第4話 フラグ暴露

 次の日、再びグレース王妃の寝ている部屋に呼ばれると、そこには半身を起き上がらせた美しい女性が佇んでいた。

「グレース様!…お加減はよろしいのですか」

 オリビアの言葉に彼女は笑顔で答えた。

「ええ。もう全身の痛みが波が引くように無くなってしまったわ」

(良かった…)

 ホッと息が漏れる。人があんなに苦しんでいる姿を見るのは辛い。

 微笑みながら言うグレースは、内側から生気が溢れているようだった。

 栄養不足のためか顔は少々青白いしやつれてはいるが、昨日のような痛々しさが消えていた。

 安堵の表情を浮かべる両親の隙間から、イアンナは顔を出す。

 今日は城で用意された、白を基調とした可愛らしいレースのドレスを身に纏っていた。

「あら!可愛い天使さま。貴女が私を救ってくれたのね?」

「えっ…あの…」

 輝くような笑顔を向けられ、つい母の後ろに隠れてしまった。

 しかし苦笑した両親に押し出されて前へ出される。

「イアンナちゃん、お久しぶりね。前に会ったのは、赤ちゃんの頃かしら?」

 その言葉にはオリビアが答える。

「ええそうです。ジョシュア様と並んで揺り籠にいましたよ」

「あらまぁ、もうそんな昔になるのね!」

 可愛く育ったわねぇ、私も女の子が欲しかったわ〜というグレース王妃は、アイザック王と比べて話しやすい人だとイアンナは思った。

(こういうところに惹かれたのかしら?)

 馴れ初めは有名で、王国で夏に開かれる星祭り中、臣下を巻いたが迷子になったアイザックとグレースが出会い、グレースが彼を王宮まで送っていく中で親睦を深めあったと言う話だ。

 そのせいかどうかはゲーム中で語られてないので分からないが、星祭りは恋人が欲しい者が参加するのはもちろん、<ヒカコイ>の学園でも重要なイベントに位置づけられていた。

(デートすると、好感度がぎゅーんと上がるのよね…)

 そんな事を考えていると、部屋のドアが開いてアイザックがやってくる。

 昨日とは打って変わって上機嫌で鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気で、護衛をしているユージンが苦笑いするほどだ。

 更に、背後からは兄と同じ年頃のような少年と少女がやってくる。

 少年は王妃と同じ銀髪に、王とよく似た金の目を持つ少年だ。

(王太子の、ウィリアム殿下だわ)

 確か兄と同い年の少年だ。もう一人の少女はウィリアムが手を引いてエスコートしている。

(きっと公爵令嬢のイザベル様だわ。まだ小さいのにとても綺麗…)

 明るい金色の髪に、切れ長の青い瞳。その所作は幼いというのに隅々まで整っていた。

 自分の黒い髪は嫌いではないが、やっぱり悪役令嬢としての色よね、と思ってしまう。

 他のゲームでは金髪や銀髪の悪役令嬢も、もちろん居た。

 なんでこの世界の悪役令嬢なんだろう、とつい俯いてしまう。

「さぁ、座ってくれ。美味しいお菓子もあるぞ」

 今日の応接セットは王妃のベッドに限りなく近く設置されていたし、ソファも多い。

 王妃に一番近い一人がけのソファにはアイザックが座り、ローテーブルを挟んで向かいになっている長いソファには片方にウィリアム&イザベルが、対面にはオリビアとイアンナが、そして王と対面になる一人がけのソファにはゴードが座った。

「イアンナちゃん、緊張しないでね。今日はウィリアムとイザベルも呼んだから」

 ずっと母の袖を掴んでいる彼女に、グレースはベッドから優しく言う。

「はい」

(今日は正念場ね)

 何故呪いという事が分かったのか、徹底的に聞くつもりなのだろう。

 疑っているのは、恐らく王だ。

 嫌な目でこちらを見た大神官にきっと何かを囁かれたに違いない。

 自分が疑われるのはいいが、両親を巻き込むのは嫌だ。

 それならいっそ、痛いやつと思われてもいいから、全てを話そうと昨日の夜に決意した。

「では、私からだ。昨日、大神官に言われたことを、話そう」

 アイザックはそう切り出し、言葉を伝えた。

 その短い話の内容を聞いた両親は、酷く厳しい顔をする。

「それならば、洗礼の時に解るのでは…?」

「そうです。大神官様は、娘に非常に強い魔力があることしか言いませんでした」 

 侯爵夫妻の言葉に、アイザックは呻く。確かに、なぜその時に言わないのか。

 最初から詰まってしまった場に、グレースが口を開いた。

「あの方のことだから、後で駒に使えるとでも思ったのでしょう。まさか呪いを暴かれるとは思わなかったのでしょうけど」

 一度言葉を切ると、グレースはイアンナへ優しい瞳を向ける。それは第2王子と同じ、紫の瞳だった。

「貴女はさっき私が痛みが無くなったと伝えた時、とても安心した顔をしてくれた」

「は…はい」

 どうやら見られていたらしい。母と話していたはずだが、さすが王妃、と思ってしまった。

「貴女はとても優しい子。私は全く貴女を疑っていないわ。安心してちょうだいね。…どうして呪いが分かったか、教えてほしいの」

 難しい言葉は使わなくていいわ、と気を遣ってくれる。

 そしてアイザックにも、今から暫く言葉を発したら駄目よ、と釘を刺した。

 王様だと言うのに口を尖らせたものだから、イアンナは思わず笑ってしまった。

(ちょっと緊張してたから、ありがたい)

 イアンナはふっと息を吐くと、まっすぐに王妃の目を見る。

 そして、乙女ゲーム<ヒカコイ>の世界の事をゆっくりと話し出した。


ー自分には前世の記憶があること

ー前世でプレイしていたゲームの世界に今の世界がそっくりなこと

ー先日、とうとうイベントが始まってしまったこと

ー自分はその結末が嫌で、未来を変えてしまったこと

ーこの世界の全てが解るわけではないこと


 前世の記憶については数年前から意味不明なことを話していたので、両親も補足が出来た。

 しかしゲームの話が難しい。こちらでゲームと言えばチェスなどの盤上で楽しむ遊びを差す。

 小説の挿絵が動き、なおかつ主人公の…読み手の選択肢により結末が変わってくると伝えると大層驚かれた。

「イアンナが悪役の令嬢だと?」

「ずいぶんとまぁ、可愛らしい悪役だこと」

 ヒロインと彼女を取り巻く状況を話すと、両親に苦笑されてしまった。

(この中身だと、まったくと言っていいほど迫力に欠けるわよね…)

 どちらかと言うと公爵令嬢イザベルの方が見た目的にハマり役だ。

 彼女も、あらあらこんなちっちゃな子が?というような目でイアンナを見ていた。

 紹介を受けてみればなんと同い年だという。しかし彼女は王妃教育が既に始まっているから見た目の年齢以上の風格なのだ。

「…という事は、母上は今回の件で命を落としていたというのか?」

 ウィリアムが沈痛な面持ちで質問をしてくる。

「はい…そうなります…」

 王妃の呪いについては偶然知っていたが、ゲームの本筋スタートの学園の入学までには亡くなり、ヒロインがジョシュア王子ルート選択した際に原因が探られると説明した。結末については、申し訳ないが自分は知らないと伝えた。

 無課金ユーザーだし、ジョシュアにはそこまでのめり込んでいなかったので、ネットで細かく調べてもいない。

(…これでいいのかしら)

 全て話してしまったが、このことが世界にどう影響するのか分からない。

(でも、断罪されるのも、家族と離れ離れになるのは嫌だわ。私も、王子様も…王様も)

 自己満足かもしれないが、イアンナはそう思った。

「あなた、どうかしら?」

 グレースがアイザックに微笑みながら尋ねる。アイザックは思案顔だ。

「…7歳にしては、語彙力も多いし、大人を相手に話していると思える」

「そうね」

「前世の記憶…そういう記録は読んだことがないが、騙るにしても我々の知らない不可思議な知識が多すぎる。その記憶については認めよう」

 その言葉にホッとしたのも束の間、金の鋭い瞳を向けてくる。

「それは、魔王が原因なのか?」

「!」

 イアンナは目を見開き、アイザックの頭上からは大きなクッションが降ってきた。

「ぶはっ!?」

「…やっぱりあなた、黙ってて頂戴」

 グレースが冷たい声で告げる。

 全員がギョッとしている中、グレースがふっと笑う。

「ごめんなさいね、この人セッカチなの。…私や子供たちが心配なのは解るんだけど」

 クッションの下から憮然とした王が顔を出す。

 それを厳しい目で一瞥してから、グレースはイアンナに優しい紫の瞳を向けた。

「未来を変えられる…いえ、良くない出来事を回避する事が出来るなら、私たちも協力するわ。…だから知っている事を教えてくれる?」

 当然、貴女の事も家族も危険から護るわ、と宣言してくれた。

 母が複雑な瞳で覗き込んでくるが、その頬にキスをして父の手をギュッと握ると、イアンナは触れていなかった魔王の事を話し始める。

「魔王と…私の前世の記憶は関係ありません。私もなぜそうなったのか、分かりませんが…おそらく神の領域だと思われます」

 そうでなければ異世界の魂をこちらに持ってくるなんて出来ないだろう。

 魔王はあくまでもこの世界の住民だ。

「この世界には、魔王が数百年単位で復活し、人の世を脅かす…合っていますか?」

「ええ」

 魔族は人の世界とは異なる魔界と呼ばれる地下世界に存在し、普段は国交もなくお互いに不可侵状態が続いている。

 魔族に取ってはなんともない魔界の瘴気が漏れてダンジョンが形成されたり、魔物が生まれたりしているが、そこは冒険者という職業の活躍の場であったり、魔物の素材が得られるという事で魔界は忌み嫌われる事はあまりない。

 しかし魔王は別である。

 魔王が現れると瘴気が濃くなり、濃くなった瘴気により動物は魔物に姿を変え、植物は萎び、農産物は実りが悪くなる。

 そして瘴気は人にも影響し、争いが勃発し国同士が戦争になったりもする。

 最後に魔王は彼に逆らえない魔族を率いて人の世を飲み込まんとするのだが、神の力を借り受けた勇者または聖女が現れて、魔王を封印する。

 教会で教えられる話はここまでがセットだ。

 だが、なぜ魔王は常駐できないのか、魔王が現れると瘴気が濃くなるのか、人の世界を滅ぼそうとするのか、根本的なことは分かっていないし魔族も知らない。

(当たり前よね。ゲームの設定なんだもの)

 ゲームを盛り上げるために造られた存在なのだ。

「封印された魔王ですが…器と、魔力が別々になっています」

「!」

 アイザックがクッションの奥で目を見開く。

 それは王族だけに伝わる、秘匿された情報だった。だからこそ彼は、イアンナが器で既に魔力を手に入れている状態なのでは、と疑っていたのだ。

「魔王の核…魔力は私の中にあります。そして、魔王の器は…今は普通の人間です。どこかで生活しています。…絶望するような出来事を経験し、人やこの世界を憎むようになります」

 成長した魔王の外見はとても美しい。

 輝く宝石のような紫の瞳に黒く艷やかなストレートの長い髪は毛先が黄金色、そして青白い肌だ。病的なまでの美しさと色気を持ち合わせている。頭の両脇からは立派な角が生えており、胸元の開いた前合わせのローブを着てニヒルな笑みを浮かべているスチルを思い出す。

 ちなみに学園には通ってこないし、課金しないとシナリオが解放されない上に最難関攻略キャラなので、魔王ルートを出現させるだけでも一苦労らしい。

 杏奈は無課金だったので最後の敵として現れる完成されたおどろおどろしい魔王のスチルしか知らないが、課金ユーザーのファンアートの青年魔王はとても格好良かった事を覚えている。

 …という、どうでもいい情報は心の中に留めた。

「私は…その、伯爵家の策略が成功した場合なのですが、継母に虐められて性格が歪んだ状態で…しかし魔力の多さから第2王子との婚約が決まります」

 イアンナはひとまず第2王子ルートを軸に話すことにした。

 学園生活がスタートし、ヒロインが第2王子であるジョシュア殿下と惹かれ合う。

 その事に嫉妬して悪役令嬢であるイアンナは2人の恋路を邪魔をしたり、ヒロインに継母仕込みの陰湿な虐めを行う。

 ヒロインが攻略対象についてうまく好感度を上げられれば、卒業式のパーティーで悪役令嬢は断罪され…その罪の度合いや逆ハーレムの判定によってヒロインの行く末が変化する。

 逆ハーレムのフラグを立てていれば王太子の隠しルートが出現し、王太子さえも攻略出来れば魔王ルートが出現する。なお、その先は課金しないと進めない。

「魔王も恋愛するの…?」

 つい、と言ったように公爵令嬢のイザベルが呟く。イアンナは頷いた。

「はい。私は断罪イベントで拘束され牢屋に入っているのですが、魔王が私の元へやってくるんです」

 暗闇に溶け込む漆黒のローブを羽織りフードは下げたままで顔は伺えない。爪の鋭い青白い手で檻の格子を容易く広げて…泣き濡れていた令嬢を優しく抱きしめる。


 この世界が憎いなら一緒に滅ぼそう


 魔王は悪役令嬢の耳元で囁く。

 人生を呪い、縋った人にまで捨てられたイアンナはそれに頷いてしまう。

 魔王はイアンナを殺害し魔力の核を手に入れ、真の魔王として覚醒しこの世界を滅ぼしに掛かるが、聖女の力に目覚めたヒロインと逆ハーレムの男たちに滅多打ちにされる。

 逆ハーレムでなくても、魔王が復活した場合はヒロインと攻略対象が魔王をそのまま封印するのだ。

 しかし魔王ルートでは。

 戦いに破れ倒れた彼に諭そうと近づいたヒロインは、弱ったふりをしていた魔王に魔界へ連れ去られてしまう。

 選択肢を誤ったりしなければ、魔界で魔王はヒロインと接している内に心を通い合わせる。

 その間、魔物に攻められている王国は逆ハーレムの男たちが護り、聖女を奪還すべく戦っていた。

 魔王は最後に改心してヒロインと結ばれる。

 そして魔王の后となったヒロインの助言で、魔界と王国は国交を結んで更に栄える…。

(ふぅ。ここは全て又聞きだけども、間違ってないわね)

 選択肢やミニゲームの内容は知らないが、話の筋は大丈夫なはずだ。

 イアンナがやりきった思いで顔を上げると、皆はそれぞれ複雑な顔を浮かべていた。

「…その場合、この国の王妃は…?」

 ウィリアムが呆然と呟く。

「その…言いにくいのですけど」

 魔王ルートではヒロインが魔王に攫われる前に、しかも王太子との婚前に彼と体の関係を持ってしまっている。

 それで攫われた後に魔王が無理やりヒロインを手篭めにし…のちに双子が産まれるのだ。

 元が大人の女性向け乙女ゲームなのであまり突っ込んで欲しくない事情だった。

「子供は片方が人間で、片方が魔族なんです。人間のほうが、新たな王太子となります。ヒロインは魔王の妃であり、王国の王妃でもあり…行ったり来たりして、二人の夫から愛されるのです」

 正確には逆ハーレムの男性たちからも愛されるのだが、さすがに周囲のドン引き顔を見て割愛した。

 ちなみに課金すると、だいぶ大人なシーンも拝める。

「なんだそれは…」

 7歳の娘の口から飛び出てきた内容に、ゴードは片手で顔を覆っている。

 オリビアはこっそりと、あらまぁ面白そう、と呟いていた。

「王妃と言うより、妾ね…?」

 公爵令嬢イザベルが呆れた顔をしていて、グレースに至っては笑顔のままで額に青筋が浮かんでいた。

「あ、わ、私は逆ハーレムにはしてません!そのルートは人から聞いただけです」

 杏奈が選ぶのは、オレ様・ドS・ドM以外の男性だった。いたってノーマルなのである。

 慌てたように言うイアンナを他所に、イザベルは隣に居る王太子を見た。

「お、俺まだ何もしてないぞ!!!」

 汚いものを見るような目で見られたウィリアムは、つい砕けた言葉で否定する。

「ジョシュアは…後にも出てこない土台なのね…」

 そう遠い目をして呟いているのはグレース王妃だ。

「確かに、少し厳しく育てていて小動物っぽい可愛らしいものが好きだけども…」

 そんな簡単に陥落するのか、とも言っている。

 イアンナはハッとして俯いた。

「ご、ごめんなさい…」

 その言葉に皆が彼女を見る。

「あら、どうして?」

 優しく話しかけてくれたのはグレースだ。

「変な気分にさせてしまって…まだ、何も起きていないのに」

 その言葉に母はイアンナの背中を撫で、父はずっと握っていてくれた手を握り返してくれた。

「…魔王の、器と核が別である話は本当だ」

 王がクッションを下げて静かに発言する。

「…実は、瘴気も徐々に増えている。おそらく、魔王の復活が近いせいだろう。年内にも、国を上げて勇者または聖女を極秘に捜索する部隊を作る予定だった」

「!」

 民を不安にさせないために発表はしていないが、と王は顔を伏せる。

「そなたの話は荒唐無稽に聞こえるが、捏造するには出来すぎている。…それに、グレースの呪いを言い当てた。信じよう」

 呪いの事だけでよいのに、その背景まで捏造し騙る必要は無いはずだ。

「あ…」

 イアンナは胸のつかえがとれたような気がして、顔が熱くなった。

「そのような道筋があるのなら、回避するように動く事ができるなら、ささいな事でも実施してみよう。そなたを守りきれば魔王も復活しないのだろう?…魔王が復活しないのならば、むしろやるべきだ」

「俺も協力します!」

 ウィリアムが声をあげると、わたくしも、とイザベルが言った。

「そうね。そんな未来は…魔界と国交を結ぶのは良くても、王妃がそのような状態では気持ちが悪いし、健全ではないわ」

 現王妃のグレースの言葉にアイザックは苦笑した。

「ああ。国民が納得する訳がないだろう。…どこが聖女なのだ。よし、明日から聖女を調査だ」

「ええ。私もいつまで伏せっていられませんわね」

 ジョシュアをなんとかしないと、と呟くグレース。

 皆が乙女ゲームの…現実ならば大変困る未来を回避しようと、議論を仕出したその光景に、イアンナは心底ホッとして両親を見上げた。

「お疲れ様」

「立派だった。これからも儂は家族を護ろう。お前は、ちょっと魔力の多い、可愛い、儂の娘なんだからな」

「…はい」

 頭と背中を撫でてくれる温かい手に、イアンナはとうとう泣いてしまった。

 その様子を見てアイザックは反省する。

(疑うなど…申し訳ないことをした…)

 クッションを背後のベッドに戻す際にグレースと目が合い、頷いた。



 室内が少し落ち着いてきた所で、イザベルが改めて質問をしてくる。

「ところで…なぜ物語の中では継母に虐められるの?」

「髪の色や、目つき…です」

 黒髪はいるが毛先が緋色の髪は国内でも侯爵家だけだ。その侯爵家に嫁いできたというのに、継母からは虐められるのだ。

「ドレスのグラデーションはいいのに…」

 思わずムスッとして呟いてしまう。

「わたくしも綺麗だと思うわ、黒は静かな夜の色、赤は情熱の色ですもの。赤と言っても種類が多くて大好きで…バラも品種改良をしているのよ。…そうだわ、いい案がある!」

 ニッコリと笑うイザベルは、何か良い案が思いついたらしい。

 手元のメモに何かを書き出し始めた。

「そう言えば…」

 言い掛けてアイザックは口を閉じた。

(大神官も髪色が邪悪と言っていた…)

 そんな事を言った日には、グレースに再びクッションをお見舞いされてしまう。

(おかしい)

 代々続く侯爵家で今までも同じ髪色の者が居たはずなのに、なぜ急に言い出したのか。

 以前、この部屋に結界を掛けさせるために呼び寄せた時はもちろん、その後の治療の際にも王妃の状態に気づかなかったくせに、呪いを解かせた直後に室内にいた娘を突然狙って糾弾し始めた。

(まるで生贄だ)

 ”何か”から目を逸らすための。

(あの大神官は問題だな)

 幸い、昨日の騒動から彼を部下に見張らせている。ルーナ教の聖地である聖王国とやり取りしてしまわぬ今のうちに更迭しよう、とアイザックは考えた。

 ちなみに彼の背後にいるグレースもそう考えているのだが、その決断が今後に多大な影響を及ぼす事に彼等はまだ気が付かない。


◆◆◆


 時は遡りその前日。

 ちょうどグレース王妃に、大神官ローガンが解呪を唱えている時だった。

「おい、どうした!?」

 王弟であるオスカーは倒れた部下に駆け寄る。

 場所は王宮の薬室だ。広い部屋で幾つもテーブルがあり、それぞれが好きな場所に陣取って調剤していた者たちの一人が突然床へ倒れた。

「な…なんでもありません…」

 胸を押さえつつ倒れたまま中年の男は弱々しく応えた。

「なんでも無いことはないだろう!おい、だれか仮眠室へ!神官も呼べ!」

「……」

 周囲に人が集まるも、男はどんどんと衰弱していく。

 筋肉や脂肪がすうっとなくなり、皺が増えていった。

 まるで肉体の時間が早回しになっているように老いていく。

「なんだいったい…?」

 周囲が呆然とする中、その男は仮眠室に運ぶ途中で事切れてしまった。

 司教である叔父上は兄に呼ばれている、ということで別の若い神官が来てくれたが、その死体を見て顔をしかめた。

「とても、邪悪な気配がします」

「なんだと」

 その言葉で急遽、死体は騎士団の建屋にある検死のための施設へ運ばれる。

 検死専門の騎士に、オスカーは尋ねられた。

「この包帯は?調剤というのは危険があるのですか?」

「いや…無いことはないが、彼はベテランだ。それに薬室では怪我をしたならば必ず記録をとる。そのような記録は無かった」

 場所柄、毒や危険な魔素材も扱うことがある。

 怪我をした際は必ず記録をし、調剤内容を元に解毒や解呪が行われるのだ。

「では失礼」

 手首に巻かれた包帯を取ると、奇妙なアザが現れた。

「これは…?」

 騎士は首を傾げていたが、オスカーは戦慄した。

(グレース王妃にあるアザ…!?)

 彼女の腹部にあった模様が蛇に似ている、と兄は言っていた。

 手首の模様は蛇が巻き付いたような形になっている。

「すまないが、明日までに検死結果を知りたい。頼めるだろうか」

 オスカーは王弟の権力を持って頼み込む。

 騎士は少し目を見開いた後、重々しく頷いた。

「…承知しました」

 翌日、兄が呼びつけたという客が帰った後に、オスカーは面会を求めた。

 ここ数日は危篤状態だったグレース王妃に掛かりきりで公務が滞っており、少しなら、と執務室へ通される。

 久々に見た兄はとても血色が良く、執務にやる気満々で向かっていた。

「王妃様の回復、おめでとうございます」

「ああ!ありがとう。お前もご苦労だった」

「いえ、薬室としてサポートしたまでです」

 アイザックは書類に目を通しつつ、オスカーと雑談する。

 言葉が途切れた所でオスカーが切り出した。

「兄上」

「どうした?」

「先日、薬室で奇妙な事が起きました」

「なんだ、言ってみろ」

 彼は、薬室でベテランの薬剤師が倒れたこと、その時間がグレース王妃の解呪の時間と全く同じこと、そして倒れた者の体に王妃と同じ紋様が出ていたこと、その死体を見て神官が邪悪な気配に満ちている、と言ったこと。

「…隠すように手首に包帯が巻かれていました」

「…なるほど…」

 兄は一転、険しい顔で書類を置き唸っている。

 呪いは扱いが非常に厄介で、解呪された呪いは掛けた者か、掛けた者が定めた者へ返される。

「掛けた者はもう分かったのですか?」

「いや、まだだ。調査中だ」

 呪いを見破った小さな令嬢も、犯人は知らないと話していたのでここは自分たちで調べるしかないのだ。

 すでに見当は付いているのだが。

「このことは…」

「内密にしろ。家族には?」

「これからです。先程、検死がようやく終わりましたので」

「わかった。死因は心臓発作と言うように。遺族への金は多めに出してやれ」

「承知しました」

 ベテラン薬剤師にはその包帯以外に不審な点は見受けられなかったし、長年一緒に仕事をしていた仲間からも、そんな物に手を出す暇もないし彼は薬に情熱を注いでいた、と擁護する声が上がっている。

 おそらく捨て駒に使われただけだろう、というのが捜査をした騎士の見解だ。

「まったく…薬剤師は貴重だと言うのに」

「はい。…ですが、募集は暫くいたしません」

 今、城に見知らぬ人物を入れるのは難しい。

「すまんな。…そうだ。あとで良い香りの茶をくれ」

「兄上も、少々休んでは?」

「そうも言ってられんのだ」

 アイザックは苦笑すると書類の山に手を置いた。

「では、少々ですが手伝いましょう」

「本当か!!」

 最近は王妃の体調に合わせてオスカーが責任を持って調剤を行っていたため、今の自分は薬室のシフトに組み込まれるまで少し空きがあるのだ。

「よし、では後で面白い話をしてやろう」

「そういうのはいいので、まずは手を動かして下さい、兄上」

 久しぶりに兄弟水入らずだが、やることは書類仕事だ。

 3日掛かると思われた書類の山は、その後グレースも加わって1日と少しで終わることが出来、久々に3人でのお茶を楽しむことが出来たのだった。

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