8−3「決意①」

 最後の跳びから亮が着地すると周囲のガラスがざわめきだし、球状のガラスが無数に空中へと踊り出す。


(本当にしたかったこと)


 その動きはしだいに激しくなり、ぶつかり合う側から激しい光を放つ。


(そうだ、俺は…!)


 光は螺旋らせんを描き、収束を見せる。その隙間に何かが見え始めた時…亮は願いを口にし、とっさにマーゴからもらった箱を空間へと押し込んだ。


(頼む!)


 瞬間、亮の肉体が崩壊する。

 手が、足が、胴体が、頭部が、細やかな粒子となって消えていく。


 支えていたガラスが抜け落ちたために崩壊する部屋。

 激しい磁場の発生により【ウィンチェスター】も形を保てなくなる。

 各所から地球の核が流出し、大地は裂け、大気は消滅し…


 かくして、亮たちの地球は崩壊した。


(良い、星空だな)


 これは、まだ父親がアルコールに溺れる前のこと。

 亮は夜間に父親に連れられて外の土手を散歩していた。

 

 父親の手には一眼レフ。

 これで夜空を撮ると綺麗に星が写ると聞いていた。


(ほら、あれが夏の大三角形だ)


 父はそう言うと空に向けてカメラを向け、シャッターを切る。

 その横で亮は昼に買ってもらった星座表を手にし、目当ての星座を探し出す。


 当時の亮は夜空を見ているとワクワクすることに気づいていた。図書館で図鑑を借り、星の中には氷だけでできた惑星やガスでできた星もあると知っていた。


 カメラを手にする父親の横で亮は夜空を見上げる。

 向こうに見える星々をもっと近くで見たいと、もっと知りたいと思いながら…


(だったら、なりたいものは決まっているじゃないか)


「亮ちゃん、どうしたの?」


 母親の声にハッとする亮。

 …そう、自分は今まさに生活支援を受けようと役所に来ていたところ。


 向かいの席に座っていた『原』と名札のついた職員の女性は「じゃあ、準備をしてきますから」と言って、近くの相談室のドアを開ける。


 その壁には三日後に行われる花火大会のポスターが貼り出され、一階にいる人々の誰も彼もが少し浮き足立っているように見えた。


 だが、亮たちは今まさに離婚とパワハラと貧困の末の相談窓口に来ていた。

 自分たちと周囲の人々との差がひどく感じられ、思わず顔を逸らす亮。


 しかし、その視線の先に一枚のポスターが目に入る。


 それは次世代の宇宙飛行士を公募するポスター。

 年齢や学歴は問わず、意欲ある人間なら誰でも応募できるという内容。


 それを見て、思わず亮の口が動く。


「…ねえ、母さん。俺、宇宙飛行士になりたいかもしれない」


 その言葉に目の下にクマを作った母親は亮へと目をやと「亮ちゃん。なに言ってるの?」と暗いトーンで話しかける。


「今まで、そんなこと言ってこなかったじゃない。それに今まで美大で勉強してきたでしょう。それに準した職業に人はつくものよ」


 疲れた顔で、ゆるゆると首を振る母親。


「かといって学び直すにはお金も足りないし、面接や試験がアナタにとって得意じゃないことはお母さんだって知っている…無理に決まっているわ」


 その会話に『原』も気づいたらしく「ああ、これね」とポスターを見るなり、ため息をつく。


「一応、上から掲示けいじするようには言われたんですけれどね。そも普通の人は難しいんじゃないかと個人的にも思っておりまして。それにこういうところには基本優秀なエンジニアや科学者が行くじゃないですか。私らには無理ですよ」


 そう言って中へ入るようにうながす『原』だったが、そこに「そうかい。そりゃあ掲示するように依頼してすまなかったね」と声がかかる。


「え?」


 そこには一人の杖をついた老婆。

 隣にはやや背の高い少女が付き添うようにして立っている。


「私はね、このと将来ともに宇宙に出てくれる人材を欲しがっていたのだけれど、それを否定された上に貼り出されることも拒否されるのは少々心外だね」


「えっと…アナタは?」


 そう問う『原』に対し、ポスターを見やるなり「それにね」と続ける老婆。


「そこに書かれている通り、必要なのは意欲のある人間さ。学歴や職歴との差はこちらで環境を整える以上、周りもサポートできるし。本人の心がけ次第でいくらでも埋められようというものさ」


「ねえ、そうは思わないかい。お兄さん?」と老婆は亮へと声をかける。


 それに「あの、どちらさまですか?」と問いかける母親。


「私たち、これから市の補助を受けるにあたって相談をしなければならなくて、こちらも忙しい身なので、込み入った話はあとに…」


 それに老婆は「ああ、いけない。忘れていたよ」と手にしたエコバッグから、会社のパンフレットと名刺を渡す。


「私はライフ・ポイントという名前の企業の代表取締役でね。この会社は住みやすい社会を作るために日々尽力している会社なんだが…どうやらそちらのご家族は窓口で相談を受けるより、こちらの管轄かんかつに入ったほうが良い気がするよ」


 それに「ちょっと、待ってくださいよ!」と相談室から『原』が飛んでくる。


「こちらのご家族は今、市の支援を受けるために来ているんですよ。それを急に出てきた民間企業のあなた方に勧誘みたいに連れて行かれるなんて、話も聞いておりませんし、行政にいる身として許すことができませんよ。帰ってください」


 老婆はそれを聞くと「ふむ、ではレッド」と近くの事務方の机に声をかける。


「そうなると、どんな手続きなるか、ざっと教えてくれるかい?」


 それにメガネをかけたシャツの男性は後ろを振り向かずに「…そうですね」と声を上げる。


「基本、一人一人バラバラの生活となり、資産となるものは売り払われる決まりです。遠方通勤が必要な車は差し押さえを受け、個別で住む部屋の冷暖房費および生活用品は自腹で購入するようです」


 淡々と目の前のパソコンを叩きつつ、答えるレッド。


「疾病などでもらえる補助との併用ができないことが多く、また、就職後に一定水準まで収入があると判断された場合には打ち切られることもあります。その場合に再び生活が苦しくなり、逆戻りするパターンもありますね」


 そこまで聞くと老婆は「…やはりそうなると、ライフ・ポイントで生活を立て直した方が良さそうだね」とうなずく。


「なにしろ、ライフ・ポイントはその年齢までの時間をポイント還元した制度だからね。秒刻みで増えるポイント式。一ポイントにつき一円換算で購入時に店と相互に扶助ポイントがつくから、増えることはあれど減ることはない」


「…まあ、手続きに必要なのがスマートフォン一つだけなのも楽ですしね」と、男性も相変わらず顔を上げずに言葉を続ける。


「この二人の年齢からざっとポイント換算をしても、家賃光熱費および、今後の生活費や息子さんの授業料やその後の生活資金までおつりがくるでしょうから、何の不自由もなく今のままの水準で生活はできるでしょうね」


 そこに『原』が「そんな、怪しい話がありますか!」と拳を握り声を上げる。


「そんな、店と客に相互に扶助のポイントがつくなんて世の中そんなに甘く…」


 と、そこまで話したところで『原』に近づくレッド。メガネをかけた彼はうつむきがちにタブレットを叩くと彼女にホームページの画面を見せる。


「ちなみにそちらのご主人、長いあいだこの土地でネジなどの部品を生産されているようですが、経営が苦しいとおうかがいしておりまして」


「…何の話よ!」と噛み付くように声を上げる『原』だったが、そこに「本日、ライフ・ポイントの社員がおじゃまさせて頂きまして」と言葉を続けるレッド。


「当社の新規事業として人工知能を搭載したロケットの開発が進んでいるのですが、そこに必要な精密部品を作ってくれる会社を探しておりまして。金属加工に優れた御社の技術を借りたいとお願いをしていたのですが…」


「え?お父さんの?」と驚いた声をあげる『原』。


「一応、今後のエンジン開発の際にはそちらのネジを使わせていただくと言うことで話が決まったのですが、その際に今後の相互扶助として、こちらの会社でもライフ・ポイントのアプリを経営に導入すると言う話が出ておりまして…」


 そう言ってレッドがタップした先はリモート画面。

 画面の向こうには『原』のご主人らしき人が映り込み、彼女は声を上げる。


「お父さん、どうして」


 それにネジ工場の社長は『いや、急な話だったんだけどね』と答える。


『こっちとしたら渡りに船でな。開発費用も向こうが捻出ねんしゅつしてくれるそうで、これで親父の代からの店を畳まなくて済むし、当面の経営は安泰。お前も、無理に仕事を続ける必要はないからな』


「え、でも」と、狼狽ろうばいする『原』に「他にも、気がかりなことがありましたら、ご相談に乗りますよ」とレッド。


「…ご主人の話では、お子さんたちもまだ小さいと、後継者もいない中で経営の苦しい工場を必死に切り盛りしていたと聞いていましたから。我が社のほうでも総合的な人材育成に力を入れておりますし、必要でしたらお力添えができます」


「そんな、でも」と口元に手を当てる『原』。


 そこに「原さん、そちらさんの話は本物だよ」と奥のほうからスマートフォンを手に持った男性が寄ってきて、原は「…部長?」といぶかしげな顔をする。


「さっき、今日付けで民間企業であるライフ・ポイントの制度が政府お墨付きの政策として全国に正式に導入されると上から連絡が入ったんだ。中小企業を中心とした情報のシェアや福利厚生を中心としたサポートを大々的に行うらしい」


「え、じゃあさっきまでの話は」と絶句する原に「そうさね」と老婆。


「今までの話は本当のことだし、私はライフ・ポイントの代表として話を持って来させてもらっている。少しでもこの世の中で広がる差を縮めたいと思ってね」


「…差?」


 その単語に覚えを感じ、ふと口にする亮。

 そこに「そうさね」と老婆はうなずいてみせた。

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