8−2「選択」

「…最初に言っておくけれど、僕はいたって普通の人間だ。キミと同じくね」


 廊下を歩きながらネモは話を続ける。


「おそらく、僕とキミとの系譜けいふを辿っていけば、遠い遠い祖先同士の血で繋がっているはずさ。そも、才能や特性なんて人の尺度しゃくどによってはかられたものでしかないからね。良し悪しなんて、そのさいたるものだね」


 その足元には水が溜まり、みるまに亮の膝丈ひざたけから顔まで浸水していく。


「…これは【方舟】。崩れゆく地球の悲鳴と走馬灯そうまとうのようなものだ」

 

 完全に水の中に浸かりながらも平然と話し続けるネモに「今までキミはどこにいたんだ?」と亮は泡粒ひとつ出さずに声を出す。


 それに少年は「言ったろう、僕はずっと宇宙の中にいたんだ」と答える。


「三年前、祖母や両親と共に人工知能を開発していたこの部屋で、突然発生した空間事故に巻き込まれ、僕のすべては宇宙空間へと投げ出された」


 ネモがそう言うと上から光が差し、いつしか水の中には緑色の藻が大量に浮き上がってくる様子が見えた。


「肉体を無くし、意識は千々に広がり、それでもこの世界で何が起こっているのか僕らに何が起こったか、手に取るようにわかっていたのは確かだよ」


 遠い目をするネモの足元。

 水中の底に植物が生え始める。


「それを神の視点と人は言うのかもしれないけれど、そんな生やさしい状況とは、とても言えるものではなかった」


 次第に、硬いからに覆われた甲殻類が増えていく水中。


「僕は必死に自我を保ち、同時に欠けゆく祖母の意識を繋ぎ止め、僕らの近くにあった完成予定の人工知能のデータに祖母の意識のかけらを植え付けた」


 浅瀬あさせとなったネモの足元をサンショウウオに似た生物が泳いで行く。


「それ以降、僕は通信網により拡大していく祖母の意識を通しながら半分宇宙、半分地球に思考を繋ぎ止め、この先どうすれば良いかを必死に探った」


 次第に周囲の水が引き、シダの生えた湿地帯へと変化していく大地。


「…空間が崩れる原因と異常が起きるメカニズム。それらを調べていくうちに、僕は一つのパターンに気がついた」


 トンボに似た昆虫を食べる小型の爬虫類はちゅうるい


「空間の歪みが起きる事象の中心、そこに必ず大きな差と衝突があることに」


 その爬虫類もいつしか巨大化し、大きなものは小さなものを襲い始める。


「そもそも、人は区別をしたがる生き物だ」


 ネモの足元を小型のネズミとも爬虫類ともつかない生き物が移動する。


「名をつけ、仕分け、単純化し、管理しやすくするために優劣をつける」


 いつしか周囲の木々は松や杉といった針葉樹林へと変化し、さまざまな動物の姿が見え始めていた。


「それが原因で争いが起こることも多く、優劣による利益の格差によって軋轢あつれきが生まれ、暴力による衝突が起こる。それは今も昔も変わらないし、あの未来から来た連中であっても根本的な思想は変わらなかった」


 やがて来る温暖期と寒冷期。

 食物の少ない中で骨をむさぼる猿の姿が見えた。


「歴史は繰り返すとは言うけれど、そう言う観点から見れば僕らは何一つ成長していないのかもしれない。テクノロジーが発達しても話による解決を放棄し、兵器ぶき同士で殴り合えば、弱肉強食となんら変わらない結果となる」


 群れた猿は火を手にし、洞窟で食べ物を焼くようになる。


「その点ではマイン兄さんも、アミ姉さんも、レッド兄さんでさえも固定化された社会の目を恐れる被害者だった」


 岩で集落を作り始めた人々を眺めるネモ。


「マイン兄さんは、おたがい一目惚ひとめぼれであったけれど、自身の形質が子供に受け継がれることを恐れ、別れざるをえなかった」


 やがて石造りの都市ができ、集落ごとの交易も増えるが、時間が経つにつれて各所に火の手があがるようになり、武装した人々が増えていく。


「アミ姉さんは、周囲の人間に馴染もうと始めた薬の依存症となり、グランマが電気信号で脳の新陳代謝を促さないと正常に思考できないほどに、感情が希薄でまわりの意見に従うばかりの人間となっていた」


 宗教が中心の世界で疫病がはびこり、多くのが道端で亡くなっていく。


「レッド兄さんは言わずもがな。自分に厳しすぎたせいで、生きることが困難となり、最後は【ウィンチェスター】に思考を操作されて破滅してしまった」

 

 時代が移るにつれて戦争が始まり、戦車や戦闘機が陸や空を行き交い、多くの土地が焦土と化す。


「社会の格差。立場の違い。その差が大きく、距離が遠いほど、他人事としか人はとらえられず、巡り巡って自分に災難が降りかかるまで気づかない」


 ゴトンッ


 みれば、亮の足の片方がズボンから抜け落ちていた。

 バランスを崩した亮は、そのまま地面に倒れ伏しそうになる。


「おっと、杖が入り用かな?」


 言うなりネモは亮の手に見覚えのある松葉杖をすばやく渡す。


 それは花火柄の杖で側面には病院名が彫り込まれ、亮はその杖がかつて母親が使っていたものとよく似ていることに気がつく。


「それは、キミのイメージから取り出した杖だ」


 気づけば周囲はビル群に変わり、一台のスペースシャトルが宇宙に飛び立つ。


「イメージの大元は自身が体験したものの反映だ。視覚に聴覚、触覚に嗅覚と、見たものや感じたものが反映されて形となったものであり、それは絵や詩などの形となるだけでなく、社会を発展させるアイデアの大元ともなる」


 離れた距離から見る地球はどこまでも青く、亮はその光景に思わず息を呑む。


「小さな細胞からスタートした人類はそこから何億年もかけて想像力を獲得した…そして、差を埋めるキッカケとなるのもイメージだと僕は思っている」


 そう言って、ネモは亮の顔を見る。


「キミは、どんな未来を見たいかい?」


(未来?)


 亮はそう問いかけるも、いつしか自分の声が出ていないことに気がつく。


「そう、未来。キミが本来なりたかったもの、昔はあこがれていたけれど忘れていたもの…そんなものが、キミにはないかい?」


 さらに問いかけるネモ。


「それが、この世界を救うヒントになるはずなんだ」


(どうして、俺がそんなことを?)


 もはや、声が出ない亮に構わず「それはね」と続けるネモ。


『…もはや、この世界に影響を与えられる存在がお前さんを除き、誰もいなくなってしまったからだよ』


 気がつけば、そこは球体をしたガラスが大量にはまった部屋。

 壁も天井も丸い粒で構成され、亮自身も球状の室内にいることを知る。


 ネモの姿は消えており、室内の球体の一つには老婆の姿。


『ここは、未来から来ていた連中のスマートフォンの動力源を利用して作った、宇宙と並行世界とを繋ぐ通路さ』


(並行世界?)


 思わず声を上げる亮に『…ごめんね、亮。今まで黙っていて』と声がする。

 みれば、老婆の隣のガラスにはマーゴの姿。

 

『【ウィンチェスター】によって影響を受けた亮なら、取り込まれた内蔵エネルギーで作った空間を【目】で通して触れることができると思って…実体のない、私たちにはできないことだから』


 そう言って、うつむくマーゴ。


(実体?)


 そこまでの会話で亮はふと今まで感じていた違和感の正体に気づく。


 …そう、ショッピングモールを出てからのマーゴの行動。


 彼女は【ヨモツヘグイ】に警戒しながらも亮と食事をし、市の施設で寝起きをし【ウィンチェスター】内を探索した。


 そこまでは普通の行動のように感じられる。

 だが、それはあくまで亮の目にした範疇はんちゅうでの話。


 思えば、彼女がどのような経路をたどり、亮の元まで行き着いたのか。


 メガネも防護服もつけない中、なぜ彼女は【ウィンチェスター】内で何の影響も受けずにここまで来れたのか。


『…マーゴはね。ショッピングモール以降、すでに実体を無くしていたのさ』


 うつむくマーゴの横で、老婆は彼女に替わり説明を続ける。


『正確に言えば、。相手が見ていることでマーゴは自分の姿を保ち、行動することができた。それは今の私やネモと同じ。観測する人間が消滅してしまえば、手も足も出ないさ』


(一体、何が原因で…?)


 声なき声で思わずたずねる亮。


 思い出されるのは激昂げっこうした様子のレッド。

 どうして彼があれほどまでに亮に対し怒っていたのか。

 

 老婆は少し目を伏せた後、こう続けた。

 

『あの子はお前さんが【目】を使って【根】を伝い、家に帰った瞬間に空間移動の負担に耐えきれず、肉体が崩壊してしまったんだ』


 それを聞くなり亮の足から力が抜ける。


『あの場所でみつけた空間は、生身の人間が通るにはいささか窮屈きゅうくつすぎた。それゆえ、この子の肉体は粉々となり、空間による影響でかろうじて他者の【目】を通して見える精神だけの虚像きょぞうに近い存在となってしまったのさ』


 自然と松葉杖から手が離れ、亮はそのまま膝から床に倒れてしまう。


「ごめんなさい、黙っていて…」


 床に映るガラス球にはマーゴの顔。

 その上にパタッ、パタッと亮の涙が落ちる。


(どうして、今まで言ってくれなかったんだ…!)


 松葉杖もそのままに亮は下を向いて嗚咽おえつする。


(俺のせいで。俺があの場で抵抗して、移動なんてしなければマーゴは今も生きていられたのに。お婆さんの形見も手に入れて、あとは街を出ていけば何も問題はなかったはずなのに)


『そうなれば、アンタは最後まで【ラム】の操り人形だったよ』と老婆。


『意思を剥奪はくだつされ、レッドに死ぬまでこき使われて。マーゴ自身も未来の連中のいた空間に移送されていただろうし、ベストな判断なんて、あの場では誰もできなかったさ』


 それにマーゴも『そうだよ、亮』と続ける。


『これは私の判断でもあるわ。グランマの形見を取りに行こうと決めたのも私だし、キミを雇おうと思ったのも私。何が起きようとも後悔はしたくなかったし、現状で亮が精一杯だったのは十二分にわかる…だから、泣かないで』


 ガラス越しに亮を見上げるマーゴ。

 その目には、うっすらと涙さえ見えた。


『私、怖かったんだ。亮に正直に話して傷つけてしまうことが…でも、亮がいたおかげで私はこの街に来れた』


 指で自分の涙をぬぐうマーゴ。


『実はね、双子の話を聞いてから私は亮くんに会って、キミがずっと心に留めていたことをさせてあげようと思ったの』


(俺の、心に留めていたこと?)


 亮は自身の家で見たタブレット端末に録画されていた会話を思い出す。


 マーゴと双子が交わした約束。

 それが、自身に関わることだと亮は思っても見なかった。


『そう。亮くんがしたかったこと。その願いが未来へと繋がるキッカケとなる』


(…でも、俺にはそれがまだ)


『だから、その願いを未来に託して欲しいの。私の願いも亮にたくすから』


 ついで、床をついた亮の手の中に四角い物体が握り込まれる感触がする。


『それを持って、これからの未来を見つけて』


 …それは、マーゴが祖母からもらった形見。

 中に何が入っているかはわからねど、小さな箱は確かに亮の手に収まっていた。


(でも、未来を託すと言ったってどうやれば)


『覚えているはずさ、美術館から移動する時にアンタは体で覚えている』


 それを聞いて、亮は思い出す。


(…覚えておきな、このやり方は後で必ず役に立つ)


『一度アンタが動き出したら私らは指示を出せないからね。この先、アンタの力で道を開くんだ』


 その言葉に亮はひとつうなずき松葉杖を使って体を起こす。

 暗い眼窩を開け、かつて老婆に言われた通りの歩き方をする。


(二歩ほど、後ろに下がる)


 老婆の声を思い出し、背後に二歩下がる亮。


(そのまま、右に三歩)


 三歩、右に歩く亮。


(回って左に一歩)


 そこで、足を止める亮。


(…そう、ここで俺は【ラム】の本拠地へと向かった)


 そこで亮はレッドと対峙し、意識が繋がったなか自身の抱える恐怖を知った。


(でも、それがキッカケで気づいたことがあった)


 ビールを飲む父親の机の上のボード。

 大量に貼られていた星空の写真に亮が何をしたかったかのヒントがあった。


(また、俺の【生き霊ダブル】は天を仰ぎ、そして下へと落ちていった)


 下へと落ちていったのは絶望した自分に対して。

 その前に天を仰いでいたのは空を見ていたため。


(写真を始めたのもそう、俺は最初にを写真に収めたかった)


 過去も、今も繋がっている。

 今の自分を構成するために繋がっている。

 

 片手にはマーゴとの約束した箱。

 それも彼女との繋がり。


 亮は大きく息を吸い込むと…床を三回、松葉杖を支えにし右足で跳ぶ。


(…それは、俺がずっと長いあいだ心に留めていたことだ)

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