり、王都から帰還したエドワーズは、大人気だ!どんどん売ろう!とシャルルを抱きしめてくれた。

(えっ)

 パトロンだと思っていたエドワーズに抱きしめられて、少々驚いてしまう。

 が、やる気が出たのは間違いない。自分にしかできないことがあるのだ。

「任せて!お父様!!」

 その日からシャルルの生活は一変した。



「おーい、お嬢様。あまり無理はしないでくれよ」

「大丈夫よ!倒れたら運んで頂戴!」

「いやだから、倒れるまでやらんで下さい…」

 毎日シャルルは領内の畑に魔法を掛けに出かける。

 というのも、光魔法を掛けた野菜が王都で大人気になったためだ。

 男爵領は右肩上がりに儲かり始めたところなので、水を差すことはしたくない。

(レシピは作れなかったけど…)

 料理が不得意なのでレシピ考案などは出来なかったが、公爵令嬢がそれをやってのけた。

 王都では野菜スイーツが流行っているという。

(いいわ、私が作った野菜を存分に買うがいい!!!)

 野菜スイーツが流行るという事は、健康志向になっているという事だ。

 もちろん、野菜たちは貴族たちに飛ぶように売れている。

 その日も畑に魔法をかけ終えて屋敷に戻ると、珍しくエドワーズが出迎えてくれた。

 しかもちょっと心配そうである。

「大丈夫かい?魔力を使い過ぎじゃないかな…」

「大丈夫よ、これくらい。言ったでしょ?聖女にも匹敵する魔力量って」

 王都で持て囃されている”聖女”および”予見の姫”。

 その実態は侯爵令嬢イアンナだ。彼女は自分よりも格段に質の良い魔王の魔力を持っている。

 さすがにシャルルから自分は”聖女”だと、嘘ではないのだが名乗れなくなっていた。

 彼女の言葉にエドワーズは魔力量を測ってくれる。この屋敷に飛び込んで来た時の、計測器だ。

 懐かしいなぁ、とそれを見た。

「そうだね、また増えたかな」

「ええ。修行した成果ね!」

 ふん、と力こぶを作る。

 姿はシャツに吊りズボンでブーツという、貴族の庭師のような出で立ちだ。

 髪は結って麦わら帽子に入れている。

 その姿に苦笑しつつ、エドワーズは切り出す。そろそろ便宜を図っても、とマリーにも言われていたのだ。

「例の教育の件だけど」

 王妃教育のことである。

「ええ」

「野菜を気に入ってくれた、元王宮の侍女をやっていたという人を見つけたよ」

 御年57歳になるご婦人で、とても厳しいという。

 彼女には王宮で働く際に粗相のないように教育してほしい、と伝えてある。王妃になるとは不敬すぎてとても言えない。

 そもそもシャルルは勘違いしているのだ。

 王妃教育というのは、王妃が王太子の婚約者に行うもの。既に公爵令嬢が王城に通い、その教育を受けている。

「やるかね?」

「もちろんよ!これでやっと、王妃になる一歩を踏み出せるわ!!」

「そ、そうか」

(畑で顔に土付けて言う台詞じゃないなぁ)

 しかしエドワーズは、最初は得体が知れず恐れていて彼女が今では、憎めない、と思うようになっていた。

 彼女は夢想家だと思っていたが意外と現実的で、根が真面目なのだ。

 農園では男女構わず話しかけて、人生相談なんかも受けているとか。そこそこ辛辣な言葉が出てくるそうだが、ハッキリしていてわかりやすいと評判だ。

 しかも最近では苦手だった怪我に慣れてきたようで、畑にいる人が怪我をすると、もれなく彼女が治癒を行う。

(自分よりも領主に向いてるかもしれない)

 エドワーズはやる気満々のシャルルを頼もしそうに、笑顔で見つめるのだった。


 …数年後になるが、シャルルは”野菜聖女”と呼ばれて、領民に広く慕われる事になる。


 日々勉強に、畑に、健康的な生活を続ける<ヒカコイ>ヒロイン、シャルル。

 抜けるように白いはずの肌は少し日に焼けていた。

 そして本来のストーリーでは、学園入学の数年前に男爵家に入り、即席で貴族の礼儀作法を習う筈だった。

 7歳から勉強を始め、既に様々な知識と作法を身に着けてしまった彼女に、本来のヒロインが持つ初々しさは欠片もなかった。

 その事に、シャルルは気がついていない。



◆◆◆ サイド:悪役?令嬢

 


「…ずいぶんと、その…お変わりになりましたね…」

 イアンナが首を傾げると、公爵令嬢イザベルも頬に指をあてる。

「そうね、もはや<ヒカコイ>のヒロインではないわね」

 王妃様からお菓子を頂いたから一緒にいただきましょうと誘われて、今日は王都にある公爵家の大きなタウンハウスへお邪魔している。

 もちろんお菓子というのは嘘で、<ヒカコイ>ヒロインであるシャルルの行動の定期連絡だ。

 2人とも12歳になり、より美しさが際立っている。

 10歳の時にデビュタントを経たが、その後は太陽のイザベル、月のイアンナと称されるほどだ。

 しかし家族や友人同士の前での表情は、評価とは真逆の2人である。

「でも、男爵家に元からいるご令嬢が元気で良かったです」

「ヒロインの方はまだ知らないようね。自分の事以外、興味がないのかしら?」

 本物の男爵令嬢は別荘に、ヒロインの母とともに療養中で領主に大切にされているという。

 そしてシャルロッテ、もとい、シャルルは、双子の姉として養子登録をされて、淑女教育が既に始まっていた。

 密偵によると、本人は王妃教育と言っているそうだ。

「あちらも足掻いているのはたしかね」

「ええ、驚くべき行動力です」

 もちろん彼女が7歳の頃から観察は続けている。

 てっきり下町にいると思ったのに、いくら男爵家の血を引いているとはいえ、古着のまま男爵家へ直談判に行っているとは思わなかった。

「貧乏生活が嫌だったのかしら」

「未来を知っていたからでしょうが、それもあると思います…」

 前世の世界がいかに豊かだったかを関係者には話している。

 もちろん貧富の差はあるものの、こちらの貧困層とは比べ物にならない。抜け出したいと思うはずだ。

 7歳で記憶を取り戻したのなら、当然の事なのかもしれないと思った。

「男爵への直談判で、未来が変化したようね」

「ええ。お母様が生きてると知ったら、きっと喜ぶと思います!」

 両手を合わせて喜ぶイアンナの髪飾りが揺れてシャリリ、と音をたてた。

 グレース王妃から直々に贈られたこの世に一つしか無い聖印の髪飾りだ。

 華美なものを好まないイアンナの好みに合わせて、曇り加工をされて穏やかに光るそれを見ながら、イザベルは呟いた。

「………そうかしら」

 そのまま冷たい目を書類に落とす。

 シャルルは、連れていけばいいのに母を置き去りにし、自分だけを売り込みに行った。

 その時におそらく母親がどこに居るか聞き出した男爵が、母親を娘とともに隠して生活させていると思われるのだ。

 屋敷の者がその時の話を聞いた所によると、5年後に自分の母も男爵の娘も死ぬと予言したらしい。

 その為、未だに彼女を信用出来ない者もいて、陰口から情報がやすやすと手に入った。

「まだこの娘は…ゲームの中だと思っているわ」

 そうでなければ死ぬと分かっている母を置いていかないだろう。むしろ助けを求める筈だ。

 説明をすればイアンナはしゅんとなる。

「確かに…」

「皆があなたの様な者ではないということでしょう」

 悪役令嬢が母を助け、ヒロインが母を切り捨てる。

 今のイアンナの立場は自分たちが作り上げたとはいえ、彼女の起こした行動の延長だ。

(聖女はイアンナよ。貴女じゃないわ)

 イザベルはほくそ笑むと、書類の続きを見る。

「バーグ男爵は…ヒロインの話を聞いて、流行病の薬草を念の為育てて、薬としてばら撒いたようよ」

 数年前から撒いていたようで、誰も疑っていない。

 バーグ男爵は中々先見の明があるとイザベルは評価した。

「本当ですか!じゃあ、今流行っている病が…?」

「おそらくそうね」

 イアンナも過去に5年後に国内で病が大流行して、たくさんの人が亡くなると話したのだ。

 そのため王都でも薬の原料となる薬草を取り寄せて、王宮の薬室長兼大神殿治療院の責任者であるオスカーが薬師を募り大量生産した。

 小規模な伝染病は発生したものの、普段の風邪のように薬を処方してもらい完治する者がほとんどだ。

「お風呂も効果があったようね」

「ええ!王太子殿下のお陰です」

 元はイアンナの発言だと言うのに、彼女はてんでその意識がない。

 本人に聞いてみた所、知っていても実行力がない、とのことだった。

(国中に作るのは王の仕事だけども…貴女のどこに実行力がないのかしらね)

 心の内でツッコミを入れつつ、澄ました顔で紅茶を飲む。

「それにしても、お野菜聖女様とは…どうしてお野菜がついたのかしら」

「”お”と”様”はいらないわよ。通称なのだから。…野菜に光魔法を使っているからでしょう」

 2年前から急にバーグ男爵領から品質の良い野菜が出回り始めた。

 自分も食して驚いたが、この定期連絡で希少な光魔法を野菜に使っているという奇天烈な行動をヒロインが行っているとあり、その事にも驚いた。

「いえ、それは解るのですが、ヒロインのメインの力は…治癒と浄化なので…」

 商人の息子が攻略対象の時に起こる、薬草畑復活のミニイベントの力だ。

 聖女として認められたいのなら、治癒や浄化をバンバン使ったほうがアピールになる。

「…報告書にあったわ。怪我を見るのが怖いのですって」

「あら」

 イアンナは思わず口元を抑える。

「5歳まで下町にいたというのに、怪我が駄目というのも不思議ね。だいたい女性だと言うのに」

 イザベルの言葉に、イアンナは前世でもそういった物が苦手な人はいたと説明をする。

 自分の同僚も、会社の健康診断ではいつも青い顔をして採血されていたのを思い出して懐かしくなった。

(きっとそういう人だわ。大変なのね)

 思わず同情してしまうイアンナだ。

「治癒や浄化だと…そうね、怪我人を見ることになるし、アンデッドなんて絶対に見れないでしょうね」

「ええ」

 <ヒカコイ>にはRPGパートもあったが、恐らくこちらは手つかずなのだろう。

 魔王を倒すはずのヒロインのレベルが心配だが、正常に戻った大神殿の孤児院のお陰で王都や周辺に孤児はいない。低所得者層の者や、孤児を養うと国から補助金が出るので、孤児という言葉が死語になりつつある。今では保護児童と言うそうだ。

 そのためか魔王の依代は今の所現れていない。

「もしかしたら、ストーリーが変わって…攻略なんて忘れてしまったのかもしれませんね!」

 イアンナは期待を持つが、イザベルは苦笑した。

「貴女は優しいわねぇ」

 公爵家からも密偵を放っているが、その報告には”幼い頃から自分は王妃になると話していた”とあった。

 自分に対する宣戦布告である。

(ま、貴女には無理でしょうけどね。ヒロインさん)

 攻略対象は軒並み変化しているのだ。やれるものならやってみろ、と思うイザベルだった。

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