第6話 疑惑のフラグ サイド:ヒロイン

「えっ!テオドール伯爵家が没落…?」

 シャルルは思わず紅茶を飲む手を止めた。

「そうなのよ」

「令息と令嬢は王都から遠く離れた、辺鄙な場所にある修道院へ送られたそうよ」

「怖いわねぇ。私のお母様はそんな事しないでしょうけど」

 令嬢たちが未亡人のしでかした事と、その子供たちの行く末について適当なことを話している。

 シャルルは思わず呟いた。

「いったい誰が…?」

 同じ男爵令嬢のメラニーがスコーンをつまみながら言う。

「上位貴族に対して悪い事を企んだそうで、騎士団に捕まったって言ってたわよ」

「きっと、侯爵夫人を亡き者にして後妻になり、自分の子供達を跡取りにしようとしたのよ!」

(おう、すごい。当たってる)

「そうそう!大捕物で見物してた方も多かったのですって」

 いつの世も、世界が変わってもゴシップというのは人々の好物らしい。

 自分の推理も織り交ぜて令嬢達は話している。

(そう、フラグを折ったのね。という事は、悪役令嬢は転生者?)

 ならば学園へ行っても自分を虐めないだろう。

 そうなったら悪役令嬢は無視して、普通に攻略対象を攻略するだけである。

 第二王子は裏ルート攻略のため、申し訳ないがかっさらうけども。

 しかも自分の目指すルートでは確実に死ぬ。

 だがこれも裏ルートも完全攻略し、国へさらなる繁栄をもたらすためなのだ。

(だから、ごめんね悪役令嬢)

 すべてが終わったら、名誉回復してキチンと弔うつもりだ。

「そうだ、お父様から聞いたのだけど、王妃様が病を克服したそうなの!」

(なぬ!?)

「まぁ、そうなの!良かったわぁ」

「ええ。私たちのデビュタントに間に合って良かった」

 悪気なく三年後の社交界デビューに思いを馳せる少女たち。

 それは不敬じゃないのか、とシャルルは思いつつ冷や汗をかいていた。

(王妃も亡くならない…てことは、王子の攻略方法が変わるかも知れない)

 どうせ死ぬ運命だというのに悪役令嬢め、余計なことをしてくれる。

 継母の来訪を阻止をしたなら、あとは学園まで束の間の幸せを噛み締めて大人しくしていればいいものを、と心の中で呪詛を吐く。

 その後のお茶会は特に有用な情報もなく、お開きになった。

 屋敷へ戻り自室へ入りながらシャルルは考え込む。

 王妃の病、いや呪いを解くには城に行く必要がある事に気がついたからだ。

(転生者は、悪役の侯爵令嬢じゃないのかも?)

 彼女もデビュタント前だ。おいそれと城に招かれる理由がない。

 侯爵である父親に王妃様は呪われてます、なんて言った所で本気にしてもらえないだろう。

(それなら、公爵令嬢のほうかしら。それならどちらにも手が届く)

 王太子の婚約者なのだから王妃にも、格下の侯爵家にも。

「むぅぅ…詰んだ?」

 部屋に戻り、柔らかいベッドへダイブする。

 そのままごろりと横になり、天蓋の天井にいる天使を見つめた。 

(まったくゲーム通りって事には…ならなさそうね)

 ゲームではヒロイン以下、攻略に関係する者しか出てこないが、現実の王国にはそれ以外にもたくさんの人が居る。皆、意思を持ち生活している。

 大勢のモブがいる中、誰が転生者か?というのは全くもって分からなかった。

(しくった。もっと爵位が上の家に売り込むんだった…)

 バーグ家は男爵だ。貴族の中でも下の位。質の高い情報がすぐに手に入ってこない。

 先程の伯爵家没落と王妃回復の話も、伯爵家の令嬢が友人にいる、子爵家の令嬢だからこそ手に入った情報なのだ。

(エドワーズ…じゃない、お父様も中々帰ってこないし!)

 当たり前だがバーグ家当主のエドワーズとて仕事がある。領地と王都を行ったり来たりしていて中々屋敷には戻ってこなかった。

 仕事内容については特に興味がなく、聞いていない。

 仕事のない世界に来たのに、仕事の話をするのが嫌だったからだ。

(だいたい今は7歳だし)

 やってる事が既に7歳の範疇を越えている事に、彼女は気がついていない。

(ええと…明日は礼儀作法の先生が来るし、今日は世界史の復習をしよう)

 シャルルはベッドから立ち上がると、夕食までの時間を勉強に充てることにした。

 将来、王妃になるための勉強と礼儀作法である。

 デビュタント前だが母がいないため、父に言ってコネを使いお茶会を開いて令嬢を招き、人脈も築こうとしていた。

 メイドや使用人からは「シャルロッテお嬢様と違って逞しい」と言われるほどだ。

 もちろん、彼らに嫌われないように優しく子供らしく接するように心がけている。

 なお、ゲームでは本物の令嬢の死後にすり替わっていて、一部の使用人しか本当のことを知らないのだが、エドワーズは屋敷の全員に彼女を紹介した。

(私も演技しなくていいから助かったわ)

 シャルロッテはやはり調子が悪いらしく、父曰く、少し療養させているから会うのは後で、と言われている。

 正妻を流行り病で亡くしているから、下町上がりの子供を病弱な娘に会わせるのに躊躇しているらしい。

(そこは仕方ないし、だいたい7歳と話が合うはずもない…ってかこの世界の本当の知識じゃ負ける)

 シャルロッテは本の虫なので、非常に頭が良い。

 その点も、話がしたくないポイントでもあった。

「勉強しなくちゃ…」

 世界史の本を取ろうとして、その横に魔術の本があることに気がつく。

(忘れてた)

 光魔法がある!と啖呵を切ったので、おそらくエドワーズが用意させたのだ。

 しかし魔法が使えると言ったくせに、魔術はほとんど鍛えてない。

 包丁で切った程度の傷が治る治癒魔法しか使えないのだ。塵も積もれば山となる精神で、使用人たちには治癒魔法をガンガン使っている。が、攻撃魔法と浄化魔法はほぼ使えないも同然。

「ムリムリ。怖いし。よく戦えるよね、あんなのと」

 傷を癒し、瘴気で魔物化した動物や人を浄化出来るのが聖女だが、この世界で数回、魔物を見た彼女はその力を鍛えるのを止めた。

 魔物ががとてつもなく恐ろしいからである。

 ゲーム中に表示される可愛らしいアイコンなどではないのだ。

 目を吊り上げ、牙をむき出し、涎を垂らしながら、こちらを殺しに来るあの気迫を遠くで見るだけでも気絶しそうになった。

 だいたい自分はホラー映画もそうだが、恐竜映画も苦手で見れない。某夢の国の水路を伝って回るアトラクションすらも怖い。

(大丈夫大丈夫。チート知識で勝負さ!)

 攻略内容はすべて頭の中に入っている。ゲームもそうだがファンブックなどにも無駄に課金したわけではないのだ。

(待っててね!私の魔王様〜)

 ぐふふ、と可愛らしい顔とはおよそ無縁の笑い声を漏らすと、シャルルは勉強に没頭しだした。


◆◆◆


 バーグ家当主ことエドワーズは、街の郊外にある泉のほとりに建てられた別荘を訪れていた。

 森に囲まれたこの別荘は、祖父が祖母の療養のために造らせたもので今は格好の隠れ家になっている。

「鳥は見つかったかい?」

「いえ、全く。影も見えませんよ」

 門番に気さくに声をかけながら、中へ入る。

(良かった…シャルルはここに全く気が付いていないようだな)

 賢く強かな娘である。

 見つかると何が起きるかわからないので、彼女には秘密にしているのだ。

 そのまま泉の脇にある歩道を歩いて行くと、白い二階建てのこぢんまりとした家の中へ入る。

 玄関の横にあるコート掛けにコートを引っ掛けていると、エドワーズに気が付いた女性が慌ててやって来た。

 質素なレモン色のドレスを身に纏っている。

「エドワーズ様!先触れを出して下さいな。何も用意していませんのに…」

 少しむくれたように言うその美しい女性の、銀髪を撫でると紫の瞳を覗き込む。

「君がいれば、何もなくていいよ」

「もう!シャルロッテ様もいるでしょう?」

「マリー、何度も言うようだけれど、様はいらない。私は君の夫で、あの子は君の娘の一人だ」

 そうだけれど癖が抜けないのよ、とボヤくマリーをエドワーズは抱きしめる。

「やっと…君を独り占めできる」

「何をおっしゃいますの!私の心はいつでもエドワーズさ…エディのものよ」

 秘密の愛称を少し照れながら言う妻の額にキスを落とすと、二人は揃ってリビングへ行く。

「お父様、お帰りなさい」

「ああ、シャルロッテ。元気そうで良かった」

 あの元妻から生まれてきたとは到底思えない、華奢で可愛らしい少女だ。

 空色の目以外はシャルルにそっくりだが、彼女に野心は露ほどもない。

「マリー母様がマドレーヌを焼いてくれたの」

 嬉しそうに差し出す甘い香りのおやつを一ついただくと、ほのかに蜂蜜の味がした。

 マリーがバーグ家に仕えていた際に、よく執務の休憩用に焼いてくれていたものだ。

 懐かしさに涙が出そうになる。

「美味しいよ。変わっていないね」

「良かったわ。今度はシャーリーと作ろうと思うの」

 シャーリーとはシャルロッテの愛称だ。元の愛称はシャルルだったが、押しかけてきたシャルロッテの名をシャルルに変える為、彼女は愛称を譲った。

「そんなに体調が良いのかい?」

 エドワーズは驚く。

 いつもベッドに寝ていて、調子が良いと思ってもすぐに貧血を起こして倒れてしまうのに。

 今は図書室から分厚い本を抱えて歩き、ソファに普通に座ることが出来ている。

「ええ、お父様。マリー母様が作る料理はとても美味しくて…わたくしでも食べられるの」

 以前は屋敷の離れで生活していたが、彼女が食べるものは生みの親である母親ミラが管理していた。

 それは精がつく物ばかりで、病人には食べ辛く、彼女は大半を残していたのだ。

 今はマリーが下町で知恵袋的なお婆ちゃんに教わった、弱った胃に優しい薄味の食事を作っている。

「やはり君は素晴らしいな!」

「褒め過ぎよエドワーズ…普通の事なのよ」

 困ったように言うマリーを、父子は嬉しそうに見つめる。

 エドワーズはもちろん、シャルロッテも数ヶ月に一度しか自分に会いに来なかった母親よりも、毎日、惜しみない愛情を注いでくれているマリーが本当の母親なのでは?と錯覚するようになっていた。

 なお、実際は錯覚ではなく正式に届け出ているため、マリーとエドワーズは夫婦であり、シャルロッテとシャルルはその子供で姉妹となっていた。

 エドワーズの独断と偏見により、同い年だがシャルルが姉でシャルロッテが妹だ。

「そのうち、わたくしもお姉様に会える?」

 自分がやらなくてはならない貴族としての様々な事を、全て肩代わりしてくれていると感じているシャルロッテが聞く。

「ああ、そうだね。落ち着いたらな。あの子は勉強で忙しいから」

 それは半分本当で、半分は嘘だ。

 シャルルの真の目的がまだ何かわからないため、マリーとシャルロッテを危険に晒したくないエドワーズが会わせないようにしているだけだ。

「そんなに勉強をしているの?」

「そうだよ。先生も雇っているし、お茶会も開くほどだよ」

「まぁ…!」

 お茶会と聞いて母であるマリーも驚く。

 たしかにシャルルは昔から社交的で、自分が中々入り込めなかった近所の人とも気がついたら打ち解けていて、生活がずいぶんと楽になったのだ。

「勉強したかったのね…申し訳なかったわ」

 女の子にしては珍しいかもしれないが、幼い頃よりその片鱗はあった。

 国の歴史や領内の事について何度も尋ねられて、元商家の娘として教養はそれなりにあったのだが、答えられない質問もされていたからだ。

「大丈夫だよ、マリー。あの子は今、猛烈に勉強を…好きな事をしているんだから」

「そうね…邪魔したら悪いわね」

「ああ。しばらくはこちらで、二人とも回復に専念してほしい」

 エドワーズの言葉に2人は頷いた。

 顔色は良くなったとは言え、まだマリーもシャルロッテも肉付きが良くない。

 エドワーズはその事を心配して、5年後に流行るという病に耐えられないかもしれないと思い、せっせと食材をこの家へ回しているのだ。

(病…おそらく、3年前に王都で流行りミラがかかったものだ)

 前妻のミラは社交界が好きでしょっちゅう王都へ赴いていた。そのせいで流行病に掛かり、王都の別宅で息を引き取っている。

(シャルルの言うことを全て信じたわけではないが…)

 その特効薬の元になる薬草は領内にある薬草園に取り寄せてある。3年前は数が足りずに多数の死者を出してしまったが、量産して薬の状態にして今から常備薬として売り込んでおけば、実際に流行った時に疑われることもないし、大勢の人が助かるだろう。

 そう、バーグ男爵家は農地と薬草園を王家より託されているのだ。

 技術もある上、元は育てやすい薬草だし、特定の病以外にも解熱・鎮痛剤としても使えるので、懐はあまり痛まない。

(必ず、2人を助ける。私が守らねば…)

 その晩は慎ましやかな隠れ家に泊まり、翌日、エドワーズはしぶしぶと本宅へ戻っていったのだった。


◆◆◆


「シャルル、今度…非公式なのだが、貴族の子供たちが王宮に集まるパーティがある。出席するかい?」

(キタァァァァァァァァ!!!!)

 内心ガッツポーズを取りつつ、シャルルは澄ました顔で応えた。

「はい、お父様。それはどのようなパーティなのですか?」

 デビュタント前なのに貴族の子供を集めるのはちょっとおかしい。

 知っててシャルルは聞いてみた。

「ああ…どうやら、王子様方が出席なさるそうなんだ。大勢の子供と遊ばせてみて、気があった者たちが選ばれるというか…便宜が図られる」

 パーティの目的は、デビュタント前の無印な子供たちを集めて、特性を見ようと言うものだ。

 真の目的は、エドワーズが言う通り、王子様と気の合う子供を見極めること。

(ちゃんと本当の意味を持ってきてるじゃない)

 もしかしたら、暗黙の了解なのかもしれないが。

「シャルロッテは?」

 この催しに出るのは、本来は病弱なシャルロッテだ。ゲームの中での自分は、まだ下町に居る。

「ああ、体調は良いが、大事を取って休むそうだよ」

「そう、なら仕方ないわね。無理してもしょうがないし」

(シャルルが二人も居たらイベントがおかしくなるしね!)

 シャルルは内心そう思っていたが、そうとは知らないエドワーズは"妹を気遣う素振り"として受け取った。

(悪い子ではない)

 シャルルのほうが愛するマリーとの間に出来た子だと言うのに、性格的には前妻のミラに似ている。

 逆にシャルロッテの方がマリーに似ていて、子供が取り換えられたのかとも考えたほど。

(いや、でも…下町で生まれて生きていたのだから、仕方のないことだ)

 マリーはともかく、シャルルは貴族社会を知らない。

 グイグイ来るのは加減を知らないからだ、と思うことにした。

「では出席で返事を出しておくよ。1ヶ月後だから、ドレスも作ろうか」

「!…ありがとうございます」

 ドレスを作る事はやっぱり嬉しいようだ。普段は澄ましているが、少し顔がニヤけていた。

(この子も普通の女の子なんだな…)

 つい微笑みが漏れた。

 ドレスは家令と相談して好きに作っていいよと伝えて、エドワーズは仕事で王都へ赴いて行った。

 自室に戻ったシャルルは、ニマァ、と顔が崩れる。かなりテンションが上がっていた。

(ドレス…何色にしちゃう?白?それとも銀色??)

 素直に喜べばいいのに感情をつい抑えてしまうのは、前世からの癖で仕方がないのだ。

(それと、魔王様ルート前の、王太子フラグたてないと…)

 逆ハーレムを達成できたとしても、あるイベントを起こしていないと王太子ルートが発生しない。

 それがヒロインではなく、よく似たシャルロッテを操作して行う幕間的なポイントなのだから制作側も意地が悪い。

 気付いた時はもう遅く、ストーリーとしては序盤過ぎるので、また戻ってプレイし直すのもキツイのだ。

(シャルロッテはすんごい頭がいいのよね)

 王太子の婚約者である公爵令嬢とは違い、とても控えめで謙虚な態度。美貌と知性も負けていない。

 選択肢とミニゲームを間違えなければ、王太子はシャルロッテに庇護欲を持ち、離れているバーグ男爵家の令嬢を気にし出す。

(ま、5年後に入れ替わってるけどね!)

 ネットでも「別人じゃん!」と、そのイベントに対してプチ炎上していたが、確かに、それ以降は学園入学まで全く会わないのだ。

 実はヒロインが正妻の娘で、病弱な方が愛妾の娘なんじゃ?などと様々な憶測が流れたが、制作側はそれを否定して「子供の頃の記憶ですから」という”仕様です”的な有無を言わさないコメントを発表して決着がついていた。

(悪役令嬢は…来ないよね。敵は公爵令嬢だけだといいけど)

 ゲーム中では、侯爵家のイアンナは継母に絶賛虐められ中のタイミングなので、出席はしない。

 現実は違う事に不安を覚えるが、公爵令嬢が転生者ならイアンナと自分を会わせないようにする筈だ。

(なにせ、魔王の核があるし…どうせヒロインの事を疑ってるでしょ。城で暴露されたくないハズだ)

 よって、ここで対峙するのは、公爵家の令嬢だけだと思われた。

(あっちは8歳でこっちは35歳よ、ヨユーでしょ!)

 しかし本物の令嬢は格が違う事を、シャルルは身を以て体感する事になる。



(うっっ…負けた……)

 公爵令嬢を一目見て抱いた感想だ。

 濃い金色の艷やかな美しい金髪を結い上げ、宝石のついた赤いドレスを身に纏った彼女は正に未来の王妃、という雰囲気を醸し出していた。

(化粧もしてないのに、なんなん?人間なの?)

 もちろん人間だ。

 王族の次に位置する位で、王族に何かあった際にはその跡を引き継ぐという貴族が纏う、責任と圧というものを7歳にして既に理解し身につけている。

 王妃教育も受けているのだろう、その所作には隙がない。

(でも、私はアナタを蹴落とせるのよ)

 シャルルはこっそりと口角をあげてニヤリと笑った。

 前世の知識はチートだ。魔王も籠絡する事が出来るほどの。

(……)

 その薄暗い笑みを、公爵令嬢イザベルは見て見ぬ振りをした。

(嘲笑う目ね)

 少し離れた場所で同じくその黒い微笑みを見てしまった王太子は、ヒィと情けない声を上げていた。

 公爵令嬢は皆の前で挨拶をしたあと、すぐにその場を離れた男爵令嬢を観察する。

(まったくもって健康体ね。こちらが例のヒロインとやらだわ)

 血色もよく肉付きもいい。

 急遽場所を変更して、門からパーティ会場を設置した中庭までかなり長い距離を歩かせたが、息切れもしていない。

 そして周囲の者たちにやたらと家名を連呼していた。

(しかも、バーグ男爵家に娘が一人しかいないような振る舞いだわ。確定かしら)

 本日欠席のイアンナは、ヒロインも転生者の可能性があると言い、重要なフラグがあるのでもしかしたらパーティに出てくるかも、と言っていたがビンゴだ。

 既に入れ替わっているという事は、元の令嬢がどうなったのか少々気になる。

 もし危険な状態ならば保護しなければならない。

(後でお父様に報告ね…)

 もちろん、父である宰相も一連のことを把握しており、このパーティにも一枚噛んでいて会場を変更させたりしてた。

 娘と家と、ついでに王族を護るため、絶対にヒロインの好きにさせないと言い切っていた。

(後はイベントとやらね)

 全てを話してくれた侯爵令嬢イアンナの身を危険に晒さないためにも、まだ乙女ゲームのシナリオ通りに話が進んでいるとヒロインに錯覚させるため、茶番だがイベントを演じる事になっていた。

 遠くで小さなメモを確認していた王太子ウィリアムは、この後に演じなければいけない役を呪いつつ、男爵令嬢をチラリと見ていた。

(アレのどこが、引っ込み思案で、清純で素直で、頑張り屋なヒロイン…?)

 周囲の子供たち…しかも位が上の子息・令嬢を捕まえては自分を売り込んでいる。

 ある意味、頑張り屋なのかもしれないが、欲望という名のドロドロとしたオーラが見えるようだった。

 それに少しでも怯まなかったイザベルを見る。目が合った彼女は微笑んでくれた。

(さすがイザベル。俺の婚約者だ)

 ウンウンと頷くウィリアムだったが、イザベラはこう思っていた。

(内面も鍛えないと駄目ね。あんなのに攻略されたら、ムカつくわ)

 そしてパーティーはつつがなく行われて、いよいよ王太子と話が出来るというのでシャルルは身だしなみを整えてから彼に近寄った。

 本来はシャルロッテの知識を活かして、隣国の書物の話をするというもの。

 海の向こうにある隣国は、文字も文化も異なる。

 異国文化に話がはずみ、王太子ウィリアムは彼女に尋ねるのだ。

「君はその本を読めるの?」

「…はい、読めます」

 シャルルはか細い声で答える。

 ちなみに実際は読めない。勉強はマナー優先だし異国の言葉は後に全く出てこないからだ。

 そんな彼女をウィリアムはしげしげと見つめる。

(さっきまで別の子息の所で、大口開けて笑ってなかったっけ…?)

 しかし彼はその言葉を喉の奥に押し込んだ。

(ふふ、私に興味を待ったわね?)

 イベントを進めるべくシャルルは紫色の瞳をゆっくりと閉じる。

「ー遠き月に、黄金色の月に、女神に仕えるニンフは唄う…幼子を悪い夢から護るように、楽しい夢を見るように…白き翼に祈りを込めて…」

 書物の中の一文をスラスラと唄うように言う。

 何回もこなした文字合わせのミニゲームだったので、シャルルはバッチリと覚えていた。

「すごいな。覚えているのか」

「…はい」

 ドヤ顔を我慢してシャルルは控えめに微笑む。

「私は」

(!…一人称が、違う)

 本来のシャルロッテはわたくし、と言うはずなのだ。

「剣や魔法を使って戦えませんが、知識は時に武器となりますので…」

 この言葉に王太子ウィリアムは感心する。ただし、ゲームの中で、だ。

 事前にこのセリフをイアンナから聞いていたウィリアムは「本当に言ったよ!!?」と思いつつ答える。

「そ、そうだね、一理ある」

 そして男爵令嬢の紫の瞳を見た。

 遠くからイザベルが「失敗するな」と念を送っている圧を感じる。

「…ま、また、アイタイ」

 緊張し過ぎて台詞が棒読みなってしまったが、男爵令嬢は勝ち誇ったように笑った。

「…はい!」

 その様子を遠くから観察しながら、公爵令嬢イザベルは小さく舌打ちした。 

 演技だとしても、自分の婚約者がそんな事を他の女に言うなんて許せないと思う。

 乙女ゲームとやらの中の、悪役令嬢イアンナがヒロインを虐めていた理由も、直ぐに理解できたし同情した。

(まったく最低なゲームね。フラグは全て折ってさしあげてよ!)

 転生者でもないのに、転生者のような台詞を心の中で言い決意するイザベルだ。

 彼女の扇に隠された苛つきにも気が付かず、フラグ立てを成功したと思っている男爵令嬢は上機嫌である。

 このフラグを立てに来た、という事は、彼女が第二王子はおろか王太子を攻略対象として見ている、という事だ。

(という事は、逆ハーレムに、魔王ルート…?)

 まだわからないが、その可能性が十分に出てきた。

 後で緊急会議をしなければ、と考えているイザベルの元へ「どうだった?俺の演技」とウィリアムがニコニコしながら近寄ってくる。

「ウィリアム…あなた、明日からマナーと勉強を倍ね」

「は!?」

「騎士団の鍛錬へ参加してもいいかしら。どちらにせよ、グレース様に相談しないと…」

「え!?」

 どこが悪かった?と小声で必死に訴えてくるウィリアムに、そういうところよ、と冷たく言うが次の瞬間には笑顔になった。

「大丈夫。わたくしも最大限に協力するわ」

「…なんか余計怖いんだけど…?」

 王であるアイザックに似て少し頼りない王太子ウィリアムの再教育を、イザベルは誓ったのだった。

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