6−3「指摘」

「俺は、どれぐらい寝ていたんだろう?」


 施設のトイレで顔を洗った亮は外に出るなりぼんやりとつぶやく。


 ドアの向こうに見える空はまだ暗く、近くのソファには毛布にくるまって眠るマーゴの姿があった。


『なあに、四時間程度さ。もう少し寝てな』


 ポケットに入れていたスマートフォンからする老婆の声。


『今のところ、【ウィンチェスター】による侵食も【方舟】からの侵入も無い。【根】の撤去による反動で駅方面はかなりの被害が出ているようだけれど、こちらのほうまで影響はこないようだよ』


「…【根】か」


 再びつぶやく亮に『何か、嫌な夢でも見たかい?』と老婆はたずねる。


『昨日の今日だ。必要だったら話によるよ』


「いや、嫌な夢ではなかったけれど」


 亮は昨晩見た夢を振り返り、手短に老婆に伝える。

 それに『おやおや、それはまた面白い夢だ』と老婆は興味深げにうなずく。


『復興直前の街の夢…まあ、今の状況とはどっこいどっこいだが。未来ある分、まだ昔の方がマシだったかもしれないね』


 何か嫌なことを聞いたような気もしたが、ふと思うところがあり「アナタは」と亮は言いかけ、すかさず老婆は『呼ぶなら【グランマ】だよ』と答えてみせる。


「そうですか。じゃあ、【グランマ】は…」と亮は少し言葉を切る。


「本当にマーゴの祖母であるなんですか?」


 それを聞くと老婆は『おやおや』と驚いた顔をする。


『何を今さらと言いたいところだが、どうやらそちらが本命かえ?』


 老婆の言葉に「いえ」と亮は言葉をにごす。


「昨日の車内でマインが人工知能であるアナタ…いや、【グランマ】が事故後のNASAからどうやってアクセスできたか、その過程がわからないと。何を目的としているのか。どうして企業をここまで成長させたのか、理由が見えないと」


 それに老婆は『まあ、最初に会社を立ち上げた時から、あまりマインには会社の具体的な説明をしていなかったことは確かだけれどね』とため息をつく。


『でも、立ち上げ当初から秘書として雇っていたし、少しは自分が何をしているかぐらい自覚していると思っていたが…線引きね。そんなもの相手との溝を深める材料にしかならないよ』


 ついで、未だ眠っているマーゴをチラリと見ると『ただ、聞きたいことはそれじゃあないようだね』と上目遣いで亮を見る。


『込み入った話になりそうかい。マーゴも寝ているし、必要なら場所を移すのもありだと思うよ?』


「…そうですね」


 そして、亮と老婆は一階の展示室へと移動した。


『結論から言えば、私は私であって私じゃあない』


 禅問答ぜんもんどうのように老婆はそう答えると、街を再現したミニチュアへと目を落とす。


『この体になってから三年間。ネットワーク経由で色々と調べてはみたものの、やはり自分がどうしてこの姿になったのか、どうして事故前後の記憶がないのかの答えは導き出せなんだ…』


 スマホ越しにゆるりと首を振りつつ、上を向く老婆。


『ただ、分かっているのは、この世界が空間異常によって崩れかけていること。その状況を緩和かんわするためには、今の私の立場を利用して、起業した会社を大きくして、世界に貢献こうけんすることだけだったさ』


「…マーゴに、その話は」


 亮の質問に『ああ、すでにしてある』と老婆は答える。


『その上で、あの子はポップと共に協力を申し出てくれた。優しい子たちだよ』


 ついで、亮を見る老婆。


『それで、アンタはどうなんだい?』


 それに亮はぎくりとするも「考えてみたけれど…俺は、未だにアナタの境目さかいめがわからない」と正直に告白をする。


『境目?』と逆に問い返す老婆に「ええ」と、亮。


「アナタは人なのか、それとも人工知能なのか。そも、空間異常によってできた副産物ふくさんぶつなのか…俺はどうとらえ、せっするべきなのか。未だにそれがわからない」


 そろそろと、鋭くなっていく老婆の視線から目をそらす亮。


「だからこそ、マーゴのように全面的な信頼もできないし、マインのようにと呼んで敬遠けいえんできるものでもない。そのきっかけというか…相手側にも何かしらの意思はあるんじゃないのかと思ったのが、昨日の【根】との接触せっしょくのときで」


 動物の標本の入ったガラスケース。

 そこに映り込むスマホを持つ亮と画面の老婆。


「最後に崩れていく中で、母さんと同じ姿をした菌糸があって。それは確かに俺の名を呼んで、謝ってきて…」


 だんだんと視点をどこにやれば良いかに迷う亮。それに老婆は『なるほどね、アンタが見たものは…おそらく母親の記憶さね』と答えてみせた。


『【根】にはね、吸収した人間の記憶をたくわえ、生前と同じ姿をとって話しかけてくるものもいる。【根】はアンタの知り得ないことを知っていたんだろう?そうだとしたら、まず間違いないさね』


 老婆はうなずくも『まあ、当人はすでに死んでしまっているし。記憶を保持していた【根】も消滅しちまったからね。それ以上の詳しいことは聞けなんだが…』と言いつつ、亮に向かって視線をあげる。


『どうやら、聞きたいことの本質はそこにあるようだね』


 その言葉に亮は観念すると、近くのソファに腰掛け口を開く。


「…実は俺、長いこと母さんに迷惑をかけていたんだ」


 天井付近に花火のレリーフが描かれた博物館。

 自分の声が反響しないよう、亮は小声で話しだす。


「母さんは元カメラマンで、そのときに写真家仲間だった親父と出会って、すぐに俺ができた…そして仕事を辞めざるを得なかった」


 老婆の映るスマートフォンをもてあそびつつ、亮は話を続ける。


「生まれた俺はずっと泣いてばかりで仕事にならなくて。シッターを雇うことを親父は許さなくて。辞めたら辞めたで、今度は親父の仕事が立ちいかなくなって、結局、夫婦そろって親父の両親の家に居候いそうろうになった」


 老婆は何も言わず、ただ画面越しに亮を見つめる。


「でも、幼いうちに祖父母も亡くなって。生活のために母さんは慣れないパートを始めて。俺の学費はすべて祖父母の遺産と足まで悪くしてまで貯めた母さんのパート代でまかなわれて…でも、それを知ったのは、俺が大学卒業後のことだった」


 そこまで話すと、長いため息をつく亮。


「母さんが双子を連れ出して今の家に逃げ込んだ夜に、俺は全てを聞かされた。呆然として、どうにかしないといけないと思って」


「…でも、それからも俺は、何もできなかった」と、つぶやく亮。


「母さんのために就職しようと、仕事を少しでも長く続けようと頑張ったけど…結局、何もできなかった」


(これ以上、私たちから何も奪わないで…!)


 そう、あれは相談室で母親が発した言葉。父親から逃げ、這々ほうほうの体でたどり着いた先に全てを失くしかけた母親の悲痛な叫び。


 しかもその直後に市役所は【根】に飲まれ…


「俺は生まれた時から母親の足を引っ張り続けていた。何もできずに苦労ばかりかけて。母親の夢も、何もかも奪って…」


 いつしか、亮はスマホを足元に落とし顔を覆っていた。


「そうだ、俺がこんな人間じゃなければ良かったんだ。合わないことでも我慢ができる。嫌な気持ちも顔に出さない。そんな人間として生まれていれば良かったんだ。いや、そもそも俺が生まれさえいなければ、もっと母さんは…」


『落ち着きな。死んだ人間は生き返らないよ』


 ぴしゃりと言い放つ声。

 気づくと、カーペットの上のスマートフォン越しに老婆が見つめていた。


『アンタの親に関して言えば、救う手立てはいくらでもあったはず。ただ、周りの協力する側に関しては、かなり悪い部類にあたっちまったようだがね。そこまで人を追い詰めるような行政じゃあ、先が思いやられるよ』


 やれやれと言わんばかりにため息をつく老婆。


 しかし、続けて『…でも【根】に関しては、少し説明に引っかかるものがあるね』といぶかしげに口にする。


『あれは、文字通り土地に根付く性質を持った生物だ。テリトリー内で他の要因である空間の亀裂が起これば、自分たちで補修して排除する。それこそ長期的な面で見れば、他の空間異常を未然に防ぐ役割も担っているはずなんだがね』


 それに亮は「え、それは違うんじゃ」と思わず声を漏らす。


「だって、マインの話では【根】の胞子が発芽すると空間同士が繋がって【ウィンチェスター】から【方舟】に移行するって…」


『それは、誰かがでっちあげた仮想理論デマだね』と老婆。


『そもそも三年前に発生したのは【根】だけじゃない。【ウィンチェスター】も【方舟】も、ほぼ同時期に別々のものとして世界各国で観測されている。だからこそ、空間異常に各名称がついているんじゃないか』


 その指摘してきに、ハッとする亮。


『人は数世代で物事を忘れるというけれど…よもや企業の代表である人間が三年前に指摘した事項ことすら記憶できていないとなると相当な問題だよ。あげくデータまで書き換えて、情報共有をできないようにしているときたものだから…』


 しかし、それ以上の言葉は続けられない。


「よお、婆さん。やっぱアンタすげえよ」


 気がつけば、亮の顔に影がさす。


 顔すら見えないほどの、分厚いヘルメットつきの防護服。

 誰かもわからないような出でたちの人物が、亮たちを見下ろしていた。


「周囲の回線は遮断しゃだん。軍が積むタイプのジャミング装置も作動中。それなのに、何をどうやって当たり前のようにスマホを乗り換えて移動ができるんだか」


 ヘルメットから聞こえるのはくぐもった男の声。

 ついで、遠くでマーゴが「離してよ!」と叫ぶ。


「…亮とか言ったか?ちょいと、婆さん抜きで話をしよう」


『レッド、何を』とつぶやく老婆の声を名を呼ばれた男は笑いでさえぎる。


「婆さんは黙ってもらおうか。俺はこいつと話したいんだ」


 ついで、レッドは亮の腕をつかむと顔すら見えないヘルメットを近づける。


「モーニング・サービスだ。朝食は会議の頭を回すのに最適だろ?」

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