6−4「対話」
…それは、亮が小学生の頃のこと。
放課後の放送室。
生徒がほとんど帰った中、亮は一人の男性教師に呼び出されていた。
「じゃあ、テストを始めてくれるかな?」
机の上には算数のテスト。
隣には一台の据え置き型カメラ。
よくわからないながらも亮は用紙を開き、問題を解いていく。
(…なんで俺は呼び出されたんだ?)
浮かび上がる疑問。
向かいには男性教師がひとり座り、自分だけが黙々とテストを解いている。
(成績でも悪かったのだろうか?)
わからない。でも、それ以上にわからないのが隣のカメラ。
放送室という異質な空間。
その中でカメラの回る中で自分はどうしてテストを受けているのか。
「…おや、この問題ができていないようだね」
いつしか亮の顔から汗が噴き出し、テスト用紙には水滴が落ちていた。
「前はできていたはずなのに」
教師の言葉の通り、その問題には見覚えがあった。
(そうだ。前はこのテストをした記憶はある。でも、なんで今。俺はこの場所で同じ問題をしているんだ?)
なぜここにいるのか。自分は何をしているのか。
次第に視界がグラグラとし、鉛筆を持つ手が震える。
「…ありがとう、これ今日のお礼だよ」
渡されたのは一枚の図書券。
最終的にテストの問題は教師からヒントをもらって解くことができた。
しかし、なぜこのような状況となったのか呑み込めないことに変わりはない。
(そも、俺は何をしていたんだ?)
わからないままも幼い亮は疲れた頭で帰宅をすると夕飯を作る母親に図書券を見せ、その日起きた出来事を話した。
「…それ、実験台にされたんだな」
「え?」
みれば、居間でビールを飲んでいた父親が「カメラが回っていたんだろ?」と亮にたずねる。
「あの学校は、大学の実験校でもあるからな。研究発表に使われる資料として、お前は実験に参加させられたんだよ。図書券はその礼だ」
「…え?」
知らないうちに、実験に参加させられていた。
その
あれ以降、亮が何の実験に参加させられたか…未だにわかっていない。
(もともと、
結局、話はそれきり。
もらった図書券は図鑑となった。
しかし、亮の中であの日の体験はモヤモヤとしたしこりとして残り、その日を
あのカメラのように、誰が自分のことを見ているかわからない。
あの実験のように、自分が本当は何をされているのかわからない。
だからこそ目立つ行動はひかえるようにした。
誰かの目に留まることを避けるようになった。
それは歳を重ねるごとに深いトラウマとなった。
一対一で対話をする際に緊張するようになり、注目されることが苦手となり、人に見られていることが苦痛となり…大人となった今ではいざ対話を必要とする際に焦ってしまうとともに正常に思考が働かないことが多くなった。
(でも、それを知られることは、さらに人目につくことに繋がるから)
だからこそ、亮はその事実を隠して自分を押し込めて生きてきた。
人に何をされるかわからない。
人が恐ろしくてたまらない。
だからこそ、この状況は…
「よお、そんな顔するなよ。せっかくの貸切なんだ。美味しく食えよ」
早朝の喫茶店。
レッドが勧めるテーブルの上には文字通りのモーニングセット。
新鮮なサラダにカゴに入った分厚い食パン。
隣に添えられた皿の上には殻付きのままのゆで卵がのっている。
「ほら、ここのコーヒーが美味いんだぜ?」
そう言って、レッドはコーヒーに砂糖とミルクを入れてすする。
室内は満員。
花火大会の記事が見出しとなった新聞を読むサラリーマン。
出勤前のOLに首にタオルをかけて休んでいるのはランニング後の老人か。
多くの人でにぎわう喫茶店で亮とレッドは向かい合わせで朝食を囲む。
「…どうした、食べないのかよ?」
そう言って、マニキュアを塗った爪でパンを引き裂くレッド。
「相手のおごりに対して、返答もなしというのはいささか
マスクを外し、パンを
「それとも何か?」
先ほどまで、ウェイトレスをしていた女性がお盆を持って席に座る。
「こうして、俺たちと飯を食うことに何か文句でもあると?」
同時に聞こえるゲラゲラという笑い声。
男も、女も、喫茶店にいる人間全員が同じように笑ってみせる。
そう、先ほどから亮の向かいに座るのは、全て違う人物。
にも関わらず、彼らはたった一人の人間が話すかのように席に腰掛け、亮に話しかけ、目の前の食べ物を咀嚼する。
「怖いかい?」
そう言って、パンをかじる老婆。
隣の席には畳まれた防護服。かじったそばからパンは空中に崩れ、老婆の
「これが、【ヨモツへグイ】。空間に分解されかけたものを食えば、誰もがこうなっちまうのさ」
唇が消えていくにも関わらず、ケラケラ笑う老婆。
「…知ってるか?これが【ウィンチェスター】に肉体を置いてきた人間の
老婆は亮を指さし、ニヤリとする。
「そう、お前も
それに亮は息を吸い込むと「あんた、本当にレッドなのか?」とたずねる。
「グランマは確かにお前のことをレッドだと言った。でも、行動していることは【ラム】の行動によく似ている…何か、関係でもあるのか?」
それに、クツクツと老婆は笑うと太った男と席を変わる。
「ああ、関係ないわけないさ…俺はレッド。【ラム】の中心にしてリーダーさ」
ついで、コーヒーに口をつける太った男。
「俺は兄貴とババアの命令で空間の調査に送り出されたが、その場所で肉体を持っていかれた人間の特性にいち早く気づき、利用することにした」
唇をなくした男は痩せた男と交代し、欠けた腕と反対の手でフォークを持つ。
「多くの仲間を集め、【ラム】という一大勢力を築き上げ、おそらく創設者にして…最期の人間になるのだろうな」
ポツリと男はそうつぶやき、フォークで残ったサラダをつつく。
(…最期?)
亮はその言葉にいぶかしむも「でもなあ」と、サラダを口にするレッド。
「お前に繋がった【根】には一応警戒はしていたが、まさか妹まで巻き込むとは思わなかったぞ…父親は違うもこれでも身内だからな。別の場所には保護したが、決して安全な状態とは言い難い」
ついで舌をなくした男に替わり、女性が席へと着く。
「…だから、俺は許さない」
「その【目】は
そう言ってゆらりと立ち上がるのは、
「肉体が分解され、精神が消えるまでの時間」
「お前の体を操り人形にして」
「最後はどっかの隙間から出てきた生物に八つ裂きにさせる」
ガタガタッと席から人々が立ち上がり、言葉を次々に発していく。
「本当に残念だ」
「俺とお前は同じだと思っていたのに」
「同じ悪夢を抱えたもの同士だと思っていたのに」
「同じ種類の人間だと思っていたのになあ」
ついで、席の背後にいた男が亮を
「…本当に残念だよ」
その瞬間、亮は眼帯に手をかけると自身の【目】を
「おお、見るつもりかい?この状況を」
おどけるようなレッドの言葉…そして、亮は
まず、早朝のはずなのに室内が暗い。
席を立つのは蒸気のように玉虫色の煙を全身から噴き出す人々の群れ。
彼らは
その蒸気は窓をすり抜けると空へと昇り、玉虫色の空は厚みを増す。
「気づいていると思うが、この街にいる人間は今やほぼゼロ。どいつもこいつも【方舟】か【ウィンチェスター】か【ヨモツへグイ】…あるいは、空間の
ゆらり、ゆらりと歩く、もはや【ラム】だった人々。
彼らの大部分はすでに意識を持たず、半ば生ける
「で、どうするんだ?お前はその【目】だけで何ができる?」
しかし、亮は拡張した【目】で空間の亀裂を探り、目当てのものを見つける。
…それはかつて、この店を訪れた人間が残した【根】の
発芽し、店に残る胞子をたぐり、とっさにある場所の空間をこじあける。
「ああ。【根】がまだこんなところに…!」
隙間から光があふれ出し【ラム】たちはいっせいに顔を覆う。
だが、その手が、顔が、全身がみるまに崩れさり…
『やはり、陽の光が一番の天敵だったね』
眼帯で右目を押さえる亮。その手前の席の防護服のポケットにしまわれていたスマートフォンの中で老婆が声を上げる。
…気づけば、店にいた【ラム】たちは一人残らず風化していた。
こじ開けた隙間から差し込むのは、近くの山頂に降り注ぐ陽光。
それはかつて街を訪れた人間に付き山で発芽した【根】による
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