第7話 小さな決意

 その日、イアンナはこっそりと街に来ていた。

 …と言っても侯爵令嬢が一人歩きできるはずもなく、メイドのスザンナとレオと一緒だ。

 当然、護衛が付かず離れずついてきている。

 3人とも質素な衣服に身を包んでいて、イアンナは有名になってきてしまっている珍しい色の髪を帽子に押し込んでいた。

「たくさん物があるのね…」

 イアンナは目を輝かせながらお店を見ている。

 小さな店のショーウィンドウにはたくさんの小物が飾られており…前世で言うとヨーロッパの雑貨屋のようだ。

「ああ。こっちは細かいものが多いんだ」

 食料品以外は、生活用品と雑貨はごちゃまぜ!と笑顔でレオが教えてくれる。

「貴族用のお店とは全く違いますね」

 子爵家出身のスザンナも物珍しいのか、あちらこちらへ目移りしている。

 貴族向けの品物を扱う商店街もあるが、実際は貴族の屋敷に呼ばれた際に品物を見せるため、高価な品物をあまり表に置いていないのだ。

 ウィンドウショッピングなら、平民用の商店街のほうが面白い。

「あ、猫ちゃん」

 前世でも猫好きだったイアンナは通りを行く白猫を見ている。

「屋敷は猫は駄目ですからねぇ」

 屋敷の女主人であるオリビアがアレルギーなのだ。といっても、知り合いの所に子猫が産まれたと聞くとスカーフを巻いて見に行くほど猫は好きなので、同じく猫好きのスザンナは残念でならない。

「猫は温かくていいよな」

「あら、抱っこするの好きなのね?私は見てるだけでもいいわ」

「わたくしは猫じゃらしで遊ぶのが好きでしたわ!」

 スザンナは実家で猫をたくさん飼っていたそうだ。近所では有名な猫屋敷だったそうだ。

(本当にお屋敷だから凄いわよね、この世界…)

 心の中でちょっぴり笑ったイアンナだ。

「おじょ…いえ、アン、何を買いますの?」

 スザンナが言いにくそうに呼び直した。

 町中では本名とお嬢様呼びは駄目だ、とレオが伝えたためだ。

 腐敗した神殿は色々な意味で清掃中で、それに連なる者たちも目下、釣り上げられている。

 まだ良くない輩が、王都以外にも各領地の町に潜んでいる状態なのだ。

「ええと…よくわからないわ。見ないと」

「そりゃそうだ。この通りで買い物したこと無いもんな」

 今日は息抜きのために連れてきたが、どうも良くない感じがするので早々に切り上げて帰ろうとレオは思っていた。

「けっこう人が多いのね?」

 今はまだ通りの端だが、前に行くほど人は多くなっている。

「ああ。…今日は月末だから銀の日って呼ばれてて、給料が出るから露店も多いんだよ」

「銀?金じゃなくて?」

「金の日は、建国記念日のことなんだ。今よりも、もっと…お祭りみたいになる」

「なるほど」

 両方とも貴族にはない概念なので、平民の間で使われている言葉のようだ。

「お…アンは、建国記念の日を略したら駄目ですからね」

 メッという顔をしてスザンナが言う。

「もう、お嬢様でいいんじゃない?」

「駄目ですよ。何があるかわかりませんから!」

「スザンナの言う通りだよ。もう少し行くと人が多いから、アン、手を」

「うん」

 差し出された手を繋ぐと、手のひらがザラザラしている。

「手、痛くない?」

「ん?大丈夫だよ。最初は痛かったけど、だんだん硬くなるって言ってた」

「そうなの…じゃあ治したら駄目なのね」

「ああ。もっと大きくなってこの状態が”普通”になれば、治癒魔法でも元の皮膚に戻らないって言ってた」

「へぇぇぇ」

 確かに、騎士団の人などは剣ダコが無くなるからといって、治癒魔法を受けない訳にはいかない状況もあるだろう。

 毎日頑張っているレオの剣ダコが普通になる日は、そう遠くない気がした。

「あ、あれ!美味いんだ…」

 レオが見ている先は、ウサギの串焼き屋だ。

(ウサギ…でも、実際は大きいのよね…)

 屋敷で出た時もジビエ料理か、と思ったら家畜と言われて驚いた。

 こちらのウサギは中型犬ほどの大きさで手足も長く、耳が四本あるし、小さいが角もある。気性が荒いそれを、家畜化に成功した領地があるのだ。

「レオはよく食べたの?」

「ああ!給料が出たら、真っ先に買いに行ってた」

 小さくても体力のあった自分だ。酷くこき使われて雀の涙ほどの給金だったが、必ず食べに来ていた。

 店主もおまけしてくれていて、コレがあったから、まだ生きてられてたなぁ、と思う。

 イアンナはその複雑な表情を見て、スザンナをチラリと見る。

 彼女が頷いてくれたので、レオの手を引いた。

「ね、買いに行きましょう?」

「…いいのか?」

「ええ!レオが食べてたもの、私も食べたいわ」

 ニコリと笑って言えば、レオが満面の笑みを浮かべる。

(わぁ…太陽みたい)

 名前はレオでなくて、サンでも良かったなぁ、と思ったイアンナだ。

 3人で屋台の前へ行くと、店主が驚いた顔をした。

「まさか…お前…」

 レオもびっくりした顔をしている。掲げられた布看板の色が違ったので、別の店だと思っていたが、過去に自分が通っていた店の店主の顔だ。

 彼が過去の自分の名を呼ぶ前に、レオは口を開いた。

「あ、オレ、今、レオって呼ばれてて…」

 恥ずかしそうにそう言うと、店主が驚いた顔のまま、手を繋いだイアンナと後ろで控えているスザンナを見ているが、すぐに泣き笑いのような顔になった。

「良かった!!」

「えっ」

 店主はエプロンで浮かんだ涙をごしっと拭くと、身を乗り出してレオの頭を撫でた。

「銀の日に待ってたのに来ねぇし、お前が倒れてたのを見た奴がいて…」

「あー…」

 具合が悪くなってその状態なら、家も親もない孤児は漏れなく神の国へいざなわれる。

「馬車で連れてかれたって言うやつもいてなぁ」

「あーー…」

 レオはイアンナと顔を見合わせて苦笑する。

「やだ、誘拐したの?私」

「ちがうちがう。助けられたに決まってんだろ!マジで熱出て野垂れ死ぬところだったんだし」

 二人の様子を見て、店主はホッとした。

(なんだ、随分と可愛い子に拾われたんだな…)

「今は、この子の家で働いてるんだ」

 店主は何かの視線をひしひしと感じ、それ以上は詮索しないことにした。

「そうか。その手ってことは…剣でも握ってんのか?」

 さすが男性向けの客商売だけあって、目ざとい。

「はい。将来は彼女の騎士になります!」

 背後でスザンナが目を見開いていたが、少年の真っ直ぐな目に店主は微笑んだ。

(意味分かってねぇなぁ)

 しかし敬語できちんと話せている。教育もしっかり受けているようだ。

(うん、お嬢ちゃん、お目が高いぜ)

 レオは小さくとも力と体力があり、荷運びの仕事を一生懸命にこなしていた。

 幼子を薄給でこき使っていた雇い主は、つい先日に騎士団に捕まえられていたから、もう二度と彼の前に現れないだろう。

 店主はニカッと笑う。

「じゃあ、しっかり肉食って体作らねぇとな!」

「はい!…え?」

 塊の肉が5個ついた串を3本、差し出してくる。

「ほら、昇進祝いだ」

「いや、今は給料を結構貰ってるから…金は払います」

「いいんだよ。何も出来なかったからな、オレたちは」

「!」

 どうやら気の良い真面目な少年は、色々な人に見守られていたらしい。

 目撃情報が途絶えて相当心配させたようだ。

「あ…ありがとうございます」

「おう!…この先は大変かもしれないが、頑張れよ!」

 店主の真剣な眼差しにレオは内心で首を傾げつつ、大きな声で返した。

「はい!」

 串を分け合って立ち去る三人の背中を見ながら、店主はふぅ、と息を吐いた。

(あの子が…金の少年騎士、か)

 王都で腐敗した神殿、および業者を一斉検挙するキッカケになった聖女がいるという。

 その少女の隣には”金の少年騎士”がいて彼女を護っていると、王都から来た旅人が噂を広めていた。

(まさか、レオだとはな…)

 黄金のような金の髪と聞いてもしや、とは思っていたが、本当にその通りとは驚いた。

 彼を雇っていたのは、良くない噂の絶えない神殿と繋がりのある商会。王都にはもちろん、ハッセルバック領にも支所があった。もちろん手は真っ黒で多数の輩を抱えていたが、先日に騎士団がやってきて一斉に検挙されていた。

(生きていて良かった。…運が良いのか悪いのか、わからん子だ)

 レオたち親子が住んでいた家の家主がまた守銭奴の老人で、一人残ったレオを家賃代わりと言って奴隷のように商会へ売ってしまい、彼を救うには自分たちに力がなかった。

 その近所でも評判が悪かった老人も、先日に病気で亡くなっている。

(これでレオを縛る可能性があるものはない。…あの子も、知らずに親父と同じような名前をつけるなんて、さすが聖女様だ)

 少女の割に落ち着いた目線でレオと自分を観察していた。

 場が湿っぽくならないように、冗談を笑いながら言ってのけた。

 そして複数の強い視線を受けて「これは本物だ」と確信したのだ。

(これでユミールと、レオンも浮かばれるな)

 店主は空に一度だけ目線を動かし、胸に手を添えて祈る。

 願わくば、”レオ”の行く先にはもう困難があまりありませんように、と。


◇◇◇


「美味しいわ、これ」

 イアンナは醤油っぽいタレだ、と思う。焼き鳥に近い味で非常に懐かしい。

「だろ?」

 街では食べ歩きするほうがマナーだ!というレオの言葉の元、イアンナはお肉を頬張った。

 自分は前世の記憶があるから出来るけども、と背後を見ると、スザンナも意外や意外、お肉を頬張っていた。

 猫屋敷の元住民は、なかなかワイルドなようだ。

「このタレは絶品ですね。…仕入先を店主にお聞きすれば良かったです」

「スザンナ、それなら知ってるよ。ミカサ商店ってところ」

 他国の輸入品を取り扱っているお店で、この国にはない調味料があり人気だという。

「わかりましたわ。屋敷へ戻ったらぜひ執事とシェフに伝えましょう!」

 その言葉にイアンナも内心喜んだ。

(ミカサって日本ぽい名前ね。みたらし団子とか作れるかな…あ、お店にあんこ…小豆もあるかしら??)

 団子ならぺろりと食べられるが、お肉が5個というのは多すぎた。2つ食べて残りはレオに食べてもらう。

 なお、スザンナは見た目の細さに関わらず、全て食べきっていた。

「串は?」

「ええと…必ず角にゴミ箱があるんだ」

 この町は碁盤の目のように整えられている。角には必ず大きなゴミ箱が設置されていて、住民の美化意識も高い。

(さすが父様だわ!)

 一説によると「王都よりも住みやすい」と言われているそうだ。

(王都は…仕方ないわよね、あれじゃあ)

 諸悪の根源である神殿が粛清されたから、きっとこれから住みよい町になるだろう。

「このあとはどうしましょうか?」

「うーん、早めに帰った方がいいかも。人が多すぎる」

 スザンナの問いに答えてレオがイアンナを見ると、彼女はちょうどお店のショーウインドウを見ていた。

 ブティックのようだ。

(ドレスはあんまり着たがらないのに珍しい)

 子供から大人まで幅が広そうな、女性向けの可愛らしい衣服が飾ってある。

「ここ、入ろうか」

「えっ!?…ううん、今度でいいわ。帰りましょうか」

 慌てて言うその姿にスザンナは微笑んだ。

 彼女もまた、イアンナが興味を持つのが珍しいと思ったようだ。

「ここに寄って、帰りましょう」

「…ありがとう」

 イアンナの照れ笑いに、スザンナもレオも心の中で可愛い!と叫んだ。

 お店の中へ入ると、店主が出迎えてくれる。

 ピンクの髪をしたリスの獣人のようだ。

「いらっしゃいませー!どうも、店主のルカです!」

「は、はじめまして」

 フワフワの尻尾につい見惚れてしまうと、彼女は気が付いたようだ。

「あ、これ?ここらへんじゃリスの獣人は珍しいかしらん?」

「はい。初めて見ました」

「オレも!」

「わたくしもですね」

 ルカはアハッと無邪気に笑う。

「お触りは厳禁だけど、見るのはタダだからね!」

(やっぱり駄目なのね…)

 残念そうに思いつつ、イアンナは目についた服のコーナーへと移動した。

(やっぱり可愛いわ〜このお店。店主が可愛いからかしら?) 

 前世もそうだったが、今の自分も可愛いものが大好きなのだ。

 だが、吊り目黒髪では中々似合うものがなく、せっかく異世界に転生したというのにパステルカラーの衣服や小物は諦めている。

 イアンナの手元をスザンナが覗き込んだ。

「あら、ボレロですね」

 胸の下までの丈の短い上着で、半袖と長袖がある。

 その中からイアンナは袖の先が魔法使いのローブのように幅広になっている、黒いボレロを手に取った。

(あ…やっぱり見間違いじゃなかった。黒で可愛いものって珍しい)

「それは特別なフード付きですよぉ!お目が高い!」

 少し離れたところから見ていたルカが補足をすると、レオが首を傾げる。

「フード?」

「ええ。これ、試着していいですか?」

「どうぞどうぞ!」

 着ていた薄手のコートを脱ぎ、紺色のワンピース姿になるとボレロを羽織る。

 帽子も外すとレオへ預けてフードを被った。

「!!」

「猫!?」

 スザンナもレオも、驚いた顔をしつつ笑顔になっている。

 フードには可愛らしいフワフワの猫耳がついていたのだ。

 異世界でもこんな服は珍しいらしい。

「二人とも…猫が好きみたいだから…」

 適当に理由をつけてアラサーを意識しないように、なんとか踏ん張るとボレロの前を止める。

 首下で結ぶようになっている金色のリボンを結ぶと、ちょうど金色の鈴が前に来るようになっていた。

 鈴は中の球が除かれているようで音はしない。

「うーん…」

「……」

 レオが唸り、スザンナは黙っている。

「や、やっぱりやめるわね」

 自分の姿に似合わなかったか、と慌てて脱ごうとするとスザンナが止める。

「非常に似合ってらっしゃいます!…ですが、お色が違いますね」

「うんうん。アンは、白いほうがいいよ。黒髪が映える」

 二人に強制的に着せ替えられて、白猫になったイアンナは顔が赤いままだ。

「うん、こっちだな!」

「赤いリボンがとても良いです」

 しかし上機嫌の二人を見て、今度はレオに黒いボレロを進める。

「え、オレ!?」

「きっと似合うと思うの」

 こういう恥ずかしいのは、分け合ったほうがいい。

「そうですわね。大人になればサイズがないでしょうし…着ましょうね」

 スザンナに迫られて渋々レオもボレロを羽織る。

「黒に金の髪が映えるわね!」

「ええ、これはぜひ購入して旦那様と奥様にも見せなければ!」

「げっ」

 スザンナはルカを呼び寄せると、すぐに購入を申し出て包装してもらうように頼んだ。

 包装を待っている間、イアンナは何気なく言う。

「猫耳フードがあるなら…猫の手の手袋はあるのかしら?」

 すると服を入れた袋を持ってきたルカが食いつく。

「今なんて言いました!?」

「て、手袋ですけど…猫の手の」

 日本で見たことのある、肉球付きの手袋を説明するとルカの顔が輝く。

「それはいいですね!…これ、自信作なのに中々売れなくって。もう少し気軽につけられるのを同じラインで用意すれば…」

 何やらブツブツ言っている。

(可愛いのに売れないと、せっかく作ったのに悲しいものね)

 そう考えたイアンナは、同じものを一セット買いこちらは包装しないでいいと告げた。

「これを?どうするんだ?」

「着て帰りましょう。はいレオ」

「え」

 ボレロを渡されたレオが固まる。

「なるほど、それは良い宣伝ですね」

 二人はボレロを羽織るとルカへ手袋ができたら教えてもらうように頼み、店の外へ出る。

 猫耳フードを被った可愛らしい二人が出てきたものだから、一斉に視線を浴びてレオはイアンナの手を繋いでいない方の手でフードを引っ張った。

「うう…」

「恥ずかしいのは、私もよ。開き直りましょう」

 こんな可愛らしい服は大人になったら着れない。

 しかもレオとお揃いだ。サイズが合わなくなっても、一生大事にしようと思っている。

「お二人とも可愛らしいわぁ。やっぱり猫はいいですわ…」

 スザンナは実家の猫たちを思い出したらしく、ニコニコと猫を愛でるように二人を見ている。

 そのまま徒歩で馬車を停めてある小さな家まで行き屋敷へと戻ると、領地へ戻っていたゴードと玄関で鉢合わせになる。

「な、なんだその服は!?」

「街のブティックで見つけましたの。どうかしら…」

 逃げかけたレオの手を掴んでドキドキしながら言うと、ゴードは走り寄ってイアンナとレオを纏めてぎゅう、と抱き締めた。

「二人ともとても似合っているぞ!…これはいい」

 すると玄関での騒ぎを聞きつけた母オリビアと兄デリクもやって来て、二人の姿を絶賛した。

「デリク勘弁してくれ…」

「まぁまぁいいじゃないか。こんなの年取ると着れないぞ?」

「いや、お前と3つしか違わないじゃないか…」

 レオはそろそろ脱ぎたいと思っていたが、イアンナとお揃い、という絶好のシチュエーションに中々脱げないでいた。

 イアンナの方はオリビアに質問されている。

「これはどこで?」

「ルカさんというリス獣人のお店です。他にも可愛いものがたくさんあって」

「すぐに手配をしなければ!」

「えっなんの?」

「冬用のコートをこのお耳がついたものにしましょう!」

「えっ」

 今は春先だ。冬というのは半年以上先のことだ。

「いっそ、投資というのもアリね」

「ええ、奥様。この服を着て町中を歩きましたから」

「なるほど。ではすぐに手配を」

 端に控えてニコニコと様子を見ていた執事のロベルトが頷き、サッと屋敷へ入って行く。

「ええと?」

「…お店を護るのと、投資をしてルカさんとお針子さんたちにもっと可愛いものを作ってもらうのよ」

(へぇぇぇ)

 こうやって貴族は領内の売上をアップさせて税収を多くするんだな、とイアンナは感心した。

「あとはすぐに画家を呼びましょう」

「はい?」

 カタログでも作るのかと思ったら、オリビアは拳を握って声高らかに言う。

「この姿の二人の絵を描いてもらうのよ!」

 オリビアの発言にゴードも「それはいい」と賛同し、デリクはレオの肩を叩きながら苦笑した。

 その後はすぐに専属の画家が呼ばれて、猫耳ボレロを身に着けたままイアンナが椅子に座りレオが傍らに立つという、非常に愛らしい肖像画が出来上がったのだった。


◇◇◇


「旦那様、レオが参りました」

 夜に少し執務室へ寄って欲しいと言われていたレオは、ゴードの執務室をノックした。

 こういう時は雇われの身として、いつも緊張する。

「入っていいぞ。…雇用の話じゃない。そう、緊張するな」

 レオの考えが分かっているゴードは穏やかに微笑みつつ、机の前まで来たレオに伝える。

「お前の、伯爵家への養子縁組が完了した」

「えっ!?」

 驚いてつい声を上げてしまうと、ゴードはニコリと笑う。

「今日出かけていたのはその件でな。…お前は、庭師のままで終わるつもりはないだろう?」

「!…はい」

 当然だ。ずっとイアンナの隣に居たいと思っている。

 しかし結婚したいと思っていても、どうやって成せば良いかは分かっていない。

「ジョシュア殿下の婚約者候補筆頭は既に解除されている。そして、例の一件でイアンナへの求婚が嫌になるほど届き始めた」

「……」

 子供らしくムスッとした顔になるレオを見てゴードは笑う。

「もちろん、今まで表立って言われてはいないが、影であの子の事を悪く言っていた奴らに大事な娘をやるつもりはない」

 聖女だと呼ばれ始めた娘に群がる者を、いちいち精査などしてられない。

 すぐにでも追い払ってしまいたいが、理由がいる。

「そこで、だ。お前をうちと血の繋がりのある伯爵家へ養子縁組することにした」

「…ええと…」

 首を傾げたレオにゴードは告げる。

「私は、お前を信用している。あの子を護れる能力も含めてだ」

「ありがとうございます」

 まだよく分かっていない風のレオに、ゴードはハッキリと言った。

「…イアンナの婚約者になるための、養子縁組だよ」

「!!!」

 やっと理解したのか、レオの美しい青の目が見開かれる。

「い、いいのですか?オレなんかで…」

 貴族の血の繋がりもない普通の平民出身だ。

「なんだ、あの子の騎士になると散々言っているくせに」

「え?」

 意味を知らなかったのかとその台詞の本意を教えてやれば、彼の顔は真っ赤になった。

「だが、そのつもりだったんだろう?」

「……はい」

 彼女を護るのも、一生側に居るのも、自分以外想像が出来ない。

「私もレオ以外があの子の側に居るというのが、想像出来なくてな」

 ゴードは腕を組む。

(なぜかはわからないが、二人で一つという不思議な感覚がする。傍らに居て当然のような…)

 イアンナの危機が分かる、瘴気が見えるというのも二人の縁組に一役買っていた。

 今日の街の散策でも、瘴気が多い方へは行かないように誘導してくれていたとスザンナから聞いたのだ。

 王都ほどではないがこの穏やかな領地でも瘴気があると聞き、妻とともに危機感を覚えている。

「本当に、ありがとうございます!」

 腰を折った礼にゴードは若干目をそらす。ここからは、少々自分の我儘だ。妻にも呆れられている。

「…結婚後は、この屋敷に住むように」

「えっ!いいんですか!?」

「えっ?良いのか?」

「はい!!」

 公爵家はデリクが継ぐのだから、もしイアンナと結婚できても追い出されるのだと思っていた。

 自分で言っておいてゴードは心配になる。

「婿入りと聞くと普通は嫌がるものだが…大丈夫か?」

「もちろんです!」

 デリクとは仲が良いし、屋敷の人とも普通に話せる。

 自分はいいがイアンナを外に連れ出すのは違和感があるし、危険がないかものすごく心配だったのだ。

 この屋敷に居れば彼女を護ってくれる人も多いし、自分もデリクの手伝いが出来る。

 唯一の難点だった部分が解消されて、二人はともに視線を合わせて笑った。

「良かった。…では、よろしく頼んだぞ」

 レオは身を正して宣言する。

「はい!伯爵家の…ゆくゆくは侯爵家の一員となり、その名を汚さないように致します。そしてオレ…いや、私は、イアンナを生涯かけて護ります」

 蒼穹のような真っ直ぐな青い目を向けてきた小さな騎士に、ゴードは満足して頷いたのだった。

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