第9話 フラグたちの行方

 王宮の王妃の私室で、彼女はいつになく充足した日を迎えていた。

「グレース様、密偵からの報告は良うございましたか?」

 古参の、伯爵令嬢時代から仕えていてくれているメイドが目尻を下げつつ、香り良い紅茶を淹れている。

(本当にお元気になられて…良かった…)

 伏せっていた頃とは比べ物にならないくらいに回復し、元の美しい王妃となった。

 それが嬉しく、誇らしい。

 グレースは美しい紫の瞳を上げる。

 彼女は伯爵家の生まれだが、数代前に王家から王女が降嫁しており隔世遺伝で紫の瞳を持っていた。

 今はそれが第二王子ジョシュアに引き継がれていた。

「ええ。…大神殿は上手く機能しているようよ」

「そうでございますか。まったくあの狸爺どもが居なくなって、清々しますわね」

 メイドの言葉にグレースは苦笑する。

 大神殿が掃討されて以来、あれほど来ていた暗殺者がパタリと途絶えたのだ、そうも言いたくなる。

 大神官は最後まで、拷問を受けても口を割らなかったという。

(それが答えなのだけど…)

 彼らが呪いを放置していたのは掛けた張本人だから、もしくは誰かに依頼したものの神聖魔法も使えない状態なので呪いが掛かっていると分からなかったのでは、と今では考えている。

(恐らく私を害して、アイザックを…国を内側から弱くさせようとしていた…)

 聖王国は国の北側に面している。冬の厳しい国なので、温暖な土地のあるこの国は魅力的に映ったのだろう。

 彼の国のしでかしたことは周辺諸国にもしっかりと伝えてあるので、聖王国の権威が失われるのは秒読みだろうと思われた。

(そもそも厳しい土地で修行をするために人が集まり、興った国ではなかったのかしら)

 聖王国ルーナに派遣していた政府関係者および自国民の者たちは全て退避させた。

 今まで契約もなく昔からの慣例で行われてきた寄付金も廃止し、国交も断絶してある。

 今は国境警備を倍に増やしているが、そもそも武力のない国なのであまり脅威にならなさそうだ、というのがアイザック王と騎士団長ユージンの見解だ。

「そうそう、治療院にね、重傷の母子が運び込まれたらしいの」

「なんと…治療は?」

「もちろん成功したわ。その母子のご主人がね、学園の教師だったそうなの」

「あらまぁ!」

 腹心のメイドには<ヒカコイ>および攻略対象の事を既に話していある。

 彼女はすぐに思い出したようだ。

「家族を亡くし失意のどん底に居る孤独な教師ハロルド…でしたか」

「ええ。大神殿が変わったので、未来も変わったようね」

 馬車で事故にあった平民の母子の治療を神官が法外なお金を請求して突っぱねる…はずだった。

 妻子を救えなかった彼は心を病み、しかし妻の遺言…学園で子供たちを正しく導いて、という言葉により教師を続けるのだ。

 そして悪役令嬢に虐められているヒロインを助けたことで、彼女と共に過去を振り切るため強権を振りかざす貴族に立ち向かって行く。

 このルートの結末は第二王子を味方につける事で、悪役令嬢を断罪し、愛の前に権力が敗れることを伝え、ヒロインは教師と結ばれてささやかな家庭を持つ、というもの。

(王子を味方につけてる時点で、権力を手にしているのに変なシナリオだわ)

 イアンナが言うには、仕事に家庭に疲れた女性が空いた時間にプレイするゲームなので、あまり細かいところは突っ込まないで下さい…との事だった。

 確かにヒロインや攻略対象者の目線なら、苦しい場所から立ち上がり悪を打ちのめす事は爽快だろう。

(どのルートでもイアンナちゃんが悪役なのは解せないわね)

 そして第二王子のジョシュアが、彼のルート以外は捨て駒なのも。

 まったく、とため息をつく。

(母子は回復していると聞いたから…良かったわ)

 その事が街中に伝わり、治療院は徐々に平民にも利用され始めていた。

「という事は、ふらぐ、とやらを折ったのですね?」

「そうなるわ。普通に生活出来ているようですもの、孤独にはならないわね!」

 密偵によれば、幸せな普通の家族、ということだ。

(それは良いのだけど)

 <ヒカコイ>の攻略対象者は皆一様に酷い目にあっている。

 このシナリオを書いた者を説教したい、と思ってしまった。

「後は…商人の息子でしたか」

「ええ。その子も問題ないようよ」

 商家は服飾職人を抱えており、ドレスなど貴族の衣装を専門に扱っている。

 <ヒカコイ>の世界では王妃が逝去し、ファッションリーダーを失った貴族社会が喪に服して買い控えが起こるのだ。そして金策に失敗した商家は裏稼業に手を染め始める。

(おそらくは、以前の体制の大神殿と手を結んでしまったのね)

 そして商人の息子は父と兄が手を黒く染めている事に悩み、学園へ行った際に高位の貴族と会い、打ち明けるかの葛藤を続けヒロインに励まされてとうとう王子へと打ち明ける。

 商家は取り潰しとなるがヒロインと結婚し2人で小さな店を起こす、というストーリーだった。

 しかし自分は生きているから服飾業界も再び景気がよくなり、悪徳神官が居なくなったため裏稼業への悪魔の囁きもない。

 家族仲良く日々、商いに精を出しているという報告だ。

(ウィリアムも、ジョシュアも、ダニエルもジャックも変わった)

 息子であるウィリアムとジョシュアは家族の時間と会話を大事にしつつ、勉強・礼儀作法・鍛錬をこなしている。ウィリアムに至っては、外交官であるイアンナの父、ハッセルバック侯爵に無理を言って国外へ行く際に助手として連れて行ってもらっていた。

 ジョシュアもデビュタントが終わり次第、同じように同行させてもらうつもりだ。

(ハッセルバック侯爵には、特別手当を出さないとね。いえ、いっそのこと格上げをしようかしら…)

 攻略対象たちについて、どこまでやればよいかは誰も分からないが…少なくとも、様々な目は養うことは出来る。

 たった一人の女性の意見に、あっさりと落ちることは無くなっただろう。

(そうそう…ダニエルは本当に変わったわね)

 宰相の息子であるダニエルは、会うと物腰柔らかに、にこやかに挨拶をしてくれるまでになった。

 たまに城内へ来ては大人たちと会話をして、反応を試すようなこともしている。

 父とはまた違った方向の腹黒さになりそう、と心の中で思ってしまった。

 騎士団長の息子、ジャックは元冒険者の母に復帰してもらい、王都の外で鍛錬しているらしい。

 冒険者とのやり取りや、ダンジョンで狩った獲物の売買の交渉などもやらせているとか。

 力だけでなく、頭も鍛えようという訳だ。

 こちらも非常に成長が楽しみである。

(…本当に、本当に、生きてて良かった)

 これで魔王以外の攻略対象者は軒並み、元の攻略内容の性格とは全く異なるようになった。

 ヒロインはおいそれと攻略は出来ないだろう。

 魔王についてはイアンナの話した容姿から、日々、国内での捜索を続けている。

(酷い扱いを受けている子供は賞金ありの通報、保護対象としたし。…見つかれば保護、いないのならそれはそれで良いのかもしれない)

 魔王は一説によると、瘴気がある程度濃くなってから現れるという。

 もしかしたら、大神殿の凶行を止めたことで瘴気が増えなかったのかもしれない、とアルフィは推測していた。

(しばらくは大丈夫そうね)

 ホッと息をついて、書類を卓に置く。

 それをそっと箱に入れながらメイドは呟く。

「全ては、彼の国が画策した事なのでしょうか…」

 乙女ゲームである<ヒカコイ>の攻略対象者たち。

 彼等は全て、大神殿の悪意によって、性格が歪められ形成されていたと言っても過言ではない。

 もはや架空の物語とも言っていられなくなっており、用意されている伝承には、イアンナの告白は予見と位置づけされる事になった。

「…分からないけども、間接的には関係しているのでしょうね」

 王も宰相も既に聖王国ルーナを諸悪の根源と決めつけている。

 だからこそ、国交断絶という非常に重い行動に出たのだ。

「また、同じような事が起きないと良いですが」

 箱を棚にしまいつつメイドは悲しげに言う。

「大丈夫よ!…国内の神殿の長は、持ち回りにすることにしたのよ」

「ええ?」

 これもイアンナの案だ。

 前世の世界で勤めていた商家は大きく、国内に拠点がいくつもあり、財務や仕入れを担う部署の責任者は悪いことをしないようにと、数年ごとに異動されていたという。

 この方式なら、どうせ異動してしまうのだから地域のよからぬ者と癒着しないように出来るだろう、と言われて宰相のディランが黒い笑みを浮かべ、財務大臣のヘルナー侯爵がヒッと叫び声を上げたと聞いた。

「神殿の長というと…ずうっとお爺ちゃんな気がしていましたよ」

「私もよ。今までの私たちでは、全く思いつかないわ」

 事実そうだ。見た目が変わらないので、いつ変わったかもわからないほど似たような老爺が長になっている。

 イアンナからは、長や重要ポストを決める際は出生も関係なく、と注文が入っている。

 貴族が担うとどうしても権力にすがる輩が出てくるからだ。

 宰相はその意見を組み込み、新たな規則の太枠が徐々に出来始めているという。

 異動が辛くなってきた、または一つどころに落ち着きたい人には、神官学校の教師を務めてもらえば、とも意見を貰った。

 アフターフォローもバッチリな7歳の令嬢には驚きを隠せない。

(…ジョシュアのお嫁さんに出来ないのは残念だけども)

 婚約をすれば、<ヒカコイ>の世界と同じ道筋になってしまう。

 それに。

(あの子にはもう騎士がいる。本人は気がついてないようだけども…)

 そういう所は7歳らしい、と思わず微笑んでしまう。

 彼らを守ってあげたいと思う。

 悪意から、不都合のある権力から。

 グレースは手をポンと優しく打ち付けた。

「そうだわ、予見の姫に贈り物をしたいのだけど」

「どのような?」

「金属加工の職人を持っている商家を呼んで頂戴」

「承知しました」

 メイドは頭を下げると自らの執務室へ行き書簡を書き上げて直ちに送り届けてもらう。

(あの子は姫でも聖女でもないと言っていたけれど、もう逃げられないわねぇ)

 大人しく謙虚な令嬢を思い浮かべる。

 彼女はその特異な記憶からか、使用人たちにも気を遣い優しく自然に対応するので、王宮でもすこぶる評判が良く、聖女、もしくは予見の姫としての人気はうなぎ上りだ。

(それに、アイザック様はしつこいですしねぇ)

 アイザック王は一度懐に入れたらとことん守るし、グレース王妃は勘が素晴らしく良くて本人は知らずにやっているが益になる者を逃さない。

 あの鉄面皮な宰相ディランもちょくちょく彼女を城に呼びつけて意見を聞いている。

 まだ7歳なのに、非常に忙しい状況だ。

(今度いらしたら、お土産にお好きなチョコレートをお渡ししようかしら…)

 周りの大人から寄ってたかられている侯爵令嬢に、少々同情するメイドは老舗のスイーツ店にも連絡を入れるのだった。

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